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(主催者から届いた開催通知ハガキ)

 2024年9月22日から2泊3日で上京し、日比谷野音で開催される琉球フェスティバルを鑑賞してきました。
 琉フェスは、竹中労の提唱によって1974年に初めて開催。その後1995年に復活開催され、東京開催は今年が28回目という歴史をもっています。当方は、2000年の東京開催から、時には大阪まで出かけて鑑賞していて、コロナで開催中止となった2020年と、場内での飲酒禁止の事態となったその翌年は不参加となったものの、今年は2022年から3年連続での参加となります。

 今年は、日比谷公園大音楽堂にて、9月23日(月・祝)の開催です。チケットは当日券が9,300円と、2000年当時の倍近くになりました。
 なお去年は、日比谷野音での開催は建て替えのためこれが最後になるというふれこみでしたが、大阪万博会場の建設の追い込みなどもあり、建て替えの公募に応じる民間業者がなく、今年9月末までとしていた施設の使用期間は1年ほど延長される予定となっているそうです。

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(琉フェス2024のHPから)

 さて、出演者。
 大工哲弘with苗子、Cocco from沖縄のウタ拝、比嘉栄昇が率いる「ヤエヤマ・アッチャーズ・バンド(Y.A.B)」、ネーネーズ(上原渚、小濱凜、狩俣幸奈)、ディアマンテス、パーシャクラブ、きいやま商店、琉球國祭り太鼓で、司会はいつものガレッジセールです。

 この日は朝から首都圏のまだ乗ったことのない鉄道路線をめぐっていて、あやうく遅刻しそうな状況になり、当日券を買って席に着いてちょうど16時。なんとかギリでオープニングに間に合いました。
 いつもは入場待ちで長蛇の列ができている野音の入口付近は、すでにある程度入場が終わっていて、人混みは少なくなっていました。

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(遅着のため、入口付近はすでに入場待ちの人混みが少ない)


 着席してすぐに、「琉球國祭り太鼓」のエイサー演舞が始まりました。彼らのテーマソングと言ってもいい、日出克の「ミルクムナリ」でのスタートです。いつもは「東京沖縄県人会」が担っているエイサーですが、今回はこの団体で、大太鼓の足の上げ方などが板についています。
 スマホの普及で場内の撮影禁止はだいぶゆるくなっていて、あちこちで入場者が写真や、人によっては動画撮影をしていますが、かつてのように場内の係員が飛んでくるようなことはありません。しかし気が引ける当方は、まだ明るいスターティングのこのときだけ、写真を撮らせてもらいました。

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(琉フェス2024が始まった!)

 「琉球國祭り太鼓」は、1982年に沖縄市の泡瀬を中心とした若者たちによって結成された歴史ある団体。大太鼓を中心としたエイサーをベースに、空手の動きや独自の振り付けを取り入れ、新しいエイサースタイルを沖縄の内外に定着させています。
 年齢性別国籍関係なく幅広いメンバーで構成されていて、今や日本国内51支部、8か国海外30支部、総勢2,500名余に広がっているとのことです。

 2曲目は、みんなが知っている「安里屋ユンタ」で、のっけからあちこちで、♪ マタハーディノツィンダラカヌシャマヨー……と唄う声が聞こえてきます。

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(琉球國祭り太鼓)

 演舞後に司会のガレッジセールが登場し、この琉フェス独特の空気感を愛で、最高の4時間を愉しもうと観客にアピールします。

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(YAB)

 トップバッターは、比嘉栄昇が率いる「ヤエヤマ・アッチャーズ・バンド(Y.A.B)」です。
 BEGINのボーカル比嘉栄昇が故郷石垣島で活動するために結成されたバンドで、固定メンバーではなく、島で暮らし、仕事の都合が付くメンバーが集まってライブを続けて行くという「ゆる~く」確かな信頼関係で結ばれた音楽集団であるとのこと。
 出てきた栄昇が言うには、閉館した石垣島の映画館「万世館」でライブを開催しているが、島の人々はほとんど来ず、観光客も少なく、30人程度の客の前で演っているとのこと。八重山独自のリズムの感じ方を「上げ拍子」と名付けているそうな。

 総勢7人で登場。1曲目は栄昇が情感を込めて「島人の宝」をうたいます。
 ♪ 僕が生まれた この島の空を ……
 ああ、1曲目から感動だなぁ。胸がジンとして、鼻の奥が痛くなってきます。今年も琉フェスに来てよかったなと、もうこの段階で感動してしまっているワタクシ。(笑)

 右手にいるマドロスハットをかぶった男性が甲高い声で紙テープの歌だと曲を紹介して、2曲目は「虹色の紙テープ」。
 バラード風の曲調で、
 ♪ 夕暮れ時はいつもの港 波に浮かべた二人の夢は どこを旅しているんだろうか ……
 と、島での、船による別れのシーンをうたっています。
 うーむ……、バラードに彼の高いキーは合うのかな。どうやら彼は、栄昇の次男の比嘉健二朗という人物で、万世館の隣でTシャツ店も営んでいるようです。

 3曲目は、まだレコーディングもしていない曲だと、港唄風の「ほなバイバイ~大阪マドロス女~」。
 ♪ 私帰るの大阪に 短期バイトが終わるから やけで選んだ小浜島 全部忘れるために来た ……
 栄昇が言うには、2か月半の短期バイトで八重山にやって来る彼女たちこそ、現代のマドロスなのではないか、とのことです。ああこの曲調、これに合わせて大工苗子がマドロス姿で踊ってくれたら最高なのだけどな。

 4曲目は「節祭(シチ)支度」。
 ♪ イリムティ(西表)島に帰っておいで 祖納・干立・船浮 シチ支度~
 ……という、ノリのいい曲。途中合いの手のガーリーがサーサーサー!!と入って、八重山らしい。
 なお節祭とは、季節の折り目に当年の豊作への感謝と来年の豊饒と平安を祈願する、八重山諸島をはじめとした沖縄各地で行われる祭りの行事です。

 よかったなぁ、YAB。こういうチンドン風で明るい音楽を「上げ拍子」というのかな。

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(比嘉健二朗のインスタグラムから)


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(ネーネーズ(NENEZ))

 2番手は、「ネーネーズ」(上原渚、小濱凜、狩俣幸奈)。
 「黄金の花」を聴くために那覇国際通りの「ライブハウス島唄」に行くことがあると、ゴリ。そこに行けばネーネーズを間近に見て聴くことができるので、自分もよく通ったものです。宜野湾にあった頃から数えて何度通い詰めたことか。その頃のメンバーで今残っているのは、上原渚のみとなりました。

 改めて整理しておくとネーネーズは、沖縄音楽界の第一人者知名定男のプロデュースによって1990年に結成されたユニゾン・グループで、現メンバーは6代目。
 本来は4人のユニットなのですが、今回はステージ上右から狩俣幸奈・上原渚・小浜凛の3人が、青・白・赤基調の紅型衣装をまとっての登場です。もう一人の与那覇琉音は、大学の教育実習のためやむなく欠場となったとのことです。

 1曲目は、琉球の木遣り唄「国頭サバクイ」。
 上原渚が野太い声でうたい始めれば、ここは王朝時代の首里の城の建設現場かと思わせるような迫力を感じます。渚がネーネーズに参加してからだいぶ長くなりますが、一定の年季を重ねていい沖縄の唄者になったものだと感心することしきり。

 2曲目は、「島や唄遊び」。
 かつて琉球放送で流されていた芸能バラエティ番組「ふるさと万才」のテーマソングで、上原直彦の作詞、知名定男の作曲によるものです。
 ♪ わしたウチナー果報ぬ島 今日ん揃とてドンミカセ……

 3曲目は、知名定男の代表作と紹介して、「バイバイ沖縄」を。
 うん、そのとおり、名曲だと思う。ぐぶりーさびたん、またやーさい。
 「黄金の花」をはじめ、この曲とか「アメリカ通り」「平和の琉歌」「ウムカジ(面影)」などをやっていた頃が、ネーネーズのベストシーズンだったと思いますが、当時はチナサダオ楽団が分厚いバックミュージックを奏でていて、佐原一哉(古謝美佐子の夫)のメロディアスなキーボードが光っていたものです。
 一方、今回のネーネーズのステージは、3人しか歌い手がいないのに加えて、バックミュージシャンはおろかオケもなく、まったく3人の三線と太鼓だけでやっているところが、ある意味すごいと思います。それでもこの広い会場できちんと聴かせてくれるわけですから。まあ、やや宴会曲のように聴こえないでもなかったけれども。(笑)

 4曲目は、「黄金の花」で締め。しんみりと聴かせ、これをやっているうちは、ネーネーズは不滅でしょう。

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(インスタグラム「nenez_okinawa」から)


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(きいやま商店)

 3番手は「きいやま商店」です。
 石垣島出身の、兄のリョーサ、弟のマスト、従兄弟のだいちゃんで結成されたエンタメバンドで、バンド名は3人のおばあちゃんが石垣島で営んでいたお店の名前から命名したというのは、皆さんご存じのとおり。
 2022年には「シュラヨイ」を配信リリースし、各地のエイサー団体からたくさんのオファーを受け、全国8箇所を回る「シュラヨイTOUR~この声ひとつになれ」を敢行しています。
 また、2023年には、米米CLUB初のトリビュートアルバム「浪漫飛行 トリビュートアルバム」に参加し、思わず踊りだしたくなる沖縄チャンプルーな「浪漫飛行」を披露し話題になったとのことです。
 身内ネタや方言満載の愉快なコミックソングがあるかと思えば、バラードからアッパーチューンまでバラエティに富み、老若男女を問わない幅広い世代に支持されているといいます。

 大工哲弘の「月ぬかいしゃ」をイントロミュージックに流し、いつものように短パンとビーサン姿で元気に登場します。

 1曲目は「この歌届け」から。
 頑張る君にこの歌届け!という、元気がもらえる人生応援ソング。ここまでではいちばんの大音量で、場内総立ちとなります。
 聴衆を乗せるのが上手なのは、歌に込める姿勢がこちらにしっかり伝わってくるからかもしれません。観客のアクションを見るにつけ、今回の入場者にはきいやまファンがかなり多いことがわかります。

 2曲目は、ほほう、これがきいやまの「浪漫飛行」か。スタッカートの効いた8ビートで、指笛、三線、イーヤサッサのフェーシが入り、一種独特。場内は舞い手がひらひらの大盛り上がりで、四半世紀ほど前の琉フェス最盛の頃を思い出します。

 3曲目は、琉フェスでもよくやる「ドゥマンギテ!!」。

 4曲目は、琉球國祭り太鼓を招き入れて、「シュラヨイ」を。
 ラップ調のハイテンポな音楽には本来エイサー太鼓は合わないような気がしますが、なかなかいいシーン。あたりが暗くなりつつある時間帯となり、照明も映え始めて、ここが今回の琉フェスのいちばんの見どころだったでしょうか。
 かつての琉フェスではこのようなコラボレーションが多く見られ、それが結構楽しみでした。今後こういうシーンはもっと増やしてほしいと思います。

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(インスタグラム「きいやま商店 OFFICIAL」から)


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(Cocco from 沖縄のウタ拝)

 4番手は、初出場の「Cocco from 沖縄のウタ拝」です。
 Coccoについては沖縄出身のミュージシャンとはいえ、いわゆる“沖縄”をジャンルとしていないため、まったく知らないと言ってよく、今回初めて鑑賞することになります。

 プログラム等から引用すると、Coccoは那瀬市出身アーティスト。11歳より飯島礼子バレエスクールにて飯島礼子に師事。上京後、1997年ビクターよりシンガーソングライターとしてメジャーデビュー。音楽活動のほかエッセイ本や絵本の上梓のほか、舞台や映画出演など活動は多岐に渡るようです。デビュー27周年の今年2月には通算13枚目のオリジナルアルバムを発売しているとのこと。
 また、2015年より、同郷のピアニスト辺士名直子がプロデュースする総合芸術舞台「沖縄のウタ拝(ウタハイ)」に出演。生まり島のリアル、祈りを表現した芸術舞台で、歌と踊りを担い、全8回の沖縄公演、東京公演に加え、ロンドンでの映像作品公開など、世界へ向けて発信を続けるとのことです。

 でもまあ、自分にとってCoccoとは、重要無形文化財「組踊」の保持者で2011年に没した、沖縄芝居の名優の真喜志康忠の孫にあたる人物だ、ということでしょうか。

 1曲目は、辺士名直子のキーボードをバックに、八重山民謡「月ぬかいしゃ」をたおやかにうたい、沖縄でいうチラシの形で赤ちゃん讃歌のように聞こえる英語の歌を添えていました。こういうアヴァンギャルド風な曲の組み合わせが、いわば沖縄チックじゃないんだよナ。

 三線を使わない歌い手は琉フェスには出られないという不文律があったのではないかと訝っていると、やおら三線を手にして次に「屋嘉節」を歌い始めたのにはびっくり仰天。ウタムチが響きだした段階で鳥肌が立ちます。
 じつはこの唄、当方が最も不幸だった時期と言っていい2007年2月、使えなくなった自宅を離れ、たまたまノートパソコンに残っていた「屋嘉節」を再生して聴きながら、途方に暮れていたのでした。沖縄が戦場になり、屋嘉の収容所で砂地を枕にし、四本入り煙草を吸って心を慰める戦争捕虜の歌です。あのときの自分は、知名定男の「屋嘉節」と成底ゆう子の「真っ赤なデイゴの咲く小径」にどれだけ励まされたか知れません。
 訥々としたいい音色を奏でた男性三線奏者は、大城ケンタローという人。沖縄県立芸術大学琉球芸能専攻琉球古典音楽コース卒業で、2016年には笛で、琉球新報古典音楽コンクール「最高賞」を受賞しているようです。

 Coccoは「それでは先に進みます」と学級委員のようなセリフを発し、3曲目へ。(笑)
 曲名はわからず。曲の速さが途中で変わったり、大城の笛、Coccoのハーモニカ、三線の速弾きなどが入ったりする、前衛的な感じのするものでした。

 今日のために準備した新しいものだという4曲目も、不明。沖縄民謡をチンドン風に仕立て、朝ん夕さんという歌詞が入り、合い間にハイヤの合いの手、おわりのほうでは大城が“ぶるんぶるんぶるん はるちるがるとるぶる……”というヘンな「蜂が飛ぶ」をがなり、なんだかふざけているなという印象でした。

 袖から出てきたゴリも、「独特な世界観デスネ」と、シンプルな感想を漏らしていました。

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(「Cocco」のXから)


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(ディアマンテス)

 5番手は「ディアマンテス」です。
 1991年に結成され、コザの「パティオ」を本拠として爆発的な人気を誇りました。93年の1stアルバム「OKINAWA LATINA」でメジャーデビュー。「ガンバッテヤンド」、「勝利の歌」、「片手に三線を」など数々のヒット曲を生み、独自の音楽を発信し続けています。

 1曲目は、ブラスセッションが入った「ヒヤミカチ節」から。彼らがうたえば沖縄民謡もラテン系。それにしてもアルベルト城間のハリのある声はなんとも素敵です。

 2曲目は打って変わり、メロディアスに「片手に三線を」を。聴衆もよく知っていて、場内大合唱となるあたりが琉フェスのいいところ。日比谷野音が残っていてよかったなぁと思わせるものがあります。

 3曲目は、Coccoを呼び寄せ、城間がアレンジしてCoccoのアルバムに入れた「恋焦がれて」という曲でコラボします。
 ♪ 恋い焦がれて 小麦色の 恋い焦がれて 肝ドンドン ……
 トランペットの前奏が入り、Coccoは手をこねりながらうたうのですが、なんだかそれはきいやま商店の音楽にも相通じるところがあるような違和感があり、彼女の声量が足りないため歌声が演奏音に消されそうな雰囲気もあったりしました。
 2022年発売のアルバム「プロム」に収録されています。

 城間は、せっかくなのでたくさん歌いたいが、持ち時間に限りがあるためメドレーにまとめたものを聴いてほしいと話し、ディアマンテスの歴史を聴くような形となるメドレーを始めます。
 「勝利の歌」「ガンバッテヤンド」「沖縄ミ・アモーレ」「VIVA!!夏の色」などがたて続けにうたわれます。ああ、ええなぁ。

 今年も日比谷の空気感をがらりと変えてくれたディアマンテスでした。

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(ガレッジセール)