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 善通寺市内へと進み、善通寺市役所そばの「旧善通寺偕行社」へ。
 「偕行社」とは、陸軍将校の親睦団体の名称で、その社交場として建設された建物にも同じ名称が用いられている。偕行社は師団開設場所に全国的に存在していたが、現存するものは少ない。
 「旧善通寺偕行社」は、善通寺に開設された第11師団の将校たちが1903年に建設したもので、2008年に創建当時の状態を基本に保存修理工事が行われ、一般公開されている。
 駐車場に入れないために周囲を何周かするはめになったが、そのことによって、善通寺市の中心部はこういうところと多少理解を深めることができた。

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旧善通寺偕行社

 善通寺市街地の南側には旧陸軍第11師団関連の歴史的建造物群が多数残っていて、旧団司令部が、初代団長乃木希典関連資料を展示する「乃木館」として一般公開されている。
 この「乃木館」を見ようとして探したが、下調べが足りないために事前に把握していた2つの住所のいずれでも発見できず、結局不明だった。
 自衛隊施設の中だったかもしれず、どうやら事前確認が必要だったようだ。施設内には赤煉瓦の巨大な旧兵器庫が残っているのが見えた。
 車で迷走する間、頻繁に「仮免許練習中」の自衛隊の大型車両が走っているのを何台も見かける。ここは“自衛隊の町”なのだな。

 これも市街地にある、四国霊場八十八ヶ所第75番札所の「総本山五岳山善通寺」。
 善通寺市は弘法大師の誕生地で、唐から帰朝した弘法大師が先祖の菩提を弔うため6年かけて建立した、真言宗最初の根本道場。高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに、大師三大霊蹟のひとつになっている。
 境内は、東院と西院に分かれ、東院は伽藍、西院は誕生院と呼ばれ、西院の「御影堂(大師堂)」の床下には全く光のない中を歩いて弘法大師誕生の聖地をお詣りする戒壇めぐりがある。
 東院の「南大門」から入って、「金堂(本堂)」を見る。東院にある県天然記念物の2本の「大楠」は樹齢千数百年といわれ、弘法大師誕生の頃からすでに生い茂っていたという。
 何か所か見てきた四国霊場巡りもこれが最後の箇所。どれほど巡れたのか数えてみたところ、番外の1か所を含めて23寺だった。全部回るにはこの4倍の箇所を巡礼しなければならないということであり、改めて四国霊場八十八ヶ所を巡ることの困難性に気付くのだった。
 15時40分発。

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「総本山五岳山善通寺」東院の「南大門」

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同 東院の「金堂(本堂)」

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同 東院の「大楠」

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同 西院の「御影堂(大師堂)」

 丸亀市を過ぎ、宇多津町でガソリンを入れて、四国での最後の地となる坂出市へ。
 日が傾いた「瀬戸大橋記念公園」を歩く。
 まず目に飛び込んできたのは「瀬戸大橋記念館」。間もなく閉館時刻を迎えて出入りする客もいないようなので、外観を見るだけにとどまる。
 その北側、海に面してマリンドームと名のつく野外ステージがあり、ステージの背景が瀬戸大橋になっているという、ここでしか見られない唯一無二のものになっている。
 瀬戸大橋は巨大で、橋脚が太くてあまりエレガンスとは言えないが、地震などには滅法強い強固な構造物のように見える。道路部分の下には電化の鉄道線路がセットされていて、たたずんでいる10分ほどの間に上り下りの列車が頻繁に轟音を立てて通り過ぎていく。うーむ、大歩危・小歩危とはまた違った都市的風景だなあ。

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瀬戸大橋記念館

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野外ステージは背景が瀬戸大橋で、唯一無二の風景になっている。

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「瀬戸大橋記念公園」から瀬戸大橋を仰ぐ

 16時45分。これにて四国での見て歩きは終了となる。
 四国入りした6月8日から数えて22日間も、この四国内を駆け巡っていたことになる。

 この日の入浴とステイ先は、まず瀬戸大橋を渡って、本州に入ってから道々考えることにしよう。自宅まで、有料道路回避で進んだ場合930km、21時間かかるとナビは告げている。
 16時50分、瀬戸大橋記念公園の駐車場を発つ。

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瀬戸大橋を渡橋中に運転しながらパチリ。よい子は真似をしてはいけません。(往路の明石海峡大橋でもやっていたナ)

 瀬戸大橋を通過して本州に入り、18時を回ってから、ナビの告げるルートから大きくはずれない近場の入浴施設を探したところ、岡山市北区の「ぽかぽか温泉」が見つかったので、そこで入浴とする。
 420円という格安の日帰り温泉施設なのでやむを得ないが、適当な広さと深さをもついわゆる「大風呂」がなく、洗い場での水温調節機能がなく、備え付けのボディソープなどがなく誰かが置いて行ったものが数本置かれている程度。ボトルの文字がすり減って読めず、中の液体がボディソープなのかシャンプーなのか、それともリンスなのかわからないまま、まあいいやどうだってと使わせてもらう。
 19時、リスタート。ステイ先はあと2時間ぐらい走ってから決めよう。

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入浴は岡山市北区の「ぽかぽか温泉」にて。

 20時前、岡山県備前市内にて、わが愛車スバル・フォレスターのオドメーターが10万kmとなる。購入したのが2013年5月。過去のブログ記事を見ると5万kmになったのが2017年9月で、それから3年かからないで10万kmになっている。これは退職した2019年4月以降頻繁に車旅をするようになってからの距離がぐんと伸びているからだ。
 その時間頃から暗くて風景が見えなくなった。こうなると、ドライブしてもちっとも楽しくない。

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オドメーターが10万kmを示した!

 22時、兵庫県西脇市にある「道の駅北はりまエコミュージアム」に滑り込み、ここでステイすることにする。
 コーラ味のストロング缶チューハイを飲み、海苔弁当を食べて一休み。

 この日、6月29日の走行距離は322km。
 夜になってからも結構距離を稼いだつもりだが、それでも自宅まで残り760kmもあるとナビが言う。この距離を1日で走れるものかどうかかなり不安だが、明日は目一杯走って何とか帰宅したい。
 まあ、ナビの言うことはいつも大げさなので多少短縮はするだろうが、到着は明日の深夜になってしまう。それではつらいので、自らに課している禁を犯して、どこかで高速を使わなければならないだろう。
 いろいろと思いあぐねながら、23時前には就寝。

 2020年6月30日(火)。
 4時45分起床。
 夜の間はずっと雨が降っていた。そうなるだろうと思って窓を全閉して眠ったが、朝の外気温は22℃と低く、比較的快適に眠れたほうだった。「道の駅北はりまエコミュージアム」も比較的山手のほうにあり、夏場の車旅でのステイは少しでも標高の高い涼しいところを選ぶに限るということを知る。
 昨晩も思ったとおり、高速を使わずすべて一般道を進んで行くとすれば、まったく休まずに走り続けても自宅到着は22時半となる。これではあまりにもきついので、自分に課した禁を少しだけ解除して、どこかで高速を使うことにしよう。そうすることによって1泊分の時間と経費が浮くと考えれば、高速道路の利用はせいぜい1泊分の宿泊料金程度の範囲が限度となるだろう。
 5時15分には雨を衝いて出発する。

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朝5時の「道の駅北はりまエコミュージアム」

 一般道を黙々と進み、京都府を通過して福井県に入り、休憩と朝食のため7時半、「マクドナルド27号小浜店」へ。この旅の最後に、何日ぶりかのマックとなる。
 ソーセージマフィンのバリューセット、セットはアップルパイとコーラゼロをと、間違えないようにとわざわざ指差し確認をしながら注文しているのに、手の皴などから察するに自分と同程度の年齢と思しきアルバイトのおばさんは、チキンクリスプマフィンとハッシュポテトとレジに打ち込んでいるではないか。あのねおばさん、さっき自分でアップルパイですねと復唱していたではないか。
 違うと伝えると、こんどは取り消しができなくなってうろたえている。そこに正社員風の男性がやってきて事なきを得たが、この類のヒトはマニュアル的な手順での対応はできても、客の意向に耳を傾けるというもっとも基本的なことができていない。この年齢になるまでの長い人生でどんな仕事をして暮らしてきたのだろうか。
 各地のマクドナルドにお世話になった経験からいうと、ヘッドフォンが邪魔をしている面もあるだろうが、この企業の店員は得てして目の前の客ファーストにはなっていないことを断じておきたい。
 残っているログ付けは帰ってから書くことにしたので、今回は店にパソコンを持ち込まずに食事のみ。マックでパソコンを開かなかったのは、車旅を始めてから初めてのことかもしれない。冷たいコーラをたっぷり飲んでリフレッシュできた。8時前にリスタート。

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この旅でも何度か食べた朝マック、ソーセージマフィンのバリューセット(ウェブから)

 マックからほど近い小浜ICから高速に上がって、運転時間の短縮を図る。
 100~105km/hで走り、石川県に入ったあたりで雨が強くなり、オート設定のワイパーが間欠から連続に変わる。
 リスタート後2時間を経過した10時、金沢市の「不動寺PA」で10分ほどの小休止。
 10時40分、富山ICで高速を下りて5,420円。ああ高いなぁ、高速って。
 ここからずっと下道を行くが、富山市街は土砂降り。そして渋滞などもあって、途端に歩みが遅くなる。我慢我慢。あと400km残っており、休まず進んでも到着は19時45分だ。

 11時半、滑川にてガソリン補給。ハイオクがリッター133円と安くないが、ここで入れておけばこの後給油なしで帰宅できる安心感がある。
 13時20分、上越市にある「道の駅うみてらす名立(なだち)」で小休止。

 14時前、上越市内の「直江津ショッピングセンター」の敷地内にある「おおぎやらーめん直江津店」にて、「みそ」660円を食べる。
 北国に戻ってくるとなぜか味噌味のラーメンが食べたくなるもので、ラードが強めの濃厚な味はそんな心境にふさわしいつくりだ。ライスが無料だがどうするかと聞かれ、食べ過ぎると眠くなる心配もあるので少しだけ付けてもらう。ラーメンを食べたあとのスープに入れて啜りたい。
 西日本とは違って太さのあるモヤシが入り、炒め過ぎずにシャキシャキとした食感がとてもいい。メンマとチャーシューが入らないところは減点。食後の余韻には長く浸らずに14時20分出発。

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「おおぎやらーめん直江津店」の「みそ」

 腹が満たされればやはり途中で眠気がやってくるが、そのタイミングで片側二車線道路となる。二車線になればおのずと運転に神経が行き、元気になる。

 16時には雨が上がり、陽が射してきた。この日はこれまで気温が低めで運転しやすい温度だったが、こうなると途端に車内が暑くなってくる。

 昼食をとった直江津から5時間近く、途中で片側交互通行のため信号待ちをする場面はあったが無休で運転し、山形県に入る。
 山形は路面が濡れ、少し前まで雨だったようで、湿度がすごく高い。

 19時10分、南陽市宮内の「中国料理蒼天」に立ち寄り、旅の最後の夕食をとる。あー疲れた。
 什綿炒麺(五目あんかけ焼きそば、スープ付)850円。旅の間中いつかは食べたいと思っていた五目焼きそばに、ここにきてようやくありつけた。
 薄く衣のついた豚肉のほかにエビやイカなどの魚介類も入って上質。あ、うずらの玉子は入っていないな。味はいいが、麺、餡ともにややボリュームに欠ける面がある。

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南陽市「中国料理蒼天」の什綿炒麺(五目あんかけ焼きそば)

 食べ終えて、19時40分リスタート。もうひとっ走りして、山形の自宅には20時20分に到着した。

 6月30日の走行距離は、なんと757km! 一般道中心でこの距離を走ったということは、1日の運転時間としては過去最高だったのではないだろうか。いい歳をしてがんばったものだ。高速道路を使った効果は約2時間の短縮で、使ったことで運転が深夜に及ばずに済んだのはよかった。

 さて、これで25泊26日に及ぶ長い旅が終わった。今回も愛車フォレスターが故障もなくよくがんばってくれた。
 いつものように、一見の観光客などけっして近づかないようなくねくね山道をぐいぐい走り、例によってナビが連れて行く細路地にも一言も文句を言わずに果敢に突入し、最後の日の今日は早朝から夜まで走りどおすという酷使にもしっかり耐えた。
 この旅の総走行距離は、5,223kmとなった。

 働くことをやめた2019年の春から、南房総、北陸・山陰、北海道、東海・紀伊、九州とたて続けに車旅でめぐってきて、今回は四国をひととおり見てきた。

 今回走っていて思ったことはいろいろある。
 まず何よりもコロナ禍が早く収まってほしいということだ。
 観光客が減ったために観光地はどこも元気がなく、休業している観光施設、入浴施設、飲食店が多いために、見たり食べたりしたくてもできないところが多くあった。
 また、いくつかの施設では他県人の入館を拒否されたり、万一のときの連絡先を書かされたりした。こういう状況下では楽しく安心して旅を続けることは難しい。
 半面、ホテルの予約が当日分でもスムーズにでき、価格も安く設定されていたのはよかった。
 また、自分たちが世界で一番だと思っているかのような振る舞いをして騒々しい某国からの観光客がほぼゼロだったことは、観光地に日本的な潤いと静けさが戻ってきたような気がして、ほっとするところがあった。

 6月の四国は梅雨時で湿度が高く、夏を前にして気温も高いので、車で旅をするには少々辛いところがあった。
 西日本を車旅でめぐろうとするのであれば、せいぜい6月上旬ぐらいまでがいいところだろうか。そうでなければ晩秋頃がいいだろう。
 夜の蒸し暑さを避けるために今回は多めにホテル泊を織り交ぜたが、これが案外体力維持にいい効果があったのではないかと思う。
 夜に電源、Wifi、ベッド、テレビ、そしてすぐそばにトイレがあるという贅沢な環境が4千円そこそこで得られるのであれば、たまにはそれを利用したほうが賢いと言えるだろう。

 6月の四国はどこでも紫陽花が咲き、大輪の花に朝露が滲んでいた。紫陽花は今回の四国旅を彩るものとなった。
 初めて足を踏み入れた淡路島と小豆島、各地に残る古い町並み、四万十川に架かる沈下橋をめぐったことや、仁淀ブルーといわれる仁淀川の水の色、大歩危・小歩危・祖谷峡の眺め、こんぴらさんの地獄の階段、四国霊場の数々……などが、印象深かったところだろうか。
 また、徳島のハマチの刺身やしらす丼、香川県で何度も食べたセルフのうどん、今治の焼豚玉子飯や宇和島の鯛めし、高知の鰹のタタキなど、おいしいものをたくさん食べることもできた。
 やはり旅とはいいものだ。

 今後のこととなるが、日本国中で攻め残している大どころは、中国地方山陽道と飛騨地域、京阪地帯あたりだろうか。とりわけ山陽道は、山陽旅としてまとめて見て歩きたいところだ。これに飛騨、京阪を加えてルート化し、できればこの秋に実行してみたいと思っている。
 そして、長期間の車旅はその旅をもって概ね一段落とし、その後は離島と大都市滞在へと軸足を移していきたいと思う。

 旅はまだまだ続く。生きること、人生こそが旅なのだから。

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この旅を彩った紫陽花

(了)


附録:日々の走行距離、入浴場所、宿泊施設一覧

6月 5日(金) 380km 満天の湯魚津店(魚津市) 道の駅ウェーブパークなめりかわ(同)
6月 6日(土) 423km 天然温泉美湯松帆の郷(淡路市) 道の駅あわじ(同)
6月 7日(日) 198km ゆーぷる(南あわじ市) 道の駅うずしお(同)
6月 8日(月) 132km あせび温泉やすらぎの郷(板野町) 道の駅第九の里(鳴門市)
6月 9日(火) 162km ※HOTEL WAKABA(高松市) 同左
6月10日(水)  49km ※ビジネスホテル シャトーエスト高松(高松市) 同左
6月11日(木) 102km サン・オリーブ(小豆島) 道の駅小豆島オリーブ公園(同)
6月12日(金) 135km かざし温泉(高松市) 道の駅滝宮(綾川町)
6月13日(土)  81km ※宇多津グランドホテル(宇多津町) 同左
6月14日(日) 162km 湯あそびひろば三島乃湯(四国中央市) 道の駅霧の森(同)
6月15日(月) 214km ※今治アーバンホテル(今治市) 同左
6月16日(火) 120km とべ温泉湯砥里館(砥部町) 道の駅ふたみ(伊予市)
6月17日(水) 185km 伊方町健康交流施設 亀ヶ池温泉(伊方町) 道の駅伊方きらら館(同)
6月18日(木) 173km 津島やすらぎの里熱田温泉(宇和島市) 道の駅津島やすらぎの里(同)
6月19日(金) 269km 入浴せず 道の駅めじかの里土佐清水(土佐清水市)
6月20日(土) 210km 土佐佐賀温泉こぶし(黒潮町) 道の駅なぶら土佐佐賀(同)
6月21日(日) 185km 土佐和紙工芸村QRAUDの湯(いの町) 道の駅土佐和紙工芸村(同)
6月22日(月) 149km ※サウスブリーズホテル高知海月(高知市) 同左
6月23日(火) 134km ※サウスブリーズホテル高知海月(高知市) 同左
6月24日(水) 107km たのたの温泉(田野町) 道の駅田野駅屋(同)
6月25日(木) 210km ホテルリビエラししくい(海陽町) 道の駅日和佐(美波町)
6月26日(金) 131km ※ホテルプラザイン徳島(徳島市) 同左
6月27日(土)  56km ※ビジネスホテルアバンティ(徳島市) 同左
6月28日(日) 177km 白地温泉小西旅館(三好市) 道の駅大歩危(同)
6月29日(月) 322km ぽかぽか温泉(岡山市) 道の駅北はりまエコミュージアム(西脇市)
6月30日(火) 757km 
(表中「※」はホテル泊。)



   講談社文庫  571円+税
   2005年5月15日 第1刷
   2008年11月14日 第10刷発行

 これを書いているのは2020年の9月下旬で、読んでからだいぶ経っていますが、この6月に四国を車旅でめぐったときのお供として持参した本だったようで、栞代わりに使った、高松で泊まったホテルのWifiのパスワードをメモった紙、小豆島フェリーや今治の「白楽天」、須崎の鍋焼きラーメン、日高村で食べたオムライスのレシートなどが挟まっていました。
 四国旅の最中は、日中はドライブと見て歩き、夜は軽く飲みながらの車中泊がメインなので、期間中に読んだのはほぼこれ1冊にとどまりました。あれから3か月しか経っていませんが、ずいぶん前のことのように感じます。

 貧しい浪人生活から儒者、歴史家としてようやく甲府藩に認められた新井白石は、網吉の死後、6代将軍家宣となった藩主とともに天下の経営に乗り出していく。和漢の学に精通し、幕政改革の理想に燃える白石を待ち受ける厚い壁。偉大な人物を人間的に描いて新しい光を当てた長編歴史小説力作。(カバー背表紙から)

 ――という具合に、新井白石の一代記的な内容。貨幣改鋳、朝鮮通信使待遇問題、徳川家継の保育問題、密航した宣教師シドッチの取調べなどに関わり、家宣のあまりに早い病没、その子家継の幼少での死去と共に、全ての政治的実権をなくし失脚、再び市中の人として学者に戻り生を全うするまでを描いた作品となっています。
 上巻は、とくに解説等もついていず、下巻へと続いていきます。
(2020.7.5 読)

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   集英社文庫  770円+税
   2019年7月25日 第1刷発行

 米軍普天間基地移設問題に揺れる辺野古で水死体が発見された。東京の建設会社社員だと判明し、一気に全国から注目を集める事件に発展。さらに、沖縄県警捜査一課の反町らが捜査を進めるなか、県知事が急逝する事態となった。事件を追うごとに、反町は沖縄の“真の闇”に近づき、日本政府をも転覆させるほどの戦後最大のタブーに迫ることに。この島に未来はあるのか――。沖縄県警シリーズ、完全決着!(カバー背表紙から)

 「交錯捜査」「ブルードラゴン」「楽園の涙」に続く「沖縄コンフィデンシャル」シリーズの4作目にして、完結編。
 著者がウェブ上に自著に関する文章(エッセー?)を載せていますが、そこでは次のように述べているので、以下に移記しておきます。

 沖縄にいちばん必要なもの。それは、現状を踏まえた上での「沖縄の未来の姿」を描くことではないだろうか。
 最終巻の「レキオスの生きる道」では、女性知事候補の声を借りて、それを示したつもりだ。「レキオスの海を護れ」。レキオスとは沖縄、琉球の人の意味だ。
 なぜ普天間飛行場の移設先が辺野古なのか、なぜ海を埋め立てる必要があるのか。沖縄の、日本の抱える問題を、新しい視点で見つめたと自負している。
 沖縄にはまだまだ書きたいことが山ほどある。戦前のこと、戦中のこと、戦後のこと、そして日本に復帰してからのこと。その時々で、深い意味を持ち、日本全土、世界に通じる問題でもある。
 登場した、反町、ノエル、赤堀の沖縄県警の刑事たちは、新しい道に踏み出した。また、会う機会があるかも知れない。
(2020.7.8 読)


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   角川文庫  760円+税
   2019年9月25日 第1刷
   2020年3月15日 第7刷発行

 まだ読んだことのない作家のミステリー小説にウイングを広げてみようかと思い、初めて柚月裕子の著書を手にしました。
 柚月裕子は岩手県釜石市の出身だけれども、高校卒業後に父の転勤に伴って山形市に転居、21歳で結婚して現在も山形市に在住している。子育てが一段落した頃から山形市で池上冬樹が世話人を務める「小説家になろう講座」に参加。一方で地元タウン誌の手伝いで取材原稿を執筆して自分の文章を読んでもらえる喜びを知り、小説の執筆を開始した経歴を持っている。
 その後はご存じの通りで、2008年「臨床真理」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞してデビューし、13年「検事の本懐」で大藪春彦賞、16年「孤狼の血」で日本推理作家協会賞を受賞。その後も丁寧な筆致で人間の機微を描きだし、今最も注目されるミステリー作家の一人と評されているという。

 さてこの「臨床真理」。
 「人の感情が色でわかる「共感覚」を持つという不思議な青年――藤木司を担当することになった、臨床心理士の佐久間美帆。知的障害者更生施設に入所していた司は、親しくしていた少女、彩を喪ったことで問題を起こしていた。
 彩は自殺ではないと主張する司に寄り添うように、美帆は友人の警察官と死の真相を調べ始める。だがやがて浮かび上がってきたのは、恐るべき真実だった……。
 人気を不動にする著者のすべてが詰まったデビュー作!」(カバー背表紙から)――とのこと。

 殺人事件をきっかけにして、探偵役の主人公が犯人探しに取り組み、ある組織の暗部を暴くというストーリーは、ある種のサスペンスの王道的展開。しかし、男性作家の男臭くて暴力的なハードボイルド小説を多く読んできた身からすれば、主人公が巡らせる思考や行動は女性的で新鮮に思え、書き手が女性だとミステリーもこうなるわけなのだなと改めて感心してしまいました。

 巻末の「解説」で吉野仁が語るところによれば、柚月は女性の主人公が活躍するサスペンスを何冊か発表したのち、世の中の裏側で生きる無法者たちを描くようになり、それが柚月の評価と人気を不動のものにしたという。そして、デビュー以降に柚月がたどりついた最大の武器は、この「昭和のおやじ臭い」人物造形を自分のものにしたところにあるのではないかというのだ。
 そうなのか。そうであれば、下品で態度の悪い中年男を描かせると唸るほど上手いという、次はそれら「孤狼の血」「慈雨」「盤上の向日葵」から読んでみるのはどうだろうか。
(2020.7.10 読)

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   角川文庫  720円+税
   2019年9月25日 第1刷発行

 ビールだマグロだ宴会だぁ! 過去最大のあやしいメンバーが台湾東南の田舎町にわらわらと集結。ニワトリに包囲された一軒家で男だらけ29人の大人数合宿を敢行する。離島で大物マグロを狙い、地元小学生に真剣野球勝負を挑み、即席楽団が夜の町を練り歩く。シーナ隊長はふにゃらふにゃらの謎うどんと一触即発でタタカイ勃発。果たして勝負の結末は!? 抱腹絶倒爆飲的無駄酔的満腹御礼のあやしい探検隊、ついにファイナル!(カバー背表紙から)

 1980年に「わしらは怪しい探険隊」(北宋社)が発刊されてから35年ほど続いてきた「あやしい探険隊」が、とうとう終わりました。これってちょうど、当方の社会人時代が始まって終わるまでの期間とほぼ重なるのです。たぶん、文庫化されたものはすべて読んできていると思います。シーナの脱力感満点の文章を読むのが楽しみな日々でした。
 文庫の最後に著者本人の「あとがき」があるので、探険隊の最後の1文として以下に引用しておきます。

 いやはや、またもやこんなふうにおおぜいで世の中に出てきてしまった。さいわいこのシリーズはどこか気のむいたところに乱入していく、というものなのですぐに日本から消えていきます。
 乱入した先は台湾のずっと南の端っこのほうで観光地でも何かの名産地でも、怪しいお姫さまが隠れているところでもない、本当になんにもない寒村。
「できるだけなにもないところにしよう」
 といって集まって決めたのだからあたりまえなのだった。ただし行ってみてわかったのだがニワトリが沢山いた。老いたオスで、タマゴは生まないわ、食ってもまずいわ、30羽ぐらい一日中けたたましく鳴いているのでうるさいわ。
 かなり広い疎林のなかに、なんのためにつくったのかわからない二階建ての、我々にはちょうどいい家があって、着いた日から何もやることがなかった。
 20人以上の仲間とニワトリたちと合宿しました、という、とても人様に聞かせられない話を書いてしまいました。
 35年ほど続いてきた「怪しい探検隊」はいろんなテーマでワサワサ動いてきましたが、「乱入」もの三部作の最後をもって、最終回となりました。みなさん長いあいだ探検隊をありがとう。
 よく混同されるのでここに書いておきますが「怪しい雑魚釣り隊」は本書と同じような顔ぶれで「週刊ポスト」でまだ懲りずに続いています。
  2019年8月23日  椎名 誠
(2020.7.12 読)