2021.07.19
青森めぐり20210711の1
2021年7月11日(日)。
4時45分起床。湿度のド高い蒸し暑い朝だ。未明は大雨だったが、朝には何とか小雨に落ち着いてきている。
準備を整えて、6時半にスタートする。
今回の旅は、ほぼ青森県で、大まかな日程は以下のとおり。
7/11(日) 往路(高速を使わず、秋田県の内陸を北へと進み、青森県へ)
平川~田舎館~黒石~青森~青森市内 (青森市泊)
7/12(月)、13(火)、14(水) (青森泊。青森市内観光は随時)
A(浅虫・下北・三沢方面)
B(津軽半島方面)
C(青森南部・十和田・八戸) 各日、この3パターンから一つずつ
7/15(木)
弘前、津軽西海岸(一部) (深浦町泊)
7/16(金) 津軽西海岸、復路(高速使わず、R7経由)
はじめの4泊は、青森市の「ホテルセレクトイン青森」、16日の1泊は、「黄金崎不老ふ死温泉」を予約している。事前予約の旅なんて、沖縄、名古屋の長期ステイのとき以外はしばらくぶりのことだ。
7時45分頃に新庄市に到達。新庄はすごい雨になっている。後の昼の全国ニュースでは、新庄市を流れる河川で氾濫危険水位を超えたところがあると告げていた。
その雨を衝いて、朝ラーメンをやっていると聞いていた店に行ってみるが開いていず。ちぇっ。
この時間帯だとほかに街道沿いで開いているのは「すき家R13新庄店」ぐらいしかない(少し先の「幸楽苑」もやっていた)。そこに入って朝食メニューのさば定食400円を食べる。
大きさも味も貧相な鯖で、まあ価格相応。むしろ久々に食べたTKGがうまい。生卵がいちばんの御馳走というわけだ。ほかにポテサラとおいしい味噌汁。十分腹塞ぎにはなったが、うまかったのでまたあれを食べに行こうとはならない。
その並びにあったセブンイレブンで、今回の旅の資料を印刷する。全25ページのものと3枚の市街地図。
次の立ち寄り地として青森県碇ヶ関の「道の駅津軽 関の庄」をナビに入力したところ、そこから5時間かかるとのこと。青森は遠いのだ。
(「すき家R13新庄店」のさば定食)
8時45分、雄勝トンネルを抜けて秋田県に入り、美郷町、大仙市太田などを通過し、10時半に角館の量販店駐車場で一休み。
さらに西木、十二峠、桧木内と秋田縦貫鉄道に沿ったR10路を進んで、11時半に「道の駅あに」でトイレ休憩。気に入ったちょっとした土産や食べ物があれば買ったり食べたりしてもいいかと思ったが、そそるものがない。
13時過ぎに「道の駅津軽 関の庄」に着く。特産品直売所・文化観光館・関所資料館・関の庄温泉・屋内プールなどがある、地域の核となっている道の駅のようだ。
日頃朝からしっかり食べることなどそうないので、まだ腹が減っていない。寄り道した大鰐温泉街は、鄙びているというよりも疲弊しているという印象だろうか。
(道の駅津軽 関の庄)
青森県に入って、見て歩きを始める。
最初の立ち寄り地は、平川市にある「盛美園」だ。
1902年から9か年を費やして作庭された、津軽地方に多く見られる「大石武学流」の代表的庭園だというのだが、鉄の門扉や高い塀、鬱蒼とした木立などを見るにつけ、少しだってタダでは見せてあげませんからねという姿勢なり雰囲気が感じ取れる。内部撮影は禁止だし、それにもかかわらず入園料500円は高いでしょ。
よって中には入らず。見たって、庭だからな。隣接する「もてなしロマン館」でアップルパイ300円を見つけたので、昼食代わりに買って食べてみる。地元「古川(こがわ)菓子舗」製。おいしいが、それほどりんごが多くない。
(「盛美園」は入り口だけにとどめる)
(もてなしロマン館)
(「もてなしロマン館」でアップルパイを見つけた)
次は、田舎館村の田んぼアートを見学に行く。
田舎館村役場には「田舎館村展望台」があり、4階展望デッキ、6階天守閣で見学が可能だとのこと。田んぼアートの見ごろは7月中旬から8月中旬までだというので、まずはそこへ行ってみたのだけど、第1会場となっている庁舎北側の田んぼはほぼ緑一色で、アートはない。土曜日でもあり、展望デッキにも行けなさそうだ。今年はコロナのため実施していないのかもしれない。
あとで調べてみたところ、今年は第2会場のみで実施され、前年は中止、一昨年の第1会場ではNHKの連続テレビ小説「おしん」が題材になっていた。
しかしながら、庁舎は立派だ。約400年前に田舎舘一帯を治めていた千徳掃部政武公を偲んで、建物全体が城に見えるように設計されているのだった。
(2年前、2019年の第1会場作品は「おしん」)
(田舎館村役場)
田んぼアートの第2会場となっている「道の駅いなかだて 弥生の里」近くの「弥生の里展望所」にも行ってみる。こちらは田んぼに何やら模様が施されているのだが、密になる恐れがあるため展望所からの観覧は中止されている。したがって、地面の高さから背伸びして眺めるしかない。しょうがないので、こんな写真を撮ってみる。
展望所にあった貼り紙を見て、今年は映画「いとみち」を題材にしていることを知る。
(地面の高さから背伸びをして撮ってみた)
後記:2021年の第2会場の作品はこのようなものだったらしい。
また、映画「いとみち」については、その後青森県内の随所でポスターなどを見かけることになる。
青森県津軽を舞台に、メイドカフェで働く人見知りな津軽弁少女の奮闘と成長を描いた青春ドラマで、青森県では6月18日から先行公開され、旅の最中も絶賛上映中だった。オール青森ロケでつくられたこれ、観たいな。津軽弁が絶対にいいはずだ。
(2021年の第2会場作品は「いとみち」)
(映画「いとみち」)
4時45分起床。湿度のド高い蒸し暑い朝だ。未明は大雨だったが、朝には何とか小雨に落ち着いてきている。
準備を整えて、6時半にスタートする。
今回の旅は、ほぼ青森県で、大まかな日程は以下のとおり。
7/11(日) 往路(高速を使わず、秋田県の内陸を北へと進み、青森県へ)
平川~田舎館~黒石~青森~青森市内 (青森市泊)
7/12(月)、13(火)、14(水) (青森泊。青森市内観光は随時)
A(浅虫・下北・三沢方面)
B(津軽半島方面)
C(青森南部・十和田・八戸) 各日、この3パターンから一つずつ
7/15(木)
弘前、津軽西海岸(一部) (深浦町泊)
7/16(金) 津軽西海岸、復路(高速使わず、R7経由)
はじめの4泊は、青森市の「ホテルセレクトイン青森」、16日の1泊は、「黄金崎不老ふ死温泉」を予約している。事前予約の旅なんて、沖縄、名古屋の長期ステイのとき以外はしばらくぶりのことだ。
7時45分頃に新庄市に到達。新庄はすごい雨になっている。後の昼の全国ニュースでは、新庄市を流れる河川で氾濫危険水位を超えたところがあると告げていた。
その雨を衝いて、朝ラーメンをやっていると聞いていた店に行ってみるが開いていず。ちぇっ。
この時間帯だとほかに街道沿いで開いているのは「すき家R13新庄店」ぐらいしかない(少し先の「幸楽苑」もやっていた)。そこに入って朝食メニューのさば定食400円を食べる。
大きさも味も貧相な鯖で、まあ価格相応。むしろ久々に食べたTKGがうまい。生卵がいちばんの御馳走というわけだ。ほかにポテサラとおいしい味噌汁。十分腹塞ぎにはなったが、うまかったのでまたあれを食べに行こうとはならない。
その並びにあったセブンイレブンで、今回の旅の資料を印刷する。全25ページのものと3枚の市街地図。
次の立ち寄り地として青森県碇ヶ関の「道の駅津軽 関の庄」をナビに入力したところ、そこから5時間かかるとのこと。青森は遠いのだ。
(「すき家R13新庄店」のさば定食)
8時45分、雄勝トンネルを抜けて秋田県に入り、美郷町、大仙市太田などを通過し、10時半に角館の量販店駐車場で一休み。
さらに西木、十二峠、桧木内と秋田縦貫鉄道に沿ったR10路を進んで、11時半に「道の駅あに」でトイレ休憩。気に入ったちょっとした土産や食べ物があれば買ったり食べたりしてもいいかと思ったが、そそるものがない。
13時過ぎに「道の駅津軽 関の庄」に着く。特産品直売所・文化観光館・関所資料館・関の庄温泉・屋内プールなどがある、地域の核となっている道の駅のようだ。
日頃朝からしっかり食べることなどそうないので、まだ腹が減っていない。寄り道した大鰐温泉街は、鄙びているというよりも疲弊しているという印象だろうか。
(道の駅津軽 関の庄)
青森県に入って、見て歩きを始める。
最初の立ち寄り地は、平川市にある「盛美園」だ。
1902年から9か年を費やして作庭された、津軽地方に多く見られる「大石武学流」の代表的庭園だというのだが、鉄の門扉や高い塀、鬱蒼とした木立などを見るにつけ、少しだってタダでは見せてあげませんからねという姿勢なり雰囲気が感じ取れる。内部撮影は禁止だし、それにもかかわらず入園料500円は高いでしょ。
よって中には入らず。見たって、庭だからな。隣接する「もてなしロマン館」でアップルパイ300円を見つけたので、昼食代わりに買って食べてみる。地元「古川(こがわ)菓子舗」製。おいしいが、それほどりんごが多くない。
(「盛美園」は入り口だけにとどめる)
(もてなしロマン館)
(「もてなしロマン館」でアップルパイを見つけた)
次は、田舎館村の田んぼアートを見学に行く。
田舎館村役場には「田舎館村展望台」があり、4階展望デッキ、6階天守閣で見学が可能だとのこと。田んぼアートの見ごろは7月中旬から8月中旬までだというので、まずはそこへ行ってみたのだけど、第1会場となっている庁舎北側の田んぼはほぼ緑一色で、アートはない。土曜日でもあり、展望デッキにも行けなさそうだ。今年はコロナのため実施していないのかもしれない。
あとで調べてみたところ、今年は第2会場のみで実施され、前年は中止、一昨年の第1会場ではNHKの連続テレビ小説「おしん」が題材になっていた。
しかしながら、庁舎は立派だ。約400年前に田舎舘一帯を治めていた千徳掃部政武公を偲んで、建物全体が城に見えるように設計されているのだった。
(2年前、2019年の第1会場作品は「おしん」)
(田舎館村役場)
田んぼアートの第2会場となっている「道の駅いなかだて 弥生の里」近くの「弥生の里展望所」にも行ってみる。こちらは田んぼに何やら模様が施されているのだが、密になる恐れがあるため展望所からの観覧は中止されている。したがって、地面の高さから背伸びして眺めるしかない。しょうがないので、こんな写真を撮ってみる。
展望所にあった貼り紙を見て、今年は映画「いとみち」を題材にしていることを知る。
(地面の高さから背伸びをして撮ってみた)
後記:2021年の第2会場の作品はこのようなものだったらしい。
また、映画「いとみち」については、その後青森県内の随所でポスターなどを見かけることになる。
青森県津軽を舞台に、メイドカフェで働く人見知りな津軽弁少女の奮闘と成長を描いた青春ドラマで、青森県では6月18日から先行公開され、旅の最中も絶賛上映中だった。オール青森ロケでつくられたこれ、観たいな。津軽弁が絶対にいいはずだ。
(2021年の第2会場作品は「いとみち」)
(映画「いとみち」)
2021.07.20
青森めぐり20210711の2
次は、黒石市の「中町こみせ通り」を見に行く。
城下町の時代、秋田から蝦夷・松前へ抜ける街道の中間にあったため商業が栄えたところらしく、豪壮な構えの商家や造り酒屋の妻入り、平入りの屋根のラインを見ることができ、その下には雪国らしい木のアーケード“こみせ”があり、独特の景観を見せている。「日本の道百選」かつ、国重要伝統的建造物群保存地区。
駐車場から通りに出て、昔の銭湯を残しつつコワーキングスペースのようにリノベートしている「松の湯交流館」から眺める。
「津軽こみせ(株)」は、時間が合えば津軽三味線の演奏を聴くことができ、2階には「秋田雨雀記念館」がある。また、裏手には「八甲田伏流水の井戸・小見泉(こみせん)」がある。この地は井戸水を用いた地酒や豆腐づくりが盛んなところなのだという。
代々「理右衛門」を名乗る黒石藩御用達の商家だった「高橋家住宅」。切妻造、妻入で、国重文。ほかに「中村亀吉酒造店」「鳴海家住宅」なども立派だった。
(松の湯交流館)
(“こみせ”越しに「中村亀吉酒造店」を見る)
(津軽こみせ(株))
(八甲田伏流水の井戸・小見泉)
(高橋家住宅)
(鳴海家住宅)
(駐車場のそばにあった火の見櫓)
黒石では、弘南鉄道弘南線の終点になっている「黒石駅」にも立ち寄る。
当地にはかつて、現在の黒石駅とは別に国鉄黒石線の黒石駅が存在し、両駅は隣接していた。隣接にあったコープあおもり黒石店(旧弘南生協黒石店)は2020年6月に閉店し、今は空き地になっていた。
せっかく黒石に来たのだから「黒石汁やきそば」を食べていくべきところだが、それは以前ドライブした時に食べているので、今回はいいや。
(弘南鉄道「黒石駅」)
右のリアタイヤの空気が抜けているように見えたので、途中JAのGSに寄って確認してもらう。すると、かなり減ってますねとのことで、さらには、再度空気を入れるとまた少し抜けているようだというではないか。おいおい、パンクか?
丁寧に対応してくれたが、ここではパンク修理はしていないとのことなので、しばらく走って様子を見てみよう。
後記:その後は目視で減っているようには見えなかったので、そのまま気づかぬふりをして山形に戻り、翌日スタンドで再チェックした。どうやら大丈夫そうだったので、さらに様子を見ることにする。
16時半近くになって、この日から4泊する予定の、青森市古川にある「ホテルセレクトイン青森」に到着。隣りが砂利敷きの広い駐車場になっていて、1台分のスペースが広めなのがよい。先着順20台だそうだが、この時期ならば余裕がありそうだ。
チェックイン時に、夜の特製カレー無料サービス券と翌朝用にぴったりの青森のブランドになっている「工藤パン」1個がサービスされ、至れり尽くせりの感がある。
あてがわれた7階の部屋に荷物を入れ、WiFiの作動状況を確認して、市内散歩に出かける。
(宿泊は「ホテルセレクトイン青森」だ)
ホテルの目と鼻の先に、味噌カレー牛乳ラーメンで有名な「味の札幌大西」があったので、さっそく入る。ここは狙っていたところだ。行列ができることも珍しくないと聞いていたが、この時間の客は自分一人。今年3月からは18時までの短縮営業をしているようだった。
味噌カレー牛乳ラーメン(バター入り)880円を、食べログのクーポンを使って780円にて。名前のとおり、味噌とカレーと牛乳とバターの味。ほかのつくりはいわゆるサッポロラーメンそのもので、西山製麺製と思われる中太でまっ黄色の玉子麺とたっぷりのシャキシャキもやしがおいしい。おいしいが、やはりこの時期に食べると汗が止まらない。
(「味の札幌大西」の味噌カレー牛乳ラーメン(バター入り))
食後は、青森のメインストリートの「新町通り」に出て、青森市役所の入っている「アウガ」、青森駅、「青森魚菜センター本店」など近間にあるものを眺めて、18時にはホテルに戻る。
青森駅前の「青森市観光交流情報センター」でゲットしたタウン地図は使えそうだ。
戻ったホテルでは、しばらく部屋で本日のログ付けをして、19時半にカレーライスを食べにレストランに行き、ごはん少なめ、ルー多め、福神漬け付きで。素朴だが味は悪くない。
その後は部屋飲みも。
22時半過ぎには就寝態勢に入り、ベッドで開いた本はほとんど読めず、ほぼすぐに眠りへ。旅に出ると夜はたいていこうなる。では、おやすみなさい。
この日の走行距離は、382km。
城下町の時代、秋田から蝦夷・松前へ抜ける街道の中間にあったため商業が栄えたところらしく、豪壮な構えの商家や造り酒屋の妻入り、平入りの屋根のラインを見ることができ、その下には雪国らしい木のアーケード“こみせ”があり、独特の景観を見せている。「日本の道百選」かつ、国重要伝統的建造物群保存地区。
駐車場から通りに出て、昔の銭湯を残しつつコワーキングスペースのようにリノベートしている「松の湯交流館」から眺める。
「津軽こみせ(株)」は、時間が合えば津軽三味線の演奏を聴くことができ、2階には「秋田雨雀記念館」がある。また、裏手には「八甲田伏流水の井戸・小見泉(こみせん)」がある。この地は井戸水を用いた地酒や豆腐づくりが盛んなところなのだという。
代々「理右衛門」を名乗る黒石藩御用達の商家だった「高橋家住宅」。切妻造、妻入で、国重文。ほかに「中村亀吉酒造店」「鳴海家住宅」なども立派だった。
(松の湯交流館)
(“こみせ”越しに「中村亀吉酒造店」を見る)
(津軽こみせ(株))
(八甲田伏流水の井戸・小見泉)
(高橋家住宅)
(鳴海家住宅)
(駐車場のそばにあった火の見櫓)
黒石では、弘南鉄道弘南線の終点になっている「黒石駅」にも立ち寄る。
当地にはかつて、現在の黒石駅とは別に国鉄黒石線の黒石駅が存在し、両駅は隣接していた。隣接にあったコープあおもり黒石店(旧弘南生協黒石店)は2020年6月に閉店し、今は空き地になっていた。
せっかく黒石に来たのだから「黒石汁やきそば」を食べていくべきところだが、それは以前ドライブした時に食べているので、今回はいいや。
(弘南鉄道「黒石駅」)
右のリアタイヤの空気が抜けているように見えたので、途中JAのGSに寄って確認してもらう。すると、かなり減ってますねとのことで、さらには、再度空気を入れるとまた少し抜けているようだというではないか。おいおい、パンクか?
丁寧に対応してくれたが、ここではパンク修理はしていないとのことなので、しばらく走って様子を見てみよう。
後記:その後は目視で減っているようには見えなかったので、そのまま気づかぬふりをして山形に戻り、翌日スタンドで再チェックした。どうやら大丈夫そうだったので、さらに様子を見ることにする。
16時半近くになって、この日から4泊する予定の、青森市古川にある「ホテルセレクトイン青森」に到着。隣りが砂利敷きの広い駐車場になっていて、1台分のスペースが広めなのがよい。先着順20台だそうだが、この時期ならば余裕がありそうだ。
チェックイン時に、夜の特製カレー無料サービス券と翌朝用にぴったりの青森のブランドになっている「工藤パン」1個がサービスされ、至れり尽くせりの感がある。
あてがわれた7階の部屋に荷物を入れ、WiFiの作動状況を確認して、市内散歩に出かける。
(宿泊は「ホテルセレクトイン青森」だ)
ホテルの目と鼻の先に、味噌カレー牛乳ラーメンで有名な「味の札幌大西」があったので、さっそく入る。ここは狙っていたところだ。行列ができることも珍しくないと聞いていたが、この時間の客は自分一人。今年3月からは18時までの短縮営業をしているようだった。
味噌カレー牛乳ラーメン(バター入り)880円を、食べログのクーポンを使って780円にて。名前のとおり、味噌とカレーと牛乳とバターの味。ほかのつくりはいわゆるサッポロラーメンそのもので、西山製麺製と思われる中太でまっ黄色の玉子麺とたっぷりのシャキシャキもやしがおいしい。おいしいが、やはりこの時期に食べると汗が止まらない。
(「味の札幌大西」の味噌カレー牛乳ラーメン(バター入り))
食後は、青森のメインストリートの「新町通り」に出て、青森市役所の入っている「アウガ」、青森駅、「青森魚菜センター本店」など近間にあるものを眺めて、18時にはホテルに戻る。
青森駅前の「青森市観光交流情報センター」でゲットしたタウン地図は使えそうだ。
戻ったホテルでは、しばらく部屋で本日のログ付けをして、19時半にカレーライスを食べにレストランに行き、ごはん少なめ、ルー多め、福神漬け付きで。素朴だが味は悪くない。
その後は部屋飲みも。
22時半過ぎには就寝態勢に入り、ベッドで開いた本はほとんど読めず、ほぼすぐに眠りへ。旅に出ると夜はたいていこうなる。では、おやすみなさい。
この日の走行距離は、382km。
2021.07.21
青森めぐり20210712の1
2021年7月12日(月)。
空調を使わなくても暑くも寒くもなく、6時20分起床。青森は山形よりも気温が低いのかもしれない。
昨日チェックイン時にもらったパンを部屋で食べる。
予報はくもり。この日は下北半島攻めに充てようか。浅虫、野辺地を経由し、下北半島の南北へ伸びる長い“足”の部分の西海岸を北上して、むつ市、恐山を見て、でかい“頭”の部分を時計回りに佐井、大間、風間浦、そして尻屋崎など東通村、六ケ所村と進んでいく一周ルートを想定する。そうだとすれば、かなり距離が長くなるので、タイヤの状態が気になるが、早めに出たほうがいいだろう。
7時40分、ホテルを出発。
浅虫温泉街に入り込んで、青森特産のカシスを使ったソフトクリームが人気だという「道の駅ゆーさ浅虫」や、海鮮どんぶりで有名な「鶴亀屋食堂」をチェックして、「サンセットビーチあさむし」の西側から陸奥湾を眺めてみる。
(道の駅 ゆーさ浅虫)
野辺地にある「常夜燈公園」。
文政十丁亥歳(1827年)と刻まれた石燈篭式の常夜燈が建っている。野辺地は北前船の一大寄港地だったところで、千石船が帆柱をつらねて野辺地湊に停泊していた隆盛の時代を偲ばせる文化財だ。
その近くには「復元北前型弁才船 みちのく丸」が陸揚げされていた。江戸から明治期にかけて活躍していた大型木造船を再現したもので、船大工の高い造船技術と知恵の結晶が結集されているという。残念ながら帆が上がっていないが、NHK大河ドラマ「篤姫」(2017年)では陸奥湾でこの船が帆走するシーンが使われたとのこと。約100トンもある当時としてはかなり大型だっただろうこの船が、帆を上げて走る姿はさぞ優美だったことだろう。
(浜町の常夜燈)
(復元北前型弁才船 みちのく丸)
横浜町にあった「ほたて観音」。
陸奥湾がいつまでも美しい海であるよう漁業の繁栄と操業の安全等の願いをこめて建立されたもの。珍しい陶器製の観音像になっている。像に隣接している休憩所もいい雰囲気だ。陸奥湾の対岸には下北半島にそびえる釜臥山系が見えた。
(ほたて観音)
(隣接の休憩所からは陸奥湾と下北半島が一望できる)
むつ市に入って、「斗南ケ丘市街地跡」。
斗南藩が市街地を設置地して領内開拓の拠点にしようとした場所。しかし今は建造物などの痕跡はなく、石碑と説明板のみとなっている。
斗南藩とは、戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦したため所領没収となった会津藩が、のちに赦免されて家名再興が許され、嗣子がこの地に3万石を与えられて立藩したもの。旧会津藩士らが移住したが、寒冷地の過酷な自然条件の中で苦しい生活を強いられたという。この地ではそれらのことを偲んで佇みたい。
(斗南ケ丘市街地跡)
むつ市の中心部では、「むつ来(か)さまい館」に立ち寄る。
旧国鉄大畑線、その後下北交通線となった田名部駅の駅舎跡に建てられた建物。1階はインフォメーションと催事が出来るスペースなどがあるが、がらんとしていて人影はなく、見るべきものは「田名部まつり」のディスプレイぐらいだろうか。毎年8月18~20日に盛大に行われる祭りだそうだが、今年の開催はどうなのだろうか。どこも祭りや地域イベントの開催が難しい状態が続いている。10年くらい経ってから振り返ると、あのときが地域文化の断絶期だったということにならないようにしたいものだ。
2階には、下北ジオパークやむつ地域のエネルギー事情を紹介する展示物が並んでいたが、見せたい側の意向が強い内容になっていて、それほど楽しいものにはなっていない。
土産物の販売ブースはなく、それは近くの別の建物「まさかりプラザ」にあった。こちらも客ゼロ。入店してもいらっしゃいませとも言わないベテラン女性店員。うーむ……。どうせ何も買わないただの通りすがりだとすぐにわかったからなのでしょ。
(むつ来さまい館)
(「田名部まつり」のディスプレイがあった)
(むつ下北観光物産館「まさかりプラザ」)
「大湊駅」にも寄ってみる。
JR大湊線の終点駅。「てっぺんの終着駅」という看板があったが。本州最北端の駅ではない。本州最北端の駅は、1駅手前の下北駅なのだ。駅舎に入って時刻表を見ると、1日9便のよう。大湊線は今年、開業100周年を迎えたと知る。
(JR大湊線「大湊駅」)
空調を使わなくても暑くも寒くもなく、6時20分起床。青森は山形よりも気温が低いのかもしれない。
昨日チェックイン時にもらったパンを部屋で食べる。
予報はくもり。この日は下北半島攻めに充てようか。浅虫、野辺地を経由し、下北半島の南北へ伸びる長い“足”の部分の西海岸を北上して、むつ市、恐山を見て、でかい“頭”の部分を時計回りに佐井、大間、風間浦、そして尻屋崎など東通村、六ケ所村と進んでいく一周ルートを想定する。そうだとすれば、かなり距離が長くなるので、タイヤの状態が気になるが、早めに出たほうがいいだろう。
7時40分、ホテルを出発。
浅虫温泉街に入り込んで、青森特産のカシスを使ったソフトクリームが人気だという「道の駅ゆーさ浅虫」や、海鮮どんぶりで有名な「鶴亀屋食堂」をチェックして、「サンセットビーチあさむし」の西側から陸奥湾を眺めてみる。
(道の駅 ゆーさ浅虫)
野辺地にある「常夜燈公園」。
文政十丁亥歳(1827年)と刻まれた石燈篭式の常夜燈が建っている。野辺地は北前船の一大寄港地だったところで、千石船が帆柱をつらねて野辺地湊に停泊していた隆盛の時代を偲ばせる文化財だ。
その近くには「復元北前型弁才船 みちのく丸」が陸揚げされていた。江戸から明治期にかけて活躍していた大型木造船を再現したもので、船大工の高い造船技術と知恵の結晶が結集されているという。残念ながら帆が上がっていないが、NHK大河ドラマ「篤姫」(2017年)では陸奥湾でこの船が帆走するシーンが使われたとのこと。約100トンもある当時としてはかなり大型だっただろうこの船が、帆を上げて走る姿はさぞ優美だったことだろう。
(浜町の常夜燈)
(復元北前型弁才船 みちのく丸)
横浜町にあった「ほたて観音」。
陸奥湾がいつまでも美しい海であるよう漁業の繁栄と操業の安全等の願いをこめて建立されたもの。珍しい陶器製の観音像になっている。像に隣接している休憩所もいい雰囲気だ。陸奥湾の対岸には下北半島にそびえる釜臥山系が見えた。
(ほたて観音)
(隣接の休憩所からは陸奥湾と下北半島が一望できる)
むつ市に入って、「斗南ケ丘市街地跡」。
斗南藩が市街地を設置地して領内開拓の拠点にしようとした場所。しかし今は建造物などの痕跡はなく、石碑と説明板のみとなっている。
斗南藩とは、戊辰戦争で新政府軍に徹底抗戦したため所領没収となった会津藩が、のちに赦免されて家名再興が許され、嗣子がこの地に3万石を与えられて立藩したもの。旧会津藩士らが移住したが、寒冷地の過酷な自然条件の中で苦しい生活を強いられたという。この地ではそれらのことを偲んで佇みたい。
(斗南ケ丘市街地跡)
むつ市の中心部では、「むつ来(か)さまい館」に立ち寄る。
旧国鉄大畑線、その後下北交通線となった田名部駅の駅舎跡に建てられた建物。1階はインフォメーションと催事が出来るスペースなどがあるが、がらんとしていて人影はなく、見るべきものは「田名部まつり」のディスプレイぐらいだろうか。毎年8月18~20日に盛大に行われる祭りだそうだが、今年の開催はどうなのだろうか。どこも祭りや地域イベントの開催が難しい状態が続いている。10年くらい経ってから振り返ると、あのときが地域文化の断絶期だったということにならないようにしたいものだ。
2階には、下北ジオパークやむつ地域のエネルギー事情を紹介する展示物が並んでいたが、見せたい側の意向が強い内容になっていて、それほど楽しいものにはなっていない。
土産物の販売ブースはなく、それは近くの別の建物「まさかりプラザ」にあった。こちらも客ゼロ。入店してもいらっしゃいませとも言わないベテラン女性店員。うーむ……。どうせ何も買わないただの通りすがりだとすぐにわかったからなのでしょ。
(むつ来さまい館)
(「田名部まつり」のディスプレイがあった)
(むつ下北観光物産館「まさかりプラザ」)
「大湊駅」にも寄ってみる。
JR大湊線の終点駅。「てっぺんの終着駅」という看板があったが。本州最北端の駅ではない。本州最北端の駅は、1駅手前の下北駅なのだ。駅舎に入って時刻表を見ると、1日9便のよう。大湊線は今年、開業100周年を迎えたと知る。
(JR大湊線「大湊駅」)
2021.07.22
青森めぐり20210712の2
次は、下北方面のメインポイントとなる「恐山」へ。
かつて一度訪れたことがあるのだが、その時は現場に立っただけでそそくさと帰ってしまったように記憶している。したがって、入山してじっくり見るのは実質初めてと言っていい。
862年、慈覚大師によって開山され、天台宗の修験道場として栄えたがいったん廃寺となり、14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されたという。風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめる様子は地獄に、また、宇曽利山湖(うそりやまこ)をとりまく白浜は極楽に、それぞれ見立てられている。
(入山口となる「総門」)
(「山門」が立派だ)
(正面突き当りは「地蔵殿」)
500円を支払って、受付脇の「総門」から入山。境内の中ほどにある「山門」が立派だ。正面の「地蔵殿」の手前には、3か所に「恐山温泉」の小屋が確認できる。この時間はそのうち「薬師の湯」の1つだけが男性風呂になっていたので覗いてみると、中には利用者はいず、仕切りのない脱衣所のような棚と細長い浴槽があるのみの不思議な空間になっている。泉質はとても匂いが強い硫黄泉の掛け流しで、湯中に湯の花が舞っている。入山料を除き無料で入浴可能だというので風呂セットも車に準備してきたが、まあ、ここでは入らなくてもよかったかもしれない。帰るときに見かけた津軽弁を話す地元高年女性3人組は、おそらく入浴狙いだっただろう。
(境内の中に点在する温泉のひとつ「薬師の湯」)
(その内部はこんな感じだった)
(「地蔵殿」脇には恐山らしい風景があった)
硫黄の香りが漂う「賽の河原」の荒涼とした風景を見ながら「宇曽利山湖極楽浜」を目指す。
途中で見かけた「八角円堂」はユニークで、この風景の中では目を惹く建物だ。
「水子供養地蔵尊」の池の周りには風車がからからと音を立て、これが恐山らしい音風景なのだなあと思う。
その奥にある「血の池地獄」はぱっとせず。火山性のこの地にもいくつかの「○○地獄」があったが、規模なりインパクトは九州旅で見てきた別府鉄輪温泉の「地獄めぐり」や雲仙温泉の「雲仙地獄」には到底かなわない。
(「賽の河原」から「総門」を見下ろす)
(八角円堂)
(「水子供養地蔵尊」の池と風車)
(ぱっとしない「血の池地獄」)
そして「宇曽利山湖極楽浜」。硫黄が混じっているからか綺麗なエメラルドグリーンをしている。東日本大震災の供養塔「希望の鐘と鎮魂の鐘」が湖岸にあり、目を惹いた。
いやはや、少し歩くだけで汗が出る。これにて恐山は終了だ。
(「宇曽利山湖極楽浜」と東日本大震災の供養塔「希望の鐘と鎮魂の鐘」)
かつて一度訪れたことがあるのだが、その時は現場に立っただけでそそくさと帰ってしまったように記憶している。したがって、入山してじっくり見るのは実質初めてと言っていい。
862年、慈覚大師によって開山され、天台宗の修験道場として栄えたがいったん廃寺となり、14世紀に曹洞宗円通寺によって再興されたという。風車がカラカラと回り、荒々しい岩場の合間から硫黄の臭いが立ちこめる様子は地獄に、また、宇曽利山湖(うそりやまこ)をとりまく白浜は極楽に、それぞれ見立てられている。
(入山口となる「総門」)
(「山門」が立派だ)
(正面突き当りは「地蔵殿」)
500円を支払って、受付脇の「総門」から入山。境内の中ほどにある「山門」が立派だ。正面の「地蔵殿」の手前には、3か所に「恐山温泉」の小屋が確認できる。この時間はそのうち「薬師の湯」の1つだけが男性風呂になっていたので覗いてみると、中には利用者はいず、仕切りのない脱衣所のような棚と細長い浴槽があるのみの不思議な空間になっている。泉質はとても匂いが強い硫黄泉の掛け流しで、湯中に湯の花が舞っている。入山料を除き無料で入浴可能だというので風呂セットも車に準備してきたが、まあ、ここでは入らなくてもよかったかもしれない。帰るときに見かけた津軽弁を話す地元高年女性3人組は、おそらく入浴狙いだっただろう。
(境内の中に点在する温泉のひとつ「薬師の湯」)
(その内部はこんな感じだった)
(「地蔵殿」脇には恐山らしい風景があった)
硫黄の香りが漂う「賽の河原」の荒涼とした風景を見ながら「宇曽利山湖極楽浜」を目指す。
途中で見かけた「八角円堂」はユニークで、この風景の中では目を惹く建物だ。
「水子供養地蔵尊」の池の周りには風車がからからと音を立て、これが恐山らしい音風景なのだなあと思う。
その奥にある「血の池地獄」はぱっとせず。火山性のこの地にもいくつかの「○○地獄」があったが、規模なりインパクトは九州旅で見てきた別府鉄輪温泉の「地獄めぐり」や雲仙温泉の「雲仙地獄」には到底かなわない。
(「賽の河原」から「総門」を見下ろす)
(八角円堂)
(「水子供養地蔵尊」の池と風車)
(ぱっとしない「血の池地獄」)
そして「宇曽利山湖極楽浜」。硫黄が混じっているからか綺麗なエメラルドグリーンをしている。東日本大震災の供養塔「希望の鐘と鎮魂の鐘」が湖岸にあり、目を惹いた。
いやはや、少し歩くだけで汗が出る。これにて恐山は終了だ。
(「宇曽利山湖極楽浜」と東日本大震災の供養塔「希望の鐘と鎮魂の鐘」)
2021.07.23
青森めぐり20210712の3
恐山まで上ってきた道をむつ市内まで戻って、「旧海軍大湊要港部水源地堰堤」のある「水源池公園」へ。この地には「海上自衛隊大湊地方総監部」が置かれていて、その周辺には見るべきものがいくつかある。
ナビに従っていくと、高みにある「北の防人大湊海望館」の駐車場に着く。つまりこれは展望台の建物で、地上15m、海抜55mの高さから歴史ある大湊の街並み、芦崎湾、海上自衛隊艦艇を一望できるようになっていた。自衛隊の艦艇って、陸奥湾内のここにもいるのだな。なかなかいい眺めだ。
(「北の防人大湊海望館」は展望台の建物)
(展望台からは自衛隊の艦艇が見えた)
海望館の下には「北の防人大湊安渡(あんど)館」がある。
実在した海軍大湊要港部庁舎をイメージし、地元交流や観光案内を目的として2015年に完成したまだ新しい施設で、ワックスが艶やかな板敷きのフロアがステキだ。内部のレストランでは海自カレーと海軍カレーの両方を提供しているらしいが、販売休止中のようだ。
(北の防人大湊安渡(あんど)館)
公園内を歩き、「旧海軍大湊要港部水源地堰堤」へ。
1902年に海軍大湊水雷団の艦船補給用水の確保を目的として東北地方で最初に建設された水道施設であるとのこと。沈澄池堰堤(重力アーチ式石造堰堤)を含む「旧大湊水源地水道施設」は国重文で、これが見たくて寄ったのだが、大規模補修工事中で見ることができなかったのは残念。
(「旧大湊水源地水道施設」は大規模補修工事中だった)
(堰堤の下流はこのように整備されている)
公園の海辺側にある「北洋館」は、海上自衛隊大湊地方総監部内にある石造りの洋館。1916年に海軍士官の社交場として建てられ、現在は史料を展示しているらしい。当面の間、月・火・水は休館しているようなので、入り口の柵越しから撮影する。
駐車場に戻る途中で見つけた「弐番館」と「壱番館」は、石造の「旧大湊要港部乙第十号・十一号官舎」。「弐番館」のほうはリノベートして学習・交流の場として活用されている。
(北洋館)
(弐番館)
(「壱番館」のほうは未利用状態のようだ)
ここからは半島の西海岸沿いをアップダウンする山岳道路となる。大間までは内陸部を走る別の近道があるのだが、敢えて「外周一周」にこだわった。まあこれは正解だったかは疑問で、ずいぶん余計に時間がかかってしまったのだった。
その途中、平舘海峡が眺められるはずだった「海峡ライン展望台」は見つけられず、佐井村に入って「仏ヶ浦駐車帯」に到達する。
下北半島西岸の海岸沿い2kmにわたって奇岩・断崖絶壁が連なっている仏ケ浦は基本的には海側から見るべき景勝なのだが、陸側からであればここから眺めるのがいいと聞いていた。しかしその姿は海霧に覆われてほぼ見えず。遠くからわざわざ見に来ても、自然の風景とはこういうものなのだろうな。
(「仏ヶ浦」は海霧でよく見えなかった)
(参考:天気がよければこう見えたはずだ)
佐井村の「願掛岩」。
西の海に向かって右手が男がんかけ、左が女がんかけの、2つの巨大な岩塊。男女が抱き合っているように見える(?)ことから、古くから縁結びのスポットとして知られているとのこと。
(願掛岩)
「津軽海峡文化館アルサス」は、仏ケ浦観光船の発着場のすぐ前にある佐井の情報発信スペースになっている。
1階には観光案内所、特産品展示コーナー、歴史・文化・観光などをビデオで紹介するPR広場などがあり、2階には北前船で江戸時代にもたらされた蝦夷錦などを展示している海峡ミュウジアムや食事処、3階には展望室があると調べてきた。話だけならたいそう立派な施設のように思えたのだが、海峡ミュージアムは15時に閉館しているし、展望室からは大きくもないどこにでもありそうな港湾施設が目前に見えるだけで、誰もいない静かなところなのだった。さあ、もう少しで大間崎だ。
(津軽海峡文化館アルサス)
ナビに従っていくと、高みにある「北の防人大湊海望館」の駐車場に着く。つまりこれは展望台の建物で、地上15m、海抜55mの高さから歴史ある大湊の街並み、芦崎湾、海上自衛隊艦艇を一望できるようになっていた。自衛隊の艦艇って、陸奥湾内のここにもいるのだな。なかなかいい眺めだ。
(「北の防人大湊海望館」は展望台の建物)
(展望台からは自衛隊の艦艇が見えた)
海望館の下には「北の防人大湊安渡(あんど)館」がある。
実在した海軍大湊要港部庁舎をイメージし、地元交流や観光案内を目的として2015年に完成したまだ新しい施設で、ワックスが艶やかな板敷きのフロアがステキだ。内部のレストランでは海自カレーと海軍カレーの両方を提供しているらしいが、販売休止中のようだ。
(北の防人大湊安渡(あんど)館)
公園内を歩き、「旧海軍大湊要港部水源地堰堤」へ。
1902年に海軍大湊水雷団の艦船補給用水の確保を目的として東北地方で最初に建設された水道施設であるとのこと。沈澄池堰堤(重力アーチ式石造堰堤)を含む「旧大湊水源地水道施設」は国重文で、これが見たくて寄ったのだが、大規模補修工事中で見ることができなかったのは残念。
(「旧大湊水源地水道施設」は大規模補修工事中だった)
(堰堤の下流はこのように整備されている)
公園の海辺側にある「北洋館」は、海上自衛隊大湊地方総監部内にある石造りの洋館。1916年に海軍士官の社交場として建てられ、現在は史料を展示しているらしい。当面の間、月・火・水は休館しているようなので、入り口の柵越しから撮影する。
駐車場に戻る途中で見つけた「弐番館」と「壱番館」は、石造の「旧大湊要港部乙第十号・十一号官舎」。「弐番館」のほうはリノベートして学習・交流の場として活用されている。
(北洋館)
(弐番館)
(「壱番館」のほうは未利用状態のようだ)
ここからは半島の西海岸沿いをアップダウンする山岳道路となる。大間までは内陸部を走る別の近道があるのだが、敢えて「外周一周」にこだわった。まあこれは正解だったかは疑問で、ずいぶん余計に時間がかかってしまったのだった。
その途中、平舘海峡が眺められるはずだった「海峡ライン展望台」は見つけられず、佐井村に入って「仏ヶ浦駐車帯」に到達する。
下北半島西岸の海岸沿い2kmにわたって奇岩・断崖絶壁が連なっている仏ケ浦は基本的には海側から見るべき景勝なのだが、陸側からであればここから眺めるのがいいと聞いていた。しかしその姿は海霧に覆われてほぼ見えず。遠くからわざわざ見に来ても、自然の風景とはこういうものなのだろうな。
(「仏ヶ浦」は海霧でよく見えなかった)
(参考:天気がよければこう見えたはずだ)
佐井村の「願掛岩」。
西の海に向かって右手が男がんかけ、左が女がんかけの、2つの巨大な岩塊。男女が抱き合っているように見える(?)ことから、古くから縁結びのスポットとして知られているとのこと。
(願掛岩)
「津軽海峡文化館アルサス」は、仏ケ浦観光船の発着場のすぐ前にある佐井の情報発信スペースになっている。
1階には観光案内所、特産品展示コーナー、歴史・文化・観光などをビデオで紹介するPR広場などがあり、2階には北前船で江戸時代にもたらされた蝦夷錦などを展示している海峡ミュウジアムや食事処、3階には展望室があると調べてきた。話だけならたいそう立派な施設のように思えたのだが、海峡ミュージアムは15時に閉館しているし、展望室からは大きくもないどこにでもありそうな港湾施設が目前に見えるだけで、誰もいない静かなところなのだった。さあ、もう少しで大間崎だ。
(津軽海峡文化館アルサス)
2021.07.24
青森めぐり20210712の4
16時半近くになってやっとたどり着いた「大間崎」。もう夕方が近く、かなりガスっている。
ここに来たならぜひともマグロ丼を食べて帰りたい。まずはそれが先だ。事前に食事処を調べていて、値打ち感の高いものを供する民宿などで食べたかったのだが、この時間にすんなり入れるところは多くなく、「魚喰いの大間んぞく」という店が営業中だったのでそこに飛び込む。客はなし。大トロも入っているというので、3色マグロ丼3,740円を所望。
うーむ……刺身がイメージしていたものよりも小さくて薄い。これでは大間の地以外で食べるマグロとなんら差がないではないか。むしろ大間以外ならこの程度のものは2,500円も出せば十分食べられるはずだ。
たとえば鰹の本場高知で食べるタタキの切り身なんて、一口では食べられないぐらいに大きくて厚い。本場ならばぜひそういうものを出してもらいたい。文句タラタラだが、大間でマグロを食べられたことに価値を見出すしかない。「海峡荘」のマグロ丼、食べたかったな。
(マグロ丼は「魚喰いの大間んぞく」にて)
(3色マグロ丼3,740円)
大間崎では、「ここ本州最北端の地」と刻まれた石碑や、まぐろのモニュメントを写真に収めるのがお約束。だがしかし、海霧が濃くなっていて景色はまったくよくない。晴れた日には北海道とその街並みが見えることもあるらしいのだが、それは望むべくもないのだった。
(霧に煙る大間崎のモニュメントたち)
(海霧は末端の集落をより寂しく見せる効果がある)
(「ここ本州最北端の地」碑も、背景がなければサマにならないのだった)
本州最北端からは、北海岸を東へと進んで、風間浦村の下風呂温泉郷へ。
集落に入る手前にあった「海峡いさりび公園」は、公園の中央に人工中海があり、干満の潮位差を利用して海水を循環させる東屋や橋、飛び石が配置されている。
その一角には「二見岩(夫婦岩)」。下風呂温泉のシンボルとして昔から存在し、海上安全を祈願した恵比寿様が祀られているという。
このほか、多目的広場や休憩所があり、作家井上靖の小説「海峡」にちなんだ文学碑があった。
井上靖は「ここなら渡り鳥の声が聞ける」と知人から聞き、1958年下風呂温泉郷を訪れ、津軽海峡が見渡せる旅館の一室で小説「海峡」の終局を執筆したという。碑には「アカエリヒレアシシギ」の散文詩が記されていた。
公園内を速足で歩いている女性が一人。当方の動きを不振がって歩きながら様子を見ているようなのだが、ただ立ち寄って見ているだけですから大丈夫ですよ。
(下風呂温泉のシンボルの「二見岩(夫婦岩)」)
(園内には井上靖の文学碑もあった)
下風呂温泉郷の歴史は古く、室町時代から刀傷や槍傷に効く温泉として旧南部藩や北海道、秋田からも人々が湯治に訪れていたという。イカ漁が盛りの季節には海に漁火が並び、旅館の湯舟からも見ることができる。
「下風呂温泉」は、井上靖の小説「海峡」で紹介されてから有名になったところ。「海峡」には下風呂温泉について、「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる」と記されているらしい。これも読んでみたいが絶版で手に入らないようだ。湯は激熱で、水を入れながらでないと入れないらしい。
そんな温泉も老朽化には手が打てず、2020年11月をもってその役割を新しい温泉施設に譲ったのだった。
(2020年11月をもってその歴史を閉じた「下風呂温泉」)
「下風呂温泉海峡の湯」はその後継施設で、2020年12月にできたばかりの新しくて清潔だ。
ここでならぜひ入っていきたいと思わせるのだが、時間が押しているのでそういうわけにもいかないのが残念だ。温泉は70℃とかなり熱めで、施設内の食堂ではラーメンから地元の名物アンコウ鍋まで食べられるらしい。
(できたばかりの「下風呂温泉海峡の湯」)
温泉郷にある「大間鉄道アーチ橋メモリアルロード」。
第二次大戦中に鉄道用のアーチ橋の建設が進められ、戦況悪化で工事が中断し以後放置されていたものを、2005年に遊歩道として整備したもの。アーチ橋は12連からなり、遊歩道中央部には「足湯」が設置されている。足湯の湯は白濁していて、手を入れてみるとぬるい。足湯付近からは、暗くなると幻想的な漁り火を眺めることができるのだという。
(大間鉄道アーチ橋メモリアルロード)
(遊歩道の中ほどには「足湯」が設けられていた)
(いい感じのつくり)
おいおい、もう17時45分になっているよ。もう戻らないと。こうなると下北半島「一周」は達成できそうになく、尻屋崎から六ケ所村、三沢市まで足を伸ばす計画だったが、それは断念せざるを得ない。
ナビに青森のホテルを入力すると、130km、2時間40分かかるというではないか。マイッタナ。
下風呂温泉郷からむつ市を通り、そこからは往路と同じルートを休憩なしで運転して、ようやくにして20時過ぎにホテルに戻る。指定駐車場にはもう空きがなくなっていたが、フロントの女性が機転を利かせて別のスペースを示してくれたのはうれしかった。
前日同様にパン1個と夕食のカレーライスのサービス券をもらう。夕食タイムは20時半までなので、そのまま食堂でカレーにありつき、その後の飲み物の買い出しはその次に。部屋に戻ったのは20時半だった。
(前日同様、夕食のカレーライスと朝食用のパンがサービスされた)
シャワーを浴び、一杯やって寛いだりすれば、夜の時間はたちまち過ぎていく。ログ付けも進まず、まとめるのは翌朝でいいことにしてしまおう。
23時過ぎ、本も読むこともできず、横になった瞬間にソッコーで眠りへ。
この日の走行距離は、400km。
ほとんど運転していたような印象があり、前日の山形~青森間の距離よりも多く走っている。下北半島はデカいのだった。
ここに来たならぜひともマグロ丼を食べて帰りたい。まずはそれが先だ。事前に食事処を調べていて、値打ち感の高いものを供する民宿などで食べたかったのだが、この時間にすんなり入れるところは多くなく、「魚喰いの大間んぞく」という店が営業中だったのでそこに飛び込む。客はなし。大トロも入っているというので、3色マグロ丼3,740円を所望。
うーむ……刺身がイメージしていたものよりも小さくて薄い。これでは大間の地以外で食べるマグロとなんら差がないではないか。むしろ大間以外ならこの程度のものは2,500円も出せば十分食べられるはずだ。
たとえば鰹の本場高知で食べるタタキの切り身なんて、一口では食べられないぐらいに大きくて厚い。本場ならばぜひそういうものを出してもらいたい。文句タラタラだが、大間でマグロを食べられたことに価値を見出すしかない。「海峡荘」のマグロ丼、食べたかったな。
(マグロ丼は「魚喰いの大間んぞく」にて)
(3色マグロ丼3,740円)
大間崎では、「ここ本州最北端の地」と刻まれた石碑や、まぐろのモニュメントを写真に収めるのがお約束。だがしかし、海霧が濃くなっていて景色はまったくよくない。晴れた日には北海道とその街並みが見えることもあるらしいのだが、それは望むべくもないのだった。
(霧に煙る大間崎のモニュメントたち)
(海霧は末端の集落をより寂しく見せる効果がある)
(「ここ本州最北端の地」碑も、背景がなければサマにならないのだった)
本州最北端からは、北海岸を東へと進んで、風間浦村の下風呂温泉郷へ。
集落に入る手前にあった「海峡いさりび公園」は、公園の中央に人工中海があり、干満の潮位差を利用して海水を循環させる東屋や橋、飛び石が配置されている。
その一角には「二見岩(夫婦岩)」。下風呂温泉のシンボルとして昔から存在し、海上安全を祈願した恵比寿様が祀られているという。
このほか、多目的広場や休憩所があり、作家井上靖の小説「海峡」にちなんだ文学碑があった。
井上靖は「ここなら渡り鳥の声が聞ける」と知人から聞き、1958年下風呂温泉郷を訪れ、津軽海峡が見渡せる旅館の一室で小説「海峡」の終局を執筆したという。碑には「アカエリヒレアシシギ」の散文詩が記されていた。
公園内を速足で歩いている女性が一人。当方の動きを不振がって歩きながら様子を見ているようなのだが、ただ立ち寄って見ているだけですから大丈夫ですよ。
(下風呂温泉のシンボルの「二見岩(夫婦岩)」)
(園内には井上靖の文学碑もあった)
下風呂温泉郷の歴史は古く、室町時代から刀傷や槍傷に効く温泉として旧南部藩や北海道、秋田からも人々が湯治に訪れていたという。イカ漁が盛りの季節には海に漁火が並び、旅館の湯舟からも見ることができる。
「下風呂温泉」は、井上靖の小説「海峡」で紹介されてから有名になったところ。「海峡」には下風呂温泉について、「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる」と記されているらしい。これも読んでみたいが絶版で手に入らないようだ。湯は激熱で、水を入れながらでないと入れないらしい。
そんな温泉も老朽化には手が打てず、2020年11月をもってその役割を新しい温泉施設に譲ったのだった。
(2020年11月をもってその歴史を閉じた「下風呂温泉」)
「下風呂温泉海峡の湯」はその後継施設で、2020年12月にできたばかりの新しくて清潔だ。
ここでならぜひ入っていきたいと思わせるのだが、時間が押しているのでそういうわけにもいかないのが残念だ。温泉は70℃とかなり熱めで、施設内の食堂ではラーメンから地元の名物アンコウ鍋まで食べられるらしい。
(できたばかりの「下風呂温泉海峡の湯」)
温泉郷にある「大間鉄道アーチ橋メモリアルロード」。
第二次大戦中に鉄道用のアーチ橋の建設が進められ、戦況悪化で工事が中断し以後放置されていたものを、2005年に遊歩道として整備したもの。アーチ橋は12連からなり、遊歩道中央部には「足湯」が設置されている。足湯の湯は白濁していて、手を入れてみるとぬるい。足湯付近からは、暗くなると幻想的な漁り火を眺めることができるのだという。
(大間鉄道アーチ橋メモリアルロード)
(遊歩道の中ほどには「足湯」が設けられていた)
(いい感じのつくり)
おいおい、もう17時45分になっているよ。もう戻らないと。こうなると下北半島「一周」は達成できそうになく、尻屋崎から六ケ所村、三沢市まで足を伸ばす計画だったが、それは断念せざるを得ない。
ナビに青森のホテルを入力すると、130km、2時間40分かかるというではないか。マイッタナ。
下風呂温泉郷からむつ市を通り、そこからは往路と同じルートを休憩なしで運転して、ようやくにして20時過ぎにホテルに戻る。指定駐車場にはもう空きがなくなっていたが、フロントの女性が機転を利かせて別のスペースを示してくれたのはうれしかった。
前日同様にパン1個と夕食のカレーライスのサービス券をもらう。夕食タイムは20時半までなので、そのまま食堂でカレーにありつき、その後の飲み物の買い出しはその次に。部屋に戻ったのは20時半だった。
(前日同様、夕食のカレーライスと朝食用のパンがサービスされた)
シャワーを浴び、一杯やって寛いだりすれば、夜の時間はたちまち過ぎていく。ログ付けも進まず、まとめるのは翌朝でいいことにしてしまおう。
23時過ぎ、本も読むこともできず、横になった瞬間にソッコーで眠りへ。
この日の走行距離は、400km。
ほとんど運転していたような印象があり、前日の山形~青森間の距離よりも多く走っている。下北半島はデカいのだった。
2021.07.25
青森めぐり20210713の1
旅の3日目となる、2021年7月13日(火)。
5時半起床。部屋のカーテンを開けたまま眠ってしまい、外からの光が眩しくて起きざるを得なかった形だ。今朝は昨日よりも天気がよい。
起きて、前日のログ付けをしたが終わらず、8時までで切り上げて出かけることにする。
この日は津軽半島を攻略しよう。こんどは反時計回りに半島を進んで、竜飛崎から西海岸山中の竜泊ラインを南下し、十三湖、五所川原金木など巡って青森に戻るルートでいく。昨日は長躯したためホテルに戻ってからはグロッキー状態だったが、津軽半島は下北半島ほどまでは走らなくても大丈夫なのではないか。
部屋でパンを食べ、8時過ぎにホテルを出て、車を出す前に近くの「アウガ新鮮市場」がどうなっているか、散歩がてら見に行く。前日の夕刻に入った時にはほとんどの店が閉まっていて寂しい限りだったが、この時間は市場で働く人々も動いていてその時よりも多少は活気がある。しかし、肝心の客が少なく、朝の市場でものを食べようとしてやってきている人はほとんどいない。さぞ人が群がっているだろうと想像していた市場内の「丸青食堂」も、開店休業状態だった。これもコロナの影響なのだろうか。
また、火曜日のこの日は、自分の好きな魚介を好きな量だけ選んで食べられる「のっけ丼」をやっている「青森魚菜センター本店」は休業日だった。
(「アウガ新鮮市場」はこの時間でもこのとおり)
(古川1丁目交差点付近。右奥が「青森魚菜センター本店」)
さあ、ドライブだ。北海道へと伸びる新幹線と並んで走るR280の新道を進むが、単調で楽しくないので、途中から住宅などが張り付いている旧道の「松前街道」に道を変えて進む。
ひとつめの立ち寄り地は、外ヶ浜町蟹田の「名松鍛冶屋の一本松」。
松前街道沿いの並木の1本だったもののようで、樹齢500年。もともと鍛冶屋の所有する樹木だったことからそう呼ばれ、周囲が低湿地の潟だった頃には千石船がこの松にとも綱を留めたといわれる。ドライブ途中の休憩といった形。
(名松鍛冶屋の一本松)
竜飛崎方面へと進んでいく道すがらにあった、「青函トンネル入口広場」にも立ち寄る。
一昨年初夏の北海道旅では「北海道新幹線木古内ビュースポット展望台」からも線路を眺めているので、こちら側からもというワケ。
入口近くが公園として整備されていて、園内の展望台から列車の行き来が望める形だ。滞在時間中の列車の通過はなし。駐車場近くには小さな神社が設えられていて、トンネルの貫通石が祀られていた。
(R280を時計回りに進む(今別付近))
(「青函トンネル入口広場」から見た北海道方面への入洞口)
(トンネルの貫通石を祀る「トンネル神社」)
三厩集落に到着し、JR津軽線の終着駅「三厩駅」を見に行く。“津軽半島最北端の駅”だ。
1日5便の列車がやってくる。無人駅のホームに出てみると、少し先で鉄路が終わっていた。駅前では町民バスがエンジンをかけたままずーっと待機中。運転手は自席で寝入っている。少しだけエコについて考えようよ。
(“津軽半島最北端の駅”の「三厩駅」)
(本州の鉄路の北側はここで果てる)
三厩から竜飛へと進む途中、テレビでは大リーグ・オールスターゲームの前日に行われるホームランダービーがライブ中継されていて、日本人選手として初めて参加する大谷翔平が登場したので、車を停めて中継に見入る。青森県の端っこのここまで来ると、電波状態のいいところで停まっていないと、途中でぷっつりと画像が途切れてしまうためだ。結果は、2度延長の末惜しくも敗退。明日は球宴に1番・先発で登場するという。
(メジャーのホームランダービーに日本人で初めて出場した大谷翔平)
竜飛に到着し、三厩龍浜にある「太宰治文学碑」を見る。
ポケットパーク状のスペースに建ち、碑文は小説「津軽」の一部になっていて、「蜃気楼」同人の平山四十三という人物の遺志によってその遺族が建築したものであるとのこと。
そのすぐ西側には、竜飛岬観光案内所「龍飛館」がある。これは、小説「津軽」に太宰とその友人N君が泊まりこんで酒を飲み語るという形で登場する「奥谷旅館」で、それを改装したものになっている。旅に出る直前から「津軽」を読み始めているので、おおここか!という感じだ。
(太宰治文学碑)
(竜飛岬観光案内所「龍飛館」)
そこから少し進むと、車の通れる道はどんづまりになる。のだが、道は「階段国道339号」となって続いていて、その階段下側の入口があった。
全362段の、日本で唯一の階段国道。もとは生活道路として利用されていたが、1974年に国道に指定。階段部分も整備される予定だったが、傾斜がきつく道幅も狭いため整備は手つかずとなった。これを観光スポットとして利用したわけだ。
階段は歩かず見るだけにとどめ、車で来た道を戻り、竜飛崎灯台のある上のほうへと向かう。
(「階段国道339号」(下側))
5時半起床。部屋のカーテンを開けたまま眠ってしまい、外からの光が眩しくて起きざるを得なかった形だ。今朝は昨日よりも天気がよい。
起きて、前日のログ付けをしたが終わらず、8時までで切り上げて出かけることにする。
この日は津軽半島を攻略しよう。こんどは反時計回りに半島を進んで、竜飛崎から西海岸山中の竜泊ラインを南下し、十三湖、五所川原金木など巡って青森に戻るルートでいく。昨日は長躯したためホテルに戻ってからはグロッキー状態だったが、津軽半島は下北半島ほどまでは走らなくても大丈夫なのではないか。
部屋でパンを食べ、8時過ぎにホテルを出て、車を出す前に近くの「アウガ新鮮市場」がどうなっているか、散歩がてら見に行く。前日の夕刻に入った時にはほとんどの店が閉まっていて寂しい限りだったが、この時間は市場で働く人々も動いていてその時よりも多少は活気がある。しかし、肝心の客が少なく、朝の市場でものを食べようとしてやってきている人はほとんどいない。さぞ人が群がっているだろうと想像していた市場内の「丸青食堂」も、開店休業状態だった。これもコロナの影響なのだろうか。
また、火曜日のこの日は、自分の好きな魚介を好きな量だけ選んで食べられる「のっけ丼」をやっている「青森魚菜センター本店」は休業日だった。
(「アウガ新鮮市場」はこの時間でもこのとおり)
(古川1丁目交差点付近。右奥が「青森魚菜センター本店」)
さあ、ドライブだ。北海道へと伸びる新幹線と並んで走るR280の新道を進むが、単調で楽しくないので、途中から住宅などが張り付いている旧道の「松前街道」に道を変えて進む。
ひとつめの立ち寄り地は、外ヶ浜町蟹田の「名松鍛冶屋の一本松」。
松前街道沿いの並木の1本だったもののようで、樹齢500年。もともと鍛冶屋の所有する樹木だったことからそう呼ばれ、周囲が低湿地の潟だった頃には千石船がこの松にとも綱を留めたといわれる。ドライブ途中の休憩といった形。
(名松鍛冶屋の一本松)
竜飛崎方面へと進んでいく道すがらにあった、「青函トンネル入口広場」にも立ち寄る。
一昨年初夏の北海道旅では「北海道新幹線木古内ビュースポット展望台」からも線路を眺めているので、こちら側からもというワケ。
入口近くが公園として整備されていて、園内の展望台から列車の行き来が望める形だ。滞在時間中の列車の通過はなし。駐車場近くには小さな神社が設えられていて、トンネルの貫通石が祀られていた。
(R280を時計回りに進む(今別付近))
(「青函トンネル入口広場」から見た北海道方面への入洞口)
(トンネルの貫通石を祀る「トンネル神社」)
三厩集落に到着し、JR津軽線の終着駅「三厩駅」を見に行く。“津軽半島最北端の駅”だ。
1日5便の列車がやってくる。無人駅のホームに出てみると、少し先で鉄路が終わっていた。駅前では町民バスがエンジンをかけたままずーっと待機中。運転手は自席で寝入っている。少しだけエコについて考えようよ。
(“津軽半島最北端の駅”の「三厩駅」)
(本州の鉄路の北側はここで果てる)
三厩から竜飛へと進む途中、テレビでは大リーグ・オールスターゲームの前日に行われるホームランダービーがライブ中継されていて、日本人選手として初めて参加する大谷翔平が登場したので、車を停めて中継に見入る。青森県の端っこのここまで来ると、電波状態のいいところで停まっていないと、途中でぷっつりと画像が途切れてしまうためだ。結果は、2度延長の末惜しくも敗退。明日は球宴に1番・先発で登場するという。
(メジャーのホームランダービーに日本人で初めて出場した大谷翔平)
竜飛に到着し、三厩龍浜にある「太宰治文学碑」を見る。
ポケットパーク状のスペースに建ち、碑文は小説「津軽」の一部になっていて、「蜃気楼」同人の平山四十三という人物の遺志によってその遺族が建築したものであるとのこと。
そのすぐ西側には、竜飛岬観光案内所「龍飛館」がある。これは、小説「津軽」に太宰とその友人N君が泊まりこんで酒を飲み語るという形で登場する「奥谷旅館」で、それを改装したものになっている。旅に出る直前から「津軽」を読み始めているので、おおここか!という感じだ。
(太宰治文学碑)
(竜飛岬観光案内所「龍飛館」)
そこから少し進むと、車の通れる道はどんづまりになる。のだが、道は「階段国道339号」となって続いていて、その階段下側の入口があった。
全362段の、日本で唯一の階段国道。もとは生活道路として利用されていたが、1974年に国道に指定。階段部分も整備される予定だったが、傾斜がきつく道幅も狭いため整備は手つかずとなった。これを観光スポットとして利用したわけだ。
階段は歩かず見るだけにとどめ、車で来た道を戻り、竜飛崎灯台のある上のほうへと向かう。
(「階段国道339号」(下側))