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(長崎の夜景)

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(眼鏡橋)

 2024年10月28日(月)から31日(木)までの3泊4日で、長崎に行きました。
 長崎は、ちょうど5年前に、九州一周の車旅で数日立ち寄って以来、2回目です。今回は車ではなく飛行機で向かい、タウンステイの形で、つれあいと二人での滞在となります。

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(グラバー園)

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(軍艦島)

 JALのパッケージツアーを利用して、ざっくりとした旅程は次のとおりです。
 順番が前後することがありましたが、内容的にはだいたい実際と合っています。

10/28(月)
 山形 0900 → 1025 大阪 1245 → 1405 長崎
 伊丹空港でランチ 高速バスで長崎市街へ 長崎市街なか散策
 夕食:トルコライスの店   ホテルモントレ長崎泊

10/29(火)
 軍艦島上陸+周遊(1030~1300)
 昼食:長崎新地中華街
 午後 長崎市内観光(内容未定)
 夕食:「長崎卓袱浜勝長崎総本店」で卓袱料理   ホテルモントレ長崎泊

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(長崎中華街)

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(長崎平和公園)

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(卓袱料理)

10/30(水)
 レンタカーで佐世保方面観光
 昼食:佐世保バーガー 夕食:未定   ホテルモントレ長崎泊

10/31(水)
 長崎 1105 → 1210 大阪 1405 → 1515 山形
 オランダ坂、グラバー園 伊丹空港でランチ


 長崎のイメージといえば、夜景・眼鏡橋・グラバー園・長崎中華街・長崎平和公園・卓袱料理・平戸の教会群・九十九島……あたりでしょうか。事前に眺めているそのあたりの画像も貼り付けておきます。

 さて、出発です。
 これを書いているのはほぼ2か月後となる同年12月で、すでに記憶が飛び始めていますが、撮ってきた画像を主にしてサックリとまとめていきたいと思います。

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(平戸の教会群)

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(九十九島)


 2024年10月28日(月)。
 0600に起き、いつもよりも少しペースアップして朝作業を済ませ、0725には家を出発。山形空港に車を置いて、0900のフライトで大阪伊丹へ。

 ランチは大阪空港内にて。
 大阪ならお好み焼きを食べなきゃと、いったん到着口を出て、レストラン街の「大阪お好み焼清十郎」で清十郎スペシャルお好み焼き1,580円に瓶ビールを添えて食べます。
 卵・山芋・牛脂などをたっぷり使ったと思われるふっくら仕上げの具沢山。こういうおいしいお好み焼きに出会えるのも本場ならではのことでしょう。

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(「大阪お好み焼清十郎」の清十郎スペシャルお好み焼き)

 フライトに遅れはなく、1400には長崎空港着。少しだけ空港内を見て、30分後には長崎市内へと向かうバスに乗り、新地中華街で下車、徒歩にてホテルへと向かいます。

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(長崎空港の到着ロビーの中国風の飾りつけ)

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(長崎空港)

 チェックインした「ホテルモントレ長崎」のデラックスルームは7階。コンパクトですが、清潔でコンフォータブルです。

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(「ホテルモントレ長崎」の外観)

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(同 客室)

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(エレベータのアンティークな階数表示盤)

 少し休憩ののち、1530過ぎに外出し、街なか散策をしに、市電で「大浦海岸通」駅から眼鏡橋駅へと向かいます。

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(「ホテルモントレ長崎」のエントランス)

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(ホテル前の「オランダ通り」)

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(長崎電気軌道の「大浦海岸通」駅)

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(トコトコと路面電車がやってきた)


 長崎の中心部は、5年前には訪れなかった場所で、とりわけ眼鏡橋周辺は見落としたと感じていたところです。市電を「めがね橋」電停で下車し、事前に準備していた街なかマップを手に、散策を始めます。
 中島川を目指して歩いて行くと、はじめに「袋橋」が目に入りました。「眼鏡橋」の一本下流に架かる橋です。中島川下流の石橋アーチ橋では、眼鏡橋につぐ古い橋との説もあるとのこと。1982年の長崎大水害により半壊したものの、原型に復元されています。

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(中島川に架かる「袋橋」)

 そして、そのすぐ西側の上流に架けられているのが「眼鏡橋」です。
 石造の二連アーチ橋で、当時は琉球王国にあった「天女橋」を除けば、1634年建造の日本初の石造りアーチ橋で、現存最古の国の重要文化財となっています。
 東京の「日本橋」、山口の「錦帯橋」とともに日本三名橋に数えられているそうです。これで、この3本をすべて訪れたことになります。
 いい風景なので、画像を2枚。眺めに見惚れて、パワースポットとして注目されているという護岸の「ハートストーン」は見逃してしまいました。

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(眼鏡橋1)

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(眼鏡橋2)

 眼鏡橋の上流、3本上に架かる「芊原橋(すすきはらばし)」。
 架橋は1681年。ここも1982年の大水害で流出し、これが4代目の橋ということのようです。

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(芊原橋)

 芊原橋を渡って、中島川の一本南東の通りに当たる「Allcore(アルコア)中通り」という商店街を見て歩きます。
 中通りは、江戸中期から続く長崎でも最古の商店街であるとのこと。ここは観光地というよりも、地元長崎人がよく利用する商店街のように見えます。一見、普通に見える店が、実は明治時代から続く老舗といった面白さがあちこちにあります。
 その一つと思われる「馬場骨董店」。店構えがいい雰囲気を出していますが、まだ創業50年とのこと。

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(Allcore中通りの「馬場骨董店」)

 中通りをまっすぐ南西方面に進んでいくと、「ベルナード観光通り」というアーケード街につながります。かつてこのあたりには外国人居留地があったところで、坂本龍馬も歩いたとされる歴史的な道でもあるそうです。

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(ここからは「ベルナード観光通り」)

 ベルナード観光通りを途中の角から90℃左に折れれば、「浜んまちアーケード」という長崎一の繁華街になります。百貨店をはじめとして約700軒が集まるショッピングゾーンで、長崎土産や長崎フードの店がより取り見取りに並んでいます。
 「鍛冶市通り」と交差するところでいったん市電通りに出て、通りを挟んだ南向かい側となる「思案橋通り」へ。このあたりは5年前に訪れています。
 思案橋は花街である丸山に近く、行けば散財してしまう花街へ「行こうか戻ろうか……」と多くの人が思案したことから、この橋の名が付いたと言われています。初めてここに来たときは雨が降っていて、そぼ降る風雨をしのぎながら、長崎は今日も雨だなぁと独りごちたことを思い出します。

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(懐かしの思案橋交差点)

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(まだ明るさの残る時間帯の「思案橋横丁」)

 さて夕食。この日は思案橋界隈で、長崎フードのトルコライスです。
 「コロッケ」「カフェオリンピック」「ツル茶ん本店」などこの界隈に多くあるトルコライスの名店から、浜んまちアーケードにあるトルコライス発祥の店だという「ビストロボルドー」をセレクトします。
 冷ご飯を焼き飯にして出すのに外人の手前、トルコの「ピラウ」(炊き込みサフランピラプ)に似せて考案した料理が、「トルコライス」の始まりだそうです。
 1,480円を角ハイボール550円とともに。とんかつが思いのほか大きく、スパゲティのパスタがもっちりしていておいしい。ビジュアルもいいし、名店、人気店としての実力は十分です。

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(「ビストロ ボルドー」のトルコライス)

 市電を使って1900には部屋に戻り、シャワーを浴びたあとはコンビニで調達してきたハイボールを追加飲みします。100円ショップで大きい使い捨てカップも手に入れてきたので、フロントからもらったブロックアイスを加えておいしく飲みます。
 今日口に入れたものはどれもおいしく、旅のいいスタートを切ることができました。

 旅の2日目となる、10月29日(火)。たまたまですが、今日は我々夫婦の結婚記念日です。

 0600に起きて、0700からの朝食バイキング。他のホテルと比較すると素材がよく、海のものが多めで、ついたくさん食べてしまいます。正規料金は2,800円とのことです。五島うどんがあり、トルコライスが自作できるとんかつやカレーピラフなどの材料も並んでいます。
 ここで3回朝食をとることになるので、この日はアラカルトで食べ、五島うどんを添えてみました。

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(「ホテルモントレ長崎」の朝食バイキング、1日目)

 この日のメインは、事前予約していた午前の軍艦島観光です。クルーズから戻ってきてからの遅い昼食は「長崎新地中華街」でちゃんぽん、そして夕食は思案橋周辺で、これも予約している卓袱料理です。
 軍艦島クルーズは1030から。それまで間があり、0800には「グラバー園」が開園するので、まずはそれを見に行くことにして、ホテルから近いので歩いて出かけます。

 グラバー園は2度目。5年前に訪れたときは、メインのグラバー邸が改修工事中のため見られなかったので、今回はそこを見るのが目的です。また、近くの「大浦天主堂」は、入館料があるために前回は素通りしましたが、今回は見るつもりです。
 土産店がまだ開いていない「グラバー坂」を上り、その正面に聳え立つ大浦天主堂にはあとに寄ることにして、道端の案内図を頼りにまずは「グラバー園」へ。

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(グラバー坂)

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(「グラバー園」へと続く道)

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(「グラバー園」入口)

 「グラバー園」は、1859年の長崎開港後に長崎に来住したイギリス人商人グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築して、野外博物館になっているところ。9つの洋館建築があり、小高い場所に位置しているので長崎の港を中心とした市街地が一望できるのがいいです。

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(園地内の高みからは長崎市街が一望できる)

 旧オルト住宅は現在改装中。旧リンガー住宅や旧ウォーカー住宅などの建造物は見るにとどめて、このたび初めて見る「旧グラバー住宅」については少し整理しておきます。
 木造平屋建てで屋根は多角形の寄棟造。居住者のトーマス・グラバー(1838~1911)は英人商人で、1859年の長崎開港直後に来日。グラバー商会を設立して茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、薩摩藩、長州藩や後の明治政府の要人らとも関係が深い人物でした。日本人女性のツルを妻とし、没するまで日本にとどまりました。
 南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ住宅は、グラバーが1861年にこの地を借地した記録があり、住宅の修理時に発見された墨書から1863年の建築と判明。日本に現存する木造洋館としては最古です。
 グラバーの死後は、同人の庶子で跡継ぎとなった人物の所有を経て、1939年には三菱重工業長崎造船所が取得。太平洋戦争後は一時接収されて進駐軍の宿舎となり、1957年、造船所創業100周年を記念して三菱造船(当時)から長崎市に寄付。1967年に修理が完了という経過をたどっています。
 東南アジア・コロニアル・スタイルを取り入れ、外壁は竹木舞の下地に漆喰塗、小屋組は和小屋とするなど、和風の要素が強いつくり。このたび改修されたばかりなのでどこも新しくていいのですが、あまりにも整い過ぎている点にはやや違和感がありました。それにしても前庭から見る建物は美しく、絵になるなあと実感します。

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(旧リンガー住宅)

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(旧グラバー住宅1)

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(花壇もきれい)

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(「旧グラバー住宅」内の一室)

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(旧グラバー住宅2)

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(旧グラバー住宅前庭からの眺め)