2024.09.09
旅の記憶064 思勝湾と国直の集落 2001.11.23
道がひたすらアップダウンとカーブを繰り返し始めた。
対向車もほとんどない、山と海のせめぎあいの合間をたよりなく刻む一本道。
カーラジオから聴こえていたNHKの放送も、すっかり途切れがちになってきた。
奄美の集落というのは、無数ある入江の一部にポツリポツリとできあがっているらしく、陸上をつたって隣の集落に行くにはひと尾根は越えていかなければならないようだ。おそらく、昔は舟でしか往来できなかったのだろう。
ここは奄美市名瀬から大和村(やまとそん)に入ってすぐの、国直(くになお)の集落。
湾の向こう側には、役場のある思勝(おんがち)の集落も遠望できた。
道路沿いからはこんな感じに集落が見渡せるところが多くあった。静かに暮らしているところをお邪魔しちゃってスマンという感じだ。
2024.09.07
旅の記憶063 大浜海浜公園 2001.11.23
大島の南の要衝、古仁屋に向かってロングドライブ。
名瀬からの大動脈となるR58は戻るときに使うことにして、往きは島の西岸沿いを走る一本道を行くことにした。
地図で見れば両者の距離にはさほど差がように見えるが、道自体のつくり(幅、規格などの構造)、そして何よりもアップダウンやカーブの数などで決定的な差があり、時間距離は雲泥の差があるのだった。
立ち寄ったのは、「大浜海浜公園」。
街道から右に折れるとジェットコースターのような下り坂が現われ、戻りには登ってこられるのかと不安になりながらも(山形にはこんな勾配の道はない。なぜなら、降雪時には使えないから)、ブレーキを踏みつつ進んでいくと、前方に弧状なす砂浜が見えてきた。
車を降り、ビーサンに履き替えて浜に出てみるのだが、この時間帯では太陽を背にする格好で、第一天候がよろしくない。風も強く、ビロウヤシの木を大きく揺らしている。
夏はきっと賑わうのだろうが、今は誰もいない寂しげな風景なのだった。
2024.08.28
旅の記憶062 名瀬市民文化祭オープニングセレモニー 2001.11.23
朝、名瀬市立奄美博物館(当時。現在は奄美市の施設)に着くと、隣接する奄美文化センターでは市民文化祭のオープニングセレモニーが行われていた。
小学生のブラスバンド演奏を眺めている作業服姿のオジイと目が合い、朝のあいさつ。何とはなしにいっしょに見ていたが、博物館に入ろうとするとこの人もついてくる。実はこの人、博物館の職員の方(もしかすると館長?)だった。
山形から来たことを伝えると、「いもうれ」(奄美語のWelcome)とこそは言わなかったが、「ほぉ~、それはまたずいぶんと遠くから…」と、目線を遠くして驚いていた。
文化センターは1987年の開館で、現在も健在。大ホールの収容定員は1,438席というから、大きい。
数々の名ウタシャを輩出してきた「奄美民謡大賞」の会場はここだ。
一方、博物館の展示物は、格別奇を衒ったようなものではなく、ありがちな陳腐さも感じられず、質実剛健的。特に、遺跡にみるあこや貝を中心とした企画展示は見応えがあり、ここに1時間ほどかけてしまった。
1987年開館の総合博物館。2019年にリニューアルオープンし、「環境文化」に焦点を当てた展示へと大きく変更したという。
2024.08.27
旅の記憶061 共同組海運船みさき 2001.11.23
旧名瀬市内(現在は奄美市名瀬)に泊った翌日は、朝の名瀬港をひと眺め。
港には、共同組海運KKの「みさき」が停泊していた。
1994年1月竣工、総トン数999トンの貨物船で、鹿児島~奄美大島~徳之島~沖永良部島を航路としている船だ。
しかし、老朽化が進み、2021年には新造船の高速貨物フェリー「みさきⅡ」がこれにとって代わって就航、離島の生活を支えるあらゆる物資を運んでいる。
2024.08.24
旅の記憶060 奄美パーク 2001.11.22
旧空港跡地に建設されたばかりの奄美パーク(2001年9月30日開園)は、堂々とした出で立ちだった。
「奄美の郷」と銘打ったドーム型の展示館と、「田中一村記念美術館」がメインとなっている。
「奄美の郷」は見応え十分。入るとすぐのところには広いステージがあり、正面のマルチビジョンでは奄美の若き唄者、中村瑞希が大写しになって島唄を披露していた。
その周辺には奄美諸島の5つの島(喜界島、奄美大島、徳之島、沖永良部島、与論島)を個別に紹介するブースがあって、各島の個性を知ることができた。
総合展示ホール(有料)は圧巻で、壁一面の昔の写真パネル、加計呂麻の諸鈍シバヤをはじめとした民俗行事のジオラマ、島唄をゆっくり聴くことができる装置、かつての住居の軒先の様子を再現したセットなどがあり、一つ一つ見ていたら時間がいくらあっても足りない。
「田中一村記念美術館」は、展示室が3つに分かれた立派な美術館。もともと寡作の芸術家なので展示数は多くないが、中には鳥肌が立つような作品があった。
2024.08.22
旅の記憶059 笠利崎 2001.11.22
あやまる岬から、北のはずれの笠利崎方面へと進む。
「用」という集落を過ぎると、笠利崎灯台へと向かう一本道となった。
ここまで来ると対向車はなく、アスファルト(ここまで舗装はゆきとどいている)の上を大きなオカヤドカリが歩いていたり、野生化した猫が道を横切ったりと、人間中心の世界ではなくなってきた。
そしてその先は、土砂崩れのため行き止まり……。
戻って、半島の西側に出るために峠を越える。アップダウンとカーブがすさまじい。
峠の途中には何ヶ所かビューポイントがあり、立派な駐車場が設けられている。
そのひとつからの眺めがこの写真。方向的には東南で、遠くに見えるのがあやまる岬だ。
そのはるか先には、喜界島が見えた!
2024.08.20
旅の記憶058 土盛海岸 2001.11.22
「綾織りなす鞠」のように美しいといわれる、あやまる岬へ。
曇天だったのが残念だが、国民宿舎の近くで作業服姿のおじさんが一人、誰もいないのをいいことに大きな声で歌を歌いながら作業をしていたことが印象に残っている。さすが、奄美は唄の島だ。
なお、「国民宿舎あやまる荘」は、2005年10月に閉業している。
岬の南側に位置する「土盛海岸」に下りてみる。
海岸沿いに繁茂するアダンが力強い。
砂地にしっかりと根を張って逞しく群生し、あの独特の実を実らせている。
その姿には亜熱帯を感じ、今自分は奄美にいるのだなと実感させられるのだった。