2021.04.11
名古屋ステイ 20210405月
2021年4月5日。
この日、名古屋ステイに向けて旅立つ。安宿を15泊確保しているが、諸般の状況をみて短縮、延長もあり得るというスタンスで臨みたい。
今日から1か月間、大阪、兵庫、宮城の1府2県で、新型コロナのまん延防止等重点措置が適用される。なぜそんなときに旅なのかと問われると積極的な答えが出てこないのだが、こっちにだっていろいろと事情はあるんだよ――という表現が案外当を射ているような気がする。
リタイアして以来なかばライフワークにしている日本旅は、新型コロナの影響で自粛ムードが強く、家でじっと我慢する日々が半年近く続いていた。もう我慢できんだろというのが正直なところだ。ほかにもここには書かないが、我が家の家庭の事情というものもある。
この2年ほどずっと、車で寝泊まりするいわゆる車旅をしてきたが、今回は、昨年1~3月に沖縄与那原でウィークリーマンションに長滞在して以来の、ミドルのホテルステイだ。したがって、フラットなベッドや空調、Wi-FiやBS放送受信設備などが整っているし、毎夕に日帰り温泉施設を探す必要もない。
書き加えておくと、5連泊にすると1泊料金が3,700円になるので、そのような形で予約している。GoToトラベルが休止中になっているため国の援助が得られないのが残念だが、補助なしでこの価格ならまあまあだろう。
名古屋では、それほどがんばらずに主として徒歩と地下鉄である程度町を見て歩き、様々な名古屋めしを食べられたらいいかなというぐらいに考えておく。
6時15分に起きてほぼすぐに、出かけるまでにやっておくべきことに取り掛かる。目的のある日の朝はやはりちがう。
9時半前に家を発って、路線バスで山形駅へ。列車での旅はすごく久しぶりで、なんと2年前にリタイアしてからは初めてとなる。
10時過ぎの新幹線で東京へ。山形駅のホームは人が極めて少ない。駅弁とビールといっちゃおうかと考えていたが、コロナ対策のためキオスクのみ1店しか開いていず、どうもビールという雰囲気ではない。その後の車内販売も休止中。結局、そのキオスクで調達したチンケなサンドイッチとソフトドリンクで名古屋までしのぐこととなった。
また、列車へと乗車した段階で、キャリーケースのキャリーバーが壊れて、その後は転がすことができなくなってしまい、単なる重たい荷物となってしまった。もう20年ぐらい使ってきたものだからやむを得ないのかもしれないが、壊れるタイミングがあまりにもよくない。幸いだったのは、名古屋のホテルは地下鉄出口すぐのところだったことで、大汗をかく事態とまでにはならなかったのはよかった。距離があればタクシーを使わざるを得ないところだろう。
今回はずっとこのホテルで滞在するつもりなのだが、名古屋で新しいキャリーケースを調達する必要があるかもしれない。シット!である。
(把手がぶっ壊れたキャリーケース(ホテルにて))
東京から名古屋までは敢えて各駅停車の「こだま」に乗ってのんびりと行く。東海道新幹線はビジネスで利用したことしかなく、いつも「のぞみ」か「ひかり」だったので、こういうのがとても新鮮に感じる。16号車自由席車両内はガラガラで、発車時から名古屋までの間の乗客は自分を含めて4人だけだった。
関東地方に入ったあたりからずっと雨が降っていたが、掛川を過ぎて晴れ間が出て、名古屋手前では雲一つない快晴となった。ふふっ、誰にも言わないけれども、おれって案外晴れ男なのですよ。
引きずれなくなった重いキャリーケースを手で持って地下鉄を乗り継ぎ、東別院駅近くのホテルにチェックインしたのは16時20分。ああ重てぇ。
割り当てられたのは、6階の細長い変わった配置の部屋だ。まずは5日分の宿泊料を払い、部屋で冷蔵庫の電源を入れ、パソコンをセットしてWi-Fiの動作確認をする。よし、問題なし。さっそく近隣の食事処を調べると、お、歩いて行ける金山(かなやま)に台湾ラーメンの「藤一番」の支店があるではないか。では今夕はここで軽く飲むことにしよう。
(特に問題がなければ長滞在することになる「ホテルキヨシ名古屋」)
(南に向かって歩き出す。東別院交差点の先に見えるのは名古屋テレビの本社ビル)
(その交差点を南に進むと、「日本特殊陶業市民会館」という大きな建物があった)
「藤一番金山店」。藤一番は名古屋を中心に多店舗展開をしているチェーン店で、地元では「フジイチ」と呼ばれているという。チョイ飲みセット720円というのがあることを調べてきている。セレクトできる仕組みで、生ビール中におつまみ3種とミニチャーシューを選択。
ああ、ちょうどいいね、こういうの。気持ちがよくなる程度にして、ここで台湾らーめん790円を追加。ほぉー、これが本場名古屋の台湾ラーメンか。スープは醤油味で、ぴりりと辛いけれどもバカ汗が出るほどではなく、ニンニクが効いていておいしい。挽き肉のコクが出ているんだな。生のニラというのもいい。
(「藤一番金山店」の間口は狭いが、奥行きはある)
(「藤一番金山店」のチョイ飲みセット)
(同 台湾らーめん)
今夜はこれで早々に切り上げて、コロナ感染防止とする。ホテル至近のセブンで各種飲料、朝用のパン、缶チューハイ、それに合わせる乾き物などを買って、18時に部屋戻り。自宅にいるときと同じようにテレビの水泳日本選手権を見る。
部屋の使い勝手は、今のところ価格ほどには悪くない。ただ、シャワーの湯の出方が弱く、体に着いた石鹸分をきれいに流すのに時間がかかる。これがずっと続くのかと思うと少し憂鬱になる。朝10時から午後の15時までは空調が止まるらしい。ニュースでは、今日愛知県で東京五輪の聖火リレーが始まったとのこと。夜には名古屋市中心部を通ったようだった。
ここまででカキモノを終えて、部屋飲みに入る。ちくわとポテチをアテに、いつもよりもアルコール度数の低いチューハイをゴクゴク。いいですなあ、ホテルの部屋飲み。
22時を過ぎたあたりで早くも眠くなり、ベッドで少し読書をして眠りへ。
この日の読書は、車中などで持参した「日本にとって沖縄とは何か」(新崎盛暉著、岩波新書、2016)を90ページとなる。
この日、名古屋ステイに向けて旅立つ。安宿を15泊確保しているが、諸般の状況をみて短縮、延長もあり得るというスタンスで臨みたい。
今日から1か月間、大阪、兵庫、宮城の1府2県で、新型コロナのまん延防止等重点措置が適用される。なぜそんなときに旅なのかと問われると積極的な答えが出てこないのだが、こっちにだっていろいろと事情はあるんだよ――という表現が案外当を射ているような気がする。
リタイアして以来なかばライフワークにしている日本旅は、新型コロナの影響で自粛ムードが強く、家でじっと我慢する日々が半年近く続いていた。もう我慢できんだろというのが正直なところだ。ほかにもここには書かないが、我が家の家庭の事情というものもある。
この2年ほどずっと、車で寝泊まりするいわゆる車旅をしてきたが、今回は、昨年1~3月に沖縄与那原でウィークリーマンションに長滞在して以来の、ミドルのホテルステイだ。したがって、フラットなベッドや空調、Wi-FiやBS放送受信設備などが整っているし、毎夕に日帰り温泉施設を探す必要もない。
書き加えておくと、5連泊にすると1泊料金が3,700円になるので、そのような形で予約している。GoToトラベルが休止中になっているため国の援助が得られないのが残念だが、補助なしでこの価格ならまあまあだろう。
名古屋では、それほどがんばらずに主として徒歩と地下鉄である程度町を見て歩き、様々な名古屋めしを食べられたらいいかなというぐらいに考えておく。
6時15分に起きてほぼすぐに、出かけるまでにやっておくべきことに取り掛かる。目的のある日の朝はやはりちがう。
9時半前に家を発って、路線バスで山形駅へ。列車での旅はすごく久しぶりで、なんと2年前にリタイアしてからは初めてとなる。
10時過ぎの新幹線で東京へ。山形駅のホームは人が極めて少ない。駅弁とビールといっちゃおうかと考えていたが、コロナ対策のためキオスクのみ1店しか開いていず、どうもビールという雰囲気ではない。その後の車内販売も休止中。結局、そのキオスクで調達したチンケなサンドイッチとソフトドリンクで名古屋までしのぐこととなった。
また、列車へと乗車した段階で、キャリーケースのキャリーバーが壊れて、その後は転がすことができなくなってしまい、単なる重たい荷物となってしまった。もう20年ぐらい使ってきたものだからやむを得ないのかもしれないが、壊れるタイミングがあまりにもよくない。幸いだったのは、名古屋のホテルは地下鉄出口すぐのところだったことで、大汗をかく事態とまでにはならなかったのはよかった。距離があればタクシーを使わざるを得ないところだろう。
今回はずっとこのホテルで滞在するつもりなのだが、名古屋で新しいキャリーケースを調達する必要があるかもしれない。シット!である。
(把手がぶっ壊れたキャリーケース(ホテルにて))
東京から名古屋までは敢えて各駅停車の「こだま」に乗ってのんびりと行く。東海道新幹線はビジネスで利用したことしかなく、いつも「のぞみ」か「ひかり」だったので、こういうのがとても新鮮に感じる。16号車自由席車両内はガラガラで、発車時から名古屋までの間の乗客は自分を含めて4人だけだった。
関東地方に入ったあたりからずっと雨が降っていたが、掛川を過ぎて晴れ間が出て、名古屋手前では雲一つない快晴となった。ふふっ、誰にも言わないけれども、おれって案外晴れ男なのですよ。
引きずれなくなった重いキャリーケースを手で持って地下鉄を乗り継ぎ、東別院駅近くのホテルにチェックインしたのは16時20分。ああ重てぇ。
割り当てられたのは、6階の細長い変わった配置の部屋だ。まずは5日分の宿泊料を払い、部屋で冷蔵庫の電源を入れ、パソコンをセットしてWi-Fiの動作確認をする。よし、問題なし。さっそく近隣の食事処を調べると、お、歩いて行ける金山(かなやま)に台湾ラーメンの「藤一番」の支店があるではないか。では今夕はここで軽く飲むことにしよう。
(特に問題がなければ長滞在することになる「ホテルキヨシ名古屋」)
(南に向かって歩き出す。東別院交差点の先に見えるのは名古屋テレビの本社ビル)
(その交差点を南に進むと、「日本特殊陶業市民会館」という大きな建物があった)
「藤一番金山店」。藤一番は名古屋を中心に多店舗展開をしているチェーン店で、地元では「フジイチ」と呼ばれているという。チョイ飲みセット720円というのがあることを調べてきている。セレクトできる仕組みで、生ビール中におつまみ3種とミニチャーシューを選択。
ああ、ちょうどいいね、こういうの。気持ちがよくなる程度にして、ここで台湾らーめん790円を追加。ほぉー、これが本場名古屋の台湾ラーメンか。スープは醤油味で、ぴりりと辛いけれどもバカ汗が出るほどではなく、ニンニクが効いていておいしい。挽き肉のコクが出ているんだな。生のニラというのもいい。
(「藤一番金山店」の間口は狭いが、奥行きはある)
(「藤一番金山店」のチョイ飲みセット)
(同 台湾らーめん)
今夜はこれで早々に切り上げて、コロナ感染防止とする。ホテル至近のセブンで各種飲料、朝用のパン、缶チューハイ、それに合わせる乾き物などを買って、18時に部屋戻り。自宅にいるときと同じようにテレビの水泳日本選手権を見る。
部屋の使い勝手は、今のところ価格ほどには悪くない。ただ、シャワーの湯の出方が弱く、体に着いた石鹸分をきれいに流すのに時間がかかる。これがずっと続くのかと思うと少し憂鬱になる。朝10時から午後の15時までは空調が止まるらしい。ニュースでは、今日愛知県で東京五輪の聖火リレーが始まったとのこと。夜には名古屋市中心部を通ったようだった。
ここまででカキモノを終えて、部屋飲みに入る。ちくわとポテチをアテに、いつもよりもアルコール度数の低いチューハイをゴクゴク。いいですなあ、ホテルの部屋飲み。
22時を過ぎたあたりで早くも眠くなり、ベッドで少し読書をして眠りへ。
この日の読書は、車中などで持参した「日本にとって沖縄とは何か」(新崎盛暉著、岩波新書、2016)を90ページとなる。
2021.04.12
名古屋ステイ 20210406火の1
7時起床。この部屋のベッドでの寝心地もなかなか悪くない。全館共通で、各部屋ごとに調整することができない空調は心持ち暑めだが、寒いよりはいいだろう。暑過ぎるときは止めればよい。
まずは本日のスケジュールを検討。熱田神宮の手前にイオンモールがあることを確認し、ここで新しいキャリーケースを物色しようと思う。いいのがあれば買おう。そうとなればその前に、「熱田神宮」と「宮の渡し公園」を見ようか。それでもなお時間があれば、名古屋駅界隈の地下街を歩いてみてもよい。
9時に開いた東京市場で早々に売り買いが1銘柄ずつ約定し、売りのほうでは5日分のホテル代を上回る利益を得る。しめしめである。
9時半に外出開始。
名城線という環状地下鉄に乗って、伝馬町(てんまちょう)駅で降り、「熱田神宮」へ。
神宮内に入ってまずやることは、境内の中にある「宮きしめん神宮店」で朝食代わりのきしめんを食べることだ。東門からアプローチしたところ、宝物殿のすぐ後ろに仮店舗の小屋のようなつくりの店を発見。さっそく入って、テント屋根の席できしめん700円をすする。
麺の形状がバラエティに富んでいる現代となってはすごい幅広という感じは受けないが、もっちりとした独特の弾力ときゅっきゅっとした歯ざわりがあっておいしい。つゆは駅そばのもののようにしょっぱくて、名古屋は関西圏とは言えないのだなと思わせる。
(「熱田神宮」には東門からアプローチ。なんか幽玄)
(東門を入ってすぐ右手に、小屋のような「宮きしめん神宮店」があった)
(宮きしめん)
腹が落ち着いたところで、「熱田神宮」を見る。
名古屋市南部に広がる「熱田の杜」にあり、昔から「熱田さん」と呼ばれて親しまれ、年間700万人に近い参拝の人々でにぎわうというのだが、今はそれほどではなくゆっくりと見て回れる程度の人の出になっている。
三種の神器の一つである草薙神剣を祀り、古来朝廷、武将の崇敬を集め、伊勢神宮に次ぐ大宮として知られる。本殿は古くは尾張造だったが、1893年に神明造に改築されたという。この旅が無事に、実り多きものとなるようお願いする。参ったあとは後ろにある本殿を覗くのがすっかり習慣になってしまっている。
(「熱田神宮」拝殿)
(拝殿後方の本殿も立派だ)
熱田神宮から徒歩で「宮の渡し公園」へ。
かつての東海道は名古屋を通らず、宮の宿と呼ばれたこの熱田から現三重県の桑名までは船で渡るルートになっていた。海が埋め立てられて、ここは今でこそ左右の地が南に迫り出しているが、当時はここが南の先端部だったらしい。
宮の宿場の特徴を伝える船着場址を整備した歴史公園になっていて、常夜灯や時の鐘などがある。宮の宿から桑名宿へは東海道としては唯一の海上路で、その距離にちなんで七里の渡しといわれたのだそうだ。
海上7里の航海の目印となった「時の鐘」。その脇に「七里の渡し常夜灯」。さらに向こう側がその昔、「七里の渡し」だったところだ。
(「七里の渡し公園」のシンボルになっている「時の鐘」)
(時の鐘のそばには「七里の渡し常夜灯」。後方が「七里の渡し跡」になっている)
(渡し側から2つまとめて)
(公園には桜が散らずに残っていた)
旧船着場近くの海岸沿いには、古い建物群が少しだけ残っていて、往時をしのぶことができる。
そのひとつの「熱田荘」。1896年に建てられた「魚半」という料亭で、太平洋戦争中は三菱重工業の社員寮として、そして現在は高齢者福祉施設として現役を張っている建物だ。
「丹羽家住宅」は、かつての旅籠屋「伊勢久」だったもの。創建は不明だが、1841年の図絵には当家のものと思われる破風付玄関のある旅籠屋が描かれているという。
これらを見たあとは、門前で受付が始まっているひつまぶしの名店「あつた蓬莱軒本店」の前を通って、伝馬町駅に戻る。
(今はグループホームとして使われている「熱田荘」)
(丹羽家住宅)
(「熱田神宮前」歩道橋上から国道1号北西方向を望む)
まずは本日のスケジュールを検討。熱田神宮の手前にイオンモールがあることを確認し、ここで新しいキャリーケースを物色しようと思う。いいのがあれば買おう。そうとなればその前に、「熱田神宮」と「宮の渡し公園」を見ようか。それでもなお時間があれば、名古屋駅界隈の地下街を歩いてみてもよい。
9時に開いた東京市場で早々に売り買いが1銘柄ずつ約定し、売りのほうでは5日分のホテル代を上回る利益を得る。しめしめである。
9時半に外出開始。
名城線という環状地下鉄に乗って、伝馬町(てんまちょう)駅で降り、「熱田神宮」へ。
神宮内に入ってまずやることは、境内の中にある「宮きしめん神宮店」で朝食代わりのきしめんを食べることだ。東門からアプローチしたところ、宝物殿のすぐ後ろに仮店舗の小屋のようなつくりの店を発見。さっそく入って、テント屋根の席できしめん700円をすする。
麺の形状がバラエティに富んでいる現代となってはすごい幅広という感じは受けないが、もっちりとした独特の弾力ときゅっきゅっとした歯ざわりがあっておいしい。つゆは駅そばのもののようにしょっぱくて、名古屋は関西圏とは言えないのだなと思わせる。
(「熱田神宮」には東門からアプローチ。なんか幽玄)
(東門を入ってすぐ右手に、小屋のような「宮きしめん神宮店」があった)
(宮きしめん)
腹が落ち着いたところで、「熱田神宮」を見る。
名古屋市南部に広がる「熱田の杜」にあり、昔から「熱田さん」と呼ばれて親しまれ、年間700万人に近い参拝の人々でにぎわうというのだが、今はそれほどではなくゆっくりと見て回れる程度の人の出になっている。
三種の神器の一つである草薙神剣を祀り、古来朝廷、武将の崇敬を集め、伊勢神宮に次ぐ大宮として知られる。本殿は古くは尾張造だったが、1893年に神明造に改築されたという。この旅が無事に、実り多きものとなるようお願いする。参ったあとは後ろにある本殿を覗くのがすっかり習慣になってしまっている。
(「熱田神宮」拝殿)
(拝殿後方の本殿も立派だ)
熱田神宮から徒歩で「宮の渡し公園」へ。
かつての東海道は名古屋を通らず、宮の宿と呼ばれたこの熱田から現三重県の桑名までは船で渡るルートになっていた。海が埋め立てられて、ここは今でこそ左右の地が南に迫り出しているが、当時はここが南の先端部だったらしい。
宮の宿場の特徴を伝える船着場址を整備した歴史公園になっていて、常夜灯や時の鐘などがある。宮の宿から桑名宿へは東海道としては唯一の海上路で、その距離にちなんで七里の渡しといわれたのだそうだ。
海上7里の航海の目印となった「時の鐘」。その脇に「七里の渡し常夜灯」。さらに向こう側がその昔、「七里の渡し」だったところだ。
(「七里の渡し公園」のシンボルになっている「時の鐘」)
(時の鐘のそばには「七里の渡し常夜灯」。後方が「七里の渡し跡」になっている)
(渡し側から2つまとめて)
(公園には桜が散らずに残っていた)
旧船着場近くの海岸沿いには、古い建物群が少しだけ残っていて、往時をしのぶことができる。
そのひとつの「熱田荘」。1896年に建てられた「魚半」という料亭で、太平洋戦争中は三菱重工業の社員寮として、そして現在は高齢者福祉施設として現役を張っている建物だ。
「丹羽家住宅」は、かつての旅籠屋「伊勢久」だったもの。創建は不明だが、1841年の図絵には当家のものと思われる破風付玄関のある旅籠屋が描かれているという。
これらを見たあとは、門前で受付が始まっているひつまぶしの名店「あつた蓬莱軒本店」の前を通って、伝馬町駅に戻る。
(今はグループホームとして使われている「熱田荘」)
(丹羽家住宅)
(「熱田神宮前」歩道橋上から国道1号北西方向を望む)
2021.04.13
名古屋ステイ 20210406火の2
「イオンモール熱田」に最も近いと思われる西高蔵(にしたかくら)駅で地下鉄を降りて、そこから歩いて行くのだが、けっこう遠いのだった。
高くない価格のキャリーケース売り場を発見し、しばらく物色する。今日は見るだけでもいいかと思って来たけれども、この徒歩距離では再度訪れる気にはなれない。なので、どうせ必要なものだから今買ってしまおう。
1万円を切るものもあったが、見るからにちゃちい感じがするベトナム製だったりする。またすぐに壊れたりされても厄介なだけだしなあ。ということで、底で回転するキャリアーがきちんと4隅ぎりぎりまで出っ張っているか(そうでないと引いていて安定しない)、今回壊れたキャリーバー部分がしっかりしていてたわみがないかなどを確認して、「アメリカンツーリスター」というブランドのものを13,860円で買った。あとで知ったが、このメーカーは旅行かばん市場では「サムソナイト」に次いで世界第2位の規模なのだそうだ。それでも製造は中国だけど。
空の新品キャリーバッグを転がして西高蔵駅まで歩いて戻り、いったんこれをホテルに置いて、再度出撃をする。もうここまでで足がかなり疲れている。
(「イオンモール熱田」で調達してきた新しいキャリーケース)
次に向かったのは地下鉄栄駅。そこから主に地下街を、名古屋駅まで歩く。
「サカエチカ」の「クリスタル広場」を通り、いったん地上に出て錦3丁目の大歓楽街を見る。「錦通り」と「伊勢町通り」が交わる「錦通伊勢町」交差点付近はまさに目抜き通り。高層ビルが林立し、このど真ん中に観覧車がつくられている。なぜか名古屋っぽさをこのあたりにも感じてしまう。
(「サカエチカ」の「クリスタル広場」)
(「錦通伊勢町」交差点付近はまさに目抜き通りだ)
(観覧車まであるんだぎゃー)
そこから西へと進んでいくと「長者町通り」に出た。このあたりは戦後全国有数の繊維問屋街として賑わいをみせていたところだという。
ここで、ぐっとくるような佇まいの昼酒場を見つけた。「居酒屋ロマンス」。食べたいと思っていた味噌おでんもあるようだ。まだ14時だが、まあいいや、一杯ひっかけて行こう。
ということで、生中と味噌おでんの大根、厚揚げ、牛スジを注文。この味噌おでん、最高やん。いや、名古屋であれば「ええねぇ、たまらんがや」とでも言うのだろうか。締めて1,008円。
(長者町繊維問屋街)
(すばらしい佇まいの「居酒屋ロマンス」。これは入らなアカンでしょ)
(「居酒屋ロマンス」の味噌おでん。牛スジはあとでやってきた)
またてくてく歩いて、国際センター駅付近から地下街「ユニモール」に下りて行き、名古屋駅では「メイチカ」を歩く。うふふ、名古屋人って地下街が好きなんだなあ、やたらとあちこちにあるぞ。
だが、もう歩き疲れた感があり、毎度のことながらアキレス腱が痛む。このあたりで切り上げよう。
最後は、JR名古屋高島屋の地下食品街にある全国展開の有名店「地雷也」で天むす5個入りを702円で買って、ホテルに戻ることにした。
ホテル近くで食料品と、マウスの電池が切れそうなので単3の乾電池を買う。電池は2本で438円。よくぞ吹っかけたものだ。
16時ちょうどに帰投。この日の万歩計は1万9千歩だった。
(ぼったくりの電池と、この日使った地下鉄の24時間券)
17時から日本水泳選手権を観ながら寛ぎ、18時前からはもう飲み始める。しかも、いつもの量に加えて350の缶ビールを追加した。もうその前から飲んでいるわけで、この日はたっぷり飲んでいい気持ちになった。
フィニッシュに食べた天むすは、きゃらぶき(ふきの佃煮)が付いていて、海老天がわりとしっとりして、出汁の香りが効いている。だが、こんな小さいもの5個が700円以上するとは、田舎者には単なるぼったくりのように思えてならない。スーパーのおにぎりぐらいの大きさだったらこの価格でも許せる。(笑)
(「地雷也」の天むす。これで702円は高いよナ)
この程度の酔いならふらふらするほどではないと強がりを言ってみるが、胃のほうがもう十分で結構デアルと訴えている。もう頭を使うようなことはできず、そこから先はダラダラとした時間の使い方になってしまった。明日のことも、明日になってから考えよう。
22時を過ぎればもう眠くなる。満足に本を読むことすらできず、ほぼそのまま寝入ってしまった。
高くない価格のキャリーケース売り場を発見し、しばらく物色する。今日は見るだけでもいいかと思って来たけれども、この徒歩距離では再度訪れる気にはなれない。なので、どうせ必要なものだから今買ってしまおう。
1万円を切るものもあったが、見るからにちゃちい感じがするベトナム製だったりする。またすぐに壊れたりされても厄介なだけだしなあ。ということで、底で回転するキャリアーがきちんと4隅ぎりぎりまで出っ張っているか(そうでないと引いていて安定しない)、今回壊れたキャリーバー部分がしっかりしていてたわみがないかなどを確認して、「アメリカンツーリスター」というブランドのものを13,860円で買った。あとで知ったが、このメーカーは旅行かばん市場では「サムソナイト」に次いで世界第2位の規模なのだそうだ。それでも製造は中国だけど。
空の新品キャリーバッグを転がして西高蔵駅まで歩いて戻り、いったんこれをホテルに置いて、再度出撃をする。もうここまでで足がかなり疲れている。
(「イオンモール熱田」で調達してきた新しいキャリーケース)
次に向かったのは地下鉄栄駅。そこから主に地下街を、名古屋駅まで歩く。
「サカエチカ」の「クリスタル広場」を通り、いったん地上に出て錦3丁目の大歓楽街を見る。「錦通り」と「伊勢町通り」が交わる「錦通伊勢町」交差点付近はまさに目抜き通り。高層ビルが林立し、このど真ん中に観覧車がつくられている。なぜか名古屋っぽさをこのあたりにも感じてしまう。
(「サカエチカ」の「クリスタル広場」)
(「錦通伊勢町」交差点付近はまさに目抜き通りだ)
(観覧車まであるんだぎゃー)
そこから西へと進んでいくと「長者町通り」に出た。このあたりは戦後全国有数の繊維問屋街として賑わいをみせていたところだという。
ここで、ぐっとくるような佇まいの昼酒場を見つけた。「居酒屋ロマンス」。食べたいと思っていた味噌おでんもあるようだ。まだ14時だが、まあいいや、一杯ひっかけて行こう。
ということで、生中と味噌おでんの大根、厚揚げ、牛スジを注文。この味噌おでん、最高やん。いや、名古屋であれば「ええねぇ、たまらんがや」とでも言うのだろうか。締めて1,008円。
(長者町繊維問屋街)
(すばらしい佇まいの「居酒屋ロマンス」。これは入らなアカンでしょ)
(「居酒屋ロマンス」の味噌おでん。牛スジはあとでやってきた)
またてくてく歩いて、国際センター駅付近から地下街「ユニモール」に下りて行き、名古屋駅では「メイチカ」を歩く。うふふ、名古屋人って地下街が好きなんだなあ、やたらとあちこちにあるぞ。
だが、もう歩き疲れた感があり、毎度のことながらアキレス腱が痛む。このあたりで切り上げよう。
最後は、JR名古屋高島屋の地下食品街にある全国展開の有名店「地雷也」で天むす5個入りを702円で買って、ホテルに戻ることにした。
ホテル近くで食料品と、マウスの電池が切れそうなので単3の乾電池を買う。電池は2本で438円。よくぞ吹っかけたものだ。
16時ちょうどに帰投。この日の万歩計は1万9千歩だった。
(ぼったくりの電池と、この日使った地下鉄の24時間券)
17時から日本水泳選手権を観ながら寛ぎ、18時前からはもう飲み始める。しかも、いつもの量に加えて350の缶ビールを追加した。もうその前から飲んでいるわけで、この日はたっぷり飲んでいい気持ちになった。
フィニッシュに食べた天むすは、きゃらぶき(ふきの佃煮)が付いていて、海老天がわりとしっとりして、出汁の香りが効いている。だが、こんな小さいもの5個が700円以上するとは、田舎者には単なるぼったくりのように思えてならない。スーパーのおにぎりぐらいの大きさだったらこの価格でも許せる。(笑)
(「地雷也」の天むす。これで702円は高いよナ)
この程度の酔いならふらふらするほどではないと強がりを言ってみるが、胃のほうがもう十分で結構デアルと訴えている。もう頭を使うようなことはできず、そこから先はダラダラとした時間の使い方になってしまった。明日のことも、明日になってから考えよう。
22時を過ぎればもう眠くなる。満足に本を読むことすらできず、ほぼそのまま寝入ってしまった。
2021.04.14
名古屋ステイ 20210407水の1
7時前起床。しばらくの間、前日分のカキモノをするが、溜まり過ぎていたため、格好が付いたのは9時前だった。
そこから急増の計画立てをして、この日はまず「名古屋市博物館」でお勉強をして、昼は味噌カツを食べ、その後「名古屋港」界隈を歩き、まだ余裕があれば「大須商店街」周辺を見て回るか、さもなければ金山駅まわりを軽く見て戻る――というスケジュールにしてみた。
10時に出発。この日も地下鉄24時間券を買い、名城線、鶴舞線、桜通線と乗り継いで「桜山駅」で下車し、「名古屋市博物館」へ。24時間券で入館料が50円割引になった。
博物館なので、例によって石器だの骨だのが多く並べられているので、そのあたりはささっとスルー。だが、安土桃山時代頃になるとさすがに展示物の厚みが増してくる。「織田信長坐像」は、1583年製の複製の展示だが、秀吉が信長の菩提を弔うために建てた京都総見院に伝えられる像で、こういうのがあるところは名古屋らしい。ジオラマなどで、江戸時代の名古屋城下の様子などがよくわかるのだった。
博物館の前庭ではこども園の幼児たちがおそろいの帽子をかぶって遊んでいる。コロナ蔓延下ではこういう風景がなかなか見られなくなったような気がする。また、近くの高校では入学式があったようで、圧倒的に母親とその娘という組み合わせの歩行者が多数いた。また、各地下鉄の駅では新しい定期券を求める人たちが列をなしていた。こういうのを見て、ようやく新学期なのだなと思える。
(名古屋市博物館)
(展示されていた「織田信長の坐像」)
(博物館前の通りは春らしい気候と雰囲気だった)
この時間に桜山駅近くに来たのは、地下鉄出口すぐの広々とした桜山交差点北西角にある「さくとん」で昼食に味噌カツを味わうためだと言ってもいい。11時半近くになってようやくたどり着くと、ラッキーにも8席しかないカウンターの1席がまだ空いていた。すぐさま確保して、八丁味噌カツ定食690円を注文する。は? 安いんじゃないの。
分厚いロース肉は旨味たっぷり! 甘めの味噌だれはいい塩梅のとろみと濃い味。キャベツも山盛り。卓上の辛子と胡麻ドレを多用して食べる。あまりにもコスパが良すぎ、名古屋にいる間に何回か通いたくなるぐらいで、4桁払わなければ食べられない他の有名店が色褪せたもののように思える名品だった。
(「さくとん」の入った建物は小さな飲食店が並んでいた)
(「さくとん」の八丁味噌カツ定食。うまかったなぁ)
次は、金山から名港線に乗って、「名古屋港」へ。このエリアには水族館などの客寄せ施設がいくつかあって、通常の週末なら家族連れやカップルなどで賑わいそうなところだ。だがコロナで平日の今日は人出が少なくていい按配だ。
(「名古屋港水族館」方面への入り口)
地下鉄名古屋港駅を降りて南方面へと歩いて行くと、港内に係留されていた「南極観測船ふじ」が見えてきた。我が国初の砕氷船として18年間にわたって日本と南極を行き来したもので、今では南極観測の様々なことを紹介する「南極の博物館」に生まれ変わっている。
船内では、南極の自然や南極観測の歴史・南極観測の意義などについて紹介し、当時の船内での暮らしがよくわかるというのだが、料金を払って中を見るよりも、外からの雄姿をタダで眺められればそれで十分に足りる。
(南極観測船ふじ)
「ガーデンふ頭緑地公園」で小休止する。園内に「ふじ」の主錨が置かれていたが、こんな小さい錨であのでっかい船が停泊できるのかと思ってしまう。
掛けたベンチからは、ショッピングモール「JETTY」と、「名古屋港シートレインランド」の観覧車が見える。名古屋人って観覧車が好きなのか? というよりも、これみよがしの何かドーン!としたものをつくって、集まってくる人々に見せびらかして驚かせたい気質のようなものを持っているのかもしれない。中心部にあるド派手な建物やたくさんある地下街などにはそういう考え方が流れていると思う。
ほかにも南極で活躍していた陸上車両や「ふじ」のプロペラシャフト、南極で冬を越して生きていたという犬の「タロとシロの像」もあった。そのうしろにあるグラッシーでドームのような外観の建物は「ポートハウス無料休憩所」で、昼休みのこの時間、中は近くのOLやビジネスマンのランチタイムの場のようになっていた。
(「ガーデンふ頭緑地公園」「ふじ」の主錨。奥は「ポートハウス無料休憩所」)
(緑地公園から望むショッピングモール「JETTY」と、「名古屋港シートレインランド」の観覧車)
(「ふじ」とプロペラシャフトと「タロとシロの像」)
そこから急増の計画立てをして、この日はまず「名古屋市博物館」でお勉強をして、昼は味噌カツを食べ、その後「名古屋港」界隈を歩き、まだ余裕があれば「大須商店街」周辺を見て回るか、さもなければ金山駅まわりを軽く見て戻る――というスケジュールにしてみた。
10時に出発。この日も地下鉄24時間券を買い、名城線、鶴舞線、桜通線と乗り継いで「桜山駅」で下車し、「名古屋市博物館」へ。24時間券で入館料が50円割引になった。
博物館なので、例によって石器だの骨だのが多く並べられているので、そのあたりはささっとスルー。だが、安土桃山時代頃になるとさすがに展示物の厚みが増してくる。「織田信長坐像」は、1583年製の複製の展示だが、秀吉が信長の菩提を弔うために建てた京都総見院に伝えられる像で、こういうのがあるところは名古屋らしい。ジオラマなどで、江戸時代の名古屋城下の様子などがよくわかるのだった。
博物館の前庭ではこども園の幼児たちがおそろいの帽子をかぶって遊んでいる。コロナ蔓延下ではこういう風景がなかなか見られなくなったような気がする。また、近くの高校では入学式があったようで、圧倒的に母親とその娘という組み合わせの歩行者が多数いた。また、各地下鉄の駅では新しい定期券を求める人たちが列をなしていた。こういうのを見て、ようやく新学期なのだなと思える。
(名古屋市博物館)
(展示されていた「織田信長の坐像」)
(博物館前の通りは春らしい気候と雰囲気だった)
この時間に桜山駅近くに来たのは、地下鉄出口すぐの広々とした桜山交差点北西角にある「さくとん」で昼食に味噌カツを味わうためだと言ってもいい。11時半近くになってようやくたどり着くと、ラッキーにも8席しかないカウンターの1席がまだ空いていた。すぐさま確保して、八丁味噌カツ定食690円を注文する。は? 安いんじゃないの。
分厚いロース肉は旨味たっぷり! 甘めの味噌だれはいい塩梅のとろみと濃い味。キャベツも山盛り。卓上の辛子と胡麻ドレを多用して食べる。あまりにもコスパが良すぎ、名古屋にいる間に何回か通いたくなるぐらいで、4桁払わなければ食べられない他の有名店が色褪せたもののように思える名品だった。
(「さくとん」の入った建物は小さな飲食店が並んでいた)
(「さくとん」の八丁味噌カツ定食。うまかったなぁ)
次は、金山から名港線に乗って、「名古屋港」へ。このエリアには水族館などの客寄せ施設がいくつかあって、通常の週末なら家族連れやカップルなどで賑わいそうなところだ。だがコロナで平日の今日は人出が少なくていい按配だ。
(「名古屋港水族館」方面への入り口)
地下鉄名古屋港駅を降りて南方面へと歩いて行くと、港内に係留されていた「南極観測船ふじ」が見えてきた。我が国初の砕氷船として18年間にわたって日本と南極を行き来したもので、今では南極観測の様々なことを紹介する「南極の博物館」に生まれ変わっている。
船内では、南極の自然や南極観測の歴史・南極観測の意義などについて紹介し、当時の船内での暮らしがよくわかるというのだが、料金を払って中を見るよりも、外からの雄姿をタダで眺められればそれで十分に足りる。
(南極観測船ふじ)
「ガーデンふ頭緑地公園」で小休止する。園内に「ふじ」の主錨が置かれていたが、こんな小さい錨であのでっかい船が停泊できるのかと思ってしまう。
掛けたベンチからは、ショッピングモール「JETTY」と、「名古屋港シートレインランド」の観覧車が見える。名古屋人って観覧車が好きなのか? というよりも、これみよがしの何かドーン!としたものをつくって、集まってくる人々に見せびらかして驚かせたい気質のようなものを持っているのかもしれない。中心部にあるド派手な建物やたくさんある地下街などにはそういう考え方が流れていると思う。
ほかにも南極で活躍していた陸上車両や「ふじ」のプロペラシャフト、南極で冬を越して生きていたという犬の「タロとシロの像」もあった。そのうしろにあるグラッシーでドームのような外観の建物は「ポートハウス無料休憩所」で、昼休みのこの時間、中は近くのOLやビジネスマンのランチタイムの場のようになっていた。
(「ガーデンふ頭緑地公園」「ふじ」の主錨。奥は「ポートハウス無料休憩所」)
(緑地公園から望むショッピングモール「JETTY」と、「名古屋港シートレインランド」の観覧車)
(「ふじ」とプロペラシャフトと「タロとシロの像」)
2021.04.15
名古屋ステイ 20210407水の2
せっかくここまで来たので、ガーデンふ頭のシンボル「ポートビル」の3、4階にある海に関する博物館「名古屋海洋博物館」を見て行こう。
3階では「日本一の国際貿易港・名古屋港」をテーマに港の役割や人々の暮らしとの関わり、名古屋港の歴史などを紹介していて、実物やパノラマ模型、港の臨場感を体験できるシミュレータもあって、「うみ・ふね・みなと」を楽しく学ぶことができる。名古屋港の港湾空間は名古屋市の面積の3分の1に匹敵する、遠浅の海を浚渫造成した人工港で、日本最大規模なのだという。
4階展示室では、大航海時代に活躍した帆船の模型や海のシルクロードの交易品を展示。海と人々の関わりの歴史を紹介していた。
(「ポートビル」の建物は帆船をイメージしているのだという。そうか?)
(「名古屋海洋博物館」の展示物なのだが……)
(「名古屋港水族館」へと続く橋から。船が動いている港はいい風景だ)
(名古屋港水族館)
(「JETTY」内のフードコート)
港にいるうちに14時を回ってしまったので、今日は大須商店街には行かず、金山の駅周辺を見て帰ることにする。
まずは、駅北口にある再開発商業施設の「アスナル金山」へ。おお、平日だというのにここは多くの若者でにぎわっている。彼らはコロナに感染しても症状がなかったりあっても軽いから、いつもの行動+マスクぐらいの感覚で行動しているのだろうな。こんな午後になっても多くの飲食店には順番待ちの客がいる。2020年春にリニューアルされていて、イベント広場を囲む地層のショッピングモールになっている。こういう状態であれば、あまり自分がいる場所ではないように思う。
(アスナル金山)
(金山駅前、大津通り)
ではまあ、スマホをいじって駅地下にサンドイッチの店「コンパル金山店」を見つけたので、夕食代わりにここで名古屋名物のエビフライサンドをテイクアウトしよう。
だがその前に、駅近くで開いている居酒屋があれば軽く飲んでいこう。へへっ、連日明るいうちから外で飲んでやんの。スマホで歩いてすぐのところに「新時代 金山駅前店」というのがあり、直前の15時にもう開けているので、ここでいいな。
というわけで喜び勇んで入店し、中生にカレー串カツ2本とどてやきを合わせる。中生が190円という安さなのでつい2杯飲んで、2,046円也。ふーん、お通しでボッているな。でもまあ、カレー串カツなんて名古屋でなければなかなか食べられないだろうし、どてやきは価格のわりに量が少なかったがコク味噌味のつゆがうまいのだった。自分は案外このような八丁豆味噌とカレースパイスの文化の中でも平気で生きていけるかもしれない。
(「新時代 金山駅前店」のカレー串カツ)
(同 どてやき。ここではどて煮をそう呼んでいた)
金山の地下街の奥まったところにあり、少しの酔いも手伝ってかなかなか見つけられなかった「コンパル金山店」にて、ようようエビフライサンド980円をゲットする。高いよなぁ。しかし、たかがサンドイッチと甘く見ていたが、お待たせしましたぁと渡されたものを持ってみれば、ずっしりと重い。夜に飲んだ後にこれを食べればもう途中のつまみはいらないだろう。
16時15分ホテル戻り。この日は12,000歩ほど歩いた。
日本水泳選手権が始まる17時までの少しの時間は、今朝からのログ付けをする。できるだけ遅れないように書いていかないと、だんだん溜まってくるので。
毎日10時頃に出て、15~16時頃には戻って、夜の部屋飲みを始める前に書き物を始めるというくらいのペースがいいのかもしれない。
18時を過ぎてから、部屋飲みを開始。飲んだ後にエビフライサンドを食べる。
部屋で明るいうちに写真を撮ったが、断層部分を手で無理やり上に向けたので、写りは不格好だ。
エビフライの香ばしさに加えて、卵焼き、キャベツ、バター、ソース、ハチミツの風味もあり、これは出来がいい。高いなんて言ってゴメンナサイ。
(「コンパル金山店」のエビフライサンド)
飲んでいる途中につれあいから電話があり、歯医者に行きたいと大騒ぎしていた施設入居している母は、散々周辺の人々を煩わせて訪問診療を受けたという。訪問診療自体についても信用ならないと騒いだらしい。結果は、まったく予想したとおりで、親不知がぐらついていて、そこに薬を打ってもらっただけで痛みは消え、入れ歯が合わないと訴えている点についてもそんなことはないということだったらしい。その程度のことで、少ない体力を浪費して病院に行くなどと騒ぐのはもうやめてほしいのだ。
23時近くまでモノカキを続行し、本日分のログ付けを粗々ながらまとめ終える。初日からの画像の処理ができていないのでまだブログにはアップロードできていないが、もう少しだけ拍車をかければ明日以降はそれもやれるかもしれない。まあ、無理をせず、のんびりと行こう。
「日本にとって沖縄とは何か」を30ページ読んで、眠りへ。
この日は、初めて緊急事態宣言が発出されてから満1年となった日だった。始まったのはもっと前だから、人類は世界的にずいぶん長い間、通常の暮らしができない我慢を強いられていることになる。
3階では「日本一の国際貿易港・名古屋港」をテーマに港の役割や人々の暮らしとの関わり、名古屋港の歴史などを紹介していて、実物やパノラマ模型、港の臨場感を体験できるシミュレータもあって、「うみ・ふね・みなと」を楽しく学ぶことができる。名古屋港の港湾空間は名古屋市の面積の3分の1に匹敵する、遠浅の海を浚渫造成した人工港で、日本最大規模なのだという。
4階展示室では、大航海時代に活躍した帆船の模型や海のシルクロードの交易品を展示。海と人々の関わりの歴史を紹介していた。
(「ポートビル」の建物は帆船をイメージしているのだという。そうか?)
(「名古屋海洋博物館」の展示物なのだが……)
(「名古屋港水族館」へと続く橋から。船が動いている港はいい風景だ)
(名古屋港水族館)
(「JETTY」内のフードコート)
港にいるうちに14時を回ってしまったので、今日は大須商店街には行かず、金山の駅周辺を見て帰ることにする。
まずは、駅北口にある再開発商業施設の「アスナル金山」へ。おお、平日だというのにここは多くの若者でにぎわっている。彼らはコロナに感染しても症状がなかったりあっても軽いから、いつもの行動+マスクぐらいの感覚で行動しているのだろうな。こんな午後になっても多くの飲食店には順番待ちの客がいる。2020年春にリニューアルされていて、イベント広場を囲む地層のショッピングモールになっている。こういう状態であれば、あまり自分がいる場所ではないように思う。
(アスナル金山)
(金山駅前、大津通り)
ではまあ、スマホをいじって駅地下にサンドイッチの店「コンパル金山店」を見つけたので、夕食代わりにここで名古屋名物のエビフライサンドをテイクアウトしよう。
だがその前に、駅近くで開いている居酒屋があれば軽く飲んでいこう。へへっ、連日明るいうちから外で飲んでやんの。スマホで歩いてすぐのところに「新時代 金山駅前店」というのがあり、直前の15時にもう開けているので、ここでいいな。
というわけで喜び勇んで入店し、中生にカレー串カツ2本とどてやきを合わせる。中生が190円という安さなのでつい2杯飲んで、2,046円也。ふーん、お通しでボッているな。でもまあ、カレー串カツなんて名古屋でなければなかなか食べられないだろうし、どてやきは価格のわりに量が少なかったがコク味噌味のつゆがうまいのだった。自分は案外このような八丁豆味噌とカレースパイスの文化の中でも平気で生きていけるかもしれない。
(「新時代 金山駅前店」のカレー串カツ)
(同 どてやき。ここではどて煮をそう呼んでいた)
金山の地下街の奥まったところにあり、少しの酔いも手伝ってかなかなか見つけられなかった「コンパル金山店」にて、ようようエビフライサンド980円をゲットする。高いよなぁ。しかし、たかがサンドイッチと甘く見ていたが、お待たせしましたぁと渡されたものを持ってみれば、ずっしりと重い。夜に飲んだ後にこれを食べればもう途中のつまみはいらないだろう。
16時15分ホテル戻り。この日は12,000歩ほど歩いた。
日本水泳選手権が始まる17時までの少しの時間は、今朝からのログ付けをする。できるだけ遅れないように書いていかないと、だんだん溜まってくるので。
毎日10時頃に出て、15~16時頃には戻って、夜の部屋飲みを始める前に書き物を始めるというくらいのペースがいいのかもしれない。
18時を過ぎてから、部屋飲みを開始。飲んだ後にエビフライサンドを食べる。
部屋で明るいうちに写真を撮ったが、断層部分を手で無理やり上に向けたので、写りは不格好だ。
エビフライの香ばしさに加えて、卵焼き、キャベツ、バター、ソース、ハチミツの風味もあり、これは出来がいい。高いなんて言ってゴメンナサイ。
(「コンパル金山店」のエビフライサンド)
飲んでいる途中につれあいから電話があり、歯医者に行きたいと大騒ぎしていた施設入居している母は、散々周辺の人々を煩わせて訪問診療を受けたという。訪問診療自体についても信用ならないと騒いだらしい。結果は、まったく予想したとおりで、親不知がぐらついていて、そこに薬を打ってもらっただけで痛みは消え、入れ歯が合わないと訴えている点についてもそんなことはないということだったらしい。その程度のことで、少ない体力を浪費して病院に行くなどと騒ぐのはもうやめてほしいのだ。
23時近くまでモノカキを続行し、本日分のログ付けを粗々ながらまとめ終える。初日からの画像の処理ができていないのでまだブログにはアップロードできていないが、もう少しだけ拍車をかければ明日以降はそれもやれるかもしれない。まあ、無理をせず、のんびりと行こう。
「日本にとって沖縄とは何か」を30ページ読んで、眠りへ。
この日は、初めて緊急事態宣言が発出されてから満1年となった日だった。始まったのはもっと前だから、人類は世界的にずいぶん長い間、通常の暮らしができない我慢を強いられていることになる。
2021.04.16
名古屋ステイ 20210408木の1
尿意のため6時起床。前日に水分を摂り過ぎたのと、ホテルでは自宅のように湯に浸かって汗をかくことがないので、旅の間はいつもこういうことになる。
冷蔵庫からペットの茶を出すと、ガシガシに凍って飲めなくなっている。あれ?昨日はそんなことはなかったのだけどな。洗面台で湯をかけて解かし、何とか飲む。
いつもよりも1時間早く起きると余裕のある朝となって、なかなかいいものだ。
今日も晴れ。まずは本日の日程だが、市街の中心部の栄界隈、久屋大通り周辺をのんびりと散策することにする。一番のねらいは昼にあんかけスパを食べることで、そのエリアの名店2店を把握している。地下鉄24時間券は4回以上乗らないとペイしないので、この日はいらないかな。
出発までの時間は、ここまでに撮ってきた写真をブログ掲載用に加工する作業をして、なんとか一昨日分まで処理する。こうなると、旅をしているうちからブログに記事を公開していくことは可能なようだ。
10時02分までなら昨日買った24時間券が使えるので、少し早く出て地下鉄で栄駅に向かう。
まずは栄駅の北東角にある「オアシス21」を見る。
屋上階の水の宇宙船、地上階の緑の大地、1階のバスターミナル、地下階の銀河の広場、ショップからなっている立体型公園。夜にライトアップされる水の宇宙船は人気のフォトジェニックスポットなのだという。こういう必要以上に派手なものを街の真ん中につくってしまう名古屋人はかなりの見栄っ張りなのだろうな。
(「オアシス21」の1)
(「オアシス21」の2)
そのすぐ隣りは「愛知芸術文化センター」だ。
大ホール、コンサートホール、小ホールからなる芸術文化の最大級の複合施設で、「愛知県美術館」も入っている。でっかいなあ。この時間にはイベントがないが、それでも少しの人の動きはある。地方にあるこの手のハコは公演がないと本当に無人になるものなのだけど。内部の写真を撮ろうと思った中に入ったが、構造物が大き過ぎてファインダーに入らないので撮れず。
飲食店が開くまで少し時間があるので、しばらく「緑の大地」のベンチで本を手に休憩する。シャツ1枚で暑くも寒くもない、春らしいいい気候だ。こういう“なかゆくい”の時間が60過ぎの人間には必要なのだ。
(愛知芸術文化センター)
そうするうち時間は11時。よーし、メシだ。腹には今朝から固形物が入っていないから、腹が減った。
「ユウゼン総本店」と「スパゲッティハウスそ~れ」の2店のうちから、あんかけスパ「発祥の店」としてあんスパの歴史を作った店のひとつとされる「そ~れ」をチョイスする。
東北人にとってはなじみの薄いあんかけスパとは、和食や中華の“あん”のようなとろみとコショウの辛みがピリッと効いたソースが特徴で、極太のパスタを用い、茹でた後にラードで炒めてコーティング。具のトッピングでバリエーションを出し、ハム主体のミラネーゼ、野菜中心のカントリーを組み合わせた通称“ミラカン”が定番中の定番なのだという。「スパゲティハウスヨコイ」の創業者がイタリアの家庭料理をヒントに昭和30年代に考案。あんかけスパの呼び方が生まれたのは50年代で、「からめ亭」がTV取材の際に発言し、やがてその名称が定着した。県内には多数の専門店がある。
「そ~れ」のミラカン900円。
ソースの色がほんのり赤みを帯びていて見た目がとてもきれいだ。想像以上に量が多く、他の客たちも「だんだんおなかがいっぱいになってきた」と言いながら食べている。この手の店で客の多くが男性であることも、東北人にとっては極めて意外だ。
赤いウインナー、フレッシュなトマト、薄くスライスしたタマネギなどが載っている。これはおいしい。はやる理由がよくわかる。食べ進めるにしたがって最後に多くの具材が残ってしまうのだが、これをじわじわ減らしていく作業も楽しい。
おいしいだろうとは思っていたが、その予想を超える満足感あり。メニューには「Since1961 あんかけスパ発祥の店」とあった。
(「スパゲッティハウスそ~れ」のミラカン)
「名古屋テレビ塔」。
1954年に日本で最初に建てられた集約電波塔で、国の登録有形文化財になっている。開業以来初めてとなる全体改修工事を経て、2020年9月に新たな街のランドマークとして生まれ変わったばかりだ。
「希望の泉」前からテレビ塔を望む。900円払ってまで塔に上がることはしない。
(地下鉄栄駅入口と「名古屋テレビ塔」)
(「希望の泉」とテレビ塔)
(デカくて納まらないのでナナメ撮りで)
(タワーの“足元”はこんな感じだ)
地下鉄久屋大通駅の真上に位置する徒歩橋のセントラルブリッジから桜通りを眺めて、「久屋大通公園」へ。
テレビ塔周辺の改修工事を終えて、ここも2020年秋にオープンしたばかりだ。全国の人気店をはじめ、飲食・物販あわせて約35店舗が出店し、市民の日常的な憩いの場としての役割はもちろん、ファッション、スポーツ、グルメ、コミュニケーション、リフレッシュなどのサービスを提供している。すっかり弛緩して歩いていたためか、公園の写真を撮り忘れているのだった。
(徒歩橋上から「桜通久屋西」交差点付近を望む)
冷蔵庫からペットの茶を出すと、ガシガシに凍って飲めなくなっている。あれ?昨日はそんなことはなかったのだけどな。洗面台で湯をかけて解かし、何とか飲む。
いつもよりも1時間早く起きると余裕のある朝となって、なかなかいいものだ。
今日も晴れ。まずは本日の日程だが、市街の中心部の栄界隈、久屋大通り周辺をのんびりと散策することにする。一番のねらいは昼にあんかけスパを食べることで、そのエリアの名店2店を把握している。地下鉄24時間券は4回以上乗らないとペイしないので、この日はいらないかな。
出発までの時間は、ここまでに撮ってきた写真をブログ掲載用に加工する作業をして、なんとか一昨日分まで処理する。こうなると、旅をしているうちからブログに記事を公開していくことは可能なようだ。
10時02分までなら昨日買った24時間券が使えるので、少し早く出て地下鉄で栄駅に向かう。
まずは栄駅の北東角にある「オアシス21」を見る。
屋上階の水の宇宙船、地上階の緑の大地、1階のバスターミナル、地下階の銀河の広場、ショップからなっている立体型公園。夜にライトアップされる水の宇宙船は人気のフォトジェニックスポットなのだという。こういう必要以上に派手なものを街の真ん中につくってしまう名古屋人はかなりの見栄っ張りなのだろうな。
(「オアシス21」の1)
(「オアシス21」の2)
そのすぐ隣りは「愛知芸術文化センター」だ。
大ホール、コンサートホール、小ホールからなる芸術文化の最大級の複合施設で、「愛知県美術館」も入っている。でっかいなあ。この時間にはイベントがないが、それでも少しの人の動きはある。地方にあるこの手のハコは公演がないと本当に無人になるものなのだけど。内部の写真を撮ろうと思った中に入ったが、構造物が大き過ぎてファインダーに入らないので撮れず。
飲食店が開くまで少し時間があるので、しばらく「緑の大地」のベンチで本を手に休憩する。シャツ1枚で暑くも寒くもない、春らしいいい気候だ。こういう“なかゆくい”の時間が60過ぎの人間には必要なのだ。
(愛知芸術文化センター)
そうするうち時間は11時。よーし、メシだ。腹には今朝から固形物が入っていないから、腹が減った。
「ユウゼン総本店」と「スパゲッティハウスそ~れ」の2店のうちから、あんかけスパ「発祥の店」としてあんスパの歴史を作った店のひとつとされる「そ~れ」をチョイスする。
東北人にとってはなじみの薄いあんかけスパとは、和食や中華の“あん”のようなとろみとコショウの辛みがピリッと効いたソースが特徴で、極太のパスタを用い、茹でた後にラードで炒めてコーティング。具のトッピングでバリエーションを出し、ハム主体のミラネーゼ、野菜中心のカントリーを組み合わせた通称“ミラカン”が定番中の定番なのだという。「スパゲティハウスヨコイ」の創業者がイタリアの家庭料理をヒントに昭和30年代に考案。あんかけスパの呼び方が生まれたのは50年代で、「からめ亭」がTV取材の際に発言し、やがてその名称が定着した。県内には多数の専門店がある。
「そ~れ」のミラカン900円。
ソースの色がほんのり赤みを帯びていて見た目がとてもきれいだ。想像以上に量が多く、他の客たちも「だんだんおなかがいっぱいになってきた」と言いながら食べている。この手の店で客の多くが男性であることも、東北人にとっては極めて意外だ。
赤いウインナー、フレッシュなトマト、薄くスライスしたタマネギなどが載っている。これはおいしい。はやる理由がよくわかる。食べ進めるにしたがって最後に多くの具材が残ってしまうのだが、これをじわじわ減らしていく作業も楽しい。
おいしいだろうとは思っていたが、その予想を超える満足感あり。メニューには「Since1961 あんかけスパ発祥の店」とあった。
(「スパゲッティハウスそ~れ」のミラカン)
「名古屋テレビ塔」。
1954年に日本で最初に建てられた集約電波塔で、国の登録有形文化財になっている。開業以来初めてとなる全体改修工事を経て、2020年9月に新たな街のランドマークとして生まれ変わったばかりだ。
「希望の泉」前からテレビ塔を望む。900円払ってまで塔に上がることはしない。
(地下鉄栄駅入口と「名古屋テレビ塔」)
(「希望の泉」とテレビ塔)
(デカくて納まらないのでナナメ撮りで)
(タワーの“足元”はこんな感じだ)
地下鉄久屋大通駅の真上に位置する徒歩橋のセントラルブリッジから桜通りを眺めて、「久屋大通公園」へ。
テレビ塔周辺の改修工事を終えて、ここも2020年秋にオープンしたばかりだ。全国の人気店をはじめ、飲食・物販あわせて約35店舗が出店し、市民の日常的な憩いの場としての役割はもちろん、ファッション、スポーツ、グルメ、コミュニケーション、リフレッシュなどのサービスを提供している。すっかり弛緩して歩いていたためか、公園の写真を撮り忘れているのだった。
(徒歩橋上から「桜通久屋西」交差点付近を望む)
2021.04.17
名古屋ステイ 20210408木の2
県民・市民から寄せられた戦争に関する実物資料を展示している「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」にも立ち寄る。
資料館が入っている「愛知県庁大津橋分室」は、1933年に竣工した歴史的建物で、昭和初期に流行したスクラッチタイルや手の込んだ漆喰装飾などを見ることができる。地中から発見された250キロ爆弾の実物、集束焼夷弾の模型、名古屋空襲のCG等があり、手づくり感のある内容になっている。常時放映している戦争体験ビデオ「草の根の語りべたち」も興味深く見る。入館無料なのがいい。
(「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」が入る「愛知県庁大津橋分室」(右))
(いちおう展示物の一部も撮ってみた)
そこから大津通りをさらに北に進むと、名古屋の官庁街となる。その北西は名古屋城だが、そこは日を改めて見ることにしよう。
「愛知県庁」。一般的なオフィスビルに城郭のような屋根を載せた変わったつくりの建物になっている。ツートーンの壁の色も風変わりとしか言いようがなく、この美的センスも名古屋独特のものなのではないだろうか。近くでは「大村知事はこの建物から早く出て行ってほしい」とスピーカーを通して訴えているヒトがいた。
(愛知県庁舎)
県庁舎の並びには「名古屋市役所本庁舎」がある。
1935年竣工の、名古屋市役所の3代目となる庁舎で、国の重要文化財であるとのこと。中央には時計塔がそびえ、名古屋城天守閣を意識した塔屋の屋上には四方をにらむシャチが載っているなど、名古屋城との調和を図った点が見られる。西洋的な建築様式に日本的な要素が取り込まれ、内部の廊下や階段の装飾には目を見張るものがあるといい、NHKドラマ「坂の上の雲」でも2回ロケが行われたらしい。
(名古屋市役所本庁舎)
「名古屋市市政資料館」。
国の重要文化財「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」を保存・公開している。1922年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、79年まで裁判所だったものを、89年より名古屋市が市政資料館として使っている。名古屋市の公文書館にもなっている。
もともと地方ではなくお国の建物だけあって、かなり立派だ。某県が旧県庁舎を保存・公開しているが、軽くそれを凌駕している。展示物なども名古屋のほうが上だ。ここも無料で見ることができる。
(「名古屋市市政資料館」の外観)
(同 エントランスホールの階段)
(同 会議室)
(同 法廷)
時間は14時。今日は足が痛いのであまりがんばらず、このあたりで戻ることにしよう。まっすぐ帰ってもいいが、本日の2食目はどうしようか。部屋に戻ってから夜に総菜で済ませようか。それとも、ここは少し早いけれども戻る前にどこかで食べて、夜は飲むだけにしてもいい。むしろ後者がいい。
ということで、まだ食べていない味噌煮込みうどんを食べることにして、久屋大通駅近くの「山本屋本店桜通大津店」まで1km弱を歩いて行く。
「山本屋本店桜通大津店」の玉子入り味噌煮込みうどん1,100円。
ファストフード店のような店構えなのに拍子抜けしたが、味噌煮込みの最安がこれで、価格は一丁前。まあ、一度ならいいが、二度までは入らないだろうな。
ぐつぐつとした石鍋のフタに熱々のうどんを取り分けて啜る。うどんがダレないようにとの配慮か、極硬の茹ででびっくり。ど茶色のスープにはご飯を投入して雑炊風にして食べたいところだが、あんかけスパが効いていてそうできないのが少々残念なところだ。レンゲでスープだけ飲むと、どこかに蕎麦湯のような味わいがある。たぶん、小麦だけではなく蕎麦も使っているのだろうと思う。
途中から入ってきた太り気味タトゥー腕の若者。マスクをしていず、大声でしゃべる上に咳までブハブハやっている。こういう猿レベルの想像力しか持っていないバカってまだいるんだな。ならばこちらは急ぎ退散しよう。
(山本屋本店桜通大津店)
(「山本屋本店桜通大津店」の玉子入り味噌煮込みうどん)
セブンの東別院駅南店で各種飲み物を買って、15時10分帰投。この日の歩数は11,000歩。足にはかなりのガタがきている。
ひと息ついてテレビを点けると、なでしこジャパンの1年ぶりの国際親善試合のパラグアイ戦を中継していたので、これを観る。そして、17時からは日本水泳選手権。ぼーっとしてテレビを観るだけでは物足りないので、缶チューハイを飲み始める。外はまだ明るいんだけどな。
空腹は十分に満たされているので、飲むだけにする。池江は100m自由形の個人としての派遣記録には届かなかったが、リレーで五輪出場となった。
名古屋では、「バンテリンドームナゴヤ」で開催される中日ドラゴンズのホームゲームは、どこかの民放が放送しているようだ。この夜はテレビ愛知でDeNA戦をやっていたので、それにチャンネルを合わせて、撮ってきた写真の加工作業を続ける。まあ、ほとんど酔っているのでペースは遅いけど。
22時過ぎには減速し始め、本を手にベッドに入ったが、それもすぐに落ちた。この日の読書は「日本にとって沖縄とは何か」を40ページ。ほどよく疲れている。
資料館が入っている「愛知県庁大津橋分室」は、1933年に竣工した歴史的建物で、昭和初期に流行したスクラッチタイルや手の込んだ漆喰装飾などを見ることができる。地中から発見された250キロ爆弾の実物、集束焼夷弾の模型、名古屋空襲のCG等があり、手づくり感のある内容になっている。常時放映している戦争体験ビデオ「草の根の語りべたち」も興味深く見る。入館無料なのがいい。
(「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」が入る「愛知県庁大津橋分室」(右))
(いちおう展示物の一部も撮ってみた)
そこから大津通りをさらに北に進むと、名古屋の官庁街となる。その北西は名古屋城だが、そこは日を改めて見ることにしよう。
「愛知県庁」。一般的なオフィスビルに城郭のような屋根を載せた変わったつくりの建物になっている。ツートーンの壁の色も風変わりとしか言いようがなく、この美的センスも名古屋独特のものなのではないだろうか。近くでは「大村知事はこの建物から早く出て行ってほしい」とスピーカーを通して訴えているヒトがいた。
(愛知県庁舎)
県庁舎の並びには「名古屋市役所本庁舎」がある。
1935年竣工の、名古屋市役所の3代目となる庁舎で、国の重要文化財であるとのこと。中央には時計塔がそびえ、名古屋城天守閣を意識した塔屋の屋上には四方をにらむシャチが載っているなど、名古屋城との調和を図った点が見られる。西洋的な建築様式に日本的な要素が取り込まれ、内部の廊下や階段の装飾には目を見張るものがあるといい、NHKドラマ「坂の上の雲」でも2回ロケが行われたらしい。
(名古屋市役所本庁舎)
「名古屋市市政資料館」。
国の重要文化財「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」を保存・公開している。1922年に建てられたネオ・バロック様式のレンガ造建築物で、79年まで裁判所だったものを、89年より名古屋市が市政資料館として使っている。名古屋市の公文書館にもなっている。
もともと地方ではなくお国の建物だけあって、かなり立派だ。某県が旧県庁舎を保存・公開しているが、軽くそれを凌駕している。展示物なども名古屋のほうが上だ。ここも無料で見ることができる。
(「名古屋市市政資料館」の外観)
(同 エントランスホールの階段)
(同 会議室)
(同 法廷)
時間は14時。今日は足が痛いのであまりがんばらず、このあたりで戻ることにしよう。まっすぐ帰ってもいいが、本日の2食目はどうしようか。部屋に戻ってから夜に総菜で済ませようか。それとも、ここは少し早いけれども戻る前にどこかで食べて、夜は飲むだけにしてもいい。むしろ後者がいい。
ということで、まだ食べていない味噌煮込みうどんを食べることにして、久屋大通駅近くの「山本屋本店桜通大津店」まで1km弱を歩いて行く。
「山本屋本店桜通大津店」の玉子入り味噌煮込みうどん1,100円。
ファストフード店のような店構えなのに拍子抜けしたが、味噌煮込みの最安がこれで、価格は一丁前。まあ、一度ならいいが、二度までは入らないだろうな。
ぐつぐつとした石鍋のフタに熱々のうどんを取り分けて啜る。うどんがダレないようにとの配慮か、極硬の茹ででびっくり。ど茶色のスープにはご飯を投入して雑炊風にして食べたいところだが、あんかけスパが効いていてそうできないのが少々残念なところだ。レンゲでスープだけ飲むと、どこかに蕎麦湯のような味わいがある。たぶん、小麦だけではなく蕎麦も使っているのだろうと思う。
途中から入ってきた太り気味タトゥー腕の若者。マスクをしていず、大声でしゃべる上に咳までブハブハやっている。こういう猿レベルの想像力しか持っていないバカってまだいるんだな。ならばこちらは急ぎ退散しよう。
(山本屋本店桜通大津店)
(「山本屋本店桜通大津店」の玉子入り味噌煮込みうどん)
セブンの東別院駅南店で各種飲み物を買って、15時10分帰投。この日の歩数は11,000歩。足にはかなりのガタがきている。
ひと息ついてテレビを点けると、なでしこジャパンの1年ぶりの国際親善試合のパラグアイ戦を中継していたので、これを観る。そして、17時からは日本水泳選手権。ぼーっとしてテレビを観るだけでは物足りないので、缶チューハイを飲み始める。外はまだ明るいんだけどな。
空腹は十分に満たされているので、飲むだけにする。池江は100m自由形の個人としての派遣記録には届かなかったが、リレーで五輪出場となった。
名古屋では、「バンテリンドームナゴヤ」で開催される中日ドラゴンズのホームゲームは、どこかの民放が放送しているようだ。この夜はテレビ愛知でDeNA戦をやっていたので、それにチャンネルを合わせて、撮ってきた写真の加工作業を続ける。まあ、ほとんど酔っているのでペースは遅いけど。
22時過ぎには減速し始め、本を手にベッドに入ったが、それもすぐに落ちた。この日の読書は「日本にとって沖縄とは何か」を40ページ。ほどよく疲れている。