2024.03.09
ドバラダ門 山下洋輔
朝日文庫 960円+税
2017年12月30日 第1刷発行
2024年読了の、第1冊目です。
「明治の五大監獄」を造ったおれのじいさん、山下啓次郎。そこから始まるルーツ探しは、幕末明治の薩摩魂しゃばどび大騒ぎ。ローヤも造れば国も造る、時空を超えた大ジャムセッション、轟くは31億5360万秒の霹靂!――文壇をも席捲した超絶小説。幕末明治のヒーロー全員集結! 西郷が叩き、大久保が弾き、川路が吹きまくる怒涛のセッション、明治国家はこうして生まれた。超ド級展開、伝説的傑作小説が奇跡の復活。(「BOOK」データベースより)
と、文字ばかりが踊りまくっている紹介文ですが、ここまで書かれると内容が、著者であるミュージシャンが陥りやすい自己陶酔的なものになってはいまいかと、読む前から心配になってきます。(笑)
当方にとってはこれが4冊目のヨースケ本となりますが、前に読んだ「山下洋輔の文字化け日記」にはそういう面で辟易し切った覚えがあるので、578ページの大部を読み通せるかどうか、不安を持ちながら読み始めました。
しかし、実際に読んでみればやはりハチャメチャな書きぶりではあるものの、「文字化け日記」よりはずっと読めることがわかりました。まあ、相変わらずスッ飛び過ぎた内容のため理解の域を超えてすんなりと入ってこないところはあるのですが……。
4分の1ほど読んだ先あたりになってようやく、西郷隆盛や川路利良らの人物に関する記述や西南戦争の史実などに迫る場面などがクローズアップされてきて、そうそう、ハチャメチャも悪くないけれどもこういうものが読みたかったんだよという、いい流れになってきます。これらの歴史的側面については、ヨースケも司馬遼太郎の長編歴史小説「翔ぶが如く」を読んで、確認・理解したようです。
「翔ぶが如く」は、明治維新の立役者となった薩摩藩士の西郷隆盛と大久保利通の友情と決別を軸に、征韓論・明治6年政変などを経て、神風連の乱などの不平士族の反乱、西南戦争の決起と展開を、鳥瞰的手法で描いたものであるとのこと。いずれ文庫全10巻のこれも読んでみる必要がありそうです。
(2024.1.1 読)
2024.04.05
インド旅行記3 東・西インド編 中谷美紀
幻冬舎文庫 495円+税
2006年12月10日 第1刷発行
北インド、南インドときたら、東も西にも行ってしまえ! とガイドブックも忘れ、東インドへ出発。空港ではインド人と話し込み飛行機に乗り遅れ、宿泊先のホテルでは見ず知らずの小学校の同窓会になぜか加わり、昔話に花を咲かせるはめに……。道ばたで青年にお菓子を恵まれるまでに逞しくなった中谷美紀。大好評、インド旅行記シリーズ最終巻!(カバー裏表紙から)
というもので、2005年だから、中谷が29歳のときのインド旅行記の、これが3冊目の完結編。
今回は、前回の南インドめぐりの約1か月後に、東インドは15日間、その6日後に旅立った西インドは16日間の旅だったようです。
3冊読んでけっこう楽しませてもらいました。読後の拙い感想を書くよりも、ここは旅した翌年に中谷自身が記した当著の「あとがき」を引用したほうが、内容を理解するのにふさわしいでしょう。
「あとがき」
ジリジリと肌を焦がすようなインドの熱や、埃っぽい空気、どこからともなくただよう臭気、クラクションがひっきりなしに鳴る喧騒などから離れて久しいけれど、加筆修正するために当時の日記を読み返すと、途端に記憶を喚起させられ、牛の糞とも泥とも区別のつかぬ路に立っているかのような気になった。
飽きるほど食べたカレー、幾度となく騙されたオートリキシャの排気ガス、人いきれなどをまるでそこにいるかのように感じてしまうのは、インドという国が私の中に相当強烈な印象を残したからに他ならない。
自分探しの旅的な青臭さで彼の地にのめり込むのもどうかと思えて、多少の距離をもって、冷静に物事を捉えていたつもりであるし、人生観が変わるなんて大袈裟だと思っていたつもりであっても、認めたくはないけれど、何かがわずかに変わってしまったような気がする。
多かれ少なかれ価値観や習慣の違いはあるものの、同じ地球の同じ人間がそこに生きているだけだと思っていたはずなのに……。
日々の糧を得るために、あるいは親の怠慢により、物乞いをせざるを得ない貧しい子供たちを目前にすると、映画で人様に感動していただこうなんて考えが倣慢なことに思えて、それ以前にすべきことがたくさんあることを痛切に感じたし、映画を作り続けることができるのも、観てくださるお客様がいるからであって、むしろ作る側は与えるのではなく、与えられる側なのだと遅ればせながら気付かされたりもした。
かつて少なからず抱いたこともあった厭世的な気持ちもすでに消え去り、善きも悪しきも共にあるこの世を丸ごと慈しみましょうという気持ちになりつつあった折に、ありとあらゆる価値観や宗教、文化が入り混じる国を訪れたことで、己の尺度で他人を計るほど愚かなことはないと、再認識させられた。
そして、いかなる形にせよ、この瞬間をただ生きているということが何にも勝る価値のあることなのだと、改めて気付かせてくれたインドを、大好きだとは言わないが、今は好きだと言いたい。
平成18年11月3日 中谷美紀
(2024.1.2 読)
2024.04.06
長安から北京へ 司馬遼太郎
中公文庫 680円+税
1979年1月10日 初版第1刷
1996年7月18日 改版第1刷発行
司馬によれば、文明と文化のことについては4作品書いていて、それらは「人間の集団について」(1973)、「街道をゆく――南蛮のみち」(1982)、「アメリカ素描」(1986)と、この「長安から北京へ」(1976)だとのことです。当著をもってこれら4作品は完読となります。
熱烈歓迎レセプションの親疎序列から批林批孔の状況を類推し、洛陽の隋唐期地下糧食庫を見て、安禄山を、楊貴妃を、さらに青銅・鉄器文化に思いを致す。歴史の中に生きる作家司馬遼太郎が文革後の中国を行く思索紀行。(カバー裏表紙から)
――というもので、司馬が中国の取材旅行で出会った人たちとのふれあいを描いたエッセイ集といったつくりになっている。初出は、1975~76年の9か月にわたって「中央公論」に「中国の旅」という題で連載されたものです。
なお、「批林批孔」とは、1973~74年に中国で展開された、当時文化大革命の裏切者と評された林彪・孔子を批判する政治運動のことであるとのこと。
司馬の論調は、頭脳明晰さを維持しているお爺さんが昔語りをしているようで、読み手はその長話を詳細までわからないまま脇にいてじっと聴いているような感じ。この論調をずっと読み続けてきていることもあって、それが妙に身に馴染んでくるものがありました。
(2024.1.6 読)
2024.04.08
民族の世界史13 民族交錯のアメリカ大陸 大貫良夫編
山川出版社 3,800円
1984年10月20日 第1刷発行
2023年12月14日、すでにこの年の読書冊数の年間新記録達成が確定したので、年末までの余裕期間を使い、小難しい本の代表となっている「民族の世界史」シリーズの13巻目を読み始めます。
奥付に1996年10月27日と自筆の日付が記されていて、読むのはそれ以来2度目となります。もう27年も前のことなので、内容を覚えているはずなどなく、まったく新鮮な気持ちで読めます。
北アメリカから南アフリカまでの広大な新大陸の人間の歴史を民族の視点から眺めるとき、歴史はどのような姿をとるかといった問題について、探求を試みるものとなっています。
新大陸アメリカは、そこに住む人々の人種的・民族的・文化的系統が異質で、新大陸の各国家はいずれも複数の民族を抱えているので、それらが国の政治・経済はもとより、国家間の関係にも少なからぬ影響を与えています。
当著はそのようなことを踏まえ、第1部で伝統文化とその変容の歴史を大陸の各地域において概観し、第2部で旧大陸から渡来した人々と先住民の間で生じた混血者の文化形成の歴史を見、第3部ではそれらの歴史がどのような文化的・社会的状況を生み出したかをアメリカ、ペルー、ブラジルを例にとって論じるという流れになっています。
第1部では、北アメリカのインディアンがヨーロッパからの冒険者、植民者たちと接触して以降の状況を興味深く読みます。こういう機会でもないと、アメリカの先住民族について学ぶことはそうあるものではありません。かつてコロラド州で短いホームステイをしたとき、地域の地名や固有名詞に多くのインディアンの部族名が残されていたことを知りましたが、今回読んでみて、あああれも部族名だったのかと気づく場面もありました。
古代アンデス文明に入ったところでは、スペイン語風のカタカナ名詞がたくさん出てくるためウンザリして長続きしなくなる場面も。
メソアメリカの南東端諸国、エクアドル、コロンビア、ベネズエラ東部あたりのことを、メソアメリカと中央アンデスの「中間領域」というのだそうですが、南アメリカ大陸東部の熱帯地域の先史文化へと読み進めていくものの、地理的にあまり親しみのないところだし、知らない歴史、部族、首長国などが次々に出てくるので、辟易することしきり。
16世紀以降新しい住民となった人々の歴史を概観する第2部に入り、アメリカ大陸の征服とヨーロッパ移民の渡来という米大陸史上最もエポックメイキングなところは、読んでいておもしろい。
第2部最後のアメリカ大陸への日本移民についての記述は、興味深い論点でしたが、ここでの記述はあまり深くありませんでした。
続く第3部の「現代アメリカと民族文化」は、具体的な事例を追う形で北米、ペルー、ブラジルの現代の民族問題の実態を論述する、まとめとしてふさわしい内容になっていました。
(2024.1.7 読)
2024.04.09
感傷の街角 大沢在昌
角川文庫 590円+税
1994年9月25日 第1刷
2006年1月30日 第32刷発行
大沢在昌のハードボイルドを読みたくてウズウズしていました。しかしものには順序というものがあって、著者が23歳のときに世に問うたデビュー作の青春ハードボイルド作品から読むべきだろうと、この作品から入ることにしました。佐久間公シリーズ全6作のうちの1冊目でもあり、5作目の「雪螢」は2月ほど前に読んでいて、残る5作品は先頃すべて買い揃えました。
僕がこの依頼を引き受けたのは26歳の不良青年の、11年目の純情が気に入っただけなのかもしれない――。
早川法律事務所に所属する失踪人調査のプロ・佐久間公が、ボトル1本の報酬で引き受けた仕事は、かつて横浜で遊んでいた“元少女”を捜すことだった。手掛りは名前と年齢、期限は3日間。公は11年の歳月を遡るべく車を飛ばした。だが、当時を知る一番の証人は、公の隣の車で胸に穴を開け、すでに冷たくなっていた……。
物語を通して人間を、街を描く佐久間公シリーズ、直木賞作家の原点がここにある。(カバー裏表紙から)
読み進めてみるとこれは長編ではなく、主人公を軸にした7つの連作で構成されています。初日には表題作と「フィナーレの破片」「晒された夜(ブリーチド・ナイト)」をいい感じで150ページ読み進めます。
書かれた当時(1991年)には大盛況だった六本木や新宿のディスコが頻繁に出てくるし、そこで流れていた音楽のアーティスト名が懐かしかったりします。ヤクザや警察が出てくるものの暴力シーンが少ないと思っていたら、6編目の「風が醒めている」で初めて、主人公が暴行を受けるシーンが出てきます。しかもその相手は、ケン・ノートン並みのパンチを繰り出すヘビー級の黒人で、主人公はかなりボコボコにされているのでした。
巻末の、池上冬樹による解説がいいです。そこには池上が高く評価している大沢作品が紹介されていて、「氷の森」「毒猿――新宿鮫Ⅱ」「烙印の森」「夏からの長い旅」などが挙げられていました。これらはいずれ読むことになるでしょう。
また、著者にとって処女作となる当作が12年後、文庫として刊行される時、当人は「……それでゲラを読んだんですけれども、もう、甘いの甘くないのといったら、もうトロトロに甘いんですよね」と述べていることも記されていました。
大沢作品はこれからもどんどん読めそうです。
(2024.1.8 読)
2024.04.11
旅の終りは個室寝台車 宮脇俊三
河出文庫 680円+税
2010年3月20日 第1刷発行
「銀河」「富士」「はやぶさ」「北陸」……寝台列車が毎年のように姿を消していく。25年前、本書に「楽しい列車や車両が合理化の名のもとに消えていくのは淋しいかぎり」と記した宮脇俊三の旅路がいよいよ失われていく。「最長鈍行列車の旅」等々、鉄道嫌いの編集者を伴った津々浦々の鉄道旅を締めくくるのは、今はなき寝台特急「はやぶさ」だった……。(カバー裏表紙から)
これがけっこうおもしろい。1984年初出の作品で、当方にとって、宮脇モノの10冊目となります。
読み始めると、門司から山陰線経由で福知山まで走る、当時の距離最長かつ所要時間も最長の鈍行列車に乗る旅から始まって、国鉄の鉄道やバスを一切使わないで東京から大阪まで行く旅、196kmに92もの駅がある飯田線を鈍行で7時間近くかけて走破する旅など、なんともマニアックで楽しそうな鉄道旅をしています。
風景を文章の背景に置いて、旅の心情を表現する文章もなかなかいいです。
一例を挙げれば、同行編集者の持参した中島みゆきの音源をウォークマンで聴かされる著者。「女は「今夜だけでもきれいになりたい」と唄い、飯田線は伊那谷を走る。線路の継ぎ目の響きが通奏低音のように伝わってくる。葉を落とした冬のケヤキが巨大な箒のシルエットを空に向かって突き立て、白壁に入母屋づくりの民家が車窓を過ぎていく。梨畑があり、桑畑がある。右窓の山の切れ目の奥に木曽山脈の主峰、駒ヶ岳の頂が姿を現した。耳から唄、眼に車窓風景、尻からは線路の振動、いわば超総合芸術で……」といった具合です。
続く項は、東北新幹線の増発に伴って東京から札幌までその日のうちに到達できるようになったダイヤで16時間かけて札幌へ。そのついでに真冬の流氷を見に、オホーツク海の紋別から稚内へ。
次には、寝台車で紀伊半島を一周し、青森-大阪間を走る特急「白鳥」の全区間を制覇し、積雪8mになんなんとする飯山・只見線の東京日帰り旅。さらには、船を3回も使って四国を横断して九州熊本へと進む中央構造線の旅、その帰りには西鹿児島から特急「はやぶさ」の個室寝台で東京に戻っているのでした。
……びっくりするほどマニアックです。
(2024.1.11 読)
2024.04.12
標的走路 大沢在昌
文春ネスコ 1,600円+税
2002年12月10日 第1刷
2002年12月25日 第2刷発行
読みかけの本が2冊あるにもかかわらず、大沢ハードボイルドが読みたくてこの本に手を付けました。
1970年代に書かれた「感傷の街角」(発売自体は1982年で、こちらのほうがあと)に続いて、書下ろし長編小説として1980年に発表された、佐久間公シリーズの第2弾という位置づけのもの。当出版物はそれを加筆修正する形で、2002年に一般書として再発売されたもので、文庫本ではありません。
1986年8月発売の双葉文庫の内容紹介は、以下のとおりとなっています。
「嵐の軽井沢を舞台に国際謀略の渦中に挑む若き探偵佐久間公の本業は失踪人探し。中東の産油国ラクールから来た留学生が失踪し、その行方を追ううち、佐久間は巨大な国際謀略の渦中に巻き込まれる。ヨーロッパから来日した正体不明の老人、利権を漁る商社、国家情報機関とそのダミー、佐久間を執拗につけ狙う爆弾魔……。事件の鍵を握る少年を追って、佐久間は大型台風の吹き荒れる軽井沢へ潜入する。」
行方不明となったカセムと名乗る留学生はJ大学の国際学部に籍を置きますが、これは上智大学のことでしょう。公は、調べていくうちに、カセムを探す者たちが何組かあることに気づきます。なぜ皆が彼を追うのか――。
軽井沢にある孤立した山荘で大殺戮が起こるところがクライマックスですが、多くの登場人物のキャラクターが読み手に馴染んでこないうちにストーリーが進んでいくため、理解が追いついていかないうらみもありました。
(2024.1.15 読)