2022.08.01
20220731 日
昨晩は飲酒量を500から350mlに落としたのがよかったのか、尿意に起こされることなく5時過ぎ起床。朝から物音を立ててはいけないという自制が働き、6時過ぎまでベッドで読書。暑くないし、眠気も解消しているので、わりとすいすいと読める。
(okinawa-image)
なんとか涼しいうちにと、7時過ぎから金沢ステイのブログ記事作成を行う。旅の最終日とその前日の2日分をこしらえ終えて、あとはブログサーバにアップロードするだけというところまで。これを11時までに済ませる。ふふん、概ね4時間の実働か。
まあまあ、善戦しているのではないかと思うが、その頃になるとパソコンに向かって作業をしているだけでTシャツの背中の部分がじっとりしてくる暑さになってきた。いったん切り上げて、これからの時間帯は読書と昼寝にしよう。
熱中症警戒アラートが発令されている危険な暑さとなり、外で食べるのも億劫なので、昼食は家でそばを茹でてもらい、てんぷらと共に食べる。
そうは言っても用事があるので外出しなければならない。昨日のうちに母が退院したS病院から連絡が入り、渡し忘れた内服薬があるので引き取りに来てほしいとのこと。服用を止めている薬なので急ぐ必要などないのだが、病院としては早く返してケリをつけたいのだろう。13時前にちょいと出かけ、返却されたのは1~2回分の少しの量。こんなの戻さなくていいよって感じだろ。
帰宅途中に水分補給用の重たいペットボトル2lを4本買う。
(保育園ではみんなで昼寝)
午後ははじめからこの暑さに対する無抵抗を決め込み、本をお供にごろ寝へと移行する。フローリングに横になればほぼすぐに眠気がやって来る。この白旗作戦が功を奏し、わりと心地よいうたた寝ができた。あとで最高気温を確認すると、15時少し前の35.0℃がこの日のピークだったようだ。昨日よりもちょっぴり低い。
夜のルーチンをこなし終えて21時。ふつうならもうひとワークやりたいところだが、スバヤク眠ってしまい、明日の朝早くから活動したほうが利口というものだろう。
というわけで、21時半前から枕灯での読書に入り、22時にはすでに眠りに落ちていただろうか。
この日の読書は、「ウツボカズラの甘い息」を150ページ。
ウツボカズラについてよく知らないので調べたところ、東南アジアに広く分布している補虫袋をもつ蔓性食虫植物で、観賞用として栽培されるもののようだ。けっこうグロテスクで、こんなものを室内に飾りたいとは思えないのだが。
(ウツボカズラ)
(okinawa-image)
なんとか涼しいうちにと、7時過ぎから金沢ステイのブログ記事作成を行う。旅の最終日とその前日の2日分をこしらえ終えて、あとはブログサーバにアップロードするだけというところまで。これを11時までに済ませる。ふふん、概ね4時間の実働か。
まあまあ、善戦しているのではないかと思うが、その頃になるとパソコンに向かって作業をしているだけでTシャツの背中の部分がじっとりしてくる暑さになってきた。いったん切り上げて、これからの時間帯は読書と昼寝にしよう。
熱中症警戒アラートが発令されている危険な暑さとなり、外で食べるのも億劫なので、昼食は家でそばを茹でてもらい、てんぷらと共に食べる。
そうは言っても用事があるので外出しなければならない。昨日のうちに母が退院したS病院から連絡が入り、渡し忘れた内服薬があるので引き取りに来てほしいとのこと。服用を止めている薬なので急ぐ必要などないのだが、病院としては早く返してケリをつけたいのだろう。13時前にちょいと出かけ、返却されたのは1~2回分の少しの量。こんなの戻さなくていいよって感じだろ。
帰宅途中に水分補給用の重たいペットボトル2lを4本買う。
(保育園ではみんなで昼寝)
午後ははじめからこの暑さに対する無抵抗を決め込み、本をお供にごろ寝へと移行する。フローリングに横になればほぼすぐに眠気がやって来る。この白旗作戦が功を奏し、わりと心地よいうたた寝ができた。あとで最高気温を確認すると、15時少し前の35.0℃がこの日のピークだったようだ。昨日よりもちょっぴり低い。
夜のルーチンをこなし終えて21時。ふつうならもうひとワークやりたいところだが、スバヤク眠ってしまい、明日の朝早くから活動したほうが利口というものだろう。
というわけで、21時半前から枕灯での読書に入り、22時にはすでに眠りに落ちていただろうか。
この日の読書は、「ウツボカズラの甘い息」を150ページ。
ウツボカズラについてよく知らないので調べたところ、東南アジアに広く分布している補虫袋をもつ蔓性食虫植物で、観賞用として栽培されるもののようだ。けっこうグロテスクで、こんなものを室内に飾りたいとは思えないのだが。
(ウツボカズラ)
2022.08.01
金沢ステイ 20220714の1
2022年7月14日(木)。
5時半起床。雨が降っていないかと恐る恐る部屋の小さな窓を開けて外を見てみると、ビル屋根のコンクリートは乾ききっていないが、降ってもいない。予報をチェックすると、曇りのち雨で10/60と、今はいいが午後は降りそうだ。ハムチーズパンとウーロン茶。
話は変わるが、すでに4泊しているこの部屋だが、やはり異様に狭くて難儀している。とりわけ椅子とベッドの間の狭さが極端で、椅子の足元は奥行きがない上に、膝付近に棚のようなものがあり、座るたびにたいてい膝がそこにぶつかる構造になっている。椅子を左右にずらそうとしても、そのスペースがない。最悪なのは、立ち上がるたびに椅子がうしろにあるベッドと干渉して、デスクと椅子の間で直立することができない。過去にたくさんホテル泊をしているが、これほど身の置き場がないと感じた部屋は初めてだ。この通路幅のせめて1.5倍ぐらいは最低限必要だろう。ダメだな、アパホテル。比較しちゃ悪いが、東横インの客室のほうが数段いいぞ。
(問題アリのアパホテル)
さて、この日は「にし茶屋街」と「長町武家屋敷跡界隈」を主に見て歩き、雨がひどくなければ「北陸鉄道浅野川線」に乗って内灘まで行ってみたい。
9時15分出発。しばらくは雨が降らないだろうと読んで、昨日譲ってもらったビニール傘は部屋に置いていく。
昨朝と同じ9時24分発のバスで、にし茶屋街に近い「広小路」で下車すると、すぐ近くに「妙立寺(みょうりゅうじ 通称・忍者寺)」があったので、見るだけ見ていこうと立ち寄る。ここは拝観予約制で入館料が千円もする、「寺」なのに金権主義的なのだ。
「忍者寺」と呼ばれるのは、落とし穴になる賽銭箱、床板をめくると出現する隠し階段、金沢城への抜け道が整備されていたとされる井戸などの仕掛けが、寺のあちこちで見られるからだ。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城・砦の役目を果たしていたのだという。迷路のような内部をガイドが案内してくれるそうなので、エンタメ・オリエンティッドの人は楽しめるのだろう。
この界隈は、約70もの寺社が集まっているところで、寺町らしい風情あふれる景観を創り出していた。
(「妙立寺(通称・忍者寺)」は、入口だけうろつく)
野町広小路の交差点を西側に進んで、「にし茶屋街」へ。
ここは、加賀藩公認の茶屋街として栄え、現在でも料亭や芸妓の置屋が並ぶエリアとなっている。出格子が印象的な茶屋様式の町家が建ち並び、一見さんお断りの伝統ある花街の雰囲気を今に残しているという。
観光客の絶えない「ひがし茶屋街」のほうは、商人がつくったところなので部屋装飾には制限があるのに対し、「にし茶屋街」は武士がつくったので、壁の漆喰の色が何色もあっておもしろいが、統一感に欠けるうらみもある。「ひがし」よりもぐっとこぢんまりとしてはいるが、その分落ち着いたいい雰囲気がある。
南北に走る通りの南側からアプローチすると、はじめに目に入るのが「西検番事務所」。茶屋街の芸妓たちの稽古場や管理事務所として1922年に建築されたもので、正面が洋風の事務所で、その奥に和風の稽古場がつながっているという変わった建物だ。
(「にし茶屋街」を南から北へ)
(西検番事務所)
(「にし茶屋街」の中ほど、「金沢市西茶屋資料館」付近)
通りの中ほどには、「金沢市西茶屋資料館」がある。大正期の作家・島田清次郎(島清)が過ごしたお茶屋「吉米楼」の跡地に建てられている。当時の雰囲気が感じられるお茶屋の様子が再現されていて、無料で入館できる。
なお、島田清次郎(1899~1930)については、知らなかったので調べたところを記しておくと、現白山市の生まれで、早くに父(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家のにし茶屋街で育つ。代表作「地上」で文壇に登場するが、若くして統合失調症を患い、31歳で死去。
(金沢市西茶屋資料館)
(お茶屋の風情が再現されている資料館の内部)
(「にし茶屋街」の北入口付近)
にし茶屋街から片町方面へと歩いて戻る途中、犀川に架けられた「犀川大橋」を通る。
1594年に、加賀藩祖前田利家によって造られたのが最初で、現在の橋は1922年の洪水で鉄筋コンクリートの橋が流され、2年後に完成した頑丈そうな鉄橋となっている。鉄骨トラス構造の堂々とした威風と、鋲打ちのごつごつした重量感があるが、これも国有形文化財だ。
橋を少し進んだところで、1927年創業の老舗金沢おでんの店「赤玉本店」を見つけたので、撮っておく。ここにも入ってみたかったのだが、12時開店なので、食べられず残念。
(犀川大橋)
(金沢おでんの名店「赤玉本店」)
5時半起床。雨が降っていないかと恐る恐る部屋の小さな窓を開けて外を見てみると、ビル屋根のコンクリートは乾ききっていないが、降ってもいない。予報をチェックすると、曇りのち雨で10/60と、今はいいが午後は降りそうだ。ハムチーズパンとウーロン茶。
話は変わるが、すでに4泊しているこの部屋だが、やはり異様に狭くて難儀している。とりわけ椅子とベッドの間の狭さが極端で、椅子の足元は奥行きがない上に、膝付近に棚のようなものがあり、座るたびにたいてい膝がそこにぶつかる構造になっている。椅子を左右にずらそうとしても、そのスペースがない。最悪なのは、立ち上がるたびに椅子がうしろにあるベッドと干渉して、デスクと椅子の間で直立することができない。過去にたくさんホテル泊をしているが、これほど身の置き場がないと感じた部屋は初めてだ。この通路幅のせめて1.5倍ぐらいは最低限必要だろう。ダメだな、アパホテル。比較しちゃ悪いが、東横インの客室のほうが数段いいぞ。
(問題アリのアパホテル)
さて、この日は「にし茶屋街」と「長町武家屋敷跡界隈」を主に見て歩き、雨がひどくなければ「北陸鉄道浅野川線」に乗って内灘まで行ってみたい。
9時15分出発。しばらくは雨が降らないだろうと読んで、昨日譲ってもらったビニール傘は部屋に置いていく。
昨朝と同じ9時24分発のバスで、にし茶屋街に近い「広小路」で下車すると、すぐ近くに「妙立寺(みょうりゅうじ 通称・忍者寺)」があったので、見るだけ見ていこうと立ち寄る。ここは拝観予約制で入館料が千円もする、「寺」なのに金権主義的なのだ。
「忍者寺」と呼ばれるのは、落とし穴になる賽銭箱、床板をめくると出現する隠し階段、金沢城への抜け道が整備されていたとされる井戸などの仕掛けが、寺のあちこちで見られるからだ。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城・砦の役目を果たしていたのだという。迷路のような内部をガイドが案内してくれるそうなので、エンタメ・オリエンティッドの人は楽しめるのだろう。
この界隈は、約70もの寺社が集まっているところで、寺町らしい風情あふれる景観を創り出していた。
(「妙立寺(通称・忍者寺)」は、入口だけうろつく)
野町広小路の交差点を西側に進んで、「にし茶屋街」へ。
ここは、加賀藩公認の茶屋街として栄え、現在でも料亭や芸妓の置屋が並ぶエリアとなっている。出格子が印象的な茶屋様式の町家が建ち並び、一見さんお断りの伝統ある花街の雰囲気を今に残しているという。
観光客の絶えない「ひがし茶屋街」のほうは、商人がつくったところなので部屋装飾には制限があるのに対し、「にし茶屋街」は武士がつくったので、壁の漆喰の色が何色もあっておもしろいが、統一感に欠けるうらみもある。「ひがし」よりもぐっとこぢんまりとしてはいるが、その分落ち着いたいい雰囲気がある。
南北に走る通りの南側からアプローチすると、はじめに目に入るのが「西検番事務所」。茶屋街の芸妓たちの稽古場や管理事務所として1922年に建築されたもので、正面が洋風の事務所で、その奥に和風の稽古場がつながっているという変わった建物だ。
(「にし茶屋街」を南から北へ)
(西検番事務所)
(「にし茶屋街」の中ほど、「金沢市西茶屋資料館」付近)
通りの中ほどには、「金沢市西茶屋資料館」がある。大正期の作家・島田清次郎(島清)が過ごしたお茶屋「吉米楼」の跡地に建てられている。当時の雰囲気が感じられるお茶屋の様子が再現されていて、無料で入館できる。
なお、島田清次郎(1899~1930)については、知らなかったので調べたところを記しておくと、現白山市の生まれで、早くに父(回漕業)を海難事故で亡くし、母・みつの実家のにし茶屋街で育つ。代表作「地上」で文壇に登場するが、若くして統合失調症を患い、31歳で死去。
(金沢市西茶屋資料館)
(お茶屋の風情が再現されている資料館の内部)
(「にし茶屋街」の北入口付近)
にし茶屋街から片町方面へと歩いて戻る途中、犀川に架けられた「犀川大橋」を通る。
1594年に、加賀藩祖前田利家によって造られたのが最初で、現在の橋は1922年の洪水で鉄筋コンクリートの橋が流され、2年後に完成した頑丈そうな鉄橋となっている。鉄骨トラス構造の堂々とした威風と、鋲打ちのごつごつした重量感があるが、これも国有形文化財だ。
橋を少し進んだところで、1927年創業の老舗金沢おでんの店「赤玉本店」を見つけたので、撮っておく。ここにも入ってみたかったのだが、12時開店なので、食べられず残念。
(犀川大橋)
(金沢おでんの名店「赤玉本店」)
2022.08.02
20220801 月
今日から8月、夏本番。
4時前に目が覚めて起き、本を読み始めるのだが、思うほどには読み進めることができずに二度寝してしまい、6時起床。せっかくの前夜の早寝が無駄になってしまった。
8時過ぎまでに朝のパソコンルーチンやブログの新記事公開作業などを終えて、今週の投資の仕込みとウォッチに入る。東北電力が大きく下げているので買い、ジリ上げしていた別の2銘柄を売って小利益を固める。一つひとつの利益は大きくないが、上値と下値の変動が大きくないいわゆるボックス相場といわれる今の状況では、まめに売り買いする地道な活動が好結果を生むはずだと信じて動いている。
(image 夏の夜)
昨日母の施設から、ボックスティッシュが切れそうなので持参願いたいとの連絡をもらっていたので、それとともにトイレットペーパーと衣類の追加分を届けに行く。母はティッシュやトイレットペーパーまで銘柄指定をするので、施設で一括調達している消耗品を使うことができない。加えて紙類の使用量はものすごく、5箱まとめて持っていくボックスは1か月持つかどうかというハンパないレベルの消費量なのだ。したがって、消耗品は足りないとなるとすぐに、そして頻繁に補充しなければならなくなっている。
つれあいの買い物に付き合って、昼食は若宮のイオンモール山形南にて。「かつてんイオンモール山形南店」で野菜増し天丼でも食べようと思ってフードコートに赴いたところ、その店はもうなくなっていた。同様に「サンクロイオンモール山形南店」というラーメン店も見当たらず。ここのフードコートもずいぶん寂しくなった。そんなわけで、やむなく「サイゼリヤイオンモール山形南店」へ。ここは4か月ぶり。夏休みだからか、家族連れが多い。
ランチメニューの中からオニオンソースのハンバーグを注文。サラダ・スープ付きで500円。柔らか食感の合挽ハンバーグであるとのこと。
つれはランチメニューの桜えびのアーリオ・オーリオ500円。ちょっぴり欲を出して、これらにミラノ風ドリア300円を加えてみた。
言ってしまえばどれもそこそこで、なんだか安いだけが取り柄のぱっとしない仕出し弁当を食べているような感じだが、これら3品でわずか1,300円という価格には驚く。普通の店なら1品しか注文できない価格だろう。
(「サイゼリヤイオンモール山形南店」のオニオンソースのハンバーグ)
午後は、前日に続いて白旗作戦で臨む。このバカ暑さに逆らって何かやろうなどとは考えないほうが身のためだ。空き部屋のフローリングに寝そべって本を読み、眠くなったらすぐに降参して眠る。北から南へと流れていくわずかな風だけが救いとなるはずなのだが、今日もそれは熱風なのだった。本日の最高気温は35.2℃とほぼ前日並み。暑いが、まだ熱中症になりそうなものではないと自覚している。
福岡県柳川市の大名家の末裔が営む某宿では、「縁側でお昼寝プラン」という、夏から秋への季節の移ろいを愉しむプランをやっているのだそうだ。松の庭園を前にした縁側付きの和室を独占して、3時間利用で5,000円。そういう需要があるから企画しているのだろう。
(「柳川藩主立花邸 御花」(柳川市)では「縁側でお昼寝プラン」をやっている)
今夜は夜になってもなかなか気温が下がらない。日中の暑さよりもむしろ、こういう事態のほうが体力の消耗に影響するようだ。20時半頃までには飲み終えたので、21時前には歯を磨いて、いつでも寝られる状態にしておく。
酔ったままだらだらと何もしないで起きているよりも、さっと寝て、明朝明るくなったならすぐに活動するほうが賢い。そう判断して、減速を開始する。今日はもう止め止めといった感じか。
今日の読書は、「ウツボカズラの甘い息」を150ページ。著者柚月の性格からなのか、文章には時々事実関係や事態の流れを何度かおさらいする記述が出てくる。長編の中で、あれについてはこういうことだったよねと確認できるようにという、読者に対するやさしい配慮なのだろう。そうそうと再確認できるのはいいことで、全体把握が容易にできるし、好ましい。十分に推敲が施されている。ただその一方で、そのことによって次々に起こる出来事や事件の目まぐるしさ、疾走感のようなものが少しだけ薄れてしまううらみがないではない。その意味では、粗製乱造作家の一人と言っていいだろう北方謙三のハードボイルド作品とは、よくも悪くも対照的と言えるのではないか。
主人公の女性の文絵は解離性離人症であるという設定で、このことが物語の終盤に至って、自己のアリバイが証明できなくなる重要なポイントになっている。そして、彼女がこの女性から指示を受けていたと証言した人物は数年前に死亡していた事実が判明する。文絵はいよいよ不利な立場に追い込まれるが、神奈川県警捜査一課のベテラン刑事の秦圭介は、長年の刑事勘から何かがおかしいと感じ、けっして捜査の手を抜かない。するとそこに新たな捜査情報が……。
ともあれ、十分に楽しめたので、柚月裕子作品をさらに何本か読んでみようと思う。
この日の活動成果と言えるものはこれだけだが、夏バテして何もできなくなっていないだけでも儲けものと考えてみてはどうだろうか。ふふん、何事も物は考えようなのだ。
4時前に目が覚めて起き、本を読み始めるのだが、思うほどには読み進めることができずに二度寝してしまい、6時起床。せっかくの前夜の早寝が無駄になってしまった。
8時過ぎまでに朝のパソコンルーチンやブログの新記事公開作業などを終えて、今週の投資の仕込みとウォッチに入る。東北電力が大きく下げているので買い、ジリ上げしていた別の2銘柄を売って小利益を固める。一つひとつの利益は大きくないが、上値と下値の変動が大きくないいわゆるボックス相場といわれる今の状況では、まめに売り買いする地道な活動が好結果を生むはずだと信じて動いている。
(image 夏の夜)
昨日母の施設から、ボックスティッシュが切れそうなので持参願いたいとの連絡をもらっていたので、それとともにトイレットペーパーと衣類の追加分を届けに行く。母はティッシュやトイレットペーパーまで銘柄指定をするので、施設で一括調達している消耗品を使うことができない。加えて紙類の使用量はものすごく、5箱まとめて持っていくボックスは1か月持つかどうかというハンパないレベルの消費量なのだ。したがって、消耗品は足りないとなるとすぐに、そして頻繁に補充しなければならなくなっている。
つれあいの買い物に付き合って、昼食は若宮のイオンモール山形南にて。「かつてんイオンモール山形南店」で野菜増し天丼でも食べようと思ってフードコートに赴いたところ、その店はもうなくなっていた。同様に「サンクロイオンモール山形南店」というラーメン店も見当たらず。ここのフードコートもずいぶん寂しくなった。そんなわけで、やむなく「サイゼリヤイオンモール山形南店」へ。ここは4か月ぶり。夏休みだからか、家族連れが多い。
ランチメニューの中からオニオンソースのハンバーグを注文。サラダ・スープ付きで500円。柔らか食感の合挽ハンバーグであるとのこと。
つれはランチメニューの桜えびのアーリオ・オーリオ500円。ちょっぴり欲を出して、これらにミラノ風ドリア300円を加えてみた。
言ってしまえばどれもそこそこで、なんだか安いだけが取り柄のぱっとしない仕出し弁当を食べているような感じだが、これら3品でわずか1,300円という価格には驚く。普通の店なら1品しか注文できない価格だろう。
(「サイゼリヤイオンモール山形南店」のオニオンソースのハンバーグ)
午後は、前日に続いて白旗作戦で臨む。このバカ暑さに逆らって何かやろうなどとは考えないほうが身のためだ。空き部屋のフローリングに寝そべって本を読み、眠くなったらすぐに降参して眠る。北から南へと流れていくわずかな風だけが救いとなるはずなのだが、今日もそれは熱風なのだった。本日の最高気温は35.2℃とほぼ前日並み。暑いが、まだ熱中症になりそうなものではないと自覚している。
福岡県柳川市の大名家の末裔が営む某宿では、「縁側でお昼寝プラン」という、夏から秋への季節の移ろいを愉しむプランをやっているのだそうだ。松の庭園を前にした縁側付きの和室を独占して、3時間利用で5,000円。そういう需要があるから企画しているのだろう。
(「柳川藩主立花邸 御花」(柳川市)では「縁側でお昼寝プラン」をやっている)
今夜は夜になってもなかなか気温が下がらない。日中の暑さよりもむしろ、こういう事態のほうが体力の消耗に影響するようだ。20時半頃までには飲み終えたので、21時前には歯を磨いて、いつでも寝られる状態にしておく。
酔ったままだらだらと何もしないで起きているよりも、さっと寝て、明朝明るくなったならすぐに活動するほうが賢い。そう判断して、減速を開始する。今日はもう止め止めといった感じか。
今日の読書は、「ウツボカズラの甘い息」を150ページ。著者柚月の性格からなのか、文章には時々事実関係や事態の流れを何度かおさらいする記述が出てくる。長編の中で、あれについてはこういうことだったよねと確認できるようにという、読者に対するやさしい配慮なのだろう。そうそうと再確認できるのはいいことで、全体把握が容易にできるし、好ましい。十分に推敲が施されている。ただその一方で、そのことによって次々に起こる出来事や事件の目まぐるしさ、疾走感のようなものが少しだけ薄れてしまううらみがないではない。その意味では、粗製乱造作家の一人と言っていいだろう北方謙三のハードボイルド作品とは、よくも悪くも対照的と言えるのではないか。
主人公の女性の文絵は解離性離人症であるという設定で、このことが物語の終盤に至って、自己のアリバイが証明できなくなる重要なポイントになっている。そして、彼女がこの女性から指示を受けていたと証言した人物は数年前に死亡していた事実が判明する。文絵はいよいよ不利な立場に追い込まれるが、神奈川県警捜査一課のベテラン刑事の秦圭介は、長年の刑事勘から何かがおかしいと感じ、けっして捜査の手を抜かない。するとそこに新たな捜査情報が……。
ともあれ、十分に楽しめたので、柚月裕子作品をさらに何本か読んでみようと思う。
この日の活動成果と言えるものはこれだけだが、夏バテして何もできなくなっていないだけでも儲けものと考えてみてはどうだろうか。ふふん、何事も物は考えようなのだ。
2022.08.02
金沢ステイ 20220714の2
百万石通り(R157)を左に折れて中央通りを進み、長町武家屋敷跡界隈に入る前に「金沢市老舗記念館」に寄る。おお、「大野庄用水」を挟んだ向かいには「前田土佐守家資料館」がある。なぜかここはノーマークだったな。前田利家の次男・利政を家祖とする前田土佐守家所蔵の資料を保管・展示しているとのこと。
「大野庄用水」は、犀川を水源として長町を流れる用水で、古くから人々の生活の場で重要な役割を果たしてきた。武家屋敷の風情はこの水の流れが通奏低音になっているといってよく、土塀を背に流れる用水は、昔と変わらない風情と情緒を感じさせてくれる。
(「前田土佐守家資料館」と「大野庄用水」)
「金沢市老舗記念館」は、藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築した館だ。1階は当時の店先を再現した「みせの間」、おえの間、書院の間、茶室があり、2階は金沢老舗百年会の協力で、各老舗に伝わる生活諸道具や町民文化に関する資料が展示されている。また、花嫁のれん、結納の加賀水引など、「婚礼模様」の数々や工芸菓子、加賀手鞠など、金沢の伝統文化に触れて頂ける企画展を開催している。
(金沢市老舗記念館)
(これはその「みせの間」)
入館料わずか100円だが、展示物はしっかり手が入り、ビジュアルを意識したものになっていて、感心してしまう。ミシュラン1つ星を獲得している施設というのもうなずける。ついいろいろと写真を撮ってしまう。
(加賀花てまり)
(展示室の一角)
(「花嫁のれん」などの婚礼用品)
「長町武家屋敷跡」に入り、東西に走る細い小路を往復してみる。昔ながらの土塀や石畳が残る、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ。趣のあるいい景観が維持されているエリアだ。冬になると、町並みの土塀を雪や凍結から守るために「こも掛け」が行われ、それも金沢の冬の風物詩のひとつになっているのだという。
(「長町武家屋敷跡」1)
(「長町武家屋敷跡」2)
(「長町武家屋敷跡」3)
大野庄用水の流れる南北に走る通りに戻り、そのメインポイントとなる「武家屋敷跡野村家」を眺める。
代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、加賀藩お抱え絵師である狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸など、文化財的な評価も高い屋敷なのだそうだ。庭園もいいらしい。長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡だが、500円なので入らず。建物は外観を見ればだいたい満足できる。
(「大野庄用水」は「野村家」の脇も流れている)
(「武家屋敷跡野村家」前)
(庭園はこんな感じだったらしい。入るべきだったかなぁ)
「大野庄用水」は、犀川を水源として長町を流れる用水で、古くから人々の生活の場で重要な役割を果たしてきた。武家屋敷の風情はこの水の流れが通奏低音になっているといってよく、土塀を背に流れる用水は、昔と変わらない風情と情緒を感じさせてくれる。
(「前田土佐守家資料館」と「大野庄用水」)
「金沢市老舗記念館」は、藩政時代からの薬種商「中屋薬舗」の建物を移築した館だ。1階は当時の店先を再現した「みせの間」、おえの間、書院の間、茶室があり、2階は金沢老舗百年会の協力で、各老舗に伝わる生活諸道具や町民文化に関する資料が展示されている。また、花嫁のれん、結納の加賀水引など、「婚礼模様」の数々や工芸菓子、加賀手鞠など、金沢の伝統文化に触れて頂ける企画展を開催している。
(金沢市老舗記念館)
(これはその「みせの間」)
入館料わずか100円だが、展示物はしっかり手が入り、ビジュアルを意識したものになっていて、感心してしまう。ミシュラン1つ星を獲得している施設というのもうなずける。ついいろいろと写真を撮ってしまう。
(加賀花てまり)
(展示室の一角)
(「花嫁のれん」などの婚礼用品)
「長町武家屋敷跡」に入り、東西に走る細い小路を往復してみる。昔ながらの土塀や石畳が残る、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ。趣のあるいい景観が維持されているエリアだ。冬になると、町並みの土塀を雪や凍結から守るために「こも掛け」が行われ、それも金沢の冬の風物詩のひとつになっているのだという。
(「長町武家屋敷跡」1)
(「長町武家屋敷跡」2)
(「長町武家屋敷跡」3)
大野庄用水の流れる南北に走る通りに戻り、そのメインポイントとなる「武家屋敷跡野村家」を眺める。
代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、加賀藩お抱え絵師である狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸など、文化財的な評価も高い屋敷なのだそうだ。庭園もいいらしい。長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡だが、500円なので入らず。建物は外観を見ればだいたい満足できる。
(「大野庄用水」は「野村家」の脇も流れている)
(「武家屋敷跡野村家」前)
(庭園はこんな感じだったらしい。入るべきだったかなぁ)
2022.08.03
20220802 火
昨夜から今朝にかけての夜間は、気温の低下が限定的だったようで、今夏初めてよく眠れない夜となった。寝汗のため1時頃に目が覚め、身体を拭く以外処置のしようがないので汗が引くまで待ち、もう一度眠って4時起床。そこからは、1日のうちで最も涼しい時間を有効に使うべく、本を読む。
早朝のうちに「ウツボカズラの甘い息」を40ページ余り読んで読了。
続いて、「ローカル線ひとり旅」(谷川一巳著、光文社知恵の森文庫、2014)を手にして読み始める。これを夜までに150ページ。
暑い中であっても、読書ライフだけは順調と言っていいのだが、ほかにやるべきことはほとんどやっていない。
(今日読んだ本2冊)
午前中、母の施設に電話を入れる。来週火曜日にS病院の精神診療科に母に代わって受診に行くので、施設内での母の様子についてのメモを作成してもらうよう依頼するためだ。いつも面倒を見てくれている母お気に入りのS介護士は、退院後は全介助が必要になっていて、足元がおぼつかないので歩行器から車椅子に替えたこと、食事は半分も食べられていないこと、日によって体調に波があり、今日は少し落ち着いていることなどを伝えてくれるのだった。病院退院後の状態はよくないようだ。
前夜から予告されていたこの日の昼食は、家でカレーライス。冷房の効いた部屋で、コク深いカレーと冷蔵庫から出してきたばかりの冷たいサラダ、麦茶で食べる。
食後は居間から出て、また暑いさなかに戻る。エアコンは当方の自室を除くすべての部屋に付いているのだが、せっかく吹いてくれている外からの風をすべて遮断しておいて、自分のいる所さえ涼しければそれでいいというエアコン信奉者の思想には賛同しかねるものがある。間違いが許されない頭脳労働を今すぐにしなければならないというような事情があるのなら別だが、こちとら急いでしなければならない精密作業などなく、たくさん汗をかいたって一向にかまわないし、この程度の暑さなら気分が悪くなることもない。ということであれば、わずかな季節だけしか体感できない真夏の暑さを十分に味わい、身体に染み込ませてみるのも悪くないではないか。それがこの夏の記憶となっていくわけだから。
だが、わがつれあいはそんな相方を見て、やせ我慢するなだの、齢なのだからだの、熱中症で救急搬送などみっともないだのと、相手をアナドりつつ、自分の感覚だけで物事を判断して口うるさい。あのね、こっちだってバカじゃないのだから、耐えられなくなったらそれなりの行動をします。ボクはあなたと違って、少々の夏の暑さなど我慢できちゃうのです。必要なものが手元にない涼しい部屋でボケッとしているぐらいなら、多少暑くても、身の回り品がカスタマイズされている自室でやりたいことをやっていたほうがずーっとシアワセなわけなのです。そーゆー考えで動いているので、そこんとこヨロシク。
(昼は自宅でカレーライス)
午後はしかし、このところの白旗主義を継続し、お天道様には逆らえないとばかりに横になっての読書と昼寝を決め込む。今日はこれまでよりもさらに暑いのが体感としてわかる。本日の最高は36.5℃で今年最高となった。しかしそのピークは13時03分で、そこからは比較的ではあるけれどもしのぎやすくなったので、身体の疲弊感はそれほどでもなく済んだだろうか。それにしても、この数日というもの、雨が降っていない。一雨ほしいところだ。予報では、明日には雨になるという。
雨で思い出したが、小柳ルミ子の15枚目のシングルは「ひと雨くれば」だった。懐かしいな。B面が「ほたる列車」だったとは。これ、さだまさし作詞・作曲の名曲。こちらをA面にする向きもあったのだろうな、きっと。
(「ひと雨くれば」by小柳ルミ子 1975.5.25発売)
録画を見ながら飲むものを飲んで、21時。今日もこの程度でいいのではないか。部屋の灯りを消し、ベッドで眠くなるまで本を読んで、眠りへ。
早朝のうちに「ウツボカズラの甘い息」を40ページ余り読んで読了。
続いて、「ローカル線ひとり旅」(谷川一巳著、光文社知恵の森文庫、2014)を手にして読み始める。これを夜までに150ページ。
暑い中であっても、読書ライフだけは順調と言っていいのだが、ほかにやるべきことはほとんどやっていない。
(今日読んだ本2冊)
午前中、母の施設に電話を入れる。来週火曜日にS病院の精神診療科に母に代わって受診に行くので、施設内での母の様子についてのメモを作成してもらうよう依頼するためだ。いつも面倒を見てくれている母お気に入りのS介護士は、退院後は全介助が必要になっていて、足元がおぼつかないので歩行器から車椅子に替えたこと、食事は半分も食べられていないこと、日によって体調に波があり、今日は少し落ち着いていることなどを伝えてくれるのだった。病院退院後の状態はよくないようだ。
前夜から予告されていたこの日の昼食は、家でカレーライス。冷房の効いた部屋で、コク深いカレーと冷蔵庫から出してきたばかりの冷たいサラダ、麦茶で食べる。
食後は居間から出て、また暑いさなかに戻る。エアコンは当方の自室を除くすべての部屋に付いているのだが、せっかく吹いてくれている外からの風をすべて遮断しておいて、自分のいる所さえ涼しければそれでいいというエアコン信奉者の思想には賛同しかねるものがある。間違いが許されない頭脳労働を今すぐにしなければならないというような事情があるのなら別だが、こちとら急いでしなければならない精密作業などなく、たくさん汗をかいたって一向にかまわないし、この程度の暑さなら気分が悪くなることもない。ということであれば、わずかな季節だけしか体感できない真夏の暑さを十分に味わい、身体に染み込ませてみるのも悪くないではないか。それがこの夏の記憶となっていくわけだから。
だが、わがつれあいはそんな相方を見て、やせ我慢するなだの、齢なのだからだの、熱中症で救急搬送などみっともないだのと、相手をアナドりつつ、自分の感覚だけで物事を判断して口うるさい。あのね、こっちだってバカじゃないのだから、耐えられなくなったらそれなりの行動をします。ボクはあなたと違って、少々の夏の暑さなど我慢できちゃうのです。必要なものが手元にない涼しい部屋でボケッとしているぐらいなら、多少暑くても、身の回り品がカスタマイズされている自室でやりたいことをやっていたほうがずーっとシアワセなわけなのです。そーゆー考えで動いているので、そこんとこヨロシク。
(昼は自宅でカレーライス)
午後はしかし、このところの白旗主義を継続し、お天道様には逆らえないとばかりに横になっての読書と昼寝を決め込む。今日はこれまでよりもさらに暑いのが体感としてわかる。本日の最高は36.5℃で今年最高となった。しかしそのピークは13時03分で、そこからは比較的ではあるけれどもしのぎやすくなったので、身体の疲弊感はそれほどでもなく済んだだろうか。それにしても、この数日というもの、雨が降っていない。一雨ほしいところだ。予報では、明日には雨になるという。
雨で思い出したが、小柳ルミ子の15枚目のシングルは「ひと雨くれば」だった。懐かしいな。B面が「ほたる列車」だったとは。これ、さだまさし作詞・作曲の名曲。こちらをA面にする向きもあったのだろうな、きっと。
(「ひと雨くれば」by小柳ルミ子 1975.5.25発売)
録画を見ながら飲むものを飲んで、21時。今日もこの程度でいいのではないか。部屋の灯りを消し、ベッドで眠くなるまで本を読んで、眠りへ。
2022.08.03
金沢ステイ 20220714の3
散策途中に気軽に立ち寄れる観光施設「長町武家屋敷休憩館」の入り口門は、長屋門を模したつくりで立派。もともとは何の門だったのだろうか。
「旧加賀藩士高田家跡」。加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡で、仲間(奉公人)部屋や厩が自由に見ることができる。建物の前には、池を中心に配した庭園がある。
そこから西へと歩いて、加賀友禅の工房を見学できるらしい「加賀友禅長町友禅館」にも立ち寄ってみたが、“マンションの1階”的な構えでしかなかったので、入館は敬遠することにした。
(「長町武家屋敷休憩館」は、門が立派)
(「旧加賀藩士高田家跡」は入場無料)
(「旧加賀藩士高田家跡」の建物と庭園)
大野庄用水の通りをさらに北上して、「金沢市足軽資料館」。藩政時代の貴重な足軽屋敷2棟(高西家と清水家)を移築再現した建物で、建物の中は足軽の職務や日常生活の解説・展示がなされているのだが、資料は古臭い。入場無料なのでやむを得ないか。屋根は昔ながらの石を置いたもので、当時の雰囲気を醸し出しているのだった。
(「金沢市足軽資料館」入口)
(こういう建物が2棟ある)
(「金沢市足軽資料館」よサヨウナラ)
この界隈ではもう1か所、「聖霊病院聖堂」を見る。大正末期から昭和初期に日本に滞在したスイス人建築家マックス・ヒンデルの設計による教会堂建築で、1931年竣工した、和と洋の感性が調和したユニークな建築物だ。
木造平屋建、高さを低く抑えるために二層に分け、白塗りの下見板貼りのロマネスク様式を基調とし、隅柱や窓枠はこげ茶色に塗ってめりはりを付けている。円形アーチの滑り出し窓、高窓は円形窓にステンドグラス。内部も見ることができたのかもしれないが、天候が気になり確認しないまま次に進んでしまった。霧雨様の雨が降り始めたのだ。
(「聖霊病院聖堂」。十字架が切れちゃってゴメンナサイ)
そこからはてくてく歩き。尾山神社前で百万石通りに戻り、近江町市場の先まで行って、今日の昼メシは「加登長総本店」だ。
ここは、このステイの2日目、主計町茶屋街方面へと歩いていた時に見つけていた店で、店頭のディスプレイで、平日ランチタイムに「かしわの治部煮定食」が供されることを確認していたのだった。このステイの機会にどこかで一度は治部煮を食べたいと思っていたのだ。
「治部煮」とは、金沢の代表的な郷土料理で、砂糖、醤油、みりん、酒などを合わせた汁に、小麦粉をまぶした鶏肉や鴨肉を入れて、しいたけや野菜などと一緒に煮込んだ料理。朝鮮からもたらされたという伝承があり、甘みのある濃い味わいが特徴。煮込む際の「じぶじぶ」という音が、その名の由来だといわれている。
かしわの治部煮定食850円。治部煮は、小麦粉がそうさせるのかわずかにとろみがあり、ほほうこういうものかと。蕎麦かうどん(温or冷)から選んだざるうどんは細打ちで、添えられた柚子わさびで啜れば喉元をするすると。とてもおいしく、もっと欲しい。かしわごはんは鶏脂が邪魔をせずサッパリと食べられる。このあたりではメジャーなまぜご飯なのだろうか。3種の漬物は、キュウリが糠、大根が甘酢、白菜が塩と、手が込んでいる。
初治部煮を食べられ、価格・内容ともに満足のいくものだった。
(「加登長総本店」のかしわの治部煮定食)
(治部煮にピントを合わせてもう1枚)
(地元民御用達感が漂っていた「加登長総本店」)
12時にリスタート。店を出た時点では雨はなし。そうであれば、金沢の私鉄に乗ってみよう。
近江町市場バス停から安易にバスを使って金沢駅へ。これまでなら間違いなく歩いていた距離だが、一度楽をしてしまうとつい乗ってしまう。蒸し暑いし、バスの便は頻繁にあるので、200円でしばらくの間涼しくしていられる冷房代だと思えばいい。
「旧加賀藩士高田家跡」。加賀藩に仕えた中級武士高田家の武家屋敷跡で、仲間(奉公人)部屋や厩が自由に見ることができる。建物の前には、池を中心に配した庭園がある。
そこから西へと歩いて、加賀友禅の工房を見学できるらしい「加賀友禅長町友禅館」にも立ち寄ってみたが、“マンションの1階”的な構えでしかなかったので、入館は敬遠することにした。
(「長町武家屋敷休憩館」は、門が立派)
(「旧加賀藩士高田家跡」は入場無料)
(「旧加賀藩士高田家跡」の建物と庭園)
大野庄用水の通りをさらに北上して、「金沢市足軽資料館」。藩政時代の貴重な足軽屋敷2棟(高西家と清水家)を移築再現した建物で、建物の中は足軽の職務や日常生活の解説・展示がなされているのだが、資料は古臭い。入場無料なのでやむを得ないか。屋根は昔ながらの石を置いたもので、当時の雰囲気を醸し出しているのだった。
(「金沢市足軽資料館」入口)
(こういう建物が2棟ある)
(「金沢市足軽資料館」よサヨウナラ)
この界隈ではもう1か所、「聖霊病院聖堂」を見る。大正末期から昭和初期に日本に滞在したスイス人建築家マックス・ヒンデルの設計による教会堂建築で、1931年竣工した、和と洋の感性が調和したユニークな建築物だ。
木造平屋建、高さを低く抑えるために二層に分け、白塗りの下見板貼りのロマネスク様式を基調とし、隅柱や窓枠はこげ茶色に塗ってめりはりを付けている。円形アーチの滑り出し窓、高窓は円形窓にステンドグラス。内部も見ることができたのかもしれないが、天候が気になり確認しないまま次に進んでしまった。霧雨様の雨が降り始めたのだ。
(「聖霊病院聖堂」。十字架が切れちゃってゴメンナサイ)
そこからはてくてく歩き。尾山神社前で百万石通りに戻り、近江町市場の先まで行って、今日の昼メシは「加登長総本店」だ。
ここは、このステイの2日目、主計町茶屋街方面へと歩いていた時に見つけていた店で、店頭のディスプレイで、平日ランチタイムに「かしわの治部煮定食」が供されることを確認していたのだった。このステイの機会にどこかで一度は治部煮を食べたいと思っていたのだ。
「治部煮」とは、金沢の代表的な郷土料理で、砂糖、醤油、みりん、酒などを合わせた汁に、小麦粉をまぶした鶏肉や鴨肉を入れて、しいたけや野菜などと一緒に煮込んだ料理。朝鮮からもたらされたという伝承があり、甘みのある濃い味わいが特徴。煮込む際の「じぶじぶ」という音が、その名の由来だといわれている。
かしわの治部煮定食850円。治部煮は、小麦粉がそうさせるのかわずかにとろみがあり、ほほうこういうものかと。蕎麦かうどん(温or冷)から選んだざるうどんは細打ちで、添えられた柚子わさびで啜れば喉元をするすると。とてもおいしく、もっと欲しい。かしわごはんは鶏脂が邪魔をせずサッパリと食べられる。このあたりではメジャーなまぜご飯なのだろうか。3種の漬物は、キュウリが糠、大根が甘酢、白菜が塩と、手が込んでいる。
初治部煮を食べられ、価格・内容ともに満足のいくものだった。
(「加登長総本店」のかしわの治部煮定食)
(治部煮にピントを合わせてもう1枚)
(地元民御用達感が漂っていた「加登長総本店」)
12時にリスタート。店を出た時点では雨はなし。そうであれば、金沢の私鉄に乗ってみよう。
近江町市場バス停から安易にバスを使って金沢駅へ。これまでなら間違いなく歩いていた距離だが、一度楽をしてしまうとつい乗ってしまう。蒸し暑いし、バスの便は頻繁にあるので、200円でしばらくの間涼しくしていられる冷房代だと思えばいい。
2022.08.04
20220803 水
4時半に起きて、6時前まで読書。ベッド脇の南の窓からも風が入り、夜じゅう点けっぱなしにしていた扇風機の風と相俟って、身体に何か掛けておかなければ寒いぐらいだ。
7時過ぎには、久しぶりに雨が降り出す。よしよし、今日はさすがに35℃などにはならないで済むだろう。早々に朝ルーチンを終えて、株式市場が開くまでの間に読書ができる余裕も。
(okinawa-image(那覇空港))
株式のほうは、今朝までのNYが下落。米下院議長が台湾を訪問したことが中国政府をいきり立たせ、米中間の緊張が深刻化を警戒した売りが先行した形だ。これを受けて東京も下がるのかと思ったが、日経平均は上昇して始まった。だが、当方の持ち株については電力の下げが影響して冴えない。今日も無配を発表した東北電力を買う。
傘が役に立たないほどの土砂降りの中、ランチを食べに、1年ぶりに飯田西の「レストランろかーれ」へ。
本日のランチ、1年前から50円上がって、920円。この日はポークのカレークリームソース。厚めにスライスした豚肉とベーコンを軽く焼いたものに、やさしい味わいのするカレーソースがかけられている。それ以外の構成については、1年前に食べたときの画像とほぼ同じだった。
味・ボリュームともに不足感はなく、とりわけ、主菜の下に敷かれているパスタの量はかなり多く、男性客が多いのもむべなるかなといったところ。また、配膳スピードにもホレボレする。気に入っている店のひとつだ。
(「レストランろかーれ」の本日のランチ)
午後のはじめまでに「ローカル線ひとり旅」を120ページほど読んで、あっさり読了。
次は「食堂かたつむり」(小川糸著、ポプラ社、2008)を読み始めて、夜までに50ページ。小川糸のデビュー作。彼女は山形市出身で、高校の後輩に当たる。
今夜、山形県置賜地方に大雨特別警報が発表される。2013年の運用以来県内で初めてであるとのこと。20時頃には全国ニュースで、飯豊町で橋が崩落し車が流されたと報道している。現役時代であれば、今頃は出勤して対応に当たっていたであろう事態だ。
今はもう出動する必要もなく、情報を得て現地の人々の安否を思うことぐらいしかやれることはない。そのためだけにニュースを見ていてもしょうがないので、適当なところでやめておく。
そうすればもう、やることは読書ぐらい。暑くないので今夜は寝苦しくならないだろうから、早めに横になってぐっすり休もうか。
日毎に就寝時間は早くなり、この夜は21時半までには眠りへ。
7時過ぎには、久しぶりに雨が降り出す。よしよし、今日はさすがに35℃などにはならないで済むだろう。早々に朝ルーチンを終えて、株式市場が開くまでの間に読書ができる余裕も。
(okinawa-image(那覇空港))
株式のほうは、今朝までのNYが下落。米下院議長が台湾を訪問したことが中国政府をいきり立たせ、米中間の緊張が深刻化を警戒した売りが先行した形だ。これを受けて東京も下がるのかと思ったが、日経平均は上昇して始まった。だが、当方の持ち株については電力の下げが影響して冴えない。今日も無配を発表した東北電力を買う。
傘が役に立たないほどの土砂降りの中、ランチを食べに、1年ぶりに飯田西の「レストランろかーれ」へ。
本日のランチ、1年前から50円上がって、920円。この日はポークのカレークリームソース。厚めにスライスした豚肉とベーコンを軽く焼いたものに、やさしい味わいのするカレーソースがかけられている。それ以外の構成については、1年前に食べたときの画像とほぼ同じだった。
味・ボリュームともに不足感はなく、とりわけ、主菜の下に敷かれているパスタの量はかなり多く、男性客が多いのもむべなるかなといったところ。また、配膳スピードにもホレボレする。気に入っている店のひとつだ。
(「レストランろかーれ」の本日のランチ)
午後のはじめまでに「ローカル線ひとり旅」を120ページほど読んで、あっさり読了。
次は「食堂かたつむり」(小川糸著、ポプラ社、2008)を読み始めて、夜までに50ページ。小川糸のデビュー作。彼女は山形市出身で、高校の後輩に当たる。
今夜、山形県置賜地方に大雨特別警報が発表される。2013年の運用以来県内で初めてであるとのこと。20時頃には全国ニュースで、飯豊町で橋が崩落し車が流されたと報道している。現役時代であれば、今頃は出勤して対応に当たっていたであろう事態だ。
今はもう出動する必要もなく、情報を得て現地の人々の安否を思うことぐらいしかやれることはない。そのためだけにニュースを見ていてもしょうがないので、適当なところでやめておく。
そうすればもう、やることは読書ぐらい。暑くないので今夜は寝苦しくならないだろうから、早めに横になってぐっすり休もうか。
日毎に就寝時間は早くなり、この夜は21時半までには眠りへ。