2021.05.29
20210528 金
6時に目が覚め、そのまますぐに起床。前日と違ってこの日の睡眠は比較的深かったようで、眠りに落ちてから目覚めるまでの間の5時間余りの記憶はほとんどない。こういう眠りの時間が毎日続いてくれればとてもいいのだけど。
今日も午前中からドイツ本を読み始める。
この日読んだところは、ポーランドが滅亡したあとにヒトラーが全兵力を投入するとしていた西部戦線では、極力戦闘を避けたいフランス軍の消極姿勢もあって、大きな動きがない「西部すわり込み戦」の様相になっている。その一方でヒトラーは、スウェーデンの天然資源と海軍の北海での自由航行を確保するため、デンマークとノルウェーを征服する――というあたり。
デンマークはほどなく降伏したが、ノルウェーは、国民人口300万人の弱小国ながら、国王のホーコン7世のもとに結集して、徹底抗戦の道を選ぶ。オスロが陥落するも、政府機能を移しながら国内を彷徨し、最後にはロンドンに撤退して亡命政府を立ち上げるのだった。
2017年には、この国王に焦点を当てた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」が公開されている。
(ノルウェー国民の精神的支柱だった国王ホーコン7世(左))
(映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のホーコン7世)
ここで「第三帝国の興亡3」は終わり、この日は24時までかけて110ページ近く読み、読了した。3巻目は4日間で読破した形で、なかなかのハイペースと言える。
1982年の栞代わりのメモには、当時は読了までに20日間かかったように記されている。大学卒業前のヨーロッパ旅行の直前から第1巻を読み始め、この3巻目は就職して新入社員となった6月、社会人1年生の緊張感の中で少ない自由時間を見つけながら読んでいたようだ。
昨日は寒かったけれども、今日は雨も上がって風が爽やかだ。よーし、それでは昼食を、「ひまわりヤマザワ富の中店」で今年初の冷やし中華にしてみるとするか。
冷やし中華の大盛り、506+100円。オーソドックスなつくり、量もしっかりで、彩りが夏だ。去年よりも11円値上がりしているが、材料を節約するようなそぶりもなく、よくこの価格で出してくれるよなぁと思わせる立派な逸品。拍手♪
(「ひまわりヤマザワ富の中店」にて、今年初めての冷やし中華)
本日の東京市場は、2%強、600円の上昇。持ち株評価額も大きく上げて、電通、三菱自動車、マツダの一部が売れて手堅く数万円の小利益を手にする。こういう日が続けば満点なのだが、来週はほぼ確実に下がるだろう。そこまでわかっているつもりなのに、大きく売れない踏ん切りの悪さ。万一さらに上がったら売り損になるという弱気から逃れられない。
この日も電話の入らない静かな一日だった。こういう日々こそ今の自分たちにはふさわしい。つれあいの表情も心なしかなごやかになっているような気がする。
今日も午前中からドイツ本を読み始める。
この日読んだところは、ポーランドが滅亡したあとにヒトラーが全兵力を投入するとしていた西部戦線では、極力戦闘を避けたいフランス軍の消極姿勢もあって、大きな動きがない「西部すわり込み戦」の様相になっている。その一方でヒトラーは、スウェーデンの天然資源と海軍の北海での自由航行を確保するため、デンマークとノルウェーを征服する――というあたり。
デンマークはほどなく降伏したが、ノルウェーは、国民人口300万人の弱小国ながら、国王のホーコン7世のもとに結集して、徹底抗戦の道を選ぶ。オスロが陥落するも、政府機能を移しながら国内を彷徨し、最後にはロンドンに撤退して亡命政府を立ち上げるのだった。
2017年には、この国王に焦点を当てた映画「ヒトラーに屈しなかった国王」が公開されている。
(ノルウェー国民の精神的支柱だった国王ホーコン7世(左))
(映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のホーコン7世)
ここで「第三帝国の興亡3」は終わり、この日は24時までかけて110ページ近く読み、読了した。3巻目は4日間で読破した形で、なかなかのハイペースと言える。
1982年の栞代わりのメモには、当時は読了までに20日間かかったように記されている。大学卒業前のヨーロッパ旅行の直前から第1巻を読み始め、この3巻目は就職して新入社員となった6月、社会人1年生の緊張感の中で少ない自由時間を見つけながら読んでいたようだ。
昨日は寒かったけれども、今日は雨も上がって風が爽やかだ。よーし、それでは昼食を、「ひまわりヤマザワ富の中店」で今年初の冷やし中華にしてみるとするか。
冷やし中華の大盛り、506+100円。オーソドックスなつくり、量もしっかりで、彩りが夏だ。去年よりも11円値上がりしているが、材料を節約するようなそぶりもなく、よくこの価格で出してくれるよなぁと思わせる立派な逸品。拍手♪
(「ひまわりヤマザワ富の中店」にて、今年初めての冷やし中華)
本日の東京市場は、2%強、600円の上昇。持ち株評価額も大きく上げて、電通、三菱自動車、マツダの一部が売れて手堅く数万円の小利益を手にする。こういう日が続けば満点なのだが、来週はほぼ確実に下がるだろう。そこまでわかっているつもりなのに、大きく売れない踏ん切りの悪さ。万一さらに上がったら売り損になるという弱気から逃れられない。
この日も電話の入らない静かな一日だった。こういう日々こそ今の自分たちにはふさわしい。つれあいの表情も心なしかなごやかになっているような気がする。
2021.05.30
20210529 土
6時半起床。この日も元気に朝からカキモノ、ブログの記事公開、テレビの録画予約と進め、それらが終わったらスバヤク「第三帝国」の4巻目を読み始める。「第三帝国の興亡4 -ヨーロッパの征服-」(ウィリアム・シャイラー著、東京創元社、1961)。
土曜日なので、洗い替えとたっぷりの食料を持って母の施設へ。乳製品、果物、焼き鮭にかき揚げ天ぷら……。給食もしっかり食べていると聞いていて、そのほかにこれだけの量をわずか3~4日で食べているとは到底思えない量だ。
施設長が言うには、電話を撤去してからは落ち着いているらしく、夜のナースコールや胸が痛いという訴えなどがだいぶ減ってきたとのこと。玄関口まで出てきた母の話しぶりは以前とそれほど変わらず、ここを出せ、帰りたいと言い始めるが、切羽詰まったような感じはそれほどないように見える。思ったことはブレーキが利かずつい言ってしまう、それが自分の頭がおかしくなっているところだとの自己反省の弁も。そう言えているだけまともだが、すべて年齢のせいにして誤魔化し、改善しようという素振りや気構えはまったくない。多少の現状認識はあるが、対応策を持っていないということだ。
読めない字で書いてくる手紙は、食事がまずい、量も栄養も足りない、家に帰っておいしいものが食べたいという食べ物関係ばかりのオンパレード。気持ちが多少は落ち着いて健康面も改善傾向なので、もう口に入れるものぐらいにしか文句をつけるところがない、というように理解したいが、それにしても90を過ぎているのに、毎日の給食の量が少ないの、肉や脂物がほしいのと、求めることが異常だ。もしかしたらこれは、「メシはまだか?」というあの認知症コントに類似するギャグなのだろうか。
そんなふうなことで、介護士が言うにはいつの間にか母の中では電話は「勝手に持って行かれた」ということになってしまって、外部との接触がなくなってどんどん自分がダメになっていくと嘆くのだが、返せ戻せと騒ぐレベルにはなっていないので、当面このままでいくようだ。
(残業時出前回数ベスト3に入る、冷やしたぬきてぶりうどんを久々に)
その足で、5年1か月ぶりとなる、あさひ町の「材木亭」へ。残業時によく出前で食べていた店だが、リタイアしてからは初めてとなる。当時の注文回数のベスト3に入る、冷やしたぬきてぶりうどん、640円。また値が上がっちゃったな。
言ってしまえば、あっさりとした素朴な味。しかしそのデキはけっしてあなどれず、カツオ節の効いた薄味のつゆが極めて美味だし、細打ちのうどんは弾力がすさまじいし、たくさん入った油少なめの天かすは湿気りがなくショリショリ。非の打ちどころはどこにも見当たらない。
ここの麺類の大盛りはかなりの量になるのをよく知っているので、普通盛りで。冷やしものはガツガツ食べても汗をかかなくて済むのがいい。
帰宅してからは、オータニサンが投げている大リーグエンジェルスのテレビ中継を見る。好投はしたが四死球が多く、敗戦投手になった。
昨日の日記に、映画「ヒトラーに屈しなかった国王」(TCエンタテインメント、2018)のことを書いたが、アマゾンプライムビデオにこの映画が会員無料で出ていたのを見つけて、午後はこの映画を鑑賞する。北欧の小国ながらナチ・ドイツに最も抵抗したノルウェーの、歴史に残る重大な決断を下した国王ホーコン7世の運命の3日間を描いたものだ。
1940年4月9日、ノルウェーのフィヨルド湾に侵入したドイツの重巡洋艦をノルウェー軍が砲撃して撃沈して戦端が開く。ドイツ軍はノルウェーの首都オスロに侵攻。果敢に交戦するノルウェー軍だったが、圧倒的な軍事力によって主要な都市は相次いで占領される。
降伏を求めるドイツ軍に対し、ノルウェー政府はそれを拒否し、ホーコン7世は政府閣僚とともにオスロを離れる。ヒトラーの命を受けたドイツ公使はノルウェー政府に、国王との拝謁を求める。
翌日、ドイツ公使と対峙した国王は、ナチス・ドイツに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、家族のため、国民のため、国の運命を左右する究極の選択を迫られる――。
2時間10分かけてたっぷり鑑賞。映画って、どうしてこうも感動してしまうのだろうか。
(映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のワンシーン)
「第三帝国の興亡4」は、23時過ぎまで読んだが、この日は午後に映画を観たこともあり、はじめの70ページにとどまった。
オランダ、ベルギーをいとも簡単に手中にしたナチ・ドイツは、ルントシュテット麾下のA軍団がすぐにフランス領へと進出し、アルデンヌの森からソンム川周辺を走り抜けて、一気に英仏海峡近くの町アベヴィルに到達し、ダンケルク付近に追い込まれた英仏軍主力を包囲殲滅できる形となる。
しかしここで、背後の南方から連合軍の別動隊がやってくるのではないかという危惧を抱いたヒトラーは、不可解な停止命令を発する。このわずかの空白時間に連合軍は、輸送船のみならずあらゆる船舶を動員し、英本国に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦(ダイナモ作戦)を成功に導いた。
しかしダンケルクの撤退以後は、仏軍が雪崩を打って崩壊する。ドイツ軍は1940年6月13日にパリを占領し、フランスは21日に講和(降伏)を申し込む。降伏調印は、皮肉にも第一次大戦でドイツ帝国がフランスとその同盟諸国に降伏したコンピエーニュの森で行われた。
――という、ナチ・ドイツがイケイケだったピークの時期の部分。次にドイツは、英国侵攻へと突き進んでいくことになる。
(ダンケルクの戦い見取図)
(フランスが降伏し、パリに入ったドイツ首脳たち)
5月14日から読み始めた全5巻の「第三帝国の興亡」も、早くも4冊目。このノンフィクションの一大絵巻にすっかりハマってしまった形になっている。こうして集中して読めるのも、母の行動が多少は落ち着いたこともあって、今なら内容に集中できる心の安寧があるからだ。この調子がずっと続いてほしいと願う。
また、読んでいると、ドイツという国の歴史的背景についてもっと詳しく知りたくなってくる。「第三帝国」を読み終えたなら、手元に「世界各国史3 ドイツ史(新版)」(林健太郎著、山川出版社、1977)があるので、次はこれを読んでみようか。
24時過ぎ、就寝。
土曜日なので、洗い替えとたっぷりの食料を持って母の施設へ。乳製品、果物、焼き鮭にかき揚げ天ぷら……。給食もしっかり食べていると聞いていて、そのほかにこれだけの量をわずか3~4日で食べているとは到底思えない量だ。
施設長が言うには、電話を撤去してからは落ち着いているらしく、夜のナースコールや胸が痛いという訴えなどがだいぶ減ってきたとのこと。玄関口まで出てきた母の話しぶりは以前とそれほど変わらず、ここを出せ、帰りたいと言い始めるが、切羽詰まったような感じはそれほどないように見える。思ったことはブレーキが利かずつい言ってしまう、それが自分の頭がおかしくなっているところだとの自己反省の弁も。そう言えているだけまともだが、すべて年齢のせいにして誤魔化し、改善しようという素振りや気構えはまったくない。多少の現状認識はあるが、対応策を持っていないということだ。
読めない字で書いてくる手紙は、食事がまずい、量も栄養も足りない、家に帰っておいしいものが食べたいという食べ物関係ばかりのオンパレード。気持ちが多少は落ち着いて健康面も改善傾向なので、もう口に入れるものぐらいにしか文句をつけるところがない、というように理解したいが、それにしても90を過ぎているのに、毎日の給食の量が少ないの、肉や脂物がほしいのと、求めることが異常だ。もしかしたらこれは、「メシはまだか?」というあの認知症コントに類似するギャグなのだろうか。
そんなふうなことで、介護士が言うにはいつの間にか母の中では電話は「勝手に持って行かれた」ということになってしまって、外部との接触がなくなってどんどん自分がダメになっていくと嘆くのだが、返せ戻せと騒ぐレベルにはなっていないので、当面このままでいくようだ。
(残業時出前回数ベスト3に入る、冷やしたぬきてぶりうどんを久々に)
その足で、5年1か月ぶりとなる、あさひ町の「材木亭」へ。残業時によく出前で食べていた店だが、リタイアしてからは初めてとなる。当時の注文回数のベスト3に入る、冷やしたぬきてぶりうどん、640円。また値が上がっちゃったな。
言ってしまえば、あっさりとした素朴な味。しかしそのデキはけっしてあなどれず、カツオ節の効いた薄味のつゆが極めて美味だし、細打ちのうどんは弾力がすさまじいし、たくさん入った油少なめの天かすは湿気りがなくショリショリ。非の打ちどころはどこにも見当たらない。
ここの麺類の大盛りはかなりの量になるのをよく知っているので、普通盛りで。冷やしものはガツガツ食べても汗をかかなくて済むのがいい。
帰宅してからは、オータニサンが投げている大リーグエンジェルスのテレビ中継を見る。好投はしたが四死球が多く、敗戦投手になった。
昨日の日記に、映画「ヒトラーに屈しなかった国王」(TCエンタテインメント、2018)のことを書いたが、アマゾンプライムビデオにこの映画が会員無料で出ていたのを見つけて、午後はこの映画を鑑賞する。北欧の小国ながらナチ・ドイツに最も抵抗したノルウェーの、歴史に残る重大な決断を下した国王ホーコン7世の運命の3日間を描いたものだ。
1940年4月9日、ノルウェーのフィヨルド湾に侵入したドイツの重巡洋艦をノルウェー軍が砲撃して撃沈して戦端が開く。ドイツ軍はノルウェーの首都オスロに侵攻。果敢に交戦するノルウェー軍だったが、圧倒的な軍事力によって主要な都市は相次いで占領される。
降伏を求めるドイツ軍に対し、ノルウェー政府はそれを拒否し、ホーコン7世は政府閣僚とともにオスロを離れる。ヒトラーの命を受けたドイツ公使はノルウェー政府に、国王との拝謁を求める。
翌日、ドイツ公使と対峙した国王は、ナチス・ドイツに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、家族のため、国民のため、国の運命を左右する究極の選択を迫られる――。
2時間10分かけてたっぷり鑑賞。映画って、どうしてこうも感動してしまうのだろうか。
(映画「ヒトラーに屈しなかった国王」のワンシーン)
「第三帝国の興亡4」は、23時過ぎまで読んだが、この日は午後に映画を観たこともあり、はじめの70ページにとどまった。
オランダ、ベルギーをいとも簡単に手中にしたナチ・ドイツは、ルントシュテット麾下のA軍団がすぐにフランス領へと進出し、アルデンヌの森からソンム川周辺を走り抜けて、一気に英仏海峡近くの町アベヴィルに到達し、ダンケルク付近に追い込まれた英仏軍主力を包囲殲滅できる形となる。
しかしここで、背後の南方から連合軍の別動隊がやってくるのではないかという危惧を抱いたヒトラーは、不可解な停止命令を発する。このわずかの空白時間に連合軍は、輸送船のみならずあらゆる船舶を動員し、英本国に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦(ダイナモ作戦)を成功に導いた。
しかしダンケルクの撤退以後は、仏軍が雪崩を打って崩壊する。ドイツ軍は1940年6月13日にパリを占領し、フランスは21日に講和(降伏)を申し込む。降伏調印は、皮肉にも第一次大戦でドイツ帝国がフランスとその同盟諸国に降伏したコンピエーニュの森で行われた。
――という、ナチ・ドイツがイケイケだったピークの時期の部分。次にドイツは、英国侵攻へと突き進んでいくことになる。
(ダンケルクの戦い見取図)
(フランスが降伏し、パリに入ったドイツ首脳たち)
5月14日から読み始めた全5巻の「第三帝国の興亡」も、早くも4冊目。このノンフィクションの一大絵巻にすっかりハマってしまった形になっている。こうして集中して読めるのも、母の行動が多少は落ち着いたこともあって、今なら内容に集中できる心の安寧があるからだ。この調子がずっと続いてほしいと願う。
また、読んでいると、ドイツという国の歴史的背景についてもっと詳しく知りたくなってくる。「第三帝国」を読み終えたなら、手元に「世界各国史3 ドイツ史(新版)」(林健太郎著、山川出版社、1977)があるので、次はこれを読んでみようか。
24時過ぎ、就寝。
2021.05.31
20210530 日
6時半起床。いい天気だ。
朝からカキモノをたっぷり。昨日は読むほうに力が入ったので、そのドキュメントが今朝になってしまった。その後は今日も読書方向へ。
「かつや」の新しい合い盛りシリーズが5月28日から期間限定メニューとして登場していることを知り、昼食は江俣の「かつや山形江俣店」へ。その同日、山形市内では3店目となる「山形大野目店」が新規開店したことも知る。
豚キムチとチキンソースカツ飯、759円。豚ロース薄切り肉を辛めのキムチとタレに絡め、チキンソースカツと一緒に盛り込んだもの。新作の開発中、丼に収まらないボリュームになったため、カレー皿で提供することにしたのだそうだ。
第一印象は「皿がデカい!」。酸っぱ辛い豚キムチがうまっ! 食欲をそそってくるなぁ。ここのチキンカツは、おそらく仕入れ値は激安なのだろうけど、柔らかい肉の歯触りとサクサクの揚げ方は秀逸の一言で、自分の中ではここのチキンカツがどこのものよりもおいしいと思っている。
ああ、腹が膨れた。多大な満足と、少しの胃もたれと。
(かつやの期間限定、豚キムチとチキンソースカツ飯)
午後以降も第三帝国。
英国本土上陸を意図するナチ・ドイツの「アシカ(シーライオン)作戦」は、ロンドンが世界史上類を見ない空襲を受けたにも関わらず、英空軍も奮闘してフランス北岸に蝟集していたドイツ海軍の船舶や基地を爆撃し、1940年9月、ヒトラーはとうとう作戦延期を決断する。快進撃を続けてきたドイツは、ここにきて初めて、痛切な挫折を味わうこととなった。そして無期延期されたこの作戦は、結局実施されることはなかった。
(ルフトバッフェ(ドイツ空軍)によって破壊されたロンドン中心部 1940.9)
そして記述は、ソ連に対する奇襲攻撃作戦である「バルバロッサ作戦」へと移っていく。以下、ウィキペディアから引用。
「ドイツ軍はソ連国境に3個軍集団300万の兵力を集結させた。ヒトラーとドイツ軍指導部は、攻撃・占拠目標としてソ連の特定の地方及び大都市を割り当てた。北方軍集団は、バルト海沿岸に沿い旧バルト三国を経由して北ロシアへ侵入し、レーニングラード(現サンクトペテルブルク)の占領もしくは破壊を目標とした。中央軍集団は、現在のベラルーシを通りロシアの中西部を進軍し、モスクワへの直接攻撃が目標となった。南方軍集団はソ連最大の穀倉地帯であり、一大工業地帯でもある人口密度の高いウクライナ地域を攻撃、キエフを攻略し、南ロシアの草原を抜け東方のヴォルガ川まで進軍するように計画を整えた。」
1940年11月、ベルリンを訪問したソ連外務委員のモロトフが、狡猾で虎の威を借りたドイツの外務大臣のみならず、弁の立つことと恫喝ではピカイチの総統までを質問攻めにして、彼らをタジタジとさせる場面が出てくる。相当タフなネゴシエーターだったのだな。
(バルバロッサ作戦(1941.6)の見取図)
23時までに90ページ。この日もほぼ終日、第三帝国史学習デーとなった。
ほかには「沖縄 若夏の記録」を30ページ。「第三帝国」に比べれば、とても簡単に読める。
この日も就寝は24時頃となる。読書のため眼が疲れている。
朝からカキモノをたっぷり。昨日は読むほうに力が入ったので、そのドキュメントが今朝になってしまった。その後は今日も読書方向へ。
「かつや」の新しい合い盛りシリーズが5月28日から期間限定メニューとして登場していることを知り、昼食は江俣の「かつや山形江俣店」へ。その同日、山形市内では3店目となる「山形大野目店」が新規開店したことも知る。
豚キムチとチキンソースカツ飯、759円。豚ロース薄切り肉を辛めのキムチとタレに絡め、チキンソースカツと一緒に盛り込んだもの。新作の開発中、丼に収まらないボリュームになったため、カレー皿で提供することにしたのだそうだ。
第一印象は「皿がデカい!」。酸っぱ辛い豚キムチがうまっ! 食欲をそそってくるなぁ。ここのチキンカツは、おそらく仕入れ値は激安なのだろうけど、柔らかい肉の歯触りとサクサクの揚げ方は秀逸の一言で、自分の中ではここのチキンカツがどこのものよりもおいしいと思っている。
ああ、腹が膨れた。多大な満足と、少しの胃もたれと。
(かつやの期間限定、豚キムチとチキンソースカツ飯)
午後以降も第三帝国。
英国本土上陸を意図するナチ・ドイツの「アシカ(シーライオン)作戦」は、ロンドンが世界史上類を見ない空襲を受けたにも関わらず、英空軍も奮闘してフランス北岸に蝟集していたドイツ海軍の船舶や基地を爆撃し、1940年9月、ヒトラーはとうとう作戦延期を決断する。快進撃を続けてきたドイツは、ここにきて初めて、痛切な挫折を味わうこととなった。そして無期延期されたこの作戦は、結局実施されることはなかった。
(ルフトバッフェ(ドイツ空軍)によって破壊されたロンドン中心部 1940.9)
そして記述は、ソ連に対する奇襲攻撃作戦である「バルバロッサ作戦」へと移っていく。以下、ウィキペディアから引用。
「ドイツ軍はソ連国境に3個軍集団300万の兵力を集結させた。ヒトラーとドイツ軍指導部は、攻撃・占拠目標としてソ連の特定の地方及び大都市を割り当てた。北方軍集団は、バルト海沿岸に沿い旧バルト三国を経由して北ロシアへ侵入し、レーニングラード(現サンクトペテルブルク)の占領もしくは破壊を目標とした。中央軍集団は、現在のベラルーシを通りロシアの中西部を進軍し、モスクワへの直接攻撃が目標となった。南方軍集団はソ連最大の穀倉地帯であり、一大工業地帯でもある人口密度の高いウクライナ地域を攻撃、キエフを攻略し、南ロシアの草原を抜け東方のヴォルガ川まで進軍するように計画を整えた。」
1940年11月、ベルリンを訪問したソ連外務委員のモロトフが、狡猾で虎の威を借りたドイツの外務大臣のみならず、弁の立つことと恫喝ではピカイチの総統までを質問攻めにして、彼らをタジタジとさせる場面が出てくる。相当タフなネゴシエーターだったのだな。
(バルバロッサ作戦(1941.6)の見取図)
23時までに90ページ。この日もほぼ終日、第三帝国史学習デーとなった。
ほかには「沖縄 若夏の記録」を30ページ。「第三帝国」に比べれば、とても簡単に読める。
この日も就寝は24時頃となる。読書のため眼が疲れている。
2021.06.01
20210531 月
晴れた、爽やかな朝、6時起床。日中の天気は良くなるようだ。
朝のうちにカキモノを済ませて、週明けの株式市況に合わせて主として売り注文を入れる。先週末には大きく値を上げたが、これからしばらくは下げ基調の潮目に入るだろうと勝手に読んでいて、買い値よりもやや高い値で数本の売りを入れていた。しかし、結果としてはそううまくはいかず、この日はどの銘柄もおしなべてメリハリなく値を下げるのを手をこまねいて見ていただけの一日となってしまった。こうなると、今後はますます動きづらい形になってしまうのだが……。
その後は読むほうへと進んで、「第三帝国の興亡4」。
ファシスト・イタリアがもたついているアルバニア、ギリシャ戦線にナチ・ドイツがテコ入れし、ムッソリーニが冬中かかって失敗した戦いを、ヒトラーは春の数日で勝利する。1941年4月27日にはナチの戦車隊がアテネに入城し、アクロポリスの丘に鉤十字旗が翻った。
(アクロポリスの丘に鉤十字旗が翻った。 1941.4.27)
しかしこのため、対ソ作戦のバルバロッサ作戦は開始が4~5週間ほど後ろにずれ込み、ドイツ全体の戦況に大きな影響を与えることになる。対ソ戦が長期化すれば、ロシアの厳しい冬がやってくることを忘れてはならない。
この間の1941年5月10日、ナチス・ドイツのナンバー2のルドルフ・ヘスがメッサーシュミット機を駆って単独でスコットランドへと飛び、イギリスとの和平交渉をしようとして拘束される事件が起きている。
また、ヒトラーは、独ソ戦を始める直前の同年6月6日、ソ連赤軍の捕虜のうち政治将校(コミッサール)を選別し、自ら投降したり敵対行為を行っていなかった場合を除き、捕虜収容所には入れずにその場で処刑することを命じている。(「コミッサール指令」)
この日も23時半までに90ページを読むのが精一杯。
(ドイツ本)
昼食は、エソ煮干し中華で人気店になった「麺場くうが?寒河江店」が、2019年12月に店名を変えて営業している、「幸めん」へ。「麺場くうが?」時代の2018年2月以来なので、「幸めん」になってからは初訪問となる。
天然カマス煮干し中華醤油味の大盛り、太麺チョイスの背脂無料追加で、700+100円。スープはしっかり魚の干物の味と香り。このスープを啜るだけではそれがカマスだとわかるわけではないけれども、風味はあっさり系なのに、深々とした奥行きが感じられておいしい。特定の煮干をフィーチャーして様々なダシ味を食べ比べさせる売り方は、もっとこの業界に広がってもいい。そのままだと油分が足りないが、背脂を入れるとぐんとコクが増す。
極太くねくねの麺もわしわしとした食感で、存在感が強くていい感じ。厚切り、大面積のチャーシューが2枚、多めのメンマ、煮卵、しゃっきりネギに板海苔と、トッピングも充実。この内容でこの価格なら、高パフォーマンスの店と言っていいと思う。
(「幸めん」の天然カマス煮干し中華醤油味)
この日の読書は上記のほか、「沖縄 若夏の記録」を40ページ。
読んでいる時間が長いので、目が疲れ、乾きがちになっている。
朝のうちにカキモノを済ませて、週明けの株式市況に合わせて主として売り注文を入れる。先週末には大きく値を上げたが、これからしばらくは下げ基調の潮目に入るだろうと勝手に読んでいて、買い値よりもやや高い値で数本の売りを入れていた。しかし、結果としてはそううまくはいかず、この日はどの銘柄もおしなべてメリハリなく値を下げるのを手をこまねいて見ていただけの一日となってしまった。こうなると、今後はますます動きづらい形になってしまうのだが……。
その後は読むほうへと進んで、「第三帝国の興亡4」。
ファシスト・イタリアがもたついているアルバニア、ギリシャ戦線にナチ・ドイツがテコ入れし、ムッソリーニが冬中かかって失敗した戦いを、ヒトラーは春の数日で勝利する。1941年4月27日にはナチの戦車隊がアテネに入城し、アクロポリスの丘に鉤十字旗が翻った。
(アクロポリスの丘に鉤十字旗が翻った。 1941.4.27)
しかしこのため、対ソ作戦のバルバロッサ作戦は開始が4~5週間ほど後ろにずれ込み、ドイツ全体の戦況に大きな影響を与えることになる。対ソ戦が長期化すれば、ロシアの厳しい冬がやってくることを忘れてはならない。
この間の1941年5月10日、ナチス・ドイツのナンバー2のルドルフ・ヘスがメッサーシュミット機を駆って単独でスコットランドへと飛び、イギリスとの和平交渉をしようとして拘束される事件が起きている。
また、ヒトラーは、独ソ戦を始める直前の同年6月6日、ソ連赤軍の捕虜のうち政治将校(コミッサール)を選別し、自ら投降したり敵対行為を行っていなかった場合を除き、捕虜収容所には入れずにその場で処刑することを命じている。(「コミッサール指令」)
この日も23時半までに90ページを読むのが精一杯。
(ドイツ本)
昼食は、エソ煮干し中華で人気店になった「麺場くうが?寒河江店」が、2019年12月に店名を変えて営業している、「幸めん」へ。「麺場くうが?」時代の2018年2月以来なので、「幸めん」になってからは初訪問となる。
天然カマス煮干し中華醤油味の大盛り、太麺チョイスの背脂無料追加で、700+100円。スープはしっかり魚の干物の味と香り。このスープを啜るだけではそれがカマスだとわかるわけではないけれども、風味はあっさり系なのに、深々とした奥行きが感じられておいしい。特定の煮干をフィーチャーして様々なダシ味を食べ比べさせる売り方は、もっとこの業界に広がってもいい。そのままだと油分が足りないが、背脂を入れるとぐんとコクが増す。
極太くねくねの麺もわしわしとした食感で、存在感が強くていい感じ。厚切り、大面積のチャーシューが2枚、多めのメンマ、煮卵、しゃっきりネギに板海苔と、トッピングも充実。この内容でこの価格なら、高パフォーマンスの店と言っていいと思う。
(「幸めん」の天然カマス煮干し中華醤油味)
この日の読書は上記のほか、「沖縄 若夏の記録」を40ページ。
読んでいる時間が長いので、目が疲れ、乾きがちになっている。
2021.06.02
20210601 火
あまり本調子とは言えず、7時前までベッドでごろごろしてから起き出す。胃の調子がよろしくないのと、右肘の腱鞘炎症状。胃には消化に苦慮している様子が感じ取られるし、肘のほうはタオルを強く絞り過ぎたためだと原因はわかっている。
今日から6月。朝から晴れていい気候なのだが、緊急事態宣言が延長されて、外出は控えろ、県境をまたぐなという世の中の風潮は続く。これには逆らえず、静かにしているしかないのがたいへんつまらない。
朝作業を終えて、開いたばかりの東京市場を確認しつつ、1銘柄を売ってわずかの利益を確保する。
その後はドイツ本の読みへ。自分にしてはよく続いている。
この日読んだところは、1941年の後半あたりからで、日本がアメリカに参戦したことで、ドイツは英・ソ・米という世界最大の工業国3つを敵に回して戦うこととなり、戦況の大いなる転機となる1942年を迎えた頃合いのところ。
春のうちはドイツ軍の調子がよく、衛星国のハンガリー、ルーマニア、イタリアから兵力をかき集めて油田地帯のコーカサスとスターリングラード(現・ボルゴグラード)に向けて進撃する。北アフリカの砂漠でも、ロンメルが攻勢を再開し、エジプトの征服も見えてきていた。
しかし、北アフリカには東欧方面を重視したヒトラーが兵力増強を拒み、11月にエル・アラメインでモントゴメリ将軍が率いる連合軍から大敗北を喫して、これが終わりの始まりとなる。
そして、第二の決定機な戦いが南部ロシアの雪の雪原で始まる。1943年2月、スターリングラードでソ連軍に包囲されたドイツ軍は、降伏することなく最後の一兵まで戦えという最高司令官の冷徹な命令に従い、30万人近くの征服軍の多くが死に、命拾いをした10万人ほどが収容所送りとなって壊滅する。収容所から生きて再び祖国の地を踏めたのは、このうちたったの5千名だったという。
(攻防終結後のスターリングラード 1943.2)
昼食は、1年3か月ぶりに、「韓丼山形あかねヶ丘店」にて。
オープンほどなくして入店した前回はかなり混雑していて、店員のオペレーションもひどいものだったけれども、今回はあの喧騒は去り、開店直後の11時過ぎはガラガラで、食べ終わるまで客は自分一人だった。大丈夫なのか?
これを食べようと決めて入店した、ビビンバ+キムチ、650+90円。石焼きのメニューもあるが、何度か食べているうちにビビンバは石焼きではなくノーマルな形で味わうほうがおいしいということに、最近気づき始めたもので。
いろいろな具材が標準装備されているが、キムチ追加は味が深まり、自分にとっては正解だった。カルビの追加は値がかさむだけなので、それは必要なし。付随のコチュジャンをこれでもかとかけ回して食べるのが自分流。ぐりぐりと混ぜれば全体に赤みが増していき、これはうまいこと間違いなしと思えてきて涎が出てくる。濃いめの味といい辛さは、下の瞼にほのかに汗を滲ませる。ボリューム的にはもう1~2口欲しいなといったところ。このぐらいにとどめておくほうが、消化器官にはいいだろう。
去年の夏には6月半ばから期間限定で2種類の冷麺を提供していたけれども、今年もあるのかな。あったならそれも食べてみたいと思う。
(「韓丼山形あかねヶ丘店」のビビンバ+キムチ)
その後は、飲料などの買い物をして、母がよく散歩をしていた近くの河川公園に行ってみる。
家に戻ったときにはそこをまた歩きたいというのが母の願望なのだが、満足に歩くことができない高齢者にとってその経路がどの程度歩くのに適した場所なのかを確認するためだ。階段こそないものの、緩やかながら長い坂があって、杖で歩くにはいいかもしれないが、歩行器で歩くのは厳しいと思う。車に轢かれる心配はないけれども、人がほとんど通らないので、一人で歩いていて何か不測の事態があったりするとまずい。それよりも、その公園まで歩いていけるかということのほうが問題かもしれない。
(家の近くの河川公園から蔵王山系の竜山を望む。いい天気だ)
午後、夜と、空き時間はひたすら読書をして、「第三帝国の興亡4」を90ページ余り読んで読了。読了は22時半。
眼が疲れたしもう寝ようと、23時半消灯。
今日から6月。朝から晴れていい気候なのだが、緊急事態宣言が延長されて、外出は控えろ、県境をまたぐなという世の中の風潮は続く。これには逆らえず、静かにしているしかないのがたいへんつまらない。
朝作業を終えて、開いたばかりの東京市場を確認しつつ、1銘柄を売ってわずかの利益を確保する。
その後はドイツ本の読みへ。自分にしてはよく続いている。
この日読んだところは、1941年の後半あたりからで、日本がアメリカに参戦したことで、ドイツは英・ソ・米という世界最大の工業国3つを敵に回して戦うこととなり、戦況の大いなる転機となる1942年を迎えた頃合いのところ。
春のうちはドイツ軍の調子がよく、衛星国のハンガリー、ルーマニア、イタリアから兵力をかき集めて油田地帯のコーカサスとスターリングラード(現・ボルゴグラード)に向けて進撃する。北アフリカの砂漠でも、ロンメルが攻勢を再開し、エジプトの征服も見えてきていた。
しかし、北アフリカには東欧方面を重視したヒトラーが兵力増強を拒み、11月にエル・アラメインでモントゴメリ将軍が率いる連合軍から大敗北を喫して、これが終わりの始まりとなる。
そして、第二の決定機な戦いが南部ロシアの雪の雪原で始まる。1943年2月、スターリングラードでソ連軍に包囲されたドイツ軍は、降伏することなく最後の一兵まで戦えという最高司令官の冷徹な命令に従い、30万人近くの征服軍の多くが死に、命拾いをした10万人ほどが収容所送りとなって壊滅する。収容所から生きて再び祖国の地を踏めたのは、このうちたったの5千名だったという。
(攻防終結後のスターリングラード 1943.2)
昼食は、1年3か月ぶりに、「韓丼山形あかねヶ丘店」にて。
オープンほどなくして入店した前回はかなり混雑していて、店員のオペレーションもひどいものだったけれども、今回はあの喧騒は去り、開店直後の11時過ぎはガラガラで、食べ終わるまで客は自分一人だった。大丈夫なのか?
これを食べようと決めて入店した、ビビンバ+キムチ、650+90円。石焼きのメニューもあるが、何度か食べているうちにビビンバは石焼きではなくノーマルな形で味わうほうがおいしいということに、最近気づき始めたもので。
いろいろな具材が標準装備されているが、キムチ追加は味が深まり、自分にとっては正解だった。カルビの追加は値がかさむだけなので、それは必要なし。付随のコチュジャンをこれでもかとかけ回して食べるのが自分流。ぐりぐりと混ぜれば全体に赤みが増していき、これはうまいこと間違いなしと思えてきて涎が出てくる。濃いめの味といい辛さは、下の瞼にほのかに汗を滲ませる。ボリューム的にはもう1~2口欲しいなといったところ。このぐらいにとどめておくほうが、消化器官にはいいだろう。
去年の夏には6月半ばから期間限定で2種類の冷麺を提供していたけれども、今年もあるのかな。あったならそれも食べてみたいと思う。
(「韓丼山形あかねヶ丘店」のビビンバ+キムチ)
その後は、飲料などの買い物をして、母がよく散歩をしていた近くの河川公園に行ってみる。
家に戻ったときにはそこをまた歩きたいというのが母の願望なのだが、満足に歩くことができない高齢者にとってその経路がどの程度歩くのに適した場所なのかを確認するためだ。階段こそないものの、緩やかながら長い坂があって、杖で歩くにはいいかもしれないが、歩行器で歩くのは厳しいと思う。車に轢かれる心配はないけれども、人がほとんど通らないので、一人で歩いていて何か不測の事態があったりするとまずい。それよりも、その公園まで歩いていけるかということのほうが問題かもしれない。
(家の近くの河川公園から蔵王山系の竜山を望む。いい天気だ)
午後、夜と、空き時間はひたすら読書をして、「第三帝国の興亡4」を90ページ余り読んで読了。読了は22時半。
眼が疲れたしもう寝ようと、23時半消灯。
2021.06.03
20210602 水
5時に一度目が覚めたが、次に気がついたのは6時半。もう少し寝ていようとうたた寝し、7時前にようやく起床。雲の厚い朝だ。8時台には小雨も降る。
都心から離れた山の中にある超近代的な私立大学のセミナー棟に2週間ほど合宿して、何かを学んでいる夢を見る。集中して学ぶにはいい環境かもしれないが、都内の下宿から毎日通う気には到底なれない距離と場所で、自分なら間違いなく通学しなくなる。だが、このセミナー棟で暮らせるのならば、半年ぐらいは遊学気分でここにいてもいいかなと考えているのだった。好きな離島に長期滞在するようなものだろうという発想で。
(okinawa-image(座間味島))
水曜恒例、母の入居施設に届け物。11時前に着くと、玄関のソファですでに待っている。
言うことは相変わらずで、心筋梗塞で胸が痛いの、頭の血管が切れそうな頭痛がするだのと、自己診断に基づくイタイイタイ攻撃を仕掛けてくる。だが、どこの医者に連れて行っても、血圧、心電図、レントゲンなどの検査結果は常に良好なので、これ以上医者に行っても意味がないですよとしか、こちらは思えない。余計なことを言い足すとしたら、あちこちの身体の痛みはすべて、自分の心から生じているものだ、ということだろうか。
何も悪いことをするのではないからちょっと玄関の外に行ってみたいと、建物から出ようとする。悪いことをしたために入っている施設ではないのです。悪事を働かなければ規則を無視して何をしてもいいわけではないのです。さあ帰ろうというこのような行動は、心身障害者福祉施設に行けば入所者によく見られることでもあったりする。
家に持っていかれた電話を早く戻してほしいと言われる。しかしそれは、息子にではなく施設に言うべきことだ。電話を撤去したときに母が同意したのは、しばらくの間は施設の事務室で電話を預かってもらうということだったのを忘れたか。そんなことはもうすっかり覚えていず、母の頭の中では、業を煮やした息子が強引に持って帰ったきり二度と返すつもりはないということになっているようだ。
まったく心外なことだ。筋違いな方面へは訴えず、自分で施設を説得せよ。「電話もそろそろ卒業しようかな」と言ったのは自分だったろうに。
会って話すたびに、結果としてこちらがいやな思いをすることになるのは変わっていない。電話が無くなったために、この2週間ほどはそんな言いぶりを聞かされることが減ったので、こちらはこわばった肩の力が多少なりとも緩和されてきたが、家族に代わって毎日文句ばかりを聞かされる職員たちはもっといやな思いをしているのだろう。
この日の昼食は炒飯と決めている。しばし検討して、桜田東の「栄幸亭」をセレクト。
チャーハンとジャンボギョウザ、650+350円。
チャーハンは、フライパンの上で長めの時間をかけて調理され、パラパラになって登場。卵の黄色、ネギの緑、福神漬の橙色がきれい。角切りのチャーシューの存在感も大きく、出色の出来栄えだ。塩味が強めだが、それは味がはっきりしているとも言え、個人的にはある程度歓迎すべきことだ。量もきっちりある。
少し遅れて配膳されたジャンボギョウザは、その名のとおり大きいのが5個で、立派。餃子は点心でいいのだという他店にみられる安易な考えはさらさらない模様だ。具だくさんで、一つひとつがずっしりと重く、大きいし熱いしで一口では食べられないため途中から箸で2つに切り分けて食べる。栄幸亭で食べるならこの餃子は外せないだろう。
というわけで、1,000円の価値は十分。ごちそうさまでした。
(「栄幸亭」のチャーハンは出色だった)
この日の株式取引は、持ち株ベースで言えば比較的大きな動きとなった。自動車と空運、さらには金融、電力などでの持ち株数の多い銘柄もしっかりで、全体としての評価額が2%以上アップした。この間、電通、ANA、日航の一部を売って小利益を確定する。
この数か月間に取り組んでいるショートレンジでの売買はけっこう奏功していて、大きくはないけれども日々の小遣い銭程度なら十分に賄える利益を出している。大儲けはない代わりに長期間保有することでの損害リスクも低減され、マインド的にも負荷が少ないのがいい。幸いにして日中に市場動向を確認する時間を取れる立場にあるので、このような危険回避の小利益主義をしばらくは堅持していこうと思っている。
夕刻の入浴ではみっちり汗をかいて、というか、いつもと同じ時間だけ湯に浸かると外気温が高いためか汗が止まらず、思惑以上の減量をすることができ、その分冷たいチューハイをおいしく飲むことができた。
この日の最高気温は28.5℃まで上がり、暑い夜となったので、今夜から部屋着を半袖Tシャツと短パンに替えてみる。そうしても寒く感じない。もう6月なのだものな。
午前のうちから、全5巻の最後となる「第三帝国の興亡5 -ナチ・ドイツの滅亡-」(W・L・シャイラー著、井上勇訳、東京創元社、1961)を読み始める。
第5巻は、はじめのページから記述が暗い。ナチスが創り出そうとしていた「新秩序」なるものがいかに残酷で、身勝手で、容赦のないものであったかが、連綿と記されている。支配した地域の資源を搾取してドイツの利益のために使い、支配した住民をドイツ民族の奴隷とし、第一にユダヤ人、そして東欧の多くのスラブ族を根絶やしにするというのだった。これをこの日は60ページ。
ほかには、「沖縄 若夏の記録」を50ページ読んで読了。1997年初版のものを2016年に文庫化したもの。なんとなく既視感があったので調べてみると、この初版を2015年の段階ですでに一度読んでいたことがわかる。
(「沖縄 若夏の記録」の著者大石芳野と、その初版本(中央)と文庫版)
24時前に消灯。
都心から離れた山の中にある超近代的な私立大学のセミナー棟に2週間ほど合宿して、何かを学んでいる夢を見る。集中して学ぶにはいい環境かもしれないが、都内の下宿から毎日通う気には到底なれない距離と場所で、自分なら間違いなく通学しなくなる。だが、このセミナー棟で暮らせるのならば、半年ぐらいは遊学気分でここにいてもいいかなと考えているのだった。好きな離島に長期滞在するようなものだろうという発想で。
(okinawa-image(座間味島))
水曜恒例、母の入居施設に届け物。11時前に着くと、玄関のソファですでに待っている。
言うことは相変わらずで、心筋梗塞で胸が痛いの、頭の血管が切れそうな頭痛がするだのと、自己診断に基づくイタイイタイ攻撃を仕掛けてくる。だが、どこの医者に連れて行っても、血圧、心電図、レントゲンなどの検査結果は常に良好なので、これ以上医者に行っても意味がないですよとしか、こちらは思えない。余計なことを言い足すとしたら、あちこちの身体の痛みはすべて、自分の心から生じているものだ、ということだろうか。
何も悪いことをするのではないからちょっと玄関の外に行ってみたいと、建物から出ようとする。悪いことをしたために入っている施設ではないのです。悪事を働かなければ規則を無視して何をしてもいいわけではないのです。さあ帰ろうというこのような行動は、心身障害者福祉施設に行けば入所者によく見られることでもあったりする。
家に持っていかれた電話を早く戻してほしいと言われる。しかしそれは、息子にではなく施設に言うべきことだ。電話を撤去したときに母が同意したのは、しばらくの間は施設の事務室で電話を預かってもらうということだったのを忘れたか。そんなことはもうすっかり覚えていず、母の頭の中では、業を煮やした息子が強引に持って帰ったきり二度と返すつもりはないということになっているようだ。
まったく心外なことだ。筋違いな方面へは訴えず、自分で施設を説得せよ。「電話もそろそろ卒業しようかな」と言ったのは自分だったろうに。
会って話すたびに、結果としてこちらがいやな思いをすることになるのは変わっていない。電話が無くなったために、この2週間ほどはそんな言いぶりを聞かされることが減ったので、こちらはこわばった肩の力が多少なりとも緩和されてきたが、家族に代わって毎日文句ばかりを聞かされる職員たちはもっといやな思いをしているのだろう。
この日の昼食は炒飯と決めている。しばし検討して、桜田東の「栄幸亭」をセレクト。
チャーハンとジャンボギョウザ、650+350円。
チャーハンは、フライパンの上で長めの時間をかけて調理され、パラパラになって登場。卵の黄色、ネギの緑、福神漬の橙色がきれい。角切りのチャーシューの存在感も大きく、出色の出来栄えだ。塩味が強めだが、それは味がはっきりしているとも言え、個人的にはある程度歓迎すべきことだ。量もきっちりある。
少し遅れて配膳されたジャンボギョウザは、その名のとおり大きいのが5個で、立派。餃子は点心でいいのだという他店にみられる安易な考えはさらさらない模様だ。具だくさんで、一つひとつがずっしりと重く、大きいし熱いしで一口では食べられないため途中から箸で2つに切り分けて食べる。栄幸亭で食べるならこの餃子は外せないだろう。
というわけで、1,000円の価値は十分。ごちそうさまでした。
(「栄幸亭」のチャーハンは出色だった)
この日の株式取引は、持ち株ベースで言えば比較的大きな動きとなった。自動車と空運、さらには金融、電力などでの持ち株数の多い銘柄もしっかりで、全体としての評価額が2%以上アップした。この間、電通、ANA、日航の一部を売って小利益を確定する。
この数か月間に取り組んでいるショートレンジでの売買はけっこう奏功していて、大きくはないけれども日々の小遣い銭程度なら十分に賄える利益を出している。大儲けはない代わりに長期間保有することでの損害リスクも低減され、マインド的にも負荷が少ないのがいい。幸いにして日中に市場動向を確認する時間を取れる立場にあるので、このような危険回避の小利益主義をしばらくは堅持していこうと思っている。
夕刻の入浴ではみっちり汗をかいて、というか、いつもと同じ時間だけ湯に浸かると外気温が高いためか汗が止まらず、思惑以上の減量をすることができ、その分冷たいチューハイをおいしく飲むことができた。
この日の最高気温は28.5℃まで上がり、暑い夜となったので、今夜から部屋着を半袖Tシャツと短パンに替えてみる。そうしても寒く感じない。もう6月なのだものな。
午前のうちから、全5巻の最後となる「第三帝国の興亡5 -ナチ・ドイツの滅亡-」(W・L・シャイラー著、井上勇訳、東京創元社、1961)を読み始める。
第5巻は、はじめのページから記述が暗い。ナチスが創り出そうとしていた「新秩序」なるものがいかに残酷で、身勝手で、容赦のないものであったかが、連綿と記されている。支配した地域の資源を搾取してドイツの利益のために使い、支配した住民をドイツ民族の奴隷とし、第一にユダヤ人、そして東欧の多くのスラブ族を根絶やしにするというのだった。これをこの日は60ページ。
ほかには、「沖縄 若夏の記録」を50ページ読んで読了。1997年初版のものを2016年に文庫化したもの。なんとなく既視感があったので調べてみると、この初版を2015年の段階ですでに一度読んでいたことがわかる。
(「沖縄 若夏の記録」の著者大石芳野と、その初版本(中央)と文庫版)
24時前に消灯。
2021.06.04
20210603 木
昨夜の寝つきがよくなかったためか、起きたのは7時過ぎ。外はピーカン。さあ、今日も暑くなるぞ。
起きるのが遅いので、カキモノをしてブログの記事公開をしているうちにもう8時半。9時に開く株式市場に向けてのタマ込めをして、ようやく日頃のペースに追いつく。
持ち株の株価はけっこう上げ下げがあり、うまくいったものとそうでないものと。早いうちにいい値で売れたのと買えたのとがそれぞれ1本ずつ、もっと上かりそうだと踏んで途中で指値を引き上げたために買えず、その結果終値では下がってしまったものが3本ほどあった。
昼食は、6か月ぶりに鳥居ケ丘の「お食事処北海」へ。暑いので冷やし系だな。
冷やし中華を大盛りにして、970円。平皿ではなく大盛り用のラーメンどんぶりにて登場。芥子が付いていなかったのでおばさんにお願いして小袋入りのそれを持ってきてもらう。
一見するだけで、多い。だが、食べ始めると自家製麺がおいしく、それを大盛りで食べられるのがうれしい。キュウリ、錦糸玉子、トマト、刻み海苔、茹でモヤシ、チャーシュー、メンマ、擂り胡麻などに加えて、ひらひらの紅生姜があしらわれているあたりにキュートさを感じる。酸っぱいつゆもたっぷりあって、ついどんぶりを持って啜りたくなってしまった。さすが、北海。いい仕事をしている。
(「お食事処北海」の冷やし中華)
その足で実家へと向かい、久しぶりに庭の草取りをする。1時間半ほど格闘してたちまちバテてしまう。持久力が大きく落ちていることをはっきりと自覚させられる。とても一日では終わらず、今日はこの程度で勘弁してやると庭に向かって言い捨てて作業終了。たいして広い庭でもないのに、半分も片付かなかったのではないか。
近いうちに必要な物品を揃えて再度臨む必要がある。まずは除草剤だな。ドクダミをはじめとした雑草を根絶やしにしてやろうではないか。ほかには剪定鋏と枝切り用ノコギリを持って行って、通路を塞ぎ始めている庭木の枝をバサバサと落とそう。おれはナチスのSSだ。情け容赦なく草どもを殺戮し、枝を叩き切って、実家の庭の「新秩序」を実現してやろうではないか、フフッ。ほかに、窓の隙間を塞ぐガムテープ。浴室のタイルの崩落が始まっていることに気づき、ショックを受けたが、これはどうしたらいいのだろうか。
14時過ぎに、家に戻る。冷たい飲み物をぐびぐびといきたいところだ。よーし、それでは――。時間的に少し早いけど、こうなりゃビールしかないでしょ。明るいうちから飲めるのも、隠居組の特権だからね。
冷蔵庫に入っていた木内酒造合資会社(茨城県那珂市)製の「常陸野ネストラガー」とアサヒの発泡酒の2本をたて続けにやっつけてしまった。ああ、んめぇっ! サイコーじゃん。
飲み終えて缶の底を見ると、ネストラガーは賞味期限がとっくに切れていた。しかしそれでもうまかったし腹痛などもなかったから、問題はない。
(木内酒造合資会社の常陸野ネストラガー)
疲れた後に酔ったりしたらどうなるかは火を見るよりも明らかで、あ~あ……と、ちょこっと横になったらもう眠りへ。昼寝ってどうしてこう気持ちがいいんだ。これもまた、隠居組の特権なのだろうな。
昼寝から目覚めたのは17時過ぎ。アレマ、早く風呂の準備をしないと。
すでに飲んで体内に水分を蓄えているのに、昼の作業で汗をかいたからか、入浴前体重は76.2kgといつもよりも0.5kgほど少ない。でもって、暑い日なのにいつもと同じくらい湯に浸かってしまったから、入浴後体重は大幅に落ちて74.6kgとなっている。あん? でもこの体重計、ヘンなんじゃないの。いくらなんでもそれは減り過ぎだろう。なんだかこの長風呂のせいでまたもやぐったりしてしまったなぁ。
19時半頃から改めて正規の飲み方(?)を始め、さらにくなくなになってこの日はもうつかいものにならなくなってしまう。
ドイツ本も読めず。第4巻まではドイツ軍の電撃戦のような快速ぶりで読んできたのだが、ここに来て進撃がピタリと止まる。ドイツ軍と同じで、ソ連の厳しい冬を前にしているような感じか。
22時半には床に入って、くったりとしているうちに眠りへ。
起きるのが遅いので、カキモノをしてブログの記事公開をしているうちにもう8時半。9時に開く株式市場に向けてのタマ込めをして、ようやく日頃のペースに追いつく。
持ち株の株価はけっこう上げ下げがあり、うまくいったものとそうでないものと。早いうちにいい値で売れたのと買えたのとがそれぞれ1本ずつ、もっと上かりそうだと踏んで途中で指値を引き上げたために買えず、その結果終値では下がってしまったものが3本ほどあった。
昼食は、6か月ぶりに鳥居ケ丘の「お食事処北海」へ。暑いので冷やし系だな。
冷やし中華を大盛りにして、970円。平皿ではなく大盛り用のラーメンどんぶりにて登場。芥子が付いていなかったのでおばさんにお願いして小袋入りのそれを持ってきてもらう。
一見するだけで、多い。だが、食べ始めると自家製麺がおいしく、それを大盛りで食べられるのがうれしい。キュウリ、錦糸玉子、トマト、刻み海苔、茹でモヤシ、チャーシュー、メンマ、擂り胡麻などに加えて、ひらひらの紅生姜があしらわれているあたりにキュートさを感じる。酸っぱいつゆもたっぷりあって、ついどんぶりを持って啜りたくなってしまった。さすが、北海。いい仕事をしている。
(「お食事処北海」の冷やし中華)
その足で実家へと向かい、久しぶりに庭の草取りをする。1時間半ほど格闘してたちまちバテてしまう。持久力が大きく落ちていることをはっきりと自覚させられる。とても一日では終わらず、今日はこの程度で勘弁してやると庭に向かって言い捨てて作業終了。たいして広い庭でもないのに、半分も片付かなかったのではないか。
近いうちに必要な物品を揃えて再度臨む必要がある。まずは除草剤だな。ドクダミをはじめとした雑草を根絶やしにしてやろうではないか。ほかには剪定鋏と枝切り用ノコギリを持って行って、通路を塞ぎ始めている庭木の枝をバサバサと落とそう。おれはナチスのSSだ。情け容赦なく草どもを殺戮し、枝を叩き切って、実家の庭の「新秩序」を実現してやろうではないか、フフッ。ほかに、窓の隙間を塞ぐガムテープ。浴室のタイルの崩落が始まっていることに気づき、ショックを受けたが、これはどうしたらいいのだろうか。
14時過ぎに、家に戻る。冷たい飲み物をぐびぐびといきたいところだ。よーし、それでは――。時間的に少し早いけど、こうなりゃビールしかないでしょ。明るいうちから飲めるのも、隠居組の特権だからね。
冷蔵庫に入っていた木内酒造合資会社(茨城県那珂市)製の「常陸野ネストラガー」とアサヒの発泡酒の2本をたて続けにやっつけてしまった。ああ、んめぇっ! サイコーじゃん。
飲み終えて缶の底を見ると、ネストラガーは賞味期限がとっくに切れていた。しかしそれでもうまかったし腹痛などもなかったから、問題はない。
(木内酒造合資会社の常陸野ネストラガー)
疲れた後に酔ったりしたらどうなるかは火を見るよりも明らかで、あ~あ……と、ちょこっと横になったらもう眠りへ。昼寝ってどうしてこう気持ちがいいんだ。これもまた、隠居組の特権なのだろうな。
昼寝から目覚めたのは17時過ぎ。アレマ、早く風呂の準備をしないと。
すでに飲んで体内に水分を蓄えているのに、昼の作業で汗をかいたからか、入浴前体重は76.2kgといつもよりも0.5kgほど少ない。でもって、暑い日なのにいつもと同じくらい湯に浸かってしまったから、入浴後体重は大幅に落ちて74.6kgとなっている。あん? でもこの体重計、ヘンなんじゃないの。いくらなんでもそれは減り過ぎだろう。なんだかこの長風呂のせいでまたもやぐったりしてしまったなぁ。
19時半頃から改めて正規の飲み方(?)を始め、さらにくなくなになってこの日はもうつかいものにならなくなってしまう。
ドイツ本も読めず。第4巻まではドイツ軍の電撃戦のような快速ぶりで読んできたのだが、ここに来て進撃がピタリと止まる。ドイツ軍と同じで、ソ連の厳しい冬を前にしているような感じか。
22時半には床に入って、くったりとしているうちに眠りへ。