2024.10.11
琉フェス東京2024インプレ10 フィナーレと、おわりに
会場管理者から20時までときつく言われているようで、残り少なくなってきた時間をフィナーレに充てるべく、アルベルト城間を先頭にして、ステージに今日の出演者全員が再登場します。
大工が、地震と大雨の災害で大変な状況になっている能登半島の人々を応援するためカチャーシーを踊ってお見舞いしようと発言し、みんなで「豊年音頭」をやることに。琉フェスではなぜか最後はだいたいいつも、「唐船ドーイ」ではなく「豊年音頭」なのです。
で、大工や栄昇あたりがチャンカチャンカと三線を奏で始めると、幸人が騒いでいったん音楽が止まります。ナンダナンダ。
彼が言うには、最初から速いペースではなく徐々にスピードを上げていくのがいいとのこと。「オレがバンマスなのだから、話を聞け」的な発言も。単なるヨッパライの様相ですが、つまりは20時まで速いペースでやると早く終わってしまい、もっと詮索すれば、次のうたうべき曲が準備されていないから――ということのようです。
ヨッパライのバンマスには誰も逆らうことができず、こんぐらいの速さでヨカデスカ?的なお伺いをたてながら、ようやく「豊年音頭」が始まります。
この唄とくればネーネーズで、一番前に3人が出て手をこねりながらうたい、それからはいろいろな演者が代わるがわるマイクに近づいてうたいます。
最後はたしかにスピードが上がって、思ったとおりこれ1曲でちょうど20時とあいなり、あっさりと終了したのでした。
今年も楽しかったな、琉フェス。
振り返れば今回は、比嘉栄昇「島人の宝」でのっけからぐっときて、今や琉フェスはきいやま商店の時代であることを実感させられ、上原渚の「国頭サバクイ」の迫力にどぅまんぎて、沖縄のウタ拝の「屋嘉節」で泣きそうになり、ディアマンテスの「片手に三線を」を大合唱し、二人合わせて174歳の大工哲弘with苗子の昭和唄に感心し、毎度ながらもパーシャクラブの音楽に痺れ、ガレッジセールのトークに大笑いするというあたりが、深く印象に残りました。
出演の7団体のうち4つが八重山ベースで、ほかは本島、奄美がいないのがちょっと寂しかったかな。
(入場時に配布されたパンフレット類)
また来年を楽しみにしましょう。
なお今年は、7月に大阪でも琉フェスが復活開催されたようです。大阪城野外音楽堂にて、出演者は大工哲弘with苗子、パーシャクラブ、宮沢和史、島袋優(BEGIN)、ネーネーズ、HoRookies、きいやま商店、島袋辰也、仲宗根創、琉球國祭り太鼓だったとのことです。
大阪開催が来年もあれば、それに合わせてしばらくぶりに大阪にも行ってみようかな。
(了)
大工が、地震と大雨の災害で大変な状況になっている能登半島の人々を応援するためカチャーシーを踊ってお見舞いしようと発言し、みんなで「豊年音頭」をやることに。琉フェスではなぜか最後はだいたいいつも、「唐船ドーイ」ではなく「豊年音頭」なのです。
で、大工や栄昇あたりがチャンカチャンカと三線を奏で始めると、幸人が騒いでいったん音楽が止まります。ナンダナンダ。
彼が言うには、最初から速いペースではなく徐々にスピードを上げていくのがいいとのこと。「オレがバンマスなのだから、話を聞け」的な発言も。単なるヨッパライの様相ですが、つまりは20時まで速いペースでやると早く終わってしまい、もっと詮索すれば、次のうたうべき曲が準備されていないから――ということのようです。
ヨッパライのバンマスには誰も逆らうことができず、こんぐらいの速さでヨカデスカ?的なお伺いをたてながら、ようやく「豊年音頭」が始まります。
この唄とくればネーネーズで、一番前に3人が出て手をこねりながらうたい、それからはいろいろな演者が代わるがわるマイクに近づいてうたいます。
最後はたしかにスピードが上がって、思ったとおりこれ1曲でちょうど20時とあいなり、あっさりと終了したのでした。
今年も楽しかったな、琉フェス。
振り返れば今回は、比嘉栄昇「島人の宝」でのっけからぐっときて、今や琉フェスはきいやま商店の時代であることを実感させられ、上原渚の「国頭サバクイ」の迫力にどぅまんぎて、沖縄のウタ拝の「屋嘉節」で泣きそうになり、ディアマンテスの「片手に三線を」を大合唱し、二人合わせて174歳の大工哲弘with苗子の昭和唄に感心し、毎度ながらもパーシャクラブの音楽に痺れ、ガレッジセールのトークに大笑いするというあたりが、深く印象に残りました。
出演の7団体のうち4つが八重山ベースで、ほかは本島、奄美がいないのがちょっと寂しかったかな。
(入場時に配布されたパンフレット類)
また来年を楽しみにしましょう。
なお今年は、7月に大阪でも琉フェスが復活開催されたようです。大阪城野外音楽堂にて、出演者は大工哲弘with苗子、パーシャクラブ、宮沢和史、島袋優(BEGIN)、ネーネーズ、HoRookies、きいやま商店、島袋辰也、仲宗根創、琉球國祭り太鼓だったとのことです。
大阪開催が来年もあれば、それに合わせてしばらくぶりに大阪にも行ってみようかな。
(了)
2024.10.10
琉フェス東京2024インプレ09 パーシャクラブ
(パーシャクラブ)
さて、いつものとおり、大トリは「パーシャクラブ」です。彼らを待っている人は多いのだろうな。
八重山民謡の旗手・新良幸人をVocalに据えての沖縄音楽と洋楽を融合させたパーシャサウンドは、多くのCMや番組に採用され、沢山のアーティストにもカバーされてきていることはご承知のとおりです。
毎回同じようなセットリストなので目新しさこそないものの、なぜか毎回新しい発見があり感動させてもらえる、ライブでこそ聴きたいいちばんのグループです。
昨年は結成30周年。その間、ベースの神村英世が2019年に病のため永眠するという悲しい出来事がありましたが、メンバーは仲良しで、ゴリが言うには、いつも楽屋であんなに飲んでいるのに、言い合いなどの仲違いをしている場面は一度も見たことがないとのこと。大人のたしなみですねぇ。
ベースは今、福元梢(KOZ)がサポートメンバーとして入っているけれども、神村はあの世に行っても正式メンバーだということなのかもしれません。
さて、ステージ。幸人はいつものとおり黒のパンツに赤シャツ。
曲の内容はいつものとおりなのでサクッといくと、1曲目は「固み節」、2曲目は正調歌詞の「安里屋ユンタ」をヘビーサウンドで、3曲目は「海の彼方」でピークを迎え、4曲目は能登地方を意識してか辛い思いをしているみんなのためにと「五穀豊穣」を。
幸人は、今回はずいぶん飲酒が効いているような印象があり、ろれつが回らないほどではないけれども、自慢の声のハリがいま一つの様子です。そしてまた、ステージ上でビールをごくごくと呷ったりするから、うたっている途中でゲップが出そうになっています。(笑) 幸人も以前のように若くないのだから、そろそろ量を控えたほうがいいんじゃないのかな。大工のように飲むのをやめたらとは言わないけれども。
いずれにしても、持って生まれた自慢の声と、聴く者を魅了するテクニックは、新良幸人とアルベルト城間が双璧をなすと言っていいのではないでしょうか。ゴリによれば、楽屋ではこの二人が互いを認め合い、尊敬し合っているということのようです。
上地正昭のギターテクは変わらず軽快で鳴りがよく、津波古慈乃のドラミングもクールそのもの。サンデーに関しては、体重にものを言わせたようなかつてのド迫力は多少影を潜めた感じでしょうか。
いずれにしても、最高のステージング。観客は総立ちで、座っていては前が全然見えまへん。
(2023年開催時のパーシャクラブ(文化放送のHPから))
2024.10.09
琉フェス東京2024インプレ08 大工哲弘with苗子
(大工哲弘with苗子)
大トリの前は、「大工哲弘with苗子」です。
ガレッジの二人は、飲酒で盛り上がっている楽屋の様子を伝えながら、今年も苗子をダシに最強オバサンの様子を面白おかしく語ります。二人が語っている後方には、当人の苗子が琉琴を前にしてスタンバイ完了。それでもしゃべっているゴリに業を煮やした苗子は、ステージ上で逃げるゴリを追いかけます。
苗子って、ホントに面白い人なのだろうな。このところ老い始めている夫の大工も一歩引いて、多少は若い嫁を立てているようなところが感じられます。
そういえば二人の馴れ初めを聞いていなかったなとゴリ。対する大工は、その話は来年の琉フェスでということにしようと、上手にかわしました。
1曲目は「マクラム道路」。
1947年、石垣島白保村の北側から伊原間までの約20kmを、南部琉球軍政府の軍政官マクラム中佐がアメリカ製のブルドーザーを貸与し、2か月足らずで一気に開通させたことに、島民はマクラム中佐に敬意を表して「マクラム道路」と名付けます。
そしてそのことを後世に伝えようと、宮良出身の仲間政光という人が、「汽笛一声新橋を……」の童謡唱歌「汽車」のメロディーに替え歌を乗せて歌い、石垣島で大いに流行ったのがこの歌なのです。
♪ 人馬も通わぬ伊原間へ 自転車自動車揺れるのも マクラム中佐のお陰です
忘るな中佐、恩(おん)情(なさけ) ……
2曲目は、途中に「とぅばらーま」が入る、「八重山育ち」。
唄を終え、「盛り上がっていますが、私は盛り下げに来ました」と語る大工。また、ふだんは酒を控えているようですが、ついうれしくなって、幸人にだまされて飲んでしまったと、水を一口。そして、1曲目が終わったところでメンバーを紹介したことを忘れ、もう一度紹介しようとして、笑いを取ります。
このうれしい気持ちを表してと前置きし、3曲目は「六調節」。
苗子も自慢の(笑)金切り声を張り上げて、二人で元気にうたいます。テンポが速い曲なので、大工は数え唄的な歌詞を追っていくのがやっとという格好。フルスイングでうたわせてもらったとは、うたい終えての大工の感想でした。
ここでY・A・Bのメンバーを呼び、
♪ お嫁に行きます隣村 王さん待ってて頂戴ね ……
といったような唄をうたい、苗子が踊り始めます。妙な盛り上がり方をしていますが、ひょっとしたらこのシーンが今回開催の2番目の名場面だったかもしれません。
後で調べてみるとこれ、「満州娘」というもので、1938年に大ヒットした流行歌であるとのことです。
先の「マクラム道路」といい、八重山には昭和初期の歌がまだまだひそかに息づいているのかもしれません。いや、単に大工の個人的な趣味、ということなのかもしれませんが。
そして最後は、二人の持ち時間はこのところこれで締めることが多くなっている、お得意の「さよなら港」を。
苗子が飛び跳ねるようにして踊り、ステージ袖の左右をスキップして観客に敬礼。最後は数本の紙テープを客席に投げ込み、けっして盛り下がることなく(笑)大工夫婦のステージが終わりました。
「裏社会の唄を聴いてもらいました」とは、ゴリの弁。
(2023年開催時の大工哲弘with苗子(文化放送のHPから))
2024.10.08
琉フェス東京2024インプレ07 ディアマンテス
(ディアマンテス)
5番手は「ディアマンテス」です。
1991年に結成され、コザの「パティオ」を本拠として爆発的な人気を誇りました。93年の1stアルバム「OKINAWA LATINA」でメジャーデビュー。「ガンバッテヤンド」、「勝利の歌」、「片手に三線を」など数々のヒット曲を生み、独自の音楽を発信し続けています。
1曲目は、ブラスセッションが入った「ヒヤミカチ節」から。彼らがうたえば沖縄民謡もラテン系。それにしてもアルベルト城間のハリのある声はなんとも素敵です。
2曲目は打って変わり、メロディアスに「片手に三線を」を。聴衆もよく知っていて、場内大合唱となるあたりが琉フェスのいいところ。日比谷野音が残っていてよかったなぁと思わせるものがあります。
3曲目は、Coccoを呼び寄せ、城間がアレンジしてCoccoのアルバムに入れた「恋焦がれて」という曲でコラボします。
♪ 恋い焦がれて 小麦色の 恋い焦がれて 肝ドンドン ……
トランペットの前奏が入り、Coccoは手をこねりながらうたうのですが、なんだかそれはきいやま商店の音楽にも相通じるところがあるような違和感があり、彼女の声量が足りないため歌声が演奏音に消されそうな雰囲気もあったりしました。
2022年発売のアルバム「プロム」に収録されています。
城間は、せっかくなのでたくさん歌いたいが、持ち時間に限りがあるためメドレーにまとめたものを聴いてほしいと話し、ディアマンテスの歴史を聴くような形となるメドレーを始めます。
「勝利の歌」「ガンバッテヤンド」「沖縄ミ・アモーレ」「VIVA!!夏の色」などがたて続けにうたわれます。ああ、ええなぁ。
今年も日比谷の空気感をがらりと変えてくれたディアマンテスでした。
(ガレッジセール)
2024.10.07
琉フェス東京2024インプレ06 Cocco from 沖縄のウタ拝
(Cocco from 沖縄のウタ拝)
4番手は、初出場の「Cocco from 沖縄のウタ拝」です。
Coccoについては沖縄出身のミュージシャンとはいえ、いわゆる“沖縄”をジャンルとしていないため、まったく知らないと言ってよく、今回初めて鑑賞することになります。
プログラム等から引用すると、Coccoは那瀬市出身アーティスト。11歳より飯島礼子バレエスクールにて飯島礼子に師事。上京後、1997年ビクターよりシンガーソングライターとしてメジャーデビュー。音楽活動のほかエッセイ本や絵本の上梓のほか、舞台や映画出演など活動は多岐に渡るようです。デビュー27周年の今年2月には通算13枚目のオリジナルアルバムを発売しているとのこと。
また、2015年より、同郷のピアニスト辺士名直子がプロデュースする総合芸術舞台「沖縄のウタ拝(ウタハイ)」に出演。生まり島のリアル、祈りを表現した芸術舞台で、歌と踊りを担い、全8回の沖縄公演、東京公演に加え、ロンドンでの映像作品公開など、世界へ向けて発信を続けるとのことです。
でもまあ、自分にとってCoccoとは、重要無形文化財「組踊」の保持者で2011年に没した、沖縄芝居の名優の真喜志康忠の孫にあたる人物だ、ということでしょうか。
1曲目は、辺士名直子のキーボードをバックに、八重山民謡「月ぬかいしゃ」をたおやかにうたい、沖縄でいうチラシの形で赤ちゃん讃歌のように聞こえる英語の歌を添えていました。こういうアヴァンギャルド風な曲の組み合わせが、いわば沖縄チックじゃないんだよナ。
三線を使わない歌い手は琉フェスには出られないという不文律があったのではないかと訝っていると、やおら三線を手にして次に「屋嘉節」を歌い始めたのにはびっくり仰天。ウタムチが響きだした段階で鳥肌が立ちます。
じつはこの唄、当方が最も不幸だった時期と言っていい2007年2月、使えなくなった自宅を離れ、たまたまノートパソコンに残っていた「屋嘉節」を再生して聴きながら、途方に暮れていたのでした。沖縄が戦場になり、屋嘉の収容所で砂地を枕にし、四本入り煙草を吸って心を慰める戦争捕虜の歌です。あのときの自分は、知名定男の「屋嘉節」と成底ゆう子の「真っ赤なデイゴの咲く小径」にどれだけ励まされたか知れません。
訥々としたいい音色を奏でた男性三線奏者は、大城ケンタローという人。沖縄県立芸術大学琉球芸能専攻琉球古典音楽コース卒業で、2016年には笛で、琉球新報古典音楽コンクール「最高賞」を受賞しているようです。
Coccoは「それでは先に進みます」と学級委員のようなセリフを発し、3曲目へ。(笑)
曲名はわからず。曲の速さが途中で変わったり、大城の笛、Coccoのハーモニカ、三線の速弾きなどが入ったりする、前衛的な感じのするものでした。
今日のために準備した新しいものだという4曲目も、不明。沖縄民謡をチンドン風に仕立て、朝ん夕さんという歌詞が入り、合い間にハイヤの合いの手、おわりのほうでは大城が“ぶるんぶるんぶるん はるちるがるとるぶる……”というヘンな「蜂が飛ぶ」をがなり、なんだかふざけているなという印象でした。
袖から出てきたゴリも、「独特な世界観デスネ」と、シンプルな感想を漏らしていました。
(「Cocco」のXから)
2024.10.05
琉フェス東京2024インプレ05 きいやま商店
(きいやま商店)
3番手は「きいやま商店」です。
石垣島出身の、兄のリョーサ、弟のマスト、従兄弟のだいちゃんで結成されたエンタメバンドで、バンド名は3人のおばあちゃんが石垣島で営んでいたお店の名前から命名したというのは、皆さんご存じのとおり。
2022年には「シュラヨイ」を配信リリースし、各地のエイサー団体からたくさんのオファーを受け、全国8箇所を回る「シュラヨイTOUR~この声ひとつになれ」を敢行しています。
また、2023年には、米米CLUB初のトリビュートアルバム「浪漫飛行 トリビュートアルバム」に参加し、思わず踊りだしたくなる沖縄チャンプルーな「浪漫飛行」を披露し話題になったとのことです。
身内ネタや方言満載の愉快なコミックソングがあるかと思えば、バラードからアッパーチューンまでバラエティに富み、老若男女を問わない幅広い世代に支持されているといいます。
大工哲弘の「月ぬかいしゃ」をイントロミュージックに流し、いつものように短パンとビーサン姿で元気に登場します。
1曲目は「この歌届け」から。
頑張る君にこの歌届け!という、元気がもらえる人生応援ソング。ここまでではいちばんの大音量で、場内総立ちとなります。
聴衆を乗せるのが上手なのは、歌に込める姿勢がこちらにしっかり伝わってくるからかもしれません。観客のアクションを見るにつけ、今回の入場者にはきいやまファンがかなり多いことがわかります。
2曲目は、ほほう、これがきいやまの「浪漫飛行」か。スタッカートの効いた8ビートで、指笛、三線、イーヤサッサのフェーシが入り、一種独特。場内は舞い手がひらひらの大盛り上がりで、四半世紀ほど前の琉フェス最盛の頃を思い出します。
3曲目は、琉フェスでもよくやる「ドゥマンギテ!!」。
4曲目は、琉球國祭り太鼓を招き入れて、「シュラヨイ」を。
ラップ調のハイテンポな音楽には本来エイサー太鼓は合わないような気がしますが、なかなかいいシーン。あたりが暗くなりつつある時間帯となり、照明も映え始めて、ここが今回の琉フェスのいちばんの見どころだったでしょうか。
かつての琉フェスではこのようなコラボレーションが多く見られ、それが結構楽しみでした。今後こういうシーンはもっと増やしてほしいと思います。
(インスタグラム「きいやま商店 OFFICIAL」から)
2024.10.02
琉フェス東京2024インプレ04 ネーネーズ
(ネーネーズ(NENEZ))
2番手は、「ネーネーズ」(上原渚、小濱凜、狩俣幸奈)。
「黄金の花」を聴くために那覇国際通りの「ライブハウス島唄」に行くことがあると、ゴリ。そこに行けばネーネーズを間近に見て聴くことができるので、自分もよく通ったものです。宜野湾にあった頃から数えて何度通い詰めたことか。その頃のメンバーで今残っているのは、上原渚のみとなりました。
改めて整理しておくとネーネーズは、沖縄音楽界の第一人者知名定男のプロデュースによって1990年に結成されたユニゾン・グループで、現メンバーは6代目。
本来は4人のユニットなのですが、今回はステージ上右から狩俣幸奈・上原渚・小浜凛の3人が、青・白・赤基調の紅型衣装をまとっての登場です。もう一人の与那覇琉音は、大学の教育実習のためやむなく欠場となったとのことです。
1曲目は、琉球の木遣り唄「国頭サバクイ」。
上原渚が野太い声でうたい始めれば、ここは王朝時代の首里の城の建設現場かと思わせるような迫力を感じます。渚がネーネーズに参加してからだいぶ長くなりますが、一定の年季を重ねていい沖縄の唄者になったものだと感心することしきり。
2曲目は、「島や唄遊び」。
かつて琉球放送で流されていた芸能バラエティ番組「ふるさと万才」のテーマソングで、上原直彦の作詞、知名定男の作曲によるものです。
♪ わしたウチナー果報ぬ島 今日ん揃とてドンミカセ……
3曲目は、知名定男の代表作と紹介して、「バイバイ沖縄」を。
うん、そのとおり、名曲だと思う。ぐぶりーさびたん、またやーさい。
「黄金の花」をはじめ、この曲とか「アメリカ通り」「平和の琉歌」「ウムカジ(面影)」などをやっていた頃が、ネーネーズのベストシーズンだったと思いますが、当時はチナサダオ楽団が分厚いバックミュージックを奏でていて、佐原一哉(古謝美佐子の夫)のメロディアスなキーボードが光っていたものです。
一方、今回のネーネーズのステージは、3人しか歌い手がいないのに加えて、バックミュージシャンはおろかオケもなく、まったく3人の三線と太鼓だけでやっているところが、ある意味すごいと思います。それでもこの広い会場できちんと聴かせてくれるわけですから。まあ、やや宴会曲のように聴こえないでもなかったけれども。(笑)
4曲目は、「黄金の花」で締め。しんみりと聴かせ、これをやっているうちは、ネーネーズは不滅でしょう。
(インスタグラム「nenez_okinawa」から)