2020.03.08
カミちゃん、起きなさい!生きるんだよ。 ~大城貞俊
インパクト出版会 1,800円+税
2018年4月28日 第1刷発行
琉球王朝時代の士族の一家は、「琉球処分」で沖縄島北部のヤンバルの地で生きることになった。沖縄戦と戦後の米軍基地拡張による八重山移民と歴史に翻弄されながらも希望を失わなかったカミちゃんの人生を、新鮮な手法で鮮やかに描いた画期的な作品登場!(コシマキから)
表題は、子どもたちのマラリアを看病するうちに母親のカミちゃんまでもが高熱を発し、疲れと苦痛で絶望的な気分に侵されたときに聞こえてきた、天国にいる母ウシの声。
「ヌチヤ ティンカイニ アインドー。ヤーガドゥ、ナラーチェーサニ。アリ、ヌチカジリイキレー。」(命の定めは天にあるんだよ、勝手に命を捨ててはいけないよ。あんたが、私に教えたんじゃないか。今ここで死んだら、一番の親不孝者になるよ。命の燃え尽きるまで生きるんだよ)
沖縄タイムスの書評を以下に引用して紹介に代えます。
・近代沖縄、庶民女性の姿 2018年6月30日
琉球国の終焉から説き起こされる一家の物語である。主人公は一人の女性。激しい波に翻弄されて生きた沖縄の庶民女性の姿がここにある。作者はその庶民の人生を温かいまなざしで見つめ、豊かな物語を紡ぎ出した。沖縄文学の特徴の一つに「時代状況に倫理的である」ことを挙げる作者が、時代の大波にもみしだかれながらも希望を失うことなく、野の花のように力強く、そしてまっとうに生きた人々への共感をもとに生み出した一作である。
屋取(ヤードゥイ)人となってヤンバルに下った首里士族の4代目の子孫として、主人公は大正5年に生まれた。沖縄の娘として普通に育ち、戦争時代の女として軍人に嫁ぐ。しかし、戦争の時代は彼女の生活を巻き込みさいなんでいく。一家の希望でもあり柱とも頼んだ兄一家の台中丸沈没による遭難死。この悲劇によって主人公の母は発狂寸前に追い込まれる。そして沖縄戦。しかし、主人公の苦難の歩みはこれで終わりではなかった。人にだまされ有り金を失い、石垣島明石での開拓生活に入っていく。その苦難はマラリアのために死境をさまよう子供たちと主人公の姿に極まる。その苦難を乗り越えての再生。
琉球国の消滅・十五年戦争・沖縄戦という琉球・沖縄の近代の歴史が、主人公の家とその身体の上を音を立てて流れていく。作者の眼はその強暴な歴史の奔流を見逃さない。それがいかにして人々の生活を狂わせ、破壊するかを描き出している。主人公カミちゃんの人生は、近代沖縄の歴史がもたらした婦人の人生の一つの典型であった。
作者は前著「奪われた物語-大兼久の戦争犠牲者たち」の縁によって、この作品の主人公と出会い、その人生に引き込まれた。そこから作者が描き出そうとしたのは、歴史に翻弄されながらも力強く生きた近代沖縄の庶民の物語に他ならない。そしてこれを未来の沖縄を背負う世代に伝えようとしている。少年・少女にこそ手渡したい1冊である。
(波照間永吉・沖縄県立芸術大学名誉教授)
(2020年1月1日 読)
2020.03.09
沖縄と私と娼婦 ~佐木隆三
ちくま文庫 800円+税
2019年5月10日 第1刷発行
初出は1970年12月の刊行で、それからもう50年近くなってからの文庫化です。なぜ今になって、占領時代の娼婦に関する作品が再び世に問われるのか――ということが最大の読みどころだろうと思い、新刊で購入しました。
佐木隆三の著作を読むのは、去年の2018年に「恋文三十年 沖縄・仲間翻訳事務所の歳月」(1986年)を詠んだのに次いで2冊目。つまり「恋文……」は15年ほど前のことを振り返って書いたのに対し、「沖縄と私と娼婦」は著者が復帰前の混乱した沖縄にどっぷりと浸かっている真っただ中に書いたもの、ということのようです。
ベトナム戦争への出撃基地となったアメリカ統治下の沖縄。1960年代末の返還運動、ベトナム反戦闘争が激化する時代、夜の風俗街に生きた人々。沖縄地上戦の傷痕、米軍最優先社会、生死隣合わせの米兵たち……。それらの矛盾を一身に背負った女たち。その姿をヒリヒリと肌を刺すような筆致で描く。今に続く沖縄が抱える問題の原点を激しく問いかける歴史的名著。(カバー背表紙から)
読み進めるにつれて、著者の放埓で、それでいて小心な性格なり行動が見えてきますが、佐木隆三とはどういう人なのかというと、1937年旧朝鮮咸鏡北道生まれの小説家、ノンフィクション作家。高校卒業後、八幡製鐵入社。在職中の63年、「ジャンケンポン協定」で新日本文学賞。64年から文筆活動に専念し、76年、実在の連続殺人事件をモデルとした「復讐するは我にあり」で第74回直木賞。91年、「身分帳」で伊藤整文学賞。北九州市立文学館館長、九州国際大学客員教授などを務めた。2015年没。
最近読んだばかりの「沖縄アンダーグラウンド」(藤井誠二著、2018年)には、藤井が北九州門司に住む佐木を、下咽頭がんで亡くなる1年前に会いに行った様子が記されていました。占領当時アカムヤーといわれていた妖しい特飲長屋について訊くと、はじめは高齢のせいか記憶が甦らなかった佐木は、昔の面影を残している現在の写真を何枚も見せると膝を打って喜び「わあ!」と子供のような声をあげたと言います。
章立ては、「序 琉球から日本へ、娼婦から主婦へ」に始まって「娼婦と私の八月十五日」「娼婦と日の丸」「女たちの生地獄」「不条理の島の苛だち」「ひめゆり丸の健児たち」の5章。
そして解説は、上に述べた藤井誠二が書いています。以下その一部を引用。
復帰まで2~3年と迫った、誰しもがどこか浮き足立ったような気配が漂っていたであろう沖縄の街を、二日酔いの佐木が汗を拭いながら歩きまわっている。照りつける太陽、道路から舞い上がる埃、湿った場末のバーの黴臭いにおい、人々の体臭、南国の花の甘い芳香、泡盛の香ばしい香り、未整備が多かった下水の腐臭など、街や人が発するにおいが行間から漂ってくる。それは復興のにおいだったが、沖縄の人々が流した血と涙のにおいでもあった。佐木は1968年からそんな街の一つ、コザのアパートで暮らした。
私は、沖縄の官民一体となった「浄化」運動で消え去った売買春街の内実と戦後史を描いた「沖縄アンダーグラウンド―売春街を生きた者たち」を書くために沖縄の夜の街を何年間もほっつき歩いた。佐木が当時書きつけたようなささくれだった空気は薄らいでいるものの、その残り香はじゅうぶんに嗅ぐことができた。佐木が千鳥足で歩いたであろう沖縄の夜の街を、佐木の背中をさがすように私は歩いた。酒の勢いをかりて、場末もいいところの老朽化したスナックのドアを思い切って開けてみると、カウンターに陣取り、店のママにしつこく話しかけている佐木がいるような錯覚を覚えたこともあった。
佐木が歩いた50年近く前の沖縄と今の沖縄を比べたら、経済的に豊かになったに決まっている。しかし、沖縄が置かれた政治的状況は変わっていない。「日本」とアメリカは過剰な在日米軍基地負担を沖縄に強いたままだ。日米地位協定も変わっていない。
佐木はなぜ、復帰前の沖縄に2年間ほど住み、沖縄の売買春についてのルポを日本に書き送り続けたのだろうか。「沖縄と私と娼婦」の序章で「迷い」のような独白をしている。
〔わたしが沖縄とかかわりをもつようになって、とりわけ売春に注目し娼婦にアプローチしたのは、しかし娼婦の数が多いことに触発されたからではない。どう説明すればいいか、実は自分でもわからないのだから、したり気にここで動機について語るのはやめる。ただこの本におさめた、5度の沖縄行を通じて書いたわたしのルポルタージュに登場する個々の娼婦の貌から、これまで黙殺されがちだった沖縄の売春と、その象徴するものについて、なにか摑んでもらえるのではないかと自負していることだけは言っておこうと思う〕
つまり、なぜ今になって文庫化再販かということに関しては、沖縄が経済的に豊かになり時代は移ろったとしても、いまだに米軍基地が幅を利かせて存在し、一心同体であるべきはずの本土の沖縄を見る視線は当時とは少しも変わらず、結局のところとりわけ沖縄の底辺に流れている重苦しい通奏低音のようなものは、いくら表面的な「浄化」運動を行ってもそう簡単に拭い去れるようなものではなく、むしろ沖縄のアンダーグラウンドは再び注目される萌芽が出てきているから、ということなのかもしれません。
(2020.1.2 読)
2020.03.10
食い意地クン ~久住昌之
新潮文庫 460巻+税
2013年11月1日 第1刷
2017年6月15日 第3刷発行
楽しみにして見ているテレビ番組「孤独のグルメ」の原作者が書いた本を、古書店から送料込み351円で入手したもの。
「この俺を野蛮人にしてくれる、狂わせてくれる、そういう食べ物の中に間違いなくカレーライスがある(本文より)。焼肉、ラーメン、とんかつ、ナポリタン、大根、塩辛、立ち食いそば、キャベツ……。「孤独のグルメ」原作者である著者が、愛する26品目のメニューについて、熱く語ります。あなたはこのエッセイに抱腹絶倒しながら、やがて激しく共感している自分に気付くでしょう。(カバー背表紙より)
――という、鬼才久住が描く、半径50mグルメ本。
26品目というのは、焼肉、ラーメン、とんかつ、ナポリタン、納豆、おにぎりねカレーライス、あんぱん、おかゆ、(屋台の)焼きそば、サンドイッチ、冷やし中華、カップヌードル、弁当、大根、ねこまんま、うなぎ、塩辛、立ち食いそば、韓国のお刺身、天丼、豆腐、お茶漬け、さんま、そうめん、キャベツ。
日本人の誰もが口にし、身近に感じているものばかりですが、それらをえぐるようにして探求する久住は尋常ならざる才能の持ち主だと、読んでいて思いました。
筆致も端的で、まさに「孤独のグルメ」の主人公井之頭五郎の食べながらの独白に近いものがあります。
なお、備忘のため久住昌之の略歴を記しておくと、1958年東京三鷹市生まれ、法政大学社会学部卒。大学在学中から美学校で赤瀬川原平に師事。81年、泉(現・和泉)晴紀と組んだ「泉昌之」として「ガロ」にてデビュー。85年には、学生時代からいきつけにしていた駅前のラーメン屋を舞台にした初の単独著作「近くに行きたい 舞台は江ぐちというラーメン屋」を上梓。99年には実弟・久住卓也とのユニット「Q.B.B.」による「中学生日記」で文藝春秋漫画賞受賞。マンガ原作者として話題作を次々と発表する一方、エッセイストとしても活躍している。楳図かずおの“まことちゃん”にも参加するなど、バンド活動も学生時代から行っている。付け加えておくと、氏は管理人のワタクシよりも3日早くこの世に生を受けています。
沖縄ステイに向かう飛行機内で読了しました。
(2020.1.3 読)
2020.03.11
歌の旅びと ぶらり歌旅、お国旅 西日本・沖縄編 ~五木寛之
集英社文庫 600円+税
2019年4月25日 第1刷発行
「生まれたときから、ずっと旅を続けてきたような気がする」─―そう語る著者の旅の途上には、常に歌があった。民謡、歌謡曲、ポップスやフォーク・ソング。日本の歌の源流をさぐる旅をし、数々の名曲の作詞を手掛けた著者だからこそ気づいた、“ご当地”と歌の関係。いにしえの国際都市・京都や、神話のふるさと・鳥取、絆と和らぎの沖縄など……。西日本・沖縄を巡る、歌と旅のエッセイ。(カバー裏表紙から)
NHK「ラジオ深夜便」の人気コーナーを文庫化したもののようで、「東日本・北陸編」が対になっています。自分としては、表題に「沖縄」が入っていたために読んでみた次第。
280ページ余りのうち沖縄部分はオーラスの10ページ。強烈な個性を持つ沖縄文学の担い手や沖縄出身の歌い手を概括し、BEGINの「島人の宝」、仲宗根美樹の「川は流れる」、戦後につくられた民謡「二見情話」が紹介されていました。
沖縄で長滞在中のウィークリーマンションにて読了した1冊目となりました。
(2020.1.8 読)
2020.03.12
海鳴り(上) ~藤沢周平
文春文庫 590円+税
2013年7月10日 新装版第1刷発行
はじめて白髪を見つけたのは、いくつの時だったろう。40の坂を越え、老いを意識し始めた紙商・小野屋新兵衛は、漠然とした焦りから逃れるように身を粉にして働き、商いを広げていく。だが妻とは心通じず、跡取り息子は放蕩、家は闇のように冷えていた。やがて薄幸の人妻おこうに、果たせぬ想いを寄せていく。(カバー背表紙から)――という世話物の名品。
概ね発表順に読んできた藤沢作品は、下級武士や浪人などの武士階級の者、監獄医などが主人公で、彼らに絡んで長屋の住人、商家の旦那衆やそのつれあいなどの庶民が登場することが多かったように思いますが、ここにきて町人そのものが物語の中心の作品です。
商家の主人と、意思疎通がうまくいかなくなってしまった長年連れ添った妻、そして親子関係の難しさというどこの家庭にでもありそうな暮らしぶりと、そこに非日常的な形で降って湧いたような男女関係とその機微、商人同士の人間関係などが相まって、ぐいぐいと読ませる筆力があります。
読み手を満足させる文章とはこういうものをいうのでしょう。どちらかというと研究方面寄りの人が書いたものの解説本などには、「コイツ、読み手に対して何を伝えたいんだ。わけのわからない文章を滔々と書きまくって、自分に酔っているだけじゃないか」と文句を言いたくなるような、書き手として見ればあまりにも素人臭く、金を出して買ったことを後悔するようなものがたまにありますが、藤沢作品は読者を裏切ることはけっしてありません。
自分のためだけに書く日記のようなものでない限り、いかなる書き手であっても何かを伝えたいために書くのでしょうから、読み手のことをよりしっかりとイメージして文章を書いてもらいたいものです。それを世間様から金を出して買ってもらおうという場合にはなおさらのことです。
(2020.1.13 読)
2020.03.13
海鳴り(下) ~藤沢周平
文春文庫 560円+税
2013年7月10日 新装版第1刷発行
この人こそ、生涯の真の同伴者かも知れない。
家にはびこる不和の空気、翳りを見せ始めた商売、店を狙い撃ちにするかのような悪意――。
心労が重なる新兵衛は、おこうとの危険な逢瀬に、この世の仄かな光を見いだす。しかし闇は更に広く、そして深かった。
新兵衛の心の翳りを軸に、人生の陰影を描いた傑作長篇。(カバー背表紙から)
今風にいえば「ダブル不倫」の物語ですが、不義密通は死罪にもなった江戸期のことであり、それへと踏み出すことは抜き差しならない切迫感を帯びていて、覚悟のほどにおいては今とは比較にならないものがあります。
新兵衛は一介の仲買いからの叩き上げで伸し上がってきた男であり、大店の老舗から不当な介入や嫌がらせを受けますがくじけることなく、一本筋の通った商人としての気概が、背筋の伸びた人物像をつくっています。
「新兵衛さん、いっそ駆け落ちしませんか?」
執拗な脅しをかけてくる同業者らに進退窮まった新兵衛は、おこうの心の叫びを聞いてある決断を下し、踏み出していきます。
たとえ二人が駆け落ちをし、首尾よく逃げおおせたとしても、新たな日々が甘美なるものでばかりあり続けるはずはなく、非日常はやがて日常と化していくのが人の世の常でしょう。しかし人は、幻想とわかっていてなお夢見る生き物なのであり、それが間違っていると責めることは誰にもできるものではありません。そう作品は言っているような気がします。
後藤正治による「解説」を読むと、著者は当初、新兵衛とおこうを心中させることで結末をつけるつもりでいたそうです。しかし、「長い間付き合っているうちに二人に情が移ったというか、殺すにはしのびなくなって、少し無理をして江戸からにがした」という結末になったのだそうです。
2020年の正月から2か月間、沖縄県与那原町に滞在し、滞在先のマンションにて読了しました。2階のベランダからは与那原の海と知念半島の山々が見渡せる絶好のロケーションで、毎朝海から昇ってくる朝日を見ることができた幸せな日々でした。
(与那原町のあけぼの)
(2020.1.15 読)
2020.03.14
唐船ドーイ ~中川陽介
沖縄タイムス社 800円+税
2019年2月6日 第1刷発行
「唐船ドーイ」といえば、沖縄では誰もが知っているもっともポピュラーなエイサーソングですが、その曲名を表題に冠した小説だというので興味深く思い、買って読んでみました。2018年、第44回新沖縄文学賞の受賞作です。
コザで探偵業を営む新垣ジョージは、謎の文言を手掛かりにお宝を探す。暗号、少年との交流、謎の人物などハードボイルドの定石を踏まえながら軽やかな文章で展開されていきます。おじいの隠した宝探しを縦糸とし、これにコザらしさと言ってもいい子供の貧困と人種的多様性についての考えを横糸にして、ストーリーが展開されていきます。
コザ市役所近くの路地裏のアパート、コザ市民の台所「ゴヤ市場」、その一角に店を出す屋台飲み屋の「よねさか屋」、幻の歓楽街八重島にあった「ニューコザ」などが登場し、沖縄マニアなら楽しく読めるはずです。
「唐船ドーイ」は、お宝の価値がありそうだとなったときの高揚感が、頭の中であのチムドンドンのリズムとなって鳴り響くもの。果たして宝物とは何だったのか、その結末やいかに。
ほかに、同じ新垣ジョージが登場する「娘ジントーヨー」と、南山王を描いた歴史小説の「金の屏風とカデシガー」も収録されています。
著者は、1961年東京生まれ。武蔵大学経済学部を卒業後、若者向けの雑誌編集部でデスクとして活躍し、1995年に退社後は、自ら会社を設立して映画監督としてデビューした経験を持つ人物。で、なぜか今は糸満で農家のかたわら文章を書いているらしい。
新垣シリーズというか、沖縄民謡シリーズの第3作の「一九の春」も入手しており、近いうちに読む予定。
また、2018年の新沖縄文学賞受賞者は二人いて、もう1作は高浪千裕の「涼風布工房」で、これも入手済みです。
これらはいずれも新沖縄文学賞を主宰する沖縄タイムス社が新書版で発行しているので、手軽に入手して読めるようになっています。受賞作品は広く読み手を求めてこそ価値が出るものであり、沖縄タイムスのこういう事業姿勢には好感が持てます。
(2020.1.15 読)