2019.06.08
北陸・山陰旅行記8 20190516(木)の2 七尾~和倉温泉
七尾・和倉温泉方面へ。途中道沿いで30分ほど昼寝休憩をとる。
七尾駅の無料駐車帯を使い、構内の観光案内窓口で情報収集をして、街へと歩き出す。駅前のつくりは大きな建物が並んでいて一見繁栄しているように思えたが、その建物の内部に入ってみるとテナントは半分もなく空洞化が歴然。ここでも地域活性化には苦労しているようだ。
七尾市役所や、駅前の「長谷川等伯の像」などを見る。等伯は「画聖」なのだそうで、京を目指そうとしているこの像を見て長谷川等伯の人となりに興味が湧く。
七尾駅前でたたずんでいた長谷川等伯氏
「花嫁のれん館」に移動して車を停め、そこからすぐの「小丸山城址公園」へ。前田利家が海辺に近いこの台地に新しく築いた小丸山城の城跡を整備して作られた公園だとのこと。七尾城下を見守るようにして「利家とまつ」の像が建っていた。
NHK大河ドラマ効果の一つ、「利家とまつ」
そこからすぐの「一本杉通り」は国指定有形登録文化財が建ち並ぶ歴史街道で、北前船の寄港地として栄えた町の雰囲気があり、醤油や昆布、造り酒屋、和ろうそく、仏壇店など昔ながらの名店も多い。しかし街並みとしての美観はそれほどでもないような気がした。
昆布海産物店「しら井」
高橋勇吉商店の見事な古看板
北島屋茶店
駐車させてもらった恩義もあるので「花嫁のれん館」にも入館料を払って入ってみる。
花嫁のれんは、幕末から明治時代から伝わる加賀藩の能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つで、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるのれん。花嫁のれんを常時見られるようにと2016年春に開館したとのこと。明治から平成までの花嫁のれんを見ることができた。
きれいなものです
もういっちょう
七尾市街の最後は、「石川県七尾美術館」。入館料800円(JAF割引で700円)と高めだが、長谷川等伯展をやっていたのでじっくりと観る。能登地域唯一の総合美術館で、七尾出身の絵師・長谷川等伯の世界が常設となる。画家の画風、作風というものは年齢によって大きく変わるものだと知る。
石川県七尾美術館のエントランス
和倉温泉も見ておきたい。ここには去年、出張時に泊まっているのだが、その時はどこかの温泉旅館内で滞留していただけでほとんど見ていないので。
「和倉温泉総湯」の佇まいを見るにとどまったが、施設がきれいだし、地域のインフォメーション機能もしっかり果たしている。高温で湧出する温泉を熱交換器を使って加水せずに利用している。ろ過器を使うが、浴槽のお湯は毎日閉館時に全て入れ替えるのだそうだ。
和倉温泉総湯館
総湯館の内部は観光情報も豊富
この日の夜は島で迎える。能登島だ。七尾湾の沈降によってできた島で、海岸線はとても複雑。水族館やガラス美術館、ゴルフ場など観光・レク施設が多く、年間100万人が訪れる観光地なのだという。
全長1,050mの「能登島大橋」を渡ってしまえば、コンビニは1軒だけだしファストフード店もなく、しっかりと島時間が流れているようだ。
島内の「ひょっこり温泉島の湯」で、まずは19時閉店だという併設の食堂でとんかつ定食980円を食べる。三元豚を使っているそうで、確かに肉質がいい。もっとごはんが欲しくなるおいしさだった。
三元豚のとんかつ定食
食後は、ゆっくりと風呂。施設は22時までやっているので、入浴後は大広間の休憩室でパソコン作業をして、今日の出来事をあらかたまとめることができた。21時半まで滞留。
今夜の泊地は「道の駅のとじま」。島で滞在できると思うとそれだけでリラックスできるような気がするのはなぜだろう。
5月16日の走行距離は、92km。
七尾駅の無料駐車帯を使い、構内の観光案内窓口で情報収集をして、街へと歩き出す。駅前のつくりは大きな建物が並んでいて一見繁栄しているように思えたが、その建物の内部に入ってみるとテナントは半分もなく空洞化が歴然。ここでも地域活性化には苦労しているようだ。
七尾市役所や、駅前の「長谷川等伯の像」などを見る。等伯は「画聖」なのだそうで、京を目指そうとしているこの像を見て長谷川等伯の人となりに興味が湧く。
七尾駅前でたたずんでいた長谷川等伯氏
「花嫁のれん館」に移動して車を停め、そこからすぐの「小丸山城址公園」へ。前田利家が海辺に近いこの台地に新しく築いた小丸山城の城跡を整備して作られた公園だとのこと。七尾城下を見守るようにして「利家とまつ」の像が建っていた。
NHK大河ドラマ効果の一つ、「利家とまつ」
そこからすぐの「一本杉通り」は国指定有形登録文化財が建ち並ぶ歴史街道で、北前船の寄港地として栄えた町の雰囲気があり、醤油や昆布、造り酒屋、和ろうそく、仏壇店など昔ながらの名店も多い。しかし街並みとしての美観はそれほどでもないような気がした。
昆布海産物店「しら井」
高橋勇吉商店の見事な古看板
北島屋茶店
駐車させてもらった恩義もあるので「花嫁のれん館」にも入館料を払って入ってみる。
花嫁のれんは、幕末から明治時代から伝わる加賀藩の能登・加賀・越中で始まった婚礼の風習の一つで、嫁入りの時に嫁ぎ先の仏間に掛けられ、花嫁がくぐるのれん。花嫁のれんを常時見られるようにと2016年春に開館したとのこと。明治から平成までの花嫁のれんを見ることができた。
きれいなものです
もういっちょう
七尾市街の最後は、「石川県七尾美術館」。入館料800円(JAF割引で700円)と高めだが、長谷川等伯展をやっていたのでじっくりと観る。能登地域唯一の総合美術館で、七尾出身の絵師・長谷川等伯の世界が常設となる。画家の画風、作風というものは年齢によって大きく変わるものだと知る。
石川県七尾美術館のエントランス
和倉温泉も見ておきたい。ここには去年、出張時に泊まっているのだが、その時はどこかの温泉旅館内で滞留していただけでほとんど見ていないので。
「和倉温泉総湯」の佇まいを見るにとどまったが、施設がきれいだし、地域のインフォメーション機能もしっかり果たしている。高温で湧出する温泉を熱交換器を使って加水せずに利用している。ろ過器を使うが、浴槽のお湯は毎日閉館時に全て入れ替えるのだそうだ。
和倉温泉総湯館
総湯館の内部は観光情報も豊富
この日の夜は島で迎える。能登島だ。七尾湾の沈降によってできた島で、海岸線はとても複雑。水族館やガラス美術館、ゴルフ場など観光・レク施設が多く、年間100万人が訪れる観光地なのだという。
全長1,050mの「能登島大橋」を渡ってしまえば、コンビニは1軒だけだしファストフード店もなく、しっかりと島時間が流れているようだ。
島内の「ひょっこり温泉島の湯」で、まずは19時閉店だという併設の食堂でとんかつ定食980円を食べる。三元豚を使っているそうで、確かに肉質がいい。もっとごはんが欲しくなるおいしさだった。
三元豚のとんかつ定食
食後は、ゆっくりと風呂。施設は22時までやっているので、入浴後は大広間の休憩室でパソコン作業をして、今日の出来事をあらかたまとめることができた。21時半まで滞留。
今夜の泊地は「道の駅のとじま」。島で滞在できると思うとそれだけでリラックスできるような気がするのはなぜだろう。
5月16日の走行距離は、92km。
2019.06.09
北陸・山陰旅行記9 20190517(金)の1 能登島~七尾~穴水~能登
「道の駅のとじま」で夜を明かした車旅組は、自分を含めてたったの4台。どんづまりの施設なのでほかに車も通らない。耳栓いらずで、今日の朝は鳥のさえずりと朝日で目が覚める。島はいいなあ。
いつもよりもゆっくり眠って、6時15分起床の7時半出発。
道の駅の向かいは「能登島ガラス美術館」だった
まずは能登島をくるりと走ってみる。とは言ってもけっこう大きな島で、海岸線が複雑なこともあり、あまり立ち止まらずに走っても1時間以上はかかる。長崎、鰀目(えのめ)、八ヶ崎、祖母ケ浦などの集落を通って、「のとじま臨海公園」、「のとじま水族館」の前を通るが、まだ開園していないのでこれ幸いと入らずに写真だけにとどめる。
さらに百万石、久木、田尻などの集落を抜け、「ツインブリッジのと」を通って能登半島に戻る。この橋は全長620m。七尾湾に浮かぶ周辺の島々を望みながら鼻唄気分で走る。海に架かる長大橋は空へと続く滑走路のようなファンタジックな感覚があり走っていて楽しい。
能登島の海。海がこのように見えるのが不思議
のとじま水族館
七尾市中島町の「能登演劇堂」に寄る。「無名塾」を率いる仲代達矢が旧中島町を気に入り、彼の専門的なアドバイスを受けて建設されたものだ。演劇専用ホールがないと嘆く仲代の話を聞いて、当時の中島町長が「じゃあウチにつくりましょう」と乗ったことが発端のようだ。だが、エントランス付近の芝などを見るにつけ文化予算は削減されているようで、公演回数も多くなく、苦戦を強いられているようだった。合併した小自治体の悲哀だろうか。
能登演劇堂
穴水町。建設会社の創業者が私財を投じて建立したという「能登長寿大仏」にちょい寄りして、その後はひたすら東海岸沿いの狭い道を進んでいく。海は凪いでいるというよりも、富山湾の中の七尾湾のさらにその入り江なので、波なんていつもないのかもしれない。南国の海と同じエメラルドグリーンのところもあり、海水も澄んでいる。ときどき小さな漁村が現れては消えていく。板壁に黒瓦の屋根の家々が能登地方の定番のようだ。
途中で一休みした「寄り道パーキングかなみ(鹿波)」。めったに車が来ず、波の音もなく、ここもまた聞こえるのは鳥のさえずりだけだ。
高岡大仏よりも確実にデカい
「寄り道パーキングかなみ」の極上空間
能登町に入り、主邑小木を通過。「小木漁港」は町から海へと突き当たるT字路にあって、大型のイカ釣り船がどどんとT字路の突き当りに停泊中だった。
漁船がドーン!
湖のような海
小木の集落からほど近い「九十九湾」。大小の入江からなるリアス海岸で日本百景の一つだというのだが、観光船の乗り場近くで海を眺めるにとどめる。本来ならば遊歩道を歩くべきだが、もう歩くのがいやなのだ。
ここからだけで十分?!
それに比べて次に行った「恋路海岸」には見るものが多くあった。恋路海岸には恋人の伝説があり、その伝説の2人が寄り添う銅像や、沖に浮かぶ島などがあった。
恋路物語の主人公は助三郎と鍋乃
海岸の北側の岩は陽を浴びて白く見える
「見付海岸」。能登のシンボルだという「見附島」(別名軍艦島)が眼前に迫る。海を前にしてはしゃぐ多くの観光客がいた。
見附島と鐘。なぜ海岸に鐘?
いつもよりもゆっくり眠って、6時15分起床の7時半出発。
道の駅の向かいは「能登島ガラス美術館」だった
まずは能登島をくるりと走ってみる。とは言ってもけっこう大きな島で、海岸線が複雑なこともあり、あまり立ち止まらずに走っても1時間以上はかかる。長崎、鰀目(えのめ)、八ヶ崎、祖母ケ浦などの集落を通って、「のとじま臨海公園」、「のとじま水族館」の前を通るが、まだ開園していないのでこれ幸いと入らずに写真だけにとどめる。
さらに百万石、久木、田尻などの集落を抜け、「ツインブリッジのと」を通って能登半島に戻る。この橋は全長620m。七尾湾に浮かぶ周辺の島々を望みながら鼻唄気分で走る。海に架かる長大橋は空へと続く滑走路のようなファンタジックな感覚があり走っていて楽しい。
能登島の海。海がこのように見えるのが不思議
のとじま水族館
七尾市中島町の「能登演劇堂」に寄る。「無名塾」を率いる仲代達矢が旧中島町を気に入り、彼の専門的なアドバイスを受けて建設されたものだ。演劇専用ホールがないと嘆く仲代の話を聞いて、当時の中島町長が「じゃあウチにつくりましょう」と乗ったことが発端のようだ。だが、エントランス付近の芝などを見るにつけ文化予算は削減されているようで、公演回数も多くなく、苦戦を強いられているようだった。合併した小自治体の悲哀だろうか。
能登演劇堂
穴水町。建設会社の創業者が私財を投じて建立したという「能登長寿大仏」にちょい寄りして、その後はひたすら東海岸沿いの狭い道を進んでいく。海は凪いでいるというよりも、富山湾の中の七尾湾のさらにその入り江なので、波なんていつもないのかもしれない。南国の海と同じエメラルドグリーンのところもあり、海水も澄んでいる。ときどき小さな漁村が現れては消えていく。板壁に黒瓦の屋根の家々が能登地方の定番のようだ。
途中で一休みした「寄り道パーキングかなみ(鹿波)」。めったに車が来ず、波の音もなく、ここもまた聞こえるのは鳥のさえずりだけだ。
高岡大仏よりも確実にデカい
「寄り道パーキングかなみ」の極上空間
能登町に入り、主邑小木を通過。「小木漁港」は町から海へと突き当たるT字路にあって、大型のイカ釣り船がどどんとT字路の突き当りに停泊中だった。
漁船がドーン!
湖のような海
小木の集落からほど近い「九十九湾」。大小の入江からなるリアス海岸で日本百景の一つだというのだが、観光船の乗り場近くで海を眺めるにとどめる。本来ならば遊歩道を歩くべきだが、もう歩くのがいやなのだ。
ここからだけで十分?!
それに比べて次に行った「恋路海岸」には見るものが多くあった。恋路海岸には恋人の伝説があり、その伝説の2人が寄り添う銅像や、沖に浮かぶ島などがあった。
恋路物語の主人公は助三郎と鍋乃
海岸の北側の岩は陽を浴びて白く見える
「見付海岸」。能登のシンボルだという「見附島」(別名軍艦島)が眼前に迫る。海を前にしてはしゃぐ多くの観光客がいた。
見附島と鐘。なぜ海岸に鐘?
2019.06.10
北陸・山陰旅行記10 20190517(金)の2 珠洲~輪島
珠洲市に入って13時。遅い昼飯は、あまり考えずに能登地域名物の「のと丼」が食べられるところがいいだろうと、「レストラン浜中」という店へ。のと丼のイメージは海鮮丼で、そういうものが供されるのだろうと決めつけていたが、この店は能登牛のローストビーフ丼だった。1,620円。
その後は珠洲市役所とその前の通りの家並を眺める。
レストラン浜中の「のと丼」
珠洲市役所
市役所前の整備された街並み
「珠洲岬(聖域の岬)」。出雲の国引きの神話にも登場する能登半島最先端の地で、日本三大パワースポットの一つにも数えられて観光客から人気だという。「青の洞窟」への遊歩道は有料だし、閉塞感の漂うところには積極的には近づかない主義なので、景色を眺めるにとどめる。その眺めだけでも十分に価値があると思う。
珠洲岬の展望台は有料エリアのため近づけず
岬の真下には多分高級な旅館があった
こんなにグラッシーな施設で寛ぎたい
珠洲市狼煙(のろし)町というすごい地名のところにある「禄剛崎(ろっこうざき)」。海岸段丘の岬で能登半島の最先端だ。「道の駅狼煙」から歩くにはきつい傾斜のついた遊歩道を歩いて「禄剛埼灯台」にたどり着く。
「日本の灯台50選」に選ばれたという白亜の灯台。晴れているし、実にいい眺めだ。
道の駅狼煙
灯台までの急坂はこんな景色を見てこらえる
上ってきた甲斐がある清々しさ
なんも言えねぇ
こんなに端っこなのにここが「日本の中心」とは
輪島市へ。直接海に流れ落ちる珍しい滝だという「垂水の滝」。そして、冬の荒波に打たれるうちに真ん中に大きな窓のような穴が開いた「窓岩」。いずれも逆光となり写真がよくない。
「珠洲 真浦海岸」と書かれた先に「垂水の滝」
「窓岩」。窓なのね
「白米(しろよね)千枚田」。ここは去年出張で輪島に来たときに見たいと思ったが見られなかったところ。山裾の急斜面をモザイクのように切り開いた小さな水田群。耕運機が使えず、すべて手作業だという。海岸沿い、しかも北向きの斜面に田を切り開いているのだが、ここでいいコメができるのだろうか。
並の千枚田ではありません。輪島のもっと先だけれどもここは無理してでも行くべき。
この日の見学はここまで。去年も来た「道の駅わじま」で17時。しばし考えて、近くの「ホテルメルカート輪島」の大浴場「長山の湯」で入浴。この旅で利用してきた風呂の中では高いほうでかつ設備の貧弱なほう。露天風呂もないし、750円は高いぞ。みっちり汗をかいたあとは冷水を浴びて急冷し、なんとか風呂上がりの汗まみれを逃れた。
元を取るべく、ホテルのロビーを借りて本日のログ付けを19時まで。
こうなると泊まりはおのずと「道の駅わじま」しかなくなる。街なかを流して夕食処を探すが、店自体が少なく、しかも集積しているところが見つからない。それではコンビニめしでいいかと、スパゲティナポリタンと缶チューハイを買って、車内で食べる。
出来上がって、21時過ぎに就寝。そろそろ疲れがたまってきている。
5月17日の走行距離は、216km。
その後は珠洲市役所とその前の通りの家並を眺める。
レストラン浜中の「のと丼」
珠洲市役所
市役所前の整備された街並み
「珠洲岬(聖域の岬)」。出雲の国引きの神話にも登場する能登半島最先端の地で、日本三大パワースポットの一つにも数えられて観光客から人気だという。「青の洞窟」への遊歩道は有料だし、閉塞感の漂うところには積極的には近づかない主義なので、景色を眺めるにとどめる。その眺めだけでも十分に価値があると思う。
珠洲岬の展望台は有料エリアのため近づけず
岬の真下には多分高級な旅館があった
こんなにグラッシーな施設で寛ぎたい
珠洲市狼煙(のろし)町というすごい地名のところにある「禄剛崎(ろっこうざき)」。海岸段丘の岬で能登半島の最先端だ。「道の駅狼煙」から歩くにはきつい傾斜のついた遊歩道を歩いて「禄剛埼灯台」にたどり着く。
「日本の灯台50選」に選ばれたという白亜の灯台。晴れているし、実にいい眺めだ。
道の駅狼煙
灯台までの急坂はこんな景色を見てこらえる
上ってきた甲斐がある清々しさ
なんも言えねぇ
こんなに端っこなのにここが「日本の中心」とは
輪島市へ。直接海に流れ落ちる珍しい滝だという「垂水の滝」。そして、冬の荒波に打たれるうちに真ん中に大きな窓のような穴が開いた「窓岩」。いずれも逆光となり写真がよくない。
「珠洲 真浦海岸」と書かれた先に「垂水の滝」
「窓岩」。窓なのね
「白米(しろよね)千枚田」。ここは去年出張で輪島に来たときに見たいと思ったが見られなかったところ。山裾の急斜面をモザイクのように切り開いた小さな水田群。耕運機が使えず、すべて手作業だという。海岸沿い、しかも北向きの斜面に田を切り開いているのだが、ここでいいコメができるのだろうか。
並の千枚田ではありません。輪島のもっと先だけれどもここは無理してでも行くべき。
この日の見学はここまで。去年も来た「道の駅わじま」で17時。しばし考えて、近くの「ホテルメルカート輪島」の大浴場「長山の湯」で入浴。この旅で利用してきた風呂の中では高いほうでかつ設備の貧弱なほう。露天風呂もないし、750円は高いぞ。みっちり汗をかいたあとは冷水を浴びて急冷し、なんとか風呂上がりの汗まみれを逃れた。
元を取るべく、ホテルのロビーを借りて本日のログ付けを19時まで。
こうなると泊まりはおのずと「道の駅わじま」しかなくなる。街なかを流して夕食処を探すが、店自体が少なく、しかも集積しているところが見つからない。それではコンビニめしでいいかと、スパゲティナポリタンと缶チューハイを買って、車内で食べる。
出来上がって、21時過ぎに就寝。そろそろ疲れがたまってきている。
5月17日の走行距離は、216km。
2019.06.11
北陸・山陰旅行記11 20190518(土)の1 輪島
6時半に起床。昨夜のうちに調達していたいなり寿司と野菜ジュースの朝食をとって、7時半に出発。今日は、輪島市内のポイントをいくつか見て、その後能登半島の西海岸を進み、能登金剛の見学する予定だ。
ハコモノはどこも開いていない朝の時間帯なので、はじめは「海士町(あままち)」へと行ってみる。住民のほとんどが漁業に従事する町で、シーズンには舳倉島へ集団渡島して漁を行うのだそうだ。
石川県漁協の支所があり、その岸壁にはたくさんの漁船が並ぶ。このようにたくさんの漁船がひしめく姿を、かつて壱岐の島の勝本漁港で眺めたことを思い出す。場所柄か、家の前には海鳥や猫が多くいて、人間と同居しているようだ。
漁船の停泊数たるやすごいもの
「輪島キリコ会館」。数年前に輪島市がマリンタウンに建設した立派な建物で、能登半島の各地で行われるキリコまつりの松明がたくさん展示されている。とてもきれいで見応えがあった。JAFカードで100円割引。窓口の男性も「きれいですよ」と展示物に自信満々なのが気持ちいい。
これがキリコ。能登半島の各地で行われる行事なのだそう。
もういっちょう
ついでにという感じで、能登の仮面来訪神「アマメハギ」も展示されていた。
「輪島朝市」は毎月第2・第4水曜日に開かれると聞いていたので、場所だけ確認していこうと行ってみたところ、やっている。土曜日とあってか観光客も大勢出ていた。鮮魚を扱う店が一番多く、珍しい魚も。
開催日ではないが、客がいれば店は開かれる
のどぐろはおいしいものだが、ずいぶん高くなった
朝市会場となる通りに「永井豪記念館」があったので、ここにも入ってみる。漫画家・永井豪は輪島の出身で、6歳頃まで住んでいたが父の仕事の関係で上京。その後輪島には30数年間帰ったことはなかったが、久しぶりに戻ったときの「おかえり」という雰囲気がジンと来たそうだ。
「デビルマン」、「キューティーハニー」、「マジンガーZ」などで知られる漫画家だが、自分にとっては「ハレンチ学園」の作家のイメージが強い。9分の1スケールのマジンガーZや貴重な原画などが展示されていた。
ここまでは撮影オッケーです
ほかに、輪島市鳳至町(ふげしまち)にある市指定文化財の「住吉神社」、朝市会場至近の「輪島ドラマ記念館」を見る。
輪島住吉神社
輪島の中心部を離れて走り出す。
途中、今は輪島市だが合併前は門前町だったところにある「總持寺祖院」に立ち寄る。拝観料を徴する上に、遠くに見える中の建物は修復中なので、入らず。門前には輪島市の地域庁舎と、總持寺通り商店街の町並みを写真に収めて次へ。
總持寺祖院
總持寺通り商店街はこの先に続く
「天領黒島」の重要伝統的建造物群保存地区。江戸時代に幕府の天領となり、北前船の船主や船頭の居住地として江戸時代後期から明治時代中期かけて栄えたところ。黒い屋根瓦に板壁の伝統的な家屋が特徴的だ。佐渡島の「宿根木(しゅくねぎ)地区」もこんなだったなあと思い出したが、そこともまた別の風情があった。
雰囲気が独特。建物はあるけれどもそこに住む人間の匂いがしないような気がする。
その後は海岸沿いに浜や奇岩を眺めながら走ることになる。
「琴ヶ浜(泣き砂の浜)」。乾いた砂の上を歩くと「キュッ、キュッ」と音を出すことから、昔のお小夜・重蔵の悲恋物語に結び付けて「泣き砂の浜」とも呼ばれる。固い石英の粒が擦れ合い空気の作用で音が出るとのこと。浜の中ほどに「お小夜岩」があり、その左側の砂浜は手でこすると音が出る砂なのだそう。
琴ケ浜。しこ名ではありません
問題なく走ってくれているわがフォレスター
ハコモノはどこも開いていない朝の時間帯なので、はじめは「海士町(あままち)」へと行ってみる。住民のほとんどが漁業に従事する町で、シーズンには舳倉島へ集団渡島して漁を行うのだそうだ。
石川県漁協の支所があり、その岸壁にはたくさんの漁船が並ぶ。このようにたくさんの漁船がひしめく姿を、かつて壱岐の島の勝本漁港で眺めたことを思い出す。場所柄か、家の前には海鳥や猫が多くいて、人間と同居しているようだ。
漁船の停泊数たるやすごいもの
「輪島キリコ会館」。数年前に輪島市がマリンタウンに建設した立派な建物で、能登半島の各地で行われるキリコまつりの松明がたくさん展示されている。とてもきれいで見応えがあった。JAFカードで100円割引。窓口の男性も「きれいですよ」と展示物に自信満々なのが気持ちいい。
これがキリコ。能登半島の各地で行われる行事なのだそう。
もういっちょう
ついでにという感じで、能登の仮面来訪神「アマメハギ」も展示されていた。
「輪島朝市」は毎月第2・第4水曜日に開かれると聞いていたので、場所だけ確認していこうと行ってみたところ、やっている。土曜日とあってか観光客も大勢出ていた。鮮魚を扱う店が一番多く、珍しい魚も。
開催日ではないが、客がいれば店は開かれる
のどぐろはおいしいものだが、ずいぶん高くなった
朝市会場となる通りに「永井豪記念館」があったので、ここにも入ってみる。漫画家・永井豪は輪島の出身で、6歳頃まで住んでいたが父の仕事の関係で上京。その後輪島には30数年間帰ったことはなかったが、久しぶりに戻ったときの「おかえり」という雰囲気がジンと来たそうだ。
「デビルマン」、「キューティーハニー」、「マジンガーZ」などで知られる漫画家だが、自分にとっては「ハレンチ学園」の作家のイメージが強い。9分の1スケールのマジンガーZや貴重な原画などが展示されていた。
ここまでは撮影オッケーです
ほかに、輪島市鳳至町(ふげしまち)にある市指定文化財の「住吉神社」、朝市会場至近の「輪島ドラマ記念館」を見る。
輪島住吉神社
輪島の中心部を離れて走り出す。
途中、今は輪島市だが合併前は門前町だったところにある「總持寺祖院」に立ち寄る。拝観料を徴する上に、遠くに見える中の建物は修復中なので、入らず。門前には輪島市の地域庁舎と、總持寺通り商店街の町並みを写真に収めて次へ。
總持寺祖院
總持寺通り商店街はこの先に続く
「天領黒島」の重要伝統的建造物群保存地区。江戸時代に幕府の天領となり、北前船の船主や船頭の居住地として江戸時代後期から明治時代中期かけて栄えたところ。黒い屋根瓦に板壁の伝統的な家屋が特徴的だ。佐渡島の「宿根木(しゅくねぎ)地区」もこんなだったなあと思い出したが、そこともまた別の風情があった。
雰囲気が独特。建物はあるけれどもそこに住む人間の匂いがしないような気がする。
その後は海岸沿いに浜や奇岩を眺めながら走ることになる。
「琴ヶ浜(泣き砂の浜)」。乾いた砂の上を歩くと「キュッ、キュッ」と音を出すことから、昔のお小夜・重蔵の悲恋物語に結び付けて「泣き砂の浜」とも呼ばれる。固い石英の粒が擦れ合い空気の作用で音が出るとのこと。浜の中ほどに「お小夜岩」があり、その左側の砂浜は手でこすると音が出る砂なのだそう。
琴ケ浜。しこ名ではありません
問題なく走ってくれているわがフォレスター
2019.06.12
北陸・山陰旅行記12 20190518(土)の2 志賀
志賀町に入って、「ヤセの断崖」へ。ここは松本清張「ゼロの焦点」の舞台となった断崖絶壁。名前の由来は、土地が痩せていて作物が作れないとの説や、その先端に立って海面を見下ろすと身も痩せる思いがするという説があるようだ。
展望地点まで行ってみるが、その迫力が伝わってこないのは、陸地からのいいビューポイントがないからだろう。
どこが断崖なの? だからここの下。
ビューポイントから左手を望んでも断崖はなし
そこから遊歩道で300mほどのところにある「義経の舟隠し」。ここは前者に反してすごい景色だ。兄頼朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶らが奥州へ下る途中、おりからの荒波を避けるため、入江に船を隠したと伝えられている岩場。細く奥に長い入江で沖から見えにくく、48隻も船を隠したといわれる。
なぜこんな場所ができたのか不思議
すごいので2枚掲載!
「増穂浦(ますほがうら)海岸」。日本の水浴場55選に選ばれ、日本の小貝三名所のひとつ。そういう3名所もあるのか。砂浜に少し草が生えかかっているのはどうかと思うが、広々としたテラスに設えられたベンチには自分一人。ああ、くなくな。土曜日の真昼なのになぁ。
これは世界一のベンチではありません
「道の駅とぎ海街道」の至近にある「世界一長いベンチ」。増穂浦海岸にある全長461mのとても長いベンチだ。たしかに長いのだが、こういうものが誘客に効果があるということを、他の関係者は学ぶべきかもしれない。
写真を撮ろうと構えた頃になって、たくさんのツーリング野郎たちがやってきてベンチを占拠。ほかに「岸壁の母の碑」があった。
ほほーっ
みんな、右足組んで、こっち向いて、はいチーズ!
岸壁の母の碑。ここは舞鶴港ではないのだけど
さて、メシ。「富来(とぎ)」という小さい集落内にあった「八幡屋」という地元密着系の店に入り、ピカ丼セット(ラーメン)950円を食べる。
ピカ丼とは初めて聞いたが、天かすとネギをたっぷりの卵でとじたものだった。どんつゆのデキがいい。中華そばは、山形のものとよく似たやや太もっちりの麺に甘みを帯びたスープ。麺は少量というか、ラーメンどんぶりが山形地域のものよりも小さい。
「八幡屋」のピカ丼セット
ここからは「能登金剛」。海岸線が朝鮮半島の金剛海岸のように美しいところからそう呼ばれる、能登を代表する景勝地だとのこと。福浦港から関野鼻までの約29kmの海岸線を指し、奇岩、奇勝、断崖が連なる。
まずは「機具(はたご)岩」。昔能登の地に織物の業を広めた鹿島郡能登比め神社の祭神が、織機を背負って山越えの折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ忽然としてそれが岩に変じたという。2つの岩がしめ縄で結ばれた神聖な佇まいがある。
「巌門」地帯にはいくつかの見どころがある。「雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅」と刻された「松本清張歌碑」。松本清張作「ゼロの焦点」の影響を受けて能登金剛に身を投じた女性を哀悼するために建てられたものだ。
「千畳敷岩」。畳のような平らな岩が重なり合い広い平地を形成するのだが、スケール的にはたいしたものではないと感じる。
メインの「巌門」。老松が生い茂る岩にぽっかりと空いた穴が特徴。日本海の荒波によって浸食されたもので、能登金剛の代表的な存在なのだそうだ。しかし、これも言うなれば穴の開いたただの岩であって、どうということはないんじゃないのと思ってしまった。
遊覧船に乗って海上から眺める奇岩は圧巻らしいのでそうするべきなのだろうが、20分で1,100円ではねえ。
機具岩
松本清張歌碑
千畳敷岩
巌門
日本一古い木造の灯台「旧福浦灯台」。北前船の寄港地にふさわしい白くて小さいかわいい灯台なのだが、印象的だったのはそこに行きつくまでの道。狭い集落内の極細の、しかもものすごく勾配のきつい道を上ってようやくたどり着いたときには、4WDよありがとうという感謝の念、そしてよく車に傷をつけずに済んだものだという安堵感があった。
3台分ほどの狭い駐車エリアには、「史跡 福良津」の碑と「福浦いづも節」の歌詞、「福浦よいとこ入船出船 波に黄金の花が咲く」の歌碑があった。それと、「神戸三次郎の像」。福浦の出身で、ながく上級船員として活躍し、その後日本水産で船員の指導養成にあたった人物だという。
戻るときにも細心の注意を払い、びくびくしながらよちよち進む。
駐車スペースにあった3つのモニュメント
同所にあった「神戸三次郎の像」
日本一古い木造灯台「旧福浦灯台」
海岸線から内陸部に入って「松尾神社」。建立年代は室町時代末期と推定されており、本殿が国指定文化財、拝殿が県文化財。中世にさかのぼる建築例は県内ではここだけなのだそう。その貴重さ、すごさはあまり伝わってこなかったが。
松尾神社の拝殿は茅葺きの田舎家風だった
ようやく町の主邑の志賀(しか)地区まで下りてきたところに「道の駅ころ柿の里しか」があったので、ここで休憩。昼寝をしたら起きたのは1時間半後。少し疲れ気味だったので、このぐらい休んでもいいだろう。
車から出てころ柿ソフトクリームを食べながらあたりを観察すると、ここは22時までやっているプール付きの温泉や食事処があり、こんな整った設備が目の前にあるのであれば今日はもうここで切り上げようという気になる。
ゆっくり風呂に浸かり、19時過ぎまで休憩室でログ付け。となりにある食事処が混んでいたため、家族連れなどの大騒ぎ客が引いた20時を過ぎたあたりでようやく飲み方はじめ。
ビール、ハイボールに冷奴とほたるいかの酢味噌和えを合わせ、〆にカレーそば。
今夜の車旅滞在者はずいぶん多い。場所柄なのか、それとも土曜日だと多いのか。
パソコンのバッテリーが切れそうで心配していたが、道の駅の休憩施設の電源が使えたので、拝借して充電。この間、読書。
22時過ぎには車に戻って寝る態勢へ。
5月18日の走行距離は89km。
展望地点まで行ってみるが、その迫力が伝わってこないのは、陸地からのいいビューポイントがないからだろう。
どこが断崖なの? だからここの下。
ビューポイントから左手を望んでも断崖はなし
そこから遊歩道で300mほどのところにある「義経の舟隠し」。ここは前者に反してすごい景色だ。兄頼朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶らが奥州へ下る途中、おりからの荒波を避けるため、入江に船を隠したと伝えられている岩場。細く奥に長い入江で沖から見えにくく、48隻も船を隠したといわれる。
なぜこんな場所ができたのか不思議
すごいので2枚掲載!
「増穂浦(ますほがうら)海岸」。日本の水浴場55選に選ばれ、日本の小貝三名所のひとつ。そういう3名所もあるのか。砂浜に少し草が生えかかっているのはどうかと思うが、広々としたテラスに設えられたベンチには自分一人。ああ、くなくな。土曜日の真昼なのになぁ。
これは世界一のベンチではありません
「道の駅とぎ海街道」の至近にある「世界一長いベンチ」。増穂浦海岸にある全長461mのとても長いベンチだ。たしかに長いのだが、こういうものが誘客に効果があるということを、他の関係者は学ぶべきかもしれない。
写真を撮ろうと構えた頃になって、たくさんのツーリング野郎たちがやってきてベンチを占拠。ほかに「岸壁の母の碑」があった。
ほほーっ
みんな、右足組んで、こっち向いて、はいチーズ!
岸壁の母の碑。ここは舞鶴港ではないのだけど
さて、メシ。「富来(とぎ)」という小さい集落内にあった「八幡屋」という地元密着系の店に入り、ピカ丼セット(ラーメン)950円を食べる。
ピカ丼とは初めて聞いたが、天かすとネギをたっぷりの卵でとじたものだった。どんつゆのデキがいい。中華そばは、山形のものとよく似たやや太もっちりの麺に甘みを帯びたスープ。麺は少量というか、ラーメンどんぶりが山形地域のものよりも小さい。
「八幡屋」のピカ丼セット
ここからは「能登金剛」。海岸線が朝鮮半島の金剛海岸のように美しいところからそう呼ばれる、能登を代表する景勝地だとのこと。福浦港から関野鼻までの約29kmの海岸線を指し、奇岩、奇勝、断崖が連なる。
まずは「機具(はたご)岩」。昔能登の地に織物の業を広めた鹿島郡能登比め神社の祭神が、織機を背負って山越えの折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ忽然としてそれが岩に変じたという。2つの岩がしめ縄で結ばれた神聖な佇まいがある。
「巌門」地帯にはいくつかの見どころがある。「雲たれてひとりたけれる荒波を恋しと思えり能登の初旅」と刻された「松本清張歌碑」。松本清張作「ゼロの焦点」の影響を受けて能登金剛に身を投じた女性を哀悼するために建てられたものだ。
「千畳敷岩」。畳のような平らな岩が重なり合い広い平地を形成するのだが、スケール的にはたいしたものではないと感じる。
メインの「巌門」。老松が生い茂る岩にぽっかりと空いた穴が特徴。日本海の荒波によって浸食されたもので、能登金剛の代表的な存在なのだそうだ。しかし、これも言うなれば穴の開いたただの岩であって、どうということはないんじゃないのと思ってしまった。
遊覧船に乗って海上から眺める奇岩は圧巻らしいのでそうするべきなのだろうが、20分で1,100円ではねえ。
機具岩
松本清張歌碑
千畳敷岩
巌門
日本一古い木造の灯台「旧福浦灯台」。北前船の寄港地にふさわしい白くて小さいかわいい灯台なのだが、印象的だったのはそこに行きつくまでの道。狭い集落内の極細の、しかもものすごく勾配のきつい道を上ってようやくたどり着いたときには、4WDよありがとうという感謝の念、そしてよく車に傷をつけずに済んだものだという安堵感があった。
3台分ほどの狭い駐車エリアには、「史跡 福良津」の碑と「福浦いづも節」の歌詞、「福浦よいとこ入船出船 波に黄金の花が咲く」の歌碑があった。それと、「神戸三次郎の像」。福浦の出身で、ながく上級船員として活躍し、その後日本水産で船員の指導養成にあたった人物だという。
戻るときにも細心の注意を払い、びくびくしながらよちよち進む。
駐車スペースにあった3つのモニュメント
同所にあった「神戸三次郎の像」
日本一古い木造灯台「旧福浦灯台」
海岸線から内陸部に入って「松尾神社」。建立年代は室町時代末期と推定されており、本殿が国指定文化財、拝殿が県文化財。中世にさかのぼる建築例は県内ではここだけなのだそう。その貴重さ、すごさはあまり伝わってこなかったが。
松尾神社の拝殿は茅葺きの田舎家風だった
ようやく町の主邑の志賀(しか)地区まで下りてきたところに「道の駅ころ柿の里しか」があったので、ここで休憩。昼寝をしたら起きたのは1時間半後。少し疲れ気味だったので、このぐらい休んでもいいだろう。
車から出てころ柿ソフトクリームを食べながらあたりを観察すると、ここは22時までやっているプール付きの温泉や食事処があり、こんな整った設備が目の前にあるのであれば今日はもうここで切り上げようという気になる。
ゆっくり風呂に浸かり、19時過ぎまで休憩室でログ付け。となりにある食事処が混んでいたため、家族連れなどの大騒ぎ客が引いた20時を過ぎたあたりでようやく飲み方はじめ。
ビール、ハイボールに冷奴とほたるいかの酢味噌和えを合わせ、〆にカレーそば。
今夜の車旅滞在者はずいぶん多い。場所柄なのか、それとも土曜日だと多いのか。
パソコンのバッテリーが切れそうで心配していたが、道の駅の休憩施設の電源が使えたので、拝借して充電。この間、読書。
22時過ぎには車に戻って寝る態勢へ。
5月18日の走行距離は89km。
2019.06.13
北陸・山陰旅行記13 20190519(日)の1 羽咋
6時起床の6時40分発。
羽咋市内に入って、コインランドリーで洗濯をする。だいたい1週間ぐらいで着るものがなくなってくるようだ。真っ先にパンツが足りなくなる。7枚しか持ってきていず、もっと必要だ。
洗いながら、途中で買ったサンドイッチと牛乳で朝食。9時近くまでここで滞留。
今日あたりからはいよいよ未知の領域がたくさん出てくる。
4kmほど道を戻ってまずは羽咋市寺家町の「気多大社」を見る。能登国の一宮。巫女たちが朝の庭掃除をしている中を参拝する。
大社内の一角には「折口父子の歌碑」もある。折口信夫(歌人釈迢空)は大阪府出身の生涯独身者。門弟で羽咋出身の藤井春洋を養子に迎えたが、春洋は硫黄島で戦死。今は羽咋市一ノ宮の墓に二人で眠っている。博士の没後、春洋の生家に近い気多大社境内に、ともに歌人であった父子の歌碑が建てられた。
「入らずの森」という社叢は国の天然記念物だ。
その後クルマで移動して、ほど近くにあった「折口信夫父子の墓」も見る。
朝の気多大社
折口父子の歌碑
ここから先は「入らずの森」
折口信夫父子の墓(中央)
写真を撮っていると、ミラーレス一眼もバッテリーの残量が少なくなっていることに気づく。困ったなあ。
ではと、ここで早くも今日の休憩として、羽咋市内のマクドナルドでドリンクを飲みつつカメラとパソコンのバッテリーの充電をする。
その間、少しだけ旅のドキュメントをして、あとは読書。まあ、旅の間にはこういう時間も必要なのだ。今日は日曜日だし。
次は、「千里浜なぎさドライブウェイ」。ここは去年、すぐ脇の高速を使って能登半島方面へと移動し、通ることができなかったところで、今回はぜひ走ってみたいと思っていた。
日本で唯一、約8kmにわたって砂浜を車で走ることができるドライブウェイ。このたびは天候もばっちりで、極めて爽快だった。砂浜を走るのでもしかしたらタイヤがスタックしてハンドルを取られるようなことがあるのではないかと思っていたが、海のすぐ脇の砂浜なのにけっこう締まっていてそういうことはなし。馬鹿みたいにスピードを出して走る車はなく、みんな時速40~50kmほどでクルージングを楽しんでいる。こういうところ、近くにあるといいのだが。
なぎさドライブウェイ入り口にあった砂の像
観光バス運転手が空バスを走らせたのが発端
はい、スタート!
こういう写真はなかなか取れないので
すげえなあ!
羽咋市内に入って、コインランドリーで洗濯をする。だいたい1週間ぐらいで着るものがなくなってくるようだ。真っ先にパンツが足りなくなる。7枚しか持ってきていず、もっと必要だ。
洗いながら、途中で買ったサンドイッチと牛乳で朝食。9時近くまでここで滞留。
今日あたりからはいよいよ未知の領域がたくさん出てくる。
4kmほど道を戻ってまずは羽咋市寺家町の「気多大社」を見る。能登国の一宮。巫女たちが朝の庭掃除をしている中を参拝する。
大社内の一角には「折口父子の歌碑」もある。折口信夫(歌人釈迢空)は大阪府出身の生涯独身者。門弟で羽咋出身の藤井春洋を養子に迎えたが、春洋は硫黄島で戦死。今は羽咋市一ノ宮の墓に二人で眠っている。博士の没後、春洋の生家に近い気多大社境内に、ともに歌人であった父子の歌碑が建てられた。
「入らずの森」という社叢は国の天然記念物だ。
その後クルマで移動して、ほど近くにあった「折口信夫父子の墓」も見る。
朝の気多大社
折口父子の歌碑
ここから先は「入らずの森」
折口信夫父子の墓(中央)
写真を撮っていると、ミラーレス一眼もバッテリーの残量が少なくなっていることに気づく。困ったなあ。
ではと、ここで早くも今日の休憩として、羽咋市内のマクドナルドでドリンクを飲みつつカメラとパソコンのバッテリーの充電をする。
その間、少しだけ旅のドキュメントをして、あとは読書。まあ、旅の間にはこういう時間も必要なのだ。今日は日曜日だし。
次は、「千里浜なぎさドライブウェイ」。ここは去年、すぐ脇の高速を使って能登半島方面へと移動し、通ることができなかったところで、今回はぜひ走ってみたいと思っていた。
日本で唯一、約8kmにわたって砂浜を車で走ることができるドライブウェイ。このたびは天候もばっちりで、極めて爽快だった。砂浜を走るのでもしかしたらタイヤがスタックしてハンドルを取られるようなことがあるのではないかと思っていたが、海のすぐ脇の砂浜なのにけっこう締まっていてそういうことはなし。馬鹿みたいにスピードを出して走る車はなく、みんな時速40~50kmほどでクルージングを楽しんでいる。こういうところ、近くにあるといいのだが。
なぎさドライブウェイ入り口にあった砂の像
観光バス運転手が空バスを走らせたのが発端
はい、スタート!
こういう写真はなかなか取れないので
すげえなあ!
2019.06.14
北陸・山陰旅行記14 20190519(日)の2 かほく~能美~小松
かほく市に入って、「石川県西田幾多郎記念哲学館」を見る。哲学なんてちんぷんかんぷんであまり興味はないが、なんたって西田幾多郎だかんな。
西田は現かほく市の出身。博士の業績やゆかりの品を紹介し、哲学を身近にわかりやすく学べる施設になっている。中身もさることながら、ここは建物が立派過ぎ。傾斜地に趣向を凝らして建っている。安藤忠雄の設計で、打ちっ放しコンクリートにガラス張りの建物、大きな階段庭園などは、思索体験の場にふさわしい雰囲気を醸し出している。ホールまで備えているのだが、効率的に使われているのだろうか。
どーだどーだの立派な外観
哲学とは言葉遊びであると見つけたり(違)
昼メシは、哲学館近くの「すしべん白尾インター店」でミニ丼セット750円を食べる。「すしべん」は石川県を走っていてあちこちで見かける店。セットは天ぷらうどん・そばと数種類のミニ丼からチョイスするもので、うどんと明太子丼をセレクトしてみた。天ぷらはエビにたっぷりの衣をまとわせたもので、衣がちでうまい。弁当や寿司、総菜のテイクアウトもやっていて、いずれも格安で食指が動くものばかり。ここの弁当も食べてみたくなった。
「すしべん」の充実のセットメニュー
かほく市を離れて小松方面へと進む途中でまたもや急に眠気が襲ってくる。メシを腹に入れると条件反射的にこうなるようだ。このまま走っていると絶対に居眠り運転になるぞ。
もう駄目だと沿道のコンビニ駐車場に停めて1時間ほど昼寝。エンジンを停めると窓を開けていてもバカ暑なのだけれども、それでも眠ってしまう。
「内灘町総合公園」まで戦線を延ばして、これからどう進むかについて考える。順当にいけば金沢市内へと突入することになるが、金沢は見るべきものが多すぎて、じっくりいけば3、4日は必要になる。そうなると停滞感はますます深まってしまうので、金沢は別途見る機会を設けることにして、金沢をスルーして先に進むことにする。
能美市(旧根上町)は松井秀喜の出身地。ここに「松井秀喜ベースボールミュージアム」がある。館内には松井秀喜に関する資料や、記念品が多数展示されていて、プロ入り第1号ホームランのバットとボールや、本塁打王・打点王など多数の盾、トロフィーのほか、少年野球、中学野球、高校野球時代の写真などが、所狭しと並んでいる。
こうしてみると松井は偉大だ。NYヤンキースで長い間プレーし、ワールドシリーズでも大活躍しているのだから。
エントランスとアメリカン風(?)の建物
松井のインパクトはやはり「星稜」がいちばんだと思う
振り返れば実に偉大な選手だったと感じた
小松駅周辺にも行ってみる。
駅至近には「サイエンスヒルズこまつ ひととものづくり科学館」があるが、日曜で子供が多い上に有料なので、無料ゾーンに入ってみただけにとどめ、「こまつの杜」を眺める。こちらは無料。世界的建機メーカー「コマツ」の小松工場跡地にオープンした施設で、世界最大級のダンプトラック「コマツ930E」が展示されていた。
サイエンスヒルズこまつひととものづくり科学館
こまつの杜の「コマツ930E」
JR小松駅
17時近くとなり、今日もお疲れ気味なのでこのあたりで切り上げて、24時間営業のスーパー銭湯「加賀ゆめのゆ」に避難する。明るいうちに風呂に浸かり、風呂上がりにはビールを飲む。
大量客で大賑わいの時間をカウンター席でハイボールを飲んでしのぐ。これでいいかと期待もせずに注文した厚揚げ焼は大当たりで、居酒屋でこれほど充実した厚揚げにお目にかかれることはそうあるものではない。ほかにたこわさでも頼もうかと思っていたけれども酒の友は厚揚げだけで十分だ。しばらく本を読んだりして寛ぐ。
フィニッシュは、インド人の調理人が腕を振るっているポークカレーセット。ナンがうまいのなんの。だが、量も多いのなんの。ナンなの。
21時を回って少し静かになった頃合いに、マックで充電を済ませたパソコンで今日のログ付け。
あとは休憩室で本を読んで、リクライニングシートを確保して眠りに落ちるという算段だ。
5月19日の走行距離は124km。
西田は現かほく市の出身。博士の業績やゆかりの品を紹介し、哲学を身近にわかりやすく学べる施設になっている。中身もさることながら、ここは建物が立派過ぎ。傾斜地に趣向を凝らして建っている。安藤忠雄の設計で、打ちっ放しコンクリートにガラス張りの建物、大きな階段庭園などは、思索体験の場にふさわしい雰囲気を醸し出している。ホールまで備えているのだが、効率的に使われているのだろうか。
どーだどーだの立派な外観
哲学とは言葉遊びであると見つけたり(違)
昼メシは、哲学館近くの「すしべん白尾インター店」でミニ丼セット750円を食べる。「すしべん」は石川県を走っていてあちこちで見かける店。セットは天ぷらうどん・そばと数種類のミニ丼からチョイスするもので、うどんと明太子丼をセレクトしてみた。天ぷらはエビにたっぷりの衣をまとわせたもので、衣がちでうまい。弁当や寿司、総菜のテイクアウトもやっていて、いずれも格安で食指が動くものばかり。ここの弁当も食べてみたくなった。
「すしべん」の充実のセットメニュー
かほく市を離れて小松方面へと進む途中でまたもや急に眠気が襲ってくる。メシを腹に入れると条件反射的にこうなるようだ。このまま走っていると絶対に居眠り運転になるぞ。
もう駄目だと沿道のコンビニ駐車場に停めて1時間ほど昼寝。エンジンを停めると窓を開けていてもバカ暑なのだけれども、それでも眠ってしまう。
「内灘町総合公園」まで戦線を延ばして、これからどう進むかについて考える。順当にいけば金沢市内へと突入することになるが、金沢は見るべきものが多すぎて、じっくりいけば3、4日は必要になる。そうなると停滞感はますます深まってしまうので、金沢は別途見る機会を設けることにして、金沢をスルーして先に進むことにする。
能美市(旧根上町)は松井秀喜の出身地。ここに「松井秀喜ベースボールミュージアム」がある。館内には松井秀喜に関する資料や、記念品が多数展示されていて、プロ入り第1号ホームランのバットとボールや、本塁打王・打点王など多数の盾、トロフィーのほか、少年野球、中学野球、高校野球時代の写真などが、所狭しと並んでいる。
こうしてみると松井は偉大だ。NYヤンキースで長い間プレーし、ワールドシリーズでも大活躍しているのだから。
エントランスとアメリカン風(?)の建物
松井のインパクトはやはり「星稜」がいちばんだと思う
振り返れば実に偉大な選手だったと感じた
小松駅周辺にも行ってみる。
駅至近には「サイエンスヒルズこまつ ひととものづくり科学館」があるが、日曜で子供が多い上に有料なので、無料ゾーンに入ってみただけにとどめ、「こまつの杜」を眺める。こちらは無料。世界的建機メーカー「コマツ」の小松工場跡地にオープンした施設で、世界最大級のダンプトラック「コマツ930E」が展示されていた。
サイエンスヒルズこまつひととものづくり科学館
こまつの杜の「コマツ930E」
JR小松駅
17時近くとなり、今日もお疲れ気味なのでこのあたりで切り上げて、24時間営業のスーパー銭湯「加賀ゆめのゆ」に避難する。明るいうちに風呂に浸かり、風呂上がりにはビールを飲む。
大量客で大賑わいの時間をカウンター席でハイボールを飲んでしのぐ。これでいいかと期待もせずに注文した厚揚げ焼は大当たりで、居酒屋でこれほど充実した厚揚げにお目にかかれることはそうあるものではない。ほかにたこわさでも頼もうかと思っていたけれども酒の友は厚揚げだけで十分だ。しばらく本を読んだりして寛ぐ。
フィニッシュは、インド人の調理人が腕を振るっているポークカレーセット。ナンがうまいのなんの。だが、量も多いのなんの。ナンなの。
21時を回って少し静かになった頃合いに、マックで充電を済ませたパソコンで今日のログ付け。
あとは休憩室で本を読んで、リクライニングシートを確保して眠りに落ちるという算段だ。
5月19日の走行距離は124km。