はてなキーワード: 血統とは
https://artnewsjapan.com/article/71482
「新しい家族の形!」って世界に堂々と日本を代表して輸出してる。
里子じゃあだめなのも、「ナショナリズムや父権制を脱中心化する」とかいいながら結局血統ガチガチの超保守思想じゃん。
双子を希望したのは、フォレストは3人きょうだい、私は2人きょうだいだったので、きょうだいがいたほうが社交性が育つのではと思ったことが大きいです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/937249efad14c84d6d2428543b5dab32fd90c049?page=2
個人としてはそういう選択をしたのは、ゲイにいろんな悩みがあるのもわかるし、法が追いついてない問題なのでしょうがないところがあるとして、
本来は男女平等の継承順であるべきだが既存の制度・慣行に配慮して当面は男子優先しつつ女性の継承も容認して性差別を軽減していくってのと同じで
本来は君主制をやめるべきだが既存の制度・慣行に配慮して当面は君主制を維持しつつ人選は能力・人格を考慮して血統差別を軽減していくって話だよ
皇位継承問題では、女帝や女系継承を認めるべきかどうかに議論が集中しがちである。しかし、本当に分けて考えるべきなのは、制度として女帝・女系を認めることと、既に定まっている皇位継承順位を後から変更することは別問題だ、という点である。
私は、将来的に女帝や女系継承を認めること自体には反対しない。しかし、現在の継承順位に割り込む形で愛子内親王を即位させることには強く反対する。
皇位継承順位は、単なる名簿上の順番ではない。その順位を前提として、皇族本人の教育、立場、周囲の扱い、社会的役割が形作られていく。既に皇位継承者として位置づけられ、その前提で育成されてきた人物を、後から政治や世論の判断で順位から外すことは、その人の人生を国家が恣意的に変更することに等しい。
これは悠仁親王個人が優れているかどうかという話ではない。誰であれ、継承者として定められ、その前提で人生を歩んできた人物を、後から政治情勢や世論によって排除すべきではない、という原則の問題である。
皇位継承において最も避けるべきなのは、「誰を天皇にするか」を政治や世論が選ぶ状態である。歴史上、皇位継承をめぐる争いは、しばしば政治的対立や社会の分裂を招いてきた。だからこそ、皇位継承順位をあらかじめ厳格に定め、本人にも政治にも選ばせない仕組みには意味がある。天皇制の安定は、「誰が望ましいか」を議論して選ぶことではなく、「あらかじめ決まっているから争わない」ことによって支えられている。
もし現在の継承順位を変更し、悠仁親王を飛ばして愛子内親王を即位させることになれば、国論の分裂は避けられない。その場合、「本来の正統な継承者は悠仁親王である」と主張する勢力が必ず現れる。そうなれば、天皇の正統性そのものが政治的対立の焦点になってしまう。国民を統合するはずの天皇が、国民分裂の焦点になるならば、それは象徴天皇制の基盤を掘り崩すことになる。
諸外国の例を見ても、単純に「既存順位に割り込んだ例はない」とは言えない。スウェーデンでは、1980年の改正により、それまで王太子だったカール・フィリップ王子に代わって、姉のヴィクトリア王女が王太子となった例がある。しかし、カール・フィリップ王子は当時まだ生後数か月であり、長年にわたって継承者として教育され、公的役割を担い、その地位を前提に人生を形成してきた成年王族ではなかった。この例を、現在の日本の皇位継承問題と同列に扱うことはできない。
一方で、英国やノルウェーのように、男女平等化を進めながらも、既存順位に配慮した例もある。制度を変えることと、既存順位を尊重することは両立し得るのである。
したがって、女帝や女系継承を将来的に認めるとしても、最低限守るべきルールがある。それは、既に定まっている皇位継承順位には一切手を触れない、ということである。制度を変えるなら、現在の順位を尊重したうえで、将来世代に向けて設計すべきだ。
そもそも、個人名を挙げて「誰々は天皇にふさわしい」「誰々はふさわしくない」と論じること自体、天皇制の原理とは相性が悪い。天皇制は、個人の能力や人格によって君主を選ぶ制度ではない。血統と継承順位によって、本人の意思や世論の好悪とは無関係に継承者を定める制度である。
人格や能力で選ぶのであれば、それはもはや天皇制ではなく、選挙君主制に近い。そのような議論をするくらいなら、天皇制そのものを廃止するかどうかを正面から論じるべきである。
皇族は、政治的発言も反論も自由にはできない立場にある。そのような人々について、政治的目的のために人格や能力を比較し、「こちらの方がふさわしい」「あちらはふさわしくない」と論じるのは、あまりに下品である。人権を重んじるというなら、まず皇族個人を政治的比較の材料にする態度こそ慎むべきである。
「天皇家の血筋を証明するためにDNA鑑定を受けろ」なんて話を耳にすると、私はなんだか「あーあ、またか」と思って、言いようのない虚脱感を覚えちゃうわけ。
それは単に「右だ左だ」っていう政治的なスタンスの話じゃなくて、もっと根本的な、現代人が陥っている「ボタンの掛け違い」。
そもそも皇室における「血統」っていうのは、生物学的なACGTの塩基配列データなんかじゃない。それは、数千年にわたって積み上げられてきた儀式とか、神話とか、あるいは歴史の連続性っていう「物語」が一体になった、とてつもなく分厚い「パッケージ」そのものなんだわ。
それを「最新の機械で測れば正解が出る」と思い込んじゃうのはさ、OSの思想をまるで理解しないで、ハードウェアの型番だけチェックして「これが本物だ!」って叫んでるようなものなの。
どれだけ高精度のシーケンサーを使っても、そこに「神性」や「象徴としての正統性」なんてものは映らない。
だって、そんなものはデータの中には最初から入ってないんだから!
現代っていうのは、目に見えない権威や伝統を信じる力を、すっかり失くしちゃった時代。その代わりに、みんなが縋り付いているのが数値っていう新しい神様なんだわ。
なんでもかんでも白黒つけなきゃ気が済まないっていうのは、一種の幼児性ギャオンなのね。グレーゾーンとかよくわかんないけど、そうなってるらしいっていう神秘性を抱えたまま生きていく耐性が、もうヘロヘロに低くなっちゃってる。だから、文化だとか精神性だとかいうものにまで、0か1かの判定を持ち込んじゃう。
科学っていうのは事実は出すけど、意味は作ってくれないンだよ。DNAが一致したっていう事実は出せても、だから尊いっていう解釈は、人間の合意と文化の領分なわけ。
この境界線が引けなくなった結果、私たちは自分たちが立っている文化の土台を、自ら計測器で掘り崩してるわけ。これじゃあ、立ってる場所がなくなるのも当たり前だわな?
かつて私たちは共同幻想っていうバカでかいOSの上で、国家だの伝統だのっていう物語を共有して生きていたけど、今そのOSはバグだらけで、もうまともに動いてないんだ。
ネットのおかげで、あらゆるものの裏側が暴かれちゃって、世界の解像度が上がりすぎちゃった。そうなると、幻想を維持するための余白が許されなくなる。おまけにコスパなんていう最強の毒素が、非合理な儀式を無駄だ〜って切り捨てていく。
大きな物語がバラバラに解体されて、誰もが自分は何者なのかっていう問いに、ポカンと口を開けて立ち尽くしてる。自尊心の拠り所を失った人々は、SNSのいいねとか年収みたいな、すぐに蒸発しちゃう外部承認っていう燃料を燃やして、必死に自分を維持しようとする。
でも、そんなのすぐ消えちゃうよ?
思えば、かつて戦争っていうのは、この共同幻想を維持するための強烈な、そして暴力的な装置だったんじゃないかと思うわけ。
個人的な迷いや損得勘定を、圧倒的な死のリアリティでねじ伏せて、集団のアイデンティティに強制的にシンクロさせる。そこには「何のために生きるか」っていう問いへの答えが、否応なしにパッケージされていたんだわ。
でも、今の日本にはその強烈なHowがない。
命を懸けるほどの物語を失った私たちは、その空白を埋めるために、DNA鑑定みたいな手近で安価な科学の正解に縋り付いちゃってさ、ニセモノの正統性を確認し合ってる。なんだか、悲しいよ。
神秘性を剥ぎ取られた世界に残るのは、冷たい数値と、管理しやすいデータとしての人間だけ。
すべてを数値化して、論理化して、ハックし尽くした先に待っているのは、自由なんていうキラキラしたものじゃなくて、真っ暗で深い虚無かもしれない。 大きなOSが壊れた今、私たちはバラバラになった個として、自分たちだけの小さな理を構築し直すしかないんだ。。
血という記号以上に、その血に宿る意味をどう守るか。あるいは、物語が消えた荒野でどう立ち続けるか。
科学っていう道具に振り回されるんじゃなくて、システムの構造を理解した上で、自分の納得感をどう設計していくか。現代におけるサバイバルっていうのは、案外、そういう地味でバカめんどくさい思考の積み重ねにあるんじゃな?まあ、知らんけどね!
人権教育の現場では、被差別部落(同和地区)の歴史や差別問題が繰り返し取り上げられる。意図は「過去の身分制度による差別を正しく理解させ、現代社会から差別意識を根絶すること」にある。しかし、現実には教育の意図と効果の間に大きなズレが生じている。むしろ教育そのものが、「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調し、結果としてスティグマ(社会的烙印)を維持・強化している側面がある。本稿では、この現象を、結婚差別と私権の自由の衝突、圧力団体としての歴史的イメージという観点から論じる。
人権教育は、学校や職場、行政の啓発事業で実施される。内容の中心は、江戸時代の士農工商+穢多・非人という身分制度、明治4年(1871年)の解放令(穢多・非人等の称廃止令)による法的身分廃止、そして1969年から2002年まで続いた同和対策事業特別措置法による生活環境改善の歴史である。
これを学ぶことで、参加者が「差別は不合理で許されない」という価値観を内面化することを目指す。実際、法務省や自治体の意識調査では、講義を受けた人の多くが「部落差別は悪いことだと理解できた」と回答する。しかし、行動や深い意識変容まではつながりにくい。鳥取県の調査では「不合理であることが理解できた」と答えた人は58.5%に上る一方、「自分に直接関係がある」「何か行動を起こさなければならない」と感じた人はわずか18%程度だった。
特に効果が薄いのが、差別意識がすでに薄れている地域や世代だ。東北や沖縄、若い世代の中には「被差別部落」という概念自体をほとんど認識しておらず、「同じ日本人としか認識していない」人が増えている。そうした人々に改めて「特別な被差別集団」として教育することは、逆にそのカテゴリーを意識させ、想像上の区別を再生産する矛盾を生む。教育が「関係ないのに押しつけられている」という違和感を強め、逆効果になるケースも少なくない。
結婚は憲法第24条が保障する私権の核心である。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し……」と定められたこの権利は、個人の価値判断に他者が強く介入することを原則として禁じている。
ところが人権教育では、「部落出身者との結婚に反対するべきでない」という規範が強く押し出される。これは、個人の私的領域——血統意識、家族の価値観、将来設計——に公的な道徳を突きつける形となりやすい。特に問題なのは、反対理由の多くが「純粋な血統意識」ではなく、「現実的な利害や圧力の懸念」である点だ。
法務省の令和2年(2020年)「部落差別の実態に係る調査」でも、結婚・交際での差別的取扱いが依然として存在すると明記されている。実際の相談事例では、「相手の親が部落出身者だと知って婚約を破棄された」「親族から『部落の団体と関わるのは面倒だ』と反対された」といった声が今も上がる。こうした心理は、単なる「差別意識」ではなく、合理的な懸念として存在しているケースが多い。
部落解放同盟(解同)は、戦後すぐに被差別部落の解放を掲げ、水平社運動の継承として大きな役割を果たした。しかし、運動の長期化とともに「圧力団体」としての側面が目立つようになった。
• 1969年から始まった同和対策事業特別措置法時代に、解同系団体が事業執行の優先権や予算獲得で強い影響力を持った。
• 一部自治体では随意契約や優先採用が問題化し、2000年代に「飛鳥会事件」などの不祥事が相次いだ。
• これらの歴史が、「結婚すると将来的に団体とのトラブルに巻き込まれるのではないか」という現実的な恐れを生み出す。
人権教育がこの歴史的背景を十分に語らず、「被害者」としての側面だけを強調すると、逆に「被害者利権」という批判を生む。結果、被差別部落は「過去の被害者集団」としてではなく、「今も特別な配慮を求める圧力団体」としてイメージされ続け、差別意識の再生産を招いている。
啓発教育を行うこと自体に利益がある——この感覚は、事業継続の正当性や予算の根拠として機能しやすい。結婚差別は私権の領域であり、血統意識や現実的な懸念が絡む極めて複雑な問題だ。人権教育がこの複雑さを十分に考慮せず、一律の「正しさ」を押しつける限り、被差別部落というカテゴリーは教育によってむしろ維持・再生産され続ける可能性が高い。
人権教育の意図は尊い。しかし、憲法第14条が定める「法の下の平等」という理念に照らして、その役割を冷静に検証する必要がある。教育によって差別意識が実際に緩和されているのか、それとも「被差別部落」というカテゴリーを必要以上に強調することで、かえって区別意識を再生産しているのか——この問いは避けて通れない。
特に、差別意識がすでに薄れ、「同じ日本人としか認識していない」世代や地域が増えている中で、改めて特別な被差別集団として教育を繰り返す矛盾に、自覚的であるべきだ。結婚という私的な領域への介入、圧力団体としての歴史がもたらす現実的な懸念、そして教育そのものが持つ「利益構造」を直視しなければ、人権教育はスティグマを維持する装置ではとの疑念は拭えない。
被差別部落問題は、過去の身分制度の産物であると同時に、人権教育という現代の装置によって再定義され続けている。私たちはそのメカニズムを冷静に見つめ、改めてその意義を問い直す時期に来ているのではないだろうか。
三国時代(220-280年)は、確かに戦乱と残虐行為に満ちた時代でした。しかし、そこにはまだ「英雄のドラマ」と「一定の格式」が残っていました。曹操や諸葛亮のように、教養・統率力と残酷さが同居する人物が多く、敵将の降伏を厚遇するケースも少なくありませんでした。
三国時代や唐代以降と比べても、「民族単位での大規模虐殺」「朝廷交代ごとの皇族・名族の根絶やし」「強制移動の頻発」という特徴が極端に目立ち、単なる戦乱を超えた「文明の崩壊と民族対立の泥沼」といった様相を呈しています。
西晋(265-316年)が統一を果たした直後、皇族同士の権力争いである八王の乱が勃発します。 八人の王(皇族)が互いに殺し合い、短期間に大量の皇族が処刑・自殺・暗殺されました。この乱は単なる宮廷内紛ではなく、:「朝廷の交代=皇族絶滅」:という悪しきパターンの始まりでした。
晋は乱の影響で極度に弱体化し、北方の異民族(五胡)を傭兵として大量に呼び込みました。これが後の大混乱の直接的な引き金となります。
後漢は北方の異民族(匈奴・鮮卑・羯・氐・羌など)を「胡人」と呼び、辺境の防衛力不足を補うために積極的に中華域内へ移住させ、兵として動員しました。 特に:西涼(現在の甘粛省・青海省あたり)の軍閥は、:胡人の騎馬戦力を基盤とした強力な勢力として台頭しました(董卓や馬超の西涼軍が典型例です)。
この政策は一時的に国境を安定させましたが、結果として大量の異民族が内地に定住する事態を招きました。三国時代にはまだ抑えられていた民族間の緊張が、西晋の衰退とともに爆発的に表面化したのです。
西晋の崩壊後、北方(華北)は:五胡十六国時代と呼ばれる極端な分裂期に入ります。:匈奴・羯・鮮卑・氐・羌の五つの主要異民族が次々と王朝を建て、漢人王朝も含めて20近い小王朝が乱立しました。
・石勒(後趙、羯族)は漢人を大量に坑殺(生き埋め)する「漢人殲滅政策」を実行。
・冉閔(漢人)はこれに報復し、羯族を民族ごと殲滅しようとしました(数十万人規模の虐殺)。
・各王朝の交代のたびに、勝者側が敗者側の民族・皇族を根こそぎ殺すパターンが繰り返されました。
北方の北朝と南方の南朝に分裂した後も、残虐性は収まりませんでした。
鮮卑族の北魏が華北を統一しましたが、皇族・貴族の粛清が絶えませんでした。:河陰の変(528年)は、:爾朱栄が北魏の王公貴族約2000人を一度に虐殺し、洛水を血で赤く染めました。
宋・斉・梁・陳の各王朝交代のたびに、前王朝の皇族・名族がほぼ全滅する:「禅譲の茶番」が繰り返されました。:幼い皇帝を無理やり即位させて形式的な禅譲を行わせ、用済みになったら即座に殺害するという、偽善的で残酷な手口が常套化しました。
589年に隋が南北を統一し、618年に唐が成立することで、この長い残虐時代はようやく終わりを迎えます。 隋・唐は科挙制度を拡大し、血統ではなく能力による官僚登用を推進することで、門閥貴族の力を弱め、中央集権を強化しました。しかし、唐の成立も北周の関隴貴族(鮮卑系混血が多い)を基盤としたため、完全な「漢人王朝」とは言えない複雑な出自を持っていました。
英雄同士の知的な激突と、一定の格式が残る「名士の戦い」の時代。
民族間の生存競争が激化し、民族単位の虐殺応酬と一族誅滅が常態化。教養と残虐さが分離し、文明の形式すら崩壊した。
科挙による能力主義が広がり、士大夫階級が成立。門閥貴族の血統支配が崩れ、比較的安定した時代へと移行。
後漢後期の胡人移住政策が遠因となり、西晋の自滅が引き金となって始まったこの混乱は、中国史の中でも特に暗く、虚無的な時期と言えます。
ローマ帝国末期が異民族の軍事力に依存し、崩壊の遠因となったのと似た構造を持っています。
この時代は、単なる戦乱ではなく、「出自主義の呪い」と「民族対立の連鎖」がもたらした、人間社会の極限的な暗部を象徴しています。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260422180001
科挙制度の拡大は、単なる人材登用改革ではなく、地方門閥の軍事力を弱体化させるという、政治的な意味合いも持っていました。
南北朝時代までの貴族階級は、土地を基盤に私兵を抱え、地方で半独立的な軍事力を保持していました。九品中正制の下では、家柄がそのまま軍事・行政の権力に直結していたため、地方門閥は朝廷に対して強い交渉力を持っていました。
隋・唐が科挙を推進した背景には、この地方門閥の軍事力を中央に回収する狙いもありました。
能力試験で官僚を登用することで、血統ではなく皇帝への忠誠と学問で選ばれた人材を中央に集め、地方の私兵・私権を削いでいく——これが唐代以降の中央集権強化の重要な手段となりました。
しかし、この変化は必ずしも一方的な成功とは言えませんでした。
特に宋代では、文官が軍事を軽視する風潮が強まり、北方遊牧勢力に対する防衛力が低下する要因の一つとなりました。
中国で生まれた科挙制度は、東アジアの周辺国にも導入されましたが、それぞれの社会構造や軍事力のあり方によって、異なる結果を生みました。
奈良・平安時代の律令制で一時的に課試(科挙に似た試験)が導入されましたが、すぐに蔭位の制(貴族の子弟を試験なしで官位に登用する制度)が優先され、形骸化しました。 地方の軍事力は、荘園を基盤とする在地領主(後の武士階級)に移行し、科挙的な能力主義はほとんど根付きませんでした。
高麗時代から科挙を積極的に導入し、李朝(朝鮮王朝)ではさらに整備されました。しかし、両班という世襲的な貴族層が実質的に科挙を独占する構造が続き、血統重視の価値観が近代まで残りました。 地方門閥の軍事力も、中国ほど中央に回収されず、両班や地方豪族が一定の私兵・影響力を保持していました。
ベトナムは中国の影響を強く受け、科挙をかなり忠実に導入しました。特に李朝・陳朝以降、科挙合格者が官僚の中核を占め、士大夫に近い階層が形成されました。 しかし、地方の村落共同体や在地豪族の軍事力が強く残り、中央集権は完全には達成されませんでした。中国のように「地方門閥の軍事力を徹底的に解体する」までには至りませんでした。
六朝の出自主義から始まった貴族階級の変質は、隋・唐の科挙拡大と宋代の士大夫成立によって、大きな転換を迎えました。これは東アジアで最も早いメリトクラシーの事例であり、中国社会の価値観を根底から変える歴史的意義を持ちます。
しかしその一方で、帝国の軍事力弱体化という負の側面を生み出しました。
https://anond.hatelabo.jp/20260423130021
https://anond.hatelabo.jp/20260423123541
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六朝時代(魏晋南北朝時代)は、中国史上でも特に貴族階級の力が強かった時期です。この時代、貴族は士族(名族)として政治・文化・社会をほぼ独占していました。
最大の制度基盤が九品中正制です。これは官吏登用において、各地の「中正官」が人物を9段階に評価する仕組みでしたが、実際には家柄(出自)が最優先され、能力より「どの名門の生まれか」が決定的な基準となりました。
清河崔氏、范陽盧氏、荥陽鄭氏、太原王氏といった名族は、数百年にわたり血統を維持し、互いに婚姻を繰り返して閉鎖的なエリートネットワークを形成しました。この価値観を出自主義と呼びます。出自を絶対視する考え方は極めて強固で、「家柄」がその人物の価値そのものを決定づける時代でした。
しかし、この出自主義は同時に残虐性と深く結びついていました。
名族の血統そのものを断つことで、再起を不可能にする——この論理が、南北朝を通じて繰り返されました。
589年に隋が南北を統一したことで、状況は徐々に変化し始めます。隋の文帝・煬帝は科挙制度の原型を導入し、家柄以外にも登用ルートを開きました。ただし、この時点ではまだ門閥の影響力が強く、科挙は補助的な役割に留まっていました。
唐代に入ると動きが加速します。特に武則天の時代に科挙が大幅に拡大され、安史の乱(755〜763年)を境に伝統的な門閥貴族(関隴集団など)は経済的・軍事的な打撃を受け、急速に衰退しました。
唐は「華夷一家」(漢と夷を区別せず一つの家族のように扱う)という政策を掲げ、血統的に非漢人要素の強い人々も「唐人」として吸収しようとしました。
中央集権的な官僚制度を強化する一方で、地方の軍事力を軽視した結果、辺境防衛が脆弱になり、安史の乱のような大反乱を招く一因ともなりました。
唐末から五代十国を経て、北宋(960年成立)で士大夫という新しい階級が本格的に成立します。
彼らは血統ではなく、学問・儒教的教養・能力によって地位を得ました。
宋代になると、皇帝が科挙を徹底的に整備したことで、士大夫は政治だけでなく文化や地方社会でも大きな影響力を持つようになりました。
宋は文官優位の体制を徹底した結果、軍事力が相対的に弱体化し、北方の遊牧勢力(契丹・女真・モンゴル)に対して苦戦を強いられることになります。
南北朝は、貴族階級の栄華と脆さを象徴する暗い時代でした。隋・唐の統合政策と科挙の拡大により、出自主義の呪縛は徐々に解かれ、宋代には士大夫という能力・教養重視の新しいエリート階級が生まれました。
これは東アジアの中で比較的早いメリトクラシーの実現例です。しかし、門閥貴族の血統支配を崩した代償として、帝国の軍事力は弱体化し、「文官優位の弊害」という新たな問題を生み出しました。
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中国コスコ、ホルムズ海峡引き返す イランの通過保証の実効性に疑問符
https://www.newsweekjapan.jp/headlines/world/2026/03/592104.php
2回目のチャレンジで何とか通過できたとはいえ、このレベル。イラン政府の言葉は高市より軽い。
実は「イラン政府は革命防衛隊を統制できていない」どころの騒ぎではなく、革命防衛隊はイラン政府より上の組織。
詳しくは下の記事を読めば分かるが、そもそもホメイニの私兵隊から始まり国内治安維持や経済活動ほぼ全部ここが噛んでおり、さらにダメ押しでイラン議会の半分は革命防衛隊のOBと徹底的に支配している。
ヒドラのように生き延びる...イランを支配する「革命防衛隊」の正体
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2026/03/592034.php
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000493297.html
その最強たる革命防衛隊、いざ通していいタンカーかどうかを確認する手段がなんと目視。
当然見間違いによる誤射も発生しており、海賊行為にしてもお粗末としか言いようがない。
ミサイル持った連中がこんなガバガバ監視体制の中で「通って良いよ!」と言われたところで信用できるか?という話。
今回の戦争で、イランが湾岸諸国に無差別爆撃してめちゃくちゃ反感を買われているのは承知の通りだが、元々イランと中東諸国は歴史的には敵対関係である。
起源も違えば言葉も違う。それだけならまだしもイランは歴史からくるプライドで「ペルシャ人>アラブ人」の認識を持っている人が多く、それも反感を買う理由の一つ。
イスラムは大きく「シーア派(1割)」と「スンニ派(9割)」に分かれており、シーア派がの盟主がイランでスンニ派の盟主がサウジアラビア。
この2つ、ザックリ言うと予言者ムハンマドの血統を重視するか教義を重視するかが違う。
日本に例えるなら、安倍の血統として岸信千世を信奉するか、アベイズム後継者の高市を信奉するかという感じ。
もちろんそれだけで国民同士がいきなり敵対するわけではない。しかし2016年にサウジがシーア派の聖職者を処刑したりして国家間ではそれなりに緊迫しており、時々それぞれ子分の国で代理戦争を繰り返している。
最近、慶應義塾大学をめぐるドロドロした内輪ノリや、不祥事のニュースを見るたびに思う。
「天は人の上に人を造らず」とか言ってた福沢諭吉、実は壮大な釣りだったんじゃないか?
いや、正確に言えば、彼が掲げた「独立自尊」というキラキラワードが、今や日本で最も「門閥」と「身内びいき」を正当化する最悪のツールに成り果てている気がしてならない。
諭吉は「学問をして賢くなった奴が偉くなるんだよ」と説いた。それはいい。当時は画期的だっただろう。はは、「封建制度は親の敵」と言いつつ、自分は特権階級。
「学問をした奴」じゃなくて、「幼稚舎から入った金持ちの息子」が一番偉いという、強固なカースト制度の完成である。
諭吉が一番嫌ったはずの「門閥制度は親の敵(かたき)」という言葉が、今の慶應の中枢では笑い話にしか聞こえない。
外部受験で必死に勉強して入ってきた「地頭の良い奴」より、親のコネと資産で小学校からエスカレーターに乗ってきた「純粋培養の慶應ボーイ」が、三田会という巨大な互助会組織でヌクヌクと特権を享受している。これのどこが独立自尊なんだよ。
確かに結束力はすごい。でも、それってただの「究極の内輪ノリ」だよね。
「慶應だから」という理由だけで仕事を発注し、ミスをかばい合い、特定のコミュニティだけで富を回す。
結局、彼らがやっているのは「実力主義」の皮。
その実態は、自分たちの血統とブランドを守るための、極めて封建的なムラ社会だ。
この「内輪さえ良ければいい」というマインドが、日本の指導層に蔓延した結果が、今のこの停滞した日本なんじゃないかと思えてくる。
でも、彼が作った慶應というモンスターは、「個」ではなく「群れ(三田会)」の力で他者を圧倒する特権階級を生み出した。
「お前ら、最高の門閥作ってんじゃねーよ」と怒るのか、それとも「自分のブランドでここまで美味しい思いができるシステムを作った俺、天才」とニヤついているのか。
新紙幣で渋沢栄一に交代したのも、ある意味「もう諭吉の時代(という名の選民思想)は終わり」というメタファーだったんじゃないか、とすら勘繰ってしまう。
結局、何が言いたいかっていうと、
「独立自尊」を掲げながら、その実、学歴と血統のコンプレックスを煮詰めたような今の慶應の空気感が、最高にクソだなってこと。
子供たちが「お稲荷様が怖い」と言えば、お稲荷様の祠をぶっ壊し、中にある御神体を投げ捨て、代わりに「そこらへんに落ちてた石」を入れておくというサイコパス的な教育、それが福沢諭吉。
戦後に自分を天皇だと名乗った人物が、俗に言われる 熊沢天皇(くまざわてんのう) です。 
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🟡 熊沢天皇とは?
熊沢天皇(熊沢寛道/くまざわ ひろみち、1889–1966) は、昭和時代に自らを「天皇」だと称した自称者です。実際の公式な天皇ではなく、自分が「南朝(南北朝時代の南朝)の正統な皇統を継ぐ」と主張して、特に戦後に話題になりました。 
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🟡 彼の主張の内容
• 自分は 南朝の後亀山天皇の末裔 であり、そこから正当な皇位継承者だと主張しました。 
• 本名は 熊沢寛道(くまざわ ひろみち)。名古屋市で洋品雑貨店を経営していた人物でした。 
• 第二次世界大戦後、占領下の混乱期に「自分が本当の天皇だ」と英字新聞や海外雑誌にも取り上げられたことがあり、国際的にも少し話題になりました。 
• その後、昭和天皇(当時)の退位を求める裁判を起こしましたが、棄却されています。 
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🟡 どういう位置づけ?
• 日本の歴史上の正規の天皇は、皇室典範などで定められた血統と系譜に基づくものであり、個人が勝手に名乗っていいものではありません。
• 熊沢の主張は歴史的・系譜的に裏付けがなく、専門家からは信用されていません。 
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🟡 まとめ
熊沢天皇とは:
「歴史的面白さ」っていうのは「超ウルトラ面白い」みたいな意図は無くて「歴史という側面によってもたらされる面白さ」という意図
歴史を知ってるとエモさを感じるネタが大量に仕込まれてたり、それ自体を面白さの根幹にしてると思うんだけど、今の時代だとその元ネタをSNSで詳しい人がまとめて発信する
インフルエンサーがそれをさらに発信して広がっていき、カジュアルにみんなが知っている状態になり、ウマ娘のシナリオで「エモい」となる
その結果として、昨日今日その馬の歴史を知った人間が競馬の歴史だのこの馬の血統がどうのこうのだのしたり顔で手軽に声高にエモがるのがとても気持ち悪い
一攫千金?
違う
違う
良く言えば夢を見るため、悪く言えば現実逃避するためだ
宝くじを買う人の中で本気で金儲けしようと思って買っている奴はほとんどいない
彼らは、買ったときから当せん番号がわかるまでの間のワクワクを買っているのだ
これが当たったら家を買うだの、ハワイへ行くだの、ポルシェ買うだの、仕事辞めるだの、そういう夢を見るために買っている
宝くじを買う奴らは別に金を増やすつもりで宝くじを買っていない
競馬は新聞を読んだり過去レースの結果や血統などの情報を仕入れて、本気で当てにいくゲームだ(もちろん一部ロト6とかと同じようにテキトーに番号を選んでいるだけの人もいるが)