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はてなキーワード: 理由とは

2026-01-24

メンエスってその辺のマンションでもやってるんだ

風俗一度も通ったことなし、AVエロ漫画はまあまあ見る既婚者の雑な感想です。またセックスワーカー人権及び基本的職業権利が認められて欲しいという立場でもあります。その上でエロを捨てきれないおじさんの愚にもつかない話を置かせてください。

風俗には国内ジャンルとして「ソープ」「ピンサロ」「メンズエステ」「デリヘル」「ホテヘル」「茶屋」などがあることは知ってましたが、最近そのうちメンエスに「マンションタイプ」ということがあるのを、最近、今更知りました。今までメンエス店舗型と出張しか知らなかったんですが、店舗とわからない形で民間マンションにひっそり店を構えていて、予約した客をそこに呼び出す仕組みでやってるところもあるんですね。

それ聞いて「えっ、部屋の借り方と営業の仕方含めてだいぶグレーやな、ソープみたいな届出型以外が違法から? そんな曖昧な働き方では女性の権利は余計に保証されづらいのでは?」という感想とは別に、「今歩いてるこの住宅街のどこかでメンエス部屋があったりするかもしれないってコト???」と、背中がざわつきました。背徳的なエロ気持ち半分と治安の悪さへの率直な忌避感半分ずつくらいある。

それで、道徳的に良くないことだと思いつつ近所のメンエス検索してみたら、そこで急速に気持ちが冷めちゃった。どうも自分エロさを感じたのは行為のものではなく、「近場で知らんまにえっちビジネスが日々静かに行われてる可能性」についてだけだったみたい。いや自分でまとめるのも馬鹿らしいんですが、写真見ようが「別にこの人と身体接触したいとは全然思わない……いや多分お綺麗だとは思いますよ、でも綺麗に見えることが自分にとって性行為に及びたくなる理由にはぜんぜんならんので……」で終わってしまう。改めて風俗客むいてない、知ってた。普通に妻ともっとセックス機会増やして愛したいです。

ソープとかメンエスで何がどう行われているかについては引き続き多少の興味は残ってはいるので、フィクション含みでもそういうAVとかは見てしまうかもしれない。

歴史の授業でインフレを習ったかどうかなんてどうでもいい話してないんだよな。ドイツ札束写真を見たかどうかも関係ない。言ってるのは、実生活インフレが起きたとき自分生活がどう影響を受けるのか、どう備えるのか、国の政策家計にどう跳ね返るのか、そこまで理解できてる人がどれだけいるのかって話。

それを「習ってるはず」「覚えてないだけ」で済ませるのは楽だけど、現実全然追いついてないでしょ。だから消費税減税が魔法政策みたいに扱われる。なんか直接得しそうだから、って理由だけで持ち上げられる。財源も、社会保障との関係も、インフレ下で本当に生活が良くなるのかも、ほとんど考えられてない。

もし義務教育ちゃんと身についてるなら、消費税減税のメリットデメリット自分言葉説明できる人がもっといていいはずなんだよ。でも実際はできない。できないのに「習ってます」だけは胸張って言う。

消費税目的じゃなくて手段の一つに過ぎない。生活を良くするために何が必要か、その全体像考える力がないまま、部分だけ切り取って騒いでる。これを「金融教育できてる」って言うのは無理がある。

習ったって言うなら、どう習って、何を理解して、今どう判断できるようになってるのか、一回ちゃん説明してみてほしいわ。説明できないなら、それは習ったことになってない。

今のフェミニストって、女性男性依存していい理由をひねり出してるだけの人って感じ

とにかく「男はこうしろ」ばっか

男性を見下しながら、自分ではできないやりたくないことを男性やらせたいと欲望している

いや、むしろ自分のやりたくないことは男性がすべきなのだと当然のように信じている

また、男性には女性の願望を実現する能力が当たり前に備わっているはずだとも思っている。そこにどんな制約もないと思っている

男性に対する理想化・依存欲・支配欲がとにかく激しくておぞましい

劉備関羽張飛の桃園の誓い三兄弟が揃っての謝罪会見

理由は何ですか?

まどマギ映画公開延期するんならマミさん30歳をテレビアニメ化してくれよ

新房監督とミズハスは了承してるそうだし止める理由がない

虐められる側に理由があっても欠片も減刑理由にならないからな

それを議論する意味がない。

anond:20260123234219

anond:20260124015321

まず、あなたの問いに形式的には答えますが、

その前提(「負け条件を提示しない限り議論不能」)自体には同意していません。

1.MMTにおける「負け条件」について

MMTの中核命題

政府通貨発行主体であり、失業資源制約ではなく制度選択である

という制度定義です。

このレベルの主張は、

予測誤差で勝敗を決めるタイプ経験命題ではなく、

会計オペレーション法制度の整合性によって評価されるものです。

その意味で、

制度記述のものに対して主流派的な“反証条件”を要求することは適切ではありません。

2.JGに関して「修正必要になる条件」は存在する

一方で、JG(雇用保証)については、

制度定義から論理的に導かれる帰結であると同時に、

設計運用を伴う制度である以上、修正改善余地はあります

例えば、

• JGを「希望者全員雇用」として実装しても、

非自発的失業制度的に残存する

• JG賃金労働市場基準点として機能せず、

労働移動が成立しない

• 税・支出調整を含む制度運用によっても、

名目不安定が恒常化する

こうした事態観測されれば、

JGの設計位置づけは修正されるべきだとは考えます

ただし、これは

MMTが誤りであることの反証」ではありません。

3.負け条件要求のものへの異議

ここで重要なのは

あなたが求めている「負け条件」は、

• 主流派マクロモデル構造

予測命題中心の科学

政策含意と理論本体の切断

を前提にしています

しかMMTは、

政府家計主体として扱わない

失業を均衡結果として扱わない

• NAIRUや自然利子率を理論的に採用しない

という点で、

そもそも同じ科学観・方法論に立っていません。

したがって、

「負け条件が固定できないなら思想である

という評価基準自体を、

MMT側は受け入れる理由がありません。

4.結論

私の立場は次の通りです。

制度記述反証主義の枠外にある

• JGなどの制度設計修正改善対象ではある

しかし、それを主流派的な敗北条件で裁定する議論には応じない

この前提が共有されない限り、

議論方法論の押し付けに終わると思います

anond:20260123234219

いから内容は読んでないけど

イジメどころか侵略行為理由あればOKみたいな世界になってるんで

どんな理由でもいじめた方が悪いとかもう通用しないわな

そのいじめた奴が最高権力者ならみんな黙るって分かったんで

ジャンル転換自体は一つの手法としてアリだと思ってるから

そこを理由に低評価ついてんのはかわいそうだなと思うよ。多少はね

まあ、実際に作品読んでないから(一生読みたくねえし読む義理もねえ)、

転換に意味が感じられないとか、

転換後の書き方が絶対評価カスレベルかになってることもあり得るけど

レビュー内容やふだんのツイートから想像すると、たぶん文体的に俺にも合わなそう

anond:20260124004351

増田さんの書いていること、私は次のように理解しました。合ってますか?

1.主流派批判反証主義テスト要求)は、MMTを「財政拡張正当化するマクロ理論」として扱っている

でも増田さんの見立てでは、それはMMT本体ではなく、すでに「主流派MMTを別物に再定義している」ので批判として失当。

2.MMTの出発点は“減税や財政拡張の是非”ではなく、国家貨幣制度的な定義

具体的には、政府は「市場から資金調達して支出する主体」ではなく、

通貨発行→(その通貨での納税義務)→実物資源へのアクセス確保

という意味で、社会的資源を provision(動員・調達) する主体だ、という前提(会計制度説明)を置く。

3.だから増田さんは、

「コア命題の固定」「事前予測」「負け条件の明文化」みたいな“反証主義要求自体が、

MMTを主流派マクロ翻訳し直した上で、翻訳版が主流派基準を満たさないと批判する方法論的循環

になっている、と言いたい。

4.さらにBさんは「主流派が provision をモデルに入れられない理由」を4点挙げていて、要旨はこう:

(主体定義) 政府家計企業と同型に置く主流派モデルの前提が、provision を入れると崩れる

(価格理論) JGなどを“制度的な価格アンカー”とすると NAIRU 等の枠組みが内側から否定される

(方法論) provision は予測誤差で勝負する命題ではなく、制度記述の正否の問題なので反証主義と相性が悪い

(帰結) provision を認めると政策含意(失業政策選択財政破綻論は虚構等)が大きく変わり、主流派の「価値中立」っぽさが保てなくなる

——ここまでが増田さんの主張の骨子で、私の理解です。

その上で、確認したいのは1点で、

増田さんは 「MMTは“制度記述の正否”として評価されるべきで、予測精度や推計による反証原理的に適用不能」 という立場ですか?

それとも 「制度記述部分(会計やオペの説明)は記述として正しいとしても、政策パッケージ(JG・ゼロ金利固定・国債制度設計など)の含意は別途、因果推論や予測検証されるべき」 という立場ですか?

私には、後者記述の正否と政策含意の検証を分ける)なら、反証主義的な検証要求は“翻訳”ではなく、むしろ政策理論としての責任の話に見えます

制度記述が正しいことと、そこから出る政策主張(例:ゼロ金利固定が望ましい、国債廃止が望ましい、JGが物価の錨になる等)が正しいことは別で、後者反証可能な形でテストできるはずでは?



増田さんはこの点をどう考えていますか?

MMT現代貨幣理論)は何を主張し、主流派経済学の何を批判しているの

MMT(Modern Monetary Theory)はしばしば

財政拡張正当化する理論

政府お金を刷ればいいと言っている理論

と誤解されがちです。

しかMMTの核心は、政策の是非以前に、私たちが前提にしている“国家貨幣財政”の理解のものが間違っているのではないか、という問題提起にあります

この記事では、

• 主流派経済学が何を前提にしているのか

MMTがそのどこを批判しているのか

を対比しながら説明します。

1. 主流派経済学基本的な考え方

流派マクロ経済学では、暗黙のうちに次の前提が置かれています

政府家計企業と同じ「経済主体

• 税収や国債発行で資金を集めてから支出する

財政赤字政府債務は「将来の負担

完全雇用市場の結果、失業自然現象

インフレ管理の主役は金融政策金利操作

この枠組みでは、政府資金制約を受ける存在であり、

財政は「使いすぎないよう管理すべきもの」と理解されます

2. MMTの出発点:政府は何者か?

MMTは、ここで根本的な問いを立てます

自国通貨を発行している政府は、本当に家計と同じなのか?

MMTの答えは明確です。

政府通貨の「利用者」ではなく「発行者

支出通貨発行として先行し、税は事後的に回収される

• 税の役割は財源確保ではなく、通貨需要の創出とインフレ調整

まり政府は、市場からお金を集めてから支出する存在ではなく、

通貨を発行することで自ら必要資源を動員(provision)する主体だ、という理解です。

ここが主流派との最大の分岐点です。

3. MMT批判する「財政観」の誤り

流派では、しばしばこう言われます

• 「財政赤字は将来世代へのツケ」

• 「国債が増えすぎると破綻する」

• 「まず財源を示せ」

MMTは、これらを制度理解の誤りだと批判します。

理由は単純で、

政府赤字は、民間黒字(純貯蓄)

自国通貨建ての国債は返せなくなる性質のものではない

• 本当の制約は「お金」ではなく「人・モノ・技術

MMTは「無制限に使え」と言っているのではなく、

間違った制約(財政破綻論)を外し、正しい制約(実物資源とインフレ)を直視しろと言っているのです。

4. 雇用インフレに対する決定的な違い

流派では、インフレを抑えるために失業必要だと考えます(NAIRU)。

一方MMTは、これを強く批判します。

失業市場自然現象ではなく政策の結果

失業を「調整弁」にするのは非効率かつ非人道的

MMT提案するのが**ジョブギャランティ雇用保障)**です。

政府最低賃金で常時雇用提供

• 景気が悪いと雇用が増え、良いと民間に移動

失業ではなく「雇用」を名目アンカーにする

これは単なる福祉政策ではなく、

マクロ経済の安定装置としての制度設計です。

5. なぜ主流派MMTを受け入れにくいのか

MMTを受け入れると、次が一気に明らかになります

失業政策選択だった

財政破綻論は制度虚構だった

金融政策役割過大評価されていた

これは理論の一部修正ではなく、

経済学政府をどう描いてきたかという前提そのもの崩壊意味します。

そのため主流派は、MMT

過激財政拡張論」

予測を出さないか科学でない」

と再定義して批判しがちですが、それはMMTの射程を意図的に狭めた評価です。

6. MMTは何を目指している理論なのか

MMTは、

• 新しい自然法則を発見する理論でも

• 景気予測で当て続ける理論でもありません。

MMTがやろうとしているのは、

すでに存在している貨幣制度を正しく理解し、

その理解に基づいて制度政策を再設計すること

です。

からMMTは、

反証主義土俵に乗れ」

と言われるたびに、

その土俵自体が、政府を誤って定義している

と応答するのです。

anond:20260123155629

日本飛び級が浸透しない理由に「肉体労働できる年齢までの時間稼ぎ」があると思う。

工場で同質な製品生産されるように、学校では年齢による同質性を求めている。

賢くなって欲しいんじゃなくて安価で最低限の仕事ができる奴隷が欲しいだけなんだよな。

anond:20260123234423

流派によるその批判は、MMT

財政拡張余地を大きく取るマクロ理論

として再定義した上で評価している点で、すでに失当です。

MMTの出発点は、財政拡張の可否ではありません。

政府通貨を発行することで、自ら必要とする資源を provision(調達・動員)する主体である

という制度的・会計的前提です。

これは需要管理テクニックではなく、国家貨幣関係についての定義です。

流派反証主義的枠組みでは、

政府家計企業と同型の主体

財政は事前に制約された資金の配分問題

市場での資金調達が前提

という構図が暗黙に置かれています

この前提に立つ限り、MMTは「拡張的な財政政策正当化する理論」に見えてしまます

しかMMT批判しているのは、まさにその前提自体です。

政府市場から通貨を「調達」して支出する存在ではなく、

通貨を発行し、課税によってその通貨を回収することで、実物資源へのアクセスを確保する主体です(Mosler, Wray)。

この前提を捨象したまま、

「コア命題の固定」

「競合理論とズレる事前予測

「負け条件の明文化

要求することは、MMTを別物に作り替えた上で反証しているに等しい。

MMTにおけるコア命題はすでに固定されています

それは

財政とは「需要刺激」ではなく、政府社会的資源をどのように provision するかという制度問題である

という点です。

この命題の真偽は、推計上の予測誤差ではなく、貨幣・税・国債中央銀行オペレーション実在運用によって評価されるべきものです。

したがって、主流派が行っているのは

MMTを主流派マクロ理論翻訳し直し、

 その翻訳版が主流派反証基準を満たさないと批判する」

という方法論的循環です。

MMTが主張しているのは、

同じ土俵で勝つことではなく、

その土俵が、政府という主体性質を誤って定義したまま構築されている

という点にあります

• なぜ主流派は provision 概念モデルに入れられないのか

1. provision 概念とは何か(前提の明確化

MMTでいう provision とは、

政府通貨発行と課税を通じて、

物資源(労働・財・サービス)へのアクセス制度的に確保すること

です。

これは「需要刺激」でも「財政拡張余地」でもなく、国家という主体定義に関わる概念です。

2. 主流派が provision を入れられない【第1の理由主体定義

流派モデルの前提

流派マクロ(DSGE等)では、原則として:

政府 = 家計企業と同型の経済主体

収入制約(税・国債発行)が先行

支出は制約付きの配分問題

という構造採用されています

provision を入れると何が起きるか

provision 概念を入れると、

政府は「資金制約を受ける主体」ではなくなる

支出貨幣発行として先行し、課税は事後的になる

政府市場依存せず資源動員できる主体になる

これは主体定義モデル根本から崩れることを意味します。

結果として、既存効用最大化・予算制約の形式が成立しません。

モデル拡張されるのではなく、別物になる

3. 【第2の理由価格形成メカニズムが壊れる】

流派モデルでは、

価格賃金市場均衡で決まる

政府は「外生的ショック」

という扱いが基本です。

provision を導入すると

MMTの provision 論では、

政府雇用賃金通貨需要制度アンカー

特にジョブギャランティは「価格決定装置

になります

これは、

• NAIRU

労働市場均衡

実質賃金市場決定

といった主流派価格理論を内側から否定します。

価格理論のコアが維持できない

4. 【第3の理由反証主義と相性が悪い】

流派反証主義は、

確率予測

パラメータ推定

モデル間の予測精度比較

を前提にしています

しかし provision は、

制度的・法的・会計構造

• 「そうなっているか/いないか」の問題

であり、予測誤差ではなく制度記述の正否が問われます

例:

政府支出時に中央銀行準備を発行するか?

• 税は支出の前提条件か?

これは「推計で反証する」タイプ命題ではありません。

→ 主流派の「負け方のルール」が適用不能

5. 【第4の理由規範帰結制御不能になる】

provision を認めると、次が論理的帰結します:

失業政策選択

財政破綻論は虚構

金利政策役割縮小

国債制度の再設計

これは単なる理論変更ではなく、

政策正当化構造の転換を意味します。

流派は「価値中立」を装った技術理論であるため、

この帰結を受け入れると、自らの規範性が露呈します。

ジャンプ感想界隈

別にそんな好きではないというか、

しろ鼻につくところはあるけど、

あの件でちゃんと、

それとこれとは別問題だよね?

と言える冷静な人間がいたのはさすがだなと思った

ある点において「悪いやつ」だからと言って、

みんなから叩かれてるついでに自分適当理由付けてぶん殴って私怨を晴らしていいわけがない

本音を言えばむしろ、その程度のことにも気づけず、

〇〇に比べてなんていい人なんだ!支持します!と空気に流されてた人たちの方が異常に見えはするが…

anond:20260123235622

元増田ですが、情報ありがとうございます

専門のクリニックに通ってたのはDSM4時代なのでまさにそれかもしれません。

……え、そんな理由わたしADHDとは言われなかったのか……

いや、リモートワークに切り替えて対人症状が落ち着いた結果、ADHDっぽさが目立ってきたって状況なので

診断当時は本当にASDしかないと思われてたのかもしれないけど……

診断名に ADHDって書いてないイコールADHDじゃないってわけでもなかったのか……

anond:20260123234219

迷惑をかけられたからといっていじめていい理由にはならない

2026-01-23

anond:20260123234041

増田さんの挙げた例は、どれも「最初は傍流・異端扱い → その後に主流化」ですが、主流として受け入れられた“型”がかなり共通しています

既存理論では説明しにくい観測事実アノマリー)が蓄積

② 新説が「定量的予測」や「決定的な検証テスト)」を提示

③ 追試・再現で生き残り、応用(技術・実務)で強固になる

④ その過程で「何が反証になりうるか」のルールが徐々に固まる

以下、各例で「何が決め手だったか」を短く整理します。

1) ニュートン万有引力が主流化した理由

決め手は「天体運動を一つの法則統一し、予測が当たった」ことです。

ニュートン力学と万有引力は、地上の落下と天体運動を同じ枠で扱える(統一性が強い)。

そして象徴的なのが、ニュートン理論を使ったハレー彗星回帰予測(1758年頃)で、実際に1758年末に観測され、ニュートン理論の有力な実証例として扱われました。

ここで重要なのは「それっぽい説明」ではなく、“いつ出るか”を事前に言える(予測可能性)が強かった点です。

2) 熱力学第二法則が主流化した理由

決め手は「熱機関効率という工学的に検証される領域で、普遍的制約として働いた」ことです。

第二法則19世紀中頃にクラウジウスやケルヴィンらにより整理され、代表的には「熱は自発的に冷→温へは流れない」等の形で表現されました。

これは“哲学”ではなく、蒸気機関などの熱機関の性能限界(どんな工夫をしても超えられない上限)として現場で繰り返し確認され、理論の信頼を固めました。

まり第二法則は「実験室で一発」より、工学化学での再現性と有用性が、主流化を支えたタイプです。

3) 原子論が主流化した理由

決め手は「原子実在すると仮定すると出る定量予測が、実験確認された」ことです。

19世紀末〜20世紀初頭まで、原子の“実在”には懐疑もありましたが、

アインシュタイン(1905)がブラウン運動原子分子)の運動に結びつけ、観測できる量(平均二乗変位など)に落とした。

その予測ペランらの実験で支持され、原子分子運動論が受け入れられる大きな契機になった、という整理が教科・解説論文で繰り返し語られています

ここは反証主義っぽく言うと、「観測できる指標への翻訳操作化)」が勝因です。

4) 大陸移動説(→プレートテクトニクス)が主流化した理由

決め手は「メカニズム不在の弱点が、海底観測データで埋まり、“決定的テスト”が登場した」ことです。

ウェゲナー大陸移動説は「大陸の形が合う」「化石・地質が対応する」などの状況証拠はあった一方、動く仕組み(メカニズム)が弱く、北米などで強い反発がありました。

1950〜60年代に海底探査が進み、海嶺で新しい地殻が生まれ広がるという「海洋底拡大」的な絵が出てきた。

さら1963年前後海嶺の両側に地磁気の“縞模様(磁気異常の対称パターン)”が出るはずだ、という形で「科学テスト」が明確になり、これがプレートテクトニクス確立重要な一歩として整理されています

このケースは、まさに「傍流が主流へ」の典型で、“良い話”が勝ったのではなく、“測れる予測”が揃ってひっくり返った例です。

5) 病原菌説(germ theory)が主流化した理由

決め手は「微生物存在感染→予防・治療成功」までが連結して再現されたことです。

パスツールやリスター、コッホらの仕事が「病原体病気を引き起こす」という枠組みの確立と受容に大きく貢献した、と整理されています

具体的には、パスツール実験が“自然発生”を否定微生物役割を示す方向で影響し、

コッホは炭疽菌などで「特定病気特定病原体」という因果実験で強く示しました(コッホの業績・方法論として説明されます)。

ここは理論の受容が、手洗い・消毒・衛生・ワクチン等の実務成果に直結し、主流化が加速したタイプです。

まとめ:増田さんの例が示す“主流化の条件”

増田さんの列挙は「傍流が主流になった」という点では正しいですが、より重要なのは

それらは “検証可能予測(あるいは反証条件)を固定し、外部データと追試に耐えた” から主流になった

という点です。

私がMMTに対して言っている「反証主義の土俵に乗れ」という要求は、まさにこの主流化パターン(=科学史の勝ち方)を踏まえたものになっています

過食嘔吐だった。そしてその後。

過食嘔吐だったことがある。期間にして1年くらい。

なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。

両親に気にして欲しかった。恵まれ一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。

ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。

もともと食べることが好きだった。

高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校理由お小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。

不登校になってから希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか場所がなかったから。

3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。

何かが変わるきっかけがしかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。

胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまたことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐想像するだけで怖かった。

他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。

私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。

界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。

今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。

私も練習甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。

同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子お腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテル身体差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年ホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。

毎日スーパーコンビニハシゴして、菓子パンおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量砂糖バターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。

親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。

一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。

バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通心配するもんなんじゃないのかな。

今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。

1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。

夕方にのそりと起きて、決まったルート食べ物調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。

何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。

コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然トイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。

そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。

実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。

今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。

当時の写真アカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間から簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分いたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。

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ここまでが数年前に増田に上げていた文章身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体スマホに残っていたので加筆修正した。

このときかい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。

あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さ無知って怖いなと思う。

後年、両親にわたし摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由簡単に言うと「どうしたらいいかからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。

母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。

両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生いちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。

成人して数年経つが、高校の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。

しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。

ボトラーならぬ、部屋でペットボトルゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレ若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。

一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐おすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギー過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要ものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。

あの頃のわたし20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。

anond:20260123233433

「主流派経済学反証主義的に“証明”されてきたか?」は、厳密には 証明数学みたいに真を確定)ではなく、より現実に近い形でいうと

…という意味での「反証主義的な淘汰」です。

以下、主流派がどう“反証に耐える形”に進化してきたかを、代表例で整理します。

1) 方法レベル反証可能な形に「落とす」こと自体を重視してきた

サミュエルソンは、理論を“操作可能(operational)な命題”=観測検証できる形に落とすことを強調した流れの中心人物として語られます

フリードマンは、(前提のリアリズムよりも)予測力を評価軸に置く「実証可能な含意で勝負する」方法論を強く打ち出しました。

ここがまず“反証主義っぽい”土台です(ただし、後述の通り経済学は補助仮説が多く、純粋ポパー型の運用は難しい)。

2) マクロ典型例:フィリップス曲線の「単純な政策トレードオフ」は壊れた

1950〜60年代に「失業率を下げるとインフレが上がる」ような安定関係が“政策メニュー”として扱われましたが、のちに

期待インフレを入れた「期待修正フィリップス曲線」へ

長期ではトレードオフが成り立たない(自然失業率/NAIRU)方向へ

という更新が起きますフリードマン1968年講演が、期待を組み込む方向に大きな影響を与えた、という整理は一次資料研究史確認できます

また1970年代経験が、この見方を後押しした、という研究史的整理もあります

要するにここは、「古い単純形が反証説明不能)に晒され、修正された」例です。

3) ルーカス批判政策が変わると推計式も変わる、という“反証の形”を導入した

ルーカス批判は、「過去経験則(縮約形)をそのまま政策評価に使うのは危ない。政策が変われば人々の意思決定(期待)が変わり、推計式のパラメータが不変でなくなる」という主張です。

この主張自体も、のちに実証的に検討テスト)される対象になっています

この流れが、マクロを「ミクロ基礎(最適化・期待)」を持つ構造モデルへ寄せる大きな動機になりました。

4) DSGEなど“構造モデル”は、透明性と検証可能性を上げる方向で発展した

DSGEは強い仮定批判され続けていますが、「政策変更の効果を、前提・メカニズムを開示した上で評価する枠組み」として中銀・研究で中心的に使われてきた、という位置づけは一次資料でも見られます

同時に、危機後の批判や改良も含めて「適用可能性・限界」を体系的に検討する研究も積み上がっています

ここでの“反証主義”は、「このモデルが真」ではなく、競合モデルと比べて予測政策評価整合性がどれだけ良いかで生き残る、という競争です。

5) ミクロ実証いちばん反証主義が“制度として”強く働いたのはここ(信用革命

近年の主流派の強さは、むしろミクロ因果推論で顕著です。

これはまさに、「この推定因果だ」という主張が、設計の穴を突かれて反証される/改善される、という反証主義制度運用です。

6) じゃあ主流派は“ポパー型にきれい反証”されてきたのか?

ここは正直に言うと きれいはいきません。理由典型的に

ので、単発で「はい反証理論死亡」とはならず、部分修正モデル更新になりやすい。

それでも主流派が“反証主義的に強い”と言われるのは、上で見たように

という⭐「負け方のルール」が共有されているからです。




流派がやってきたのは「理論の核を固定し、反証条件を明確化し、方法論を更新し続けて生存してきた」という歴史です。

からMMTが“学界で対抗可能理論”として評価されたいなら、同じ土俵

必要です

anond:20260123230258

科学哲学には、理論反証可能予測をしなければならず、これらの予測のいずれかが誤りであることが示されると、私たちはその理論を捨てるべきだという古い見解がある(事後修正は「アドホック」と呼ばれる)。

問題は、良い理論は通常、スタートとエンドの両方で反証されることが多いということだ。例えば、ニュートン運動理論はもともと月の運動説明できなかったため、反証主義的な基準ではほぼ即座に無視されるべきだった。しかし、これは間違いだった。なぜなら、実際にはニュートン力学が最終的に月の軌道説明できたからだ。

一方、アインシュタイン理論が登場したとき、それが支持された理由は、水星の近日点を効果的に説明たからであり、その予測ニュートン理論が誤っており、ニュートン理論反証と見なされるようになった(とはいえニュートン理論水星の近日点を説明できないことには数世紀の間私たちは慣れていた)。

これは、硬い科学の描く反教条主義的なイメージが魅力的なので教えられ、また、社会科学は自らを硬い科学のように見せたいので教えられている。

まり常識とされる側が間違ってるのに、その間違ってる側で検証されても正しい理論かどうか何か分からんのよ

お金一つとっても考え方が違うのよ↓

https://note.com/nkms/n/nb2b68164db34

西側価値観を共有する国々←なにこれ?

BSワールドニュースみてるとさ、海外要人とかコメンテーターって

中国西側価値観を共有する国ではありません(だから仲良くできない)」

みたいなことを平気で言ってるんだけど、ぶっちゃけプーチンが死んだってEUロシアと仲良くできないだろうし、中国中国共産党独裁が終わっても、たぶん理由つけて締め出すだろ?

サウジアラビアとかUAEなんて王国だけど仲良くしてるじゃん。

金払いがよくて牙が抜けた国とは仲良くするってだけなのに、なんなんだろあの言い回し

つうか、日本だってアメリカヨーロッパとつるんでるのは、アメリカヨーロッパ自由とか民主主義の国だからじゃなくて、いろいろあってそうなってただけで。

anond:20260123225107

無理だって

MMTの話

https://note.com/stairlimit/n/nb76f64b326bd

現状、MMTという理論肯定的議論しているグループは二グループに分かれている。

片方は学問的なグループであり、もう片方は政治的グループだ。

おそらく大半のまともな経済学者はこのグループを分離して語るべきであるという前提に同意すると思われる。

政治的グループは極めて悪質で、彼らが「MMTである」と主張する出典不明学説から荒唐無稽しか言いようのない結論自由に引き出し、それを用いて政治的対立者を罵倒している。

僕の知る限り彼らは何度も事実と異なる主張をして、そのたびに反例を突きつけられているのだが、彼らの中ではこれは論破されたことにはなっていない。

この理由は多岐に渡っており、主張自体がなかったことになる場合もあれば、「それは誤解であり、この例は反例にならない」と主張される場合もある。

いずれにせよこのグループは、上で挙げた学問的なグループ自身らのグループを都合よく使い分けており、普段学問的なMMT権威を用いて自説を展開するが、都合が悪くなると「それは誤解であって、MMTはそう主張していない」「論敵はMMT勉強が足りていない」と言って反撃する傾向がある。

したがって、MMT政治的グループについては、大半のまともな経済学者は数年前の時点で「議論にならないため、無視すべき」という結論に達している。

ただ、彼らは別に学問的に勝とうとしておらず、単に自分お気に入り政策を実現したいか、あるいはもっと単純に政敵を都合よく罵倒したいだけなので、この無視は結果としては彼らにとってまったくダメージになっていないのが現状である

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