はてなキーワード: 敗戦国とは
ポール・"バカ映画撮るほう"・アンダーソン(以下PWSA)映画だなぁという印象。44点。
ネットフリックスでランクインしてたので見たんだけど、まぁまぁ、いろいろ言いたいことは出てしまうわねという感じ。
アメリカ軍所属のミラ・"ヨ"ヴォヴィッチ(本人こだわりの発音)らは行方不明になった友軍探索中に異世界に召喚されてしまう。そこはゲームモンスターハンターの世界でディアブロスにボコられたりネルスキュラに殺されたりしながら、原住民のトニー・ジャーと合流。喧嘩したり仲良くなったりしてディアブロスを討伐し、リオレウスと戦ったりする。
俺がそもそもモンハンめっちゃやってる民とかじゃなくて、最後にやったのがたぶん中学時代の2ndG(社会現象だった気がする)とかなので、楽しめるかなぁと思って見てたら出てきたのがディアブロスとリオレウスと蜘蛛だったので、こいつらだったら俺も知ってる!ってなったら最後の最後で全然知らん奴出てきて草。
まぁ別にやってなくても地中に棲息する超強い奴と、空飛んで炎を吐く超強い奴だけわかってればそこは問題なく楽しめる作りにはなってるので。モンハンやってないからなぁっていう人でも別にそこは障壁にはならないと思う。
まずいいところ。
映像。まぁ、冒頭の砂上船舶がディアブロスに強襲されるシーンがめちゃくちゃちゃいちくてすげー不安になったけど、まぁPWSA作品だけあってCGの出来は一品。ちなみにエイリアンVSプレデターとかバイオハザードシリーズとか撮ってる人です。
モンハン世界のモンスターがわりとちゃんと実在感をもって描かれていて、スペクタクルアクションとして映像面では全然楽しめる出来になっていると思う。恐竜映画としてのディアブロスの迫力もすごいし、後半、なぜか現世に転生してきたリオレウスとアメリカ軍との戦いも超面白い。本当にこれが一番見たいモンハン映画展開かと言われれば口を濁すしかないんだけど、でもモンスターと現代軍の戦いはやっぱちょっとロマンあるじゃん。
少なくともこの2体との戦いパートは普通に合格点出せる出来だと思う。
あとアイルーも実写化したらこうなるか、こうやってみるとちょっと怖いなってなったり。
あとは概ねよくなかったかな。
脚本の粗は言い出したらきりがないので今回はいったん省く。たぶん語られ尽くしてると思うし。
特に気になったのは、今作はまぁその、転生したらモンハンの世界だった!?という「なろう」展開なんだけど、それとは別にアメリカが抱える日本なんかよりもずっと古くから流行し続けている「なろう」展開があって。それがいわゆる「白人酋長もの」というもの。
起源は1950年くらいの映画、その名も「白人酋長」だったかな。文明的に発達している白人が、未開の地に行って文明の利器を使って原住民に崇め奉られるっていう現在大流行中のなろうの本当にテンプレみたいな作品で、わりとコレ系統の作品がアメリカでは繰り返し作られ続けているんだけど、本作はまさにこれ。
特に顕著だったのが、ミラがトニーと仲良くなる際に持ってきていたチョコレートをトニーに渡す。恐る恐るチョコレートを食べたトニーはあまりに美味しさに我を忘れて貪り食べてそれ以降「チョコレ」「チョコレ」と繰り返し話すようになるという展開。
これさぁ、仮に白人同士でやってる分にはギリいいよ。なんでタイ人のトニー・ジャーをあてたん?差別意識が透けて見えてるよ。あと敗戦国日本の生き残りとしては渡したのがチョコレートってのも鼻につく。
後はモンハン世界ではモンハン世界の言語が話されているのでミラとトニーはコミュニケーションに苦労するんだけど、「チョコレ」の件も含めて言語を習得していくのは「トニーの方」なんだよ。まぁ「餌」くらいしか覚えないんだけど。そこは相互にやれや。むしろミラは国連軍に帯同してた立場なんだから現地民の言語を積極的に理解しようとする姿勢を示せ。
その後、原住民の首長に出会ったら「実はこの世界は昔、現世とつながっていた」ことが明かされて、首長はその流れもあり勉強した結果"英語"が話せるという設定になってるんだけど、なんで英語なんだよ。最初の砂漠はどう見たってアメリカじゃなかっただろ。あの砂漠に世界を繋ぐトリガーがある設定だったと思うけど、だったら話される言語はおそらく中東の言葉なんじゃないか?なんで英語?
あとはアレだなー、ディアブロス、蜘蛛、草食のやつ→リオレウスになるんだけど、リオレウス戦の直前から急に属性武器が出てくる。それまでは銃火器といった現代兵器とトニーが持ってる爆破弓(火薬を付けた矢を撃つ)と蜘蛛の毒針を利用した毒弓という現代の延長線上の武器を使っていたのに、急に剣を振ったら炎が出たり、刃が帯電してバチバチ鳴り出したりするので、世界のルールどうなってんだってなっちゃった。
普通に炎属性とか雷属性のモンスターを出してそいつらの皮とか牙とか使って武器作る行程入れたほうが映画的にも楽しかったし、世界観の説明としてもわかりやすかったんちゃう?無駄に長いVS蜘蛛のエイリアン、バイオハザード展開バッサリ削ってさ。蜘蛛なんかモンハン要素の1%未満くらいの割合しか占めてないんだし。
たぶん映画見てた人の8割くらいはこれ何の時間?と思ってたと思うよ。
まぁそんなこんなでPWSAのバカ映画を見る気持ちで60点の映画を見るつもりで見れば2体のモンスター戦で十分元取れるとは思うけど映画としては上等とはとても言えない。死ぬほどこけたって話だけどさもありなん。
「『二つの悪は二つの正義を作らない(Two wrongs don’t make two rights.)』とでもいうべき原理が重要です。チョムスキーの主張はその逆。『どちらも悪いのだから互いに相手を責められない』という理屈は、一見誠実ですが、どちらの悪も許してしまっている。つまり、自己批判の倫理的根拠をも掘り崩しているのです。『米国よ、ロシアを裁く資格があるのか』という主張は結局、強国が他国を抑圧するという悪を容認しあう『悪のなれ合い』です」
「ハマスの民間人虐殺に憤るイスラエル国民の間では、自軍によるガザ住民虐殺を当然の報いと見る者も多い。自国の戦争犯罪が敵のそれで帳消しにされるという論理は、それぞれの悪を相乗的に積み重ねることを合理化する危険な詭弁です」
「この倒錯的な『二悪が二正を作る』論は、実は我々人間が陥りやすい落とし穴です。とりわけ戦争責任論をめぐる議論に、この自己正当化欲求が典型的に表れています」
――いわゆる「勝者の裁き」批判ですね。
「そうです。第2次大戦後のニュルンベルク裁判や東京裁判に対して、ドイツや日本からいまだに上がり続けています。これは、『何人も自己の事件の裁判官たりえず』という法原理に反する、という手続き的欠陥の指摘というよりも、『連合国の国々も植民地支配や侵略を行ってきたし、原爆や無差別爆撃という戦争犯罪も犯したのに、なぜ我々だけ断罪されなければならないのか』という実体的な不満です。敗戦国の私たちに強い心理的訴求力を持つ言説ですが、極めて自壊的です」
「裁く側の二重基準を、裁かれる側が批判するのは正しい。ただ、『お前らが裁かれないなら我々も許される』という二悪二正論に開き直る者は、公正な裁きが依拠する政治道徳原理の規範性を否定しているのです。『勝者の正義』の欺瞞(ぎまん)を真に正そうとするなら、この原理を尊重し自らの悪を認めたうえで、相手を裁き返さなければならないのです」
「弱き者は強き者が作る秩序に従え、という『力の論理』に迎合するシニシズムをこれ以上、広げないためには、ウクライナ戦争もガザ戦争も、正義が回復されるかたちで終結させなければなりません」
――力の支配ではなく、法の支配によって実現すべき「正義」とは、いったい何でしょう。
「その前に、法とは何か、そして法は正義とどう絡むのか、考えてみましょう。すなわち『悪法も法なのか』という問題です。これをめぐっては、法実証主義と自然法論の伝統的な対立があります。前者では、法を実定法に限定し、正義とは切り離します。そのため、それぞれの社会の価値観に基づく法が制定され、調停不能に陥って『文明の衝突』を招きかねません。一方で後者は、客観的正義たる自然法に反するものは法ではない、と主張します。こちらはこちらで、無政府主義を呼び込みかねません」
「私はどちらでもなく、『法は正義への企てである』と規定します。法は正義を真摯(しんし)に追求している限りにおいて法たり得る、という立場です。その意味では国際法も、世界正義への企てだと捉えます」
「それでは『正義』とは何でしょうか。一口に正義といっても、それを全体利益の最大化と見なす功利主義や、個人の自由や権利を絶対視するリバタリアニズムなど、その具体的基準に関し、様々な思想が対立競合しています。ただ、これらはすべて『正義の諸構想(conceptions of justice)』です。様々な立場が競合できるのは、それらに通底する共通制約原理があるから。それが『正義概念(the concept of justice)』です」
「私が考える正義概念の規範は、『普遍化が不可能な差別は禁止する』です。分かりやすく言えば、『得するのが自分だからいい』『損するのが他者だからいい』という要求や行動を排除せよ、ということです。この規範は『自分の行動や要求が、他者と視点や立場を反転させても正当化できるかどうか吟味しなさい』という、反転可能性テストも要請します」
「この正義概念は、何が最善の正義構想かを一義的に特定はしませんが、およそ正義構想の名に値しないものを排除する消極的制約原理として強い規範的な統制力をもちます。それは『正義のレース』の優勝者を決める判定基準ではなく、このレースへの参加資格をテストするものです」
「他者の負担にただ乗りするフリーライダーや、ご都合主義的なダブルスタンダードは、この厳しいテストが課すハードルを越えられません。外国人に正当な権利を保障せずに労働力を搾取する。民主主義や人権を掲げてイラクに侵攻しながら、専制的首長国家のクウェートやサウジアラビアとは友好関係を維持する。ハマスの戦争責任は問うのに、イスラエルの蛮行は座視する――これらは明確に正義概念に反しています」
「自らの正義構想に照らして正当性(rightness)がないと見なす政治的決定でも、共通の正義概念に照らして公正な政治的競争のルールに従ってなされたのなら、正統性(legitimacy)あるものとして尊重しなければならない。このルールを保障するのが『法の支配』です。立憲主義とは、この『法の支配』の理念を、成文憲法のなかに具現化するものです」
「正義の諸構想が国内社会以上に鋭く分裂し対立する国際社会においても、『正義概念』の共通原理に基づいて、安全保障体制や法秩序が築かれる必要があります。例えば、人道的介入をうたいながら大国の友好国か敵対国かによって選別的に武力行使を発動するのでは、正統性を調達することはできないのです」
「米国はバイデン政権時代、イスラエルの戦争犯罪を追及する国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ首相らへの逮捕状を発行したことを強く非難しました。一方で、ロシアが報復措置まで取ったプーチン大統領への逮捕状は正当とし、自らはICCに加盟していないにもかかわらず、各国に逮捕への協力を求めました。このあからさまな二重基準は、誰の戦争犯罪であれ厳正に裁くというICCに託された国際法の使命をおとしめるものです」
されど国連 夢の断片を回収し修復を
――世界正義を貫徹し、実現するには、どのような具体的措置が必要ですか。
「世界では今、欧州連合(EU)のような『超国家体』や、巨大多国籍企業や国際NGOなどの『脱国家体』の存在感が増しています。しかしどちらも、民主性や説明責任の欠如といった欠陥を抱えている。私は、やはり主権国家を中心にしたシステムを再評価すべきだと考えます」
「国内で至上の権力をもつ危険物である主権国家は、個人の人権を保障するという責任を果たすことによってのみ承認され、存在し得ます。世界は『諸国家のムラ』であり、その基本原理は、国力格差にかかわらず平等に扱う『主権対等原則』です。もちろん、これは一つの虚構です。しかし虚構だからこそ、巨大な力の格差という現実を補正し、大国の横暴に抗する規範として意義を持ちます。このムラでは、どの国も他の国に依存せずには生き残れない。国際法というおきてを破った国は、この互酬性ネットワークから村八分の制裁が科されるからです」
「国連は現在、様々な欠点があるとはいえ、国際的正統性を調達し、諸国家や超国家体、脱国家体などが連携し調整を図る上で、最も広範な包含力を持ちます。もちろん、戦勝国支配の残滓(ざんし)である常任理事国の拒否権を制約するなど、安保理改革は必須です。そのための国連憲章改正にも、5大国は拒否権を行使できます。でもそれは結局、自分たちの国際的威信を低下させ、軍事力・経済力以上に重要な正統性調達力というソフトパワーを毀損(きそん)することになる。他の国々が団結して非難の声を上げれば、国際的圧力に耐え続けることは難しいはずです」
「先ほど私は『国連の夢は破れた』と言いました。人類が自らに加えた殺戮(さつりく)と迫害の罪業はあまりに巨大で、それを克服する試みは20世紀中に達成できなかった。21世紀の四半世紀が過ぎても、克服できていません。しかし、夢は消えたわけではない。破れた夢の断片を再回収し、修復し、より強靱(きょうじん)なものに再編する――その地道な努力を続けなければなりません。私たちに、他に選択肢はないのです」
井上達夫さん
いのうえ・たつお 1954年生まれ。95年から2020年まで東京大学大学院法学政治学研究科教授を務め、現在は東京大学名誉教授。「法という企て」「現代の貧困」「世界正義論」「立憲主義という企て」「普遍の再生」「規範と法命題」「ウクライナ戦争と向き合う」「悪が勝つのか?」など著書多数。
・まんがタイムきらら絵柄で脱臭してもこのエグさって、現実ではエグさを超えたすぎてなんて言葉にしていいか分からないくらいエグいて…
序盤は「エグいて…いやエグいて…」から、「日本は、負けたのか…!?」あたりから「お、おも〜〜〜い!重い!!」になり始めた
エグさの許容可能量を超えると語彙がなくなる
・玉砕の悲惨さもエグいけどその後の潜伏パートも別種のエグさがある 情報が入ってこず、明日どうなるか分からない状態で2年はキツい
・戦争映画始めてみた
・デスノートか?と思ったけどそんなこと無かったぜ
・原作未読で和泉くんの口紅2コマだけを見て、和泉くんが主人公だと勘違いした状態で
「偶然生まれた、国や時代にすり潰される「個人のアイデンティティ」の話」を期待して観に行ったけど、思ったより王道の戦争映画だった そして戦争映画は万全の体調の時じゃないとHP MPの消耗がヤバい 寝不足の状態でみる映画じゃねえ!
・主人公くんと猟師くんの間にもっとホモソというか〜戦場の絆〜(湿度高め)を期待していたのですが、最初から最後までお互いにカラッと健康な信頼関係と互いを尊重する心を持ち 接していた 湿度は多少きらら絵柄によりカットされてるだろうがそれにしてもヘルシーな関係の二人だった
・主人公くんと猟師くん、仮に2人が2025年に大学とか職場で出会っても、映画の2人の健康な距離感で人間関係絆けるんだろうなぁという感じ 戦争という特殊な環境で出会った「からこそ」の人間関係の独特さは無かった 湿度については周囲の人々が担当してた
・タイトルの「楽園」の名前が恥ずかしくないくらい背景美術が美しかった
時間経過で焦土から元々の南国の美しさが取り戻されてく過程の美しさと文字通り「地獄」の玉砕から時間が経過していき「過去」になっていく「あの死はいったい…」とむなしくさせられる心が2つある〜だった
・命の儚さをシャボン玉で表現するし、大事な仲間が亡くなるシーンで切ないピアノ曲流すしエンドクレジットでは実際のペリリュー島の写真を挿入してくれる、 戦争映画の「王道」しっかり押さえとった
そういうシモ・ヘイヘ的な「本来発揮されることなく亡くなっていくであったはずの才能」が時代のいたずらにより 輝く瞬間は美しい…
・シャボン玉飛んだの鼻歌がイイ声すぎておもろい、そんな「演出がまっすぐすぎてそのまま受け止めるのがちょっと照れる」ひねくれたワイ
・1人くらいゴールデンカムイみたいな戦争に人格破壊された振り切った異常者出てくるかな と思ったけどいなかった
・戦争は終わっても、私の戦争は終わってないんです隊長も哀しいけど心情は「理解」できるから…
・人望ありんちゅ隊長の「人望をあつめられる人柄」の長所と短所(本人の責任感かつ今更引くにひけないんです…にみんなの人望が人数分かけ算デバフになりラストに繋がる)が両方描かれていてすき
・隊長ラスト、あれはあれで本人がよければ…まぁ…(村長もそうだと言っています)だったし…
・盗みのために忍び込むの回数こなしすぎて、敵地中で映画に見入っちゃうとこ、「慣れ」の怖さ感じた 猟師くんの遺体が燃やされてるのもちゃんと見届けるのも「2人の絆」と同時に「人間の肉体が燃えるのを抵抗なく眺められる慣れ」を感じて 「戦争ってよくないですね~」ってなった
・敵軍戦艦の前らへんがパカー開いて戦車が列になってキャタピラで出てくるとこ、「敗戦国の屈辱とメカへのロマンがガンダムや宮崎駿の男の子のメカロマンを生み出し、今の漫画アニメカルチャーに繋がったんやなぁ…」と複雑な気持ちになりながら見てた
・戦争は、クソザコ市井の民ワイにとっていいことが1ミリもないのでよくないと思いました
当時、オッペンハイマーとか風立ちぬとかのポジの人たちは普通にいい生活送ってたもんな…
・当時の人々は、情報に簡単にアクセスできる今の人々と比べて、圧倒的に手に入れられる情報が少ないもんな…と思いながら観ていたが、Twitterでイーロン君のアルゴリズムからお出しされるオススメ情報を貪り食ってるワイはコントロールしやすいチョロ市民やろなぁ…と思いながらみてた
・斜め後ろに序盤はポップコーン食いながら観て中盤以降ずっと啜り泣きしながらみてるおっさんおって、この映画を余すことなく楽しんでるな…と思った
冷静に考えれば1が最適なわけなんだけど虐殺が起こることを前提にしているせいで、この判断を除外するよう誘導してるのが悪質な増田
虐殺は起こらないだろう
起きたとしても以下のように早期終結すれば被害は徹底抗戦したときよりも少ない
台湾周辺海域の我が国のシーレーンが戦場になることで、輸送コストが爆上がりするから
さらに日米の支援を得られないことで台湾当局が抗戦意思を無くし無抵抗降伏すればますます人的・経済的損害は局限される
台湾も日本も、損害を最小化できるのは「速やかな終結」しかない
そもそも法的根拠を喪った武力行使だけど、さらに武力行使するべきではない理由がある
なぜか多くの人が無視してるけど、台湾有事で台湾に味方して自衛隊を出すということは
中国と戦争になればどうなるか?中国が現在輸入においても輸出においてもわが国最大の相手国である。この国と没交渉になればどうなるか?
しかもシーレーンの不安定化は台湾有事が終われば解消されるが、中国との断交は台湾有事終了後も継続する可能性が高い
中国人からしたら台湾というのは日清戦争の敗戦の結果日本に奪われた土地である。その日本が今また台湾有事に介入してきて国家統一を阻んでくるなんてことになったら、中国人民の怒りは制御不可能なまでに膨れ上がるだろう
在中邦人の身が危ないが、10万人近くいる在中邦人を怒り狂う中国人民の中からどうやって救い出す気なんだ?
上に書いたように中国人の反日感情は中共でもコントロールできないほどになるだろう
台湾はまだ同胞として考えられているだろうが、日本はそうではない。 中国人民のメインターゲットは日本になる
日本の武力介入はもってのほかであり、不介入が望ましいことは以上の通りだが
せっかく中国の利になることをするのに、ただでやる必要はない。
中国に莫大な恩を売り、そうしてそこから始まる新たな日中関係を想像してみよう
敗戦国と戦勝国、侵略者と被害者であった日中の関係は終わり、国家統一を果たした中国とそれを助けた日本という新たに真に友好的な関係が始まる
この先中国を仮想敵国として防衛費を増やし続け疲弊していくよりはるかに有益な未来が待っている
ちなみにアメリカの台湾関係法は台湾が独裁体制のときからあるから、アメリカが台湾に味方するとしても「民主主義国家だから」じゃないことは念頭に置いて梯子外されても慌てないでね ましてやトランプだし
消音にしているはずのテレビから、キャピッ、キャピキャピッと音がする。画面の中で高市早苗首相が、トランプ米大統領の隣ではしゃいでいた。米海軍横須賀基地、原子力空母の上らしい。ながめているうち、身の内の深い深いところに沈めていた記憶がせりあがってきて、口の中が苦くなる。ああ、かつての私も、たぶん、こんな風に、「権力者」の隣でキャピキャピ音をたてていたのだろう。
笑顔を絶やさず、ぴょんぴょん跳ねてかわいらしさ=従順さをアピールし、おべんちゃらをちゃらちゃら、腕を組まれても肩に手を置かれてもはねのけることはしない。程度の差こそあれ、この日本で女としてつつがなく生きるということは「そういうこと」だと思い込んでいた。思い込まされていた。恥じ入るしかないマイ黒歴史。
今回、首相の振る舞いを目の当たりにし、自らの古傷をうずかせている私と同世代かちょっと上くらいの女性は少なくなく、首相を支持する/しないを超えて、ニュースを見られない、精神的につらいと一様にげんなりしている。「そういうこと」はおかしいと気づき、あらがい、闘い、必死に克服してきたはずなのに、なんでまたこんなことに――。
首相たるもの、外交の場でへつらうな。毅然(きぜん)としてくれ。これらは首相の性別とはまったく関係のない一般的な要望だ。ところが、へつらいをへつらいと指摘すると「女性首相の仕事をおとしめるな」「『毅然』は『男らしい』ふるまいで、その強要が女性の社会進出を遅らせてきたのだ」などという批判が飛んでくる。は? 首相として当然されるべき批判や論評を、女性に対しては控えろと? それこそ女性差別では? トランプ氏をノーベル平和賞に推薦だなんて鳥肌もののへつらいである。だいたい、説明も議論も一切ないまま勝手に決めて、答弁すら拒否するなんておかしいだろう。
米国と日本。戦勝国と敗戦国。男と女。入れ子状態の抑圧を一日でもろに可視化させた首相。ツイてるねノッてるね仕事が早いねYeah! セカイノマンナカデサキホコルニッポンガイコウ‼
入れ子状態の抑圧ということでは、沖縄のことを考えずにいられない。日本の米軍専用施設の7割が集中し、日米地位協定によって「守られている」米兵らによる性暴力被害が絶えない沖縄の女性は、首相の振る舞いをどう見ただろう。
「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代さんに電話すると、開口一番「もうニュース見たくないですよ。怒ってますよ」。石破茂前首相は、結局何もできなかったけれど、沖縄を「見ていた」。しかし、米軍基地ではじける笑顔を見せる高市氏の視野に沖縄が入っているとは思えない。「沖縄に冷酷だった安倍・菅政権がよみがえってきた。そんな感じがします」
今年は、米兵3人が小学生をレイプした沖縄少女暴行事件から30年。米国―日本―沖縄、そして女性。社会の矛盾やゆがみのしわ寄せは、最も弱いところにいく。そのしわの上で踏ん張って闘ってきた1940年生まれの高里さんは「このあいだ骨折しちゃって、言葉もすっと出てこなくなった」と言いつつ、毎週水曜日、米軍普天間飛行場の辺野古移設に抗議するため辺野古へ通い続ける。
世界の真ん中がどこにあるかは知らないが、自国の最南端の県に負担を押しつけ、住民の犠牲を養分にして咲く花は、よほどグロテスクに違いない。