はてなキーワード: ボールペンとは
タイトルがもう自慢みたいで嫌なんだが、自慢じゃない。むしろ逆だ。
俺はずっと、自分の頭はどこか壊れてると思って生きてきた。だから検査を受けた。
結果が、132だった。
書く順番を間違えると全部嘘くさくなる気がするから、最初から書く。
俺は34歳、都内の中堅メーカーで営業企画みたいなことをしてる。
仕事ができないわけじゃない。ただ、できる時とできない時の差が異常にデカい。
企画書を書かせると上司が「お前これどこから出てきた発想だよ」と笑うようなアイデアが出る。
一方で、月末の経費精算でレシートの日付を3回連続で打ち間違える。会議の電話番号を聞き取れなくて聞き返す。「先週の議事録のあの件だけど」と言われて、議事録の存在ごと忘れてる。
20代の頃はそれを「ムラっ気」で済ませてきた。
30過ぎたら誤魔化しが効かなくなった。
去年、得意先への請求書を1ヶ月送り忘れて先方の経理を激怒させた。あれは凹んだ。普通こんなミスしないだろ、と自分で思った。
それで精神科に行った。
発達障害の検査をしたい、と言った。受付のお姉さんは、こういう客に慣れた感じで「では初診の予約から」と言った。
「いつから困ってます」「子供の頃の通知表は」「家族に同様の特性は」みたいなことを30分聞かれた。最後に「WAIS-IVを受けてみますか」と言われた。
WAIS-IV。ウェイス・フォー、と読む。世界で一番使われてる大人向けの知能検査だ。
発達障害そのものを判定する検査ではない。「あなたの頭の中の凸凹を見る」検査だ、と医者は説明した。
検査は2週間後に予約された。
費用は保険適用で自己負担1350円程度、と言われた。安い。Netflixの月額より安い。
検査当日のことを書く。
検査室は4畳半くらいの個室で、机を挟んで臨床心理士の女性と向かい合った。30代くらい。終始物腰が柔らかい。
机の上には、検査キットらしき木箱と、何種類もの冊子と、ストップウォッチ。あとティッシュ箱。なぜティッシュなのかは後でわかった。
「これから2時間ほど、いろんな課題をやってもらいます。途中で休憩できます。わからない問題は『わかりません』で大丈夫です。最後までできなくても大丈夫です」
心理士はそう言った。声がやけに優しい。たぶん、緊張してビビってる受検者を山ほど見てきた声だ。
俺は「果物です」と答えた。
「両方とも芸術作品で、人間が制作するもので、視覚を通して鑑賞される表現形式、という意味で似てます」
心理士の手が止まった。一瞬だけ。
これが後でわかったんだが、こういう問題には「採点基準」があって、抽象度の高い回答ほど点が高くつく。「果物」は1点、「植物」は2点、「自然界の生命体」は3点、みたいな構造らしい。
俺はたぶん全部の問題で、聞かれた瞬間に脳が勝手に最上位の抽象を引っ張り出した。これは後で結果を見て知ったことだ。本人としては「普通に答えた」だけだった。
次が「積木模様」。
赤と白に塗り分けられたサイコロみたいな積木が9個渡される。心理士が「この絵と同じ模様を作ってください」と図形を提示する。タイマーが鳴る。
俺は途中で「あ、これ全部の積木の側面パターンが2種類しかないから、必要な面さえ向ければいい」と気づいた。それからは、図形を見た瞬間に必要な「面」だけ脳内で先にレイアウトして、積木は後から面を合わせるだけになった。
心理士のストップウォッチが、何回か0.5秒くらいで止まった。
俺はその時、自分が褒められてるのか変な目で見られてるのかわからなかった。
そのあと「数唱」というのが来た。
3-7-2。簡単。
8-4-9-1-7-3-2。…7個までは行けた。
「次は、逆の順番で言ってください」
9-6-2-4-8-3-1。逆順。…これが、できなかった。
途中で「あれ、4の前なんだっけ」となって脳がフリーズした。同じ問題を3問続けて落とした。心理士が「次の課題に行きますね」と言った。声色は変わらなかったけど、俺はその瞬間「あ、ここは俺の苦手領域だ」と直感した。
「符号」というのが来た。
記号と数字の対応表が上にあって、下にランダムに並んだ数字の下に、対応する記号を書き写していく。120秒。
これも、できなかった。
正確には、できたけど、遅かった。
俺は5番目くらいで「対応表を覚えれば見なくて済む」と思って、対応表を一回見て覚えようとした。覚えきる前にタイマーがガンガン進む。焦って書き写しに戻る。書き写しはできるけど、心が折れてるから手が震える。震えるからケアレスミスが出る。
終わった時、心理士が「お疲れ様でした」と言った。俺は「すいません、これ全然できなかった」と言った。心理士は微笑んで「皆さんそうです」とだけ言った。
休憩を10分挟んで、後半。
4×4くらいのマス目に、ある法則で図形が並んでて、空白の1マスに入る図形を6択から選ぶ。IQテストでよくあるあれだ。
楽しかったというのは語弊がある。脳の中で、何か正しい場所に正しい部品がカチッとハマる感覚があった。プラモデルで一番小さい部品が、迷ってた手のひらの上から正しい場所に吸い込まれる、あの感覚。
全問、考える前に答えが見えていた。
「『遵守』という言葉の意味を説明してください」「日本の首都はどこですか」「人はなぜ法律を守るんでしょうか」
こういうやつ。これも口が勝手に動いた。
特に「理解」の問題は、俺の中で勝手に映画の脚本みたいなのが回り始めて、「法律を守るのは社会契約の維持に必要で、契約を破ることのコストが個人の利益を上回る設計になってるから」みたいなことを言った。心理士が「ありがとうございます」とだけ言ってメモを取った。
検査が終わった時、心理士は「お疲れ様でした、結果は2週間後にドクターから説明があります」と言って、ティッシュ箱から1枚抜いて俺に渡した。
俺は何も泣いてなかった。ただ、汗が顎から落ちる寸前だった。
2週間後、診察室で結果を聞いた。
医者は紙を1枚机に置いた。レーダーチャートがあって、4本の棒グラフがあって、数字が並んでた。
自覚、なかった。
「ない、です」と答えた。
医者は紙を俺の方に向けた。
「これね、VCIとPRIだけ見ると上位0.3%です。MENSAの基準は楽勝で超えてます。でもね、ワーキングメモリと処理速度が、ほぼ平均ど真ん中。この差が、43ポイントある。これはかなり大きい凸凹です」
「あなたが感じてた『仕事ができない』は、本当の意味では『できない』じゃないです。あなたの言語理解と知覚推理が高すぎて、ワーキングメモリと処理速度が、相対的に追いついてない。本人の中で常に『俺の他の能力が、俺の足を引っ張ってる』状態になってる。これはね、しんどいですよ」
俺は医者の言葉を聞きながら、顔の筋肉が固まってくのを感じた。
「自慢ですね、なんかすいません」と俺は言った。
医者は笑った。
「自慢じゃないですよ。自慢じゃない。あなた、たぶん『自分は変だ』って思って生きてきたでしょ。変じゃないんです。ただ、社会の平均的な仕組みが、あなたみたいなプロファイルの人に最適化されてないだけ」
検査結果を聞いた帰りの電車で、俺は新宿駅から自宅最寄りまでの30分間、ずっと自分の人生を再生してた。
小学校の時、全教科の平均点が異常に高いのに、夏休みの宿題のドリルを毎年8月31日にやってた俺。
中学の時、数学の応用問題は10秒で解けるのに、計算問題で連続して符号ミスをして100点を取れなかった俺。
高校の時、現代文が偏差値75あるのに英単語の暗記がどうしても回らなくて、英語は60を切ってた俺。
大学の時、卒論で教授に「お前の文章は構造がきれい」と褒められたのに、卒業要件の単位を1個落としかけて留年スレスレだった俺。
全部、つながってた。
違った。
俺の頭の中には、競走馬みたいに速い領域と、自転車を後ろ向きに漕ぐみたいな領域が、同居してた。
速い方が「自分の標準」だと思って生きてきたから、遅い方の自分が出てくると「なんで俺、こんなこともできないんだ」と毎回殴られた。
殴ってたのは他人じゃなくて、俺自身の中の、速い方の俺だった。
これが、しんどかった理由だ。
自分の中の優秀な方の自分が、自分の中の平均的な方の自分を、毎日殴り続けてた。
たとえ話を、もう一個書かせてくれ。
俺の頭は、エンジンが2000ccのスポーツカーに、軽自動車のタイヤが付いてる状態だった。
エンジンは喜んで吹け上がる。アクセルを踏めばすぐ100キロ出る。
でもタイヤが軽自動車だから、コーナーで踏ん張れない。雨が降ると滑る。長時間走ると焼ける。
ドライバー(俺)は、エンジンの音を聞いて「俺の車は走れる」と思って毎回踏み込む。
そしてコーナーで毎回横に飛んでいく。
何回も飛んだ。何回も「自分の運転が下手だから飛ぶんだ」と思って、運転テクの本を買って勉強した。
違った。タイヤが弱かっただけだった。
コーナーでは諦めて減速する。直線で全部取り返す。それでいい、と医者に言われた。
これは「障害があった」って話じゃない。
俺のWMI(99)とPSI(92)は、世間的には完全に「平均」だ。一般人と同じ。
ただ、俺の他のスペックが上振れすぎて、平均的な部分が「機能不全」に見えるレベルで足を引っ張ってた、というだけだ。
むしろ、平均的な機能を平均的なまま使ってる人のほうが、人生は楽だと思う。
レーダーチャートの紙の右下に、心理士の手書きで一文だけメモが入ってた。
「ご自身の得意な領域を活かしつつ、苦手な領域は外部ツールやサポートで補うことを推奨します」
外部ツール。
俺はこの3文字に、たぶん30秒くらい目が止まった。
「俺の足りない部分は、俺自身で頑張って補わなきゃいけない」と思って34年生きてきた。
違った。
外で補っていい、と国家資格を持った人が文書で公認してくれた。
IQが132だったことより、「Excelに任せていい」「カレンダーアプリに任せていい」「同僚の力を借りていい」と、医療として公式に許可されたこと。これが効いた。
検査の翌週から、俺は会社のメールに自動振り分けルールを20個追加した。
会議は全部録音するようにして、議事録は文字起こしAIに任せた。
請求書は経理に「月末3営業日前にリマインドしてください」と頭を下げて頼んだ。
ミスが、減った。
劇的に減った。当たり前だ。タイヤを4本とも履き替えたんだから。
そして、減ったぶんのリソースで、得意な企画の方をもっと深く考えるようになった。
今期、俺の課の売上が部内トップになった。たぶん、IQ132の本領が、初めて発揮された期だ。
俺と同じように「自分はムラがある」「できる時とできない時の差が大きい」「子供の頃から自分のどこかが壊れてると思ってきた」って人に、たぶんWAIS-IVは効く。
発達障害かどうかを白黒つけるためじゃない。
自分の中の「速い俺」と「遅い俺」を、他人事として眺める視点をくれるから、効く。
受けてから2週間で結果が出る。
精神科に行く勇気が要るのは知ってる。俺も予約電話を3回かけ直した。
それでも、行ったほうがいい。
「自分が自分を殴ってる」状態で生きてる人、世の中に俺が思ってた10倍はいる気がする。
俺はもう、自分を殴ってない。
速い俺と遅い俺、両方が同じ車に乗ってる。それでいい。
タイヤを履き替えれば、そのスポーツカーは、ちゃんと走るから。
追記。
「IQ132で会社員してるの、もったいなくね?」って言われそうなんで先回りして書く。
全検査IQ132って、たぶん同年代の同期100人いたら2〜3人いる程度の数値だ。
珍しくない。普通に会社にいる。あなたの隣の同僚かもしれない。
測らないまま生きていける人は測らなくていい。
満員電車の窓ガラスに映る自分の顔を、彼はときどき中古レコードのジャケットでも眺めるみたいな目つきで見ることがあった。
朝の光は本来もっと柔らかくて、パン屋の棚に並ぶ焼きたてのクロワッサンみたいに、人の輪郭をやさしく縁取るはずなのに、そのときの顔だけは夜通し冷蔵庫に忘れられていた野菜みたいに妙に疲れていて、アウトラインが水に落としたインクのように静かに溶けていた。
どこの誰とも知れない経営者たちが、会議室の白いテーブルの上で決めた数字や方針のために、名前も知られないまま働き続ける人間の顔。いわば、ラベルの剥がれた缶詰のような顔だった。
世の中には、あまりにも「社畜」でありすぎるがゆえに、静かな音を立てながら壊れていく人たちがいるらしい。
ニュースサイトの画面の片隅に、広告ブロックに挟まれた小さなバナーみたいに載る体調不良や過労や、あるいはもっと直接的な終わり方。
そこには映画館の予告編みたいにドラマティックな物語はほとんどなくて、ただ、安い蛍光灯がチカチカするオフィスのような単調な繰り返しだけが延々と続いている。
朝起きて、会社に行き、配られた台本どおりの役割をこなし、帰ってベッドに沈み込む。その循環の中で、消しゴムの角が気づかないうちに丸まっていくみたいに、何かが少しずつ削り取られていく。
それはまるで、見えない歯車の一部にいつのまにか身体ごと組み込まれてしまったみたいだ、と彼は思う。
歯車は、自分がどの装置のどのあたりにはめ込まれているのか知らないし、全体のかたちなんてもちろんわからない。
ただ、回ることだけを求められている。
そして回転をやめた瞬間、壊れたボールペンが引き出しの奥に無言で放り込まれるみたいに、静かに別の歯車と交換される。
起業して成功する人間は、おそらくどこかで別の種類の地図をポケットに忍ばせている。
あるいは、地図そのものを持たずに、砂漠の真ん中を歩くことをそれほど恐れない資質を持っている。
でも、多くの人はそうじゃない。
なるべく穴の少ない舗装道路を選び、あらかじめ敷かれたレールの上を、自分のサイズに合わない通勤靴のまま歩き続けることに慣れてしまう。
慣れるというのは便利な機能だ。スマートフォンの自動スリープみたいに、余計なエネルギーを使わずに済む。
けれど、その機能がいつのまにか見えない檻に変わってしまうこともある。
彼は考える。これは本当に、多少デザインを変えただけの現代版の奴隷制なのではないか、と。
鎖や鞭は、目に見える鉄や革の形を捨てて、契約だとか責任だとか評価だとかいう、ビジネス書の索引に並びそうな言葉に姿を変えただけではないか、と。
本質は、古い映画館のフィルムみたいに、ほとんど変わらないまま回り続けているのではないか。
階級という言葉は、今どきの若い人の耳には少し黄ばんだ紙の匂いと一緒に届くかもしれないけれど、その実体は、冷蔵庫の奥に居座る氷みたいに、しぶとく残り続けている。
上にいる人間は透明なバルコニーから下を見下ろし、下にいる人間は上を想像することしかできない。
エレベーターの行き先ボタンを眺めながら、決して点灯しない階のことを考えているみたいに。
それでも、彼らは朝になるとまた電車に乗る。
ホームに立ち、同じ方向に視線を向ける人々の列に、音もなく混ざり込む。
その風景はどこか奇妙に静かで、巨大な水槽の中を一定の速度で回遊する魚の群れや、よく調律されたメトロノームの列のようでもある。
誰もが何かをあきらめ、同時に何かを支えながら、同じようなリズムで息を吸い込み、吐き出している。
靴音が、まだ目を覚ましきらない街のアスファルトを淡々と叩いていく。
彼は思う。その群れの中にいるかぎり、自分が哀れなのかどうかすら、うまく判断できなくなるのかもしれない、と。
ただ、日々が小さなパケットデータのように送信されていき、季節がアプリのバージョンアップみたいに巡り、気がつけば自分でも戻り方のわからない場所まで来ている。
モニタールームに座り、右手は機材の手前に落ち着き、管理室の小さなモニターからテレビを見ているような気分だった。
後ろではインカムをつけた一回り上の上司が若手に説教するのように話しかけており、内容は単なる愚痴だった。○○さん(お局)がまた○子(新人の子)の悪口いっててさ、仕事が遅いのだの愛想がないのだと長々と聞かされてさ、本当にもうまいっちゃったよ、と笑いながら話す。
若手は「そうですね」とハキハキ答え、ふたりはこぞって局の悪口を言い合った。
まるで俺の存在など無いもののように堂々と話し、俺は前のめりの猫背となってそれを背中が聞く。
番組は滞りなく進み、俺の存在など必要としないようだった。手元に目を落とすと、一つのボタンとそばに「熱盛り」と紙にボールペンで書いたメモがテープで小さく止めてあり、そのボタンをただじっと見つめた。
このボタンを今押すとどうなるだろうか?
徹夜続きのようなコンディション。目の奥がチカチカとし、呼吸は小さなため息をもって成し、背筋を伸ばすことさえしんどく感じられた。
別に核爆弾のボタンって訳でもないんだ。そう真剣に考えることもねぇだろ。
なるほど。
でも押したら大変なことになるぞ?
別にいいだろ。おまえなんて、どうせいてもいなくても同じような存在だ。
先程の、背中越しの会話を思い出す。
なるほど。
面白そうならやってみればいいじゃねぇか。それに新人研修のときに教わったろ?テレビマンたるもの面白いものに飛び付けってな。
確かにそんなことをいわれたような気がする。
じりじりとしたスタジオの照明が、こちらにも当てられているような気がした。
今。ここには自分以外には誰もいない。
人差し指を持ち上げる。ボタンの上にそっと寄りかからせる。まるで指を座らせるように。
キャスターはハキハキと喋り続けている。和やかな雰囲気。晴れやかな舞台。
ほんの一瞬、頭のなかをきのこ雲がよぎる。
大袈裟だ。だが笑う元気は既に無い。
熱盛り!!
自分が得る物について考えるなら得られない事に不平不満を言うだろうけど、自分が残す物で考えるなら何をそこに残すのか胸を張って言えばよいのでは。
欲しい物を並べて手に入らない状況を説明してそんな世の中に愚痴を垂れ流す姿を見てもらって人に「あいつはダメなやつだ」と思ってもらって「ダメとはなにか」という基準をつくってもらう人生もいい。
子供や他人の学びになる自分が無駄だと思っていたものを最大限「無駄にでも」使う方法を紹介して次の世代の選択肢の一つにでも加えることができないか試みるのもいい。
例えばの話。
ボールペン一本あったところで紙がなかったり書くべき事がなかったり、使い方を知らなかったりすれば無駄だし「そんなものがあっても無駄だ」とただ存在を目にして否定をするだけでもいい。
だれかがはそこにボールペンがあるという事を知ることができる。
ボールペンをただ書くための道具として以外にも使えたという方法があってもいいし、どのボールペンがいいかという感想があってもいい。
歴史を語ったり素材を語ったりもいい。
もちろん第一には、自分のためにボールペンを使いその成果を自分が得て豊かになり満足を得る事ができればそれに越したことはない。
あれはダメだ、これは無理だ、それは意味がない、と言い散らかす事で自分の取り分を分散して分けてチャンスを逃して他人に譲ることは、そのまき散らす姿は醜く汚いものだからこそ注目される。
そしてそれは使いきれない何かを削って他人に分け与えて失って損をしていく事で貢献をしている。
これからも自分の持っている何が不満で何が使えなくて何が無駄だったか言い散らかして、自分が残せなかった次の何かへの分け前をまわりのみんなに分けていってあげてほしい。
低粘度油性ボールペンってたしかに出てきたときは革命的だったけど、いまだにジェットストリーム推しの人見ると、え?って思います
もちろん「ボールペンごときの情報など追ってられるかw」って気持ちはわかります
実際その通りだと思います
でも意識的に情報追ってなくても新しい情報って入ってきますよね
新しい情報を得ずにずっと同じことやってる人たちはちょっともったいない生き方をしていると思います
これはボールペンのことだけじゃなく、すべてのことでそうです
今となっては古臭いものをずっと使っている人ってよくいますが、それってこだわりがあって使ってるってよりも新しいものに挑戦するのがめんどくさくなってるんじゃないですか?
新しい使い方とか楽しみ方とか新しく覚えることもあってめんどうです
でもその手間を惜しむようになったら人生つまんなくないですか?
「これからは若手の時代だ。君たちベテランはサポートに回ってくれればいい」
拍手が起きるでもなく、誰も異論を挟まない。私はただ、手元のボールペンを転がしていた。
"ベテラン"とは言いようで、要するに"終わりが始まった層"を指す。
「会社のために」と本気で思っていたし、その分、会社も自分を必要としてくれていると信じていた。
時代が変わるのも当然だ。
でも――
「君たちはサポートでいい」というのは、少し違うんじゃないかって思った。
成功も失敗も、何度も味わってきた。
大きな契約をまとめた夜の高揚も、部下の不祥事で頭を下げ続けた朝も知っている。
若手が走れるのは、転びそうな石を拾ってきた人間がいるからじゃないのか。
家に帰ると、息子はスマホを見ながら「おつかれ」と言った。
時代は進む。
それでも、私はまだ終わっていない。
派手さはなくても、最後に踏ん張れる力だ。
次は言おうと思う。
静かでもいい。
主役じゃなくてもいい。
だが、脇役で終わるつもりはない。
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
一般論として語るには主語が大きいことは認めるが,日本国外で生活していると,どうしてもそう感じざるを得ない傾向がある.
その主因の一つを,日本語の音声学的,音韻学的な特徴に求めるのは容易だ.尤も私は専門外なので詳細は把握していないが,感覚的には日本語は口の先で発声し,英語は喉の奥から発声しているように感じる.これはあくまで主観であり,学術的見地では誤りかもしれないが.しかし,国内であってもアナウンサーや声優,俳優などの声は非常に聞き取りやすい.つまり,言語の特性以上に個人の意識による部分が大きいのではないか.
ここで「文字」を例に挙げればわかりやすい.声質そのものは,コミュニケーションの質に関係がない.プロの書道家による達筆な文字をアナウンサーや声優の声だとするならば,一般人の書く文字がそこまで美しくないのは当然だ.しかし,書道家ではなくとも「読みやすい文字」を書く人は存在する.それは,文字の区切りをはっきりさせる,誤読されやすい癖字を避ける,あるいは自分の癖を自覚して書き分ける,発色の良いボールペンを使う,といった相手への配慮の結果である.
自分だけがわかればいいメモ書きのような「みみず文字」や,極度な略字を使って正式な文書を作成するものはいないだろう.音声によるコミュニケーションも,全く同じアナロジーが働くはずだ.それなのになぜ,文字のコミュニケーションでは当然の意識ができる人が,音声になるとこれほど不適切になってしまうのだろうか.
これは,滑舌の良し悪しや,吃音の有無を指摘しているのではない.そうではなく,ハキハキと喋ることの重要性を理解していない人間や,社会性,社交性が低く,自分に自信を持てない人間が多いことの表れではないのかと思うのだ.声が通るか否かの分岐点はここにある.
例えば,大学教授の講義を思い出してほしい.彼らの多くはボソボソと小さな声で喋る.学生という聴講者に対して講義を行う「声を使ったプロの仕事」であるにもかかわらず,相手に届けるという意識が欠如しているのだ.
職場では愛嬌を振りまき,円滑なコミュニケーションのために発声を意識している人もいるだろう.しかし,ひとたびプライベートな実生活の場面になると,そこを意識できる人間は極端に少なくなる.
スーパーで目当ての棚の前に先客が数人いたとする.この時,「すみません」と声をかけ,商品を取った後に「ありがとうございます」と言えば済む話だ.しかし,これほど単純なことができない人がいかに多いことか.「すみません」と言ったかどうか判別できないほどの,独り言のような,あるいは「鳴き声」に近い微かな音を発するだけの人.何も言わずに腕だけ伸ばして横から撮る人.あるいは対人接触を極度に恐れて,人がいなくなるまで離れた場所で待つ人.待つにしても,無言の圧力をかけて「察してくれ」と言わんばかりの態度をとる人もいる.
伝えたいことがあるなら言葉にすればいい.それなのに,伝える努力を怠るばかりか,相手に「察しろ」と不可を強いる.なんと自分本位な振る舞いだろうか.
結局のところ,問題の本質は発声の技術ではなく,対人コミュニケーションを構築する意思が欠落している点にある.相手の視点に立ってコミュニケーションを取ろうとすれば,自ずと聞き取りやすい音量,速度,明瞭な発声になるはずだ.それができていないということは,厳しい言い方をすれば,他者への想像力を欠いた「コミュニケーション障害」の状態にあると言わざるを得ない.
本当のことだ。
公費で補充される共有文房具のレパートリーにも砂消しが入っている。
使い方には少しコツがある。
消した後に印刷やスキャニングをするのだ。
そのままの紙を使うとうっすら後ろがそこだけ透けてしまう。
たとえば、修正したい所をまずはごっそり削ってから上を修正液で塞いでから印刷しなおすと綺麗な紙でやり直せる。
最近の印刷は程よく優秀だし、公務員の職場で使ってる紙は再生紙でごわついてるからちょうどよく陰影が消えるから全くわからないのだ。
この手法が本格化したのはデジタル庁主導での押印省略の流れが進んだからである。
そうなってくると砂消しの出番である。
砂消しで上手く消して、再印刷だ。
社印が押してある書類なんかは再印刷が出来ないので、諦めて砂消しをした上からスタンプを押す。
ボールペンで書くと微妙な滲みがバレてしまうが、スタンプの場合は単にゴム印の押し付け方を間違えた程度で済むのだ。
慣れてきた職員は意図的にゴム印の押し具合を調整できるので、修正した部分とそれ以外の差異を相殺する技術さえ持っている。
さっきから髪の話ばかりしてるが、公務員はデータでの仕事なんてやらないのだ。
なぜデータでは駄目なのか?
簡単だ。
データは簡単に改竄できそうなイメージがあって信頼できないからである。
ハンコの朱肉まみれの書類だったら見た目には改竄なんて難しく見えるのがいい。
タイムスタンプも残らないから後からいくらでも差し替えができる。
複雑奇怪に手を広げたルールは相互にコリジョンを起こし続け、もはや正しい時系列で機能しない。
正しい仕事をするために作り上げた十重二十重のチェックが起こす矛盾が、結果として無数のタイムトラベルを前提としているのだから面白い。
ハッキリ言うが、公務員の仕事は嘘にまみれたもので出来上がっている。
ゴミだ。
ハッキリ言うが、森本事件なんかで自殺した例の人は・・・正義感の方向性を完全に間違えていたと言わざるをえない。
そもそも公務員の主な仕事は「自分の手を汚したくない皆の代わりに公文書を偽造し続けること」なのだから。
そもそも初任給年収300万円~定年寸前の部長級年収900万円程度の仕事に集まってくる人材なんぞ、たかが知れいているわけだ。
そんな連中が全国で数十万数百万と手を取り合って矛盾のない仕事が出来るはずがない。
思い込みと勘違いにまみれた俺ルールが上から下まで蔓延って「とにかく俺の目に入る範囲だけ綺麗にしてくれ」とわがまま放題のカス同士で譲り合いもせずに歪みを生み続けるのが当たり前なんだ。
歪みきった仕事を嘘で塗り固めながら「とりあえず綺麗にやってる感が出ましたよ」と言って国民に仮初の安定を提供するのが公僕だ。
卑職なのである。
公僕になって1年もすれば余程の間抜けかアスペルガーでもなければ「俺達の仕事はまともじゃない。まともな仕事がしたいなら辞めるしかない。辞めないならカスとして生きることを選ぶしかない」と思い知らされる。
そんな仕事で何十年も飯を食ってきて今更になって「これは悪だ。許せない」なんて言うのは面の皮が厚すぎる。
改めて書き出すととんでもないカスだな。
まあ俺も民間と付き合いがそこそこ多い部署で働いたこともあるわけで、「結局は民間企業も悪いことばっかしてる嘘つき集団なんだよね」と良く分かってるよ。
そもそも嘘つきじゃなかったらこっちが「これはもう嘘ついて下さいよ一緒に」と頼んですんなりそれが通り続けるはずがねえんだ。
あれ?私調子悪いのかな?って思っちゃったりして、
最近のここまた令和入ってからイチのテヘペロ案件を立て続けに3件も繰り広げてしまって凹むわー!って思いの丈を伝えているんだけど、
2つ目は赤いボールペンカバンの中にちゃんとしまったはずなのに無くしちゃったっぽいこと。
3つ目はこれはガチでお仕事のズームのミーティングすっぽかしたこと。
返す言葉がないわ。
そんな私にジャストミートズームイン!ってやかましいわーい!ってなるんだけど
これは私的にもどうしちゃったの?って
思いのほか山の如しタニコーの五徳もそうはならないだろう!って思っちゃうほどなのよね。
そんなこと忘れるはずないと思っていて
思い出してみても、
これじゃ、
まるで本当にお正月年末年始のおやすみモードがどーも抜けてないわね!って。
そう思われても仕方ないと思いつつ、
これ繰り返さないようにするにはどうしたらいいのかしら?って。
いつも朝イチで予約するときは予約しているのを
朝イチ30分の時間で予約していたのね。
なんだか受付の人がいつになくなんか困ったような申し訳ないような顔をしていたので、
どうしたのかしら?って思ったら、
診察時間の予約より30分勘違いして早く着いちゃってたみたい!
ちゃんと勝手にいつもの時間帯だからって思い込まずに見て確実に確認しなくちゃって今後そうやって暮らそうと思ったわ。
2つ目の赤いボールペンは、
横着してペンケースにしまってからカバンの中に入れるって手順を
たぶん4次元の彼方に消えてしまった奥底に無限の広さの世界に漂っているはずだわ。
いつもならちゃんとその場でペンケースに入れてしまうというのに、
そう言う時に限って慌てて横着するもんだから、
カバンに入れたは入れたにせよ無限の広さの4次元空間に飛んで行ってしまったと思うので以後その赤いボールペンは見付からないのよね。
つまりそう言うことだわ。
あちゃー!って感じ。
そしてジャストミートズームインできなかったミーティングはしっかり素でカレンダーに予定を書いてんだー!ってつもりだったのに、
書いただけで心のカレンダーにはリマインドされていなかったという失態。
なんとかしてこの良くないリズムから抜け出さないといけないので、
気持ちを切り替えて、
夜ご飯に夜また私は新ジャガと今回はぶつ切り骨付き鶏モモ肉を最近お気に入りのと言ってもまだ使うの3回目だけど、
そのフライパンに入れて使える蒸し網を使って、
気分を切り替えなくっちゃって!
きちんとチキンでも食べてとは言わないけれど、
でも頬張ったらチキンの味が濃くて味付けもしていないのによ。
蒸すとスープで流れ溶け出してしまう味をそのまま肉の中に閉じ込められるのか分かんない仕組みだけど、
美味しくこれも蒸し上げられた新ジャガイモと併せて鶏モモ肉もいただいたの。
なんか蒸す調理法ってすごない?って改めて再実感する瞬間が昨日に引き続き訪れたみたいね。
これが蒸すなのかー!って。
とりあえず、
気分をチキンといやキチンと切り替えてしっかり寝て今日に挑まなくちゃ!って思うわけ。
ミスやらかして凹んでいたのと蒸し器で新ジャガイモ爆美味のションテン爆上がりでプラマイゼロってところよ。
ああ、
凄い立場の上の人に怒られるかな?っていわばドキドキする私のリアルドキュメンタリーってところね。
にしても、
超要注意しないといけないのよ。
今私がこしらえている
アクリルスタンドとアクリルキーホルダーの試作品2号が完成間近で、
これを重々しく思って気を付けないと!って
グッズに表記する文字とか発注数とか間違わないように!って超慎重に進めなければいけないので、
めちゃくちゃ気を付けたいところよ。
こんなにやらかして取り乱してしまってミスの連続で凹むわー!って
まだ令和今年年明けてから何回もう令和入ってからイチのテヘペロ案件やらかしてんの?と自分でも落ち込んじゃうわ。
気を引き締めて頑張るわ。
にしてもやらかしすぎだわ。
気を付けるわね。
とほほ。
美味しく食べて元気をもってしないと今日も乗り越えられないわ!
ちゃんと真面目にやるわ。
こういう時はすーっと素直に身体に沁みてくれる、
なんの混じりけの無いホッツ白湯ストレートウォーラーを飲んで身を清める気持ちで、
清まったと思ったところで出発よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
地方の業績ギリギリ企業で働いてるピエロだけど、オフィスの環境が自宅より悪すぎて萎えまくり。特に気温。神経衰弱理論発動レベル。
オフィスの空調がマジでゴミすぎて出社したくなくなる。特に冬。寒すぎてダウン着込みながらデスクで震えてる。ヤバいでしょ? 書き物しようとしたら手がかじかんでボールペンすら持てない。指がギシギシきしむ感じ。チャージスポット切れまくり。
それについて社員から散々意見噴出してたのに、結局「社屋が古い建物だからね~」でいかんともせず。業績もギリギリの企業だからいたしかたないって。魂の格低すぎて設備投資すらできないのかよ。t企業確定。
というわけで転職考えてる。空調がちゃんと効いてて、冬でもダウン着なくていいオフィスってどんな業種よ?
エリサラとか都心四区の大手なら空調完璧でアマンレジデンス眺めながら仕事できるんだろうけど、こっちは地方カーストで幻資痛眺めるだけ。
空調すらまともに管理できない会社にいる時点で予後暗すぎる。カイカンチュア止まり確定。
誰か空調神の業種教えてくれ。