はてなキーワード: ナントカとは
献血の予約を15:00にしてあるが、それまで何もやることは無い
(やるべきことはある気がするが、休暇なのでそこは見ないフリをする)
危うく袋パンパンのごみとともに年越しするところだった 年末なのにちゃんと回収してくれてありがたい限りである
さて、何をしようか。 と言っても、やることは読書か散歩か映画観に行くかくらいしかない
しかし、あんまり魅かれるものはやってない 落下の王国はもう観たしな・・・
今敏作品のリバイバル上映にするか、マイケル・キートン?のヤツか
上映時間的に丁度良い、マイケル・キートンのヤツにするか。マイケルが誰だか知らんけど。
予告を見る限りそこそこ面白そうだ アルパチーノもちょいやくで出てるらしい。 パチーノは知っている。
隣の中学生くらいの女の子二人組がずーーーっと喋っている 若いって良いな
駅ビルと合体している商業施設を抜ける 出入り口には門松が飾ってあった 門松ってこのタイミングから飾るもんなんだな
うちの会社の事務所にもこっそり勝手に鏡餅とか飾ってやろうかな
あ、このまま映画館に向かうと早すぎるなと気が付く
手持無沙汰の時間を埋めるため、途中のセブンイレブンでコーヒーを買おう
クーポンを持っていた気がして、支払いの際に財布をあさってみるが、ファミマのだった 残念
料金を支払い、コーヒーを飲みながら待つ
観客はあんまり居ないものだと勝手に思っていたけど、結構待ってる人がいた
待合のスペースにはなぜか仏画が飾られている このミニシアターの運営元が寺だからだろう
ゆっくり鑑賞するだけの時間はなかったので映画観終わってから眺めようかな(結局忘れて帰った)
クロイツフェルト・ヤコブ病を発症した殺し屋の話だった
クロイツフェルト・ヤコブ病って狂牛病が流行った時に、ニュースで名前を聞いた気がする。 関連は覚えてない 症状が似てんの? まぁいいか
「記憶喪失と殺人」というとメメントを思い出す。 鑑賞後の気分はあまり良くない(読後感、の映画版はなんて表現するんだ?)けど面白かった
これもメメントっぽいヤツか?と思いながら観始める
結局、すごいどんでん返し、みたいなのは無かったけど、それでも面白かった
他の座席からも鼻を啜る音が聞こえてきたので、周りもそんな感じだったんだろう
でも、冷静に考えると息子は普通にヤバいヤツだし、娘はなんとういか、大丈夫か?って感じの子だったし、
被害者?の男も殺されるほどの悪人だったか?という気もする。あ、ギャングの一員って話だしいいのか。まぁいいか。
マイケルの病状の悪化に急かされるようにように淡々と話が進んでいく
見どころというか意外なところで言うと、個人的には娼婦の裏切りが一番だと思うが、あの裏切りはこの作中で何の意味があったんだろう・・・という気もする
考えてみると、息子も娼婦も、あえて若干嫌なヤツとして描いているのではないか?
それでも手を差し伸べるマイケル、というかジョン を強調したかったのだろうか
娼婦は本しかもらえなかったみたいで、残念だったな 命があって十分か
どうでもいいけど、元奥さん、ジョンのことを苗字で呼んでなかったか?アメリカンではそういうもん?
あと、警察側の面々が人種・性別のバラエティに富んでいて、そういう配慮なのかなぁと思ったり
警察のボスのエリーナカムラ?だっけ?違った、エミリー・イカリだった。役者の名前がスージー・ナカムラらしい
イカリのセリフにも多様性への理解を訴える、みたいなのがあって、メタ的なジョークのなのだろうか よくわからん
どいつがパチーノだったのかはよくわからんかったが、活躍ぶりから見て、大物っぽい元?泥棒のセルヴィア?であろう。
あれ、ジェリコって結局誰?
ダイナーで的な店で出てきた骨付き肉がやたら美味そうだった
そんな感じの映画だった 観て損はないと思う
忙しい年の瀬にわざわざ献血に来る異常者の集まり・・・ と言われても自分は否定はできない
スウェットで寛いでる人がいたが、あれは採血しやすさへの配慮か?どうでもいいか。
前の利用者の行儀が悪かったのか?と思って、位置を正そうとしたら「そのまま、椅子はすみっこのままで座ってください」と医師がのたまう
え?
なんというか・・・・
感じ悪くない?
自分は攻撃的な人間なので、何かにつけてクレーマーと化す人間なのだが、一応今日のところは善意でこの場所に来ているのでクレームは控えておいた
というか、医師個人のやり方ではなく、献血ルームの方針かもしれんしな・・・・
そんなやりとりの後、血液検査が無事に済み、採血のベッドに案内される
血小板で予約したけど、血漿の採血になった。ウエハースが食えなくて少し残念である
浜松なんとかと、九州なんとかの試合で浜松が2点リードしている
九州なんとかを応援してやりたいが、すでに後半30分を過ぎている 無理っぽいな。でも頑張れ九州
浜松なんとかのムナカタが2点を決めているらしい すげぇなムナカタ
あと、オフサイドの旗を挙げている審判がやたらと目立っていた気がする
NHKでは3Dプリンタが云々とやっていた 試行錯誤することをティンカリングというらしい 失敗ではなくティンカリングととらえるべきだと。
まぁティンカリングするにしても、過去の失敗をしっかり活かした方がいいよね という気はする
水分を摂るように言われるので、待合室でジュースやらコンポタやら3杯くらいのんで退出する
あぁ肉が食いたい 肉を買って帰ろう
私にはSとNという友人がいる。三人でよく食事したり、旅行に行っていた。
Sは、アクティブなタイプ。色々な遊びを提案したり女子会を企画してくれていた。
Nは、そんなに自己主張が強くなく、聞き上手でおっとりしたタイプだった。
社会人になって数年後、Nが占いにはまった。なんでも凄い占い師さんがいて、その人のタロットカードの動画を見ているらしい。自分でも始めてみたと言っていた。
私はよくわからなかったが、タロットカードは何かを教える・未来を当てるというより、励ましのメッセージをくれたり、今の自分の背中を押してくれるものらしい。
「(私)とSも占ってあげるよ!」と言われたけれど、私は占いに本当に興味がなく…
断りたかったが、Nの今の生きがいになっているなら水を差すようなことは言いたくないと思い、テキトーに仕事運を見てもらった。
Sも断らず、結婚運を見てもらっていた。Nは楽しそうだった。
Nは、占いにはまっていく中で、妙なテンションになることが増えてきて、SNSなどの投稿も増えていった。
占いに関さない内容の発言も次第に過激になっていき、SNSでプチ炎上したり、人間関係のトラブルも増えたそうだった。
大学時代の友人ともめ事を起こし、高校の部活の友人と喧嘩をし、地元の友人からは縁を切られ…
今、付き合いがあるリアルな友人関係は、私とSだけになっていたようだった。
「神様とつながる」「宇宙のエネルギーを感じる」「前世の記憶がよみがえった」「女神のお告げで~」みたいな内容ばかりになり、
私とSで「これ大丈夫かな」「スピ?だよね?」「なんか宗教にはまった?」と話していたが、ときどきLINEしたり、SNSでリプライを送り合うときのNは、普通に見えた。
なんかNによると、満月の夜にはナントカのパワーが漲り、ナントカを浄化することで、神様からのメッセージをもらい、新しい自分のシーズンに入ったらそこからはナントカが変動していくらしい。本当によくわからなかった。
私だけじゃなくてSも同様に思っていたようで「とりあえず占いの話題になったときは当たり障りのない返事をして、そっとしておこう」と話していた。
Nが占い(スピ)にどっぷり浸かってきたちょうどその頃、私は私で身内に不幸があったり、仕事で部署移動や資格試験があったりして忙しくなった。
Sも同様に、結婚や引っ越し、転職などで忙しくなり、3人のグループLINEの稼働頻度が下がった。
「なんか騙されてたかも」「あの神様とは相性が悪いからもう信じない」と、スピってるのかスピってないのかよく分からないことを言い、脱スピ宣言を出していた。(SNSで)
でも、私は、なんとなくNに会いたいとは思えなかった。勧誘されないことも、無理に占わされないことも分かってはいたが、会いたくなかった。
元に戻ったのかもしれないが、私が本当に仲良くしていた数年前のNとは、やはり違う人間な気がして、どうしても会いたいと思えない。
SNSやLINEなどでも、以前のようなやりとりができなくなった。Sも同様に感じていて、結果的に疎遠になっているらしい。
先日、SNSでNは、「女子の友情なんてどうせ嘘ばかり」「避けられてるなって感じる、はあ…」「どこにも味方がいない気がする」と病み投稿をしていたが、たぶん私たちに向けた投稿なんだと思う。そういうところも無理、と思うけれど、もちろん言えない。
スピにどっぷり浸かっている人に距離を置くならともかく、脱スピした人とも付き合うのをやめたいと思うなんて、冷たいのかな。
でも、なんか無理なんだよな…
私のISに関する知識はほんの少しだ。原作小説も読んでいない。
しかし、原作がラノベであることは知っている。キャラも少しわかる。
なぜかと言えば、ISはやる夫スレではおなじみの作品だからだ。
いま、やる夫スレ読者や作者がどれほどいるかわからないが、私は読者でも作者でもあったので、ISはちょっぴりわかる感じだ。
いまはやる夫スレからは遠ざかってしまった。創作活動もしていない。
そんななか、dアニでISを見つけた。
思えば本篇を観たことはなかったから、観てみることにした。そういう流れである。
いきなりだが、OPの「STRAIGHT JET」は聴いたことがある。
学生のころ、夜中まで勉強するときにYouTubeで「アニソンメドレー」と検索し、適当な動画を聴いていたのでよく覚えている。
さて、本篇。
ISはナントカ条約で軍事利用は禁止とのこと。なのに男女の権力勾配に影響を与えているらしい。
スポーツでしか使わないのにそうなるのは、ISスポーツは古代オリンピアなみに人気なのか?(ツッコミポイント+1)
2025年現在から見ると、暴力系幼馴染とか高飛車クラスメイトとかかなりベタだ。
それから14年でサブカルのキャラ設定も変化したことがわかり、感慨深いものがある。
そうは言っても、私はサブカル文化人などではないから、こういう意見はネットに転がっている言説の影響を受けていると思われる。
まあ、男が女の園に一人投げこまれたら、噂の中心になるのはあると思う。
ただ、男が女より弱いのが常識なら、なんで主人公をクラス代表に推薦するんだよとは思った。
なんだか総じて批判しかしていない気がするが、そんなつもりはない。
穿った目で観ているわけではなく、思ったことを垂れ流しているに過ぎない。
それで言うと、キャラデザは良いと思う。好みだ。
他者の考えではなく自分の考えをストレートに表現しようというのが、この感想執筆の裏テーマだ。
結果としては、とっ散らかった感想になってしまった。回数を重ねれば、洗練されると信じることにする。
次回、IS<インフィニット・ストラトス>第2話「クラス代表決定戦!」でお会いしよう。
https://note.com/charm_viola6115/n/n904376361c9e
ここで書かれている作品は4重構造の救済の物語になっていて多くの登場人物に多層的な役割が与えられてるって話。
映画マニアを名乗ってるだけあって、マニア的な見方になっちゃうんだなと思った。
設定マニア、役割マニア、モチーフマニアの人はそうかしらんけど、普通の観客って「設定ベース」じゃなくて「キャラクターベース」で作品を見るんだよね。仮に「キリスト」モチーフの登場人物がいたとして、でも「その人物」のパーソナリティがキリストでなければ、なんか急にキリスト的な行動にとられても「いやお前の行動おかしくね?」ってなるんだよ。
でも設定マニアは「うおおおお!!!キリスト!!キリストじゃないか!!びゅるるるるる」ってなるんだと思う。
果てスカが叩かれているのはそのパーソナリティの一貫性のなさ、キャラクターの薄っぺらさが問題なんだよね。それはつまり彼が言っていることが正しいのだとすれば「多くの役割を一人の人物に押し付けようとした」結果でしかない。
シンデレラとラプンツェルとムーランと白雪姫をディズニープリンセスだから一人の中に押し込んだろ!ってしたら「うんうんこの行動はラプンツェルを表しているね」「おっ、ここはムーランかな」「シンデレラであったね」、いや多重人格かこいつってなるだろ。しかもそれが8人分。それをうまく作中で接続できる脚本力があれば細田はもうとっくに宮崎駿越えてるのよ。
そして一つの作品に全世界を救う4つの救済をギュウギュウに詰め込んでみました!無駄のない完璧な設定!っていうのも、そんなことは並の脚本家には不可能だし、残念だけど細田がそのレベルの脚本家じゃないのはもう過去の作品からも明らかじゃん。何なら、いつも「細田の言いたいこと」の部分が叩かれる。それは社会が追い付いてないからじゃなくて細田が自我を作品に昇華する腕がないからだと考えるのが妥当だろ。
3回も見て大学図書館でお勉強したのは偉いね~って感じだけど、むしろそのことが「自分で調べて理解したことに対して人間の評価は異常に甘くなる」っていうナントカクルーガー効果だかikea効果だか認知的不協和云々に陥らせているようにも感じる。もしかしたら細田守もそうなのかもしれないけど。
ガチFランこそ文学部哲学科や国文科、心理学科、理学部数学科や物理学科など、知的好奇心を刺激する学科に特化した方がいい。どうせまともな就職なんか無いんだから。
世のFランはナントカビジネス学部とかウンタラコミュニケーション学部みたいなのばかりだが、馬鹿こそビシッと履歴書映えする漢字一文字学部だろ。
あと大学名も、○○国際大学とか□□学院大学とかやめろ。もうFランの代名詞だってみんな分かってる。ほとんどが単科大学だろうから、地名+文科or理科大学にしろ。都留文科大学とか(一文字学部じゃないけど)高崎経済大学みたいなイメージを狙うべき。
どうしてもリベラルアーツを売りにしたければ、地名+教養or学術大学がギリギリ許せるラインだろうか。
別に教育内容なんて、リメディアルとカタログ的一般教養、かいつまんで面白そうな部分を抽出しただけの分かったような気にさせる専門科目で構わない。
特に文系博士なんか有り余ってるわけだから、そこそこの給料でも質の良い講義をしてくれる人は集まるはず。
ターゲットは、まずはディレッタントぶってる高校生。偏差値40以下の高校にも全くいないわけではない。
でもこれだけじゃ稼げないだろうから、定年退職したジジババをかき集めまくる。年食っても抵抗なく入れる大学だという評判が広まれば、けっこう集まるんじゃないかな。
少なくとも、よく分からない留学生だらけの消えそうなFラン大学よりは雰囲気は良くなるだろうし、教える方の精神衛生も向上するはず。
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
俺は大学生の時、予備自衛官補の訓練で銃を撃ったことがある。64式小銃という銃だ。狩猟やスポーツのためではない、純粋に「人を撃つために作られた、戦争をするために作られた軍用銃」だった
その銃床を肩に当て、撃った瞬間、日本人が考え得るもっとも強力な「戦争と殺しの道具」を手にしたと錯覚した。
…あの時は、それ以上に強い武器はないと思っていた。だが、人間が人間を苦しめる手段に限りがないことを今知らされている。人は、人を軍隊や武器で殺すばかりではない。視線と、言葉と、善意ですら、人を壊すのだ。
14歳の兄の娘は、俺がかつて持った64式小銃よりも恐ろしい武器をその小さな心に浴び続けた。それは悪意と性欲という視線で心臓を撃ち抜かれ、言葉のナイフが幼い心を裂き、さらには善意や親切でさえ…猛毒の毒矢となって彼女に降り注いだのである。彼女が生まれる遥か前、俺が4歳や5歳の頃、オウム真理教というテロ組織が世界初の首都圏化学兵器テロを実行した。その時、俺のよく知る秋葉原駅でオウムの実行犯の一人はサリンを散布したという。彼女にとってはそれをも超える「視線と言葉と善意の化学兵器」が小さな体に降り注ぎ続けたのだ。
兄の娘は、母親の容姿を引き継いでいる。今となっては、その美貌は、彼女にとって祝福ではなく災厄であった。俺が見ているウマ娘というアニメ、その中のトウカイテイオーという少女が面影も立ち振る舞いも似ていると感じていた。
まだ14歳の幼い彼女をその獣欲を満たそうと、有象無象の無頼の輩がやってきていた。それは、昔教科書で見た百鬼夜行絵巻を俺に想起させた…人間は時に、妖怪よりもよほど醜悪である。
悪意ある大人たちは、艶めかしい視線と卑しい言葉を彼女に浴びせ続けた。その感情は毒であった。幼い心は、その毒に壊されていった。俺も父も、完全にそれを防ぎきることはできなかった。
悪意ある「大人」たちに艶めかしく気持ち悪い性欲のこもった眼と言葉と感情を向けられ続け、彼女の心は壊れた。
だが、何も悪意と性欲だけが兄の娘の心を壊したのではない。転校する前の私立、そして小学校時代の学友や友人が、彼女を心配したのだろう。クラスで書いた寄せ書きを持ってきたことがあった。思えば、代わりに俺かルカねえが受け取るべきだった。
それを見た彼女は、半狂乱で泣きわめきながらそれを引き裂いた、破いた。布団に伏し、捨てられた小動物のようにおびえて泣いた。彼女にとってもはやクラスメイトの向ける善意や純粋な心配や好意は、彼女の心を引き裂く研ぎ澄まされた言葉のナイフに変わっていたのだ。
俺は内心悲しみを隠せなかった。「また遊ぼうね」、「元気?」…子供らしい無垢な励ましの言葉だ。数々の言葉は彼女の心を締め上げる呪詛の呪文以外の何物でもない。感受性の強い彼女の壊れた心は、もはや善意や幸せを受け止める器の形を保っていなかったのかもしれない。
兄は娘と伴侶の心さえ破壊していく毒を残していったのだ。あまりに業の深い行為である。
…補導した警察官の話によれば、彼女――兄の娘はトー横でさえ価値観や会話がかみ合わず、容姿ゆえの性欲しか同年代の落ちこぼれたちからさえ向けられなかったらしい。
同性からは「見てくれのいい生意気な女」、異性からは「エロい女」、救いを求めて流れ着いた場所でさえ、彼女の前に待っていたのは俺達が防ぎきれなかった悪意と性欲のねばついたマナコと、悪意と嫌悪の眼だけだったようだ。
…彼女が求めた救済の場は、結局、欲望と嫌悪の眼が渦巻く修羅の巷であった。
兄が望んで往った「キラキラした人生」…見栄と虚栄と虚位と、嫉妬と悪意と打算と性欲が渦巻く世界に、行きたくもないのに叩き落とされたのだ。感受性の強いその娘が、望んでではなく、強いられて。
俺は兄の位牌を蹴り飛ばしたい衝動にかられた。どこまでも身勝手で自分勝手だった兄の残した業と毒…身勝手で、他者を顧みぬ男の残した毒は、一人の少女の心を取り返しのつかぬほど破壊してしまったのだ。
…兄の娘の心が再びその瑞々しさと平穏を取り戻せることを、俺と父はその祈りにすがるしかないのである。
Xを覗くと、思いがけず俺の書いたものが拡がり、人々の口端にのぼっていた。
群れをなすオッサン達の姿は、かつての兄に重なった。彼らは互いに「自分は違う」と言い訳しながら、同類であることを確かめ合っている。肩書を飾り立て、やれどこぞの企業の社長だ、案件募集だ、AIがどうとか…
実体の乏しい言葉を繰り返すだけで、そこにあるのは哀れにも似た虚ろさであった。恐らくAIの意味も分かっておらず、それを錦の御旗にすればルカねえや俺の様なITに音痴な人間がすごいと思って枕詞につけているのであろう。一抹の哀れさすら感じる連中である。
俺はそれを見て、葉の裏にくっついて擬態しなければならぬ雑虫の輩の羽虫が、アスファルトにへばりついて隠れているかのような場違いな滑稽さを感じた。
だが、それを笑えるであろうか?彼らの有り様は、兄と同じだ。都市の灯に集う羽虫に似ている。かつて昆虫が森の落葉の陰に潜み、その自然の中で調和していたように、彼らもまたあるべき場所を持つはずであった。しかし今はアスファルトに貼りつき、光に惹かれ、Xの上をただ滑稽に舞う。
そう思えば、彼らの姿は羽虫に似ている。自然の中で葉裏に潜む虫であれば、まだ調和がある。だが都市の舗道に貼りつき、光に群がる姿には、どこか場違いな痛ましさがあった。兄の変貌もまた、その群れの一つに数えられるべきものだったのであろう。
俺みたいな人間から見れば、虫と同じだ。虫マニアや昆虫学者ならナントカムシだのウンタラムシだの名前と種類が違うことがわかるのだろうが、俺から見れば兄と同じくネットの虚妄で自尊心が毒虫の様に肥大化し、ITという腐葉土に群がる虫の様にしか映らない。そこには嫌悪と侮蔑の感情すら感じていた。
俺と父が見た、傷心のルカねえや兄の娘に群がっていった、性欲に狂った目でイチモツをオッ勃たせる事も気にせず…いや、寧ろ見せつけて嫌がる様に性的興奮すら感じているのであろうとしか思えない程の下劣で教養のかけらもない言葉遣いと毒笑を浮かべた自称「IT企業の社長」、「ITコンサルタント」、「芸能界関係者」、「スポーツ関係者」と同じにしか見えない、日本社会の闇に蠢く虫の様な輩の姿を再び見て、俺は暗い気持ちを抱えざるを得なかった。
―――これを見て、折に触れて思い出すことがある。トー横で兄の娘が補導され、俺と、そしてルカねえが引き受けに行った時の光景だ。
西武新宿から降りてすぐ左手のパチンコ屋に、姉妹のメイドと一人の王女が映ったアニメキャラの大きな看板がある、なろう小説の有名なアニメ、Reゼロのキャラクターだという。
その看板の下で兄の娘とルカねえと俺は合流した。
生前、兄もこのなろう系というものを好んでいた。そこには性格がひん曲がった社会の負け組の中年や引きこもりが、タナボタでチートなるパワーを得て死んだ先の世界で無双し、美少女に囲まれるという、あまりにも惨め過ぎる夢物語の内容が主で、兄と同じく氷河期世代の中年男性に人気だと聞く。
自業自得の自らの業と虚栄により、人生を自ら追い込み、ありもしない一発逆転に縋って、それでも「馬鹿にされる」、「男のメンツ」とくだらないプライドを持ったまま憐れに、惨めに、そして滑稽に独り相撲を続ける兄の姿を、兄自身も歪んだ認知の中で重ねていたのだろうか。少なくとも俺には、兄が彼の好むスバルだのカズマだのゴブリンスレイヤー何某だの、ロードウォーリアーズだかオーバーロードだとか、転生スライム男だという何某の様なキャラクターにダブって見えた。
ああ、空想の中の異世界では自尊心が毒虫の様に肥大化した彼らの他責思想と無法を通したとしても、都合よく逆転し、美少女に愛され、英雄になれるのであろう。だが現実は冷たい経済機構の歯車が迫る経済大国の社会の枠組みの中だ。そんな人間は、社会から「いらない存在」として排斥される。兄の憧れた彼らなろう主人公にも、ルカねえや娘、俺達に忍び寄る「社会の底辺と闇の世界の住人」達の世界で生きることもできないだろう。
その末路は兄と同じなのやも知れない。
思い出す。京都アニメーション放火テロ事件の主犯である青葉真司という氷河期世代の中年男性がいた。彼も熱心に「小説家になろう」に投稿していた男だったと裁判で証拠として提出されている、とニュースで見た。
そんな彼は狂って自らと無関係な大勢の他者を燃やして死んだ。実に身勝手な男だ。いつか兄が見ていたどこぞのなろうアニメの様にエクスプロージョンなどという魔法でも放ったつもりだったのであろうか?身勝手にクソをヒリ出し首を吊って死んだ兄も同じではないであろうか。ガソリンをぶちまけて火を放って焼け死のうとした青葉、身勝手に首を吊り糞と精子をヒリ出し死んだ兄。炎か汚物かの違いでしかない、俺はそう思っている。
もしくはすべてを投げ出して生きている俺達に迷惑をおおかぶせたまま、兄は自ら命を絶ち、勝手に「異世界転生」をしたつもりなのかもしれない。
…だがその先に、美少女を抱く未来も、英雄となる舞台も、永遠に訪れることはない。現実は冷酷であり、兄の望んだ「なろう」の世界は、永遠に来ないのである。
――あれは兄の娘が中学受験に受かった翌年の夏だっただろうか。
音楽関係の仕事についていたルカねえの血を継いでいるのか、兄の娘は感受性が強い子だった。
兄の家族と俺とで、片瀬江ノ島にいった夏の事だった。成層圏の黒みがかったほどの抜けるような青空と入道雲が眩しい日の事だった。
――思えばそのころにはすでに破滅の足音が家族にも忍び寄っていた。それを幼い感受性で感じ取っていたのだろう。受験で塾通いで詰め詰めだったと言い訳をしながら、兄の娘の無邪気なはしゃぎぶりは今でも記憶に強く残っている。
…それは、終わりゆく夏と自分の人生のこれからの先を予見して、一秒一秒、終わりゆく夏の光を記憶の琥珀に、粒に封じ込め、未来の闇に消えぬように思い出を刻み込もうとしている様だった。砂を蹴って無邪気に走り回る姿が、今なお俺の記憶を去らない。
すでに破滅の足音は背後に忍び寄っていた。その予兆を、彼女の鋭い感受性は察していたに違いない。当時はまだ13歳になる手前の12歳頃であっただろうか。年の割に無邪気にあふれる様な歓喜をしめしていたのも、せめて一刻を永遠に刻もうとする幼い魂のあがきであったかもしれない。
…今思えば彼女は知っていたのだ。この夏が家族の、ひいては彼女自身の人生の、ひとつの終幕であることを
俺とルカねえはその光景悲しくて居た堪れなくて見ていられなかった。憔悴しきっている兄は、娘のその機微にすら気が付いていない。その鈍さが、憐れで腹立たしくてしょうがなかった。
江ノ島神社で、お参りをした時、彼女は俺達よりずっと長く目をつぶって祈っていた。彼女の小さな肩は震えているように見えた。強く強くと神様に願いをかける様に。ルカねえと俺は彼女に聞いた、そんなに長く何をお祈りしてたの、と
「みんな仲良くこれからも暮らせますように」、「今の私が大切に思ってることが消えてしまわないように、消えてしまってもぎゅって守っていられるくらいの強さをくださいって」
…あの頃を思い出すたびに俺は自分のふがいなさと弱さに泣きそうになる。胸の奥底で嗚咽をかみ殺した。世の非情さを思い知らされたからである。だが、彼女は違った。あの瞬間、彼女はすでに、世の無常をその小さな胸で受け止めていたのだ。心が壊れ、すべてが崩れ去ろうとするなかでさえ、彼女は自らの「大切に思っていること」を決して手放さなかった
ーー兄の娘は、祈った。今でも忘れえぬことは、心が壊れてしまってもなお、彼女は自らの「好きな色」を忘れず、強く固執していた。
好きな色を聞けば必ず彼女は答える。
好きな色は、「みずいろ」と
…それは夏の空の色であり、壊れ行く者が最後に抱きしめる儚い希望の色だった。心が壊れてしまった彼女が胸の奥にひそかに抱いていた、あの淡い祈りの色である。
… 兄の業に翻弄され、家族が砕け散るなかで、彼女はこの「みずいろ」だけを守ろうとした。
滅びゆく者が抱きしめる色――それが、みずいろであった。
…今も俺の机の上、地獄の入り口のPCのブルーライトの光に照らされ、小さな球体の中の「みずいろの世界」に抱かれて泳ぐ小さな鯨とともに、その色は俺に語りかけている。その色は、淡く、だが確かに輝き続けていた。
兄の人生をたどる旅を終えて今わかった。兄の姿は彼らの現身なのだ。彼ら、彼女らの飾り立てるIT技術で変わる世界の美辞麗句にどこか詐欺師の語るような違和感を感じざるを得ない理由も、今ならわかる。
彼らは本当は、ただ自身の毒虫の様に肥大化した自尊心と、自己顕示欲、性欲、俺だけが主人公、それ以外はモブ、そんなあまりに幼稚で下劣すぎる欲望を満たしたいだけなのだ。力も度胸もないからテロリストや反社にでもなることもできず、またその方法もこの天下泰平の法治国家日本でわかるわけがなく、それを叶える魔法の道具に「IT」を選んだだけにすぎない。
彼らのいうAIだとかiPhone何某だとか、LLMだとかいう言葉を「拳銃」や「爆弾」と言い換えて見よ、何も矛盾することはないではないか…彼らの中に「自分」以外の存在は介在していない。かつての兄と同じである。
思えば、人類の歴史とはかくのごとき欲望の繰り返しである。古代に鉄剣がそうであり、中世には火薬がそうであり、近代に機関銃や戦車がそうであった。令和の世においては、それが「IT」であるというだけのことだ。
だが彼らの願いが叶うことは永遠にこないと思う。その末路は令和の世に入ってから幾らでも例があるではないか、孤独の業火に焼かれた青葉、狂気の刃を振るった平原、性欲と憎悪に欲望に溺れた和久井――いずれも同じ末路に至った。兄の姿もまた、その一つにすぎなかった。
ITを神輿に美辞麗句を飾り立てる彼らも兄と同じく、一皮むけば糞と小便と涎とザーメンの混合物…汚物の様な感情だけで動くそれらが詰まった肉の袋、人とは言えぬ何かでしかないのだ。
今では、ミサイルや爆弾を落とすにもスマホで写真を撮ってSNSで座標を知らせる、ということまでウクライナで行われ、かつてのアフガニスタンでは行われていたらしい。ITで世界は確かに変わった。だがそれは悪い方向に、でしかない。
――窓の向こうで、東京の都会の灯がうっすら見えている。
ルカねえや兄の娘、そして兄と見た府中は分倍河原の夜の様な星空は、その虚栄の光に隠れて見えなくなっている。
羽虫の様に光に集まる人々たち、欲も善も悪も聖も全てのみ込んで、東京の夜は深まっていく、田舎と都会の合間に住まう窓の外を見て、何とも言えない兄と、人の業の深さを感じている。
窓外に目を転ずれば、府中の夜空に瞬いた星は、もはや東京の灯にかき消されていた。星が見えぬということは、文明の光に包まれているということである。だがその光は、羽虫の群れをも包み込み、欲も善も悪も、すべてを呑んでしまう。
兄はなぜ首を吊らなければいけなかったのか。なぜ変わってしまったのか、ルカねえと兄の娘はなぜあんな目に合わなければならなかったのか。なぜヒーローは助けに来なかったのか。
星空も夜も、そして東京の光も、この苛立ちとも悲しさとも怒りともつかない感情の疑問に、答えを出してくれない…時は、ただ深夜二時の時間だけを静かに刻んでいる。