はてなキーワード: 自然災害とは
BeReal問題の対策で「スマホの職場持ち込み禁止にすれば解決」と言ってる輩が割といるが、この人達は歴史認識が弱いと言わざるを得ない
2000年代後半〜2011年頃までは、スマホ(まだガラケーもだいぶあったが)等の携帯端末を職場に持ち込めないルールを敷いていた企業はかなりあった
何故か?
「災害時の安全確保と緊急連絡手段の確保」がしづらくなるという弱点が、2010年代の度重なる地震災害によって顕在化したためだ
決定打は2018年の大阪北部地震。通話が出来なくてもネット回線は生きていたため、スマホ持っている人はSNS経由での安否確認が可能だったが、職場のセキュリティボックスに預けている人はすぐにそれが出来なかった。地震でセキュリティボックスが破損し「長い時間」出来なかった人もかなりいた
これらを教訓としてスマホ持ち込み禁止が一斉に緩和されてきた経緯がある
コントロールできない自然を相手にした災害、コントロールする手段はあるセキュリティインシデントを比較して、どちらを優先すべきかは自明だろう。今後100年自然災害がないとわかれば話は別だが
精巧なゴジラのフィギュアに心を踊らせていると映画館でゴジラを観た時の興奮が思い出されて、早速家に帰ってアマプラでゴジラ−1.0を再視聴した。
いやー、やっぱゴジラはいいね!迫力満点の映像、覚悟を決めた男達の人間ドラマ、そして恐ろしすぎるゴジラ。
初見は映画館だったけど、インパクトがすごすぎて帰り道はフラフラだったのを今も覚えている。
映画が始まってものの数分でゴジラへの恐怖を植え付けられ、その後もゴジラが登場する度に緊張でドキドキしながら観れるのがすごくいい。
ゴジラのデザインも歴代で一番イケメンだと言われてる。確かに顔も体格もすごくカッコいい。神木隆之介が普通に見えるくらい。
まあ正直にいうとシン・ゴジラから入った新参者なので「歴代」についてはあまり語れないんだけど、ゴジラストアのフィギュアの中ではやっぱり一番カッコよかった。
シン・ゴジラは歴代ゴジラの中ではかなり異端っぽいね。デザインが生々しくて尻尾が巨大だからストアの中でも結構目立つ。そういうところが好きです。はい。
多分だけど、ゴジラのデザインって映画のテーマそのものの表れでもあるんだろうな。
通貨が安くなる(自国通貨が下落・減価する)主な原因は、以下の経済要因がほとんどです。
• 外国から見ると「その国の商品が高くなった」→ その通貨を買う魅力が減る → 通貨安。
• 例:急激な物価上昇(ハイパーインフレ)で通貨が紙くず化するケース。
• 自国の金利が低いと、投資家が「この通貨を売って他国の通貨を買う」→ 通貨安。
• 特に日銀が長年超低金利だった頃の円安の大きな要因でした。
• 外国からたくさん輸入して、輸出が少ない → 外国通貨をたくさん買う必要がある。
4. 政府・中央銀行による通貨供給の増加(マネーサプライ増加)
• 投資家が「この国は危ない」と判断して通貨を売る(リスクオフ)。
• ヘッジファンドなどが「この通貨は下がりそう」と先物で大量に売る。
• 自己実現的予言になることも多い(2022年のポンド急落など)。
• 石油・天然ガスなどの輸出国で、資源価格が下がると通貨安になりやすい。
• 逆に日本のような資源輸入国は、資源高で輸入代金が増えて円安圧力がかかることも。
• 自国が特に悪くなくても、他国(特に米ドル)が非常に強いと相対的に自国通貨が安くなる。
• 2022〜2023年のような米FRBの急激利上げで世界中で自国通貨安になったケース。
簡単にまとめると
これが根本原因です。
内容: 第9条(戦争放棄・戦力不保持)は維持したまま、「自衛隊」の存在を憲法に書き加える案です。
目的: 現在の自衛隊について「違憲(憲法違反)ではないか」という議論があるため、憲法に明確に位置づけることで、その論争に終止符を打つとしています。
賛成
内容: 大規模な自然災害やテロなどの有事に際し、国会議員の任期を延長したり、内閣が一時的に強力な権限(政令の制定など)を持てるようにする規定を設ける案です。
目的: 選挙が実施できないような事態でも国会の機能を維持し、迅速に国民の安全を守るためとしています。
反対
代わりなんて幾らでもいる
3. 参議院の「合区」解消
内容: 人口の少ない隣接する2つの県を1つの選挙区にする「合区」を廃止し、各都道府県から必ず1人以上の議員を選出できるようにする案です。
目的: 地方の声が国政に届きにくくなっている現状を改善し、地域代表としての性格を明確にするためとしています。
反対
廃止しなくていい
そのうち県自体が合区の形になるよ
4. 教育の充実
内容: 経済的な事情に関わらず教育を受けられる環境を整えることを、国の努力義務や理念として憲法に書き込む案です。
目的: 教育の重要性を憲法レベルで掲げ、私立学校への助成などの法的根拠をより強固にする狙いがあります。
反対
近年の国際政治は、まさに自己放尿の連鎖反応として理解するのが最も整合的である。
ここでいう自己放尿とは、合理的選択の仮定から逸脱した政治的意思決定、すなわち短期的インセンティブに支配された非効率な政策行動である。
イスラエルとアメリカによる予防戦争という名目のイラン攻撃、そしてそれに連動するホルムズ海峡閉鎖は、この自己放尿の典型例であり、
しかも単発ではなく、複数主体による安全保障と国内政治のダブル放尿として観察される。
国家もまた合理的主体としてモデル化されるが、その合理性は完全情報でも完全最適でもない。
むしろ、政策主体はしばしばルールではなく裁量に依存し、その結果、期待形成を歪め、市場の調整機能を破壊する。
今回の軍事行動はまさにその裁量主義の暴走であり、価格システムに対する外生的ショックとして機能する。
ホルムズ海峡は単なる地理的ボトルネックではない。それはエネルギー市場における情報伝達装置、すなわち価格メカニズムの中枢である。
そこが閉鎖されるという事態は、供給曲線の急激なシフトを意味し、結果として価格のボラティリティを増幅させる。
だが問題は、これが自然災害ではなく、政治屋共の自己放尿によって引き起こされている点にある。
さらに深刻なのは、この自己放尿が合理的無知によって支えられていることである。
一般有権者にとって中東政策の詳細を理解するコストは高く、その便益は極めて分散している。
そのため政治屋は短期的な支持獲得のために強硬策を採用しやすく、結果として国際市場に巨大な外部不経済を撒き散らす。
これはまさに価格理論的に言えば、政治市場におけるインセンティブ構造の歪みであり、非効率均衡への収束を意味する。
イスラエルとアメリカの行動は、安全保障の名の下の自己放尿であり、対する産油国や地域勢力の対応もまた報復としての自己放尿である。
この相互作用はゲーム理論的には囚人のジレンマに近く、各主体が個別に合理的に見える行動を取った結果、全体として最悪の結果、すなわち海峡閉鎖と市場混乱のダブル放尿に至る。
ここで強調すべきは、政府の裁量を最小化し、ルールベースの枠組みを確立すること。
自由市場は完全ではないが、政治屋の自己放尿よりは遥かに優れた調整メカニズムを持つ。
価格は情報を伝達し、資源配分を最適化するが、軍事介入という自己放尿はその信号を歪める。
「政治屋共が自己放尿してホルムズ海峡閉鎖、これが現実である」という命題は誇張ではない。
昨日の朝このまとめを見て、とても重く沈んだ気持ちになった。
仕事も手につかず、この人のことを考えていた。
「思想強いと思われるのが怖い」
とても理解できる。
現代日本を生きる我々にとって他人にどう思われるかはとても重要なことだ。
そんな中で、それでも勇気を出して平和を維持するため、反戦を訴えるために何をするべきか考え、行動を起こしたこと
そこだけ見ればそれは素晴らしいことのはず。
私がここで名前を隠して、やんやと誰かを吊し上げるようなことしかしてないのに比べたら。
やらない善よりやる偽善。行動に移したこの人の方が、反戦に寄与しているのかもしれない。
この人は悪いことはしてないし、悪気なんかもちろんなく、自分が正しいと思う背景も理解できる。
誰のことも責めることはできない。
多分もう、「その時代」が巡ってくることは避けられないんだろうな。
なんとなくそんな気はしていたが、その現実味を見せられてしまった。
この人が反戦活動をする理由は、「平和が大好き」で「今の生活が続いてほしい」からだそうだ。
あたかも、アイスクリームでも選ぶかのような、手に入って当たり前のものを選ぶような。
この人にとって平和はそこあって当たり前のもので、なんなら好きとか嫌いとか、こちらが値踏みする対象となるものなんだ。
そしてその傲慢さに一切気付いていないような、イラストの周りに並び立つ呑気な言葉たち。
「パンがないならケーキを食べればいい」を天然でやってるようなもの。
どんなに平和に暮らしたいと願っても、逃れられずに戦火の中死んでいく人たちがいる。
今この瞬間にも。
その人たちはきっと、夢が叶わなくたっていい、好きなゲームができなくたって、美味しいものが食べられなくてもいい
ただ生きたい、友達が、パパがママが、幼い我が子が、妹が、生き延びてほしいと、願ったはずだ。
でもそれは、そのひとの最善を尽くしたって叶わず、死んでいる。
そんな状況にいる人たちがこのコマをみたらどう思うだろうか?
ニコニコでピースして、「ごはん」「おふとん」「休日」「旅行」「しぜん」「マンガ」「アニメ」「ゲーム」とか書いてあるこのコマを。
かつて広島で戦争に巻き込まれ、大火傷を負って、家族を失った人に時を超えて会えたとして、
「私は平和が大好き!だってごはんにおふとんにしぜんにマンガにゲームが大好きだから!」なんて言えるのか?
「平和は尊い」とは平和教育でよく言われる言葉だ。でもそんな言葉はもはや形骸化しているのか。
「ごはん」も「おふとん」も「休日」も「旅行」も「しぜん」も「マンガ」も「アニメ」も「ゲーム」も全部失ったとしても得難いもの、
それが平和ではないのか。
でもわかってる。そうじゃないんだよね?そこまで考えてないんだよね?
でもさ。
考えすぎてしまう性なら是非それを発揮して考えて欲しい。
どうして過去に、そんな犠牲を出してまでも戦争をしたのか、そうなるまで続けてしまったのか?
どうして今世界に、戦火に巻き込まれて無念の死を遂げなければならない人がいるのか?
どうして今日本に住む我々は、戦火に巻き込まれず豊かに自由に、「続いてほしい」と思える暮らしができているのか?
あなたの言う「反戦」は、自分の周りだけの話なのか?世界中の全ての人に平和に生きてほしいと思ってるのか?
前者なら、じゃあ、自分の平和が脅かされ、「今の生活」が脅かされた場合、それを維持するために「自分の周り以外」が平和を失うことはOKなのか?
日本人が全員死んで、そこに住めるようになったら得する人はたくさんいる。
そうでなくても、私たちから「ごはん」「おふとん」「休日」「旅行」「しぜん」「マンガ」「アニメ」「ゲーム」を奪う(例えば日本語を禁じるとか文化を奪うとか)ことで得する人はいる。
でもその人たちは、80年、それを大々的にしてくることはなかった。
なぜか?
それをした場合のデメリットがメリットを上回るように調整維持することで、日本は今平和を維持している。
私たちの平和は、ただそこにあるのではなく、断続的な努力により維持してきたものだ。
他の大抵の国も同じ。他国に「攻める < 攻めない」と思われるように立ち回っている。
その方法は、例えば「攻めてきたらこっちも攻め返しますからね、わたし結構強いですよ」と軍事力アピールするとかだ。
でもそのバランスが崩れた時、「攻める >= 攻めない」になった時に戦争は起きる。
日本の場合も、「攻める < 攻めない」を維持してきたという点では同じ。
「攻めない方がいいだろう」と思われるようにうまいこと立ち回ってきた。
で、そのように立ち回ってきたのはたとえば、選挙で選ばれた政治家たちであり、
そのバランスを守るためにどうしたらいいのか?
もしくは、そのようなバランスによる危うい平和を根本から覆す方法はないのか?
一生懸命考えて、それに見合う行動をする。
デモに参加するのもいいと思う。でもそこに持っていくイデオロギーが、「平和大好きだから戦争反対」では全く足りてない。
そんなのみんなわかってる。親もわかってる。
でも親は、虫歯が進行するよりは歯医者に行く方がマシだと判断し、「虫歯になったら歯医者行くからね」と言う。
それに対して「歯医者反対デモ」として、歯科治療をやめろと言っても何も解決しない。
したくないのは誰だって同じ。
そうじゃなくて、どうすればせずに済むか考えることだ。虫歯予防を頑張ることだ。
言いたいのは「それ(歯医者に行く/戦争をする)をした方がいい状況を作らない努力」として何を訴えるのか?だ。
私の意見としては、そもそも平和なんてこの世には存在していない。
日本の平和な生活だって、突き詰めれば誰かに銃口を向けた結果であり、睨み合いの上に成立している。
そんなふうに維持している平和を、無邪気に「大好き」などと言ってるのを見ればまあ鳥肌どころではない。
そういう緊張関係以外の平和の実現方法を、たくさんの哲学者たちが考えてきた。
(例えばカントは「永遠平和のために」で「公平性」、均等にするのが全員にとっての益となる形式を作っていくことの重要性を説いた。)
でも結局この世では、緊張関係が平和な国の平和を維持している。
日本の平和教育は「平和の尊さ」と言いつつそこまで考えさせないことが多い。
歯医者で言えば、「歯医者に行ったらどんな悲惨な目に遭うか」というところばかり教える。
それも大事ではあるが、
なぜ虫歯になるのか?予防するにはどうしたらいいのか?の部分は重視されない。
だからこの人がただ「歯医者反対!」にしか思い至らないのも、責めることはできない。
私はたまたま大学で取った授業で、こういうことを考えるきっかけを得た。あれがなかったら私もこうだっただろう。
そして日本の平和教育がそうなってしまっていることも、複雑な事情が絡んでのことだろう。だからそれも責められない。
なるようになっただけ。
ここからが割と本題なんだけど、
どんなに頑張って予防していたって、虫歯になってしまう時はある。
戦争も同じ。
私が思うに、戦争はもう、自然災害みたいなもんなのかなと思う。
(ロジェ・カイヨワの「戦争論」でそう思ったので、興味あったら読んでみてください)
誰もやりたくないとしても、止めることなんかできない。
だから、自然災害と同じで、それに備えて心の準備をしておくしかないんだ。
自分はどうするか?
何を選択するか?優先するか?
何を守るか?
何を選んだら、一番マシなのか
今のうちに考えて、決めておこうと思ってる。
そのあと
(たとえばすぐにでも)
死ぬとして
その瞬間に
どの選択なのか
今のうちによく考えて、決めておこうと思ってる。
ホルムズ海峡の閉鎖状態による石油危機について、もっと 『最悪の事態』 を想定したほうが良くないか?
みんななんとなーくコロナの時みたいになんとかなるだろ。と正常性バイアスに囚われてる気がする。
最悪の事態とは、ホルムズ海峡の閉鎖が継続+原油の代替輸入先が見つかない+国内の石油備蓄の枯渇 の状況だ。
石油は254日分の国家備蓄があるけど、これが切れるのってちょうど冬だよね。
私は北海道生まれだけど、冬のメイン暖房が灯油ストーブの家はまだまだあると思う。
もし東北地方で記録的豪雪が降ったときに除雪車が動かせなかったら?いくつも怖い想像ができる。
うちには2歳の子供がいるけど、これまで知らなかったけど子供って月の4分の1くらいは風邪を引いてる。
なのでめちゃくちゃ病院に行く頻度が増えた。
そして病院に行っても薬がない状態だったら? そんなことは許せないと感じる。
私たちにできることがあるだろうか。
・不要な車移動を減らす
・宅配(オンラインショッピング)を減らす
それくらいしか出来ないだろうか。
我々リベラルは「若者の右傾化」を嘆いてきたが、私はこれまでリベラルが重要視し語ってきた「目標」に関して間違っているとは思わない。
公平公正平等で、自立やジェンダー平等など人権を大切にし、再分配を重視し、平和を求め反戦を貫く。ここに何の誤りがあるのか?これは確実に間違ってはいない。
しかし、私は同時に「リベラルの目的達成のための手段は間違っていたのではないか?」と疑念を持った。
なぜか?リベラルのこれまでの手段は「経済合理の誤り」によって目的の持続不可能な状態があったのだと、このエントリでは定義したい。
そしてさっそくこのエントリの結論を言えば、様々に思考して我々が希求してきた価値(個人の自立、ジェンダー平等、平和)は、皮肉にも我々が「土建国家」「バラマキ」と忌避してきた「地方へのハード・パワー投資」によってのみ、持続可能な形で実装可能であるという結論に至った。
リベラルの言うバラマキが個人の自立、ジェンダー平等、平和を達成するという構造的矛盾(パラドックス)を直視しない限り、リベラルの再生はない。
リベラルは長年、地方の家父長制的な抑圧からの「脱出」を肯定し、その避難先として「東京」を想定してきた。いや東京しか想定できていなかった。
しかし、このモデルは「初期投資」と「維持コスト」を無視している。
若者が直面するのは、「経済的死(東京)」か「精神的死(地方)」かの二択という絶望的なトレードオフだ。
そこで、これまで軽視されてきた「地方企業の独身寮」を再評価する。
地方の優良製造業が提供する寮は、家賃・光熱費が極小(月1〜2万円)だ。
もしリベラルが資本家や企業へ対しは地方投資を行い、その条件として「プライバシーと安全が確保された現代的な寮」の整備を企業に求めていたら?
精神論ではなく「可処分所得」こそが、家父長制を内側から破壊し、女性を真に自立させる武器となる。現在の東京は固定費が大きく可処分所得が小さすぎてむしろ搾取構造へ突き落としている。
オルカン投資が正義だと言うが今の若者にはその種銭が無いことを無視してはならない。地方企業へ独身寮をどんどん建築させ、若者が負担する固定費を下げ、若者の可処分所得を増やす。これが大事なのだ。
人口減少がどうの人手不足がと言うのならば、出生率が地方よりも明らかに低い東京へ投資するのは数字的に明確な誤りだろう。
リベラル層からは「現代戦はミサイルとドローンだ。道路を作っても意味がない」という声が聞こえる。
ウクライナを見てみろ。ロシアは大量のミサイルを撃ち込んだが、結局は戦車と歩兵で国境を越え、泥沼の地上戦で土地を奪いに行かなければならなかった。
なぜか?相手の国土を支配し、政府を倒し、自分たちのルールを敷くには、生身の人間がそこに立って占領組織を構えるしかないからだ。
日本は島国だ。敵が日本を屈服させるには、最終的に海を渡り、日本の土を踏まなければならない。
その時、我々が取るべき「専守防衛」とは何か?
これ以外にない。
迎え撃つ我々(内線)が勝つ唯一の方法は、敵よりも速く、自衛隊の戦力を上陸地点に集中させることだ。
しかし、敵もバカではない。上陸前にミサイルで橋やトンネルを狙ってくる。
その時、迂回路がなかったら? 道路が寸断されたままなら?
自衛隊は立ち往生し、その間に敵は橋頭堡を築き、占領地域を拡大するだろう。
だからこそ、「無駄に見えるほどの道路網(冗長性)」と「即座に復旧できる土木能力」が必要になる。
リベラルが「無駄な公共事業」「自然破壊」と叫んで地方の工事を止めることは、「専守防衛(内線作戦)に必要な『足』を自らへし折る行為」に他ならない。
当然ながらこれは自然災害時にも同様であり、平時の無駄な道路は甚大災害によって寸断された際の迂回路なのだとリベラルは気付かなければならない。
高市が掲げた「国土強靭化」は、単なるバラマキではない。「ミサイル攻撃や自然災害を耐え抜き、部隊を展開させて国を守り抜くための生存インフラ」だ。
リベラルは「国土強靭化」だけは全面的に飲もう。重要なのは予算・資金が黒い金を生まないか?だ。リベラルはこれを監視するのが役割としよう。
そして、話を「若者の財布」に戻そう。
このインフラの強靭化・冗長化を維持するためには、何が必要か?
地方における莫大な「土建・インフラ整備の仕事」と、それを担う「ブルーカラー労働者」である。
橋を架け、道路を直し、トンネルを掘る。これはAIには代替できない、安定した高収入の就職口となる。
ここで、我々を含めた主流左派に問いたい。
我々は長年、「地方には仕事がない、だから若者は貧困にあえいでいるのだ」と嘆き、政府の無策を批判してきたのではなかったか?
ならば、なぜ「地方に莫大なブルーカラーとそれを支えるバックオフィスのホワイトカラー雇用を生み出し、労働者の可処分所得を向上させ、さらには我々が維持をしてきた『専守防衛(=反戦・抑止力)』の物理的基盤をも構築する」この地方投資を、諸手を挙げて評価しないのか?
「平和を守り抜くこと」と「若者に安定した高収入の仕事を与えること」「弱者の自立支援」。
我々が最もやりたかったはずの3つの課題を、「土木・インフラ投資」という手段が同時に解決しようとしているのに、我々はそれを「軍拡だ」「利権だ」と拒絶した。
「地方の貧困を救え」と叫びながら、地方の貧困を救う最も即効性のある「仕事の創出(公共事業)」を否定する。
この致命的な自己矛盾に気づかず、若者に「綺麗な政策」だけを説教し続けたことは真っ先に改善しなければならない。
「右派だって戦争をゲームと勘違いしている」と揶揄する前に、仕事と収入として若者の目に見える、手に渡る政策を実現しよう。
私たちの反戦は侵略へ対する抑止力となり若者が実感できる利益を生み、徴兵可能性すら低減させるのだと主張しよう。
我々の敗北は、「弱者救済(需要側)」に固執し、「どうやって自立し、どうやって国を守るか(供給側の投資)」を保守層に丸投げしたことにある。
それは、若者が家父長制や貧困から脱出し、資産を形成し、そして他国からの侵略や自然災害に対して国土と国民を守り抜くための「生存のインフラ」である。
「地方で蓄積し、平和のための物理的基盤を作る」サプライサイド・リベラルへ。
地方投資こそが地方票をより多く獲得し自民党を下野させ政権交代を達成する現実的な手段であり、リベラルの目標を達成させるのに必要なことだ。
損失バイアスというのは、より確実な損失、例えば100%の可能性で100円失うよりも、より大きな損失の可能性、50%の可能性で200円失う方を選ぶ人が多いという心理だ。
より巨大な損失の可能性を回避するために、確実な小さな損失を選んだ人が、歴史的に排除されてきたという事実がなければ、この損失バイアスなんて心理が、ここまで強く人類に刻まれている理由がない。
それはつまり、歴史上、可能性だけの脅威を煽られた挙句、権利を放棄した人が、骨の髄までしゃぶり尽くされて消えていったかを物語っている。
今のマスゴミさえ、こうした存在するかどうかも怪しい脅威をがなり立てるだけで、人々から搾取しようとする。
犯罪を防止するために、異常な厳罰化や規制を迫った挙句、逆に犯罪率は上昇し、隣国の脅威が唱えられただけで、あらゆる政府による超越的な越権行為が許可される。
マフィアやヤクザが社会を荒らすかどうかも、犯罪者たちの管理という、本当かどうかさえ怪しい大義名分を信じるバカが、その国に多いか少ないかで決まる。
実際には、より悪質な権力者たちが、人々から搾取するために、底辺の犯罪者が鉄砲玉として使われるだけだ。
エルサルバドルは、今更になって、冤罪で捕まる可能性より、実際に生活を荒らすギャングを取り締まることを選んで、ようやく治安が回復したが、なぜ彼らの国をギャングが荒らしてたかというと、過去の彼らは、ギャングによる治安維持を信じ込んでいたからだろう。
冤罪で逮捕される可能性も、個人の犯罪者の被害に遭う可能性も、限りなくゼロパーセントに近いほどレアイベントで、特に後者に至っては、実際に遭っても、回避したり自衛するのは、政府や犯罪組織を撃退するよりはるかに簡単で、被害自体も継続性はなく、瞬間で終わる上に、終わった後に被害が広がることもない。
一方、強権政府や犯罪組織による搾取は、より深刻で、より長期的で、防ぐ手段は殆どなく、一度カモとして認識されたら最後、親族全てに被害が広がる可能性すらある。
個人の犯罪の被害は、ごくたまに発生する自然災害みたいなもので、雷や台風のように、備えさえあれば憂いもないが、組織犯罪の被害は、未知の病原菌が定期的に現れるようなものであり、被害を受けるまで防ぐ手段は殆どなく、ワクチンや特効薬ができるかは運ゲーで決まり、一度現れれば、徹底的につぶさない限り、どこまでも延々と拡散し続ける。
選挙報道を見てると、本気で心配になってきたので、今この本を読んでいる。
ベネズエラ / 坂口 安紀【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
世界最大の石油埋蔵量を誇る産油国ベネズエラ。だが、戦争や自然災害とは無関係に経済が縮小を続けている。その間、治安は悪化、食料供給や医療制度も崩壊の危機にある。四〇〇万人以上が陸路国外に脱出し、シリアに次ぐ難民発生国となった。かつて二大政党制を長期間維持し「民主主義の模範」とされた同国に何が起こったのか―。本書は、チャベス大統領就任以降、権威主義体制に変容し、経済が破綻に向かう二〇年間の軌跡を描く。
目次
ヤングケアラーの少年が話題になった。両親への非難や少年への同情、たくさんのツイートを見た。
自分も少年の境遇に同情したが、心の奥底では少年が羨ましいと思った。家庭という監獄の中で抵抗の手段がない少年に代わって数多くの人に怒ってもらえて、いいなあと思ってしまった。
少年が受けている理不尽がなかったことにされずに済んで、ちゃんと少年が救済対象であるということをたくさんの大人が発信していて、羨ましいと思った。
小学生のころ、自分が放送室に連れ込まれてリンチを受けた時も、習い事の稽古中に他の子の親に後ろから蹴り飛ばされた時も、誰も自分の代わりに怒ってくれなかった。
両親の機嫌を損ねて玄関先の柱に縛り付けられていたとき、目の前を通る郵便屋さんは顔を背けて見て見ぬふりをした。
母に殴られながら泣いているとき、宅急便の配達員はインターホンを鳴らさずに不在届を入れた。泣き声を配達員に聞かれたと悟った母は逆上し、私を悪者にしたいのかと怒鳴り、ヘンレ版ベートーヴェンの楽譜で何度も殴った。
習い事の教室で、師範や他の子の前で足を舐めさせられたとき、周りの大人も子供もみんな笑っていた。
家に帰り、風呂の中で泣いていた。ずっと我慢していた涙が流れるとき、指先が痺れるように痛かった。
さっさと風呂から出て勉強しなさいと母が風呂場に急かしに来るので、そんなに悠長に泣いていられなかった。
泣いていたことがバレると機嫌を損ねるので、目が赤くならないように、声が震えないように、すぐ泣き止む方法を覚えた。それはいつしか精神を解離させて悲しみを感じない方法へと変わっていった。
「まだ大人になんなよ」なんて誰も言ってくれなかった。子供でいることを忘れたまま大人になってしまった。
自分が自分の感情をちゃんと理解しないまま大人になってしまったと、大人になってから気付いた。悲しいとか助けてほしいとか感じて良かったのだと今更言われても、あまりに遅すぎた。
自分はもう自分のために悲しむことができない。幼少期の自分のために怒る方法を忘れてしまった。だから誰か自分の代わりに、幼少期の自分に代わって怒ってほしかった。
大人になってから幼少期や学生時代の性被害を告発する人がいて、加害者にインターネットの人々が怒っているのを見ると正直羨ましい気持ちになる。
大きな事故や事件、自然災害で誰かを失った遺族がいて、インターネットの人々が犯人への怒りを表現したり、胸を痛めたりしているのを見ると正直羨ましい気持ちになる。
15年前の東日本大震災の被災者が今もテレビに出て、ずっと時が止まったままだと言うのを見ると、正直羨ましい気持ちになる。
どうしていいのか分からなくなって助けを求めてみても、いつまでそんな昔のことを言っているのとあしらわれて終わった。自分だってずっと時が止まったままなのに。
被害者立場には鮮度と強度があって、自分のような強度の被害は10年も経つともはや消費期限切れなのだと思う。
全部お前が悪いと言われて育った。幼少期の自分はそれに抗う手段がないと思っていた。
でも、助けてと泣き叫んで被害者になれたのは幼少期が最後のチャンスだったらしい。今となっては本当に全部自分が悪いことになってしまった。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
日蓮聖人が著した『立正安国論』の核心は、「正法を立てて(宗教的・精神的バックボーンを確立して)、国を安んじる」という点にあります。もし聖人が令和の日本で政治家として転生したならば、単なる軍事力の増強(ハード面)にとどまらず、国民の精神性や国家の在り方(ソフト面)を根本から問い直す、極めて独自性の高い防衛戦略を展開すると考えられます。
アイデンティティの確立聖人は当時の災厄の原因を、人々が「正法(法華経)」を捨てて「謗法(誤った教え)」を信じているからだと説きました。これを現代の政治文脈に置き換えると、以下のような戦略になります。
日本人が独自の誇りや道徳観を失っていることが、外敵につけ込まれる最大の隙であると主張します。
聖人は「専ら対揚(たいよう)を致さん」と対話を重視しました。SNSやメディアを通じて、国家の危機に対して国民が一致団結(異体同心)するための徹底的な議論を促します。
「自界叛逆」と「他国侵逼」『立正安国論』で予言された二難(内乱と侵略)を現代に当てはめると、現代版の「立正安国防衛論」が見えてきます。
内部からの崩壊(自界叛逆)を最も危惧します。サイバー攻撃、情報操作、工作活動による社会の分断に対し、法整備を含めた強力なカウンターを講じるでしょう。
聖人は蒙古襲来という現実の脅威を直視しました。平和を祈るだけでなく、実際に攻められた際に国を守るための「実効性のある抑止力」の保持を肯定するはずです。ただし、それはあくまで「安国」のためであり、他国を侵略するためのものではありません。
原理原則に基づく「直言外交」聖人のスタイルは、時の権力者(北条時頼)に対しても物怖じせず、真理を説くものでした。
普遍的な「正義」や「人道」を盾に、大国に対しても一歩も引かない外交を展開します。
周辺諸国の横暴に対し、将来起こり得る破滅を論理的に予言・警告し、国際社会での日本の精神的指導力を高めようとするでしょう。
| 項目 | 聖人政治家のアプローチ |
|---|---|
| 防衛予算 | 「国民の精神的覚醒」を伴わない予算増は無意味としつつ、必要悪としての防衛力は認める。 |
| 同盟関係 | 他国に依存しすぎる現状を「他力本願」と批判。自立した国(自主防衛)の精神を求める。 |
| 災害対策 | 自然災害も「国難」の一部。国土強靭化を「安国」の基礎として最優先する。 |
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(『立正安国論』より)現代風に訳せば、「目先の利益や分断を捨てて、国家の根本理念に立ち返らなければ、国を守ることはできない」という強烈なメッセージになるでしょう。
日本がここまで貧しく、息苦しい国になった理由は一つじゃない。でも主因ははっきりしている。長期にわたる自民党の単独支配だ。
・賃金は上がらない
それでも自民は勝ち続けた。なぜか?
「他よりマシ」「野党は頼りない」「よく分からないから現状維持」
消費税は誰がどう見ても逆進的だ。金持ちより貧乏人の方が、生活に占める負担が重い。
それを
と強行したのが自民党だ。
結果はどうだ。年金は減り、医療費負担は増え、子育ては自己責任のまま。
・雇用を守らなかった ・企業を甘やかした ・非正規という逃げ道を制度化した
これは政策の結果だ。
にもかかわらず、自民は長年まともな救済をしなかった。「自己責任」で切り捨てた。
それを見て見ぬふりをしたのが、
氷河期世代に対しては、ずっとこう言ってきた。
ところがだ。民主党政権期に世界的な不況の余波で雇用が悪化したとき、何が起きた?
――自己責任論はどこへ行った?
構造の問題は個人に押し付け、政権批判に使えるときだけ“政治の責任”を持ち出す。これが自民支持層の二重基準だ。
そして忘れるな。
“自力救済”を強いられ、制度にも社会にも切り捨てられた氷河期世代の末路の一つが、山上だ。
あれは突然変異でも、個人の狂気でもない。長年、救済を拒み続けた社会が生み出した帰結だ。
もう言い逃れはできない。
これは「一部議員の問題」じゃない。**政権中枢まで食い込ませた自民党の体質**の問題だ。
それでも「安倍さんは立派だった」「もう終わった話」?
投票しなかったやつ。
「誰がやっても同じ」と言ったやつ。
政治は、参加しない人間の分まで、参加した人間によって決められる。
つまり――
この国をここまで壊したのは、
気に入らないなら反論すればいい。
次の選挙で違う行動を取ればいい。
日本の没落を招いたのは――
「俺は運が悪い」という言葉を聞く。
そういえば、同級生が鴉にフンをかけられていた。昔の話だ。黒い合成皮のスポーツバッグにべっとりと着いた白いフンは、時間が経つと茶色に変化し、嫌な匂いがした。うんこをかけられるなんて、彼は運が悪いと思った。
「うん」だけに。
話が逸れた。
運とはなんだろうか。運とは、自分ではコントロールできない(しにくい)要素のことを指すと考えてる。自然災害の発生、野生動物の遭遇、飛行機の墜落事故みたいなものだ。そして、それらは頻繁には起きない。
あるいは、地震の少ない地域に住んだり、山に行くのを控えたり、飛行機に乗らなければ回避できるかもしれない。しかし、完全にそれらと遭遇する可能性を消し去れるわけではない。自分ではコントロールできない要素(天候など)が介在する。そういったものを俺は「運」と呼んでいる。
裏を返せば、自分が何かしらの対策をとれるなら、それは運とは呼ばないだろう。夏場で常温下にご飯を放置すれば腐るくらい、だいたいの人がわかることだ。それを「運が悪い」なんて言ったら、「なんだこいつは? 考えればわかることなのに、なぜ必要な措置を取らなかった?」と思うだろう。自分がそれなりに努力すれば回避できた悪い出来事を「運が悪い」とは言わない。
もし「運が悪い」なんて言うとしたら、それは自分ではどうにもできなかったと責任をどこか別の場所に置くためだ。それは恥ずかしいことだと俺は思ってる。
もちろん、不可抗力はある。
たとえば遺伝性の疾患とはいえ糖尿病や癌にいつ頃なるかなんて予想できるわけがないし、回避したくても難しい。
それに責任を取らされることが死を意味する環境では、他責ができる人の方が生き残りやすいのかもしれない。そういう人たちは、他責が基本仕様のようになってしまうのかもしれない。
改善を重ねたいんならそりゃトライ&エラーして改善率高めりゃいいんじゃね?
でも、それで運悪く家族を殺された人間の気持が晴れるわけないだろ。あなたの家族は改善の礎になりましたので今後の弊社のサービスの活躍にご期待くださいって言われて落ちつける?
それじゃトロッコで5人死ぬより1人曳いた方が合理的だからレバーガチャガチャやるサイコパスと同じだ
もっと言うと「俺のやったことは自然災害だと同じだから諦めて日常を生きろ」とか言ってる無惨様と同じ
謝罪っていうのは有責を引き受ける人間が苦しむ姿を見て釣り合いが取れたと思って心の傷を癒す行為だから
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