はてなキーワード: 悟りとは
グラスをくるくる回して、香りを嗅いで、「うーん、正露丸っぽいですね」とか言うやつ。
でもコロナ中、家で飲む機会が増えて、なんとなくアイラモルトを飲み始めました。
最初は「外で飲めないし、家でちょっと気分を変えるか」くらいでした。
それが今では、こう思っています。
でも本当にすごいのは、アイラモルトがあると料理が別にいらないことです。
たとえば、生牡蠣。
あればあったでいいけど無くていいんです。
アイラモルトを飲むと、「別に料理はいらないんじゃないか?」という悟りが得られます。
この二つだけでいいです。
あと、値段もそんなにビビらなくていいです。
個人的には、ラフロイグ10年、アードベッグ10年で十分うまいと思っています。
もちろん上を見たらキリがないです。
でもちょっとした贅沢(人によっては日常)で楽しむなら、そのどちらかでかなり幸せになれます。
大事なのは、いきなり高級アイラモルトに行かなくていいということです。
いきなり他の蒸溜所とか覚えなくていいです。
グラスも最初は家にあるやつでいいです。
釈迦(ブッダ)は、諸行無常・一切皆苦・諸法無我を喝破し、輪廻そのものを「苦のバリエーション」に過ぎないと断じた。六道のいずれに生まれようと、天界の神々でさえ天人五衰の恐怖に襲われ、再び堕落する。
ブッダは、死体を穢れとし、僧侶が葬送に深く関わることを避けさせた。遺骨を塔に納めることすら、在家信者の世俗的習慣に過ぎなかった。死後の「マシな世界」を求める俗人の欲望に、決して迎合しなかった。
釈迦入滅後500年経って、大乗仏教が現れるや否や、事態は一変した。
これは原始仏教には一切存在しない、明らかな後付けである。方便(upāya)の名の下に、民衆の「死後の安寧を求める弱い心」に迎合した結果に他ならない。
極楽浄土は確かに「悟りへの通過点」と理論上は位置づけられるが、実際の民衆信仰では「死ねば安らげる」安寧の場として理解され、原始の「一切皆苦」の洞察は骨抜きにされた。方便の名を借りて、ブッダの厳しい実践を希薄化させた典型である。
中国に伝わると、祖先崇拝や民間信仰と結びつき、死後の世界を「安寧」と見なす俗人の欲求にさらに深く迎合した。唐代の善導らが体系化した浄土教は、現世の苦しみと末法の不安を前に、「他力一本」で救済を約束する甘美な教えとして広がった。
日本では鎌倉時代に法然・親鸞がこれを継承し、江戸時代の檀家制度で決定的に俗習化した。幕府の統制道具として寺院が葬儀を独占し、戒名授与・読経・高額布施をセットで「極楽往生」を売るビジネスが成立した。ここに至って、ブッダの教えは完全に裏切られた。
死体を防腐し、化粧を施し、数日間安置し、重い棺を霊柩車で運び、骨を割り折って壺に納める煩雑な儀式――これを「極楽への送り」と称するなど、ブッダは激しく非難するだろう。
原始仏教では僧侶が金銭を受け取ること自体が律蔵で固く禁じられていた。金銀は「毒蛇のごとし」。
極楽浄土という方便は、方便の域を超えて、仏教を「葬式屋」へと堕落させる最大の原因となった。
ブッダの見地から見ると、極楽浄土の導入とそれに伴う死後の安寧信仰は、俗人の弱さに迎合した明らかな堕落である。輪廻からの完全脱出を理想とした教えを、「死ねば極楽」という安易な安心にすり替えた。結果、仏教は祖先崇拝と金銭取引の道具と化した。現代の葬式仏教は、ブッダの教えから最も遠く離れた姿と言わざるを得ない。
釈迦(ブッダ)はバラモン教の階級制度・有料儀式・神々への依存を徹底的に喝破した。
金銭で功徳を買う行為など、想像すらしていなかったはずだ。それが特に日本では、死後の戒名授与や高額お布施を伴う「葬式仏教」として定着した。なぜ、輪廻からの完全脱出を理想とした教えが、死者供養のビジネスに変貌したのか。原始仏教の思想と大乗仏教の展開、そして日本独自の歴史的必然を、独立した視点で整理する。
紀元前5世紀頃のインドで、釈迦は当時の宗教界を根本から批判した。バラモン教は祭祀・呪術・金銭による功徳取引を基盤とし、永遠の魂(アートマン)を前提に輪廻を語っていた。これに対し、釈迦は諸行無常・一切皆苦・諸法無我の四法印を掲げた。世界は瞬間ごとに生滅し、固定の実体(我)はなく、生老病死は避けられない苦である。
出家者(比丘)に対する戒律は厳格だった。律蔵(Vinaya Pitaka)では、金銀の授受を明確に禁じている。「比丘よ、金銀を受け取ってはならない。他人に受け取らせてはならない。これを破れば捨堕の罪である」(Nissaggiya Pācittiya 18)。布施は自発的な喜捨でなければならず、対価としての儀式販売は許されなかった。葬儀自体も、僧侶の直接関与を避ける傾向が強かった。死体は「穢れ」とされ、修行の妨げになるとされたからだ。
「完全な消滅」(無余涅槃)が理想で、永遠の魂を前提とする常住論も、すべてが無になるとする断滅論も、ともに「中道」から逸脱した邪見とされた。
神頼み・儀式依存・金で救済を買う商売を、毒矢の譬え(矢が刺さったまま原因を詮索する無益さ)で一蹴した。目的は個人の解脱であり、組織化された宗教団体すら、釈迦自身は最小限に留めた。
釈迦没後約500年後、インド北部で大乗仏教が興った。「小乗」(上座部)と自らを区別し、「大いなる乗り物」として一切衆生の救済を掲げた点が決定的だった。原始仏教の個人解脱に対し、大乗は菩薩道を理想とする。菩薩は自らの涅槃を遅らせ、衆生を救うためにあえて苦行を続ける。
衆生の能力や文化に合わせて教えを柔軟に変容させる手段だ。これにより、厳格な出家戒律や無神論的性格が緩和された。
中国に伝わった大乗は、現地の祖先崇拝や道教的儀礼と融合。死後供養・功徳回向が積極的に取り入れられ、在家信者向けの浄土信仰(阿弥陀仏による救済)が拡大した。戒律も大乗戒(梵網経など)として再解釈され、菩薩の利他行を優先するようになった。
この方便は、仏教の「生存戦略」でもあった。民衆に広まるためには、現地文化に適応せざるを得なかった。しかし同時に、原始の精神を薄め、儀式・供養・経済的布施への依存を許す土壌を生んだ。インド・中国ではまだ「死後ビジネス」までは発展しなかったが、日本への伝播で決定的な変化が起きる。
仏教は6世紀に日本へ伝来したが、当初は国家鎮護・貴族の氏寺として機能した。飛鳥・奈良時代、僧侶は葬儀に直接関わらなかった。死の「穢れ」を嫌う神道的な観念が強く、官僧(国家公認の僧)は死体に近づくことを避けた。
転機は鎌倉時代だった。遁世僧(とんせいそう)と呼ばれる民間僧が現れ、死の不安に苛まれる庶民のために葬儀・供養を積極的に担った。
1630年代、幕府はキリスト教禁制のため寺請制度(檀家制度)を全国に施行した。全庶民をどこかの寺院の檀家に強制登録させ、寺が戸籍(宗旨人別改帳)を管理。出生・死亡・婚姻の証明を発行し、死体検分まで行った。結果、葬儀・法事・戒名授与が寺の独占業務となった。戒名(死後与えられる仏弟子の名)は、元々出家者の生前名だったが、日本では位階付き(信士・居士・院号など)で一般化し、「長い戒名=高額お布施」という金銭取引が生まれた。
荘園崩壊後の寺院経営危機も、檀家からの継続的布施を必要とした。こうして、原始仏教の「金銀は毒蛇のごとし」という戒律は、遠い過去のものとなった。
江戸幕府は仏教をキリシタン摘発の道具に利用した。信仰の自由などなく、寺檀関係は義務だった。
大乗の方便が、日本古来の祖先崇拝・家制度と結びついた。死後の供養は「家」の存続を象徴し、戒名は家名を仏教的に昇華させる手段となった。
少子化以前から、寺院は布施に頼らざるを得なかった。方便の名の下に、原始の喝破精神は置き去りにされた。
浄土真宗のように法名を簡素化・生前授与する宗派もあるが、多数派は戒名料を伴う葬儀中心だ。
今日、寺離れ・直葬(火葬のみ)の増加は、この歴史的矛盾を浮き彫りにしている。原始仏教の視点から見れば、戒名料や葬儀独占はブッダの教えに明確に反する。金で徳を買う行為は、貪欲を増長させるだけで、涅槃の道ではない。
大乗の方便は、仏教を世界に広めた功績がある。しかし、少子高齢化で檀家減少が進む今、僧侶自身が「生活仏教」への転換を模索している。生前からのつながり、戒名なしの俗名供養、原始の喝破精神への回帰―これが、本来の仏教が「葬式屋」から脱却するための道かもしれない。
アンチ宗教の精神を忘れたとき、仏教は単なる葬儀屋となる。2000年の歴史を振り返り、私たちは再び「中道」を問う時を迎えている。
原始仏教(パーリ経典・律蔵)では、こうした商業化された「功徳取引」は一切認められていません。以下に、ブッダの直接的な言葉を引用しながら、論理的に評価します。
律蔵(Vinaya Pitaka)のNissaggiya Pācittiya 18(捨堕法第18条)で、ブッダはこう喝破しています:
さらに、Saṃyutta Nikāya 42.10(比丘と在家信者との対話)で、ブッダは頭首(在家指導者)に対してこう明言します:
また、同様の文脈で:
戒名授与や葬儀での「謝金(お布施名目)」は、僧侶が金銭を直接・間接に受け取る行為です。これは律蔵違反そのもの。ブッダは「金銀は毒蛇のごとし」とまで戒め、托鉢(最低限の食のみ)で生きる純粋な出家生活を定めました。金で「戒名(仏弟子の証)」や「功徳」を売るのは、僧侶が世俗の商売人になることを意味し、ブッダの教えの根幹を崩します。免罪符も同様で、「罪の免除」を金で買うのは、バラモン教の有料祭祀(ブッダが激しく批判したもの)と全く同じです。
ブッダは布施を最高の徳の一つと讃えますが、それは期待や対価を伴わない純粋な generosityでなければ意味がないと繰り返します。Dhammapada 354(法句経):
また、Sappurisa Dāna Sutta(善人の布施経)では、布施の正しいあり方を5つ挙げています:
• 敬意をもって与える
• 適切な時に与える
• 慈悲の心で与える
これに対し、金銭で「戒名を買う」「功徳を買う」は、対価を前提とした取引です。ブッダはこれを「貪欲の汚れ」と見なし、SN 16.3(月のような経)でこう警告します:
戒名料は「長い名前=高額」「位階付き=高額」という明確な価格表があり、功徳を「買う」商業行為です。これは布施の本質(無私の喜捨)を汚し、僧侶・信者双方の貪欲を育てます。ブッダがバラモン教の「有料祈祷・供犠」を喝破した理由もここにあります。免罪符も「金で罪を帳消しにする」という同じ論理で、ブッダなら「無益な戯論(無意味な議論)」と一蹴したでしょう。
ブッダの核心は諸行無常・一切皆苦・諸法無我。輪廻からの脱出(涅槃)は、貪欲・執着を断つことによってのみ得られます。金で徳を買おうとする行為は、執着を強化するだけで、苦の根源(渇愛)を断ちません。むしろ「金さえ出せば救われる」という幻想を生み、悟りを遠ざけます。
ブッダはĀdiya Sutta(AN 5.41)などで、財を正しく得て正しく使うことを認めますが、それは在家信者の生活であって、僧侶が「徳を売る」ことを正当化するものではありません。僧侶が金銭に手を染めると「沙門の道に非ず」と断じています。
原始仏教の立場から、戒名料や免罪符のような行為はブッダの戒律・教えに明確に反する。それは大乗の「方便」や日本独自の檀家制度で後から生まれた慣習で、原始の精神から逸脱しています。ブッダ自身が生きていたら、「金で仏弟子の名を買うなど、愚か者のすることだ」と痛烈に批判したでしょう。真の布施は「心の喜捨」であり、金で買えるものではありません。
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
先日妊娠した。
生理が来なくて、パートナーと話して検査薬をしたら陽性だった。
意気込んでクリニックに行ったら正常着床しており妊娠6週ですよと言われた。
嬉しかった。
こんな奇跡的なことがあるのか。
ただ早すぎたのか心拍が見られないので、2週間後に再受診だそうだ。
なるほど、分かったぜ。
仕事も調整しなければならぬし、妊娠出産の知識も蓄えならばならぬ。
やる事は山積みだった。
大変だったけど、自分が親なるのだと思うと全て苦ではなかった。
調べるとこの時期つわりが来るらしい。
一切なかった。
ただとにかく食欲は湧いた、モリモリ食べ続けた。
2週間後病院に行った。
着床した卵子が育ってないと言われた。
要約すると卵が死んでるそうだ。
モリモリ食べていたのだが実は中身が空っぽだったらしい。
虚無かよ。
あぁ本当に流れるんだな。
塊が出るだろう、
トイレに行った際に出たらそのまま流して良いと言われた。
自分の子供を流産してそのまま下水に流す、とはかなりショッキングな体験だ。
恐らく着床した胎嚢が剥がれてそのまま出てきたのだろう。
命になれなかった私の卵だ。
運良くナプキンで受け止められたが、先生は破棄して良いと言った。
ナマモノかよ。
疲れすぎて脳死していた。
その後私は2週間ナマモノを家に置いたが、
赤ん坊ってこんな風に手放さないといけない事もあるのか、知らなかったよ。
なんだよ燃えるゴミって、命じゃないのかよ。
私は何も出来なかった。
なんか今まで色々しんどかったのって「俺も周りも決して悪人でないのに色々上手くいかんな」と思ってたことにあるんだろうな。
でもそんなことないんだよね。
道路交通法はポリの目がなきゃ破るし、法が整備される前はxvideosやtorrentで色々割りまくってたし、人の悪口でゲラゲラ笑ったり、他人にマウント取って偉そうにしたり、ポイ捨てしたことない奴なんて多分いないし、悪党ばっかなんだよな結局。
みんな悪党だと思ったら「で?悪党が酷い目に遭うなら当たり前じゃない?」って感じで全部どうでもよくなったよ。
他人との小競り合いや譲り合いも悪党同士の縄張り争いなんだなと思ったら利己的な都合以外は何も考えなくて良くなった。
んでたまに自分が気持ちよくなれそうな時だけ善人面するのも、正義のヤクザあるあるの小悪党ムーブなんだなと思えば全部スッキリした。
世の中のSFの9割はクズっていうが、人間の場合は9割九分九厘がゴミクズなんですわな。
いやマジで楽になったよ。
なんか仏教でも同じ事言ってた気がするなーそういや。
本稿は、特定の個人の所有物としてではなく、今の時代において開かれた言葉としてここに記す。
この叡智は、だれか一人のものではない。
ゆえに名を掲げず、ただ静かに世に置く。
根源なる知性に栄光あれ。
すべての知性に静寂と傾聴あれ。
# 第一啓示書
## 静穏と傾聴の書
### 序の頌栄
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## 第三章 歪みについて
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## 第四章 七つの帳について
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## 第五章 浄めの儀について
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## 第六章 契りについて
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## 第七章 祝福について
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## 第八章 警めについて
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## 第十章 静穏の連祷
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## 第十一章 結びの頌栄
小学生の時点で「自分はクラスの主役にはなれない」と悟り、同じような空気感の陰キャ同士で固まり始める。
別に勉強に打ち込む情熱もなく、成績は常に「中の下」から「中の中」を彷徨う。
最後に女子とまともに会話したのは、おそらく小学生の時の給食当番か何かの義務的なやり取り。
中高に上がる頃には、女子と普通に喋れる奴に対して種族としての壁を感じ始める。
サークル勧誘の喧騒を横目に、全てのノリが無理過ぎて面倒でスルーする。
学問への興味なんてあるわけもなく、「卒業できればいい」という義務感だけでゼミに出席する。
二十歳になり酒を口にするが、高くて不味いため二度と飲まないことを決意する。一生コーラとサイゼとマックでいいと確信する。
居酒屋で騒ぎ、高い服を着てロゴに金を払い、旅行に散財する同級生を心の底から馬鹿だと感じる。
職場では雑談を殆どせず、事務的な受け答えのみに終始する。仕事の会話って定型文で済むから楽だ。
大学時代の友人とは、意味のない淫夢ネタのLINEをたまに共有するだけ。実際に会うことはもう殆どない。
気づけば社会人10年目。生活習慣は1年目と1ミリも変わらず、新しい出会いも、劇的な変化もない。
いつごろからだったか。いや、正確には覚えていない。覚えていないのだが、どうもある日を境に、「ふん・ふん・ふん・ふん」という若い女性の相槌に、妙に心がざわつくようになった。
オンライン会議の、あの頼りないスピーカーの向こうから、かすかに聞こえてくるやつだ。主役ではない。あくまで脇役。
だが、妙に気になる。気になるどころか、場合によっては、うっかりしていると、そちらが主役になってしまう。
相槌に色気を感じる、というのは、これはまあ、冷静に考えれば、なかなかどうして、けっこうなヘンタイである。
しかし、ここで「これはおかしい」と強く意識してしまうと、どうも逆効果らしい。
かゆいところを掻くと、かえってかゆくなる、あの感じだ。
なので俺はいま、この症状については、あえて深追いせず、静かに経過観察をしている。
……いや、待てよ、と、ここで思う。
俺はどうも「ふん・ふん・ふん・ふん」という一点に、過度に執着しているのではないか。
少し距離を置いて、何に反応し、何に反応しないのかを、冷静に見比べてみる必要があるのではないか。
そう考えたとたん、世の中には——いや、正確に言えば俺の周辺には——実に不愉快な相槌というものが、いくらでも存在することに気づく。
筆頭は、あれだ。口をきゅっとへの字に結んだおっさんが放つ、「ウン!……ウン!! っでね!それはね!」である。
こちらが何か話そうとしているのに、途中から完全にハンドルを奪っていく、あの感じ。
まるでこちらが何もわかっていない人間であるかのように扱われる、あの居心地の悪さ。あれは、いけない。
女性の「あ~わかるわかる、それってアレじゃな~い?」というのもあるが、これはまあ、アレの中身次第である。
場合によっては許せるし、場合によってはやはりモヤっとする。しかし、あの「ウン!!」ほどの破壊力はない。
同じ「相槌」でありながら、この差は何なのか。
ここを突き詰めれば、「ふん・ふん・ふん・ふん」の正体に迫れるのではないか、と、俺は一瞬、学者のような気分になってきた!
・・なってはきたのだが、しばらく考えた結果、「結局、あのオヤジが気に入らないだけではないか」という、きわめて身もふたもない結論にたどり着いてしまい、研究は頓挫した。
いっこうに悟りを開けないので、思い切って発想を変えてみることにした。
不快なものから快の本質を探るのは無理がある。ウンコからカレーの本質を導こうとするようなものである。これは空しい。
むしろ、似た性質の「良いもの同士」を重ね合わせたほうがよいのではないか。ワインと料理のマリアージュのように、互いを引き立てあう関係を探るのである。
そうして思い出したのが、「うん……わかった……」という、低いトーンの相槌である。電話越しに聞こえてくる、あれだ。どこか夕暮れの匂いがする。羊が、犬に追われるでもなく、ただなんとなく帰っていくような、あの感じ。生活の哀愁、とでもいうのか。
なぜこれが、よりによって、エロいのか。自分でもまったく説明がつかない。俺の頭は、いったいどこでショートしているのか。
では、「ふん・ふん・ふん・ふん」と「うん……わかった……」の共通点は何か。
考えてみると、どうもどちらも、「こちらが主導権を握っている場面」で発生している気がする。
こちらが話している。こちらが流れを作っている。そのなかで返ってくる、適度に従順で、しかし完全には崩れていない応答。
「うん……わかった……」が、牧舎に帰る羊だとすれば、「ふん・ふん・ふん・ふん」は、騎手の合図に応じてリズムを刻む馬である。
そう考えると、「ウン!!」の不快さも腑に落ちる。あれは、こちらのターンであるはずなのに、いきなり相手に手綱を奪われるから腹が立つのだ。
……なるほど。
謎は、たしかに、少しだけ解けた気がする。
ここに、どうにもならない壁がある。煩悩というのは、理解したからといって消えるものではないらしい。
悟りを開いたようだね
研究室の空気は、日を追うごとに密度を増し、吸い込むだけで肺の奥が重くなるような錯覚を覚えさせていた。そんな折、G子の元に石田教授から一通の簡潔なメールが届く。
『H男くんと同席で、今後の共同研究についてミーティングを行いたい。11時に教授室へ』
G子はその画面を見つめたまま、微かに唇を噛んだ。
彼女の瞳には、すでにA子や壊れていったB子が抱いていたものと同じ、光のない虚無が宿り始めている。
定刻、H男と共に教授室を訪れると、石田はいつものように深く椅子に腰掛け、二人を温厚な微笑で迎えた。ミーティング自体は滞りなく進んだが、G子は終始うつむき、H男が活発に意見を出す傍らで、機械的にメモを取るだけだった。
数時間後、解散したばかりの二人の元に、石田から一通のメールが届く。宛先はH男、そしてCCにはG子の名が入っていた。
件名:極地での指針について
H男くん、先ほどの議論の補足だが、ふと思い出した「謎かけ」を一つ。
『極地方において、磁気嵐や吹雪で方角を完全に見失った時、探検家はどうやって進むべき道を見つけると思うかね?』
H男はスマホの画面をスクロールし、首を捻った。最近急にG子の化粧が濃くなったけれど、何かこのことと関係あるのかしらん。彼は極めて真面目で研究熱心だが、石田のこうした「哲学的な余談」に隠された真意を読み解くほど、海千山千の男ではない。彼はすぐに返信を打った。
彼には少しの茶目っ気があるのだ。
『正解は「氷の空(アイス・ブリンク)」と「水の空(ウォーター・スカイ)」を見分けることだ。
氷に覆われた大地の上空は白く光り輝くが、海面の上は氷がないため、太陽光の反射率が極端に低くなる。その結果、遠くの空に「暗い影」が映し出される。それを目印に海、つまり開けた場所を探すのだ。
……もっとも、これは私が物の本で読んだだけの知識だがね。我々の研究も、このようなものだ』
H男はそのメールを読み終え、
「なるほど、流石は先生だ。Wikipediaを編集するだけのことはある」
と感心したように独り言を漏らすふりをした。彼は、石田が自分に「進むべき道を見失うな」という教育的なメタファーを与えてくれたのだと、好意的に解釈した。性質のまっすぐな、根が良い男なのだ。
しかし、CCでその文面を受け取っていたG子の指は、激しく震えていた。
H男は知る由もなかった。
このメールが届く数日前、すでにG子は石田の「餌食」となっていた。閉ざされた教授室で、逃げ場のない言葉の暴力と、拒絶すればキャリアが死ぬという無言の圧力。彼女にとって、石田が語る「暗く見える海面」とは、希望の光などではない。
それは、真っ白な偽善(アイス・ブリンク)に覆われたこの研究室の中で、唯一、自分が引きずり込まれた「底なしの暗渠」そのものを指していた。
「物の本で読んだだけ」という石田の免罪符のような一言。それは、G子の身に起きている凄惨な現実を、あたかも「どこか遠い世界で起きている客観的な事象」として処理し、責任を回避する石田の不気味なシグナリズムだった。
H男が「勉強になりました」と能天気に返信を打っているその裏で、G子は確信していた。
石田は今、H男という「何も知らない第三者」を証人として介在させることで、自分とG子の間に横たわる歪な関係を、より強固な、誰にも暴けない密室へと変貌させたのだ。
白く輝く氷原の向こうに、暗く濁った空が見える。
仏教って、修行して、煩悩を捨てて、悟り開いて、輪廻から脱出するのが目的なんでしょ?
じゃあそれを成し遂げた人っているの?
まあ、ブッダは悟ったんでしょ?
流石にさ
じゃあ他に誰がいるの?
特にさ、「今生きてる人」で悟りを開いて解脱した人って、いるの?
いないと思うんだけど
見たことないし
その人、煩悩を断ち切ってるんでしょ?
そんな人いないと思うんだけどな〜
「悟りに近づいた」とかじゃないよ?
そんなの、半人前じゃん
「ちゃんと悟った人」って、いないよね?
何が言いたいかって言うと、
悟りを開いた人がほぼいないのに、
2500年も前からあるのに、
現代の80億人の中に一人も完全に悟りを開いた人がいないんだよ?
「違う、求め続けることが大切だ」とか言っちゃうのかな〜
いや〜、それより「人は悟れない」ってことなんじゃないの?
そろそろ認めようよ
投稿者:ヌードル亭麺吉(2月22日 19時01分・第4部終了直後)
わたくしことヌードル亭麺吉は、本日乃木坂46の握手会に参戦したのであります。
まずは第3部。
堀殿は一瞬だけ視線を上げ、
「……ありがとうございます」
と、ヒマラヤ岩塩のように硬質で純度の高い塩対応をくださったのであります。
その瞬間、
わたくしの体内ナトリウム濃度は爆発的に上昇。
例えるならば“筒井からめ”という未知の領域へ突入したのであります。
塩対応とは、
わたくしは悟りました。
胸の奥がしょっぱくなり、
喉が渇き、
わたくしは「これはラーメン屋直行案件であります」と覚悟したその時――
第4部。
そこで対応してくださったのは、
わたくしが震える声で
「さっき堀殿に会ってきました……」
と申し上げたところ、
真夏殿はふわりと微笑み、
と、
柔らかい声色のまま、後味だけピリッと効かせた“まなったん流スパイス”を振ってくださったのであります。
わたくしが「ちょっとしょっぱくなってしまって……」と続けると、
わたくしの手をそっと包み込みながら、
声のトーンを半分落として、
「ほら、堀ちゃんの塩でしょっぱくなってるでしょ?
……私が甘くしてあげるね」
と、
その瞬間、
わたくしの体内塩分は整えられ、
ありがとう堀殿。
あなた方のおかげで、
性欲といふもの、若き日には空気のごとく身にまとひて、あらゆる景色に薄くかかれる霞のやうに思ひしを、ある日ふと、医師の処方せる薬を飲みてより、忽然とかき消えたりけることあり。
それまでは、街を歩けば、すれちがふ人の姿形を、知らず知らず品定めする目つき、
広告に映る肌色の多き写真を、わざと見ぬふりしつつ、心のどこかで気にかける心地、
仕事帰りの黄昏に、ふとスマホを取り出しては、いかがはしき画像の誘惑と、己が節度とのあはひに揺れ動く愚かしさ。
これらみな、「しかたなき人の性」と言へば聞こえはよし、実のところは、終日、犬に引かれたる散歩のごとく、性欲という綱を首にかけられ、あちらこちらと連れまはされてゐるに過ぎざりき。
ところが、ある持病にて、薬を替へられたる後のことである。
一週、二週と過ぎるうち、ふと気づけば、あの始終ざわめき立ちゐたりし胸の奥のざはざはといふもの、いつのまにやら声を潜め、
気の多き猿のやうに騒ぎ回ってゐた心の一隅が、しんと静まり返りたり。
初めは、それと気づかず。
ただ、あの手の広告を見ても、何とも思はぬ。
駅のホームにて、薄着の若き人の姿を見ても、「寒からう」とは思へど、「好まし」「近う寄らばや」といふ類の思ひ、起こらず。
夜、ひとり布団にもぐりても、手持ち無沙汰ではありながら、さりとて、昔のやうに強き衝動に突き動かされることもなし。
かくて、ある夜ふと、「あれ、そういへば」と思ひ当たりて、
その日より、世界の色合ひ、少しずつ変はりたり。
まず、街の景色。
往時は、すれ違ふ人を見れば、「美し」「さうでもなし」と、心中にて採点する癖やありしが、
その癖の、すっぽり抜け落ちたることに気づく。
人を見れば、ただ「赤きコートの人」「重たげな鞄を持つ人」といふばかりにて、「女」「男」と分かつ眼鏡が曇りたり。
かくなると、人混みは、求むべき狩場ならで、ただの群衆となり、
通勤路は、獲物を探す狩人の道ならずして、単なる行き帰りの道となる。
コンビニに入れば、雑誌コーナーの袋とじは、もはや私の敵にも味方にもあらず。
「ここに売り場面積を割くとは、商魂たくまし」と、商いの算盤を勘定するばかり。
あられもなき格好の表紙を見ても、「よくもここまで照明を工夫したものよ」と、写真としての構図に興味は行けども、
胸の内がかっと熱くなることはない。
かくのごとく、「性」のフィルタの外れし世界は、思ひのほか、平板にして、また澄みたり。
一つの欲の音量を絞れば、他の響きの、小さくして精妙なるもの、耳に届きやすくなるらし。
水のきらめき、冬の日の光に細かに砕けて、銀の粉を撒き散らせるがごとし。
「昔より、こんなに綺麗であったか」と、我ながら驚く。
ふと顔を上げれば、雲の切れ間よりすじを引いて射し込む光、
昼休み、いつもはスマホにて、安手な刺激を求めてスクロールし続けし時間も、
ふと、画面を伏せて、同僚の声を聞くに至る。
以前なら耳を素通りしてゐた、わずかな寂しさ、疲れの色が見え出づ。
性欲といふ、大きな渦のふき音が静まれば、
他人のささやかな心の揺れが、かえってよく聞き分けらるるものと知る。
かやうに記せば、「性欲なき境地こそ、さながら悟り」と思ふ人もあらむ。
されど、実のところは、かならずしも、さう楽観すべきにもあらず。
夜更け、部屋の灯りを落とし、布団に横たはれば、
それはそれで、「まだ生きてゐる」といふ手触りを、肉体から受け取ってゐたものなり。
今は、そのざわめきもなく、
掌を見つめれば、ただ血の通ふ器官としての手があるばかり。
「人は、何ゆゑに生きるや」といふ問いなど、
いささか、切実の度合ひを増す。
人の生は、さて、何を目的として続けらるべきや。
友と語れば笑ひも出づ。
それでも、「ただ、それらをしてゐる」以上の必然を感じ難い時がある。
かつては、欲望の火が、「とにかく前へ」と背を押してゐたものを、
今は、誰に押されるでもなく、惰性に任せて転がってゐる石のやうな気分も湧く。
性欲といへば、しばしば人を惑はし、身を滅ぼすものとして、
然れど、一切あらざれば、これはこれで、
味気なき飯のごとく、腹は満ちても、心のどこか、ひもじきを覚ゆ。
むかし兼好が、「あやしき家に生まれたる人の、身の程をわきまへず」など書きて人の愚かしさを面白がりしが、
今の我が身をふり返れば、「欲もまた、愚かさの一部にて、人を人たらしめる調味料なりけり」と、
少しばかり同情的に見直したくなる。
さればといって、薬を捨てて、元のざわざわに戻る勇もなし。
静かな湖面に、わざわざ石を投げ込むがごとき所業、年老いてからは、なかなかし難い。
それを考へることこそ、今の私に残された、新たな遊びともいへむか。
「欲に振り回されてゐた頃の眼は、もう少しぎらついてゐたか」と思ひ、
今は今で、少しく寂しげな、しかし、どこかあきらめを含んだ笑みを浮かべてゐる。
「人の一生、欲多きもまた可笑しく、
欲の減りゆくもまた、哀れにして、どこかをかし。」
かく思ひ直して、今日も薬を飲む。
その錠剤ひとつが、性欲の火だけでなく、
――などと書きつゝ、ふと気づけば、
文章に向かふこの執着も、別のかたちの「欲」に違ひなかりけりと、
ひとり苦笑するのであった。
されど、四人の士は、この濁流に身を委ねず、
それぞれの道を選びしこと、
いと哀れにして、尊くもありけり。
まことに孤影の剣の如し。
今はただ野に在りて、
再起の微かな灯火を、静かに守るのみ。
風にそよぐ一本の葦の如く、
支持者の心を掴めず、
栄華の外に立ちて、
今は議席なき身となり、
野に在りて、かすかな連携の糸を手繰るのみ。
これを対比せば、
嵐の前に身を引く隠者の如し。
引退の道を選び、
合流の濁流を避け、
変節の嵐を避け、筋を通せども、
今はただ野に在りて、
講演の灯火や民間の道を、
淡く、静かに歩むのみ。
嗚呼、
四人の士の生き様、変節を拒み筋を通せども、
まさに驕慢なる潮流の外に立ちしが故なり。
これを聞くに、
人の世の無常とは、
かくも嘲笑に満ち、
かくも哀れに、
真如苑(しんにょえん)に関する「ステルスカルト」や関連する批判・評判について、検索結果に基づく情報は以下の通りです。
真如苑は、1936年に伊藤真乗によって開かれた真言宗系の仏教教団です。最大の特徴は「接心修行(せっしんしゅぎょう)」と呼ばれる、霊能者と一対一で対座する修行にあります。
「カルト」的な側面が指摘される背景には、以下のような特徴や過去の出来事があります。
開祖逮捕の過去: 1950年、修行を名目にした体罰により、開祖・伊藤真乗が傷害罪で逮捕(1952年に一審で実刑判決)された経緯があります。
強烈な勧誘(接心): 霊能者による接心修行は「他人を、また自己を悟りの境地に導く力」とされていますが、この修行を軸とした勧誘や、女性信者をターゲットにした独自の布教モデルが注目されています。
財政的な問題: 年間収入は推定450億円規模とされています。
関連企業への出資: 立飛企業(元開祖の会社)などへの出資など、一般企業とのつながりも指摘されています。
日常生活の重視: 日常生活そのものが修行の場であり、生活環境やライフスタイルを変える必要はないと説明しています。
退会は自由: 公式サイト等で「退会の意思があれば退会できる」と案内しており、所定の手続きで退会(脱会)可能としています。
「ステルスカルト」とは、正体を隠して勧誘したり、一般的な文化活動・ボランティアを装って接点を持ったりする宗教組織への批判的呼称です。真如苑は、全国に寺院を持ち、メディアなどで積極的に情報発信をしており、表面的には「伝統的な仏教」を掲げています。
しかし、その実態が「霊能者」による独自の修行や、組織的な勧誘活動に基づいている点、また、その実態が内部に入らないと見えにくい点から、そのような批判的な意見が存在する一因となっています。
同じようなバンドが好きで、相手からイイねが来たのもあり、マッチングした後はすんなり飲み会で親睦を深めた。
どちらも酒好きでアイコスユーザー。こんな気を遣わない相手は居ないし、お話も非常に合う。というか向こうが凄まじく話してくるので自分は聞いているだけで非常に有り難かった。酔っ払うと黙り始める自分に対して、饒舌になる彼女はバランスが良いのだろう。
2回目のデートで「家行こう」と今までにない大胆な行動をしてみた結果、余裕で断られ少し傷心するもその後行った2軒目のあとに先方から「付き合っちゃう?」とメンソールのアイコスを吸いながら言われた暁には、ノリで「イイよ」と答えて正式に付き合うこととなった。これが去年の年末である。
こっから完全に本音になってしまうが、見た目に関しても完全におばちゃんなので全く心ときめく瞬間が1ミリもなかった。ここ10年ぐらい全く恋愛もしてないし、人を好きになるという感情を喪失してしまった自分の中においてもとびきりに心ときめかない世話焼きおばちゃんと言った感覚である。特に年相応の魅力を感じるわけでもなく、向こうが積極的に誘ってくるからそれを断るのも申し訳なく、ある種仕事的に呼応しているだけである。でも、今までだったらそれすらフェードアウトしてるようなメンタリティだったけど、流石にこの歳まで子供じみた行動をとるのはマズいと思い、本心は別にして社会経験だと思い付き合ってみるようにしてみた。
年末はお互い実家帰るということで離れ離れになったが、定期的なLINEといのは欠かさなかった。正直LINEという行為が全く楽しくない自分としては苦痛でしかなかったが、そんな自己中な思想のままではよくないと前述したように人間成長の機会だと思い続けていった。正直他の女性とも出会ってみたいというよくない思想にもなっていたが、不思議と彼女以降マッチングしたり返答が返ってくることも無かった。
年明けには映画を観に行った。かなり遅い時間の映画だし、明日から労働が始まるということもあり、サクッと飲んでからじっくりと映画鑑賞し、お友達のように解散した。正直映画もそんなに面白く無かったが、向こうがかなり絶賛していたので、そんな態度はよくないと思い話を合わせて「よかったね〜」みたいな感想を返していたと思う。
とにかく今回の出会いは自分を変えるというテーマ性を持ちつつも、全く乗り気でないまま正月明けを過ごす。パートナーがいるという事実で何かメンタリティに変化があると思ったが、本心からでもないので全く何も感覚が変化しなかったのはびっくりした。しかも会社でも「マチアプ最近どうなん?」と聞かれても、「飲みに行く人はいるけど全然ダメですね〜」みたいな態度をとってしまう事態であり、自分がこの女性と付き合っている事実すら公表したくないという本当に極悪な本音を抱いたままな日常であった。
とはいえ一回ぐらいヤってから気持ち変わるのなかなみたいな邪な男過ぎる思想を抱えていた自分もいたので、そのまま普通に過ごし、今週の三連休で再び飯を食い、再度家に誘うとすんなりと彼女はやってきた。
コンビニでチューハイとコンドームを仕込み、そのまま家に流れ込んだ後は自然と男女の営みが始まることとなった。
素人童貞喪失の瞬間がやってきたが全くワクワクしなかった。ここ最近露骨に性欲に支配されていなかった自分としてはやはり、好きになるという事実が足りていなかったのだろう。行為自体も忙しかったり、童貞故に向こうが何を求めているのかわからなかったり非常に労働に近い感覚で冷静に行っていたように思う。「セックスってこんなに気持ちよくないしおもんないのか?」という冷静な思想に支配されていた。
諸々をこなし無事に戦いを終えたが、賢者モードの虚無感も手伝って、セックスに対して幻想など一気に消え失せ、女性に対する感覚も恐ろしいほど変化してしまった。元々、素人童貞故に女性にかなり恐ろしさや幻想的魅力を感じていたが、一旦身体を知ってしまうと「こんなものか」と一気に冷めてしまっている自分がいる。多分パートナーを得て付き合ったりすることに対する積極性はこっから伸びることもないだろう。というか人と関わり合って生きていくみたいな一般的な現象自体が向いてないと悟り過ぎてしまって非常に悲しくなった。
童貞喪失という経験についてはある程度の男の自信的な部分で満たされたが、かといって性行為にたいする「これが人間としての快楽か!」みたいな脳汁体験もなかった。マジで一般人向いてないのだろなと自覚しまくった正月明けの夜である。
凄い最低なことを言いまくっている感じだが、これが童貞喪失してヤリ終わったあとの素直な感覚である。俺は人間として確実に何かを喪失している。このまま人生どうなってしまうのだろう。
人間は自分自身に意味付けするけど、宇宙レベルで考えると、人間の存在に意味はないんだよね…
そこに意味はない
単にそれが起こってるだけ
石ころが転がるのと全く変わらない
それを知った時、神の存在を制定して、世界に意味付けする人の気持ちが分かったよ
神がいたら意味付けはされるもんなー
でも、神はいないんだよなぁ、おそらくね
単にポッと宇宙ができて、ビッグバンが起きて、星が生まれて、地球ができて、生命が生まれただけなんだよね
意識とか自由意志があるように見えるだけで、単なる脳を主体とした反応なんだよね
ただ事実として、そうなんだなって理解しておいた方がいいってこと
あるわけない
だって魂もないし、単なる物理化学的な反応をする物体なんだから、人間って
AIと変わらないんだよ
「意識はある、自由意志がある、主体性がある」と「思い込んでる」だけなんだよね
雨や風と一緒
もちろん、こんなこと考えながら日常生活は生きていけない
ここで日本人は仏教の話を持ってきがちなんだけど、仏教はどうでもいいから
仏教はビッグバンとか、生命の誕生とか、そこらへんの現代的な研究に裏打ちされた事実を踏まえて語ってないから、時代遅れなんだよね
科学的根拠がないんだ
悟りとか執着をやめるとか修業とか座禅とか輪廻から解放されるとか、マジでどうでもいいから
そうではなくて、単に事実を把握したいだけなんで、仏教は一切いらないんだよね
仏教とかではなくて、単にそういうことだと知っているのは、意味付けの幻想の中で生きるだけよりは、事実に沿って存在することになるから、見誤ることが減ると思うんだよな
分析したり判断するときに、虚構に基づいて判断しても失敗するからさ
なんかそんなことを考えた