はてなキーワード: ルサンチマンとは
社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的・因果推論的に厳密にデータと解釈を分離し、反証可能性を担保する科学的手法です。
もう一方は、自分のイデオロギー・ナラティブ(構造的抑圧、弱者発見、権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。
統計・大規模調査・因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係と因果関係を明確に区別。
データ事実(Results)と研究者の解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータも提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。
「社会科学」の看板を借りて、自分のイデオロギー・ナラティブ(物語)を広める人。データはあくまで「自分のストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果にすり替え、解釈をデータに混ぜ込む。文学的・運動的アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。
自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。
相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。
結果セクションですでに文学的なナラティブ(「これは権力の証左」)が入っていないか。
質的研究・批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文の引用が少ない。
批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データで再検証を提案するか。
X・メディアで構造批判・弱者発見・PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。
論文・発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます。
ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した
を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択的物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶる小道具」として機能し、矛盾データは無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます。
• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー・参与観察・理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。
• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーがエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。
• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこのイメージが強まる(古市批判の核心)。
「弱者が弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」 → 努力や個人の責任を「環境・構造のせい」に還元し、永遠の被害者像を描く。
例:東大入学式祝辞のような「恵まれた環境のおかげ」強調。データ(合格率差)を使っても、逆差別や努力差はスルー。
「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」 → 格差・ジェンダー・移民問題を「システムのせい」に帰結。解決策より批判が優先。
例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。
「日本人は多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」 → 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造的加害者」に位置づけ。
例:日本社会の「単一民族神話」批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ。
「異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重が正義」 → ポリティカルコレクトネスを「進歩の物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。 例:女子枠反対を「弱者男性のワガママ・ミソジニー」とレッテル貼り。
「政府・権力の干渉が学問の自由を脅かす」「新政権のツッコミどころ」 → 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。
「相手は差別者・歴史修正主義者・ミソジニー」 → 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃的ナラティブ。 ラベリング理論を武器化。
結果、社会学は「文学の亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります。
代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)
代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子枠反対論に対するnote引用・投稿)
代表的発言:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年、立憲民主党集会での高市早苗氏批判)
代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談・社会病理関連発言)
代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」(2020年、学術会議任命拒否問題時) → 権威主義・体制批判。
ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会の構造・歴史ナラティブ批判。
「学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミーの自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿) → 学問の自由危機ナラティブ。
大規模調査データで家族・格差を統計分析。因果推論を意識した学術告知中心。
X・メディア・学術会議・ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブは感情に訴えやすく拡散されやすい一方、実証派は論文・データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやすい構造になっています。社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。
Xやメディアで目立つ文学的・批判理論寄りの事例をピックアップ。統計・因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすいパターンを示します。
「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」 「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」 (全文は東大公式HP掲載。医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれた環境のおかげ」と諭す内容)
「家事は不払い労働」「愛の行為だからお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。 (1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)
努力や個人の責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計(医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造的女性抑圧」一色で、男性の努力や逆差別(例:理3類の微妙な数字)はスルー。家事「不払い労働」論も、男性の家事・育児負担増やDV被害男性のデータは無視しがちでダブスタ。ポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向。
高市早苗氏について:「安倍さんが女装して現れた」「言っていることは安倍さんそのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」 (会場爆笑。TBS「サンデーモーニング」出演者としても知られる)
通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵のイデオロギーを「女装」喩えで攻撃。フェミニストの権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型。古市批判の「文学的」路線を超えた、感情的・属性依存のイデオロギー亡者ぶりが露呈。
「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニーとルサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」 (UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性のワガママ」と一蹴)
女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性のワガママ」と人格攻撃。教育社会学者としてデータ(格差統計)を使うはずが、相手の動機を悪意で決めつけ、議論を封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準。
「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権のツッコミどころだからというだけでしょう」 (菅政権批判の文脈で投稿。学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)
学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権)批判を「新政権のツッコミどころ」と一蹴。自分たちの権威を盾に、任命拒否自体を問題視しつつ「本当の危機は大学改革」とずらす。ポピュリズムを非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議の実質的影響力や再現性問題」をデータで検証するはずが、イデオロギー優先。
「ネット右翼の数はネット利用者の1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。 近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造を批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析。
日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズムを構造的に解体するが、自陣営(左派)の歴史解釈は絶対化。ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ(調査比率)を使うが、解釈は左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。
「援助交際を主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。
安倍銃撃事件で統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言。
初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会・安倍批判で「構造的問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ(非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合のイデオロギー優先。
ダブスタ・レッテル貼りが特に目立ち(田中・本田)、権威を盾にした体制批判(西田・上野)が学問の看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文で勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言の構造的問題を暴くしかない。
インセル、入ってる。67点。
ボケた祖父を介護しながら大型スーパーで働く主人公のジョナサン・メイジャースはIFBBプロを目指すボディビルダーの卵。怒りを制御できない彼はカウンセラーに通いながらもゴリゴリにステロイドを打ちジムに通うもジムにも職場にも彼の周りには誰もいない。そんな彼は白人のボディビルチャンプに心酔しており、彼に返事のないファンレターを書き募る日々を送っている。そんな彼の日常が些細なことがきっかけに崩れていく。
みたいな話。
なんかさー、つらい映画だったよなぁ。
ジョナサンは黒人でユーザーだけどちゃんと鍛えてて、でも大きくならなくて、ジム仲間もいないからポージングがへたくそで全然承認が得られなくてさぁ。黒人なのに黒人コミュニティにも所属してなくてなんなら白人のいい子ちゃんみたいな服装ばっかりしてる。シャツは襟付きだし、もこもこの手編み風のセーターを着てる。途中で、レストランでブチ切れて周囲の客全員をののしるシーンがあるんだけど「ハゲ!」「チビ!」「デブ!」「ブス!」っていう、子供の悪口みたいなことしか言えない。黒人らしいF〇uckとか一切言えないの。
一方で、バイト先のスーパーで客が買ったパイに唾たらしたり、仕事のやる気がなかったり、職場の気になるあの子のシフトを調べて通い詰めたり、人に好かれる方法をネットで調べたり、まるで非モテ増田のルサンチマンを煮詰めたような行動をどんどんお出ししてくる。また、祖父を馬鹿にされたと思ったらブチ切れてペンキ屋の店をバッキバキに破壊したりとマジでろくでもない奴でもある。
典型的なコミュ障でアスペ気味というか明らかに定型発達障害の傾向も見えるし、そんな中でヤングケアラーとして今の社会に呪詛を吐き続ける従軍経験のある祖父をリスペクトしながらも面倒を見続け、さらにはステロイドの副作用で身体はボロボロだし精神はロイドレイジを発症しているという生きづらさ三倍満。そしてキモ・ヲタらしく推しビルダーへのファンレターにも「なんで連絡くれないの?」「これ届いてる?埋もれちゃった?」とか書いちゃうのもさぁ、なんかつらいよね~。ジャパニーズ・キモ・ヲタが部屋中にアニメポスターを張るように彼は部屋中にボディビルダーのポスターを張っている。
せめて鍛えた筋肉で人気者になりたいとSNSに動画を上げるも、散々バカにされインセル臭がすごいとまで言われちゃう。
でもそんな中で職場の気になる女の子を頑張ってデートに誘ってオッケーをもらってしまう。非モテ増田ブチ切れ。裏切者。しかし、そのデート先でボディビルダー特有のコダワリを発揮して店員を困らせ、バカみたいな量を注文し、推しビルダーを知らないと言われると説教までしてしまった結果、彼女には逃げられてしまう。
ここでさぁ、彼が「男に生まれたからにはデカいことを成さないといけない。じゃないと忘れられてしまう」って話をするんだけどさぁ。思うんだよね、目の前にお前を見てくれている女性がいて、この女性を本当に大事出来たら世界のだれもお前を覚えてなくても、彼女はきっとお前のことを忘れない。それこそが生まれてきて人がなすべき本当のデカいことなんじゃないかって。
実際、最後の最後の最悪の瞬間にこれまで話の中でちょろっとしか出てこなかった母親が主人公を愛していた瞬間のことがフラッシュバックで表れて彼は最悪の選択を避けることができる。つまりあの瞬間、彼の母親は「忘れられてしまわない」ってことで、何より「デカいことを成した」んだよね。そしてそれをたぶん彼は自覚してステロイドを捨てて、自分自身を承認するために再び自分の身体に向き合うことを決める。
このエンディングを甘いと思う人もいると思うんだけど、俺はめちゃくちゃ誠実だと思った。
もろちん、彼が引き金を引いてレガシーを残してあのバカみたいな笑顔を浮かべてエンドでもよかったかもしれないけど、それじゃあジョーカーじゃん。
彼は審査員を銃で脅していて、ステの副作用で心筋は肥大しいつ止まってもおかしくなくて、腎臓にもクソデカ腫瘍ができていてはっきり言って未来なんかなんもないんだけど、なんもないんだけど最後に心の平穏を得られたのはよかったかな。
話は戻って彼が黒人コミュニティに属せない人だってのもなんか切なくて、彼が狙ってるかわいこちゃんは当然白人だし、ボディビルヒーローって現代で言えばロニコーとかも含めて黒人はいっぱいいるんだけど、彼は白人ビルダーを推しに選んでいる。自業自得でコンテストで失敗した彼は(ここの展開あまりにセッション過ぎて笑っちゃった)、筋肉はあきらめ筋肉の代わりに男性性として銃を手に入れる。そしてクラブに行ってすわ乱射事件かと思ったら、そこでボディビルのポージングをとるんだよね。黒人ばっかりのクラブの中で彼らのダンスのノリにも結局迎合できず、孤独にポージングをとる。
黒人娼婦を買って彼女の前で服を脱いで筋肉の評価をしてもらう展開があって、いやこれ自体もゲロキショなんだけどそこで全肯定されてついに自分を受け入れてくれる人に出会えたと勝手に勘違いしてキスしようとしたらぴしゃりと拒絶される展開もあまりに哀しくてねぇ。キショいんだけど。そして童貞喪失失敗した後に推しビルダーから連絡が来てウキウキでついていったらケツ掘られて、しっかり性的搾取までされてしまうのはさすがにちょっと草だった。けど、ボディビルというマッチョイズムの頂点にいる人間も結局醜い搾取者だったという主人公の美しい信仰を最悪の形でぶち壊してるんだよね。
なんていうかアメリカ的なマチズモの中だからこそ生きづらい人なんだろうなって思った。
彼のコミュニティからの断絶って最小単位のコミュニティである家族ってものが、父親の心中によって幼少期に壊されたことに端を発していて、以降、彼は祖父の介護という形で自身を常にギブし祖父からのテイクは従軍時代の男とはという価値観だった。そしてその男性性を保つために彼はボディメイクを始めたんだと思うんだよな。そしてそれを最悪な行為によって失った結果、彼はすべてをかなぐり捨てて無敵の人になるんだけどそれでも最後に、母親から愛されていたことを思い出して踏みとどまる。この映画っていろんな生きづらさを描きながらもコミュニティに承認されることの映画だったのかなと思った。
まぁ、そんな感じかな。
正直ちょっとダラダラした展開もあるしボディビルダー的な話は中盤で終わっちゃってそこからはインセルと無敵の人の綱引き大会が始まるのでなんか思ってたんと違うなぁって感じがするかもしれない。でもまぁ、現代はMagazine Dreamで雑誌の表紙を飾ることで承認されたい、人に記憶に残りたいって話で、その承認欲求の行きつく先の一つに無敵の人化があるっていう話なんだろうなとは思ったかな。
自分の生活がそこそこ安定してきたので、他人を幸せにしたいなと思う心の余裕ができたのだが、親もいなけりゃパートナーもおらん、当然ながら子もおらんので、気持ちの行き場がない。こういう人が「推し活」に行くのかなー。でも『イン・ザ・メガチャーチ』をついこのあいだ読んだこともあり、そういう仕組みに乗っかるのはなんだか嫌だし、怖いな。
寄付とかボランティアとかすればいいのかな。でも素直な気持ちを言えば、素敵な異性を幸せにしたいんだよな。こういうとエロ目的と思われそうだけど、もう直接的な行為の欲求はほとんどない。好意を向けても、嫌がられない関係性があるだけでいい。キモいおっさんに優しくされても、好意を示されても喜んでくれる人に出会いたい。ストーカー殺人のニュースを見るたびに、ああなったら終わりだと思って、強く自分を戒めているけど、求める気持ちはわかる。必要とされたいよなー。誰かを喜ばせたいよなー。
我ながらわがままだと思うけど。
はー、せつない。
追記:
わ、増田での反応もブコメも伸びたなぁ。ありがとう。構ってもらえてうれしい。やたら攻撃的な反応にはちょっとびっくりはしたけど、そういう人は疲れてたり、やなことあったりするんだろうね。八つ当たりしてスッキリしたかな。いいことあるといいね。
幸い、仕事もあれば稼げてないわけでもなく、小説やマンガを読んだりアニメや映画を観たりも楽しいんだよね。友達もいなくはない。でもさ、友達はやっぱり、どこまで行っても友達どまりなんだよね。この感じって、わかってもらえるかしら。お互いに人生は別々にあるのよ。その距離はどうやっても縮まないよなーと。
もうちょっと、幸せや悲しみを分かち合えるような関係性がほしい、みたいな感じなのかなぁ。いろいろ言われたことを受け止めたりしつつ、考えてみるに。
美味しいごはんができても、食べるの自分だしさ。家を綺麗に掃除しても、うれしいのは自分だけなんだよな。そういうのが、ちょっと寂しいんだなー。いやはや。
こういう欲求を吸い上げる仕組みが、推し活、パパ活、ガールズバー、なんやかんやとあって、うまく活用できる人はいいんだろうけどね。ああいうの、自分はもちろん、仕掛けてる側もまわりまわって不幸になるものな気がしちゃうんだよな。上手く言えないけども。
>自分がモテなかったこと、異性に愛されなかったこと、家庭を築けなかったこと等の劣等感を抑圧するための無意識のルサンチマン。異性とヤリてえ!自分が幸せになりてえ!だろが?なぜ嘘つく?反論あるなら追記お願い
嘘をついたも何も、「他人を幸せにすることで自分が幸せになりたい」って欲求を素直に書いたつもりだったんだけどな。別に「無私で他人に尽くしたい」って最初から書いたつもりはないよ。それから「異性とヤリてえ!」って、もうそういう単純な欲求じゃないんだよね。それで済む話だったら、別に風俗にでも行けばいいんじゃないのかな。そうじゃないから困るんだよー、って話なのだ。その前の無意識のルサンチマンうんぬんに関しては、よ、よくわからない・・・。
「それ、価値ないよ」「うおw」「ガリ勉やん」というシニシズム全開の言動と、「それも大事かもだけど、それよりもっとやるべきことあるよね?」には天と地ほどの差がある。
前者は既存の価値の転倒を目論むことで自分を正当化するルサンチマンの言動、後者は単なるアドバイス。なーんで「それも大事だよね」と言えないのか俺には理解できない。
基本的には後者として解釈することにしてるけど、前者だとわかったときは本当にガッカリする。勝てないからとか、自分が努力できないからとか、そういう文脈で努力を否定するのってダサくないか?
あらかじめ言っておくけど、AI推進派の全員がそうだって言いたいわけじゃないよ。純粋に法的な解釈やテクノロジーの未来について語ってる法の専門家やエンジニアみたいな層もいるし、単にネットでレスバしてマウントを取りたいだけの暇人もいる。
でもさ、X(旧Twitter)とか見てると、明らかに「クリエイター(絵師)という存在そのもの」に対する鬱屈としたコンプレックスをこじらせてるAI推進(というか反・反AI?)のアカウントって結構いるじゃん。
そういう奴に限って、プロフィールには「絵とか創作を適当にやってます」みたいな予防線を張ってるんだよね。自分も創作者の端くれです、みたいなスタンス。でも、肝心の自分の作品は全然上げてないの。毎日やってることと言えば、反AI派の絵師の引用RPをして、相手の矛盾や偽善をチクチクつついて回るだけ。
「BLは女性向けポルノなのに擁護して、男性向けの表現規制には加担するのか、ダブスタだ」
こういうことを、いっつも論理的で冷徹なフリをして長文で語ってるアレね。
あれ、ぶっちゃけ「AI技術の発展」とか「表現の自由を守りたい」から戦ってるんじゃないんだよね。単に、界隈でチヤホヤされてる「絵師様」たちの特権意識や、クリエイターとしてのプライドが鼻について仕方なくて、それを叩き潰すための棍棒としてAI論争を使ってるだけなんだわ。
彼らの根底にあるのって、異常なまでの「クリエイターへの憎悪」なんだよ。
だからそういう奴って、AI論争だけじゃなくて、クリエイターが福祉やセーフティネットに頼ることにも異常に噛み付く。「売れるまで生活保護をもらいながら配信や創作活動をするのはモラルハザードだ」「夢を追うなら人生賭けたギャンブルなんだから自己責任でリスクを負え」とか言って、ガチギレするわけ。
これって結局、何だと思う?
自分は日陰でやってるのに、ちょっと絵が描けたり配信ができたりする連中が、アイデンティティを盾にして被害者ヅラしたり、制度の隙間をついて甘えた環境で創作を続けようとするのが許せないの。「俺はこんなに我慢してるのに、あいつらずるい!」っていう、相対的なフラストレーションの裏返し。
「論理的で公平な表現の自由戦士」を気取って、他人のダブスタや偽善を論破してるつもりなんだろうけどさ。隙あらば界隈のヒエラルキーを呪って、特別な才能やポジションを持ってる(ように見える)連中を引きずり下ろそうとしてるその姿、マジでコンプレックス丸出しで痛々しいよ。
他人の粗探しして一日中お気持ち表明のレスバしてる暇があるなら、お前も創作をアップして、素直に承認欲求満たせばいいじゃんって思うわ。
ニュージーランドという国は南半球の最果てにあるような国であり、日本では未だに「人工よりも羊が多い国」としか認識されていないが、それなりに近代化を果たした国でもある。
かつて原宿にあったクッキータイムスの店舗ではクッキーを売っていたが、現地ではレジの脇で二束三文で売られているひたすらに脂っこいお菓子であり、クッキーなのに噛むと「ジュワッ」とした食感が消化器系を着実に殺しにかかってくる。
さて、ニュージーランドは一体誰の国だろうか、マオリの国だとうか、英国系移民の国だろうか、マルチカルチャであるがゆえに「特に誰か特定の民族の国ではない」だろうか、近年では凄まじ勢いでインド人の国になりつつある。
ワイタンギ条約というマオリ族とイギリスが締結した条約によってニュージーランドは英国目線では英国の植民地となり、マオリ目線では英国の保護のもとマオリの国を保ったと認識している。
これはワイタンギ条約における人類史上最悪の誤訳の一つに数えられる誤訳が英語版とマオリ語版の間にあるからだ。
マオリ語版では「英国王室の保護のもとニュージーランドはマオリの国として維持される」となっており、英語版では「ニュージーランドは英国の植民地でありマオリ族には英国の市民権が与えられる」となっている。
この誤訳は長い間放置されており、問題が完全に民族間のルサンチマンに入れ墨のように入り込んでおり、地域によってはマオリ族による強盗があとを立たない。これは「我々の国に勝手に外国人が来てものをおいているんだからこれは我々のものである」という理屈を振りかざしているから彼らには良心の呵責などは一切ない。
つまり所マオリ族の認識ではニュージーランドはマオリ族のものでありそれ以外は出ていくべきだという人も少なくないし、彼らはそういった論理で度々デモをしている。
日本人にも有名な観光地であるロトルアでは完全に資本主義に屈服したマオリ族が観光客向けに様々なアクティビティを披露しているが、彼らの生活は安定しているが他のマオリからは白い目で見られている可能性もある。
こういった誤訳のあるワイタンギ条約においてもマオリ族の利権はかなり強力なレベルで維持されており、その一つ、ニュージーランドの土地はマオリ族と英国王室の間でのみ売買される、を根拠にマオリ族の許可なしには一切の開発を行うことができない。
ニュージーランドのオークランドが最大歳になっている理由は、ワイタンギ条約締結直後に正式に英国王室がマオリ族から土地を買収したために自由に開発を行えるからでしかない。
ちなみにこのときの売買価格があまりにも安くマオリ族も現地で王室から土地を買う英国商人も全く儲からないことから不満が爆発しマオリ戦争になった。マオリ戦争では末に英国がマオリ族に売りつけたマスケット銃をマオリ族は駆使したが、当時の英国の物量の前になすすべもなく一方的なマオリの敗北となった。
もう一つちなみにだが、マオリ族がマスケット銃を手に入れたことで部族間闘争も更に悲惨な状態になっていったという問題もある。
他にも林業や漁業はマオリ族の専有となっており、マオリ族が捕まえた魚しか店頭に並ぶことはない。そのせいでこの業種で競争が成立しておらず、マオリの最大権益となっている。
ニュージーランドの副首相であるデビッド・シーモアはこのワイタンギ条約に手を付けようとしたニュージーランドでは初の政治家と言っていいだろう。
私の中で悪名高いウィンストン・ピータースもワイタンギ条約自体は「単なる3つの文章が書かれた紙」と要しており価値は認めていないが、手を付けようとしたことはない。
デビッド・シーモアは連立の条件の一つにワイタンギ条約改正を掲げておりラクソンは受け入れざるを得なかった。ウィンストン・ピータースは「議論には出すが人々の良識にかける」とのっけから逃げ腰だった。
彼は「ワイタンギ条約はそもそもイギリスとマオリとの間の条約でありニュージーランドが批准する義務はないのだ」などとも言っており、本心ではワイタンギ条約の破棄、またはニュージーランドとしてワイタンギ条約に批准する責任はないことを法的に確認したいのだろうと言われているが、一番言っていることは「この国はマオリと英国移民だけではなく多数の移民がいる、そんなマルチカルチャのくにで各人がそれぞれ公平に扱われる条約が必要だ」だが、これを信じている国民はいないように見える。
そんなワイタンギ条約が締結された日を「ワイタンギ・デー」という名前で国の祝日にしているが、この日は政治家がワイタンギでスピーチをする。ワイタンギ条約のワイタンギはニュージーランドの地名だ。
その中でスピーチをしたのがデビッド・シーモアという最悪のキャスティングをした今の政府のセンスのなさはもう誰も止めようがないのかもしれないが、彼はスピーチの中で「ニュージーランドを植民地にしたことはマオリにとっても良かった」と言ってしまい、大炎上した。
彼がなぜこんなことを言ったのかはわからないが、マオリ族からしたら植民地になった覚えはないので大騒ぎとなってしまった。
ワイタンギ条約と言ってもわからない人のために軽く経緯を説明すると以下のようになる。
2. タスマンがニュージーランドを発見、当時の乗組員がオランダの故郷であるジーランドにちなんでニュージーランドと命名するも現地のマオリと乱闘になり逃亡
3. ジェームス・クックがニュージーランドに再上陸、今度はマオリとうまく行った
4. 英国人が新天地を求めてニュージーランドに移住、この時点でニュージーランドはマオリの国だった
5. 英国人が資本主義に疎いマオリ族から土地をだまし取ったりマスケット銃を売りつけて部族間抗争を悲惨にしていく
7. 現地にいる英国人の安全確保や詐欺同然の商慣習に対応するためにワイタンギ条約を締結してニュージーランドを英国の植民地にしてフランスから守った
つまり、マオリからしたら帝国主義列強に完全に巻き込まれているのだがデビッド・シーモアの言い分としては「植民地化したことでニュージーランドの土地が英仏戦争の戦場にならなくて良かったな」なのか「より文化的な生活を享受できてよかったな」なのか’はわからないがこのような過酷な運命に翻弄されているマオリ族からしたら許しがたい一言であっただろうことは間違いがない。
今の政権が年末の選挙で一体どうなるかはわからないが、もうじき選挙が始まるこのような時期に不穏なことを行ってしまえるデビッド・シーモアという政治家には不安しか感じない。適当に耳障りの良いことを言って支持率を集めるジャシンダ・あーダーンのようなことをする必要はないのだが、お前の私的な意見なんか誰も求めていないということを国としてしっかりと選挙結果に表すべきだろうが、そうするといウィンストン・ピータース率いるニュージーランド・ファースト政党がますます力をつけるかもしれないので、もうこの国はどう転んでも同仕様もないところまできた可能性がある。
あらゆる事象を「氷河期世代可哀そう」につなげるアレですよアレ。
しかも「氷河期世代は優秀なのに冷遇されたせいで~」みたいなポルノ要素マシマシで。
逆に社会的に成功している氷河期世代は「自己責任論の権化」扱いしてルサンチマンで対抗するというダサさ。
恥ずかしくないのかな愛国ポルノみたいなことしてて。
そんなに優秀な世代のはずなのにやってることは世代ポルノの拡散なの?
もう見てられないよ。誰か止めてやれよ。
こういうこと言ってると氷河期世代の人たちは「上の世代からは冷遇され、下の世代からはウザがられる悲惨な世代」みたいに気持ちよくなっちゃうのかな。
Twitter見てると毎日毎日、男女の殴り合いでタイムラインが地獄だよな。
で、必ず出てくるのが「あいつらは真のフェミニストじゃない」「フェミニズムは本来、男女平等を目指す素晴らしい思想なんだ」っていう、お花畑な擁護。
アンフェくんもアンフェくんで、「ツイフェミは嫌いだけど、本物のフェミニズムは尊重する」とか物分かりのいいフリしちゃってさ。
フェミニズムの母、メアリ・ウルストンクラフトの頃からしてそう。
彼女たちが信じていたのは、「今の社会は男性本位の抑圧だらけのクソ。その抑圧さえ消えれば、女性は本来の(男性以上の)知性と道徳を手に入れて神の王国が実現する」っていう極端なユートピア思想。
要するに、最初から「自分たちは抑圧された被害者であり、本来はもっと優れた存在である」っていう強烈なルサンチマンと選民思想がセットになってるんだよね。
「母権制が原始の姿だった」とかいう、今じゃ否定されてるバッハオーフェンのトンデモ説をエンゲルスが補強して、「女性は本来強かった(のに男が奪った)」っていう物語を完成させた。
「女は本来すごいんだ!」っていうツイフェミのあの全能感、あれは昨日今日始まったもんじゃなくて、200年前からの伝統芸能なんだよ。
第1波フェミニズムが「参政権」を勝ち取ったのは有名だけど、その過程で彼女たちが何をしたか知ってる?
「無学な黒人に権利を与えるくらいなら、知性ある白人女性に先に寄こせ」って有色人種を徹底的に切り捨てたんだよ。
フェミニズムは最初から「知性や能力がある(と自認する)女性」のための運動であって、そこに該当しない人間(黒人、障害者、そして弱者男性)を差別し、排除するのはお家芸なんだわ。
大正時代の日本でも、フェミニストが「劣等な男は結婚させない(断種)」って運動してたし、現代の教祖様である上野千鶴子だって、弱者男性に向かって「平和に滅びていけ。間違っても子ども作るな」って言い切ってる。
「ツイフェミは平等とか言いながら、金持ちのイケメンばっかり求めるダブスタだ!」って怒ってるアンフェくん、君もピュアすぎる。
研究でも明らかになってるけど、フェミニストを自称する女性ほど、実際には性差別的な振る舞いをする「超強力な男性」に魅力を感じるっていうデータがある。
口では「平等」って言いながら、本能では「リッチで天才な自分専用の騎士」を求めてる。
これ、矛盾でもなんでもない。彼女たちにとっての「解放」とは、「男と同じ義務を負うこと」じゃなくて、「自分たちを抑圧する社会構造を壊して、自分たちが美味しい思いをすること」だから。
義務や責任の話になった途端にフェミニズムが沈黙するのは、歴史的に見ても「当たり前」のことなんだわ。
いや、彼女たちが求めてるのは「男にとって都合のいい性の排除」であって、自分たちのファンタジー(BLとか)は別腹なんだよ。
つまり、「何が正しいポルノかを決める権利を、男の手から奪い取る」のが目的なの。
ツイフェミがBLを愛でながら萌え絵を燃やすのは、彼女たちの思想からすれば1ミリも矛盾してない「正しい聖戦」なんだよね。
アンフェくんが「真のフェミニスト」として夢見てる「理知的で、男とも対等に義務を分かち合い、弱者にも優しい聖女」なんて、歴史のどこを探しても存在しない。
これこそがフェミニズムの正体。
はてな匿名ダイアリー(増田)にありそうな、少し斜に構えつつも共感を呼ぶような文体で作成しました。ご自身の感覚と合うか確認してみてください。
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労働しなくて良さそうな人がやってる飲食店の、あの独特な空気が苦手だ
わかる人いるだろうか。生活のために必死に働かなくてもよさそうな、妙に余裕のある人がオーナーをやっている個人経営の飲食店。あの独特の空気がどうにも苦手だ。
誤解のないように言っておくが、70代や80代のお爺ちゃんお婆ちゃんが趣味やボケ防止の延長でやっているような店は全然気にならない。むしろそういう昔ながらの喫茶店や定食屋は好きだ。長年の生業の果てにある余生としての店には、独特の枯れた味わいがあるし、客と店主の間の「商売」としての境界線がちゃんと引かれている。
僕が苦手なのは、30代から50代くらいの現役世代なのに、「生活の糧としての切実さ」が一切感じられないオーナーの店だ。
大抵そういう店は、内装がやたらと小洒落ていて、DIYの温もりに溢れている。営業時間は「火・水・木の11時半〜15時のみ」みたいに、どう考えても家賃と原価を回収する気がない設定。メニューは無農薬野菜を使ったこだわりのプレートランチ(1800円)とか、自家焙煎の浅煎りコーヒーとかだ。
オーナーはリネン素材のゆるい服を着ていて、いつもニコニコしている。配偶者が超高給取りなのか、実家が太いのか、アーリーリタイア組なのかは知らない。ただ、彼らにとってその店は「生きるための労働」ではなく、「自己実現」や「丁寧な暮らしの表現」、あるいは「気の合う仲間とのコミュニティ作り」の延長線上にあることが、店の空気全体からプンプン漂ってくるのだ。
そこに、週5で擦り切れるように労働している自分がフラッと入ってしまうと、ものすごいアウェー感に襲われる。
客であるはずの自分よりも、店主の方が人生のステージにおいて圧倒的に「上位」にいる感じ。カウンターの向こう側から「あら、今日も労働お疲れ様です(微笑)」と優しく見下ろされているような、勝手な被害妄想が膨らんでしまう。
タチが悪いことに、常連客も似たような属性の余裕がある層が多く、店主とファーストネームで呼び合ったり、休日のオーガニックマーケットの話で盛り上がったりしている。そこに紛れ込んだ僕は、彼らの「豊かで美しい人生のワンシーン」を引き立てるための、ただのモブキャラに成り下がったような気分になる。
出されたご飯は普通に美味しかったり、コーヒーの香りも良かったりする。店主もめちゃくちゃ感じが良い。だからこそ「自分がいかにひねくれているか」を突きつけられて、余計に居心地が悪くなる。
結局、逃げるように会計を済ませて店を出る。そして「やっぱり自分には、店主が生活のために油汗流して鍋を振ってる、床のベタベタした町中華が合ってるな」と痛感するのだ。
あの「道楽のオーラ」を放つ店内で心からくつろげる日は、僕には一生来ない気がする。
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いかがでしょうか。はてなダイアリー特有の「自意識の拗らせ感」や「少しのルサンチマン(やっかみ)」をスパイスとして効かせてみました。
追記ですげぇ違和感あるのが「内輪揉め」という指摘に対して「いや足の引っ張り合いだ」と返していること
足の引っ張り合いも内輪揉めのうちなのになんでわざわざ訂正したか
前後含めて推測するに、増田は経営者で「自分は良いものを作ってるのに周りの奴らが足を引っ張る」と自認してるんだろう
では誰が引っ張ってるかといえば、関なら刃も柄も輸入なのに柄付けだけして「関の包丁」として数千円で売ってるロンダリング業者だろう(別に合法だがまあ信用は失うだろう。鯖江のように。)
もう一つ違和感があるのは、増田が挙げている産業が衰退した理由と炎上の無関係さ
炎上させたところで、それらが解決するとは思えないし、最後が「ヘタレなんで淡々とやります」になるところから、本人としてもわかってるように思える
ここからも「俺はちゃんとやってるのにあいつら許せねぇ」というルサンチマンが読み取れる
街ぐるみだから知り合いである可能性もあるが、素直に考えると自分が社長だからでは?(自社だけ守ると言ってるし)
まあ生活必需品ではないと言ってるから燕三条でカトラリーの説はありつつも、単に自社がやってるのが包丁ではなく爪切りやキャンプ用のナイフだったりするのではないか
昔、広瀬すずが「スタッフ軽視発言だ」とバッシングされた件、私はアレ全く理解できなくて。
むしろ裏方への差別心があるのは怒ってる人の方じゃない?って。
例えば私は、良い映画を観たら「こんな美しい構図や陰影を映したい」とか、「こんな空間演出をしたい」とかは思うけど、「演じたい」なんて一切思わないんです。
役者の演技に感動することはありますが、それは単に作品を構成する一部であり、カメラマンや照明、大道具、音響等々より優位なものだなんて一切思わないんです。
だから、「裏方を軽視している」とか、何言ってるんだろう?って。
それ故、「自分は演じることを選択したけど、照明さんはどうしてその選択をしたんだろう?」という疑問は、とても少女らしく素朴だと思うんです。
本人のTwitterにまで直接言う人がいたって、あんまりだと思います。
地方の高校にいた頃、僕は間違いなく「特別な人間」だった。正解の用意された問いを、誰よりも手際よく処理する要領の良さ。それさえあれば、僕は学校という小さな水槽の中で、一定の精神的優位を得ることができた。テストの順位表に貼り出される自分の名前を眺めるだけで、無敵の万能感に浸れたものだ。
だが、東京の大学に進学して、その薄っぺらいメッキは無惨に剥がれ落ちた。息をするように英語を操る帰国子女。親の金で当然のよに海外の“経験”を積む学生。あるいは、圧倒的な地頭の良さで、僕の徹夜の努力を鼻で笑いながら抜き去っていく本物の天才たち。彼らが外資系コンサルや投資銀行へ羽ばたき、あるいはあっさりと起業していくのを横目に、僕は自分がただのマークシートの塗りつぶし方が少し上手かっただけの、凡庸な田舎者であることを骨の髄まで思い知らされた。
就職活動で僕が逃げ込んだのは、品川に巨大な自社ビルを構える日系の大手SIerだった。親に社名を言えば手放しで安堵する優良企業。しかし、その実態はキラキラしたIT業界とは無縁の「デジタルゼネコン」だ。巨大な基幹システムのエクセルでの進捗管理と、下請けベンダーへの責任転嫁を繰り返すだけの、果てしなく地味な調整業務。30代になっても年収は700万円を行ったり来たりで、突き抜ける気配は一切ない。
川崎。最寄り駅から徒歩14分の6畳ワンルームのマンション。毎朝、すし詰めの東海道線で多摩川を越えるたび、自分が東京という巨大なヒエラルキーの外部に置かれた、中途半端な存在であることを突きつけられる。無数のエクセルのセルを埋め、稟議書を回し、いかにも「大企業のビジネスマン」の顔をしていても、乾いた自尊心は満たされなかった。だからこそ、僕は己の優位性を手っ取り早く確認するための副業を始めることにした。届かない上澄みを見上げる苦しさを、圧倒的な底辺を見下ろすことで中和する、醜い防衛本能だった。
AIに吐き出させた嘘か本当かわからない情報を、抑揚のない合成音声に読み上げさせるだけの動画。サムネイルは赤と黒の極太ゴシックで『真実』『衝撃』『実は日本人は…』。白い背景に「いらすとや」の画像。思っていたよりも、こうした毒にも薬にもならない動画を求めている人はいた。「努力できるのは才能」と自身の努力不足を遺伝のせいにするような動画や、根拠薄弱な雑学に絡めて「日本スゴイ」を連呼する内容は、面白いように再生数が伸びた。コメント欄に溢れる、社会へのルサンチマン。人生の答え合わせを終えた敗者たちに、安っぽいドーパミンを施す。教祖にでもなった感じでで少し気分が良かった。
先月、そのチャンネルを売った。爆発的に登録者を増やすコンテンツ力も、虚無を再生産し続ける継続力も、僕にはなかった。そこそこの値がついたので、バング&オルフセンのヘッドホンを買った。アルミニウムの冷たい質感と、北欧特有のミニマルなデザイン。装着するたびに、自分がこの川崎の泥臭い景色とは無縁の、洗練された“あちら側”の人間であると証明された気がした。
たまたま連休ができた。義理で顔を出した岐阜の祖母の家は、時間が止まったような空間だった。イオンモールとマーサ21だけが文明のすべてであるかのような地方都市。ここには、SAPIXのクラス分けに一喜一憂する親も、35年ペアローンという鎖で互いを縛り合うパワーカップルもいない。あるのは、弛緩した空気と変化を拒む土着の引力だけだ。
どうせ駅前の携帯ショップで、「お孫さんの写真が綺麗に撮れますよ」とかなんとか言いくるめられて、不要なハイスペック機と大容量プランを契約させられたのだろう。その光景が目に浮かぶ。
そこから流れる、抑揚のない人工音声。「実は、80歳を過ぎても元気な人は…」という、極太ゴシック体のサムネイル。白い背景の中央に配置された「いらすとや」の老夫婦。
目眩がした。
僕が売り払ったあのチャンネルではない。だが、構成は完全に同じだった。情弱向けの餌として吐き出し、見下していたコンテンツを血の繋がった親族が「真実」として有難がって摂取している。
祖母の瞳は、ブルーライトを反射して白く濁っていた。「へえ、そうなのかい」。その相槌の一つ一つが、僕の精神を削り取っていく。僕が承認欲求と小銭を満たすために生み出したインターネットの汚泥は、巡り巡って、僕自身のルーツである祖母の余生を埋める詰め物になっていた
「..…ほどほどにしなよ。目が悪くなるから。」
喉の奥から絞り出せたのは、ゲームに熱中する子供を注意する母親のような、陳腐な言葉だけだった。
帰りの新幹線。バング&オルフセンヘッドホンを装着する。どれだけ音楽を流しても、あの抑揚のない人工音声が、耳の奥にこびりついて離れない。トンネルを抜けるたび疲れた顔の男がこちらをみてくる。こちらを見つめ返すその瞳は、ブルーライトに照らされた祖母の目と同じように、ひどく濁って見えた。
くすぶりこどおじのルサンチマン