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2025-01-06

婚活に失敗したので弟で満足した話

「またダメだった…」

ため息をつきながら、私はスマホの画面を閉じた。婚活アプリで知り合った男性とのデートは、今回も不発に終わった。これで一体何人目だろうか。優しくて、高収入で、できればイケメン。そんな理想を追い求めてきたけれど、現実はなかなかうまくいかない。

お姉ちゃん、どうだった?」

リビングのドアが開いて、弟の健太(けんた)が顔を出した。大学3年生になった彼は、背も高くなり、顔つきもずいぶんと大人びてきた。昔は私にくっついてばかりの甘えん坊だったのに、今では私の相談相手になってくれる。

「またフラれた。もう、婚活なんてやめようかな…」

そう言うと、健太は私の隣に座り、優しく肩を抱いてくれた。

お姉ちゃんは素敵なのに。きっと、お姉ちゃんの良さが分からない男の人たちなんだよ」

健太言葉に、少しだけ心が軽くなった。彼はいつも、私の味方だった。

その夜、私は健太と二人で、昔のアルバムを開いてみた。幼い頃の私たち家族旅行写真運動会写真…。懐かしい写真を見ているうちに、心が温かくなった。

健太は、昔から本当にいい子だったよね」

私がそう言うと、健太は照れくさそうに笑った。

お姉ちゃんこそ、いつも僕の面倒を見てくれたじゃないか

私たちは、他愛のない話で盛り上がった。最近あったこと、友達のこと、将来のこと…。話しているうちに、私はふと思った。

(私は、何を焦っていたんだろう?)

結婚して、子供を産んで、幸せな家庭を築く。それは確かに、私の夢だった。でも、それは全てではない。私は、私自身の人生を生きている。

私は、健太といる時間が好きだ。家族と過ごす時間が好きだ。友達と笑い合う時間が好きだ。仕事目標を達成した時の達成感が好きだ。

結婚けが、私の幸せ定義するものではない。

そう気づいた時、心がすっと軽くなった。

それから、私は婚活をやめた。代わりに、自分の好きなことに時間を使うようにした。友達旅行に行ったり、趣味料理教室に通ったり、仕事に打ち込んだり…。

健太との時間も、今まで以上に大切にするようになった。一緒に映画を見に行ったり、食事に行ったり、時には昔みたいにゲームをしたり…。

ある日、健太真剣な顔で私に言った。

お姉ちゃん最近すごく楽しそうだね」

「うん。すごく楽しい健太のおかげだよ。ありがとう

私は、心からそう思った。

私は、婚活に失敗した。でも、それは私にとって、悪いことではなかった。むしろ自分にとって本当に大切なものに気づく、良いきっかけになった。

私は、弟の健太、そして家族との絆を通して、かけがえのない幸せを見つけた。それは、結婚という形とは違うかもしれないけれど、私にとって、かけがえのない宝物だ。

2024-12-30

             概要                     時代                      経過

      きんたんがパソコンを壊した日                 平成31年1月27日

     真夜中の運動会                       H31-2-23                  

   あんまり警察が最悪なので、 新城ちさとってのが流行っていた時代     平成31年4月15日          あなたいるか警察官になった → 以後、裏切って遁走

      農水次官、息子殺害                     平成31年6月1日

        千里山交番                            6月16日

        京都アニメーション38人殺                 平成31年7月18日

         おじさんと、立花隆評論家)次々に亡くなった日          令3-3月

     弱い者だと思って××××、 出てこい、ぶち殺してやる、傷害罪で捕まっても   令3ー6-23              ホテルプリンス

       かまわん         

       お互いにもういいおっさんじゃわあ、と言いながら出てきた時代     令5-9

      これを甲とする

          甲が出てきた日                   令6ー12ー27

2024-12-16

私には未来があると信じて疑わなかったけど、その未来は砂のように手ですくった瞬間から少しずつこぼれ落ちていた。

認めたくなかった。

友達よりも職場の同僚よりも私の人生はうまくいってるって思ってたけど、みんないつの間にか結婚して出産していった。

結婚が全てじゃないって言う人はたくさんいたけど、やっぱり私たちを囲む世界には独身か既婚かの壁が大きくてすごく辛かった。

既婚者の苦労はみんなわかってるけど独身の苦労は誰もわかってくれないし気に留められることもない。

そんな無視されてる存在でいるのがすごく嫌だったし、好きで独身でいるわけじゃないのに色々言われるのにもう疲れちゃった。

マグカップに注いだ紅茶冷蔵庫豆乳を入れる。

夜のティータイムが私のささやかな楽しみだけど、もう何も考えずにその時間を過ごすこともできなくなった。

もう年末だし実家に帰らなきゃ行けないなと思いつつ、お母さんやおばあちゃん彼氏が出来たかどうか聞かれるのが嫌で帰りたくないって思ってる私がいる。

けど実家に帰らなかったら寒いワンルームに1人だし、気晴らしに外に出れば楽しそうに過ごしてるカップルを見なきゃいけないのも嫌だなぁ。

結局色々言いながら実家には帰ると思う。

私は自分で言うのもアレだけど結構かわいくてモテる方だった。

小学校の時はよく男子ちょっかい出されたし、中学の時は部活の先輩に告白されたこともあった。

大学生になってから友達より早めに垢抜けたし、年上の彼氏がいたから同い年の子達とは違う経験をしてた。

みんながサイゼご飯食べてトリキで飲んで彼氏学生寮マンションに入り浸ってる間に私は色んなホテル一見さんは入れないお店にも行けた。

私は他の女の子よりちょっぴり大人だった。

就職普通だった。

キラキラしてないけど入りたい旅行会社内定をもらえたし、同期の中では私が1番かわいかった。

大学ゼミの子達は先行と全然関係ない大手会社の受付とか事務就職していった子が多かった。

受付とか事務って男の人にニコニコするのが仕事みたいでそういう仕事はしたくないって思ってた。女の子からとか関係なく正当に自分仕事評価してもらいたかったし、

そんなに勉強をすごくする方じゃなかったし、若ハゲ教授ゼミ愛想笑いをするのも得意じゃなかった。

職場の人は良い人ばっかりだったけど、私はあの人たちみたいにはなりたくないしなれないなって感じるところもあった。

職場に入った頃はそんなゆるい温度感にすごく私は合っているな〜って思ってたんだけど、夏頃に同期に誘われて行った合コンであったベンチャー企業の人たちのポジティブさというか向上心のある感じを見ちゃう自分職場が急に違うなって思えてきて「ここは私の居場所じゃないかも」って感じ始めたの。

それがきっかけかわからないけど、会社帰りに夕食がてらカフェに寄ってTOEIC韓国語勉強し始めた。

韓国トークをする友達韓国旅行したときは私が成長しているなって実感できたし、ニューヨークメトロポリタン美術館に行ったときイケメン外国人に話しかけられたときちゃんと会話できてインスタ教えてもらえたのも勉強のおかげかなって思った。

でも、その頃からだろうか。私の中で何かが少しずつズレ始めた気がするのは。

韓国語英語勉強して、旅行をして、新しい人や世界と繋がるのは本当に楽しかった。そう思っていたはずなのに、いつの間にか周りの友達たちは結婚して、子どもを持って、話題が変わっていった。昔は一緒に旅行ショッピングの話をしていたはずなのに、今では子ども習い事夫婦関係、家のローンといった現実的な話ばかりになっていた。

私が海外での思い出や、最近買ったお気に入りコスメの話をしても、みんなの反応はどこか薄い。それなのに、ふとしたタイミングで言われる言葉がある。いいなぁ、自由で、とか。独身からできることだよね、とか。そのたびに胸の奥がちくりと痛んだ。私は自由を楽しんでいるつもりだったのに、なぜかその自由という言葉が妙に重く感じられるようになっていた。

それでも私は自分らしく生きたいと思っていた。誰かに縛られることなく、自分人生自分で選びたいと。でも、ある日ふと気づいてしまった。自分らしくと言いながら、私が選んできた道は、本当に私が望んだものだったのだろうか、と。

年末が近づいて、とうとう実家に帰る日が来た。駅から家までの道を歩きながら、冷たい風が頬を刺す。玄関を開けると、お母さんとおばあちゃんの明るい声が出迎えてくれた。おかえり、寒かったでしょ、と言われて、一瞬ホッとしたのも束の間。食事の席で案の定彼氏は?の話題になった。

焦らなくていいのよ、とおばあちゃんが優しく言った。でも、そろそろ考えないとね、と続けた言葉が胸に刺さる。私は無言で笑ってごまかした。

その夜、部屋に戻って荷物を整理していると、古いアルバムが目に入った。開いてみると、幼い頃の私がそこにいた。誕生日ケーキを囲む家族学校運動会で笑う友達たち。どの写真も明るく、未来に向かって輝いている私が写っていた。

その写真の中の私を見て、思わず涙がこぼれた。未来があると信じて疑わなかったあの頃の自分。けれど、今の私はどうだろう。いつの間にか、周りの価値観目線に振り回されて、自分自身を見失っている気がする。

その瞬間、紅茶に入れるために買った豆乳のパックが思い浮かんだ。あれはきっと何かの象徴だった。冷たい豆乳を注ぎながら、自分の心を冷たい孤独で覆い隠していたんだと思う。

私、何してるんだろう。

そう呟いた夜、翌朝、私はひとつの決心をした。このままじゃいけない。未来は砂のようにこぼれていくけど、それをただ見ているだけじゃ、本当に全てを失ってしまう。私の人生を作るのは、周りの誰でもなく、私自身だ。

年が明けたら、何かを変えよう。大きくなくてもいい、小さな一歩でいい。でも、その一歩を踏み出さなければ、私は一生、同じ場所に立ち尽くしたままだ。

そう心に誓った瞬間、外の空が少しずつ白んできているのが見えた。新しい年は、もうすぐそこに来ている。

2024-12-13

小5の頃、ほんの少しのあい特別支援学級にいた

交通事故で膝の骨が粉々になり、半年くらい車椅子生活を強いられていたことがある。俺はその間、一時的に「ひまわり学級」いわゆる特別支援学級に登校することになった。もといた教室までの階段を登れなかったし、エレベーターもなく、車椅子が入れるフラットトイレも1階にしかなかったのが理由だ。

でもひまわり学級は身体障害者向けと言うよりは少し知能や精神問題のある児童のためのものだった。3〜6年生のそういう児童が集められて、各自の進行度に合わせたプリントを進めたり、先生が一対一で教科書を読んで説明したりする。先生は二人いて、一人は児童勉強を見て回り、もうひとりは大人しくしていられない子どもを落ち着かせたり指導をする、という感じだった。

俺は車椅子用に広めのスペースを開けてもらった教室の右後方からそれを眺めながら「こりゃヤバいところに来たな」と純粋に焦った。常に奇声が上がっているし、自閉症ダウン症の子もの顔つきは申し訳ないけど同じ日本人とは思えず怖かった。先生たちが優しくしてくれるかというとそうでもなく、教科書を読み上げて事務的言葉をかけてくるだけで、聞きたいことがあってもすぐに他の子ものところに行ってしまうし、基本的自習に近い状態が続いて勉強もどんどん遅れていく気がした。授業と休み時間が交互に来る、という感覚希薄で、無為時間がダラダラと続いて一日がひどく長く感じる。最初のうちは大休憩にもとのクラス友達が顔を出してくれたが、ひまわり学級の異様な雰囲気の気圧されるのか一週間もすると来なくなった。下校時も親が迎えに来るので学校での俺は孤独だった。当時、ひまわり学級のクラスメイトや先生人格のある人間とは認識できていなかったんだと思う。

そんな日常が変わるかもしれない兆しを見せたのは、数週間経ってからだった。

新しい児童ひまわり学級に移ってきたのだ。そいつ女子で見た目は普通というか頭はまともそうに見えたし、何なら顔が結構好みだった。ついでに言うと胸もデカかった。当時の俺は別に巨乳に対して性的興味を覚えなかったが、それより何よりとにかく奇声を発したりよだれを垂れ流したりしないクラスメイトができたのが嬉しくて「なんでこのクラスに来たの」と声をかけた。

そいつは冷めきった顔で俺の足のギプスを見て、「あんたは怪我? じゃあ普通人間だ?」と言った。冗談かと思って半笑いになったが相手全然笑ってなかった。

わたしは違うよ。頭イカれてるから

そう言って今度は笑った。超でかい声で笑った。びっくりしたし、やっぱりこいつもだめだと思った。

でも結局このイカレ女が俺の初恋相手だったんだと思う。プリントに見向きもせず窓際の席でずっと校庭を睨んでいる彼女の横顔を毎日3時間くらいは眺めていた。顔が好みだったから。

会話した記憶はあまり残ってない。一度、そいつが6年生なのに俺と同じ教科書を使ってたのが気になって「どこまで進んでるの?」とか聞いたときに「なんであんたに教えなきゃいけねーんだよ!殺すぞ!」って超でかい声で怒鳴られたのが怖くて、あまりしかけられなかった。

そいつは生傷を作って来ることが結構あった。その頃は「荒っぽい性格から喧嘩とかもするんだろうな」なんて思っていたが、今思うと虐待を受けていたのかもしれない。

俺がひまわり学級にいる期間内運動会があった。もちろん俺は競技に出れるような状態ではなかったが、一応ひまわりの連中と一緒に出席だけはした。イカ女子が借り物競争に出て、借りるものが書かれた紙を見ると会場全体をキョロキョロして、俺の方に向かって走ってきて「あんたにする!」とでかい声で叫んだ。俺は正直ちょっとときめいた。いかれてはいるが顔が好みの女の子車椅子を押してもらえると思うと、思わずときめいてしまった。

でも違った。彼女は「走れ、走れ」と怒鳴るだけだった。俺は必死車椅子を走らせたが、校庭の砂の上だし、そもそも普段そんなにスピードは出さないので勝手がわからず、隣であいつに怒鳴られながら一分くらいかけてなんとかゴールした。ゴールすると会場から障害者の健闘を称える盛大な拍手が巻き起こった。俺は恥ずかしくて顔が熱くて燃えそうだった。イカ女子はまだ怒っていて「なんであんた遅いの?負けたじゃん!」と超でかい声で怒鳴られ、俺は悔しくて泣いてしまった。昼休み、見に来ていたうちの親がそのことで怒ってイカ女子の親に抗議しに行くといい出した。やめてくれと頼んでも聞いてくれなかったが、結局何も起こらなかった。あいつの親は来ていなかったのだ。

彼女は午後の選抜リレーにも出る予定だったが、昼飯から戻ると席から消えていた。俺は気になって、トイレに行くと言ってひまわり学級の教室車椅子を走らせた。俺の直感通り彼女教室にいた。ただ上半身裸だった。体操着を脱いで私服に着替えているところだった。

ごめんと言って逃げようとしたが、車椅子を回すのに手間取っているうちに彼女が半裸のまま近づいてきて胸ぐらを掴まれた。そして超でかい声で怒鳴った。

わたし帰るから! あんたが遅いせいで負けてやる気なくなったから帰る!!」

目を閉じようとしたができなかった。体は引き締まっているのにとにかく胸がでかい。乳輪が盛り上がっている。

「帰るなら、俺も一緒に帰ろうかな」

なぜか知らないが俺はそう口走ってしまった。怒鳴られるかと思ったが彼女はびっくりした顔でじっと俺を見ていた、それから過去一優しく笑って、

「無理でしょ。あん車椅子なんだから、遅いんだから無理」

 怒鳴らずにそう言って俺を開放し、そそくさと着替えて走って教室を出ていってしまった。追いかけようとしたが、もちろん車椅子では追いつけなかった。上履きを履いていなかった彼女の、裸足の足の裏がぺちぺちと廊下の樹脂を鳴らす音が誰もいない校舎に響いていた。

戻って先生イカ女子が帰ったことを報告すると「いいよいいよ」と興味なさそうに言うだけだった。彼女が消えたひまわり学級の観戦席には、奇声を発したり虚空を見て独り言を言い続ける子どもたちと疲れた様子の先生がいて、俺の車椅子のために広めのスペースが開けられていた。でもなぜだろう、唐突にここは俺の場所ではないと思った。最初からそうだったんだと思った。

その日のうちに俺は元のクラスに戻してもらうよう親に頼み、翌日から学校に行く日数を減らして代わりに病院でのリハビリを始めた。ギプスを付け替えて、松葉杖練習をして階段を登れるようになるまで2週間かかったが、とにかく俺は元のクラスに戻ることができた。何ヶ月もいなかった俺をクラスメイトたちも何事もなかったかのように受け入れてくれ、ほっとした。変な感じにならないか少し怖かったのだ。まあ元からクラスで目立つ存在ではなかったから、いてもいなくても変わらなかったのかもしれない。

それ以降、俺がひまわり学級に顔を出すことはなかった。だから俺がイカ女子を見かけるとき彼女はいつも歩いていた。登校中か、下校中か、校庭をかけているか。俺は声をかけられなかった。あんたは無理、松葉杖で遅いから無理、と諦めたように言われるのが怖かった。

あれから随分立つが、今でも彼女が夢に出てくる。胸のでかい女子小学生はいつも歩いている。そして俺は決して追いつけないのだ。車椅子も、松葉杖もないのに。

2024-12-11

anond:20241211175102

7人も見事にハズレくじ引くなんて、あなた婚活宝探しゲームというよりも、一発でガチャ全部外れる運の悪さを試す運動会じゃないの?そして、それを「まともな男性がいない」って一括りにしてるけど、実はまずマッチングアプリ選択が間違っているかプロフィール地雷が埋め込まれてる可能性を考えてみようか!

2024-12-07

anond:20241207002321

というか男女問わず運動会で負けた時とか卒業式とかクラスメイト号泣していた

それを「うわあ…」って泣かずに見ていた俺の方が社会不適合

お前も

2024-11-26

anond:20241125120346

元増田にわりと近い?年代共産党推薦の尾形氏に投票したので書いてみる。元増田のようにさっくり上手い文章書けなかったらごめんね。

名古屋市民歴は25年くらい、奥さん子持ち(小学生1人)で前回の衆院選比例では国民民主、今回は尾形氏に投票したよ。

悩んだ際の選択肢は2つ、元国民民主大塚氏か共産党推薦の尾形氏か。

当日、大塚氏に勝ち目がありそうなら大塚氏に、そうでないなら意思表示として尾形氏に入れるかと考えていてまぁだいたい予想通りの結果になった。

もともとの課税に対する考えはほぼ元増田に近かったんだけど子ども知的ではない発達障害の傾向があって公的扶助を受けていてちょっと変わってきたよ。

他の多くの支援と同じで子育て支援も多くの場合年収制限がある。

知的障害ではないというのと増田がそこそこ稼いでいる(かといって富裕層というわけでもない)のが合わさっているとそれがなかなか厳しい。

うちの子のように「支援さえあれば人並みにいろいろできるだろうなぁ(願望)」という場合では公的支援は受けられないことが多く、その場合は自腹、マンパワー技術がいるのもあって教育費高い。

でも自分ですべてを教えるのは無理だし自分の子ものことだからがんばって払うけどさ。

という前提があったので各種支援から所得制限を外そうと動いてくれている国民民主党と大塚氏のことは市長選から気にかけていた。

https://x.com/DPFPnews/status/1620258237902893056

国民民主党は中間層手取りを増やす政策の優先度は高いが減税はそのオプションの1つで税金を集めて再分配をするのは認めているし小さな政府を目指しているわけではないという認識

あとは子ども支援によく動いてくれているのは住んでいる地域共産党市議の方、もう少し広い範囲では立憲の方になる。国民民主党の方はみたことない気がするけど市内では民主会派の一部で希少価値高いので仕方ないのかも。というわけで共産党には恩義を感じている。前提ここまで。

という流れで今回の大塚氏の公約子どもに関する政策2つは給食無償化子どもパス共に所得制限なし。言行一致で増田的には問題いかな、というところ。

元増田にも書かれていたけど広沢氏の案では世代年収700万で制限となっているので奥さんも働いているわが家には関係なく…あと子ども発達障害関係で知り合った人たちには親にも特性ある場合が多く、こういった書類学校などから受け取ってきても最初からもらうことを諦めているケースが多い。「いやいやこの紙持って区役所行って聞いてみようよ、もらえたらラッキーと思ってさ」といって連れていったこともあるので名古屋市に限らずできる限り子ども支援は親を通さずとも受けられるようにしてほしい。

現在国会では基礎控除、〇万の壁を壊す話がブームだが広沢氏の案が成立すると世帯年収700万に巨大な壁ができるのもなーというところ。

  • 減税について

下のリンク選挙期間内にはてブでみた資料。ほかに名古屋市が公開している資料はみつからなかった

https://www.city.nagoya.jp/zaisei/page/0000099733.html

100億近くの税収の減収と市内総生産は減少~やや増、とやる価値あるんかなぁくらいの感じなんだけどこれ、調査の仕方おかしくないか

毎年やってもいいと思うんだけど。これをみてすぐ辞めようではなく就任後に調査検討いるって言える大塚さんえらいわ、と思ったけどそれを逃げだと思う人がいるのもわかる。でも減税したから大幅に税収増えたっていうのは言いすぎだよね。

減税の影響かとにかく公教育に金がなくて貧弱。

うちの子のように支援がいるのとは別に学校雑巾寄付を募る、校内の防火シャッターが壊れても予算がないので修理は来年度、避難所にもなる小学校体育館エアコンついてない(これは26年度までに小学校には整備される。中学校はそのあと)とか言い出すときりがない。最近では運動会綱引きやるのにロープが足りないとか聞いたっけ。

少し前に市の小学校PTAからお金受け取って問題になっていたけどテレビとか備品買う予算がないのが原因だからさぁ…

このあたりが自分の中ではウェイト大きくて河村氏後継の広沢氏は支持できなかった。

氷河期世代のはしくれで子ども特性もあり河村さんの政策の中で良かったのは全国に先駆けてスクールカウンセラー(小学校はかけもちで週複数回訪問中学は常駐で正規雇用)を設置したことなんだけど今回の選挙では話題ものぼっていなかったので自分子どもマイノリティなんだなぁと感じられたのもけっこうつらい。

  • 大塚氏の敗因について

選挙公報の内容はそう。QRコード読んでまでみてくれるのはよっぽどのファンマニアだけ。

あと増田の行動範囲では大塚氏の選挙カーはみなかったが広沢氏の選挙カーは何度かみた。大塚氏のXでは繁華街を中心に回っていたようだけど市内全域すべて回る勢いで行かないとダメだったように思う。名古屋市民で大塚さんを知らない人はいても河村さんを知らない人はいない。こどもでも知ってる。この状況だとスタートにも立ててないよ。。

  • 広沢市政にどうなってほしいか

任期ほとんどは今の市議会で少数会派継続なのでたいしてなにもできない気がする。

10%減税は河村さんが強硬に反対していたマイナンバー利用とデジタル化で行革が進められて100億捻出できれば議会が説得できるかも?活用したいよねマイナカード

ただ1つ、元増田の身銭を切って~は賛同しかねる。これは誰も得しない。政治信条はともかく立憲米山さんのような頭脳まれ政治家の多くは活動プロアドバイス必要になるが年800万ではその依頼は不可能に近い。公約にした以上、広沢氏はやめられないだろうが河村氏が支給されている経費が議員より多い立場給与削減に反対する議員攻撃する材料にしていたのはよくないと思っていた。

後継者企業創業者である広沢氏であるのも象徴的で資産家でないと市長選の対抗馬になれないようにしている。共産会派も一緒になってやってるので顔見知りの共産議員に言っても「そうはいってもねー」と流されてしまうが。

以下、前回市長選出馬していた横井利明氏の過去ブログから

http://blog.livedoor.jp/minami758/archives/1144863.html


(追記)

読んでくれた人、元増田氏、ブクマコメントくれた方々ありがとう

(共産党に入れたって書いたらもっとボコボコに叩かれるのを心配していた)

ここに書いても伝わらないかもしれないけど以下、目についたとこだけですがレスしま


共産に入れる思考回路

共産党首長

うまく伝えられなくてすいません、大塚氏が勝てない状況で尾形氏が勝てると思っていたわけではないです。

実際のところ、市長が広沢氏でも大塚氏でも私が元気で働けているならさほど日々の生活には影響がなく大塚氏のほうがやや楽になるかな、子どもによい体験を積ませてあげられるかな、という程度です。

でも私が病気等で働けなくなった場合に今後の市長選市議会選で共産党候補が泡沫候補として見えない存在とされてしま会派が縮小してしまうと、子どもの生きづらさが格段に上がる可能性があるということです。


リベラル共産系は手を抜くよね

市内で国民民主は強い勢力とは言えないので協力とはいえ他の党にお願いして回るのはやりづらさがあったのかな、と思います。それでもやるべきだったとも。

2024-11-16

あの日見た姥捨山を僕達はまだ知らない

私は車で10分ほど走らなければコンビニスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。

以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。

「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松

お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネル空き家ばかり。

ただ、空気や水はずっと綺麗だし自然は美しい。

そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。


半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム

60代だしまパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。

駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。

電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。

ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。

でもこんなど田舎には戻りたくない。


地元小学校はいつ閉校してもおかしくないくら子供が減ったらしい。

私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。

子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。


別にこの土地の何もかもが嫌いなワケじゃない。

楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。

まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。

ただ、今の自分が戻るメリットがない。

幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしま自分が嫌だ。

自分お金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)

休みの日には近所を散歩したり友達遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。

あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。


田舎に両親がいて、頼れる兄弟もいない。

免許返納、介護、墓…全部自分がどうにかするしかない。

似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。

こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやす名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。


地元結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。

簡単そうで実は一番難しかったりする。



そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、

今日中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。

賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。

やっぱり私は典型的お上りさんだ。


もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。

2024-11-12

こんにちは!私は恐竜なっちゃった12歳の女の子

草食恐竜トリケラトプスみたいな姿なんだけど、毎日いろいろ大変なこともあれば、楽しいこともあって、ちょっと話してみるね。

まず、一番の悩みは「大きさ」。

学校の机なんて小さすぎて座れないし、ドアも通れなくて教室に入れないから、仕方なく校庭で授業を受けてるんだ。

先生がわざわざ外に来てくれて授業をしてくれるんだけど、友達は私のことを気にしながら、ちょっと離れたところで座って聞いてるんだよね。

なんだかみんなと一緒にいる気分にはなれなくて、少し寂しいな。

それに、食べる量もかなり増えちゃって、給食じゃ全然足りない!

今では学校のお庭に専用の「恐竜ごはんゾーン」みたいな場所があって、そこに毎日新鮮な葉っぱや草を植えてくれているの。

学校が協力してくれてるのは嬉しいけど、友達給食野菜を少し分けてくれるとき申し訳なくて、少しだけ気まずい。

でも、いいこともあるよ!体が大きいから、友達背中に乗せて遊んであげるとみんな大喜び。

ちょっとしたミニ遊園地みたいで、特に小さい子たちはすごく喜んでくれるんだ。

運動会でも、私が大きい体で走るから、チームのアンカーとしてみんなに期待されてるのが嬉しかったな!

そんな感じで、恐竜としての生活は思ったより大変だけど、ちょっとした楽しさもあって、毎日をなんとかやりくりしてるよ。

2024-11-11

11月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

11月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間分の会話まとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

食と日常生活

カレー讃岐うどんドーナツなどの食べ物に関する話題が多く、食の好みや高級カレー店、地方名物についてのエピソードが共有されました。また、家具配達ネット工事日常幸せについての感慨が語られ、軽い日常話題が続きました。

社会的話題懸念

地方人口減少、地方経済の衰退、年末調整労基法といった現代社会問題についての意見交換がありました。パレスチナイスラエルの情勢やハマス問題話題上り強盗事件逮捕者数の増加についての懸念も語られています

子育て生活環

子育てやす市町村話題巡回連絡カード運動会の振替休暇に関するエピソードなど、家庭生活地域での育児環境についても意見が交わされました。特に子育てに適した地域ランキングが注目されました。

娯楽と文化

ポケモン映画アート、猫専門書店などの文化的な話題が広がり、各自趣味に基づく交流が見られました。配信文化VTuber、昼酒の楽しさについての話題もあり、娯楽に対する多様な視点が語られました。

国際政治経済

トランプ大統領の影響や女性健康への懸念円安や輸入物価高騰など、国際情勢や経済への不安議論されていますアメリカ経済日本に与える影響についての見解も共有されました。

ライフスタイル健康

肩こりADHD、保湿対策など健康に関する話題豊富で、乾燥や肌ケアの悩み、冬の寒さに対する不満も語られました。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

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2024-11-09

ガチ猪名川町民だけどいじめは前からあるから来るな

今回ニュースになった自4の件、まずはお悔やみ申し上げます。(知らない方はニュース見てください)

自分からすると「ついにか」という感じです。

自分が件の学校に通っていたのは、10年ほど前ですが自分いじめられていました。クラスメイトいじめられていました。なんだったら、教師いじめていました。

「菌が移る」という定番のものから自分だけプリントを渡してもらえず指摘したら「は?ちょっとからかっただけでいじめ判定ww」

「ブスなんだから」という理由で、運動会の並びも後ろに回されます。ブスだと積極的トイレ掃除を回されたりもします。

酷い人だとトイレで殴る・蹴るの暴行を受けていました。

いじめっ子が「うちの親はヤ◯◯だよ」と脅していたり悪質でしたが、「子供のやったコトなので…」と謝罪で終わりました。

「この子小学生並の知能しかいからw」と教師クラス内で1人を罵倒したり、生徒の描いた絵を「ゴミ量産してて草」と言ったりします。

また、教師主観で歌が下手・運動が下手だと「わざと下手にやっているから来てないのと同じ」と言われ、不登校とみなされ評価は1を付けられます

しかし、対象者不登校になったら評価を気にして教師は優しくなります

「そこまで辛いと思ってなくて💦じゃれてるつもりなの、〇〇くんは繊細だね💦(他責)言ってくれないと分からないよ💦」

これを教師が言ってくる。

言わない教師もいますが、諦めているのか「あの人はそういう人だから」と改善はされません。

多分今回もそうでしょうね。

田舎なので地主などの力も強く、嫌われたらやっていけない。また、その子いじめてくるパターンもある。

田舎なので塾などのサービスも少なく、転校するには引越し必要なくらい遠いので家族ハードルも高い。

ちなみに教師いじめられています過去には同町の教頭が自4しています。みんな陰湿なのです。

ニュータウンがあるけど、絶対に子持ちはこないでください。こんな町と学校は潰れた方がいいです。

フェミアンフェは運動会赤組白組再放送

えー次の競技岩下の新生姜

赤組さんは不買運動頑張りましょう

白組さんは買って応援しましょう


自分の生きづらさを異性のせいだと思い込んでいる人たちによるインターネット大運動会

参加者ライフスタイルが年齢とともに変わっていかない人たち

ちゃん人生やってる人たちからすれば赤組白組も等しく迷惑なんだよ


自分迷惑運動会白組の一員です」って実名で言ったらそら世間からは冷ややかな目で見られるよな


そういった意味ではフェミアンフェ達はわかってて迷惑行為をやってるんだよなー

職場の人や親に「こういう理由不買運動してます・買って応援してます」って胸張って言えるか?言えないよな


人に言えないようなことをインターネット匿名でやってるゴミカス共犯迷惑集団だよ彼らは

2024-11-06

anond:20241106073115

国民国家っていうコンセプトが時代遅れになったのよね

ただ、人権はいまでも尊重されるべきだとみんなが考えている

今は「人権」の取り合い

運動会の玉入れみたいな感じ

2024-11-04

令和なんだから運動会ドローン玉入れとかそういうんが欲しい

低空領域での制空権を如何にして獲得するのか?

みたいな実践的な教育にも少しは力を入れて欲しい。

世の中には障がい者結構いるんだなと思ってたけど、社会に出たらたいしてそうでもないみたい。

そして障がい者のことを笑う人、馬鹿にする人は思ってた以上にいるんだなと思った。

自分が小さいころから住んでいる場所は単純に障がい者学校クラスのある学校が多いだけだっ

た。

朝、駅に向かえば5,6人は障がい者とすれ違う。

手話をしている子、麻痺で大変そうな歩き方をしてる子、「あうー、あー」しか言わない子、奇声を突

然上げる子...etc

ずっとこの土地にいるんだけどそれが当たり前だったから何も思わなかった。そういう子もいるんだく

らいだった。

小学校には障がい者用の特別学級があって、授業の一環で交流することや給食を一緒に食べるこ

ともあった。

自分はいじめられてて、休み時間特別学級の教室にいつも遊びに行ってた。

普通教室と違って座敷でゴロゴロできるし、図書館に無い絵本はあるし、ぬいぐるみだってあった

し、何より先生も生徒もみんな優しかった。

なんでだろう。今思えば障がい者クラス先生はみんな優しかった。先生が優しいので障がい者

の子たちも優しかった。

麻痺不自由だけどハイハイはできる子たちと教室ハイハイ競争したこともあった。

言葉はしゃべれないし、ずっとよだれを垂らして車いすで、反応が薄い子がいた。でも音が鳴るおも

ちゃを持って行くとちょっと反応が違うのでガラガラマラカスを指にフル装備してタンバリンをもって

曲芸みたいなことして奏でていたら肩を微かに揺らして笑っていた。

そういう経験があったからか、障がい者からといったことは考えたことがなかった。

普通学級にもいた。軽度な知的障がい者で、「うん」と「嫌だ」くらいしか言わない子。あいうえお順的

に席が近かった。

でもプリントは投げてこないし、「お前キモイ」とかも言ってこないし、「デブ」ってバカにしてこないし、

鉛筆だって貸してくれる。

の子教科書のどこをやっているかからないことがよくあったから、先生がつきっきりだった。た

まに席が近かった自分が教えてあげることもあった。

の子小学生の最大の武器、足がとても速かった。超早い。

運動しているやつらなんて目じゃないほど足が速かった。運動会のリレーアンカーに選ばれるほど

だった。

からどっちかと言えばクラスの人気者で、みんな普通に話しかけていたし、接してた。

たまに奇声をあげることがあるけど、大体その時は周りが騒がしい時なのでみんな自然と静かに

てた。文句言うやつはいなかった。

の子を笑う子、馬鹿にする子はいなかった。

電車の中で明らかに何かしらの知的障がいを持っている人がウロウロしたり、窓の外を見て「わー!

お山!」とか叫んでいることも、地元の駅から乗ればよくあった。別にそういう子を学校でよく見てき

たか乗客の1人としか思わなかった。

大学生になってサークルの友人らと帰り、電車にそんな障がい者の方がいた。さすがに大声には

びっくりしたけど、それ以外は特に何も思わなかった。

だけどサークルの人たちは「別の車両行こうよ」とクスクス笑いながら移動しようとした。

わざわざ混んでいる車両行くことないのにと思いながら、みんな行ってしまったのでついていった。

「あれ、やばいねw」「生活大変そうw」「親も見放しているから一人なんじゃね?」と半笑いで話しを再

開した。

得体のしれない気持ち悪さがあって、自分は次の日サークルを辞めた。

大学にひとりだけ見かけた障がい者がいた。ずっと誰かがつきっきりで話せないけど書くことはでき

ていた。涎掛けをしていてだいたい「あー」って言ってる。

その人と授業が1つ一緒だった。その人の周りには誰も座らない。満席なのにその人の1マス近隣は

誰も座っていない。

自分は「お、空いてんじゃん」と横に座った。その人は前回出ていなかったらしくてプリントノート

貸した。

終わって廊下に出ると友人が来て「あいつにプリント貸すと涎たれてたりするよ」というので「貸したこ

あんの?」と聞くと「ないけどw」という。結局、根も葉もないうわさだった。

次回の授業で綺麗な袋に入れて返してくれた。わざわざお菓子まで添えてくれた。

社会人になった。おごって頂けると新人教育をしていた先輩らとお昼に出た。

お店につく前に知的障がいの方が道の向こうから来た。先輩らは道路の反対側へ移動した。

小さい道路から向こう側に行くのは簡単だが、わざわざなんでそんな遠くまでよける必要が?と思

い、ついていった。

先輩らは知的障がい者が遠くに行くまで眺めていた。そしていなくなってから噴き出すように笑った。

「すごかったすねw」と明らかにあの知的障がい者のことを笑ってた。何がおかしいのか全く分から

かった。そしてそんな人たちが嫌でその先輩らと距離を取っている。

ある日、電車に乗っていたら叫びながらうーうー言っている人が乗ってきた。

結構ボリュームで数名車両を移っていた。どんどんどの人の周りから人がいなくなる。

しばらくすると、その人に「うるせぇんだよ!」とキレた大学かそのくらいのカップル

突然大声で言われたせいで黙った障がい者の人だったが、明らかに目が泳いでいた。何かを言おう

吃音のようにクチをパクパクとさせる。じっとカップルを見つめていて「みんなよキッショ!」と言わ

れ、丁度ドアが開くと「あ”−!」と叫びながらどこかへ行ってしまった。

カップルゲラゲラ笑ってた。

自分は驚きすぎて何が起きたか一瞬わからなかった。そしてすぐ次だった最寄りで降りた。

こんな漫画のようにありえないことをする人間がこの世にいることに悲しくなるとともに、障がい者

てそんな当たり前のようにいないんだなって感じた。

大人になって小学生のころ程障がい者交流はしていないけど、毎日必ず見かける。

の子たちも普通コミュニケーションを取って、友人と笑う姿もよくみる。

手話で笑ってる子も、麻痺の体で動かせる部位だけでコミュニケーションをとっている子、おはよう

言われて視線だけでも向けてくれる子、電車に乗る前に「がんばる!」と言ってそわそわしている成

人の障がい者だって普通にいる。

50人会えば15人くらいは障がい者地域からなんとも思ってなかった。

社会人になったが相変わらず家を出れば近所で障がい者によく出会う。今日電車に乗るまでに5

人以上はいた。

帰りだって2,3人はいる。これが当たり前じゃなかったのが最近わかってきた。

小学生のころからずっと普通生活圏にいるから、それが当たり前で、何もおかしい事だと思わな

かった。

もしもみんなが小さいころから普通障がい者がいる生活だったら変わるのかなと、ふと思う。

あの笑っていたサークルの人や先輩ら、キレていたカップル

もっと身近に多くの障がいがいたら、あんなことはしなかったのだろうか。

ネットでも障がい者意味不明言葉で話す動画をあげて、笑いものにしている人たちがいる。わか

らない。なんで笑えるんだろう。

それが子供だろうが成人だろうが、それを撮影して、馬鹿にする人たちがいるという事実がある。動

画のネタにしてる。

好きだったチャンネルで、それ系を一瞬でもネタにしてて、冷めた。ノータイムで見るのをやめた。

いじめられていたからか、とても胸が苦しくなる。どうにかそんなことをする人たちを減らしたい。

でも、自分はできない。そんな人たちに理解を求めたって笑われるってわかっている。

2024-11-03

anond:20241102205833

人生勝負であり、運動会勝利できないような弱者にいちいち気を使うほど世の中は甘くはない。

成功者運動会でも一等賞だし、勉強でも一等賞になるものだ。

しかったら勝てばいい。そんな簡単なことも分からない雑魚が口をきくな。

チー牛が人間扱いしてもらおうとするな。

anond:20241102232734

いっぱつやんけ

チェッコリ玉入れ - Google 検索

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%AA%E7%8E%89%E5%85%A5%E3%82%8C

運動会を席巻する「♪チェッチェッコリ」全国に広がる“ダンシング玉入れ”発案者は一体誰なのか…そのルーツを追え!|FNNプライムオンライン

https://www.fnn.jp/articles/-/609245

2024-11-02

anond:20241102205833

運動会なくなるんでは?

都内の某保育園で、今年からラジオ体操」が禁止になった。子どもたちの運動能力が落ちすぎて、ラジオ体操をすることによってケガをする子どもが出るようになったことが理由

anond:20241102205833

運動会なくなるんでは?

都内の某保育園で、今年からラジオ体操」が禁止になった。子どもたちの運動能力が落ちすぎて、ラジオ体操をすることによってケガをする子どもが出るようになったことが理由

anond:20241102205833

運動会なくなるんでは?

都内の某保育園で、今年からラジオ体操」が禁止になった。子どもたちの運動能力が落ちすぎて、ラジオ体操をすることによってケガをする子どもが出るようになったことが理由

anond:20241102205833

運動会なくなるんでは?

都内の某保育園で、今年からラジオ体操」が禁止になった。子どもたちの運動能力が落ちすぎて、ラジオ体操をすることによってケガをする子どもが出るようになったことが理由

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