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はてなキーワード: 零余子とは

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

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一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-10-01

手が着物にさわると、さわった所だけがひやりとする。人通りの少ない小路を二、三度折れたり曲がったりしてゆくうちに、突然辻占屋に会った。大きな丸い提灯をつけて、腰から下をまっ赤にしている。三四郎は辻占が買ってみたくなった。しかしあえて買わなかった。杉垣に羽織の肩が触れるほどに、赤い提灯をよけて通した。しばらくして、暗い所をはすに抜けると、追分の通りへ出た。角に蕎麦屋がある。三四郎は今度は思い切って暖簾をくぐった。少し酒を飲むためである。  高等学校の生徒が三人いる。近ごろ学校先生が昼の弁当蕎麦を食う者が多くなったと話している。蕎麦屋の担夫が午砲が鳴ると、蒸籠や種ものを山のように肩へ載せて、急いで校門をはいってくる。ここの蕎麦屋はあれでだいぶもうかるだろうと話している。なんとかい先生は夏でも釜揚饂飩を食うが、どういうものだろうと言っている。おおかた胃が悪いんだろうと言っている。そのほかいろいろの事を言っている。教師の名はたいてい呼び棄てにする。なかに一人広田さんと言った者がある。それからなぜ広田さんは独身いるかという議論を始めた。広田さんの所へ行くと女の裸体画がかけてあるから、女がきらいなんじゃなかろうという説であるもっともその裸体画は西洋人からあてにならない。日本の女はきらいかもしれないという説である。いや失恋の結果に違いないという説も出た。失恋してあん変人になったのかと質問した者もあった。しか若い美人が出入するという噂があるが本当かと聞きただした者もあった。  だんだん聞いているうちに、要するに広田先生は偉い人だということになった。なぜ偉いか三四郎にもよくわからないが、とにかくこの三人は三人ながら与次郎の書いた「偉大なる暗闇」を読んでいる。現にあれを読んでから、急に広田さんが好きになったと言っている。時々は「偉大なる暗闇」のなかにある警句などを引用してくる。そうしてさかんに与次郎文章をほめている。零余子とはだれだろうと不思議がっている。なにしろよほどよく広田さんを知っている男に相違ないということには三人とも同意した。  三四郎そばにいて、なるほどと感心した。与次郎が「偉大なる暗闇」を書くはずである文芸時評の売れ高の少ないのは当人自白したとおりであるのに、麗々しく彼のいわゆる大論文を掲げて得意がるのは、虚栄心の満足以外になんのためになるだろうと疑っていたが、これでみると活版の勢力はやはりたいしたものである与次郎の主張するとおり、一言でも半句でも言わないほうが損になる。人の評判はこんなところからあがり、またこんなところから落ちると思うと、筆を執るもの責任が恐ろしくなって、三四郎蕎麦屋を出た。  下宿へ帰ると、酒はもうさめてしまった。なんだかつまらなくっていけない。机の前にすわって、ぼんやりしていると、下女が下から湯沸に熱い湯を入れて持ってきたついでに、封書を一通置いていった。また母の手紙である三四郎はすぐ封を切った。きょうは母の手跡を見るのがはなはだうれしい。  手紙はかなり長いものであったが、べつだんの事も書いてない。ことに三輪田のお光さんについては一口も述べてないので大いにありがたかった。けれどもなかに妙な助言がある。  お前は子供の時から度胸がなくっていけない。度胸の悪いのはたいへんな損で、試験の時なぞにはどのくらい困るかしれない。興津の高さんは、あんなに学問ができて、中学校先生をしているが、検定試験を受けるたびに、からだがふるえて、うまく答案ができないんで、気の毒なことにいまだに月給が上がらずにいる。友だちの医学士とかに頼んでふるえのとまる丸薬をこしらえてもらって、試験前に飲んで出たがやっぱりふるえたそうである。お前のはぶるぶるふるえるほどでもないようだから、平生から持薬に度胸のすわる薬を東京医者にこしらえてもらって飲んでみろ。直らないこともなかろうというのである。  三四郎はばかばかしいと思った。けれどもばかばかしいうちに大いなる感謝見出した。母は本当に親切なものであると、つくづく感心した。その晩一時ごろまでかかって長い返事を母にやった。そのなかに東京はあまりおしろい所ではないという一句があった。

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 三四郎与次郎に金を貸したてんまつは、こうである

 このあいだの晩九時ごろになって、与次郎が雨のなかを突然やって来て、あたまから大いに弱ったと言う。見ると、いつになく顔の色が悪い。はじめは秋雨ぬれた冷たい空気に吹かれすぎたからのことと思っていたが、座について見ると、悪いのは顔色ばかりではない。珍しく消沈している。三四郎が「ぐあいでもよくないのか」と尋ねると、与次郎は鹿のような目を二度ほどぱちつかせて、こう答えた。

「じつは金をなくしてね。困っちまった」

 そこで、ちょっと心配そうな顔をして、煙草の煙を二、三本鼻から吐いた。三四郎は黙って待っているわけにもゆかない。どういう種類の金を、どこでなくなしたのかとだんだん聞いてみると、すぐわかった。与次郎煙草の煙の、二、三本鼻から出切るあいだだけ控えていたばかりで、そのあとは、一部始終をわけもなくすらすらと話してしまった。

 与次郎のなくした金は、額で二十円、ただし人のものである。去年広田先生がこのまえの家を借りる時分に、三か月の敷金に窮して、足りないところを一時野々宮さんから用達ってもらったことがある。しかるにその金は野々宮さんが、妹にバイオリンを買ってやらなくてはならないとかで、わざわざ国元の親父さんから送らせたものだそうだ。それだからきょうがきょう必要というほどでない代りに、延びれば延びるほどよし子が困る。よし子は現に今でもバイオリンを買わずに済ましている。広田先生が返さないかである先生だって返せればとうに返すんだろうが、月々余裕が一文も出ないうえに、月給以外にけっしてかせがない男だから、ついそれなりにしてあった。ところがこの夏高等学校受験生の答案調べを引き受けた時の手当が六十円このごろになってようやく受け取れた。それでようやく義理を済ますことになって、与次郎がその使いを言いつかった。

「その金をなくなしたんだからすまない」と与次郎が言っている。じっさいすまないような顔つきでもある。どこへ落としたんだと聞くと、なに落としたんじゃない。馬券を何枚とか買って、みんななくなしてしまったのだと言う。三四郎もこれにはあきれ返った。あまり無分別の度を通り越しているので意見をする気にもならない。そのうえ本人が悄然としている。これをいつもの活発溌地と比べると与次郎なるものが二人いるとしか思われない。その対照が激しすぎる。だからおかしいのと気の毒なのとがいっしょになって三四郎を襲ってきた。三四郎は笑いだした。すると与次郎も笑いだした。

「まあいいや、どうかなるだろう」と言う。

先生はまだ知らないのか」と聞くと、

「まだ知らない」

「野々宮さんは」

「むろん、まだ知らない」

「金はいつ受け取ったのか」

「金はこの月始まりから、きょうでちょうど二週間ほどになる」

馬券を買ったのは」

「受け取ったあくる日だ」

それからきょうまでそのままにしておいたのか」

「いろいろ奔走したができないんだからしかたがない。やむをえなければ今月末までこのままにしておこう」

「今月末になればできる見込みでもあるのか」

文芸時評から、どうかなるだろう」

 三四郎は立って、机の引出しをあけた。きのう母から来たばかりの手紙の中をのぞいて、

「金はここにある。今月は国から早く送ってきた」と言った。与次郎は、

「ありがたい。親愛なる小川君」と急に元気のいい声で落語家のようなことを言った。

 二人は十時すぎ雨を冒して、追分の通りへ出て、角の蕎麦屋はいった。三四郎蕎麦屋で酒を飲むことを覚えたのはこの時である。その晩は二人とも愉快に飲んだ。勘定与次郎が払った。与次郎はなかなか人に払わせない男である

 それからきょうにいたるまで与次郎は金を返さない。三四郎は正直だから下宿屋の払いを気にしている。催促はしないけれども、どうかしてくれればいいがと思って、日を過ごすうちに晦日近くなった。もう一日二日しか余っていない。間違ったら下宿勘定を延ばしておこうなどという考えはまだ三四郎の頭にのぼらない。必ず与次郎が持って来てくれる――とまではむろん彼を信用していないのだが、まあどうかくめんしてみようくらいの親切気はあるだろうと考えている。広田先生の評によると与次郎の頭は浅瀬の水のようにしじゅう移っているのだそうだが、むやみに移るばかりで責任を忘れるようでは困る。まさかそれほどの事もあるまい。

 三四郎は二階の窓から往来をながめていた。すると向こうから与次郎が足早にやって来た。窓の下まで来てあおむいて、三四郎の顔を見上げて、「おい、おるか」と言う。三四郎は上から与次郎を見下して、「うん、おる」と言う。このばかみたような挨拶上下一句交換されると、三四郎は部屋の中へ首を引っ込める。与次郎梯子段をとんとん上がってきた。

「待っていやしないか。君のことだから下宿勘定心配しているだろうと思って、だいぶ奔走した。ばかげている」

文芸時評から原稿料をくれたか

原稿料って、原稿料はみんな取ってしまった」

だってこのあいだは月末に取るように言っていたじゃないか

「そうかな、それは間違いだろう。もう一文も取るのはない」

おかしいな。だって君はたしかにそう言ったぜ」

「なに、前借りをしようと言ったのだ。ところがなかなか貸さない。ぼくに貸すと返さないと思っている。けしからんわずか二十円ばかりの金だのに。いくら偉大なる暗闇を書いてやっても信用しない。つまらない。いやになっちまった

「じゃ金はできないのか」

「いやほかでこしらえたよ。君が困るだろうと思って」

「そうか。それは気の毒だ」

「ところが困った事ができた。金はここにはない。君が取りにいかなくっちゃ」

「どこへ」

「じつは文芸時評がいけないから、原口だのなんだの二、三軒歩いたが、どこも月末でつごうがつかない。それから最後里見の所へ行って――里見というのは知らないかね。里見恭助。法学士だ。美禰子さんのにいさんだ。あすこへ行ったところが、今度は留守でやっぱり要領を得ない。そのうち腹が減って歩くのがめんどうになったから、とうとう美禰子さんに会って話をした」

「野々宮さんの妹がいやしないか

「なに昼少し過ぎだから学校に行ってる時分だ。それに応接間だからいたってかまやしない」

「そうか」

「それで美禰子さんが、引き受けてくれて、御用立てしますと言うんだがね」

「あの女は自分の金があるのかい

「そりゃ、どうだか知らない。しかしとにかく大丈夫だよ。引き受けたんだから。ありゃ妙な女で、年のいかないくせにねえさんじみた事をするのが好きな性質なんだから、引き受けさえすれば、安心だ。心配しないでもいい。よろしく願っておけばかまわない。ところがいちばんしまいになって、お金はここにありますが、あなたには渡せませんと言うんだから、驚いたね。ぼくはそんなに不信用なんですかと聞くと、ええと言って笑っている。いやになっちまった。じゃ小川をよこしますかなとまた聞いたら、え、小川さんにお手渡しいたしましょうと言われた。どうでもかってにするがいい。君取りにいけるかい

「取りにいかなければ、国へ電報でもかけるんだな」

電報はよそう。ばかげている。いくらだって借りにいけるだろう」

「いける」

 これでようやく二十円のらちがあいた。それが済むと、与次郎はすぐ広田先生に関する事件の報告を始めた。

 運動は着々歩を進めつつある。暇さえあれば下宿へ出かけていって、一人一人に相談する。相談は一人一人にかぎる。おおぜい寄ると、めいめい自分存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。それでなければ、自分存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。相談はどうしても一人一人にかぎる。その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない。それから相談中には広田先生名前をあまりさないことにする。我々のための相談でなくって、広田先生のための相談だと思われると、事がまとまらなくなる。

 与次郎はこの方法運動の歩を進めているのだそうだ。それできょうまでのところはうまくいった。西洋人ばかりではいけないから、ぜひとも日本人を入れてもらおうというところまで話はきた。これから先はもう一ぺん寄って、委員を選んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べにやるばかりであるもっと会合だけはほんの形式から略してもいい。委員になるべき学生もだいたいは知れている。みんな広田先生に同情を持っている連中だから、談判の模様によっては、こっちから先生の名を当局者へ持ち出すかもしれない。……

 聞いていると、与次郎一人で天下が自由になるように思われる。三四郎は少なから与次郎の手腕に感服した。与次郎はまたこあいだの晩、原口さんを先生の所へ連れてきた事について、弁じだした。

「あの晩、原口さんが、先生文芸家の会をやるから出ろと、勧めていたろう」と言う。三四郎はむろん覚えている。与次郎の話によると、じつはあれも自身の発起にかかるものだそうだ。その理由はいろいろあるが、まず第一に手近なところを言えば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がいる。その男広田先生接触させるのは、このさい先生にとって、たいへんな便利である先生変人から、求めてだれとも交際しない。しかしこっちで相当の機会を作って、接触させれば、変人なりに付合ってゆく。……

「そういう意味があるのか、ちっとも知らなかった。それで君が発起人だというんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、そういう偉い人たちがみんな寄って来るのかな」

 与次郎は、しばらくまじめに、三四郎を見ていたが、やがて苦笑いをしてわきを向いた。

「ばかいっちゃいけない。発起人って、おもてむきの発起人じゃない。ただぼくがそういう会を企てたのだ。つまりぼくが原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋するようにこしらえたのだ」

「そうか」

「そうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るがいい。もう近いうちにあるはずだから

「そんな偉い人ばかり出る所へ行ったってしかたがない。ぼくはよそう」

「また田臭を放った。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士かいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない。ぜひ出ておくがいい。君の将来のためだから」

「どこであるのか」

「たぶん上野の精養軒になるだろう」

「ぼくはあんな所へ、はいたことがない。高い会費を取るんだろう」

「まあ二円ぐらいだろう。なに会費なんか、心配しなくってもいい。なければぼくがだしておくから

 三四郎はたちまち、さきの二十円の件を思い出した。けれども不思議おかしくならなかった。与次郎はそのうち銀座のどことかへ天麩羅を食いに行こうと言いだした。金はあると言う。不思議な男である。言いなり次第になる三四郎もこれは断った。その代りいっしょに散歩に出た。帰りに岡野へ寄って、与次郎は栗饅頭をたくさん買った。これを先生にみやげに持ってゆくんだと言って、袋をかかえて帰っていった。

 三四郎はその晩与次郎性格を考えた。長く東京にいるとあんなになるものかと思った。それから里見へ金を借りに行くことを考えた。美禰子の所へ行く用事ができたのはうれしいような気がする。しかし頭を下げて金を借りるのはありがたくない。三四郎は生まれから今日にいたるまで、人に金を借りた経験のない男である。その上貸すという当人が娘である独立した人間ではない。たとい金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分はとにかく、あとで、貸した人の迷惑になるかもしれない。あるいはあの女のことだから迷惑にならないようにはじめからできているかとも思える。なにしろ会ってみよう。会ったうえで、借りるのがおもしろくない様子だったら、断わって、しばらく下宿の払いを延ばしておいて、国から取り寄せれば事は済む。――当用はここまで考えて句切りをつけた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮かんで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像にまかせて、乗けたり除ったりしていた。ことにあした会う時に、どんな態度で、どんな事を言うだろうとその光景が十通りにも二十通りにもなって、いろいろに出て来る。三四郎本来からこんな男である。用談があって人と会見の約束などをする時には、先方がどう出るだろうということばかり想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で言ってやろうなどとはけっして考えない。しかも会見が済むと後からきっとそのほうを考える。そうして後悔する。

 ことに今夜は自分のほうを想像する余地がない。三四郎はこのあいから美禰子を疑っている。しかし疑うばかりでいっこうらちがあかない。そうかといって面と向かって、聞きただすべき事件は一つもないのだから一刀両断解決などは思いもよらぬこである。もし三四郎安心のために解決必要なら、それはただ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、いいかげんに最後判決自分に与えてしまうだけである。あしたの会見はこの判決に欠くべからざる材料である。だから、いろいろに向こうを想像してみる。しかし、どう想像しても、自分につごうのいい光景ばかり出てくる。それでいて、実際ははなはだ疑わしい。ちょうどきたない所をきれいな写真にとってながめているような気がする。写真写真としてどこまでも本当に違いないが、実物のきたないことも争われないと一般で、同じでなければならぬはずの二つがけっして一致しない。

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

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 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

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追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

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ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

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メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

---

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

 
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