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はてなキーワード: フラペチーノとは

2025-11-01

anond:20251101165654

思い込みの激しそうなやつだな…

で、フラペチーノといったら何か問題でもあるんか?

anond:20251101165026

みんなフラペチーノっていうからフラッペっていうのが間違いだと思ってるのかなと思ったから書いた

dorawiiより

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anond:20251101113436

フラペチーノはフラッペの一種。だからフラペチーノを見てフラッペだというようなことにはなにも論理上の問題はない。

dorawiiより

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anond:20251031231919

コーヒー飲む人は場所のために行く人が大多数じゃないかな、ノーマルコーヒーは二杯目安く飲めるし

フラペチーノ期間限定ドリンク頼む人は純粋にそれが飲みたい人が多そう

2025-10-20

anond:20251020113708

スタバキラキラをアピってる女性はもうフラペチーノじゃキラキラ出来ないからか、限定タンブラーキラキラアピってるよね

いるかよそんなもんって思うけど完売してたりするし、商売上手だわ

2025-10-19

anond:20251018225012

おい、スタバなんて童貞でも行けるぜ

俺なんて17歳の夏にバイト初任給で財布パンパンに膨らませてたった1人で入店たからな

気分は許されざる者イーストウッド

巷を騒がす何とかフラペチーノを頼むつもりだったけど居合わせ店員の小洒落メガネ男の圧が強すぎて「アイスコーヒーありますか?」と即座にターゲットを変更したら「サイズはいかがなさいますか?」と返してきたもんだから気圧されて「Lで(聴き取り不能)」と言ったら「グランデでよろしいですか?」で撃沈したわ

もちろんグランデとやらのアイスコーヒーを飲んだわ

お持ち帰りでな

あんな店は童貞が行くとこじゃねーよ

コーヒーなんて家で飲めば体感タダだしな

しか映画館に女と2人で行ける強心臓なのにスタバには入れないってのはよくわからん心性だな

anond:20251018225012

この手の話でちょくちょく「スタバデブ飲み物」とか「砂糖とりすぎ」みたいなコメントが出てくるのが意外というか。

はいつもアーモンドラテを頼む。アーモンド香りが好きなんだが、アーモンドラテをさっと頼める店があんまりないので助かってる。

値段もトールで500円くらいだから、そりゃ自販機よりは高いけど喫茶店の中では特別高いってわけじゃないし、砂糖だって自分で入れなきゃ入らないよね。

期間限定フラペチーノ話題に引っ張られ過ぎじゃない?

anond:20251018225012

スタバに入ると場違い感がーとか思うけど、

持ち帰りで注文するだけなら、季節のおすすめにしとけば、まあ、楽っちゃー楽よね。

今なら、アサイーベリーフラペチーノ

かわいいカレンチャンください!」で注文すればおk

2025-10-13

dorawii@執筆依頼募集中

マジで友達いなそう。

ひかげ

@hikagemono_yuki

@LUPO_Reportage

普通かき氷ちょっとカッコつけてフラッペって呼ぶよねwww スタバフラペチーノなんかもフラッペの一種だよ

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dorawii@執筆依頼募集中

からないなあ。いじってるほうがフラッペという言い方を認められないキチなんだろうなーと。お前らそんなふうな揚げ足取りにもなってない難癖ばっかしてたらw会話しても軋轢ばっかで友達出来んよw

夏雪カズラa.k.a.カボチャ騎士

@Silverlacevine

スタバ

フラペチーノは要するにフラッペみたいな感じ?

コーヒー飲めないから助かる

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2025-09-12

フラペチーノ」の語源は「フラフラペンペンチンチーノ」だと言われている。

寒い店内でブルブル震えながらフラペチーノを飲むまでを「スタバへ行く」と言うんだ

覚悟ないやつはお家に引っ込んでなさい‼️😡

2025-09-07

anond:20250905054532

私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系コンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。

思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たち世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレー浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまり曖昧情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ生命維持という厳格なプロジェクト遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。

である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトニンニク匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌グラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福風景を。友人たちは、私のSNS投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作り離乳食が並んだテーブル写真に、「理想家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛コメントを、まるで祈り言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ

――だというのに。

夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。

「疲れてるだろ。いつも、ありがとう

翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望眼差ししか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである

ケダモノ

その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ

そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだパリへの出張中、セーヌ川ほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである

瑠璃…?」

私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。

「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」

それは、完璧な嘘であり、そして、完璧真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在のものの軋みなのである

聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業しか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNS投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的自己欺瞞儀式しか思えなかった。

寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれ命令遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。

私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである

私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。

それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹自己解剖の記録なのだ

真っ白な画面に、私は、震える指で、最初言葉を打ち込んだ。

『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である

その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。

自己機械定義たからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊OSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政ギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業相手に振り回してきた、あの冷徹ロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグ駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである

かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO体制への移行による、サステナブル家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから

瑠璃、これは…一体…?」

説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これから幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書バイブル)よ」

私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達調理関連」「その他(消耗品管理資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。

「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」

その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink | 記事への反応(0) | 05:15

2025-09-04

ホームレス除けにはサッカースタジアム建設一択

公園サッカースタジアム化することで

フラペチーノを持つ女性などいい感じの人は何万席のなかから好きなところを選んで座ることが出来る

野球場ではライセンスがないのでまともなものが出来ない

室内だらけの都内清潔感のある芝生をそなえるサッカー一択

2025-09-03

マクドナルドを「マクド」というやつ

『これ余談なんですけど・・・』って番組で、東京からみた大阪の良いとこ悪いとこみたいな回があったんだが。

マクド」呼びをおかしいと指摘する人がいて、番組内でも確かにおかしいよねって感じでその話題は終わったんだが、マクド呼びする側としてはちょっとモヤる。

こっちからすれば、日本生活していて日本語で話している人がマクドナルドを「マック」っていう方が不思議とすら思うんだがな。

そんなわけで、これからクドクドいっていきますけども、「そんなこと言うなら、こっちも言わせてもらいますけどもね」くらいのトーンの話です。

正味マック」呼びで全然いいんだけど、それを正道と思ってたり、対してマクド呼びは邪道のように扱うなら「ちゃいまっせ」ってこと。


まず誤解されがちだが、マクドナルドの略称通称に関しては公式には定められていない。

から略称通称という立場において「マック」も「マクド」も同等である

「えー、じゃあビッグマックとかはどうなるんだよ」と思われるかもしれないが、あれは“商品名”だ。

マクドナルド」というブランド名と「ビッグマック」という商品名は別ってこと。

そして「マクド」呼びは「マクドナルド」という“ブランド名”の略称だ。

その略し方もマクドナルドから三文字をとっただけの極めてシンプルもので、何ら凝ったことはしていない。

少なくとも、日本生活して日本語で話す範囲内においては自然な略し方だ。


そしてグローバル的な観点から見ても、実のところマック呼びはそこまでマジョリティじゃない。

各国で多様な通称が用いられており、なんだったら本拠地アメリカですら割れる。

更にいうと、フランスフィリピンのようにマクド呼びするところも多く、なんだったら一部商品名マクドをつけてる国もある。

「そうはいってもビッグマックがあるし」は、か細い論拠なのだ

少なくとも「マクド」呼びをおかしいというのは無理がある。


というかブランドの略し方の話をしているときに、なんで商品正式名称を持ち出して反論した気になってるんだ。

ビッグマックビッグマクドはいわないでしょ」だって

そりゃそうだろ「ビッグマック」って名前で売ってるし、略称じゃねーんだから

もし「ビッグマックドナルド」って名前で売ってたら話は別だが、仮に略すとしても「ビッグマ」とか「ビクマ」あたりになるわ。

なぜならマクドと同じで名前の前半を抜き出すっていう略し方をするからな。

からスターバックスだってスタバ」っていっとるやん。

商品になんとかフラペチーノがあったからって、スターバックスのこと「ペチーノ」とかいわんやろ。


更に付け加えると、原語的な意味から顧みても「マクド」という略し方は理にかなってる。

そもそもマクドナルドは創業者名前からとられていて、英語で「McDonald's」と書くわけだけども。

じゃあ、この「Mc」の部分、つまりマック」って何を意味するのかっていうと「~の息子」という接頭語なんよ。

言葉役割としては「御伽噺」の「御」みたいな感じ。

まりマックだけだと誰の息子さんか分からへんやん。

「御」と呼ぶだけで「御伽噺」の略だって分かるか?

でも「マクド」ならドナルドの「ド」も入ってるから略称として妥当なわけ。

ついでにいうと、マック呼びはパソコンブランドとダブってんのもよくないしね。


じゃあ、なんでマック呼びが日本蔓延たかというと、持論だけど“悪貨が良貨を駆逐”した結果だと思う。

日本生活して、日本語で喋っている環境で、「マクドナルド」を「マック」と略すのってどう考えても不自然

ここまで挙げたマクド呼びが妥当理由に相当する、何か有力な言い分があるとも思えない。

強いて言うなら商品名マックと名のつくものがあるからだが、これが大した理屈じゃないことは既に述べた通り。

じゃあ、その次によく挙げられる言い分が「みんな(周り)が使ってるから」。

結局、大した理由もなく使ってるわけ。

別にね、大した理由がないならないで構わんけども。

「キミらが思ってるよりマック呼びは良貨じゃない」でってことだけは頭の片隅に置いといてください。

それすら嫌やっていうなら、せめてマクド呼びにそのツケを払わせんといて。

2025-08-14

ちんちんそうめん

8月14日。夏の昼間。

エアコンの効きが悪いワンルームで、そうめんを茹でている。

湯気が熱い。

窓の外の蝉の声が侘しい。

給料が上がらない現実

何もかもが悲しい。

夏休みお盆、みんな実家に帰ったり旅行行ったりしてるのに、俺はひとりでそうめんをすすっている。

なんなんこれ。

スタバの新作フラペチーノ写真SNSに流れてくる。

でもあれ、一杯でそうめん二束と麺つゆと氷が買えると思うと手が伸びない。

ブルジョア飲み物だよあれ。

童貞のまま三十を超えた。

40歳に手が届きそうだ。

夏という季節のイベントからどんどん遠ざかっていく。

海もプール浴衣デートも、全部関係ない。

ちんちんはここにあるのに、それを使う予定は永遠に来なさそうだ…

茹でたそうめん氷水で締めながら、これが俺にできる唯一の夏らしい行為かもしれないと思う。

冷たい麺をすすった一瞬だけ、暑さも孤独も消える。

そのために俺はそうめんを作り、すする。

そうめんドラッグだ。

でも食べ終わったら、また現実が口の中に戻ってくる。

給料は上がらないし、夏は終わるし、おちんちんも静かだ。

いっそのこと、おちんちんを麺つゆに浸そうか。

…何言ってるんだ俺は。もうダメだ。俺は終わりだ。

2025-08-13

anond:20250813163154

スタバフラペチーノ買ったら700円とか行くしな

気になるのあれば飲んじゃうけどさ

2025-08-11

anond:20250811110651

優等生タイプは、人生にも大学受験みたいに10点くらいの小問が均等に配置されてると思ってて、どれも手堅くとっていくのが大事と誤解しがち。

実際の人生は、クリアしてもクソの役にも立たない0点問題が続いたり、クリアしたのにマイナス問題があったり、簡単なのに1000点って問題があったりする。

もちろん100点満点なんかじゃない。

まあ、日本に生まれただけで勝ち組だよ。

どんなに貧しくても死にはしない。

スタバで新作のフラペチーノ飲んでる横で、水道水を飲まされるとか、そういう問題しかない。

2025-08-05

anond:20250805104108

体質の問題じゃなくて食べ方が一番大きな要因だと思う

 

大学1年の1年間ほぼ一日1300kcalに抑えてたけど

そのときと1800~2000以上摂るようにしてる今と体重2、3kgしか変わらない

 

もともと栄養学を学ぶのが好きだし料理趣味から

ひたすら摂取カロリーを抑える生活に飽きて

https://anond.hatelabo.jp/20250805103341

こっちで書いた食生活に移動した

科学的な根拠もいくつか掴んでたし

 

摂取カロリーだけ見てると摂取カロリーを下げる以外の発想ができなくなる

摂取カロリーの内訳のほうが重要だと思う

 

基礎がこれだと安定するみたいで週何回の外食で好きなだけ食べても体重はほぼ変動なし

増えても少し調整すればもとに戻る

体重増えるのは年末だけど(クリスマス前後から7日まで毎日プラス2000kaclなので)成人式までには戻せる

追記:酒は大きいかもね

私は酒はほとんど飲まない(月3回、100mlぐらいフルーツチューハイ

代わりに甘いものが好きでほとんど毎日寝る前にケーキ食べたり週何回かゴンチャやスタバフラペチーノみたいなの飲むけど

「1回にまとめて摂る」をしないからかな

2025-07-11

「見て見て!メロンパンフラペチーノだって!美味しそー!」

「あれ?どうしたの?」

「……いや、メロンパンパンの形で食べたいというか……その……」

「……あんた、さては参政党だな?」

2025-07-05

なんで投票所スタバかにしないの?

近くの学校とか公民館とかで選挙されても投票ぐらいしかやることないからつまらない

投票所をスタバにして欲しい

マンゴーフラペチーノ買いに行くついでに投票しようかってなるだろうが

2025-07-03

梅雨の晴れ間、じっとりとした暑さが肌にまとわりつく昼下がり。ワイは流行りの波に乗ろうと、駅前スターバックスで新作のフラペチーノを手に入れた。メロンの果肉がゴロゴロ入った、見るからに甘くて美味そうな逸品や。

「いやー、これは大当たりやろ。チノちゃんに見せたら、少しはワイのこと見直してくれるかもしれん…!」

淡い期待を胸に、ワイはラビットハウスへの道を急いだ。店の前に、小さな人影を見つける。チノちゃんや。彼女は店の前の植木に水をやりながら、気難しそうな顔で街並みを眺めていた。

「チ、チノちゃんこんにちはやで!」

ワイは努めて明るく声をかけ、手にしたプラスチックカップを掲げて見せた。

「見てみ!スタバの新作!すっごい美味そうやろ?」

その瞬間、チノちゃんの動きがピタリと止まった。彼女ゆっくりと顔を上げ、ワイの掲げたカップ…その緑色ストローと、見慣れた女神ロゴを、虫ケラでも見るかのような目で一瞥した。

「……なんですか、それは」

温度のない声が、アスファルトに染み込むように響く。

「え?いや、やからスタバの…」

「その、砂糖と人工香料とショートニングを混ぜ合わせただけの、家畜の餌にも劣る代物を、わざわざ私の店の前で見せびらかしに来たと?」

「か、家畜の餌て…!そんなことないやん!美味しいんやで、これ!」

ワイが必死反論すると、チノちゃんは持っていたじょうろをカラン、と地面に置き、一歩ワイに近づいた。その小さなから発せられる威圧感に、ワイは思わず後ずさる。

「美味しい?あなたの味覚は、インスタ映えという名の情報汚染に完全に麻痺しているんですね。そもそも、あのチェーン店の豆は過剰にローストすることで品質の悪さをごまかしているだけ。そんなものに『コーヒー』を名乗る資格はありません。あなたは、コーヒー文化のものへの冒涜に加担しているんですよ。分かりますか?」

早口で、淀みなく、一切の感情を排した声がワイの鼓膜を叩く。これが噂に聞く「レスバ」か。反論余地が1ミリも与えられない。

「で、でも、みんな飲んでるし…流行ってるし…」

情けない言い訳が口から漏れる。それが最後の引き金だった。

チノちゃんは、フン、と鼻で笑うと、ワイの手からフラペチーノをひったくった。

「あっ!」

次の瞬間、ワイの目の前でメロン味の夢と希望が宙を舞い、ビシャッ!という無慈悲な音と共に地面に叩きつけられた。鮮やかな緑と白の液体が、汚れたアスファルトに無残な染みを作っていく。

呆然と立ち尽くすワイ。

チノちゃんスカートについた飛沫を軽く払うと、静かに言い放った。

「『みんな』と同じことをしていれば安心ですか。主体性のない、典型的な『チー牛』の発想ですね」

「……ひどいやん……あんまりや……」

涙目になるワイに、チノちゃんは店の扉を指差す。

「さあ、中へどうぞ。本物のコーヒーとは何か、その腐った舌に叩き込んであげますから

その目に宿る光は、喫茶店の店主のものではなかった。有無を言わさぬ絶対者の光だった。ワイは、砕け散ったフラペチーノの残骸に黙祷を捧げながら、震える足でラビットハウスの扉を開けるしかなかった。

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