美しいもの
- 2008/05/22 23:30
- Category: 好きなこと・好きなもの
何を見ても楽しく見える、何を見ても美しく見える。そんなこともあるけれど、その全く反対のことだって長い人生の途中に一度や二度はあるものだ。何を見てもつまらなく見える、何を見ても色褪せて見える。そんな思いに直面した時、人は初めて解るのだ。美しいものが美しく見えるのは何と素晴らしいことか。私に関して話せば割と得な性格で、小さなことに喜びを感じたり何でもないことに楽しみを見つけ、日常の中から美しいものを探し出そうとしている。何が得かは当の本人も良く解らないが、何を見てもつまらなく感じるよりは多少なりとも得な気分であることには違いない。一番いけないのは初めから "どうせ・・・" と先入観の気持ちで物事を見ることだ。そういう目で見ている限り美しいものも楽しいものもつまらない色褪せたものに見えてしまう。そんな気持ちで見ておきながら美しく輝いた物に見えたなら、それは奇跡というものだ。ところで感性とは人それぞれ違うもので、それだから面白いと私は思うところであるけれど、時々当惑することもある。例えば帽子屋を覘いた時などがそうである。モーダとはそういうものなのかもしれないけれど、見れば見るほど解らない、理解できない、良さが解らない、と悩むのだ。先日、ボローニャ旧市街にあるガッレリア・カブールを見て歩いた。私はここをよく歩くが、決してブランド物が好きだからではない。私が乗る96番のバスがこの前の広場から出発するので時間潰しに見て歩く、と言うと正しい。それでいて決して時間潰しの為にいやいや見て歩いている訳でないところが宜しい。その中に帽子屋がある。ボルサリーノ帽子店だ。ここはボローニャにある2軒のうちの新しい方。私はもっぱら外から見る専門だ。どの帽子も美しく個性的で目に楽しい。ただ、私には新しすぎて綺麗過ぎて斬新過ぎるから、店の外から見るのが丁度良い。そうしていたところ、いつも古い店にいる店員が中から手招きをするので誘われるがまま中に入ってみた。別に知り合いではない。何度か向こうの店で顔を合わせただけの名も知らぬ店員だが、何となく気が合うのだ。店に入るなり口を開く。斬新ねえ、この店は。すると店員が声を殺して笑いながら、壁に掛かったひとつの帽子を指差した。例えばこれとか? とでも言うように。その時、上の階から先客が降りてきた。洒落た装いの女性だった。一体どんな職業の人なのか、兎に角洒落ていて洗練された美しい人だった。その彼女の小さな頭には上品な帽子が乗っていて、それがあまりに似合っていたので小さな溜息が出た。美しい人は沢山いる。スタイルの良い素敵な装いの人も沢山いる。でも、帽子をこんな風にさらりと被れる人はあまり居ないのではないだろうか、と感嘆した。バスの発車時間が近づいた。また来るから、と店員に手を振って店を出た。バス停に向かいながらさっきの帽子の女性のことを考えた。嫉妬も妬みも一切抜きに美しいものを見たことを心の底から喜んでいた。
大庭綺有
今日、関東地方ではとても陽射しが強く、帽子や日傘が必要な天気です(笑)。
美しいもの。それが実用的でなくても自分のものでなくても、美しいというだけでなんとなく楽しい気分に浸ることがありますよね。
以前のことですがなんとなく気分が落ち込み、気分転換といって街に出てもなにも見たくない、見えていないときがありました。デパートを歩いてもつまらないのです。ほしいものものなく、きれいだなと思うものもなく。
だから、なににしても「美しいな」とか「きれいだな」とか、果ては「欲しいな」と思う気持ちがあることはシアワセだと思うのです。
食欲にしてもなんにしても、そういう感覚は生きているってことなのでしょうか(笑)。