はてなキーワード: 無党派とは
・先に書いたように報道されてる高市の目的は「前回の選挙で落選した自分のシンパや旧安倍派を議員に戻して自身の党内地盤を安定させるため」なので小選挙区で勝てなくても比例復活で当選してくれれば良い。
・高市の個人支持率が盤石で無党派の比例票が圧倒できるので比例当選に十分な余裕がある。
・NISAやってる現役世代に株高が絶対的支持されてるから、各党が物価高対策を出しても個々の有権者の選択肢の争点にもならない。
・大阪5区、維新現職の選挙区で自民が杉田水脈を出すのは驚きだが、小選挙区維新・比例復活で自民と余裕で当選できる。自公政権では公明党の選挙区であったが、旧公明候補の小選挙区の票の内訳のほとんどは自民票であるし、加えて杉田の選挙区には参政党は候補者を出さないので極右票も見込める。中道は候補者を出しても駄目だろう。自民と連立組んだ維新に反発する票を多少は取り込めても比例復活できるまで善戦もできなさそう。
・中道票は旧立憲と旧公明が合わさっても、それまで立憲を支えてた共産系・社民系の票がマイナスになってしまうのがキツそう。
ふん、横から口を出してくるなんて、いい度胸じゃない。でも残念ね、その反論、穴だらけよ!
結論から言ってあげる。あんたの挙げた事例はすべて「例外的なパニック」か「組織による偽装」に過ぎないわ。表面的な現象に騙されて、本質的な構造を見失っている典型的なパターンね。
詳細を叩き込んであげるから、耳の穴かっぽじってよく聞きなさい!
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あんたがドヤ顔で出した事例、どれも私の説を補強する材料にしかなってないのよ。
| 事例 | あんたの解釈 | 現実の構造(私の視点) |
| 統一教会問題 | 世論が組織を切り捨てさせた | 「組織の代替」に過ぎない。 非難を避けるために切り捨てたふりをして、別の支援団体(神社本庁や他の宗教団体等)との関係を固めるためのトカゲの尻尾切りよ。 |
| 幼保無償化 | 子育て世代(浮動票)への利益 | 業界団体(私立幼稚園・保育園連盟)への公金注入が本質よ。消費者への還元を建前に、多額の予算を「施設(組織)」に流す構造を作っただけ。 |
| 2009年政権交代 | 浮動票が組織を倒した | 結局、民主党も「連合」っていう巨大な組織票に支えられてたじゃない。組織の主役が入れ替わっただけで、「組織が政治を動かす構造」自体は1ミリも変わってないわ。 |
「5万票の無党派を敵に回すリスク」? そんなの、ただの幻想よ。
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あんたの言う「リアリズム」なんて、テレビのワイドショーレベルなのよ。
いい?政治っていうのは「一時の熱狂」で動いているように見えて、その実、「利権と義務の鎖」で何十年も同じ場所を回っているの。
そんなに「世論が勝つ」って信じたいなら、教えてあげるわ。
「世論の怒りで、既得権益団体への補助金や税制優遇が、一時的ではなく完全に消滅した」っていう事例が一つでもあるっていうの?
Would you like me to explain the "Iron Triangle" (Bureaucracy, Industry, and Politicians) mechanism that makes these structures nearly impossible to break?
Xで政治系の話題をパブサするときは無党派~野党支持ぐらいのアカウントを基点にしてたから、自維国立あたりの支持者は普段からよく見かける
残りの政党だと、左右に振れてるアカウントがわざわざ検索しなくても目に入るけど、公明党支持者はほとんど見かけたことがなかった
公明党支持者のファンネームがRICEということも今日初めて知ったよ
・報道されてる高市の目的は「政権安定させるため」その実は「前回の選挙で落選した自分のシンパや旧安倍派を議員に戻して自身の党内地盤を安定させるため」
・支持率高いので投票率が高ければ高いほど与党の票が伸びて議席を増やせるからと、何の前触れなくサプライズ解散して話題の熱が熱いうちに超短期決戦の選挙突入して無党派投票率を上げるという目論見
・NISAやってる現役世代に株高が絶対的支持されてるので公明党が消えても自民単独過半数は確実
・立憲は厳しい。自民は女性票弱いとされてたが女性の女性総理贔屓はあるので今まで取れてた票が自民に逃げる。国民も共産も独自候補出して反自民票が分散すると小選挙区でも敗北多くなる。比例も確実に減るので100議席切る。
・参政党は対立候補出すと言うがあくまで高市と対立する前石破政権メンバーなど自民ハト派に対して対立候補出すだけ。SNSに無敵系アカウントが最近も増えてるのでインプレ目的の落選運動盛り上がって元大臣が何人か落選するかも
・立憲と公明が合併協議すると報道出た。公明が連立離脱した時にも一部で言われてたけど、創価学会は池田大作が亡くなって政治活動に完全にやる気が無くなって公明党を手放したいのでは。二世信者の脱会の理由になってそうだし。
・立憲が公明の選挙協力を頼みとするのは当てにならない。公明の各支部では過去20年自民と二人三脚で選挙戦ってきたわけで、上からの支持でほいほい今までの敵に投票する人がどれだけいるのか。
極右が外国人を「悪魔化(Demonization)」しているという話が出てたけど、左派こそさかんに他者を悪魔化していて、それがまさにキャンセルカルチャーというやつだったよね。
初期は露骨で明確で説明可能な差別・侮辱表現のみが問題視されていたが、力を持ち増長し、だんだん難癖じみたものになっていき、
「オエッとおもったし、みんなもオエッってなったとおもう」程度の感覚でも集団で表現をぶん殴って良いし、作者の人格否定をしても良いことになっていった。
「腐女子のお気持ち学級会」のような小さな世間のノリに乗っ取られていった。無党派がついていけなくなって当たり前だと思う。お気持ち沼に一生隔離されていたほうがよかったような人々が増長しすぎだ。あれは貧乏神だ。
そもそも腐女子は二次創作で著作権侵害しているうえにウォーキズムを叩き棒にして原作の作者を誹謗中傷しているカスハラの権化みたいな消費者層。そのレベルで政治をやって、お仲間以外からの納得が得られると思ったか?
左派の中での言論人の権威化であったり、権威化されていたら説明不足でも内輪では簡単に納得が得られる傾向もあり、権威主義かつ人治主義的なところは調子づいていた頃の左派にも相当あった。
というか、「オエッと思った」「ヘイターだ」と説明不能なお気持ちでレッテルを貼りで集団で殴り掛かっていたのって、どこがどうリベラリズムだったのだろう。表現規制といえば右派(宗教上の理由で同性愛を否定してマイノリティ表現を弾圧)だったのが、
左派による表現規制(マイノリティの心を傷つける科学論文は掲載禁止するNatureなど反科学Woke)が増え、右派も左派もお気持ちで気に入らない表現を弾圧するなら、最早誰がリベラルなのか?
日本共産党も独裁体制を敷いており自由とは程遠い党であり、立憲民主には穏健左派の役割を期待していたが、まともな説明もないただの罵倒・侮辱・悪魔化で相手の口を塞ごうとする議員が放置されていたり、
支持層にも参政支持層と同レベルの悪質な誹謗中傷集団がいるので閉口している。
ここ数日の間でも「数々の問題が発生しており医師からも見直しの声があがっているが本当に自認だけでトランスとみなしてよいのか?」「トランスヘイターだ!」「ヘイター呼ばわりするならどこがヘイトなのか示せ」
「これはどう見てもヘイトだ」「説明ができないのか?」「説明を要求するのは典型的なヘイト」という、どうしようもなく感情的なやり取りが行われていた。説明を求めた時点でヘイトなら議論が成り立たないだろうが。
似たようなやり取りははてブでも見た。匿名のはてサから実名の言論人までこのレベルだ。説明を放棄して敵をヘイターと呼びお仲間とつるむだけ。集団カスハラと思想弾圧を平気で行うようになっているが、自覚がない。弾圧をするのは右派だ、と彼らは確信している。
リベラリズムを期待して投票できる先がない。自由を重んじるなら左派政党に入れろとはてサは言うかもしれないが、やったことが「オエッと思った」ごときで表現弾圧する愚行だったので、何も期待できない。
ショタコンのBL作家がsteamのインディゲーの表現規制を求めた件、こういう「オエッと思った」精神、ダブスタカスハラ精神が左派の主流になってしまっている。「チー牛!」「まんさんw」と罵りあうだけで議論が破綻した空間になっている。
左派には期待していたのに、キャンセルカルチャーの全盛期に権威酔いして弾圧者になっているので、本当にどうしようもない。あれはリベラリズムではない。
いやさ、最近つくづく思うんだけど、政治って完全に宗教だよね。もう、政党とかいう名の「教団」じゃん? 各政党の支持者なんて、熱心な信者そのもの。Twitter(いや、Xか)とか見てると、まるで聖戦でもやってるかのように、他の政党をボッコボコに叩いてるよ。どこのカルトだよって話。
でさ、支持者たちがやってることって、ぶっちゃけ「代理戦争」なんだよね。自分とこの党の党首(=教祖様)を崇め奉って、敵対する教団(=他の政党)を「異端!」つって火炙りにしようとしてる。いやいや、ちょっと待て、君たちが戦ってるの、ただの政治家だぞ? 神様でも救世主でもねえんだぞ? なのに、なんでそんな目がキラキラしてんの? 完全に洗脳されてるじゃん。
んで、新しい政党が出てきたらどうなるか。これがまた、めっちゃ新興宗教のノリ。なんか「今までの政治に絶望した!」って元・無宗教(無党派)の人が、急に「この新しい党こそ我が救い!」みたいな感じでハマっちゃうんだよね。で、その新興政党の党首? はい、教祖確定。なんかキラキラした目で「我々は変える!」とか叫んでる姿、完全にスピリチュアル系のセミナー講師じゃん。信者たちは「うおお、党首様のビジョンが光ってる!」とか言いながら、グッズ(選挙ポスターとか)買い漁ってる。
で、最終的に何が起きるかって、違う政党の支持者同士が全く話通じねえの。もうね、仏教徒とキリスト教徒が「どっちの神が本物か」って言い争ってるレベル。A党の信者は「B党の政策は悪魔の囁き!」とか言って、B党の信者は「A党の党首は偽救世主!」とか言い返して、延々と殴り合い。いや、ちょっと落ち着けよ、お前ら同じ国の人間だろ? 宗教戦争やめて、普通に政策の話しようぜ……って、まあ、無理か。だって宗教だもん。
結局、政治ってのは信仰心で動いてるんだよね。みんな、自分の信じる「正しい教義」(=マニフェスト)を掲げる党に魂売っちゃって、盲目になってる。俺? 俺は無神論者(無党派)でいいや。だって、どの教祖も結局人間じゃん。ハレルヤもアーメンも言わねえぞ!
前回の都知事選に安野たかひろが突如立候補し、わずかな選挙期間のみで、コロナ禍以降数年にわたりSNSで知名度を広げつつあった、反ワクチンの権化「うつみ さとる」の得票数を抜いたことは、都内在住、無党派30代、40代位の人達のわずかな希望だったのではないかと思う。
今回、国民民主党が須藤元気を擁立したからには、この都知事選と同じ動きが起きて貰わないと困る。
つまり反ワクチンを否定しなければならないわけで、国民民主党の得票率が下がれば下がるほど国民民主党を応援しようとしていた人達の意見が一致する。
そして、その票はどこに行くかというと、おそらく「チームみらい」だ。
すぐに政権が崩れたり社会が変わるなんて思ってもない。どんなスタートを切れるかに期待をしている人が、少なからず居て、それがどれくらい可視化されるか。
私はこの約十年間、市町村議会選挙・知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙の投票先を、ランダムに決めている。
文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合はちょっと複雑になるけど)、とにかく自分の意志であるとかを介在させないようにやっている。
(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)
なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主の政権交代劇の際に、「無党派層」というものの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。
私は大学のゼミで、戦前の男子普選の時代に「無党派層」というものは勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。
(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争に突入してしまったのと、地域社会や院外団活動の関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)
選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。
報道、職場や労組、近所付き合い、フットサルやジムのサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか、投票所の門をくぐった瞬間何かの党派に空気で入った人」を指す言葉でしかない。
党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである。
あるいは単に「負ける候補者に入れたくないから都知事選では石原に入れるし、2009年の選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。
筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?
良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかけなのだ。
やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合は選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。
具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬の議員に入れることになったこともある。
私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力を基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。
つまりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。
日本ではなくアメリカになるが、前の大統領選挙でも、カマラとトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、
選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後にテレビかネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。
私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダムな投票先であれば仕方ないが)、
自分の意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。
そして議員が、「自分の存在が乱数の上の存在でしかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今後の投票にも臨んでいく。
( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )
どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民が県庁職員の命を軽んじているわけではない。
逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。
これは右派左派問わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。
97万人もの人間、投票したうちの39.6%の人間の意思を無視した発言になってないか。
いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。
自民党の大敗が記憶に新しいが、小選挙区で自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。
ただ、良くも悪くもテレビや新聞のマスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。
そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事の不信任決議をする、というのが異例だった。
民意と言えば聞こえは良いが、マスメディアの報道を受けて支持母体からの圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。
事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。
齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言に一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)
告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。
失職に至る経緯である、告発文書の報道が、主に理解しやすく視聴率を稼ぎやすいパワハラとおねだりに集中していた点が、事態を悪化させていた。
ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである。
街頭演説では、おおむね、前知事の井戸敏三県政の無駄遣いの批判、自身の県政でのお金の使い方(高校への投資、企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。
そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党の分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。
つまり、現職なのでそもそもの地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である。
マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。
トップダウンの井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。
逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。
一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。
マスメディアによる齋藤元彦おろしは成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。
そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。
また、全国的にも良く知られているが、関西圏は維新に対しては通常親和的な報道が行われる。
齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党と日本維新の会と共闘して県政を行っていた。
マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。
また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすいネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。
(もしも前知事時代に女性関係の醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)
しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。
また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。
出直し選挙で民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会やマスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。
現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。
また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事の任期に差があり、失職後に出直し選挙で当選しているので、任期はリセットされており、ここから4年の任期となる。
恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。
文書問題調査特別委員会(通称、百条委員会)については、粛々と聞き取りと調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与の自主返納あたりで手打ちになると思う。
これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。
兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省が調査せざるを得ない内容、法務省が調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイントに匿名で通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。
五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事の問題とするには飛躍が過ぎる。
繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。
立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。
単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合、当選していたのは稲村和美であった。
県知事の任期は4年であり、第53代兵庫県知事の齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。
文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。
マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。
齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラを日常的に行っていたであろうことも百条委のアンケート結果からは伺い知ることが出来る。
ただ、それを告発する為にとった手法が公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である。
そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。
(贔屓目に見ても怪文書としか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法を飛ばして私刑を行って良い理由にはならない)
風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアからの情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。
返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。
パワハラの認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。
パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険な行為なのだ。
そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかわからないような不特定多数がいるような場所でパワハラをしない。通常、パワハラは録音データが漏れてしまえば即特定されるのだ。
そして、日本のマスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。
そうすると、パワハラは日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。
従来のマスコミのゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。
ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策で判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。
やはり、そろそろマスメディアが私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。
辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。