はてなキーワード: 中世とは
NHKと民放どちらも居直っている。諸悪の根源。大本営発表。もはや右でも左でもなく、金と権力の間で揺れ動くばかりのオールドメディア。真実は何も明かされず、ワイドショーでは毎日三面記事ばかり取り扱っている。そのくせやけに影響力が大きく、着々と日本を斜陽国家に追い詰めている。高市の工作疑惑や辺野古の事件は一切報じられない。
反共とは名ばかりのアメリカの奴隷。反高市の派閥もいると言うが詭弁であり、同じ党に居座っている時点で同罪である。アメリカのためにせっせと軍備を増強している。
某団体からお金を貰ってSNSを荒らし回っている。アンタッチャブルな存在。闇。しかし世論形成に大きく影響しており決して無視することは出来ない。
国という一番大きなアイデンティティに縋るしか無くなった可哀想な人たち。本当は同情してあげるべきなのかもしれない。「日本は凄い→日本人の俺凄い」を繰り返さなければやっていけない。そういう人たちをカモに小銭稼ぎする、悪魔に魂を売ったビジネスウヨも存在する。
サナ活民、小野田推しオタク、レイシスト、スカッとジャパン民など、ごくごく平均的な国民。前回の自民党に投票した者の多くはB層である。マスコミの言いなり。権力者に都合の良い庶民。完全に飼い慣らされている。国民の一員として、正しい情報を得る努力をしてほしい、というのは酷な要求だろうか。
カルト右翼。オーガニック極右。自民党支持者よりさらにまずい連中を束ねている。差別主義者。
まだ絶滅しきってない。反戦に乗じて暴力革命を企てるという矛盾を犯す謎の集団。長期的な視点が無く、集団で衝動的に行動することで快感を覚える。平和的デモを脅かす存在。
新左翼とは異なると主張するが不穏な存在。共産主義の失敗は歴史が物語っているにもかかわらず未だに共産党を名乗っている時点でおかしい。
本当の諸悪の根源。世界の警察(笑)。戦争でしか儲けられない資本主義の奴隷。現代でも日本を半植民地化しており、統一教会などの反共勢力により一層力を増している。トランプ政権が終わるまでこの調子かと思うと暗澹たる気持ちになる。
野蛮な国家。中世の価値観をずっと引き摺っており未だに領土拡張を狙っている。見れば分かる通り。
迷惑な隣人。ここで言う中国とは、中国人のことではなく中国共産党のことである(とわざわざ付け加えておかなければレイシストが喜ぶ)。無闇矢鱈に東アジア情勢を動揺させている。中国人を全員悪者扱いするというのは誤りだが、中共を擁護するのは完全に誤りであり、ここを擁護している左翼とは距離を置いた方が良い。
かなり頑張っている。倫理的に誤ちを犯した人々を糾弾しすぎた(松本、中居など)ため、多くの人から恨まれており国民の敵になっている。
Xの一部には極左にも極右にも転ばず、正しい道を征こうとしている人々が見られる。しかしXにいるお前らは個人主義すぎるため何にも結実していない。世論(B層)を1ミリも動かせていない。デモに行ってる人たちは素晴らしいがデモには将来性が無い(し、左翼に利用される危険性がある)。一番有効なのは自分たちで政党を作って政治活動を行うこと。それがいちばん難しい。デモにも行かないお前らは一生タイムラインの前でろくろ回してるだけ。
返信やはてブがあればそこにある意見も参考にしてほしい。上記の記述が100%正しい訳ではない。真実は他人から与えられるものではなく自分で探し出すものだ。トンデモな陰謀論に陥らない程度の、それでいて権力に飼い慣らされない程度の情報リテラシーを日本国民は身につけるべきである。
そこは論点をかなり混ぜてる。
という批判と、
は別問題。
しかも、
なのに毎回、
を認めた瞬間、
全部まとめて
「じゃあストレス与えたいんだ!」
に変換される。
それだと結局、
“適法な取調べ”
あと、
「今まで通りやらせろ」
なんて言ってない。
録音録画拡大、
でもあなたの側って、
途中からそれを
「対面取調べ全体」
にスライドさせていくんだよね。
だから、
って話になる。
しかも、
そこまで全部、
に寄せれば、
その現実論を言っただけで、
毎回
「中世!」
「人権軽視!」
まで飛ぶのは、
かなり極端だと思うよ。
結局あなた、
って結論を置いてるんだよね。
だから、
全部まとめて
「精神的圧迫」
に変換される。
でも現実の取調べって、
話の食い違いを確認したり、
そういう作業が大量にある。
それを全部、
「ストレス与えたいだけ」
で片付けるのは、
かなり乱暴。
毎回わざと
「適法な対面取調べ」
と
を混ぜてる。
で、
みたいな方向に持っていく。
でもそれ言い始めたら、
取調べだけじゃなく、
裁判も、
拘束そのものも、
“ストレスがあるかどうか”
じゃなくて、
の線引き。
そこを無視して、
「ストレスを与えて翻意させたいんだろ!」
に一本化してるから、
毎回話が雑になる。
あと、
司法取引って、
「認めれば軽くなる」
「争えば重くなる」
むしろ、
かなり強烈。
でもそこは急に、
扱いになる。
結局あなたの中で、
あと根本的な話として、
黙秘後は、
説得も制限、
実質的には書面中心。
でもそれ、
なのに、
みたいに置いて、
少しでも違う意見が出ると、
「中世」
まで飛ばす。
また話ずらしてるよね。
最初は、
って話だったのに、
反論が苦しくなるたびに、
中世論、
倫理論、
人質司法論って、
しかも、
って言ってる。
でもあなたは、
そこから
まで一気に飛ぶ。
そこが雑だって言ってる。
あと、
と
そこを毎回、
みたいに変換してる限り、
そりゃ永遠に噛み合わないよ。
って言うけど、
でもあなたは、
の話が出た瞬間、
全部まとめて
「人権軽視!」
「中世!」
に変換してる。
だから“雑”だと言ってる。
しかも、
自分の側は一切極論じゃない前提で話してるけど、
「書面中心でやれ」
みたいな思想って、
少なくとも、
そこを
少しでも違う意見が出ると、
「時は来た」と高市首相、憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍」
――戦後日本の社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。
憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います。平和主義や国民主権、人権の尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります。憲法学者として人権や差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福の憲法学』ではこう指摘しました。
「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。
――80年近くを経て、憲法の価値観が空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的な政策を掲げる政党や政治家が広く支持を集めました。
社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに「帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます。哲学者のスローターダイクは、中世のカトリック教会や共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちのエネルギーにしたことを論じています。怒りや不安を人の属性に帰属させれば、差別の出発点となります。
例えば、外国人に見える観光客のマナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作をします。
――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。
差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常のイライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアやイスラエルの問題を意識させることにつながります。
――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分の感情を操作された結果、差別に加担するのは嫌です。
憲法の掲げる人権や差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近の研究では、プライバシー権をめぐる議論も差別の問題とつなげながら掘り下げて考えています。
プライバシー権は、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。
プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者に自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らしの女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれるリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。
その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向や被差別部落の出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。
――混乱とは?
個人情報のなかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛な情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為や差別が心配な情報があります。
プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為や差別を防ごうという議論になってきています。
しかし、違法行為や差別に使われる情報のなかには、公開されているものもあります。例えば、大学や新聞社の電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNSに投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。
これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり、違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利で対応した方が明快です。ところが、最近のプライバシー権の議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。
――プライバシー権とは別に「差別されない権利」があるということですか。
はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念で対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。
「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できます。プライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利は個人情報を不当に「使用させない」権利です。
肌の色や話す言葉など、公にされた情報で外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます。
「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだから、プライバシー権を侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報を差別に使うことは、差別されない権利の侵害と捉えるべきです。
他にも、LGBTQの性的指向や性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為はプライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来、性的指向や性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人のアイデンティティーの根幹となる情報です。アウティングが問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。
プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報を認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます。権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。
――個人情報の差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?
個人の選択の結果を、国籍や性別に帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人の選択ですが、それを国籍や出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。
雇用の場面でも、「この人は女性だから辞職する可能性が高い」とか「外国人だからこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別や国籍の情報の差別的な使用の例でしょう。不安やイライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。
■憲法に書き込む影響力
――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相は4月12日の自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。
国会の憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。
自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正が必要かという根本的な理由づけが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法や法律でも不足はない。仮にあっても、法律の改正で済むような話ばかりです。
日本への武力攻撃があった場合の防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲で政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります。
――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります。
もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。
――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。
憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります。
例えば、明治憲法における都道府県の位置づけはあいまいでしたが、戦後の憲法92~95条に地方自治の原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊を憲法に明記すれば、国家権力を執行する警察や海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。
――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています。災害救助だけでなく有事の切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います。
災害救助や国際貢献の面で自衛隊の活動を評価する世論のトレンドは理解しますが、慎重な分析が必要です。
憲法9条は、日中戦争や太平洋戦争の反省の下で外国の領土を侵略するような武力行使を制限する「自己拘束」です。
憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争やイラク戦争、ロシアのウクライナ侵攻、米国やイスラエルのイラン攻撃などの戦地に自衛隊を派遣すべきだという世論が国内で盛り上がる気配はありません。国連の平和維持活動(PKO)で自衛隊を戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています。
9条改憲を長年目指してきた自民党の保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義の精神が改憲派にまで浸透したことを意味しており、「護憲派の勝利」とさえ言えるのかもしれません。
――心配性かもしれませんが、そうした日本の世論も台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。
もし中国が台湾に武力侵攻した場合、在日米軍基地や自衛隊の基地も攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります。台湾有事は、海外での集団的自衛権の行使とは違う事態だと考えるべきです。
――もう一つ気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案(12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲の可能性です。
憲法の基本原則、すなわち国民主権と平和主義、基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法の価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています。
――どういうことでしょう。
高市首相は4月21日、防衛装備移転三原則の改定を閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定の安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力の保有、防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。
憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本が紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理や原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出の禁止などは、そこから生まれたルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府や自衛隊の信頼を作ってきました。
こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルールは安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力や武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルールや原則が示されていません。
――敗戦直後の日本が軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀の日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。
イスラエルのネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使は権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。
――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権は安保3文書改定にも乗り出しています。
憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。
少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律のルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣の裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。
また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動や学術活動、SNSの通信など、様々な生活領域を防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業の自由や学問の自由、刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業の経済安
青年アルトは、銀河の果てにある惑星ヴァルナの宮廷に仕えていた。
石造りの大広間、鎧の騎士たち、そして空中に浮かぶ魔導機関――中世と未来技術が奇妙に混ざり合った世界。その玉座に座すのが、ヴァルナの女王である。
女王は静かに言った。背後では、星図が光りながら回転している。
彼は“星渡りの門”と呼ばれる転移装置に乗り込み、地球へと降り立った。
「ここが……地球……」
第一印象はやはり、
「揚げ物の匂いがすごい」
だった。
「何してんの?」
「我はヴァルナの女王に仕える侵略補佐官見習い――」 「通報するよ?」
「で、どこから来たの?」 「遠い星からだ」 「はいはい、遠い星ね。で、お腹すいてる?」 「すいている」
「ほら、食べなよ」
アルトはかじる。
その瞬間、彼の価値観が揺らいだ。
味は「概念」だった。
数日後。
「侵略は?」 「慎重に進めている」
まったく進んでいない。
ミオは笑う。
「その女王ってさ、パン食べたことあるの?」 「ない。女王は完全栄養で生きている」 「じゃあダメじゃん」 「何がだ」 「侵略」
アルトは悩んだ。
そして決断した。
「報告せよ」
女王の声が響く。
「地球は……侵略に不向きです」 「理由は」 「パンがうまい」
側近たちがざわめく。
「……続けよ」 「地球人は非効率で、混沌としております。しかし――妙に親切で、食文化が異様に発達しています」 「それが何だ」 「侵略すれば、パン屋が消えます」
沈黙。
長い沈黙。
「……その“パン”とは何だ」
アルトは微笑んだ。
数日後。
銀の装束、星のように輝く瞳。
「ここが地球……」
ミオはじっと見て言った。
女王は一瞬だけ考え、頷いた。
数分後。
「……侵略は中止とする」
アルトはほっと息をつく。
ミオは得意げに笑う。
「でしょ?」
「代わりに、この星と交易を行う」 「パンと引き換え?」 「そうだ。我々の星間航行技術を提供しよう」
ミオは腕を組んだ。
「安いなあ。倍ね」 「……よかろう」
交渉成立だった。
アルトは思った。
(パンだったのかもしれない)
任務? たぶん順調だ。
ベルセルクの(一部)ファンが「日本で主流のドラクエ的ファンタジー中世ヨーロッパと違い、ベルセルクは文化や風景や戦争にリアリティがある」と褒めたら
中世ヨーロッパに自信ニキの専門家が怒って「ベルセルクは建築も服飾もバラバラの時代・地域の適当な寄せ集めで全然リアルじゃないよ。政治・商業・文物も中世には無くて近世以降の物がたくさん出てるよ」
ファン側は「いや……ゾッドみたいな怪物がいるんだから現実そのものだなんて俺らも勘違いしてないよ。ただ過去のライトな中世風作品に比べて陰惨な中世ヨーロッパの雰囲気がよく出てるみたいな意味で……」
とやり合っていたんだけど、結局ロリ魔法使いが登場したことでファン側も「俺らの思ってたリアルな中世と違う」となって解散してしまった。
todomadrid あのさ、もちろん性被害に遭った女性が長年言われてたことを反転させた皮肉だよ。分かってるよね?「被害者が悪い」という意見がいかに理不尽かって皮肉ってるの理解してなさそうな人もいるので念のため...
nguyen-oi これ、女性が被害に遭った時のテンプレ暴言を男性被害者に投げ返して矛盾を突くミラーリングか。皮肉が効きすぎてる
フェミが多いせいか男女の違いを全く理解してないからまともなミラーリングも出来ないんだろうな。
男は別に女からさわられてもそれほど気にしない。寧ろこんなミラーリングをしたら格好によっては女に自由にさわってよいとなるから女に対する間接的な攻撃でもある。
根本原因は男女にたいして違いがないと言うフェミの妄想が引寄せた不協和だろうけど。もう良い年した中年なんだからそろそろ変なフェミ妄想巻き散らかして回りに迷惑かけるのやめて異性とまともに向き合えよ。
おまえらは中年も末期に差し掛かってもう既に初老なんだぞ?本来は孫がいてもおかしくない。それがネットで回りに迷惑を日々かけている。恥ずかしくないのかよ?
「愚妻と言っても愚夫とは言わない」とか「愚妻というのは『愚かな妻』ではなく『愚かな自分の妻』という意味だ」などという話で盛り上がっているので調べてみた。
まず、中国語では「愚〜」は「自称」としてしか使われないようだ。
たとえば「愚兄」は年長者が使う自称で、「愚老」は老人が使う自称、「愚臣」は家臣が使う自称である。
弟が兄を指して「愚兄」、孫が祖父を指して「愚老」、王が家臣を指して「愚臣」などとは呼んだりしない。
「愚妻」や「愚息」という言い方はなさそうだが、もし存在するなら、
「愚妻」は妻自身が己を指して使う言葉となり、「愚息」は息子自身が己を指して使う言葉となるのだろう。
つまり「夫が妻を指して言う愚妻」「親が息子を指して言う愚息」は日本独自の用法ということになる。
本来は自分にしか向かない謙遜の「愚」が、自分以外(身内)に向くような用法が生まれてしまった。
「愚妻の愚は自分の意味である」という説明は明治時代にも見られる。
愚息 わたくしの子供と云ふ心なり 愚とは自分を卑下して云へるコトバにて、馬鹿なコドモと云ふ心にあらず、愚妻、愚弟ミナ然り、ツマり愚がコドモと云ふ心なり
ただ、他の辞書は、単に「自分の妻を卑下して言う語」などと書いているだけで、ここまでの細かい説明はしていない。
全体として「愚妻」は素直に「愚かな妻」として解釈されることが大半だったようだ。
以下の随筆が興味深かった。
自分の妻のことを、人に対して愚妻といふのは、謙遜のつもりであらうが、甚だしく妻を侮辱した言語である。妻は人に対して、自分の夫のことを、愚夫とはいはないやうである。
昨今の議論と同じことが、この当時から言われていたのだなあと思う。
しかし「愚妻の愚は自分の意味である」という説は終戦後に復活する。
さきごろ、京都に滞在中、新村出博士を訪問して班日の閑談をした。(中略)博士の言われるのに、「愚妻」というのは「おろかなる妻」ということではない、「愚(自分)の妻」ということだ。だから、決して女性を軽視したということにはならない、うんぬん。
新村出は言語学者で、広辞苑の編集者でもある。ただ、荻原井泉水はこれを「新説」とみなしている。
男女同権論者が、ことばの正解的の意味を取り上げて屈辱的と非難するのはあたらないけれども、そのニュアンスを取り上げて封建的な「におい」がするというのは、かならずしも不当だとは言えない。それなればこそ新村博士の「愚(自分)の妻」という新説が提言されるわけなのである。そしてこの新説はおもしろいと思う。ちかごろ、流行するアメリカふうの同権論者の時流を背負っている公式的広言の口を封ずるにはキキメがある。
変わらなすぎて草。
1966年(昭和41年)寿岳章子『レトリック -日本人の表現-』
この「愚」は他の何かのことばが下につくが、たとえば「愚亭」とか「愚鷹」とかの実例を通じて考えられることは、この種の表現法はどうも「愚かなる〇〇」ではなくて、「私の〇〇」ということらしい。つまり「愚」というのは「私」という一人称の一つであるのだ。
寿岳章子は中世を専門とする国語学者だが、やはり「史料から推察される」というだけで、「学術的に常識である」という書きぶりではない。
1977年(昭和52年)『サンデー毎日』市川三郎「只今笑談中」
愚妻というのは、愚かな妻、イカれた女房のことではなく、愚生の妻、愚老の女房、の意で、この愚は亭主のほうにかかる形容であって、決して妻を形容するものではない。
愚妻の愚は妻にかかっているのではなくて、むしろ夫にかかっているのをご存じないらしいのだ。愚かなる私奴の妻でございます。ということである。
「どうも〇〇らしい」→「一説には〇〇という」→「これは〇〇である」→「〇〇ということも知らないのか」と、どんどん断定調になっていて面白い。ありがちな伝言ゲームである。
「愚夫」という言葉については、その多くは単に「愚かな男」という意味で使われていた。
つまり、夫婦の「夫」ではなく、男性一般の意味の「夫」であった。
「愚夫愚婦」と総称されて「愚かな庶民」のような意味で非常に多く使われていた。
では、謙称として自分の夫のことを「愚夫」と呼ぶ例はどのくらいあっただろうか。
1896年(明治29年)『人情世界』「探偵実話 美人冤罪死刑」
1904年(明治37年)エドワード・ソーンダイク著・北沢定吉訳『人性研究』
江本夫人 この倶楽部の始められた晩の食事の時に、荒木教授の演説に就いて、我々の話した事を御記憶ですか。私は、見るのは、眼でなくて、眼のうしろの智慧だと主張し、愚夫(ヤド)が、澤田様には、二間も先の小虫を見ることが出来ると、いふ事実を語って、私に加勢しました。
手紙の書き方ガイドの「謙称のまとめ」のようなところで「拙夫」などと並んで「愚夫」が出てきていたりもした。
検索のやりようが難しいので、探せば他にもありそうだが、とりあえず例が無いということはないようだ。
↓
日本では謙譲の対象範囲が身内にまで拡大されて「愚妻」「愚息」などの言葉ができた
ただ当時の感覚では「愚(自分)の妻」のような意味だった可能性が高い
↓
明治時代にはもうほとんど「愚かな妻」という意味で認識されていた(謙遜としてではあるが)
↓
「愚妻」の対となる「愚夫」の用例も無いではなかったが
単に「愚かな男」という意味で使われるのが大多数だった
↓
戦後になって「愚妻」への非難のカウンターとして「愚は自分のことである」との説が復活した
といったところではないか。
謙譲の対象を身内まで広げたのが悪いよ。
やっぱ向こうは未だに中世だとおもうの
青年アルトは、銀河の果てにある惑星ヴァルナの宮廷に仕えていた。
石造りの大広間、鎧の騎士たち、そして空中に浮かぶ魔導機関――中世と未来技術が奇妙に混ざり合った世界。その玉座に座すのが、ヴァルナの女王である。
女王は静かに言った。背後では、星図が光りながら回転している。
彼は“星渡りの門”と呼ばれる転移装置に乗り込み、地球へと降り立った。
「ここが……地球……」
第一印象はやはり、
「揚げ物の匂いがすごい」
だった。
「何してんの?」
「我はヴァルナの女王に仕える侵略補佐官見習い――」 「通報するよ?」
「で、どこから来たの?」 「遠い星からだ」 「はいはい、遠い星ね。で、お腹すいてる?」 「すいている」
「ほら、食べなよ」
アルトはかじる。
その瞬間、彼の価値観が揺らいだ。
味は「概念」だった。
数日後。
「侵略は?」 「慎重に進めている」
まったく進んでいない。
ミオは笑う。
「その女王ってさ、パン食べたことあるの?」 「ない。女王は完全栄養で生きている」 「じゃあダメじゃん」 「何がだ」 「侵略」
アルトは悩んだ。
そして決断した。
「報告せよ」
女王の声が響く。
「地球は……侵略に不向きです」 「理由は」 「パンがうまい」
側近たちがざわめく。
「……続けよ」 「地球人は非効率で、混沌としております。しかし――妙に親切で、食文化が異様に発達しています」 「それが何だ」 「侵略すれば、パン屋が消えます」
沈黙。
長い沈黙。
「……その“パン”とは何だ」
アルトは微笑んだ。
数日後。
銀の装束、星のように輝く瞳。
「ここが地球……」
ミオはじっと見て言った。
女王は一瞬だけ考え、頷いた。
数分後。
「……侵略は中止とする」
アルトはほっと息をつく。
ミオは得意げに笑う。
「でしょ?」
「代わりに、この星と交易を行う」 「パンと引き換え?」 「そうだ。我々の星間航行技術を提供しよう」
ミオは腕を組んだ。
「安いなあ。倍ね」 「……よかろう」
交渉成立だった。
アルトは思った。
(パンだったのかもしれない)
任務? たぶん順調だ。
https://togetter.com/li/2685448
こういう話を読んでると、
「現代は叱らない子育てだの多様性だのの美名の元で子供を『矯正』するような思想が消えて来ているけれども、 逆に反社会的な人間が蔓延る世界になるかもしれない」
と思ってしまった
昭和時代の中世みたいな子育て(並びに子放置)なんて言語道断ではあるものの、現在の「躾なさ過ぎ」は論外じゃないか?変な方向に走ってるぞ
人の頭に水ぶっかけても叱られないって…そのまま大きくなってもやってたら手が後ろに回るんだけど
「これは反社会的行為だ」って自力で気付かないといけないんだけど、気付けるのかね?
そういうの気付く人間は、そもそも(幼児期でも)人の頭に水をぶっかける様なことはしないもんなんですけどね
どうなんだろうか?
親は子供への責任があるんだけど、そういう犯罪者を育てて良いと思ってるのかね?
親からして反社じゃないか?(この水ぶっかけガキママの言い草自体、完全な言いがかりなのでやっぱり反社かもしれない)
こわいー
こんなキチ○イ親子のために独身税一銭も払いたくないー
天皇は長らく「便利な神輿(みこし)」として担がれ、権力者やイデオロギー勢力に利用されつつ、本人の意思や伝統的な神社とのつながりはしばしば無視・切断され、時には「拗らせた連中」のクーデターや暴走の口実にされる——という皮肉な状況が、江戸後期から戦前まで繰り返されました。以下でまとめます。
天皇は将軍や摂関家、武家政権の正当性を与える「権威の源泉」として機能。実際の政治・軍事は幕府や貴族が握り、天皇本人は宮廷内の儀礼・文化に留まるケースが多かった。後醍醐天皇の建武の新政(1333-36年)は珍しい親政試みでしたが、武士の不満・恩賞問題・現実離れで3年で崩壊。足利尊氏の反乱を招き、南北朝分裂へつながりました。天皇の「意思」が尊重されたというより、理想論が暴走した例です。
水戸学・国学が天皇を「国体の中心」「神聖なる君主」に再定義。吉田松陰ら志士はこれを倒幕の論理に利用しましたが、天皇(孝明天皇など)の実際の意向より、論者たちのナショナリズムが優先。結果、天皇は「尊王」の象徴として担がれ、維新後の権力闘争の道具にされた側面が強い。
明治維新以降、この「神輿」性はさらに近代的に洗練されました。
決定的な切断点です。
• 明治政府は「祭政一致」を掲げつつ、神社を「国家の宗祀(非宗教の公的祭祀)」に位置づけ、神職を官選・世襲廃止にしました。伝統的な神社勢力(吉田家・白川家などの既得権)や神仏習合の慣習は剥奪・排除。
• 天皇は伊勢神宮を頂点とする全国神社の象徴的頂点に据えられましたが、実務的なつながりは官僚(内務省神社局など)が管理。天皇の意思より、国家の国民統合・イデオロギー装置としての利用が優先されました。
• 真宗(浄土真宗)側の「神社非宗教論」策謀も絡み、神道勢力を抑えつつ、天皇祭祀だけを「宗教未満」として残す形に。結果、神社は国家の管理下で「便利に」使われ、天皇と神社の伝統的ネットワークは大幅に切断されました。
伝統を「スッパリ切る」ことで、天皇を近代中央集権国家の柔軟な象徴に再定義したのです。
昭和期になると、天皇はさらに「意思を尊重されにくい」立場に置かれました。
軍部・右翼が天皇を「世界の親」「万民の赤子」の象徴に勝手に拡大解釈。記紀の神話を都合よく世界普遍主義に読み替え、侵略イデオロギーの正当化に利用。
皇道派青年将校らが「昭和維新」「尊皇討奸」を掲げ、首相・大臣らを暗殺・占拠。「君側の奸」を排除すれば天皇親政が実現すると信じ、行動を起こしました。しかし、昭和天皇は激怒し、「朕自ら近衛師団を率いて討つ」とまで言い、鎮圧を強硬に命じました。将校たちは天皇の「大御心」を勝手に解釈していただけで、実際の天皇意思は無視・逆手に取られた形です。事件後、統制派が台頭し、軍部の独走を加速させる皮肉な結果に。
ここでも、天皇は「尊皇」の神輿として担がれましたが、拗らせたイデオロギー勢力(青年将校ら)の暴走の口実にされ、本人の明確な意思表示(稀だった)がなければコントロール不能でした。終戦時(1945年)の聖断のように、天皇が明確に意思を示した例外は少なく、ほとんどの時代で「担がれる側」でした。
• 権威 vs 権力の分離:天皇は万世一系・神聖性の「権威」を持つが、政治実権は少ない。これが「神輿」の便利さを生み、江戸の尊王論→明治の国家神道→昭和の軍国主義で繰り返し利用された。
• 意思の尊重されにくさ:後醍醐天皇のように親政を試みても失敗し、明治以降は国家・軍部が天皇のイメージを「勝手に付託」。神社との伝統的つながりも切られ、孤立した象徴に。
• ナショナリズムの道具化:水戸学・国学から始まる再定義が、天皇を柔軟なイデオロギー装置に変え、「意味不明な主張」(世界万民が天皇の赤子など)を可能にした。
戦後、神道指令で国家神道は解体され、天皇は象徴天皇制にシフトしましたが、この「神輿」としての歴史的遺産は、象徴性として残っています。