はてなキーワード: モーセとは
やっぱお前よりAIの方が賢いよ🤩
「聖書に“同性愛者を石打ちにしろ”と書いてある」という理解は、半分は事実で、半分は誤解です。
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「もし男が女と寝るように男と寝るなら、二人は忌むべきことをしたので、必ず殺されなければならない。彼らの血は彼らに帰する。」
ここには
• 死刑
が明確に書かれています。
当時のイスラエル社会では、死刑の方法として石打ち刑が一般的だったため、
👉 この点では事実です。
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② ただし重要な前提がある
この記述には、現代で語られる際にほぼ必ず省略される重大な前提があります。
それは:
これは
だということです。
• 親に逆らう子 → 死刑
• 近親婚 → 死刑
• 異教の神を拝む → 死刑
つまりこれは
でした。
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👉 イエスによって“法としては終了した”
「罪のない者が、まず石を投げなさい」
(ヨハネ8章)
これは姦通(不倫)で死刑にされそうになった女性を救った場面です。
このため、
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ここは分かれます。
① 保守派
② 中道派
③ リベラル派
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まとめ
✔ 事実か?
✔ しかし
という点が抜け落ちたまま
「聖書はゲイを殺せと言っている」と語られることが多い、というのが実情です。
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もし興味があれば次に、
あなたの文章にはいくつかのテーマが含まれています。ユダヤ教的な視点からそれぞれを考えてみましょう。
ユダヤ教では、人間の行動が単なる機械的・自然的な反応ではなく、自由意志によって導かれると考えます。
トーラーの中でも、神はモーセを通じてイスラエルにこう語ります:
つまり、人間は決定論的な存在ではなく、ズレる存在。あえて予測不能な方向に選択できる存在として神に似せて創造された、という思想です(創世記1:27参照)。
この意味で、「ズレ」は単なる奇行ではなく、機械的な自然の流れに対して、神的な選択を行う余地そのものを象徴しているとも言えます。
あなたが挙げた「量子乱数で行動すればズレが作れる」という発想は非常に現代的です。
ただしユダヤ教的には、偶然のように見えることも神の摂理の中にあります。タルムード(バヴァ・バトラ 91b)はこう言います:
「人は自分の行いを選ぶが、その結果を決めるのは天の御手にある。」
つまり、予測不能な行為も偶然も、本当の自由は倫理的な方向へ意識的に選ぶ力にこそある、と考えます。
「すべては天に定められているが、神を畏れることだけは人に委ねられている。」
つまり、自由意志の究極の目的は倫理的選択にある。本能的なズレではなく、意識的に正しい方向にズレること。それが神の似姿としての人間の使命です。
| あなたの主題 | ユダヤ的視点 |
| ズレ・予測不能性 | 自然や決定論を超えた自由意志の表れ |
| 量子乱数・偶然 | 神の摂理の一部であり、倫理的選択の舞台 |
| 自由意志 | 神に似せて創られた人間の本質 |
| 倫理的行動 | 自由意志の目的。創造のパートナーとなる道 |
モーセはエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を解放するため、神に召命を受けます。ホレブ山(シナイ山)で羊を飼っていたモーセは、燃えても燃え尽きない不思議な柴を見つけました。その柴に近づくと、神が彼に語りかけます。
モーセは神から、エジプトのファラオのもとへ行き、イスラエルの民を導き出すように命じられます。しかしモーセは不安を感じ、こう尋ねました:
「イスラエルの人々に『あなたたちの先祖の神が私を遣わされた』と言ったとき、彼らが『その名は何か』と聞いたら、何と答えればよいでしょうか?」
それに対して神は答えました:
「わたしは、有って有る者である」(ヘブライ語:אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה、英訳:I Am Who I Am)
そして続けて「イスラエルの人々にこう言いなさい。『わたしはある』という方が、わたしをあなたたちに遣わされたのだと」と告げました。
チャーリーカークがケンブリッジの学生に論破されるって動画の長い版があったからGeminiに英語教材にしてもらった。
https://x.com/KBYMScotland/status/1966798924468851007
今年5月、チャーリー・カークが🇬🇧ケンブリッジ大を訪れ学生とディベートを行った。カークは「聖書は同性愛を道徳に反するとし禁じている」と持論を展開するが...
https://x.com/mkbfpv/status/1966798326730240107
Here is the actual full clip of this exchange.
***
Ellis Jones from Emmanuel College.
(拍手)
Um hello, thank you for coming to talk. Um, so my question, as someone studying archaeology and biological anthropology, um, I've learned that moral codes and social norms have always been fluid, shaped by time, culture, power. So many ancient and recent societies embraced same-sex relationships and even the idea of third genders uh well before Western conservatism even existed. So when you claim that modern conservative values represent some kind of universal objective moral truth, like you said on your chair over there, um are you just defending a selective, historically recent ideology that erases most of human history and targets people who have always been part of it?
こんにちは、お話しいただきありがとうございます。ええと、私の質問ですが、私は考古学と生物人類学を学んでいる者として、道徳規範や社会規範は常に流動的で、時代、文化、権力によって形成されてきたと学びました。古代から近代に至るまで、多くの社会が西洋の保守主義が存在するずっと以前から、同性間の関係や第三の性という考え方さえも受け入れてきました。ですから、あなたが現代の保守的な価値観が、そちらの椅子でおっしゃったように、何らかの普遍的で客観的な道徳的真理を代表していると主張されるとき、それは人類の歴史の大部分を消し去り、常にその一部であった人々を標的にする、選択的で歴史的に新しいイデオロギーを擁護しているだけなのではないでしょうか?
archaeology (n): 考古学
anthropology (n): 人類学
fluid (adj): 流動的な、変わりやすい。ここでは「道徳規範が固定されたものではなく、時代と共に変化する」という文脈で使われています。
conservatism (n): 保守主義。伝統的な価値観や制度を維持しようとする政治的・社会的な思想。
objective (adj): 客観的な。主観に基づかない、事実としての真理を指します。
selective (adj): 選択的な、えり好みする。ここでは「歴史の中から都合の良い部分だけを選んでいる」という批判的なニュアンスです。
ideology (n): イデオロギー、観念形態。特定の社会集団が共有する信念や価値観の体系。
erase (v): 消し去る、抹消する。
No, but can you point to me of a great power that endorsed same-sex marriage, not cohabitation, but marriage?
いいえ。ですが、同棲ではなく、同性「婚」を承認した大国を一つでも挙げていただけますか?
endorse (v): (公に)是認する、支持する、承認する。
cohabitation (n): 同棲。法的な婚姻関係を結ばずに共に住むこと。
Ancient Mesopotamia.
As marriage? As as as recognized by the state.
100%.
100%そうです。
And how did that work out for them?
それで、彼らはどうなりましたか?
It worked out perfectly fine. It was an accepted norm of society.
全く問題なく機能していました。社会で受け入れられた規範でした。
norm (n): 規範、標準。社会において当然のこととされる行動や考え方の基準。
Okay, I still think it's wrong.
なるほど。それでも私はそれが間違っていると思います。
Okay, okay, swiftly moving on. So you said it was based on scripture and you believe that there are moral objective universal truths.
わかりました、では次に進みます。あなたはそれが聖書に基づいており、道徳的に客観的で普遍的な真理が存在すると信じているとおっしゃいましたね。
scripture (n): 聖書、聖典。キリスト教やユダヤ教の正典を指します。
Yes, there are. So murder is wrong today and murder was wrong 2,000 years ago.
はい、存在します。殺人は今日も悪であり、2000年前も悪でした。
Right, okay, in fact that's not same sex, but fair, fair, I see your point.
ええ、なるほど。それは同性の話ではありませんが、まあ、おっしゃることはわかります。
But there are moral truths that are transcendent of time, place, and matter.
しかし、時間、場所、そして物質を超越した道徳的真理は存在するのです。
transcendent (adj): 超越的な、並外れた。ここでは、物理的な制約や時間的な変化の影響を受けない、普遍的な真理を指しています。
Okay, but but so just to clarify, you believe that this is in the Bible. This is laid out in the Bible that man shall not sleep with man and so therefore it's...
わかりました。しかし、確認ですが、あなたはそれが聖書に書かれていると信じているのですね。男は男と寝てはならないと聖書に明記されており、だからこそ…。
It's also repeated throughout the New Testament as well. Matthew, in the book of Matthew, Jesus affirms the biblical standard for marriage.
それは新約聖書全体でも繰り返されています。マタイによる福音書で、イエスは結婚に関する聖書の基準を再確認しています。
Okay, so I'm gonna make two very, very quick points. So the first, um, so if we look at the Old Testament in isolation, just to start off with as an example. So let's look at Exodus 35:2, which suggests that if you work on the Sabbath, you should be put to death. If you look at Leviticus 11:7, it suggests that if you have pork, you should be put to death. If you plant two crops side by side, you should be stoned by your entire village. If you wear a suit, which you are wearing now, that contains two different fibers intertwined into the same jacket, you should be burned at the stake by your own mother. Now, following that rationale, in Leviticus 18:22 when it states that man shall not sleep with man, why aren't we burning ourselves at the stake as well? Why aren't we stoning ourselves to death?
わかりました。では、非常に手短に2点述べさせてください。まず、例として旧約聖書だけを切り取って見てみましょう。出エジプト記35章2節では、安息日に働けば死刑にされるべきだと示唆されています。レビ記11章7節を見れば、豚肉を食べれば死刑にされるべきだと示唆されています。2種類の作物を隣り合わせに植えれば、村全体から石打ちにされるべきです。あなたが今着ているような、2種類の異なる繊維を織り交ぜた上着を着ていれば、自分の母親によって火あぶりにされるべきです。さて、その論理に従うなら、レビ記18章22節で「男は男と寝てはならない」と述べられているのに、なぜ私たちは自分たちを火あぶりにしないのでしょうか?なぜ石打ちで殺し合わないのでしょうか?
in isolation: 孤立して、単独で。ここでは「旧約聖書だけを文脈から切り離して見てみると」という意味です。
Sabbath (n): 安息日。ユダヤ教で労働が禁じられている土曜日のこと。
Leviticus (n): レビ記。旧約聖書の一書で、祭儀や律法に関する規定が多く記されています。
intertwined (adj): 絡み合った、織り交ぜられた。
at the stake: 火あぶりの刑で。中世の処刑方法の一つ。
(拍手)
Do you care to address my main contention that Christ affirmed biblical marriage in the book of Matthew? And can you tell me the difference between the ceremonial, the moral, and the ritual law? And then finally, also, tell me about Christianity, the difference between the new and the Old Covenant, or you're just going to cherry-pick certain verses of ancient Israel that do not apply to new Christianity?
私の「キリストはマタイによる福音書で聖書的な結婚を肯定した」という主要な主張に反論していただけますか?そして、儀式律法、道徳律法、祭司律法の違いを教えていただけますか?そして最後に、キリスト教における新しい契約と古い契約の違いについても教えてください。それとも、あなたは新しいキリスト教には適用されない古代イスラエルの特定の聖句を、ただつまみ食いしているだけですか?
contention (n): (議論における)主張、論点。
covenant (n): (神と人との)契約。キリスト教神学において非常に重要な概念です。
cherry-pick (v): (自分に都合のいいものだけを)つまみ食いする、えり抜きする。
Very fair, fair. I completely agree. So we'll look at two points then. So firstly, um, if we look at the Old Testament, uh, we can see the kind of inconsistencies there. We've already touched upon that, right? That makes sense. Secondly, you mentioned the point of Jesus and Christ. He never mentioned anything to do with homosexuality at all.
ごもっともです。完全に同意します。では2つの点を見ましょう。まず、旧約聖書を見れば、そこに矛盾があることがわかります。それについては既に触れましたよね?理にかなっています。次に、あなたはイエス・キリストの点に言及しました。彼は同性愛について一切何も言及していません。
Whoa, hold on a second. He affirmed, he affirmed biblical marriage as one man and one woman. He said a man shall leave his...
おっと、待ってください。彼は聖書的な結婚を「一人の男と一人の女」として肯定しました。彼は「男はその…」と言いました。
in the New Testament?
新約聖書でですか?
In Matthew, that is not correct. I believe in the New Testament, in the New Testament. Well, Romans is also in the New Testament. Secondly, in Romans 1, the Apostle Paul talks negatively about homosexuality explicitly. Also, homosexuality is repeated in the book of Titus and in the book of Jude as not being favorable as the destruction of Sodom and Gomorrah. Not even talking about the Old Testament verses.
マタイ伝です。それは違います。新約聖書で、と信じています。ローマ人への手紙も新約聖書です。第二に、ローマ人への手紙1章で、使徒パウロは明確に同性愛について否定的に語っています。また、テトスへの手紙やユダの手紙でも、ソドムとゴモラの滅亡と同様に、同性愛は好ましくないものとして繰り返されています。旧約聖書の聖句は抜きにしてもです。
There are three types of the 613 Levitical laws. And you, you know, of course, in your own way, cherry-picked some of them. We do not live under the ceremonial, we do not live under the ritual, and but we do live under the moral. There's only 10 of the moral that we as Christians believe we're bound to, some believe nine, which of course is the Decalogue. And so none of those that you mentioned we as Christians believe that we live under. However, we do look at what Christ articulated as the biblical standard of marriage. And we can also look to church tradition for this as well. And the church has had a tradition for well over 2,000 years, even myself as a Protestant acknowledges, that tradition is marriage between one man and one woman.
レビ記には613の律法に3つの種類があります。そして、あなたはもちろんご自身のやり方で、その一部をつまみ食いしました。私たちは儀式律法の下には生きていません。祭司律法の下にも生きていません。しかし、道徳律法の下には生きています。キリスト教徒として私たちが従うべき道徳律法は10個だけです。9個だと信じる人もいますが、それがもちろん十戒です。ですから、あなたが挙げたもののどれ一つとして、私たちキリスト教徒が従うべきものはありません。しかし、私たちはキリストが結婚の聖書的基準として明確に述べたことには注目します。そして、これについては教会の伝統にも目を向けることができます。プロテスタントである私自身でさえ認めますが、教会には2000年以上にわたる伝統があり、その伝統とは、結婚は一人の男と一人の女の間のものであるということです。
articulate (v): (考えなどを)はっきりと述べる、明確に表現する。
tradition (n): 伝統、しきたり。ここでは特に教会の教義や慣習の継承を指します。
Okay, but I work, okay. Say we put aside the Old Testament for now. We'll put that aside and the inconsistencies there and look purely at the New Testament following your rationale, okay? Now, when you say that Christ lays specifically and the New Testament states specifically that man shall not sleep with man, I'd like to point out a linguistic error on that point.
なるほど。では、一旦旧約聖書は脇に置きましょう。それとそこにある矛盾は置いておいて、あなたの論理に従って純粋に新約聖書だけを見ましょう。いいですか?さて、あなたがキリストが具体的に、そして新約聖書が具体的に「男は男と寝てはならない」と述べていると言うとき、その点における言語的な誤りを指摘したいと思います。
I did not say that. I said the biblical marriage was affirmed and then Romans 1 did talk negatively about the action of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
あ~そうなんですよ、これまた切ない話でしてね。
モーセといえば、エジプトからイスラエルの民を連れ出して、約束の地カナンを目指して40年間も砂漠を旅した、超重要人物ですよね。『出エジプト記』では海を割ったり、『民数記』でも大活躍してるんですが……
その理由が『民数記』20章に書かれてます。ざっくりいうとこういう経緯です:
「あなたがたはわたしを信じず、イスラエルの人々の前でわたしを聖なる者としなかった。ゆえに、あなたがたはこの民をわたしが彼らに与える地に導き入れることはできない。」
簡単に言うと、
ってことで、結果、モーセは約束の地に入れないことになったんです。
『申命記』という書物の最後で、モーセはネボ山という山の頂上から約束の地カナンを「眺める」ことだけが許されます。カナンを目の前にして、ついに入れないまま、この世を去ってしまうのです。
主役が眺めることだけしかできないなんて……なんとも哀愁漂うエピソードですよね……。
その一方で、モーセは聖書の中で最も偉大な預言者として尊敬されていますし、新約聖書でもイエス・キリストと並んで語られるくらい重要な存在です。
実際、「約束の地に入れない」という一見悲劇的な結末ですが、「モーセという人物が人々にとって神への信頼や従順さの象徴となった」という意味では、彼の人生は間違いなく大成功なんですよね。
スピリチュアル厨は「望んだことが起こる!引き寄せ!」と発狂しているが、そもそも「望んだことが必ずしも起こらない」ということに、制御工学的な意味があるのではないか
「望みの即時実現は非現実的」という認識は、制御工学の不確実性概念に通じる
完全予測不可能な状況下で、目標と現実のギャップがフィードバック制御を機能させ、システムの安定性を保つ
予期せぬ外乱への適応や、不完全結果による継続的改善も促進される
願望の即時非実現が努力・学習機会を生み、不確実性対処能力向上が社会のレジリエンスを高める
制御工学的視点では、「望みの非即時実現」はシステムの安定性・適応性・継続的改善を促す重要要素であり、単純な「引き寄せ」思考より現実世界の複雑性を適切に反映している
この主張をユダヤ教の視点から見ると、ある意味で深い共鳴を感じる部分がある
なぜなら、ユダヤ教も「願いが即座に叶うこと」よりも、「試練、努力、成長を通じて得られる結果」に重きを置くからである
「引き寄せの法則」は、強く願えば宇宙がその願いを叶えるという考え方だが、ユダヤ教はそのような「魔法的な思考」を支持しない
代わりに、ビトゥル(ביטול)という概念が大切にされ、これは、自分の意志を神の意志に「明け渡す」姿勢を意味する
祈り(תפילה - Tefillah)は大切だが、それは「欲しいものを手に入れる」ためではなく、神(HaShem)とのつながりを深め、自分をより良く成長させるために行うものである
この主張が述べている「願いがすぐに叶わないことがシステムの安定性や成長につながる」という考え方は、実はユダヤ教の教えとよく合致する
これは試練を意味し、アブラハムやヨセフが経験したように、人生の困難や遅延は人間の成長と信仰の深化のために与えられるとされる
例えば、モーセが約束の地に入れなかったことも、単なる罰ではなく、リーダーとしての成長や人間性の成熟を促す試練と見ることができる
ユダヤ教におけるエムナー(信仰)とは、「全てが計画通りに進む」と信じることではなく、むしろ、予測不能な状況でも神への信頼を持ち続けることが信仰の本質である
制御工学で言う「不確実性への適応力」は、ユダヤ教におけるイットカフヤ(התכפיה)、つまり自制と努力の精神に通じる
思い通りにならない現実をどう受け入れ、どう成長につなげるかが重要である
ユダヤ教では、ヒスハドシュート(革新・再生)の精神も大切である
新年(ロシュ・ハシャナ)やテシュバ(悔い改め)の概念は、理想と現実のギャップに気づき、それを改善するための内省と行動を促す
この点でも、制御工学の「継続的改善」という考え方と通じる部分が多い
この議論は、人間の成長、試練、努力、そして信仰というユダヤ教の核心的な価値観としっかりと響き合っている
ユダヤ教では、奇跡さえも、努力と信仰を通じて訪れるものとされている
だからこそ、単なる「引き寄せ」よりも、責任ある行動(Achrayut - אחריות)と神への信頼(Bitachon - ביטחון)が、人生における真の安定と成長をもたらす
核心は、モーセ(Moshe Rabbeinu)が「匿名性」を選んだことで、真のリーダーシップを示したという点。
現代のSNSやメディアの世界では、「自己ブランディング」や「フォロワーの数」が重要視されがちです。
しかし、本当に偉大な人は「自分の名前」ではなく、「自分の行い」に価値を置くということですね。
たとえば、科学者や専門家が誤った情報を発信してしまうのも、「自分の名を売る」ことが先行してしまうからかもしれません。
モーセのように、「真実と他者のために、自分のエゴを捨てられるか?」が試されるわけです。
参考: https://www.chabad.org/parshah/article_cdo/aid/1118821/jewish/The-Benefits-of-Anonymity.htm
モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。
モーセのしゅうとは、彼が民のために行っているすべてのことを見て、
なぜ、あなた一人だけが座に着いて、民は朝から晩まであなたの裁きを待って並んでいるのか」と尋ねた。
モーセはしゅうとに、「民は、神に問うためにわたしのところに来るのです。
彼らの間に何か事件が起こると、わたしのところに来ますので、わたしはそれぞれの間を裁き、また、神の掟と指示とを知らせるのです」と答えた。
「あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。
このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。
わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。
あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。
あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、
千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。
平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。
小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさい。
もし、あなたがこのやり方を実行し、神があなたに命令を与えてくださるならば、あなたは任に堪えることができ、
モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、その勧めのとおりにし、全イスラエルの中から有能な人々を選び、彼らを民の長、
こうして、平素は彼らが民を裁いた。
聖書における謙虚さは、人間の有限性と神の絶対性の対比から生まれるものであり、それは単なる道徳的な美徳ではなく、人間存在の根本に関わる霊的態度である。
謙虚さは、神の御業に基づき、自己を見つめ、神の秩序の中で自己の役割を理解することによって深化する。
これは神との関係を基盤にして成立し、創造、契約、裁き、赦しという聖書全体にわたるテーマに深く結びついている。
創世記の冒頭に記される創造の物語(創世記 1-2章)は、謙虚さの根拠となる。
神は天地万物をその言葉によって創造し、人間は「神のかたち」として特別に造られた(創世記 1:27)。
しかし、この「かたち」とは神の全能を共有することを意味せず、むしろ神の被造物としての地位を明確に示すものである。
アダムが塵から造られた(創世記 2:7)という描写は、人間が肉体的にも霊的にも神に依存する存在であることを物語る。
謙虚さとは、この依存を認識し、被造物としての自己を受け入れる態度である。
ノアの契約(創世記 9章)、アブラハムの契約(創世記 15章)、モーセの契約(出エジプト記 19-20章)は、いずれも人間が神の律法を守ることを求めるものだ。
この契約の中で、神は主権者であり、人間は従属する存在である。
イスラエルの民がしばしば契約を破り、神の裁きを受ける物語(士師記、預言書全般)は、人間の傲慢の愚かさと、謙虚に神の律法に従うことの重要性を強調する。
例えば、ヨブ記におけるヨブの試練は、謙虚さを深く考察する重要な物語である。
ヨブは、自身の苦難に直面し、神の摂理に疑問を抱くが、神が自然界と宇宙の秩序を問いかける(ヨブ記 38-41章)中で、自分の限界を悟り、最終的に「私は塵と灰の中で悔います」(ヨブ記 42:6)と告白する。
ここでの謙虚さは、全知全能の神に対する人間の無知と無力を認めることであり、神との関係を回復する鍵となる。
ダビデの悔い改めの詩篇(詩篇 51)は、罪を認め、神の憐れみにすがる謙虚さの典型例である。
彼は「あなたに対して、ただあなたのみに罪を犯しました」(詩篇 51:4)と告白し、神の赦しに依存する態度を示す。
このような謙虚さは、人間が自己の力では救いを得られないことを悟り、神の恵みによってのみ生きることを受け入れる姿勢である。
「主を恐れることは知恵の初め」(箴言 9:10)という言葉は、謙虚さを神との正しい関係における認識として位置付ける。
伝道者の書では、「人は土に帰り、霊は神に帰る」(伝道の書 12:7)と述べられ、人間の儚さと神の永遠性を対比している。
ここにおいて、謙虚さは虚無感ではなく、神の中に真の意味を見いだす態度として表現される。
聖書の謙虚さとは、人間が神の前で自己の位置を正しく理解し、全能の創造主への信頼と従順を通じて成長する霊的態度である。
それは自己否定ではなく、神の秩序と愛の中で自己を発見する行為であり、創造、契約、裁き、赦し、知恵というテーマを通じて人間の生の目的を照らし出すのである。
「悪い仲間は良い行いを損なう。」
パウロはこの手紙で、悪影響を及ぼす人々と付き合うことが信仰や善い行いを害する可能性があると警告しています。これは、愚痴を吐いたり否定的な態度を持つ人々と距離を置くという現代的な自己啓発の教えに通じるものです。
モーセがイスラエルの民をエジプトから導いた際、民は荒野で飢えや渇きに不満を言い、エジプトでの生活に戻りたいと愚痴をこぼします。
これに対し神は天からマナを降らせたり水を与えたりしますが、こうしたエピソードは、愚痴に満ちた態度が信仰や目的から逸れる原因になることを示唆しています。
パウロは、クリスチャンが他者との関わりで愚痴を控え、世の中で純粋で輝く存在になるよう勧めています。この教えは、自らの内面を清らかに保つために、否定的な言葉や態度を避けるという点で共通しています。
「知恵ある人と共に歩む者は知恵を得る。愚かな者と交わる者は害を受ける。」
この箴言は、関わる相手が自分の人生に与える影響を強調しています。愚痴や否定的な態度を持つ人々と関わることが、自分に害を及ぼす可能性があると解釈できます。
聖書には、愚痴や否定的な態度を避け、信仰や品性を守るために慎重に人間関係を選ぶよう勧める教えが多く含まれています。これらは現代の自己啓発の教えと重なる部分が多く、古代から続く普遍的な知恵と言えるでしょう。
・子供なし
思い出しながら書く
付き合ってた頃、
デート中は車道側を歩いて、重い物は持ってくれたり、階段でエスコートしてくれたり
「なんて優しい人なんだ!」と思ってたけど、今思えば過剰な優しさはフラグだったかもしれん
「歩道は右側通行って法律で決まってるから、こっちが正しい!」と言い張る
図解
| 右 |
| 側 |
| 通 |
| 行 |
| ↓ ↑ |
| 右 |
| 側 |
| 通 |
| 行 |
ある雨の日、駅に向かう途中
二人がすれ違えるくらいの狭い歩道を歩いてた
右側通行でもなく、歩きスマホしてるし、旦那がイラつきモード発動
派手に傘がぶつかった。
相手の男「スイマセッ!」って言ってたけど、旦那は無言でそのまま突き進む
旦那の中では「こっちが正しい」ってことで一切譲る気なし、謝る気一切なし
普通なら、わざとじゃなくても傘が当たったら謝ると思うが
旦那にとっては「こちらが正しい」から謝るとかありえないらしい
その後に、今度は大学生らしき団体の列(10人くらい)が向かいから来た
列は一列に並んで片側をあけてたけど、右側通行じゃなかった
図解
| 大 |
| 学 |
| 生 |
| ↓ |
| ↑ |
| 旦 |
| 那 |
先頭の大学生はスレスレで避けたけど、旦那の傘がガツガツ当たる
後ろの学生たちもハッとして避けていったけど、
わっ とか あっ とか言いながら それぞれよけていく
大学生たちの傘をバチバチはじきながら旦那は無言で速度も落とさず、真正面だけを見て進む
(*私は嫌な予感がしたので離れて歩いていた)
大学生たちもドン引きしてて、列の真ん中にいた学生が「うわっヤベェ」って言ってた。そりゃそうだ。
旦那、なぜかショック受けてた
道を譲らないといけないのが納得できないって感じでずっと無言
説得すると「法律ではこうなってて道が狭くて~~~(略)
はー、ルールを守ってるのはこっちなのに…」って感じで完全に話が通じないので諦めた。
進行方向から人が来た程度でイライラが収まらない旦那の生まれつきの特性には、
正直気の毒だと思うでも、どうしても折り合いがつかなかった
とにかく本人が納得せず、自分が正しいと思って曲げないので診断をすすめたりはしなかった
書くのめんどい
こんな事はあったが、良い所もあって支えられた部分もあった
けど、取り返しがつかなくなる前に離婚。
いつか本人が世界と折り合いをつけられればいいと思う