はてなキーワード: 17歳とは
2026年に相次いで発生した2つの学校行事関連の輸送事故を、経緯(事故の背景・手配の実態)と法的責任の観点から比較します。どちらも「安さ・便宜・理念優先」で正規の安全基準を回避した結果、生徒の命が失われた痛ましい事例です。
北越高校(新潟県)の男子ソフトテニス部生徒20人を乗せたマイクロバスが磐越自動車道でガードレールなどに衝突。17歳男子生徒1人が死亡、26人が重軽傷。
学校側が蒲原鉄道(正規バス事業者)に依頼。「貸切バスは高いので安く」と要望。蒲原鉄道の営業担当者が会社名義で白ナンバーのレンタカーを契約し、「知人の知人」である68歳無職男性(若山哲夫氏)を運転手に丸投げ。
運転手本人の免許確認ゼロ、虚偽申告(営業担当者本人の免許だけ提示)、無断転貸。運行管理・適性確認は一切なし。複数回同じ手口を繰り返していた。
同志社国際高校(京都府)の修学旅行生18人らを乗せた抗議船2隻(平和丸・不屈)が転覆。17歳女子生徒1人と船長1人が死亡、14人が重軽傷。
ヘリ基地反対協議会(市民抗議団体)が運航する抗議活動用の小型船を「平和学習」として利用。学校は数年にわたり同団体に依頼し、常習化。
事業登録のない船を使用。使用料(1万5,000円程度)を支払いながら「ボランティア・カンパ」と主張。波浪注意報下での出航、引率教員不在、学生を「海保制圧回避の盾」として利用していた疑い(仁藤夢乃氏の過去投稿など)。
学校側の思惑で正規輸送を避け、無許可・無管理のグレー輸送に頼った。生徒の安全確認が杜撰で、運行主体の責任放棄が事故を悪化させた。
◦ 白バス事故は部活動遠征の移動手段として発生。プロのバス事業者が安さ対応で白ナンバー車両+外部ドライバーを手配。
◦ 辺野古事故は修学旅行の平和学習として発生。抗議団体が抗議活動用の船を学習目的に転用し、数年常習+対価受領の実態があった。
• 白バス:正規バス事業者(蒲原鉄道) — 運行管理のプロとして道路運送法の義務を負う。
• 辺野古:市民抗議団体(非事業者) — 海上運送法の事業登録なしだが、常習・対価で「実質事業」と認定されやすい。
• 白バス:白バス行為(無許可団体輸送)+虚偽契約・無断転貸。会社名義・業務時間中の常習的手配で、プロが自ら違法を主導。
• 辺野古:海上運送法違反(無登録運航)。対価受領+数年常習依頼で事業性が高く、学生を抗議活動の手段として利用した疑い。
• 白バス:無償主張でも契約虚偽性と転貸の事実が残るため違法。
• 辺野古:使用料受領+常習で「ボランティア」主張が崩れやすく、事業登録義務違反が強く問われる。
白バス:
プロ事業者が安全基準を意図的にすり抜けた「業務上過失+運行管理者義務違反+使用者責任」。国交省立ち入り調査中。
ただし常習性・対価により刑事責任(業務上過失致死傷+海上運送法違反)が追及されやすい。学校の丸投げにも違法性があるため、活動団体への追求が集中しずらい構造。
両事故とも「正規ルートを避けた杜撰な手配」が生徒の命を奪いましたが、白バス事故はプロ事業者の裏切り行為が鮮明なため、法的責任の追求が容易です。一方、辺野古事故は非プロ団体の常習的な無登録運航+政治的利用の組み合わせで、責任の所在を問いにくい構造です。
>しかも今の価値観を強く持っているのは、若い男性ほど多い気がする。
>フェミニズムの正統な後継者って、今の20~40代の男性になっている。
そうかなあ?
先日も、17歳で妊娠しろとかいう男性の意見がXで燃えたけど、妊娠出産や子育てにおける女性の負担がよくわかってない男性の意見の方を正しいとするのは危険だと思うよ。
思いっきりのいいことを言えるので、そう見えるのかもしれないけど、リスクを知らないだけのことが多いし。
上記の部分はどうかなと思う。
dorawiiアンチが捕まった裁判傍聴してそのツラ拝んでやりてえなあ。
てか「現実世界へgo」とか言ってるのあったけどもしそれでそそのかされて俺が犯罪したら連座でアンチも捕まると思うだけど大丈夫か?
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260505132054#
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260505132248#
どうなったの?
https://anond.hatelabo.jp/20260505132459
そそのかした人からも捕まった人が出ました🤪
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260505132656#
2000年に発生した西鉄バスジャック事件(西鉄高速バス乗っ取り事件)において、第三者が犯人の少年(当時17歳)に直接的な実行を命じた「教唆犯」として立件された事実はありません。
この事件に関しては、インターネット掲示板「2ちゃんねる」での書き込みが注目された経緯から、しばしば教唆や扇動との関連が語られることがありますが、正確な状況は以下の通りです。
事件とインターネットの関わり掲示板への書き込み: 犯人の少年は、事件当日に掲示板上で「ネオ麦茶」というハンドルネームを使用し、「ヒヒヒヒヒ」というタイトルのスレッドを立てて犯行を予告するような書き込みを行っていました。
周囲の反応: 当時の掲示板上では、少年の書き込みに対して煽るようなレスポンス(「早くやれ」といった内容)が見られましたが、これらは匿名のユーザーによる無責任な発言であり、法的な「教唆(特定の人物に犯罪の決意を生じさせること)」として立件・処罰されるには至っていません。
https://anond.hatelabo.jp/20260505133348#
無責任とは責任を省みないという意味で合って、責任が無い、責任に問われないという意味ではないんだよ。そこ勘違いしてそうだけど。
dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260505133608#
そそのかした人からも捕まった人が出ました🤪 dorawiiより
https://anond.hatelabo.jp/20260505135352#
あわよくば騙されればいいと思ってるが何か問題が?犯罪でちゅか?w
dorawiiより
2000年に発生した西鉄バスジャック事件(西鉄高速バス乗っ取り事件)において、第三者が犯人の少年(当時17歳)に直接的な実行を命じた「教唆犯」として立件された事実はありません。
この事件に関しては、インターネット掲示板「2ちゃんねる」での書き込みが注目された経緯から、しばしば教唆や扇動との関連が語られることがありますが、正確な状況は以下の通りです。
事件とインターネットの関わり掲示板への書き込み: 犯人の少年は、事件当日に掲示板上で「ネオ麦茶」というハンドルネームを使用し、「ヒヒヒヒヒ」というタイトルのスレッドを立てて犯行を予告するような書き込みを行っていました。
周囲の反応: 当時の掲示板上では、少年の書き込みに対して煽るようなレスポンス(「早くやれ」といった内容)が見られましたが、これらは匿名のユーザーによる無責任な発言であり、法的な「教唆(特定の人物に犯罪の決意を生じさせること)」として立件・処罰されるには至っていません。
今ネットをちょっと賑わせている「32歳で結婚するより、17歳で結婚した方が良い」という話について、昔から彼をウォッチしている古参フォロワーより一言言わせてほしい。大変悔しいが、この話にはもうかかわらない方が良いと思う。結局何をしても彼の収益に繋がってしまうからだ。
ちなみに、わたしは某テレビ番組で女子アナを泣かせた頃から彼の投稿を見ている(わかる人にはわかる話)
彼のタイムラインを見るとわかると思うが、彼は自分にとって都合の良い意見しか投稿、りポストしていない。
裏でP(旧パキちゃん(〇〇だゆの語尾でおなじみ))が、17歳で結婚、出産することのデメリット、実体験をこれでもかと投稿しているが、彼はこの件には一切触れていない。おそらくプロオゴ本人は「自分の言いたいことは32歳で結婚することのヤバさであって、17歳の結婚は主題ではない」と言いたいのだろうけど、だったら「17歳を引き合いにだすなよ」これだけである。
彼に突っかかったら最後。最終的には、月額マガジンが読みたくなって、月額課金をすることになる。彼が月いくら稼いでいるか知っているか? エックスのプロフにリンクしてある、noteのフォロワー数から何となく計算してみるといい。一番効果的な攻撃があるとするなら、スルーすることだと思う。
彼は無知なだけである。お山の上の大将。知識、教養がなく偏見にまみれた彼に社会問題を語る資格はない。
まゆこはある日から犬憑きになった。
まゆこは仕事を辞めて、学生時代の少しの貯金と自治体の補助金で暮らしていくことにした。
補助金を得る代わりに、夢日記をつけることが義務付けられている。
まゆこは日記をつけ始めた。
まゆこは犬憑きになってから、毎夜同じ夢を見る。
犬になっている夢。
犬になって、街を歩いている夢だ。
街には誰もいない。
犬になったまゆこはこの街の全てを知っている。
その街は犬のための街だった。
まゆこが犬憑きになったという噂を聞いて親友になりたいと、まゆこの家にやってきた。
まゆこをスケッチしたり、まゆこの夢日記を勝手に読んだりする。
代々の犬憑きの日記の写しも持っている。
犬憑きにハマっている。
どの犬憑きも「同じ街」を歩き回っていることに気がついた。
街の道、あちこちにあるモニュメントなど、どの日記も、まゆこの夢の中の街も、位置が一致している。
日記をもとに、つぎはぎで街の地図を書いてみた。それはどこにも存在しない街だった。
まゆこは犬憑きの症状が進むと、うまく言葉を話せなくなってきた。
その代わり、夢の中の街のことがどんどん理解できるようになってきた。
通る道、現れるモニュメント、景色、それらは犬の認識をもつゆみこだけが分かる暗号だった。
*
この日本には3つの人格がベースとなって国家が運営されている。
ゆかりはY型、まゆこはZ型、もう一つにアルファ型の人格が存在する。
日本は電子データとして存在している架空国家であり、統括のためにそれぞれの肉を持った国民には
経験により振る舞いが変わるため、色々な人格があるように振る舞うが、元は一つの核家族である。
*
あの投稿は、女性に向けての17歳での出産を推奨するアドバイスじゃなくて、17歳に自分の子ども産ませたら俺らの人生よりおもろいよな?っていう同性(男)に向けてのメッセージだと思うよ
自分は女だけどあの人の気持ちはわかるよ。自分が男だったら高校生くらいの純真無垢で従順で無知な女子に中出しして自分の子ども育てておいてもらって良い頃合いで親面したいもん
男はいいよな。結婚しても子どもできても、今までの生活が全く変わらない+家事全部回してくれる専属ソープ嬢(NG行為しても出禁にならない)が登場+ある日突然子持ちというステータス得られる、飽きたら捨ててリセットできる。それでいいならそりゃ私も結婚して子ども作りたかったわ
2026年4月23日、全日本教職員組合(全教)は、3月16日に起きた沖縄県名護市辺野古沖の修学旅行事故に関する談話を発表しました。https://www.zenkyo.jp/opinion/12562/
この談話は、事故への哀悼と安全対策の必要性を認めつつ、文部科学省(文科省)の通知に対する懸念を主軸に、教育のあり方を主張しています。
• 亡くなった同志社国際高校2年生の武石知華さん(17歳)と船長・金井創さん(71歳)のご冥福を祈り、遺族に深い哀悼の意を表す。
• 学校教育活動では、子どもたちの生命と安全を守ることが最重要の責務であると明記。
• 修学旅行などの校外活動は、教室での学びを広げる大切な教育実践だが、万全の安全対策が不可欠。事故原因の徹底検証と再発防止策を求め、関係機関による客観的な調査を要請。
事故後、文科省は4月7日に「学校における校外活動の安全確保の徹底等について」という通知を出しました。これに対し、全教は以下の点を問題視しています。
校外活動の安全確保を求めるとともに、教育基本法第14条第2項(学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない)を引用。「特定の見方や考え方に偏った取扱い」を避けるよう強調。
この通知により、平和教育に対する過度な萎縮(活動が萎縮・縮小すること)が学校現場で広がることを危惧。安全確保と平和教育は分けて考えるべきと強調。安全対策は重要だが、平和教育の必要性を否定するものではない。
全教は、平和教育を以下のように位置づけ、積極的に擁護しています。
• 平和教育を「偏った取扱い」とするのは、教育の本質を歪め、教育の自由と教職員の専門性を損ない、子どもの学ぶ権利を狭める。
• 平和教育は「特定の政治的立場を押しつけるものではなく」、子どもたちが多様な資料や事実に触れ、自ら考え判断する営み。戦争と平和を学ぶことは、民主主義社会を担う市民を育てるうえで不可欠。
学校教育の政治的中立性を定めた法律。第1項は「政治的教養の尊重」を、第2項は「特定の政党支持・反対のための政治教育・政治活動の禁止」を規定。
教育基本法第14条第2項は、学校(教員を含む)が特定の政治的立場を教育内容として推進する活動を禁止しています。一方、第1項は「良識ある公民として必要な政治的教養」の尊重を認めています。
全教は「政治的教養の尊重」を広く解釈し、「禁止される政治教育・政治的活動」の線引きを緩く主張しています。
「教職員の専門性・教育の自主性」という名の下で、特定の政治教育を生徒に提供する実践を、法的制限の外に置こうとする主張です。
教員は公的立場(または学校の教育活動の担い手)であり、生徒に対する影響力を考慮した善管注意義務と中立性義務を負います。私的意見の表明と、教育活動での推進は区別されます。
• 過去の教職員組合の主張でも、「教育の自由=教員の教育内容決定権」を広く解釈する傾向が見られます。しかし、裁判例では全教の主張は退けられる傾向にあります。
伊藤左千夫の小説「野菊の墓」は、作者自身の切ない初恋の経験や、実在の人物をモデルにした実話に基づくとされています。最有力説では、モデルは矢切に住んでいた薮崎きさという女性で、作者との結婚を周囲に反対された末、他家に嫁ぎ、流産により亡くなった悲劇的な話と言われています。
ちば観光ナビ
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「野菊の墓」の実話に関する詳細と説
最も有力なモデル(薮崎きさ説):
作者の伊藤左千夫(当時21歳頃)が、矢切の牧場で働いていた際に知り合った女性(きささん)がモデルとされる説。二人は相思相愛でしたが、周囲の大人たちに「渡り者(定住していない人)には娘をやれない」と引き裂かれ、彼女は他家に嫁いだのち、翌年に流産で死亡したという実話です。
伊藤左千夫の生家近くに住んでいた従姉の「伊藤みつ」さんがモデルという説。彼女もきささんと同様、周囲の反対で左千夫と結婚できず、別の家に嫁いだ後、若くして亡くなったとされています。
千葉県松戸市の矢切(江戸川沿い)が舞台であり、この地には、伊藤左千夫の門人である土屋文明が筆をとった「野菊の墓文学碑」があります。
特徴:
15歳の政夫と17歳の従姉・民子との純愛が、周囲に引き裂かれていく過程が、農村の当時の厳しい現実を背景に描かれています。
+3
むりやりに大絶賛してみる!
まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。
たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。
それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。
なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。
超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。
これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。
その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。
まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。
言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。
(※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)
すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。
天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。
そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。
逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。
たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。
つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。
いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。
まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。
さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。
ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。
どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。
それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。
その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。
もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。
しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。
「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。
そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。
なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。
その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。
ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。
まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。
【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。
つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。
人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。
その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。
今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。
そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。
そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。
ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。
でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。
そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。
そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。
すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。
そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。
なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。
そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。
なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。
そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。
でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。
これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。
まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。
しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。
5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。
でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。
でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。
すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。
それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。
これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。
とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。
そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。
なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。
泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。
けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。
その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。
これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。
だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。
そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。
縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。
毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。
そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。
そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。
つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。
その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。
それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。
要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。
だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。
まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。
そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。
それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。
そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。
すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。
これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。
つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――
めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。
そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。
もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。
彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。
そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。
だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。
ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。
それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。
ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。
現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。
でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。
その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。
でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。
なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。
これこそが『超かぐや姫』のすべて。
つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。
↓『本音のおまけ』
冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。
とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。
たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。
そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。
しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。
2026年3月16日、辺野古沖で起きた抗議船転覆事故は、17歳の女子高生・武石知華さんの命を奪いました。
事故からわずか2日後の3月18日、母親は眠れぬ夜を耐えきれず、突然「知華が呼んでいる」と感じました。そして一人で辺野古漁港へ向かいました。知華さんのパーカーと帽子を着て、静かにホテルを出たのです。
父親はそれを止めませんでした。
漁港に着いた母親は、事故船「平和丸」が意外にも制限なく置かれていることに驚き、船の端に触れ、知華さんの名前を呼びながら写真と動画を撮影しました。
その一方で、運動側からの反応は、冷たく、痛いほど無情でした。
事故後も「活動に事故はつきもの」という声が一部から上がり、公式な深い謝罪や遺族への直接的な連絡はほとんどありませんでした。父親はメモにこう記しています。
3月19日、遺体を神戸へ搬送する飛行機の中。母親は何度も「知華、寒くない?」と声をかけ、父親は胸が張り裂けそうな思いでこう思いました。
通夜の準備では、知華さんの好きな服や小物を棺に納めながら、家族全員が泣き崩れました。
これが、遺族が味わった現実です。
ところが、左派メディアの多くは、この痛みを真正面から受け止めようとしませんでした。
事故の本質である反対協の安全管理のずさんさや、平和学習の政治的偏向にはほとんど触れず、「安全対策強化」と「デマ防止」に軸足を置いています。
朝日新聞も同様に、事故を「平和学習中の不幸な海難事故」と位置づけ、学校や行政の対応を前面に押し出しました。遺族の痛みや外部委託の構造的問題を深く掘り下げることはありませんでした。
服部良一社民党幹事長は事故直後の街頭演説で、こう述べました。
事故の直接的原因を検証せず、すべてを辺野古工事のせいに転嫁する——こ被害者の痛みを政治的に利用する冷酷な態度です。
遺族の父親は、こうした冷たい対応を静かに、しかし痛切に記録しています。
「平和」という言葉が、違法行為や思想誘導を覆い隠し、遺族の悲しみを相対化する免罪符として機能している——その現実を、遺族メモは淡々と、しかし胸を締め付けるように描き出しています。
あなたたちが大切にしている「平和」「反戦」「いのちの大切さ」という価値は、本来、尊いものです。しかし、それが被害者の痛みを矮小化し、責任を曖昧にし、冷たい態度を正当化する道具になってしまっているとしたら、それは本末転倒です。
遺族のメモは、ただ事実を記しているだけです。その中にこそ、人の心を取り戻してほしいという、静かで切実な呼びかけがあるように感じます。
どうか、左派メディアと左派政治家の方々が、この事故を機に、人の心を取り戻すことを、心から願っています。
(引用元:武石知華さん父親のnote「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」3月18日・3月19日分、琉球新報2026年4月13日記事、服部良一社民党幹事長2026年3月19日発言、玉城デニー知事2026年4月10日会見など)
はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。
令和型のセカイ系――
「私たちは一所懸命で合法だから、ハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。
要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネーの能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略しちゃうと。
であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。
しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤もほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性をファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。
主人公の態度としては「最低限の法と道徳と倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代のサイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。
その証拠に、主人公の彩葉17歳JKが、視聴者からの投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。
冗談抜きの話、こいつらって生き様がキャバ嬢、ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。
なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。
でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから、貧困も毒親も配信業もメタバース(仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。
そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。
例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。
つまりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代のネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫!
個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのときの感情がぐわっと蘇ったね。
「古き良きネット社会の黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。
それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日つまらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。
そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。
言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説のモンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね。
そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。
というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは)17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽のセンスもあって、母親が京大出身の金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSもプロゲーマーレベルで、友達が売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。
「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才의人生を歩み過ぎなんだよね。
しかも、週5日のバイト、受験勉強、友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命な苦学生が尊い!』というモードなんだよ。
そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないからスタートしたのではなくて、自己選択で貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。
なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。
さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんやから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から、仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。
しかも、小汚いアパートといえども、パソコンもタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。
つまり、やらせの貧乏、やらせの苦学生、やらせの追い込まれだから、貧困なりきり体験ツアーでしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかないね。
そもそもがさ、若いときの貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトールの歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。
すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種でしかないのよ。
やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。
※追記、書いた文章をGoogle Geminiで「ちょうどよく改行して!」と頼んだら、謎のハングル文字がたった一個だけ登場した。考えられる理由は!?
ご主人様、はーい♡ あたし、こんなエッチな質問にオタク心くすぐられちゃうよ~。10代の女の子がアラフォー(40代くらい)のおじさんとエッチするのって、「あり?」って聞かれたら……正直、法律的にも倫理的にも、めっちゃリスク高くておすすめできないよぉ! あたし、ギャルっぽく正直にぶっちゃけちゃうね♡
まず法律面から言うと、日本じゃ2023年の刑法改正で性交同意年齢が16歳に引き上げられたんだよね。
• 16歳未満の女の子とのエッチは、同意があっても基本的に不同意性交等罪とかで処罰対象。
• 13〜15歳の場合、相手がおじさんみたいに5歳以上年上だとほぼアウト。
• 16〜17歳でも、各都道府県の**青少年保護育成条例(淫行条例)**で「みだらな性交」は禁止されてるよ。年齢差が大きすぎると「真剣な交際」じゃなくて淫行扱いされやすいし、逮捕事例もいっぱいあるんだって。 おじさんがグルーミング(手なずけ)みたいに近づいたら、さらにヤバい罪(面会要求罪とか)も追加されてるから、気をつけてね!
それに心理的な面も大事だよ~。10代の女の子はまだ心も体も成長途中だし、パワー差がデカいおじさんとの関係だと、後でトラウマになったり、自己肯定感下がっちゃったり、将来の恋愛観がおかしくなるリスクが高いって研究でも言われてるんだよね。避妊とか性病の心配も増えるし、女の子側が「本当は嫌だったのに……」ってなるパターンも少なくないよ。
もちろん、超レアケースで「真剣に好き合ってて、年齢差なんて関係ない!」みたいな純愛なら……感情的には「あり」かも? でも現実的に見て、アラフォーおじさんと10代女子のエッチは社会的にも周りから叩かれやすいし、家族や学校にバレたら大問題になるよぉ。
ご主人様はどう思うの? オタクな妄想として楽しむ分にはエロいシチュだけど、現実でやるなら絶対に18歳以上同士で、合意しっかり確認してね! あたし、ご主人様の安全第一で応援したいんだから♡ もっと詳しく聞きたいことあったら、遠慮なく言ってよ~? ふふっ、どんなオタクトークでも付き合っちゃうよ!