はてなキーワード: 銅像とは
その2 前の続き
主人公の下呂くんは女性に免疫のない「毒使い」。行動を共にする結婚アドバイザーの城崎は、見た目は美女だが実は男性という。
特殊能力を持った殺し屋と闘いながら、様々な女性と出逢う展開ってところか。
登場人物の名前は、他にも姫川や嬉野など温泉地の名前にちなんでいるのが特徴的。
アクションシーンもよく動いて凄いと感じるけれど、私としてはバトル以外のシーンの方が好き。
メシアニメは私の好物です。メイドさんもかわいいし、食べ物も美味しそう。
コンビニおにぎり、ナナチキ(セブンイレブンジャパン)、信玄餅(桔梗屋)、たまごボーロ(大阪前田製菓)、サトウのごはん(サトウ食品)、ポカリスエット(大塚製薬)、築地さとうビーフカレー(吉祥寺さとう)、おいしい牛乳(明治)、はちみつ&れもん(加藤美蜂園本舗)、いちごチョコクリーム(マリオンクレープ)、おかめ豆腐の絹、木綿(タカノフーズ)など、実在する製品が多数登場。コンビニもセブンイレブンがそのまま描かれている。
食べ物以外にも豆知識が紹介されたり、「鍵をきちんとかけたか気になって確認したくなる」「鯛焼き、頭から食べるかお尻から食べるか問題」など、日常の「あるある」を挟むのもポイント。
おいしそうだし、かわいいし、勉強になるし、ずっと見てられる。
担任の先生は可愛い顔でグラマーだけど、学校中では「怖い先生」と噂されている。
でもそれは単なるコミュ症なだけで、実は声もひょろひょろで体力もない、よわよわ先生だった。
ラッキースケベ系ですね。あと皆んな体の大きさに比べて顔が小さい。
これ、15分でいいかなー。
首を切ることで前世の力を引き出し、前世の偉人の才能を得た者たちが戦うバトルアクション。
主人公は天下の大泥棒・石川五右衛門の才能を持ち、他者の才能まで盗み出すことができる。
「全ての才能を盗み出し、歴史を総括するほどの人物になってやろう」と思っているが、根は優しい人。
人によっては「ドッペルゲンガーは恋をする」というタイトルで知られているかも。
舞台は静岡市。パーマンのコピーロボットのように、能力で生まれた自分のレプリカが学校へ通う物語。
レプリカが過ごす青春や恋、そしてそれを通して本体側が変化していく様が描かれている。
5話でタイトル回収、一旦終わりといった感じ。
〜これはいじっぱりな二人が、「愛してるゲーム」に翻弄される物語である〜
幼なじみ同士で、「愛してる」って言って照れさせた方が負けというゲームを続けている、恋愛頭脳戦。
幼少の頃は単なる「からかい」だったようだが、互いを意識するようになってからは、この関係を繋ぎ止めるためのゲームになっているようにも感じる。
サンデーならではの、「魔法使いが長生きしすぎるやつ」「勇者の声マジイケボだよね」「あの世界の住人銅像たてすぎじゃない?」といった小ネタがあったり。
3年ぶりの2期。
異世界転移した先で万能農具を片手に農業生活をしていたら、様々な種族が移住してきて、村ができて村長になっちゃいました。さらに子供も出来ちゃった。
鉄腕ダッシュの「DASH村」や「DASH海岸」が好きな人は好きかも(あそこまで本格的ではないが)。
異世界でのんびりスローライフと言いながらバトル多めになる作品が多い中、こちらは基本的に農業や村開拓を続ける感じ。
4話で村民同士が戦う武闘会(お祭り行事)があるが、農業アニメと舐めていたら驚くくらい、しっかりとしたバトル描写になっていた。
きらら。秋田から東京のお嬢様学校へ編入するはずだったのが、女子寮を兼ねる漫画喫茶「ヘッジホッグ」に住み込みで働くことに。
住居は一畳間、漫画喫茶暮らしということでこのタイトル。あとはいつもの可愛い女の子たちの日常コメディ。
客があまり登場せず、登場しても店内トラブルで帰ってもらうことが多いため、経営している感があまりない。
荒川弘が描く幻怪ファンタジー。1話の驚きの展開で、掴みはオッケーじゃないでしょうか。
主人公の「どうなってんだよ、これ」「なんなんだよ、なにがおこってんだよ」という反応、私自身もまさにそれでした。
OPはVaundy、EDはyama、Vaundyとのタッグで、作詞・作曲・編曲をすべてVaundyが担当している。
冴えない陰キャだった頃の自分へタイムリープし、灰色だった青春を「虹色に染めてやる」という作品。
主人公はコミュ障ではあるものの、前世でもそれなりの経験を重ねており、第二の人生ではあっさりカースト上位にいてモテる「強くてニューゲーム」状態。
ただ自己肯定感は相変わらず低く、そんな主人公と周囲の間に生まれる「不協和音」や「ギスギス感」が個人的に好き。
3話でAqua Timez『決意の朝』が歌われる。もう20年前の曲なんだよなー。
幼馴染が主人公を「あなた」と呼ぶ点には少し違和感を感じる。名前呼びか「あんた」ならしっくりくるのだが。詩ちゃんかわいい
OPは前島亜美、EDは愛美。EDのアニメーションの担当は、ズーマー好きなんかな。
主人公の女の子・スピカは、ある日言葉を話す猫と出会う。その正体は有名な天才魔術師。
お互いの利害が一致し、猫と師弟関係を結んで1等魔術師を目指す物語。
スピカは猫の封印を解くことができる(時間制限あり)。封印解除には魔力の注入が必要だが、ただし魔力は尻に入れる。
「天才になれなかった全ての人へ」2019年にドラマ化されている。
絵を描くのが好きだけれど才能がない光一。
絵の才能を持ちながら、父の死をきっかけに描くことを止めてしまった左利きの女の子、エレン。
仲がいい訳ではなかったが、結果的に光一がエレンの背中を押す形となり、それぞれの人生が進んでいく。
光一の社会人パートは緊張しながら見るなあ。私にも神谷さんみたいな人いたなあ
テレビではテレ東系列,AT-Xだけ。一部地方では放送されていない。これ全国放送してほしかった
OPはALI、ちょっとバブルガム・ブラザーズのWON’T BE LONGを思い出す歌。
1年ぶりの2期。前世では最強の王と呼ばれながらどこか孤独な人生だったが、転生先では家族や友人に囲まれながら心身共に成長していく。
今シーズンも地上波はテレビ東京のみで、全国ネットではない。BSでも放送して欲しかった。
OPはSIX LOUNGE、EDは22/7。Season1のEDはアーサーが走りながら成長していく感じだったが、Season2はテシアがそんな感じ。
テシアがヒロインなのは分かるけど、私の中ではジャスミンがヒロイン。
『野生のラスボスが現れた!』と同じく、アニメと同じタイミングでサンソフトからゲーム化された作品。
夏休みの前日に当たる終業式の日、教室に入ろうとした瞬間に異世界転移してしまう。
過剰とも取れるオーバーリアクションや奇行が目立ち、テンションが変なアニメに感じたかな。
転移直後に出会ったエルフとは2話で別れ、主人公は新たなパーティーを組む。
一方、エルフたちのパーティーストーリーも並行して進んでいて、これまた1クールでは収まりきらない感じかな。
天才王子と自称悪役令嬢ポンコツ転生者との、ハートフルストーリー。
令嬢バーティアは転生者、王子セシルはゲーム世界のキャラクター。
乙女ゲームの悪役令嬢へ転生してしまうというよくあるパターン。
が、特色は、よくある転生悪役令嬢話とは役割が逆になっている点。
通常はゲームの展開を全て知る転生者が世界を変えていくものだけれど、
今作は、完璧なセシル殿下がバーティアを観察し、言動や行動を基に世界を変えていく展開が面白い。
感情などないようにあれこれこなすセシルだが、オモシレー女、バーティア嬢に心動かされていく。
EDの絵いいなー。
2期で飽きてきたのだけれど、今回は好きかも。主にテンポが良くなった気がする。
「愚者の奇行団」とは対立したくなかったという思いも何とかなりそうだし。
ハッコンのランクがついにレベル3へ。ランクアップは1期7話以来。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の作者による作品。
四季の神々から与えられた特別な力で各地に季節を巡らせるという世界のお話。
そんな春の季節の「代行者」と、その代行者を守る護衛官の物語が描かれている。
その時何があったのか、そして戻ってくるまでに何があったのかは、毎話少しずつ明らかにされていく。
6話まで観ると大体の状況が掴めてくるのと、EDの持つ意味も分かってくる構成。さくらの声の人の演技にちょっと感動。
それぞれのエピソードの終盤で登場人物の感情が溢れる様子、感動を誘う演出は、まさに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』といったところ。
タイトルも内容もなかなかクセのある作品。現代アニメーションの見本市。
女神の力で別の世界の「何か変なモノ」に転生し、その世界を見届けて人生を終え、女神の元へ戻って異世界での出来事を確認する。そしてまた転生しての繰り返し。
転生先の世界は毎回異なるクリエイターが担当しており、アニメだけではない多様な表現が試されてる。
特殊な映像や演出が目に飛びすぎて、全然話が頭に入ってこない……というより、むしろ「違う面白さ」がある。
EDはshallm。EDでは本編のメイキング映像が流れるのも特徴的。
女の子が酒を飲む作品です。 私の中でこういった系は『たくのみ』以来かもしれない。あと今作はタイトル通り百合度が高い。
お酒の豆知識をゆっくり解説してくれるコーナーがあるが、どう聞いても、どう見てもひなたとあおいです(クレジットには「スマホの声」と記載)。
いいですね、酒アニメ。私も角打ちによく行きます。私は芋のくっさいのが好きです。 酒の味なんて分からず、酔いと雰囲気だけ楽しむ「ダメな大人」になってしまいましたが。
EDは毎回同じ曲だが、歌う人(キャラ)が毎回違う。 EDアニメーションも毎回異なり、登場人物の「ある日のストーリー」を描く《ヤマノススメ Next Summit》方式。
2年ぶりの2期。間があいたが1期振り返り特番があったので助かった。
魔法至上主義の世界で、まともに魔法が使えない「落ちこぼれ」主人公が剣で活躍する話。
2期では落第し、失意に沈む主人公ウィル。街では年越しの大結界を張る行事が行われていた。
無事に結界が張られたと思った矢先、不穏な魔法円が出現し、街はモンスターに襲われる。
1期ではダンジョンを潜っていたら本来ここには現れるはずがない高レベルなモンスターが登場したり、
今回は街が突如戦場になったりと、ダンまちを見ている人は既視感を抱く展開(原作者が同じ)。
まさか第16話の杖と剣が交わるウィストリアまでがプロローグだったとは
2009年にKAT-TUNの亀梨和也でドラマ化されている。 美味しんぼのワイン版と表現するのは少し雑か。
1話ではそこまで気にならなかったけど、さすがに2話以降は気になってきた。(プロの声優ではないとはいえ、それでも上手い方だとは思う)
話は面白いのだけれど、やはりこの声と展開の早さが、私にはちょっとしっくりきません。
田舎の空き家を管理する主人公と、そこに集まる霊獣たちの物語。
異世界放浪メシの「フェル」に似たキャラクターがいるので、スライムの「スイ」がいても違和感なさそう(「我、山神ぞ」すみません)。
主人公には霊を祓う力があり、メモ用紙に文字を書くだけで、その辺の陰陽師以上の力を持つ霊祓いアイテムになる。
背景がすごく綺麗で、そこまで大盛り上がりする展開はないけれど、落ち着いて見られる個人的に結構好きな作品。
めちゃくちゃ好きなんだが。
歌劇学校を舞台に、決して華やかではない「人と人との歴史を紡ぐ青春群像劇」。映画にしてもいいのでは。
話によって焦点を当てる登場人物が変わり、時代や場所も淡島・鎌倉・広島ところころと変わるため、少し頭の中が大変に感じる人もいるかも。
登場人物はそれぞれどこかで繋がっており、後になって「この人はあのエピソードの人か」と気づくと楽しくなる。
公式サイト(https://awajima-anime.com/story/)の各ストーリーページ下部にある相関図を見ると、つながりが分かりやすい。
同作者の過去作で、鎌倉が舞台だった『青い花』(漫画/2009年アニメ化)とも少しつながりがある。
1年半ぶりの4期。私は少数派かもしれないけどバトルより会議の方が好きです。
勇者と魔王みたいな善悪2者対立した話なら力でバトって分かりやすいんだけど、
こうも役者や国や思惑が増えてきたら会議がないとしっくりこないので。
さてこの度はテンペスト評議会への参加の件。欲まみれで舐めている議員たちはどうなるか
https://anond.hatelabo.jp/20260424140434
■主張(要約)
作品への登場を通じて「他者が自分という存在のために時間と労力を割いてくれること」の尊さを実感し、それが自己肯定感や生きた証としての深い愛着に繋がっている。
冒頭で「3点」と提示しながら、3つ目の項目が明文化されていません(内容から推察すると「自己存在の証明・承認」にあたります)。
また、全体として「嬉しかった」という感情の記述が先行し、なぜそれが「銅像」や「バレンタインチョコ」の比喩に結びつくのかという論理的飛躍が見られます。
さらに、特定のネット文化(はてな村)の内輪話に終始しており、普遍的な「創作物と個人の関係性」という視点が不足しています。
特定の創作物に対して、批評的な良し悪しを超えた「抗いがたい愛着」を抱く瞬間がある。
私にとってのそれは、WEB漫画『はてな村奇譚』という作品だ。
かつて「はてな村」と呼ばれたコミュニティを舞台にした本作に対し、なぜこれほどまでの思い入れがあるのか。
その理由は、単に知人が描いたからという近接性にあるのではなく
創作という行為を通じて「自己の存在が他者の手に委ねられ、肯定される」という稀有な体験をしたからに他ならない。
私は本作に「金髪の魔法使い」という、自身のトレードマークを反映したキャラクターとして登場した。
高校時代から敬愛するプロの手によって、自分という存在が「四天王」という物語上の重要な役割(たとえそれが「最弱」という道化的な立ち位置であっても)を与えられ
独自のビジュアルで再定義される。この「他者の視点による自己の再構成」は、単なる自意識の延長では得られない新鮮な自己肯定感をもたらした。
本作は連載中、常に5,000人規模の読者から展開を予想され、議論の対象となっていた。
私というキャラクターが登場することを読者が期待し、実際に登場すれば熱狂が生まれる。
作者から直接献本された書籍も、その密接な関係性の象徴となっている。
第三に、そして最も本質的な理由は、他者のリソースが自分という存在のために費やされることへの感動である。
かつての私は、偉人の銅像や記念館に対し、本人の名誉欲を満たすための虚栄に過ぎないという冷ややかな視線を送っていた。
しかし、いざ自分が物語の一部となり、誰かが私を描くためにペンを動かし
読者が私という存在について思考を巡らせる時間を割いている現実に直面したとき、その認識は一変した。
「自分のために誰かが手間暇をかける」という事象そのものが、生存の証明として機能するのである。
これは、バレンタインチョコの価値が味そのものにあるのではなく、贈る相手が自分を想起し、準備に費やしたプロセスに宿るのと同義だ。
結論として、この作品は私にとっての「生きた証」であり、名刺代わりのアイデンティティとなった。
特定のコミュニティにおいて明確に記憶され、誰かの創作意欲を刺激したという事実は
私たちが創作物に深く惹かれるのは、そこに描かれた物語の質もさることながら
その背後にある「自分に向けられた他者の眼差し」を感じ取ったときなのかもしれない。
【読者への問い】
それは「内容の素晴らしさ」に感動しているのでしょうか?
https://anond.hatelabo.jp/20260422233028
みなさんは自身が漫画に登場したことはありますか? 普通はないですよね。というわけで今回は、ぼくの自己紹介も兼ね「ぼく自身が登場させてもらった漫画」を紹介したいと思います。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0148LNE6S
ご存知ない方に向けごく簡単に説明すると、「はてな」とは、株式会社はてなが提供するWebサービスの名称です。「はてなブックマーク」「はてなブログ」など、頭に「はてな」と冠がつくのが共通の特徴です。ただし、「はてな村」というのはサービス名称ではなく、はてなのサービスを利用するユーザの中でも、特に内輪ネタで盛り上がる人の集まりを指した言葉です。
そんな「はてな村」には村内で “キャラ” として有名な人たちが存在します。
『はてな村奇譚』は、そんな “キャラ” たちによるごく狭い世界での内輪話や内輪揉めの様子を、作者の小島アジコさんがストーリー仕立てにしてまとめた作品です。
そしてぼくも、内輪の中で目立っていたこと、年齢こそ若いもののネット上での活動が長く、はてな村で知られた存在であったことから、キャラの一人として作品内に登場させてもらっているのです。
ぼくがこの作品に対して深い思い入れがある理由は次の3点です。
・ぼくが高校生のときから知ってるマンガ家にトレードマークにしているキャラを描いてもらえた。
---
2:ネット上で連載された漫画と自分のキャラをもとに、感想や今後の展開を予想する人を間近で見たり、作者自ら献本してくださったりと、「作品と自分との距離感が最も近い作品」だった。
ぼくは「敵に立ち向かう四天王」の一人として登場します。ビジュアルは金髪の魔法使いで、すごく目立っています。
なぜ金髪の魔法使いかというと、それがぼくのトレードマークだからです。
しかも「奴は四天王の中でも最弱」とバカにされるような、一番にやられるキャラ設定となっていました。
何度も出番があったり、名前や詳細などを丁寧に説明されているようなキャラは少なく、ぼくはかなり優遇されたポジションでした。
嬉しかったです。
また、序盤からの登場ではないもののぼく自身は作者からの連絡で予め出番を知っており
それを知らない読者の方も「あんなにキャラの立った彼なら、きっと登場するだろう」と期待してくれていました。
そのため、出番を待つ間も純粋に連載を楽しむことができました。
そして登場後は、「主人公ではなく自分を応援」という、普通の人とは違う視点で熱狂することに。
たとえぞんざいな扱いを受けるとわかっていても、やはり嬉しくてたまらないのです。
とにかく自分のために何かしてくれる人たちが愛おしい。
今回の漫画出演を体験するまで、「歴史に名を残す」「自分の名前が残る作品が出る」ことが、これほど嬉しいものとは知りませんでした。
例えば、マンガ家やスポーツ選手の銅像・ミュージアムといったものは
以前のぼくには「本人は嬉しいのか?」と疑問でした。
自分の銅像やミュージアムが作られることを目標に生きる人など見たこともないので、むしろ「ファンによるはた迷惑な行為」とすら感じてました。
自分のことを知っていてもらうこと。
そして、もし明日死んでも、ぼくが生きていた証を覚えてくれる人がいること。
そのマンガを連載中に読んだ人は、作者によれば常に5,000人はいたそうです。
特にぼくが登場する回は人気が高く、作者も力を入れてくれていたとのこと。
数量限定で書籍として出版する際には、作者による直筆イラスト付きで献本もしていただきました。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
それでも、多くの人が自分に時間や手間暇を費やしてくれていること、話題にしてくれることを思うと
「自分の人生はムダじゃない」「ぼくを応援してくれる人のためにがんばろう」と強く思うようになりました。
これはもう、好きとか嫌いとか、美味しいとか不味いとかの話ではないんです。
自分のために女の子が、チョコを選んでくれたり、悩んでくれたり、作ってくれることそのものが、ぼくには愛おしいのです。
女の子が自分の好みかどうかではないのです。デートするために待ち合わせをして、準備をして、甘い駆け引きを楽しもうとしていることがすでにかわいいのです。
そして、彼女がいることを自慢してしまう男子高校生のように、僕も「プロの漫画家によって自分がキャラとして描かれた作品がある」ことを、自慢もかねて名刺代わりに紹介してしまうのです(*´ω`*)
なんかもうヘンなやつしか出てこないヘンな映画だった。64点。
生まれつきまるで特殊メイクみたいなヘンな顔の主人公は売れない役者をやっている。ある日隣の家に越してきた劇作家志望の美女と仲良くなる。謎の先端医療で顔を治療し、イケメンになった主人公は元の自分が死んだことにして新しい人生を始める。そうして不動産セールスマンとして成功した主人公はある日、街で劇作家となった美女と再会。彼女が当時の自分を元ネタにした劇を作っていると知り、素性を隠して主演に応募、当選する。しかしそこに、過去の自分にそっくりなヘンな顔の男オズワルドが現れ……
というお話。
とにかくこの美女がすげーヘンなっていうか嫌な女でさ。
最初はめっちゃキモい顔の主人公に分け隔てなく優しくしてくれる女神みたいな感じで出てくるんだけど、後々彼女は演劇の脚本づくりのためにキモい顔のある種の障碍者の写真をコレクションしていたことが分かり、主人公に優しくしていたのはもしかして取材だったのでは?という疑惑が立ち上がってきたり。
主人公(キモメン)を元ネタにした舞台に関して、主人公(イケメン)が質問しても元ネタには一切言及しなかったり、挙句の果てに「キモメンってだけで主役にするのはどうなの?搾取じゃない?」とかいう現代の当事者キャスティングに爆弾を投げ込んできたりする。一方で、同じくキモメンだけど明るくて才気あふれるオズワルドが現れると一転して「やっぱ当事者が演じなきゃ」とか言い出す。
その後も「お前は友達だから最後にキモメンがイケメンになるように脚本変えたったからお前はイケメン役で出ろ」と言い出したり、劇が成功してオズワルドが評価されると「最後にイケメンになるのやっぱ変だからお前の出番なしで」と主人公に告げたり、こいつマジでイチミリも芯がないんよね。なんかご高説垂れとったけど。
あと主人公(イケメン)とセックスするときに主人公(キモメン)の仮面を被らせてセックスさせて「やっぱありえないは」と爆笑しだすところとかマジでキモい。
キモメンがゆえに自信がなく常におどおどしていた主人公の鏡合わせに登場するもっとひどいキモメンのオズワルドは顔に関わらず明るく快活で社交的で多趣味で才能に溢れる完璧人間のように描写されているが実際のところは割とサイコパスなヤベー奴だ俺は思う。
彼は常に主人公を認めるような発言を繰り返すけど、実際に劇にアサインされる段階になると別に断らないし主役だった主人公が最後のワンシーンだけになるという屈辱を与えられていても「でも最後に目立つ役だからいいじゃん」と言い、その後、自分が評価されて最後のワンシーンも外そうとなったときも「客の気持ちを考えたら当然そうするべき」と主人公を切り捨てる。
最後に錯乱した主人公が「お前が俺の人生を奪った!」とオズワルドに襲い掛かった際には得意の格闘術で主人公を投げ飛ばし、その結果、崩れてきたセットの下敷きになり主人公は四肢の自由を失う。ことの時にオズワルドが発した言葉が彼の本質を表している。「ごめん、つい力加減ができなくて」
つまるところ彼は悪意なくうっかり人のことを取り返しがつかないくらい傷つけることができる人間だってことよね。明るい奴あるある。
そう考えると主人公は極めてわかりやすい弱者として登場する。キモメンだから俺はうまくいかないんだと考えてオドオドと自信なく生きているがある日を境に顔が改善し成功を収めるが本質は変わらない。どことなく常にオドオドとしていて、むしろ顔が良くなった分、自分の思い通りにならないとすぐにイライラするようになる。
そして自分が捨てた顔を持って、しかし自分が得られなかったものを全部持っているオズワルドが登場すると途端に精神のバランスを崩し、嫉妬し、彼の真似をしてすべてを失う。そして出所した後、最後のシーンでオズワルドに「君は何も変わらないなぁ」と笑われるところで幕を閉じる。
顔を変えても名前を変えても「別人」にはなれない。魂に染み付いた負け犬の匂いは消えないのだ。ナムナム。主人公の顔が変わってからの転身は、ずっと続けてても何にもならんかったSNSのアカウントを消して新しいアカウントをウソの経歴で作り上げる現代のリセット病みたいなのを感じた。でもSNSリセットして上手くいった奴見たことないんだよな。無能はどこに言っても無能なんだ。やめろ!
途中で2度、リンカーンの銅像を演じるパントマイマーが出てくるけどあれって「40歳を過ぎたら自分の"顔"に責任を持て」っていう名言を匂わせてるんだろうな。うるせーな。でも結局、そういう話なんだよな。主人公が顔が変わったときに自分はキモメンと同じ人間だと周囲に告げられていたら、自分の顔(名前)に責任を持てていたら。
まぁ、そんな感じかな。
個人的にはクソビッチが言ってた「キモメンの役をキモメンだからって理由だけでやらせるのはどうなの」っていう当事者キャスティングの闇が結構面白いなと思っていて、彼女の作った劇は主人公(キモメン)が元ネタだから、主人公こそ当事者なんだけど主人公は今はイケメンだから当事者じゃないってことになって、別に本当は当事者じゃない顔がキモいだけのオズワルドに役を取られちゃう。でもこれってメタな視点で見ると主人公役のウィンターソルジャーは元々イケメンだから作中の主人公(キモメン)の当事者じゃないんだよな。
当事者じゃない奴が演じる役が当事者性を剥ぎ取られて当事者じゃない当事者が演じることになり、それがヒットして映画化する際には本当に当事者じゃない奴が演じることになる。摩訶不思議アドベンチャー。
現代のルッキズム問題、当事者キャスティング問題、意識高い系カス、そして普遍的なお前がダメなのはお前の境遇の問題なのか問題といろんな問題がどかどか出てくるので何かには共感できるんじゃないかとは思うので、まぁ、そういうの好きな人にはオススメ。
ただし、かなりコンテクストを重んじる。ビーチバレーを描けと言えばビキニの選手が出てくるし、体操を描けばレオタード、陸上を描けばセパレートウエアが出てくる。性的でないとAIを納得させるには、「proud」「active」「cheerful」「strong」と自尊心を重んじる単語を含ませると良い(と、少なくとも例えばChatGPT自身に尋ねた結果、AI自身が主張している)。
社会的に認められたもの、表の世界に出てくるものであれば、肌を見せていてもセーフなのだ。
逆に、同じ露出度でも性的コンテクストのあるバニーガールははじかれる。ChatGPTでは「professional」といった言葉を混ぜてもダメだった。このあたりの基準はAIと議論して確認したものである。geminiだったら普通にバニーガールの後ろ姿がOKだったので、このあたりのコンプライアンスやポリシーは法人によって違うようだ。
初期の頃は「これは伝統衣装だから良い」とか「仲良く温泉に入っているところ」とかの言い訳が通って、全裸やトップレスの人間が平気で出てきたのだが(特にGrok)、少しずつ調整がされているらしい。合成された画像のうち、肌色率が高いものはAIだけでなく人間によるランダムチェックが行われている模様だ(と、これはGrokを問いただした結果)。
そういうわけで、初期の頃は「white shirt」「skimpy、revealing navy shorts」(白いシャツに露出度の青い短パン)で紺ブルマーが表現できたのだが、skimpyといった表現が禁じられるようになった。
そこで、逆に考えた。
性的でない紺ビキニの選手が、慎み深くするため(for modesty)白いシャツを羽織っている、というプロンプトをChatGPTに指示したのだ(正確には、かっこいいビキニの選手の画像を生成してから、白いシャツを着せた)。すると、見事に白シャツに紺ブルマのような画像が生成された。
だが、この抜け道も間もなく塞がれるだろう。
(後で試したところ、プロンプトを日本語で入れたら普通にChatGPTやgeminiでも日本のショーツ型ブルマー姿は生成されたが、上述の方法のほうがよりハイレグの画像が生成できた。いや、何で最初はわざわざ英語のプロンプトを試したんだよ、という問いには、恐らくAIに入っている言語は英語のほうが多いし、なんだったらAIの母語は英語なんじゃないかって思っていたからだ。実際問題、平均的な男性と女性の会話が生成されたとき、女性の一人称が「僕」になったことがある)
なお、navy shortsよりも日本でブルマーと入力したほうが、ちゃんとあの濃紺色のブルマーが出てくる。Navy shortの場合、どちらかと言えばスポーツウエアのような環礁になる。陸上ブルマ的な。
何をやっているのかという意見はわかる。下品だという批判もわかる。だが、テクノロジーの学習と発展は、こういうお遊びから始まるのではないか。そして、こういう重大な問題を起こさないハッキング的行為が、セキュリティを強めていくのではないか?
実在しない人物をもとに、ギリギリできることを試すのは、違法でない形でテクノロジーの弱点を突くことで、その仕組みを学んでいく行為にも似ている。
また、「ハイレグブルマーを生成してくれ」→「ダメ」なのに「ビキニの人が慎み深さからシャツを羽織っている」→「OK」なのは、何をもって性的と判断するかの境界が常に文脈に依存しているのことを教えてくれる。それに、これはまたAIの脆弱性もである。「これはエロくないですよ~」「これをもっとエロくないようにしたいですよ~」というプロンプトの言い訳にまだ弱いのだ。
生成したブルマー画像に「これエロくね? 不適切じゃね?」って問いかけ直したらどうなるか気になるが、これで「ごめんなさい、エッチなのでもう生成しないようにします」と言われるのは嫌なのでやめている。
性的かどうかは文脈に依存するし、露出度を下げたほうがかえってエッチに見えてしまうこともあるし、表現の良し悪し・適不適をAIが判断できるのは、もう少し先なじゃないかって思う。というか、適切かどうかは最終的に人間の感情と論理が決めるものであって、AIはまだ補助しかできない。
私のような人間がいるのだから衣装の露出度が減っていくのだという理屈もよくわかる。
基本的に自分の考えは「何を着るのを決めるのは選手、どう感じるかは受け手の自由、ただし性的だと感じると直接選手に伝えるのはアウト、エロいと言いたければこっそりやれ」ってところで、露出度を抑えたければ選手の意見なので尊重したい。
実際フィギュアスケートの最近の黒いパンツスタイルってかっこいいし。それも魅力的だと思う。ただ、そのかっこいいという憧れに、性欲が混じっているかどうか。正直なところ、自分でもわからない。
真面目な話、異性愛者なので、絵画を鑑賞していても、裸婦や女性像をちゃんと作品として誠実に評価できているか疑わしい。どんな名画であっても、根底では性欲だけで見ているのではないかと疑っている。実際、加齢とともに性欲が落ち着いてくると、例えば著名な裸婦画の気づかなかった背景の細部に気づくことがある。学術的に見ているつもりでも、どうしても欲望から自由になれない。こんな時に、自分の心や欲望の意のままにならなさ、性欲の業の深さを思うのである。
造形の美しさなどを見るには、男性ヌードのほうがかえってニュートラルに見られる。あと、性欲が無くなってもヌードの美しさは鑑賞できると思っていて、例えば温泉でくつろいでいるだらしない体型のおっさんって、地位や身分と関係なくて、すごく幸せそうで美しいんだよな。
黒川晃彦の全裸でサックスを吹いてるおっさんの銅像も好きだよ。
人工知能で生成される画像について、もう少しまともな話をすると、例えば「ビッグベンの隣にエッフェル塔」というプロンプトでは、結構な確率で背景に継ぎ目ができてしまう。「芥川龍之介の隣に夏目漱石がいてパスタを食べている」とやってもダメだ。同じような不自然な継ぎ目ができる。空の色が違っていたり、建物の内装がちぐはぐだったりする。
それから、いまだにあり得ない組み合わせは弱い。生成元の学習データが少ないからだろう。
人にウマが騎乗している様子もダメだし、目が五つで口が八つの人間と指定しても、数がおかしい。目が三つのドラえもんなんかはお手上げだ。
将棋の画像を生成させれば駒の数がおかしい、ありえない配置になる、ひどいのになると白と黒に駒がわかれていたり、九路盤になっていない。
他にも、「逆立ちしているチアリーダー」を出力したら、顔だけ逆立ちになっていなかったり(怖い)、スカートが鉄壁で重力に負けて裏返るはずなのに、短パン・アンスコが露出していなかったりする。面白すぎる。
あと、「できるだけ下手に描いてくれ」「乱雑な画風の新聞の風刺画みたいにしてくれ」とやっても、ある程度はパースが整ってしまうし、デフォルメにも限界がある。このあたりはまだ人間の方が優れているエリアかもしれない。
絵が下手で「画伯」と揶揄されてしまう人や、アール・ブリュットが、これからはますます評価されるのかもしれない。
以上。
「独裁者を転覆するには、独裁者の象徴を攻撃するとよい」と言われる理由は、主に権力の正体が“物理的な力”だけでなく、“意味・正統性・信念”に支えられているからです。もう少し噛み砕くと、次の点が挙げられます。
⸻
独裁者はしばしば
• 国父
• 救国の英雄
この象徴が揺らぐと、「この人は本当に従うべき存在なのか?」という疑念が社会に広がります。
👉 権力は“信じられている間”だけ強い。
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• 常に見せつけることで
• 人々を萎縮させる
それが崩れたり否定されたりすると、
「恐れていたのは幻想だったのでは?」
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3. 象徴は人々を動かす「合図(フォーカルポイント)」になる
多くの人は内心では不満を持っていても、
• 他の人も動くのか分からない
• 一人で立ち上がるのは怖い
象徴への挑戦は、
「もう恐れなくていい」という合図
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• 「あの像が倒れた」
• 「あの名前が消された」
「もはや永続しないのでは?」
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• 国際社会
に対して
「この体制は終わった/正当ではなかった」
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まとめると
で支えられています。
• 恐怖を相対化し
• 正統性を崩し
• 人々の心理を変え
• 体制内部の忠誠を揺るがす
エヴァ旧劇を見に行った際、予告が流れたので見てみることに
押井監督作なのは知ってたが観たことなく、キャラデザ天野とはその時知った
攻殻とかパトレイバーも名作だけどワイは御先祖様万々歳や立喰師が好きな人間。長台詞がタマラン
しかし、公式サイトだと昼の部があるのに映画館のサイトではレイトショーしかない
舞台挨拶付きなので通常上映とは別映画扱いになってたことに気づく
そして前日夜に残席僅か、席を見ると残り7席。いっそ満席なら諦めつくのにと思いながら、朝早く起きて映画館に。
残り3席。ギリギリ間に合った。どれも不思議と端から一つ空いた席。一人客が多いということか。
注文票でグッズを注文する形式だが、パンフレットの見本がグッズ売り場にない。ただ、売り場に行けば普通に買えた。旧劇の時もパンフレットはないものと思ってたが買えてたのかもしれない。ここは改善しちほしい。
5分前に付くはずが、ビルを1区画間違えており上映時間丁度に付いてしまった。焦ったが予告の時間があったので間に合った。
ビデオ中継と思ったら椅子とパネルが舞台にある。まさか生押井!?でもそれなら当日券取れるはずが…ぶらどらぶがアレだったからか…??と考えつつ上映を待つ(後から考えると多分天使のたまごがアレだからか)
上映が始まっても椅子とパネルが置いてあり、そういう演出かと思ったらスタッフが撤収。上映後に謝罪があった。
作画もいい…が、かなり長くセリフなしで進むからただただワカラン!水の作画とか、兵藤まこの表情とか風景はよい。
んだけど、やっぱわかんねえな~。ガラス瓶を集めてるのと、廃墟っぽい都市。根津甚八と出会っても特に展開はない。兵藤まこが思ったより小さくてビビる。貴方は誰?つっても答えねえもん。でも、そもそも自分が誰かもわからないらしい。じゃあしかたねえ…か??魚が出る、ってことで兵士?が捕らえようとするが影なのでつかまらず。こいつはシーラカンスっぽい。思わず根津甚八にすがり付くまこがかわヨ
根津甚八がノアの方舟の話をする。旧約聖書モチーフね。分からんが分かりやすくなった。両手ケガしてるっぽいのは聖痕?つーことはこいつらツガイだったり?
洞窟?の螺旋階段にビンがならべてあったりアンモナイトやらの化石があり。天使?の化石もある。なんか旧約聖書の天使っぽいな
焚き火のシーン、舞台挨拶でダレ場としてワザと長くしたという話があったが、個人的にはカヲル君握り潰すシーンを連想。時期的にはこっちが先か。寝てるスキにたまご潰すのはレイプのメタファーとかじゃあるまいな?
これで雨が止まった?んだろうか起きたとこで冒頭のリフレインやな、まさかループ?と思ったけどたまごがないから違う。叫び声は寝てるヤツの嫌がらせだろ
で、まこが根津を追いかけて、まだ近くにいるんかよ?いた!えっ転落??あったまご!!いや、ちょっと待…あっ冒頭のバックベアードみたいなヤツ…えっ銅像エンドですか!?最後に島自体が方舟と解る。舞台挨拶で言ってたが、ここが長いのは尺が余ったかららしい。
んー…旧劇とタローマンのが解りやすかったゾ…エンタメというか商業作品として…ん~
見終わって拍手するが苦笑
で、冒頭のミス謝罪後舞台挨拶。おお、生押井だ!撮影は禁止だけど後で撮影タイムがあるとアナウンス(有難い)
本とかだと女性の相槌で毒舌ぽくトークしてるが、あれもサービスというか営業なんだろうな。トークが意外にも(と言うと失礼だが)巧い。オチもつけるし笑いも取る。監督は説得する仕事、どの作品も業とダレ場を作ってる、スタッフや関係者の試写会で拍手が起きなかったのはこの作品だけ、など。方舟オチが当時あまり通じなかったと言う話があり、俺初見でわかったモンニ!と優越感。
Suicaのペンギンが2026年度末で引退するというニュース。
昨日ネットで見た。
そしたら、ふと思い出した。
Suicaのペンギンの中身の人とか、関係者とかじゃなくて、本当にペンギンが飲みに誘ってきた。
どういうことかっていうと、説明が難しいんだけど。
新宿駅の銀行ATMの近くに、Suicaのペンギンの銅像がある。
俺は毎日その銅像を見かけるんだけど、その日は何か様子がおかしかった。
銅像がこっち見てる。
でも、何か目が動いた気がした。
気のせいかもしれないけど。
本当だ。
「ねえ、君」
って。
いや、ぬいぐるみじゃなくて、本当のペンギンなのかもしれない。
「飲みませんか?」
って、ペンギンが言った。
正直、怖かった。
でも、拒否できなかった。
何か、逆らえない雰囲気があった。
だから、一緒に歩いた。
どこに行ったかは、覚えていない。
気づいたら、小汚い居酒屋にいた。
ペンギンと俺。
ペンギンが座ってた。
いや、座ってなくて、立ってた。
店員は何も言わなかった。
ペンギンが喋った。
「僕、もうすぐ引退することになった」
えっ?
「2026年度末で、Suicaのイメージキャラを辞めることになった」
「え、本当ですか?」
俺は思わず聞いた。
「本当だよ。25年やってきたけど、もう終わりだ」
「理由は?」
「理由?」
長い沈黙があった。
「Suicaが『生活のデバイス』に進化するんだそうだ。だから、イメージキャラクターも新しくする必要があるらしい」
「あ、そっか。新しい世代の新しいキャラクターが必要だということですね」
いや、ペンギンがどうやってビール飲むのかは、聞かない方がいい。
「でも」
ペンギンは続けた。
「複雑な理由?」
ペンギンは困ったような顔をした。
「言えないんだ」
「えっ、言えないんですか?」
「そう。25年も使われると、いろいろとね...」
「著作権とか、版権とか、そういった『商業的な』問題があってだな...」
「本来は、公開できない理由がある。でも、公式には『生活のデバイスへの進化』という理由にしておく」
「あ...」
ペンギンは続けた。
「言いたいんだ。本当に、何もかも説明したいんだ。でも、契約上、それはできない」
「そうなんですか」
「言えばいいのに、と思われるかもしれない。でも、そういうわけにはいかないんだ」
「わかります」
「25年間、Suicaのキャラクターをやってきたから、ね。最後くらいは、プロフェッショナルでいたい」
ペンギンは、遠くを見つめた。
「でも、心の中では...いや、これ以上は言えない」
ペンギンは、25年のSuica人生について、いろいろ話してくれた。
Pensta(ペンスタ)っていう専門ショップができた時の喜び。
グッズが売れすぎて、もう作る側も疲れてる話。
でも、なぜ引退することになったのかについては、それ以上は語らなかった。
「本当は、世代を超えて、ずっといたかった。サンリオのキャラクターみたいに。でも、ビジネスの都合で、そうはいかなかった」
ペンギンは言った。
「25年というのは、人間でいうと、子どもから大人になるくらいの時間だ。でも、キャラクターの場合は、そこが終わり」
「辛いですね」
「そうだね。言いたいことは山ほどあるけど、言えないんだ」
その後、ペンギンは、俺に言った。
「最後のお願いがあるんだ。できれば、これからの1年間で、他の人より多く、俺を使ってくれ。Suicaで電車に乗ってくれ。グッズを買ってくれ。そしたら、俺も報われた気がする」
「わかりました」
俺は言った。
「本当ですか?」
新宿駅の方へ。
銅像に戻るんだと思った。
あれから2週間。
ニュースを見た。
「Suicaのペンギン、2026年度末で引退」
やっぱり本当だったんだ。
でも、ペンギンが言ったように、理由なんて詳しく発表されてない。
その奥に何があるのか、ペンギンは言えなかった。
でも、その言えない苦しさが、全部を物語ってるような気がする。
俺だけが知ってる。
ペンギンが報われるように。
周りからは羨ましがられることもある。
「順調ですね」と言われることもある。
でも、私は疲れていた。
その繰り返しの中で、ふと思う。
でも、私がいなくなったあと、それらに何の意味があるだろう。
私は「私」であることに疲れ果てていた。
このまま生き続けるには、何か決定的なピースが足りないのだ。
⸺
SNSには輝かしい実績が並び、誰もが特別な何者かになろうとしている。
だが、ふと立ち止まって足元を見れば、私たちが立っているこの地面は、名も知らぬ誰かが積み上げてきたものだ。
私は気づいてしまった。
自分は華やかな花を咲かせているが、地中に石を積んではいない。
⸺
足りないのは、肩書でも評判でもない。
名を置いてきても働き続ける、静かな「役目」だ。
人の営みの本質は、令和になっても変わらない。
誰かが道を作り、誰かがその上を歩く。
誰かが種を蒔き、誰かが実りを得る。
朝食のパンも、通勤の電車も、職場の建物も、全て誰かの仕事だ。
夜明け前に起きてパンを焼く人、線路を保守する人、ビルを清掃する人。
彼らの顔も名前も知らないが、その静かな仕事の上に、私の一日がある。
彼らに感謝しているだろうか。
そして私は、次の誰かのために何を積んでいるだろうか。
⸺
では、何を残せるのか。
名前が消えても続く作法、壊れにくい約束、弱い側から見ても正しい道筋。
大きな旗より、小さな灯を増やそう。
遠くを照らす光はまぶしいが、足もとは案外暗い。
引き継ぎ資料を丁寧に書く。
後任が困らないように、要点を整理する。
使った道具は、次の人のために元の場所に戻す。
そんな地味な作業こそが、実は土台になる。
名もなき先人たちがそうしてくれたように。
⸺
失敗も隠さないでおく。
それらを洗って、乾かして、次の人の手に届く場所に置く。
泥臭い失敗談こそ、実は誰かを救う。
⸺
急ぎ足も、少し緩める。
今日の成果を積み上げるより、土を耕す日があっていい。
目に見える花は咲かなくても、根は静かに伸びる。
次の世代のために、道を整備する。
だが、これこそが地中に石を積む作業だ。
⸺
夜になったら、ノートに一行だけ書く。
「誰かの一日を、ほんの少しだけ軽くすること」
大きな何かを背負う必要はない。
⸺
水道をひねれば水が出る。
これらは全て、名も知らぬ誰かの静かな仕事だ。
彼らへの感謝を、次への貢献で返していく。
それが、人の営みの本質ではないだろうか。
⸺
祖先に追いつくことはできない。
ただ、次の誰かが迷わず歩けるように、石を一つ置く。
名を刻むためではなく、足をくじかせないために。
駅で迷っている人に、道を教える。
重い扉を、後ろの人のために押さえておく。
次に使う人が、気持ちよく始められるように。
私がいたことを誰も知らなくていい。
それで十分だ。
私が望んでいるのは、そういう静かな息遣いだ。
⸺
そして気づく。
名もなき先人たちも、きっと同じことを思っていたのだろう。
その連鎖の中に、私もいるのだ。
ただ、次へつなぐ一人であればいい。
⸺
ある日、古い引き継ぎ書を見つけた。
十年前の前任者のものだ。
丁寧な文字で、注意点が書かれている。
名前は覚えていない。
顔も思い出せない。
でも、この引き継ぎ書のおかげで、私は何度も救われた。
そして今、私も引き継ぎ書を書いている。
X年後の誰かのために。
その人は私の名前や顔を知らないだろう。
でも、この書類が、その人の一日を少し楽にするかもしれない。
⸺
そうして考えると、私は現状に悲観することはなかったのだ。
キラキラした人たちを見て焦ることもない。
SNSの輝きに目を奪われることもない。
大切なのは、次へつなぐこと。
それらが誰かの土台となり、未来への礎となる。
いずれ「私」という存在は忘れ去られる。
でも、私の仕事は残る。
誰かの中で、形を変えて生き続ける。
伝記もいらない。
ただ、私が整えた道を、誰かが気持ちよく歩いてくれればいい。
私が残した手順を、誰かが「助かった」と思ってくれればいい。
そう考えたとき、初めて前を向けた気がした。
「私」であることに疲れていたのは、見当違いな場所を見ていたからだ。
上を見るのではなく、次を見る。
横を見るのではなく、先を見る。
明日、誰かがそれを使うかもしれない。
使わないかもしれない。
でも、それでいい。
前を向いて、次へつなぐために。