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2026-04-24

女は自分自分価値を付けられない

奢り奢られ論争は永久に終わることの無い不毛な戦いだが、似たようなトピックとして夫の学歴収入を振りかざす夫ポケモンバトルや、誕生日プレゼント金額多寡で生じる女の喜怒哀楽などがある。

これらすべてに共通しているのは、「女は自分価値自分で決められない」ということだ。勉学に励んで来たとか、スポーツに打ち込んで来たとか、キャリアアップに向けて東奔西走したとか、そういった明確な形を持たない価値あるものを自認することが極めて苦手なのだ

もっとわかりやす価値があるものじゃないと、女は見向きもしない。価値があるものとしてもっともわかりやすいのは金だ。だから女は「男がどれだけ自分に金を割いてくれたか」という点を、まるで親の形見のように大切にする。貢がれた金額がそのまま自分自身の価値であると考える。

奢られないならデートじゃないというのも、夫の収入を誇示するのも、誕生日プレゼント安価がっかりするのも、すべては「金を使ってくれる男は善、そうでなければ悪。なぜなら金は私自身だから。」という考えに基づいている。

実際には時間や体力を割いてくれるかどうかというのも見ているが、やはり最もわかりやすいのは金だ。そして女は「返報」など考えもしない。ギブアンドテイクなんてのは、せっかく築き上げた自分自身の身を削る行為にほかならない。だから女は自分自身を守るために--実際には他人から貢がれた金をそう思い込んでいるだけで自分自身ですらないのだが--お返しをしようなどとはつゆほども思わない。

まれながらにして自分の上位性をみじんも疑わない生粋のテイカー、それが女だ。実際には築き上げた「自分自身」など、なにも持っていないのに。

2026-03-13

相続問題のただの愚痴

昨年痴呆施設に入っていた父が亡くなった。

母は数年前に亡くなっているので、相続人は県外に出ている我々子供三人だけになる。

 

父は田舎農家で、土地と家はあれどいわゆる負動産ばかりだ。

幸い父は真面目な兼業農家だったので預金は数千万あるそうだが、

私は話を伝え聞くだけで財産関係書類預金通帳を含めて全部長である兄が管理していた。

 

で、遺産相続に際して私と弟は法事帰省費用+αを貰えれば良いか、くらいに考えてた。

しかし兄が勝手に早とちりして私と弟が法定相続(完全三分割)を狙っていると決めつけ、相続放棄すると言ってきた。

結局、四十九日叔父仲裁してもらって何とか両親が希望していた「兄が全部相続」という形に落ち着く方針になった。

その時の兄の一言が「今日はお前(=私)が準備してきた遺産分割協議書に実印を押すだけだと思ったのに」だ。

 

いや、預金通帳や固定資産税名寄帳とか全部持ってるの兄やん…

それでどう遺産分割協議書を作れと?

無理すぎぃ!

 

仕方ないので必要書類一式を私が受け取り、各金融機関法務局税理士東奔西走して残高証明書やら法定相続一覧図やら発行してもらった。

進捗は仕事のように毎週報告していた。

とはいえ実家を出て県外に出ている身なので手続きの大半は郵送でせざるを得ず、少しずつしか進まなかった。

そう… 兄は四十九日まで相続必要手続きは全くしていなかったのだ…!(死亡届とかは出してくれたし、葬儀喪主もしてくれたけど)

 

だというのに兄からは「遺産分割協議書はまだか」「進捗報告に経費を書いているが自分負担しないつもりか?」「預金千万円を相続しても負動産のせいでこっちは赤字になる見通しなのに(どういう見通し?)」と延々と文句を言われる。

兄は長男なので、基本的王様なのだ

私としては絶対上司にはしたくない存在である

 

こういった面倒を引き受ける代わりに全額相続をするはずなのに、責任だけ弟である私に負わせて、権利だけ毟り取ろうとするんだからたまったもんではない。

相続兄弟間が拗れるというのはこういうことを言うんだなぁ、と今更ながらに実感している。

せめて末弟には負担いかないように、兄である私が踏ん張るつもりである

2026-01-24

ポスドク一万人計画の結果できた失敗作の山が現在大学教員

高等教育への支援日本復興させる、と会田誠がXで書いていた。

日本戦後復興は、戦後に「偶然」起きたのではない。むしろ戦争のものが、復興のための下地を、皮肉なほど周到に準備してしまった。戦争破壊であると同時に、国家ひとつの巨大な工場に変える。資源配分計画、規格、物流品質、そして何より、人間の配置と訓練。これらが「総力戦」という名のもとに、暴力的に、しかし異様な密度で組み上げられていく。技術開発とは、研究室の机上で美しく完結する知の遊戯ではない。目的が与えられ、期限が切られ、失敗のコストが極端に高い環境で、試行錯誤を反復し、設計製造検査運用までを一気通貫で回す能力総体だ。戦争は、その能力を、恐ろしい速度で社会の中に注入した。

戦時研究開発は、単なる発明ではなく、システムの構築だった。たとえば「技術者」という語は、ひとりの天才の顔を連想させがちだが、実体は違う。設計者がいて、解析者がいて、材料供給者がいて、加工の技能者がいて、検査の手順を作る者がいて、現場に落とし込む監督者がいる。部品表があり、図面があり、仕様があり、誤差の許容範囲があり、標準化がある。つまり工学知識組織的運用が結びついて、初めて技術社会実装される。戦争は、その結び目を強制的に太くした。しかも、若者を大量に吸い上げ、時間を奪い、睡眠健康を削り、失敗に対する許容を奪うことで、訓練を「圧縮」した。倫理的には呪うべき圧縮だ。しか能力形成観点だけを冷酷に抜き出すなら、戦争は、最悪の形で最高効率の訓練装置になり得た。

そして戦後。御存知の通り日本は完膚なきまでの敗北を喫した。当然だ。しか瓦礫と飢えと混乱の中に、奇妙な資産が残った。焼けた街ではなく、焼け残った手だ。軍需のために鍛えられた設計思考現場段取り試験改善の習慣、そして「とにかく動かす」ための執念。戦争目的が剥ぎ取られたあと、その手は、民生に向けて仕事を始める。工場は鍋を作り、ラジオを作り、やがて車を作る。品質管理という名で統計が導入され、カイゼンという名で現場が賢くなる。輸出という名で世界接続され、稼ぐという名で生活が安定する。高度経済成長神話ではなく、忌まわしき制度と虐げられた技能の合成体・キメラだ。そして、その合成の触媒として、あるいは淘汰圧として、戦争という毒が、過去に撒かれていた──そう言ってしまうと、気分が悪いほどに筋が通ってしまう。敗北はしたが、敗北するためには戦わなくてはならず、戦うためには戦えなくてはいけない。奇妙なことに戦えてしまたことが呪いであると同時に祝福でもあった。真珠湾攻撃は、無条件降伏を経て、米国中を所狭しと走り回るトヨタに至った。まともな経済感覚をもっている米国人は一時期まで日本車を買うのがあたりまえだった。

からこそ、戦後日本の次なる課題は、戦争なしに繁栄継続することだった。ここが本丸だった。戦争供給するのは「目的」と「緊急性」と「資源の集中」であり、その果実として新しい「産業」が結ぶのだ。平時社会では、それらが自然に生まれない。目的分散し、緊急性は個人の都合に解体され、資源合意形成手続きに溶けていく。ゆえに、平時繁栄には、別種のエンジンが要る。暴力強制ではなく、自発性創造性によって、産業の餌を自分で狩りに行くエンジンだ。そこで登場したのが、大学院という高等教育の訓練装置だ、という物語わたしたちは信じた。研究という名の訓練。論文という名の競技専門性という名の武器産学連携という名の橋。これらを通じて、戦争の代わりに「知」が繁栄を準備するはずだ、と。

だが、いつの間にか装置は、別の生き物を量産するようになった。保身に東奔西走するばかりの大学教員だ。大学院が、主体性の発火点ではなく、依存の温床になったとしたら、それは制度設計の敗北だ。研究費、評価指標採用任期ポスト学会査読ランキング。こうした外部条件が、大学教員個人の内側に「餌は上から降ってくるものだ」という反射を植え付ける。申請書の書き方は教えるが、産業という新しい鉱脈の掘り方は教えない。論文体裁矯正するが、社会問題を嗅ぎ分ける鼻は鍛えない。安全な問いを選ぶ癖、失敗しない範囲での最適化既存の潮流に寄り添うことによる生存。そうした行動は合理的だ。合理的であるがゆえに、群れは同じ方向にしか動かなくなる。

そしてSNSだ。SNS思想市場であると同時に、承認自動給餌機になった。群れは、空腹そのものを叫ぶことで、誰かが餌を投げてくれると学習する。「分かってほしい」「評価してほしい」「誰かが何とかしてほしい」「政府は間違ってる」。鳴く。鳴くことが生存戦略になる。しかも鳴き声は可視化され、数値化され、増幅される。いいね、リポストフォロワー。これらは、栄養ではなく興奮剤だ。満腹にはならないが、空腹の感覚麻痺させる。やがて、いつまでもから餌を与えてくれるのを求めて、ぴいぴい鳴き続けるトッチャンボウヤのような元雛鳥の群れができあがる。外敵に襲われない巣の中で、口だけが上を向き、翼は畳まれたまま、眼球だけが光る。自分の脚で地面を蹴るという最初行為が、いつまでもまらない。

自分地位が脅かされるとき自分が悪いのではなくいつも政府が悪い。省庁が悪い。国民教育水準が、頭が悪い。外で何が起きているのか少し頭を働かせてみようともしない。誰かが群れから外れたことを言ったときは袋叩きにして火にくべる。その結果、誰もが同じことばかり言い続けている。

だが、はっきり言っておく。お前が新しい産業という餌を捕るんだよ。お前がやることになってたんだよ。餌を「作る」のでもいいし、「掘る」のでもいいし、「盗む」のでもない形で「奪い返す」のでもいい。つまり価値を生むという行為を、制度他人外注するなということだ。もちろん少子高齢社会は強力すぎる逆風ではあるが、それさえも誰かのせいに陰謀論めいて帰着させる前に一度よく考えてみたらどうか。産業勝手に湧かない。誰かが、失敗の責任自分で引き受け、見えない需要言語化し、未熟な技術を鍛え上げ、供給網を組み替え、法や倫理地雷を避け、顧客の怒りと無関心の中で立ち続けた結果として、ようやく姿を現す。論文引用数のように、キーボードを叩けば増えるものではない。獲物は森にいる。森に入った者だけが、血の匂い風向きを知る。

お前たちは選択と集中ではなく研究者の自発的な興味や関心が大事という。

では聞くが、お前たちはお前たちが学生だった頃の自分たちに恥じることはないだろうか。

お前たちは、お前たちが知りたいと思ったことを、お前たちが知りたいと思ったかたちで、明らかにしつつあるのか。

わたし大学の門をくぐったとき自分が畳の上で安らかに死ねるとは思わなかった。畳の上で死ぬというのは、単に死に場所の話ではない。生が、社会和解しているという感覚だ。努力が見返りに接続し、未来計算可能で、家族暮らし老い制度に回収されるという約束だ。だが、あのときわたしには、その約束が見えなかった。見えなかったというより、最初から信じる気がなかった。自分は、本と論文電線の塵芥の中で、目を開けたまま息絶えるのだと思った。研究室の片隅で、半田匂いと紙の埃にまみれて、未完成の仮説を握ったまま、呼吸だけが止まるのだと。

なぜそんな死に方を想像したのか。たぶん、それは恐怖ではなく、ある種の誓いだったのだろう。畳の上の安寧を最初から目標にしない者だけが、森に入れると。森に入るとは、制度の外側に一歩出ることだ。誰も餌をくれない場所に行き、自分の手で何かを捕まえることだ。捕まえられなければ飢える。飢える可能性を引き受ける者だけが、捕まえる可能性を持つ。そういう単純な力学を、大学に入った頃のわたしは、たぶん予感していた。戦争をする国家という本質的暴力装置大学のものを重ねて見ていた。

戦後復興戦争によって準備されたのだとしたら、戦後の次の繁栄は、戦争ではなく、わたしたち一人ひとりの「狩り」によって準備されなければならない。制度は餌箱ではなく、森へ向かうための靴であるべきだ。大学院は巣ではなく、飛び立つための筋肉を作る場所であるべきだ。SNSは鳴き声の競技場ではなく、狩りの情報を交換する地図であるべきだ。そうなっていないなら、装置を叩き壊すか、装置の使い方を変えるしかない。鳴くのをやめて、翼を伸ばして、地面を蹴るしかない。

最後に、あの想像に戻る。目を開けたまま息絶える、というのは、救いのない悲観ではない。目を閉じる暇も惜しんで見ていたかった、ということだ。世界の配線の仕方、言葉の連結の仕方、仮説の跳ね方、そして価値が生まれる瞬間の、あの微かな火花を。もし本当にそういう最期が来るなら、せめて塵芥の中に、誰かの餌になる小さな骨を残して死にたい。鳴き声ではなく、獲物の痕跡を。上から落ちてくる餌ではなく、自分で森から引きずってきた何かを。畳の上で死ねなくてもいい。だが、巣の中で口を開けたまま死ぬのだけは、御免だと。

お上を叩くのは簡単だ。叩いても腹は減らないからだ。制度を呪うのは気持ちがいい。呪っても給餌は止まらいからだ。君たちの批判刃物ではない。換気扇だ。臭いを抜いて、建物延命する装置だ。君たちは自由の名で柵を磨き、純粋の名で鎖を正当化し、公共性の名で自分の安寧を公共財すり替える。いつまで巣の縁で鳴くのか。餌は捕れ。捕れないなら黙れ。黙れないなら巣を出ろ。——平和繁栄は、配給では続かない。

2025-05-30

いきなり個人メールでブチ切れてきたお取引先様へ

こんばんは。

ご機嫌いかがですか?

いきなり社用の個人メールに、一切のCCなくブチ切れメールを頂戴しました増田です。

貴社弊社合わせて20名くらいのスレッドを抜け出して、個人的にご連絡を頂戴しましたこと、たいへん驚きました。

毎回2,000文字を超える文面、いつもご丁寧にありがとうございます

お恥ずかしながら東奔西走話題の跳躍にワタクシの矮小な頭では思考が追いつかず、今回も巷で噂のじーぺーてぃーに読み込みと返信内容を作らせました。

AIに作らせているのではないかとのご推察、ご名答でございます

しかしながら質問に答えていないからとの論拠につきましては、残念ながら見当違いでございます

ワタクシが意図的にお答えを差し控えているだけでございますので、その点はご安心いただけましたら幸いです。

云々については既に同意したはすだと再三仰っていらっしゃいますが、その度にそのような同意形成はないとご回答いたしました次第でございまして

取引様とは、そう、例えるならカレーハヤシライスと言いましょうか、汁だくネギだくの差違と言いましょうか、たぬきアライグマ関係と言いましょうか。

ことなく似てはいるけれども、同じかと言えば否と答える他ないことご理解いただければと存じます

この度はワタクシだけへの個人メールにて、さぞかしご立腹のご様子。

要約を拝読いたしますと、先述の前提違い(覚書などあればご提示いただけたら助かるのですが…)に合わせて

ワタクシから取引様に何故個人的に挨拶に来ないのかなどと、手前の無礼にご気分を害されたとのこと

あらためまして不愉快な思いをされたことお詫び申し上げます

手前の不始末ゆえ、頂戴いたしましたメールはすぐに社内共有をさせていただきました。

それでは、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます

まだまだ掛け合うには水が冷たい季節でございますので、お取引様におかれましてもご自愛ください

2025-04-15

桐谷さん面白い

・株で大儲けしている

・でもドケチ

ここまでだったら今までも居ただろうけど

節約のために東奔西走してる

これなかなか居ないよねw

金持ちなのに主婦目線みたいなキャラいないよなあ

 

あとゆうこりん最近キャラになってんのか

2025-03-02

東奔西走キャッシュレス 第77回 電波が弱い……でもd払いは使えます

>その提供の背景と機能について、ドコモ担当者に話を聞きました。

どう考えてもBand21に対応してないiPhone16eのためでしょ

2024-08-30

私の『産後の恨みは一生』エピソード

推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。

2000~2001年の話です。そのときまれた娘は健康に育ち独立して離れた場所生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手再婚しました。

情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。

当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。

この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。

とにかく妊娠きっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職

田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。

というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしか赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。

「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ち微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリ人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者気遣い言葉をかけるようにしている。

ホルモンバランス不安定で誰にも会いたくない状態病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。

こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。

8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。

その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミ自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンキレイにしてから朝ご飯を作った。

夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKボーナスタイムという知識はあったらしい。

それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。

そして臨月お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。

そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)

朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。

夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明子ども心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。

原因不明心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。

いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較若い人は穏やかに経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。

入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。

退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?

退院日なんて入院する前から決まってた。しか出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」

全然からない。苗字も体調も体型も仕事生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものほとんど失わず健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間ゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。

結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。

帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひとき寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしま新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊ウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。

さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんから指導甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。

夫は沐浴とか『これは父親役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。

そして決定的に離婚の原因となった出来事が明るみになる。

ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。

夫には結婚から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務地獄に落ちていた。闇金だ。

それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれ半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。

この時、社会問題化していたものの、今のように銀行個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。

正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲームこちからしかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラー電子音ならしてネットに繋いでいた時代世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。

それと専業主婦立場に居心地悪さも感じていた。自分お金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつ趣味雑誌を買うのも躊躇していたのだ。

自分の稼いだお金子供の服を買ったときちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要ものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。

あと外に働きに出て、ある程度自分裁量物事を決め、今後の見通しが立てやす作業子育てに比べてとてもやりやすかった。

そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。

こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。

遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバン商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。

その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。

家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。

そこから自分実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分けがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代貯金から出していたので異論はでなかった。しかプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。

若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。

いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。

夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さら離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観判断すると、子どものために養育費請求するべきだったかもしれない。

長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。

でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対さないと思っている。

2024-05-30

女に振り回されるだけの人生だった

下半身しか考えない男代表みたいに生きてきたけど、思い返せば全部女の手のひらの上だった気がする。ふらふらと心にも無いことを囁いて女を口説いていたらいつの間にか女の求める言葉だけを吐くようになり、女の欲求を満たすために東奔西走して、疲れ果てた時に俺が悪者になってきて終わる。その繰り返し

2023-12-17

ふと思う

来週にはクリスマスイブか、陳腐セリフだけど1年なんてあっという間に終わったな

自分がこの1年何をしていたかというとただホロとかの配信見たり位置ゲーにハマって東奔西走してただけだ

空虚すぎる1年だった。職探しとか家の片付けとかやるべき事は山積みなのに何一つ進んでない。

僅かでもいいから行動を起こす気力が欲しい。来年には現状よりも進歩している事を期待する。

こんな先送りにして何もしようとしない時点で来年も今と何一つ状況は変わってないだろうけど。

2023-11-30

好きな女と半同棲した女の話

タイトル通りです。以下は惚気です。

ッッッッハア〜〜〜〜〜最高の15日間だった!!!!!!!!!!!!!!!

みなさんは好きな人、いますか?シャープペンシルを握る右手人差し指に触れてみたいとか、ふとした拍子にチラリと見えた控えめなピアスに目が釘付けになったとか、委員会部活ゼミサークル部署会社も違うけれど、これまでの人生で一度だけ交差したことがあって、ただその交差はわたしにとっては交差だけれども向こうにとってはただのすれ違いで、それでもいい、それでもいいから好きなんだ…………。と片思いし続けて早7年の爆美女と、ついに、お泊まりしました(??????????????)

いや急転直下すぎるな、ソシャゲ公式おかしくなって投下した期間限定イベントじゃねえんだから。もうちょい流れ、しっかりしてんだろ。

えー、筆者は25歳北の限界労働女子。朝から晩まで働けません。普通に無理です。限界です。気が狂ってたまに業務コンドームとかむちむちバキバキ本格ディルドとか買ってます最近居住地区のラブホテル全館全室制覇を目指して深夜残業に勤しんでます

そんな限界労働者ことわたくしにも心優しい友がおり。大学出会った友人のうち数人とはいまだにやり取りをする仲なのですが、その中に、筆者が7年間恋焦がれた美女が、おるの、で、ございます。あ、あーーーーーーーーーーー、好き。

ほいでね、ある日美女LINEをしていたところ、彼女資格取得のために勉学に励んでおり、アルバイトやらなんやらに追われないところでじっくり勉強したいと。そいで、わたしはなんの気無しに「そしたらうちおいでよ!」と送ってしまったわけですよ。来るはずねえよ、だれが津軽海峡渡ってまで勉強しにくんだっつー話よ。したらば返信これ。

「お邪魔じゃなければ25歳労働ちゃんのお家で、作業してもいいかな?2週間くらい……迷惑だよね……?」

ンーーーーーーーなワケあるかい!!!

はよ来い!いま来い!すぐに来い!!!

叫びたくなる衝動を抑えて、いいよ^^と返信し、日程などを調整し、お客様用布団を揃え、お部屋を掃除し、車も洗い、いざ迎えにゆかん空港へ!

空港で待ち合わせた彼女、まじ美人だった。

危うくひれ伏して神に祈りを捧げるところだった。危なかった。アッラーだかヤハウェだか天照大神だかカムイだかわかりゃせんがとりあえず半径1000キロ以内に存在するそこかしこの神と名の付くものすべて引っ張り出してきて松明に火を灯し三日三晩寝ずに踊り狂うところだった。

空港から帰宅後に始まった彼女との半・擬似同棲生活はもう、幸せでした。と言いたいところだがここで一つ。

わたしは、彼女への想いを伝えたことがなく、彼女もまた、わたしについてどのような感情を抱いているのか、確認すらしたことがなかった。

ジーザス。神は試練をお与えになる。

でも乗り越えられない壁はないってイチローも言ってたし!いざゆかん!斬り込み隊長

社畜女「えーと、彼女ちゃんって、あれだよね大学とき彼氏がいたとかなんとか。恋愛しなさそうだったから、なんか意外だったんだけど」

彼女「ああ、懐かしい話だ。別れたよ、うん。なんか恋愛っていうか枠組みっていうか、微妙かもしれないなって気付いたんだよね」

社畜女「そうかー。ちなみにだけど、その枠組みには男子女子も入る感じ?」

彼女「入るね。入るけど、入ったらもう、しんどくなる気がする。だから入らなくてもいいなって思ってる、今は」

おかわりいただけただろうか………🍚

25歳北の限界労働者があっけなく振られた瞬間を…………

ごはんいただけただろうか………🍚

ンマア、そんなこんなで幕を開けてさっさと閉じかけた半擬似同棲生活こちらとしてはかなりかなりめちゃくちゃ本当にどタイプで顔も見た目も内面も知性も趣味彼女構成するものすべてを吸収して逞しく生きているさまを見るだけでわたしはもう、なにか触れてはいけない神々しさの間近にいるような感覚になってしまうのですが。

神は恋愛については下界へ降りてこられることはなさそうで、25歳北の労働者はあっけなく振られました。結構ストレート告白したつもりだったんだけどね?!だめでした。

でも告白した次の日も普通に2人でスーパー行って洋梨買って肉買って塩買ってラップ買ってトイレットペーパー買ってアイス買って帰ったよ。たまにドライブもしたよ。わたし運転で神が酔ってしまわないか若干の心配をしつつ、ハンドル初心者ばりに握りしめながら北の大地を東奔西走したわよ。楽しかったな。本当に。

眠るとき彼女お客様用のお布団で寝るのよ。わたしはベッドで。ただの友達だったら女の子同士だし小柄だしってことでベッドで一緒に寝ますけれども今回は事情事情っていうかわたしガチすぎたので布団は分けました。正しい判断だったと思います

彼女がいる間、隙を奪えば手や唇のひとつやふたつ、なんならそれ以上だって踏み込めたはず。優しさのふりをして抱きしめることだって。でもそれをしなかったのは、彼女と構築していきたいのは刹那的かもしれない恋愛としてではなく限りなく永続的な人間関係を続けていきたかたから。

過去の話をする中で、お互い同性同士の恋愛に躊躇いがないことは確認できた。にゃるほどね。そしたらもう、あとは、わたしのことを好きになってもらうしかなくて、でも好きになってもらうために何かするとかは愚かな行為で、きっとわたしわたし然としていればいつか彼女の目に留まるはずなのだ。そしてそれは彼女の目でなくとも、わたしとのすれ違いを交差だと感じてくれた誰かの目にも、映るはずなのだ。だからわたし今日明日明後日も、美しく軽やかに、確固たる意志を持って、あるべき場所へと戻る人々を空港から見送る。

2023-11-22

経産婦は滅んでどうぞ

妊婦、これは許す。まだ生まれるか分からない生命を抱く不安はあるから

経産婦、お前は許さん。人がしゃかりきになって東奔西走してれば高みから今日Twitterは悪意に満ちてるなあ」とか。

てめーが働けよ。社会の基盤支えてんのはこっちだよ。胎児からやり直せ。

幾らでも罵詈雑言連ねられるけど、響かねーんだろうな。ATMの子供孕むクズには。

2023-02-10

anond:20230210120011

 日本社会党中央執行委員長議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説さなか、暴漢の凶刃に倒れられました。

 私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます

 ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに本会議のこの壇上で、その人を相手政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手政策論議を行なおうと誓った好敵手の席であります

 かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党党大会に、また、あるとき大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこからつの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります

 私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります

 淺沼君は、明治三十一年十二月東京都三宅島に生まれ東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田北沢新次郞教授高校時代河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義洗礼を受けられたようであります

 当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然社会主義運動の戦列に加わったのであります

 大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動実践情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります

 すなわち、同十四年農民労働党書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党巡礼されたのであります

 君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和一年の第十九回総選挙東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります

 戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一国会召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会運営努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります

 翌二十三三月、君は、日本社会党書記長当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります

 かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身社会党シンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史永久特筆さるべきものと信じて疑いません。

 君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります

 淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります

 君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります

沼は演説百姓

よごれた服にボロカバン

きょうは本所の公会堂

あすは京都の辻の寺

 これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります委員長となってからも、この演説百姓精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります

 「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。

 君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町アパート質素生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったか物語ものと考えます

 私どもは、この国会において、各党が互いにその政策披瀝し、国民批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じますしかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。

 ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼言葉にかえたいと存じます

2022-12-30

anond:20221230165643

江戸時代には多くがツケで、毎月の晦日(月末)にまとめて支払うのが一般的でした。

月毎の支払いを待って貰っても、年の暮れの「大晦日」前には一年の支払いを終えなければなりません。

12月師走と呼ぶのは、「何故、師が走るのか」と思いませんか。

「し」には「士」と「師」はありますが、「師」は現在でも特殊技能指導立場の人(俗にいえば偉い人)に多く使われます

これは、日頃偉そうにしている「師」であっても借金の取立てだけでなく、支払いや支払い延期のお願いに奔走する事から名づけられました。

ツケは信用第一で、大晦日決算ができなければ、生活もですが、信用もなくしてしまます。日頃偉そうにしていても、支払いが滞れば偉そうにできません。だから東奔西走するのです。

一般庶民夜逃げ心中でもするしかない…というところから年が越せないというのです。

2022-08-17

anond:20220817122615

田舎保育所って一人目1万、2人目5千、3人目以降無料とかあるよ

都会の夫婦保育所の空きを探して東奔西走するの見ると田舎に来ればいいのにって思ってしま

2022-08-02

anond:20220802104311

統一教会に関しては、むしろ実践である集金から逆算されて理念が作られた疑念をもっているがね。

集金が実践??

摂理のためとはいえ激しい献金があったのはファクトなので、

疑念を持たれてもしょうがないと思うけど、

仮にそうだとして、集金の末の最終目的は何なの?

世界征服っすか?

そうなると軍隊とか持たないと行けないけど、

持ってなかったからそうとは考えづらいよ

大体、集金が目的なら

金集めてそれで終わりだから、50とか60でとっくにやめてる

92歳になるまで金集めだけに東奔西走するわけないと思うんだけど

2021-07-07

茨城県医師会が何も言わずにロッキンジャポーンが大感染引き起こし世界線では

医師会地域医療の逼迫をどうにかするために東奔西走しながら同時にどうして予測できてたのに座して黙ってたんだ!!!!って叩かれて

地域医療はしめやかに爆発四散!

2021-02-28

anond:20210228184810

状況を説明しておくと、コロナにより、派遣切りが横行雇い止め大量発生して、人件費業界が大荒れ。

下手するとキャッシュ不足で赤字企業が量産ということで金策に上が東奔西走。金が右から左に乱れ飛ぶ状況。

そのなかでみずほが一番最初悲鳴を上げた。よほど勘定系が大量にいききしたんだろうね。オーバーフローぶっこいてとまったんだろうね。

2020-02-26

意識の低いフリーランス生存戦略

意識の高い人々がブログ等で書く「生存戦略」はだいたい、いかにして金を稼ぐかの話をしている。俺のような意識の低いフリーランスにとっての「生存戦略」は文字通り、下手をすると死んでしまうかもしれない罠だらけの生活において、なんとか死なずに生き延びようという話である。厳密にいえば俺は個人事業主でなく一人会社だが、どちらにしても一人きりなのは同じだ。マイクロ法人とか色々と呼び方はあるらしいが何でも良い。意識の低い孤独人間がどうやって仕事を得て、どうやって心をすり減らさずに仕事と向き合うか。そんな話を書きたいと思っている。

俺は一人きりの株式会社Webエンジニアをやっている。他の業種にも当てはまるのか、あるいは全く普遍性が無いのかは分からない。

電話

電話には出なくていい。気付かなかったことにして、あとでチャットワークSlackで「先ほどはすみません」と言えばいい。そのまま文字コミュニケーションが取れるなら取ればいい。相手がどうしても電話にこだわるクライアントであれば、そのときは仕方ない、徐々に距離をとっていき、最終的にはフェードアウトする。電話好きな人に構っている心の余裕はない。

だけど、たまに人の声が聞きたくなるときはある。この人と話をすると楽しい、と思えるクライアントであれば、その人から電話には出る。孤独が紛れて、ふっと心が軽くなる。そんなときがあってもいい。ついうっかり「クライアント」などと意識の高い用語を使ったが、普段クライアントなんて言わない。お客さんと言っている。

チャット

メールよりチャットのほうが効率が良いというのは、同業者うしの会話に限るのではないか。お客さんからの細切れのチャットは、電話以上に精神を摩耗させる。LINEチャットワークの未読が10件や20件になっていると、見なかったことにして帰りたくなる。自宅作業だと帰りたくても帰れない。仕方ないので開いてみると、やはり見なかったことにして帰りたくなる。

頻繁に通知が来るのも辛い。スマホPCどちらもチャットの通知はOFFにして、日に2~3回チェックすれば十分だ。間違ってもスマートウォッチなどに通知を飛ばしはいけない。タスク優先順位が狂って混乱する。

チャットで細切れの言葉を送りつけてくるお客さんより、メールで丁寧な長文を書いてくるお客さんのほうが、自分にとっては有難い。ちゃんとした文章を書ける人は、発注者としての能力も高いし、仕事に手戻りが少ない。メールを書ける人を大事にしよう。

案件

100万円の案件を1つより、10万円の案件10個のほうが遥かに楽だ。前者が10日間で片付くことはないが、後者が1日で片付くことは度々ある。見積もりを誤って工数が3倍に膨れたときプラス2日で済むか、プラス20日になってしまうか、というリスクも考えると、小さな案件をたくさん回していくほうが絶対にいい。

絶対にいいと分かっていても、金に目がくらんで100万超の案件をいくつも請けた。幸いにも見積もり通りの工数で収まった案件と、不幸にも3倍に膨れ上がった案件があった。他の案件スケジュールが圧迫されて精神的に追い詰められた。今後はもう小さな案件しか請けたくない。

営業

なぜ大きな案件を請けてしまうかといえば、営業の手間が省けるからだ。小さな案件を求めて東奔西走するよりも、一つの大きな案件を取ってきて、じっくりと腰を据えて作業できたほうがいい、と思ってしまたからだ。

これは必ずしも間違っていたわけではない。たしか営業には行きたくないし、作業に費やせる時間を増やしたほうが売上は増える。どうやってバランスを取ればいいのか、まだ答えは出ていない。営業に行くたびに当初は自己嫌悪で死にたくなったりしたが、何年もやっていると徐々に慣れてきた感じもある。もうしばらく様子を見てみようか。

収入

さな案件なら納品翌月にはお金がもらえる。これはとても精神衛生に良い。それでも度々、預金残高が厳しくなるときはある。生活費を差し引くと、税金健康保険料を払うお金が残っていない、あるいは生活費すら確保できないときもある。この段階で早くも死んでしまう人がいるかもしれない。俺もメンタル豆腐だけど、ここで死ぬのはあまりに早い。

意識の低さには自信があるのだが、ここだけの話、俺が起業の元手にしたお金キャッシングである会社勤めをしていたある日の昼休み、当分の生活費として50万円を引き出し、そのまま自宅に帰って二度と出社しなかった。このとき経験を活かして、いざとなれば借金があるじゃないか大丈夫大丈夫自分に言い聞かせている。借金くらいで人は死なない。

もちろん借金が積み上がれば経営破綻するから一時的な「つなぎ」として利用する。借金の総額は、生活費1~2ヶ月分が上限だった。小さな仕事をたくさん請けて、入ってきたお金ちゃんと返済に回す。少しづつでも返済できていれば、精神的な負荷はだいたい許容範囲に収まる。

税金健康保険

親族貧乏人が多いおかげで滞納についての知識を持っていたこと、これが幸か不幸かは分からない。親が裕福であれば金を借りれたかもしれないが、親は俺以上に意識が低く、公共料金税金保険料を滞納している。しかしそんな親でも還暦を過ぎてまだ元気に働いている。つまり公共料金税金保険料は「滞納しても大丈夫」ということだ。

具体的にどうすればいいか。窓口へ相談に行けばいい。今は支払えないが〇月頃にまとまった入金予定があるから、その頃までに〇分割で払う、などの具体的な返済計画を、役所の人も一緒になって考えてくれる。役所の窓口の人から個人的お金を借りている訳ではなく、この人はあくま仕事で窓口に立っているだけなのだからこちらもまったく萎縮する必要はない。

社会保険料、本当は口座振替にすべきだけど、収入ないとき生活費を引き落とされたくないから、未だに振込用紙をもらっている。早く振替できるくらいに収入を安定させたい。

タスク管理

意識の低い人間にとって最大の難関であるタスクが山積みなのに朝は起きれない、夜は寝てしまう、昼はネットばかり見ている。いつ仕事をするのかといえば、〆切ギリギリ徹夜をする。そんな生活をずっと続けてきて幸いにも問題なく乗り切れてしまい、さら仕事を増やしたところ、あっけなく破綻した。やはり仕事スケジュール通りに規則正しく進める必要がある。夜は眠らなければ心身が壊れる。

初めのほうに書いた「案件」と被るが、大きなタスクを小さなタスクに分割するのは、意識の低い人間にはハードルが高い。そういうのが得意な人に任せてしまったほうがいい。小さなタスクだけを割り振ってもらい、それが終わったらまた次のタスクを与えてもらう。小さなタスクどうしが重ならないようにスケジュールを組む。それがいい、というより、それしかできない。

タスクを何で管理するかは「ツール」の章で書く。

パソコン

ノートPCデスクトップPC、どちらも一長一短あるが、映像画像処理などの重い作業でなければノートで十分だ。デスクトップにつないだ4Kの広大な画面は、自分にとってはあまりに広大すぎた。広い画面を活用するためにTwitterとかRSSリーダーとか開いてしまって仕事が進まない。ネットサーフィンが効率化されてしま仕事効率は落ちていた。それに気付くまで何年も無駄に費やしたが、今はノートPCに落ち着いている。人間が集中するには、ある程度は視野を狭める必要がある。

もうひとつの切実な問題として、広大なモニタを見続けていると眼精疲労が激しかった。そしてなぜか精神的な負荷も高く、ついにはデスクトップPCを立ち上げるだけで激しく憂鬱になった。おそらく情報量が多すぎるのだ。見るべきもの・処理すべきものが大量に迫ってくる。これはよくない。ノートPCの小さな画面であれば、適度に分割されて仕事が押し寄せてくる。意識の低い人間の脳には有り難い。

ツール

ツールは何でも良いのだが、考え方としてGTDには助けられた。気になっている物事をすべて書き出してしまう。優先順位をつけたあとは、いったん頭を空にする。これを習得してからは脳の負荷がとても減った。山積みのタスクに苛まれて頭を抱えることが少なくなった。とにかく人間の脳には限界がある。余計なことを考えずに、一つのことだけ考えればいい状況にしたい。

タスク管理ツールは ClickUp https://clickup.com/ が使いやすい。大きな会社場合には分からないが、フリーランスなら他の選択肢はたぶん無い。

案件管理ツールは Board https://the-board.jp/ が良い。小さな案件をたくさん登録しても、上手いこと整理してくれる。請求書を郵送したり、メールを送ったり、自分ではやりたくないことを代行してもらえる。

チャット等をまとめるツールは Biscuit https://eatbiscuit.com/ja が良い。

まとめ (まとまらない)

いい加減もう眠いので書くのをやめたい。この記事で何を訴えたいわけでもなく、自分自身の思考の整理のために書いたような気がする。本当はもっと書きたいことがあった気もするが今日はもう眠たい。

ひとつ重要なことを書くと、フリーランスは気をつけないと簡単に病む。自覚したときにはすでに相当追い詰められてる場合があり、なるべく早めに自分自身の病に気付いて対処する必要がある。そして何より、病まないためには「無理をしない」ことが大切だ。

苦手なことからは逃げる。危ないと思った仕事は請けない。狂ったお客さんの電話には出ない。地雷を踏んだらサヨウナラ地雷さえ踏まなければ、意識が低くともなんとか生きていける。生活は貧しくとも、たとえ税金を滞納しても、還暦過ぎまで働くことができる。

金を稼ぐことは意識の高い人々に任せることにして、意識の低い俺たち私たちは何よりも死なないことが大切なんじゃないですかね。まとまらないけど、もうちょっと仕事してから寝ようかな。

4/24追記

続編を書きました。「意識の低いフリーランスの在宅勤務」

https://anond.hatelabo.jp/20200424131857

2019-11-11

半年ほど前。大卒から一筋で貢献してきた会社においての待遇が悪くなりそうで悩んでいたところ、以前から懇意にしていたある会社経営から熱心に口説かれ、運良く役員として入社した。

誘ってくれた彼らへの恩返しの気持ちもあるが、そもそも期待される仕事は未経験でありながらも、事前にあらゆる事例を見聞きし研究したことで自信はあったので、全力で遂行すると心に誓った。

入ってみるとその社内は、古株達が大した仕事もせずに胡座をかき若手の意見封殺しいる始末で、様々な問題を抱えたままでいる事に気づく。まさにそのど真ん中で自分解決に向け東奔西走する日々。経営陣などを説得してとにかく必死あの手この手解決策を講じていった。

事前学習知識から意思決定をする自分に対して、保身のためであろう反対意見を呈すベテラン部下の意見ほど無価値な物は無くむしろ害でしかないので、根回しして自分直下から排除するような汚れ仕事もした。

しかし、こんなに尽くしているのにこの半年公式非公式含めると複数回コンプライアンス違反告発された。セクハラモラハラパワハラだ、と。

ぬるま湯に浸かった連中にとって自分のやり方は強引にうつったようで、その反抗でハラスメントなどという誹謗中傷が噴出したわけだ。これ以上はさすがにまずいので、ほどほどにせねばならない。

そんなことがあっても経営から自分への信頼が厚い事は泣けるほどありがたいが、自分の戦いはまだ始まったばかりだ。あの感動を与えてくれたラグビー日本代表のワンチームのような優れた組織に作り直すのが自分の役目なのだから

自分と同じような境遇の人はきっとこの世界に多いでしょ?

きっと仲間はいると信じれば孤軍奮闘誹謗中傷の日々も辛くはない。そんな自分へのご褒美に、高い酒をたらふく飲む。いやほどほどに。

2019-10-29

先日助けて頂いた「女の価値は締りだけ」と暴言を吐いた者です

私がなぜ「女の価値は締りだけ」と主張するようになったのか。

それは、たった一度でしたが、素晴らしい締りの女と出会たからなのです。

あれは、2006年頃の新宿リンリンハウスに入り浸っていた頃の話。

まあ、援助という名の売○婦が数多くいました。

その中に、フィリピン人ハーフだという20代の女がいたのです。

メイクが上手なのか、めっちゃ日本人美人、という感じでした。

すぐに新宿二丁目のラブホに向かい、いざ開戦。

す、するとです。

強すぎず、弱すぎず、絶妙な締り具合で、あっという間に昇天(w

うまく説明できないのですが、あれあれあれれ、ああああ、うううぅううううぅううううぅ~☆ てな感じ。

病気も怖いのでゴムをしていて、です。

ちょっと見下された感があったので、「すごい名器だね!」と褒めちぎり。

すると彼女も「よく言われるよ」と誇らしげ。

で、身の上話を聞ききつつ回復を待ちました。

なんでも、お金持ちの男との間に子どもがひとり。だけど、認知もしてくれないし、連絡もとれなくなっている、という。

誰か良い弁護士を紹介してほしいと。テレクラ出会った男に相談する話かなと思いつつ、共感を表明。

こんな気持ちいいアソコなら、誰もが一発中だししたいよな、と独り合点。

するとムクムクと復活し、2回戦目に。

恥ずかしい話、すぐイッちゃいました(w

電話番号を交換したのですが、携帯を落としてしまって、それ1度きりになってしまったのです。

それからと言うもの、アソコの締りのよい女をもとめて、東奔西走

一度だけ、60歳の美魔女(っぽいババア)が、乾き気味のアソコが妙に締まっていて、かなり良かったという体験があったものの、ほとんどは緩マン

逆に、キツすぎて痛かった子は、2人いたけど、何度もする気にはならなかった。

あ~あ、どこかに絶妙な締りの女、いないかな~。

はっきり言って、顔なんてどうだっていいわ。

まあ、性格はいいほうがいいけど、女の価値は締りだけですよ。まじで。

2018-12-06

いじめはなくならない

いじめ絶対になくならないと思う。ニュースなんかでもいじめ自殺してしまった子ども話題は定期的に見かけるし、SNSでもいじめ話題は目にすることが多い。そんなときいじめをなくすために云々を言う人がいるが、正直いじめをなくすために東奔西走するくらいならいじめが発覚した後の対策を増やす方がよっぽど生産的だと思う。だって考えてみてほしいんだけど、いじめってなくなると思う?道徳教育かいじめの厳罰化とか、そんなんで子どもいじめしません!って言うと思う?そういう対策いじめをしなくなる子そもそも積極的いじめをやる子ではないのではなかろうか。どんなに対策したって大人の目の届かないところでいじめをする子どもは出てくるだろう。厳罰化なんてしたら尚更、発見されないより陰湿いじめが増えるだけだろう。いつまで不毛な議論がされるんだろうか。

2018-10-19

口蓋裂のこと

落合氏が息子の口蓋裂を公表したこと話題になっている。

落合氏は高名なコンピューター技術者メディア露出も多いことから、同様の状況の親たちへの励みになればと写真を公開することにしたらしい。

これについて、まあ当然というべきか、外野いちゃもんをつけているというのが現状ですな。

曰く、子供写真当人に断りなく世界中に発信するのはいかがなものか、しかも先天性の奇形晒すはいかがなもんかと、まあそんなところでしょう。

この手のいちゃもんがつくのは自然現象に近くて、梅雨に雨の日が少ないと夏に水不足になる、みたいなもんで

あるいはおいしいブドウを皿に盛っておくといつの間にか小虫がたかる、みたいなもんで、まあ話題のあるところには当然生じるし、ある程度避けられないと思う。

かくいう私もその虫の1匹に過ぎないんですが、まあ聞いてくだされ。

今回のはよくなかったね。

何がよくなかったって、写真公開するのは息子が成人したあとでもよかったはずなのに、勇み足でわざわざ公表したことについて、よくなかったと思う次第。

だってこの後ご子息が真っ当に成長する保証はどこにもない。今時お医者さんに行けば口蓋裂なんてなかったみたいにきれいに治してくれるけど、まだ治療完了してもいないうちから公開する必要はなかった。治療が終わって、きれいにしてもらって、健やかに大きくなって、それからご子息本人にこれこれこういう理由赤ちゃんの頃の写真を公開したいいんだがいいかな?って確認を取ってからでも遅くなかったはずだ。

そうしなかったってのはやっぱり、自身のために公表たかったんだって思っちゃいますよ。なんだか知らんけど。

あるいは競合する第三者に手柄を取られる前に自分権利を主張しておくという習慣なのかもしれないけれど、とりあえず現時点で公開して得する人はほとんどいないだろう。

しかもそのことを氏がわかってないはずがないんだよね。めちゃめちゃ優秀な方だからね。

 

かくいう私の姉も口蓋裂で生まれてきた。母は東奔西走してお医者を見つけてきて、姉を治してもらった。今から50年以上前のことだ。奇形に対する偏見も相当なものだったろうにすごいことだ。

甲斐あって姉は今も元気にしているし、完全に健常人だ。見た目にもほぼまともで、口蓋裂でしたと言われなければわからないだろう。

だが母は死ぬ間際に姉について「満足に産んでやれなかった」と悔いていた。そんな風に思ってるなんて、私はずっと知らなかった。

今時口蓋裂はきれいに治してもらえる。それでもなかったことにはならない。

私は結婚していないけれども、それは自分意思結婚しないことにしたのだけれども、母は私のこともきょうだい奇形児がいるか結婚できなかったんじゃないか責任感じていたと思う。

落合氏のご子息はどうだろうか。後からまれてくる彼のきょうだいはどうだろうか。彼の母親はつらくないだろうか。今後死ぬまでつらくならないだろうか。公表しなければよかったって後から思ったりしないだろうか。

落合氏のやってることは美しいけれども、我々のような人間のためにやってくれているのだけれども、ありがたいと思うのだけれども、心の底から感謝はするのだけれども。

それでも、のんきにテレビ見てる私の父を見るにつけ、落合氏がなんか憎たらしいと思ってしまいました。

2018-04-27

anond:20180426102121

最近ゲームは「新しい!」とかそういう技術革新的な感覚を求めるものじゃなくなっている。

ソーシャルでのリアルタイム話題性もエキサイティングゲーム体験に含まれものになってる訳。

言わば、ネトゲアップデートごとにギルメン東奔西走するようなゲーム体験があらゆるゲームタイトルにて広域化した感じ。

から気に入ったやつをなんでも良いから本気でやり込んで、同様にやり込んでる人と繋がれ。それに尽きる

2018-04-20

結婚式に参加しないこと”は決して「嫌い」とか「会いたくない」ということの表明ではない

私は結婚式に参加したいと思わない。というより参加したくない。

その理由は様々だが、基本的には「会いたい人にだけ会いたいから」という言葉に集約される(ように思う)。

以下に、結婚式などに参加することの個人的メリットデメリットを列挙する。

メリット

・仲の良い人のお祝いができる

デメリット

特別会いたい人と思わない人たち、知らない人たちとも会わないといけない

・近況報告の場にもなるのでその対応もしないといけないのが大変

本来意味から遠ざかったサプライズを見る必要に迫られる

・身なりの準備が必要になる

そう。メリットデメリットの比を見ればわかるように、私は結婚式を「楽しい」と思わない。

勿論、「結婚式楽しい」「盛大にお祝いしたい」という人たちをどうこう言うつもりも馬鹿にするつもりもない。

楽しみたい人たちには思う存分楽しんでもらいたいとすら思う。

ただ言いたいのは、「それを強要しないでほしい」ということだ。

例えば、結婚式に参加しないという理由が「仕事でどうしてもいけない」という類のものなら主催者側も納得できることが多い(と思う)。

しかし、その理由が「結婚式が好きではない」「結婚式というもの楽しいと思わないから」という類のものであった場合、おそらく多くの主催者は陰性感情を抱くだろう。

彼ら・彼女らは結婚式成功させるべく東奔西走しているのだからある意味仕方のないことなのかもしれないが、それでも私は、前述のデメリット理由結婚式楽しいと思わない。

ただそれは、私に「祝福の気持ち」が無いことを意味するわけではない。

私は、「結婚式に参加して共に楽しむ」という形ではなく、個人的に会って話をしたりご飯を食べたり、そんな形でお祝いしたいだけで、それ以上でも以下でも無い。

結婚式に参加しないこと”は決して「嫌い」とか「会いたくない」ということの表明ではないのだ。

もし、関係者各位にそのことを頭の片隅に僅かでも置いておいて頂けたのならこれ以上の喜びはない(いやあるけど)。

私は万感の思いを込めて、結婚式当日は遠くから、そして予定を合わせて隣の席で、「おめでとう」と言いたい。

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