はてなキーワード: 声かけとは
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。すると川上から、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてきました。
おばあさんがその桃を家へ持ち帰り、包丁で割ろうとすると、中から元気な男の子が飛び出しました。
「おぎゃあ!」
おじいさんとおばあさんは大喜びし、その子に桃太郎と名づけました。
桃太郎はすくすく育ちました。よく食べ、よく眠り、よく正義について語る、たいそう立派な若者になりました。
ある日のことです。村に鬼がやってきて、米俵や反物や酒樽を奪っていきました。村人たちは泣きました。
桃太郎は胸を張りました。
「わかりました。わたしが鬼を討ち、村に平和を取り戻しましょう」
「これを持ってお行き」
しばらく歩いていると、犬が一匹、道ばたから現れました。
「桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」
「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」
犬はもぐもぐ食べました。
「うまい」
「では、行こう」
ところが犬は、その場を動きませんでした。
「どうした」
犬は前足で口元をぬぐいました。
「鬼退治というのは、相当な危険業務ですよね。噛みつく、吠える、追いかける。こちらも命を張るわけです。それに対して、きび団子一個というのは、いささか固定報酬として弱い」
「固定報酬?」
桃太郎は困りました。村を救う使命はある。しかし仲間がいなければ鬼ヶ島には勝てません。
「では、鬼退治が成功した暁には、鬼ヶ島の浜辺一帯をおまえに与えよう。走り回るにはよい土地だ」
犬の耳がぴんと立ちました。
「浜辺一帯。いいでしょう。契約成立です」
「契約というほどでは……」
しばらく行くと、猿が木の上から現れました。
「桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」
「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」
猿はきび団子を受け取り、器用に食べました。
「では、行こう」
「どうした」
「まあ、少々、浜辺などを」
「やはり」
猿は腕を組みました。
「犬に土地を出したなら、わたしにも相応のものが必要です。わたしは高所作業、索敵、侵入、撹乱を担当します。戦略的価値が高い」
「では、鬼ヶ島の山をおまえに与えよう。木も多いし、登るには困るまい」
猿はにやりと笑いました。
「言質を取りました」
「げんち……?」
「桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけたきび団子、一つわたしにくださいな」
「よかろう。これをやるから、鬼退治についてこい」
キジはきび団子をついばみました。
「たいへん美味です」
「では、行こう」
「まあ、戦後処理について、多少の話し合いはした」
「わたしは空から偵察し、鬼の動向を見張り、場合によっては目をつつきます。危険度は非常に高い。きび団子だけでは、羽が安すぎる」
「では、鬼ヶ島の空をおまえに与えよう」
「空?」
キジはしばし考えました。
「それだけでは弱いですね。空はもともと飛べます」
桃太郎は焦りました。
「泣く権利?」
「戦いのあと、勝利の涙でも、感動の涙でも、好きなだけ泣いてよい」
「それは誰にも止められないのでは?」
「なるほど。精神的権益ですね。空域利用権および泣く権利。契約成立です」
こうして桃太郎は、犬、猿、キジを従えて鬼ヶ島へ向かいました。
桃太郎は刀を抜きました。
「鬼ども、村から奪った宝を返せ!」
犬は吠え、猿は屋根から飛びかかり、キジは空から急降下しました。
鬼たちは大慌てです。
犬が叫びました。
「山林資源!」
猿が叫びました。
「泣く権利!」
桃太郎はうなずきました。
「よし。これにて鬼退治は成功だ」
村から奪われた宝は船に積まれました。鬼たちは縄で縛られ、しょんぼりとうなだれました。
そして、問題はそのあとに起こりました。
鬼ヶ島の浜辺で、犬が言いました。
猿がすぐに言いました。
「待て。浜辺一帯というのは、山のふもとまで含むのか?」
犬は鼻を鳴らしました。
「含むに決まっている。浜辺とは、走って気持ちのいい範囲すべてだ」
「定義が雑すぎる」
猿は木に登り、島を見渡しました。
「わたしは山をもらう約束だ。山林資源の利用権も含む。つまり島の中央部から周辺の林まで、すべてわたしの管理下にある」
キジが翼を広げました。
「お二方、落ち着いてください。わたしは鬼ヶ島の空域利用権を持っています。つまり、あなたたちが浜辺や山で何をするにしても、上空を通るものについては、わたしの許可が必要です」
犬が吠えました。
「空など勝手に飛んでいればいいだろう!」
猿も言いました。
キジは胸を張りました。
「独占とは聞いていないぞ」と桃太郎が言いました。
「では、非独占ですか?」
「たぶん」
「たぶんで契約を語らないでください」
犬が桃太郎に詰め寄りました。
猿も桃太郎に詰め寄りました。
「山をくれると言いましたね」
「空と泣く権利を認めましたね」
桃太郎は汗をかきました。
「いや、その、みんなが気持ちよく働けるようにと思って……」
犬はうなりました。
猿は腕を組みました。
それは、勝利後の利害調整でした。
そこへ、縛られていた鬼の親分が、おずおずと口を開きました。
「あのう……」
「なんだ」と桃太郎が言いました。
「わしら、退治された側なので言いにくいんですが、鬼ヶ島の土地台帳なら、こちらにあります」
犬、猿、キジが一斉に鬼を見ました。
「土地台帳?」
「はい。浜辺は潮の満ち引きで範囲が変わりますし、山林は共有地ですし、空はそもそも登記できません」
犬が固まりました。
猿が固まりました。
「では、泣く権利は?」
鬼の親分は少し考えました。
「それは……心の問題です」
キジは深くうなずきました。
「やはり重要ですね」
そのとき、犬が言いました。
「では、浜辺は時間で分ける。朝はわたしが走る。昼はみんなが使ってよい。夕方はまたわたしが走る」
猿が言いました。
「山は木の実を採る権利をわたしが優先する。ただし、犬が日陰で休むことは認める」
キジが言いました。
「空は自由飛行とします。ただし、誰かが感動して泣きたいときは、まずわたしに一声かけてください」
「なぜだ」と犬が言いました。
「必要か?」
「必要です」
桃太郎はほっとして言いました。
「では、それでよいな」
「よくありません」
「えっ」
「そもそも、桃太郎さんは、われわれ三者に別々の約束をしました。これは今後の遠征において重大な教訓です」
犬もうなずきました。
「きび団子一個で命をかけさせようとした点も、忘れてはいけない」
キジも言いました。
鬼ヶ島の浜辺で、桃太郎は犬、猿、キジ、そしてなぜか鬼たちに囲まれ、反省会を開くことになりました。
議題は三つ。
二、土地、資源、空域、感情表現など、権利の範囲を曖昧にしないこと。
三、きび団子は美味しいが、万能ではないこと。
桃太郎は深く頭を下げました。
「みんな、すまなかった。わたしは鬼を退治することばかり考えて、そのあとのことを考えていなかった」
犬は尻尾を振りました。
「わかればいい」
猿は木の実をかじりました。
キジは空を見上げました。
「そして、泣きたいときは遠慮なく泣くことです」
桃太郎は少し涙ぐみました。
キジがすぐに言いました。
「申請は?」
「えっ」
桃太郎は涙を引っ込めました。
「わしら、退治されたうえに、こんな会議まで……」
犬と猿は顔を見合わせました。
桃太郎は思いました。
やがて一行は、村へ帰りました。
桃太郎は宝を村人たちに返し、たいそう感謝されました。犬は朝夕、鬼ヶ島の浜辺を走るようになりました。猿は山で木の実を管理し、ときどき鬼たちに労働基準について説教しました。キジは空を飛びながら、誰かが泣きそうになると、すぐに舞い降りてきました。
村人たちは言いました。
「桃太郎は鬼を退治しただけでなく、鬼ヶ島に新しい秩序を作った」
「いや、作ったというより、揉めた末に落ち着いたのです」
それから桃太郎は、腰にきび団子の袋を下げるだけでなく、もう一つ、小さな文箱を持つようになりました。
中には筆と紙と印が入っていました。
そして旅先で誰かに頼みごとをするときは、必ずこう言うようになりました。
めでたし、めでたし。
女子3%の工学部で工学部だけキャンパス違う大学行ったけどほんと大変だった
勝手に惚れられて振れば変な噂流されて学内で知らない人からすれ違いざまに気持ち悪い声かけされたり
実験の授業であからさまに無視されてデータ取らせてもらえなかったり
研究室で夜残って2人きりになると凄く体を寄せてきたり
困ってても助けてくれない(高校は女子多かったので何かしらで困ってたら知らなくても助けてくれる人が多かった)
逆に困ってる人を助けようとしたら惚れてんの?みたいなこと周りから言われたり
就活もパンツスーツで行ったらなんでパンツスーツなの?スカート履きなよとか言われたり、資格持ってても女性の現場の前例ないから事務でなら雇うと言われ、同大学の資格持ってない成績も悪い男子は通過するけど私は通過しないとかもあった
あと父が他大学の教授なんだけど一緒にご飯食べてるところ目撃されて、パパ活ってSNSで回されて父も大学から事情聞かれたり。
女が珍しいから何しても噂になりやすいし、逆恨みする人も出てくる
勿論まともな人もいるけどそういう人はあまり関わりはあんまりない
関わりあるやつはガイダンスの時の席が近いとかサークル同じとか関連ないのにわざわざ声かけてくるタイプなので下心前提
同じ学科の女子は良い子でよかったけど、他学科はオタサーの姫チヤホヤ大好き!な感じの子で女の子の味方にはなってくれない感じの子もいたので友達になれない可能性も高いとなると結構リスク
第三部 内容で勝ち、現実で負ける
社名は伏せておく。
商社系の、若手にもそれなりに権限が回ってくると言われている会社だった。
配属された部の課長は論理的な人で、私の作る資料の精度をある程度評価してくれた。
問題は二年目以降に始まった。
ある新規プロジェクトの立ち上げに関する会議で、部長が明らかに前提条件の数字を間違えていた。
市場規模の試算根拠が五年前の業界レポートに依存していて、その後の市場の変化を反映していなかった。
私は会議の中盤でそれを指摘した。
「すみません。その市場規模の数字、ベースになっているレポートが古いです。直近三年で市場構造が変わっているので、現状の数字はその試算より三〇%程度小さいはずです。私の試算では、こちらになります」
試算表は、出典付きで再現可能な形にしてあった。
部長はしばらく画面を見ていた。
「うん、わかった。数字の話はまた別の機会にしよう。今日は方向性の話をしている」
「いえ。方向性は市場規模を前提にしているので、市場規模が違えば方向性自体が変わります」
部長はもう一度、私を見た。
今度は少し、目に疲れがあった。
「君の言うことはわかった。あとで個別に話そう」
会議は、私の指摘を反映しないまま進んだ。
「お前、ああいう言い方やめたほうがいいぞ」
「内容として間違ってるか?」
「内容は合ってる。けど部長の顔、潰しただろ」
「顔の話なんかしていない。事業の話をしているんだ」
同期はため息をついた。
「そう。そうなんだよ。お前はいつも事業の話しかしない。だから、お前以外のみんなが何の話をしてるのか、お前にはわかってないんだよ」
そう言って行ってしまった。
私はその言葉をしばらく考えた。
考えた末に、こう判断した。
そして忘れることにした。
理由は表向きには、「別のプロジェクトに君のスキルが必要だから」だった。
私が回された別のプロジェクトは、ほとんど何も動いていない塩漬けに近いものだった。
私は課長に直接抗議した。
「私の指摘が間違っていたのですか」
課長は少しだけ困った顔をした。
「指摘の内容は間違っていなかった」
「では、なぜ外されるのですか」
「内容ではない。理由は内容ではないんだ」
「では、何ですか」
それから、こう言った。
「君は正しい。けれど、君と一緒に仕事をしたいと言う人間がいない」
その瞬間、自分の中の何かが冷たく固まったのを覚えている。
私は課長を見た。
できるだけ感情を出さずに言った。
「では、正しさよりも好かれることのほうが評価されるのですか」
課長は私を長く見た。
それから言った。
「そうじゃない。仕事は一人ではできないから、一緒に仕事ができる人間になることも能力のうちなんだよ」
私は頷かなかった。
このパターンが三十代を通じて繰り返された。
三回、転職した。
会社が変わっても結末は似ていた。
次の半年で、私の指摘が人を傷つけるようになる。
私は毎回、辞めるとき同じことを思った。
そのとき初めて、こう思った。
これに気づくのに二十年かかった。
二十年だ。
君がこれを二十二歳のうちに気づければ、私より二十年得をする。
二十年は長い。
本当に長い。
ここでKの話に戻る。
Kとは大学を卒業してから、ほとんど連絡を取らなくなっていた。
年賀状が最初の二、三年は来ていたが、私が返さなかったので自然と途絶えた。
記事は、ある業界の中堅企業の新規事業立ち上げに関するものだった。
写真の中のKは、大学のときと同じように口を大きく開けて笑っていた。
少しだけ太っていた。
けれどKは外されなかった。
なぜか。
Kは失敗の途中で、社内の他の部署の人間を何人も巻き込んでいたからだった。
開発の係長。
経理の若手。
Kは新規事業のために、社内のいろいろな人間に頭を下げて知恵を借りていた。
失敗が見え始めたとき、その人たちがKを助けた。
そう言ってKを庇った。
Kは結果として責任者の座を維持し、二年目に軌道修正に成功した。
「最初の半年で失敗したのは僕のせいです。市場の読みが甘かった。けど、その失敗を直せたのは僕一人の力じゃないです。社内のいろんな人が一緒に直してくれた。だからこれは、僕のチームの成果なんです」
私はこの記事を何度も読んだ。
そして初めてわかった気がした。
Kは最初から、「一人で正解を出す」ことを目指していなかった。
Kは最初から、「みんなで間違えて、みんなで直す」ことを戦略としていた。
私はずっとKを軽く見ていた。
Kは内容で勝てないから、人と仲良くするのだと思っていた。
違った。
だから内容で勝つかわりに、内容を直せる関係を作ることに力を注いでいた。
Kは、私が二十年かけても気づかなかったことを二十二歳のときにはもう知っていた。
中学校か高校のうちに、一度、自分より頭のいい人間に出会っていたのだろう。
そこで、自分が一人では勝てないことを学んでいたのだろう。
Kは十二歳か十三歳のうちに負けていた。
そしてその負けから、人と一緒にやることを学んでいた。
私は十八歳まで負けなかった。
その代償が、その後の二十年だった。
両親が立て続けに亡くなった。
父が先で、母がそのあとだった。
葬式に来た親戚や、父の昔の同僚や、母の友人たちは、私のことを「東大を出た立派な息子」として扱った。
私はその扱いを受け入れた。
受け入れるしかなかった。
葬式の最後、母の友人だったという、私の知らないおばさんが言った。
「お母さん、あなたのことをいつも自慢してたのよ。東大に入ったときも、いい会社に入ったときも。でもね、最近お母さんこう言ってたの。『あの子、結婚はしないのかしらね』って。心配してたわ」
私は笑顔で答えた。
「ええ、心配かけました」
その夜、実家の、自分が高校時代に使っていた部屋で一人で酒を飲んだ。
机の引き出しを開けると、高校時代の模試の成績表がまだ残っていた。
全国偏差値、七十六。
順位、全国八位。
その紙を長い時間見ていた。
そして思った。
三十年前の紙だ。
私はその紙を引き出しに戻した。
戻して、引き出しを閉じて、また酒を飲んだ。
涙は出なかった。
涙が出るような感情ではなかった。
もう少し乾いた、静かな何かだった。
母が亡くなって少し経った頃、私はMに偶然、駅で会った。
Mはすぐに私に気づいて「お前、変わらないな」と言った。
私はMに気づいていなかった。
Mは髪が薄くなり、少し太っていた。
スーツの肩のあたりがくたびれていた。
Mは結婚していた。
子供が二人いた。
Mは私の近況を聞かなかった。
たぶん聞かないほうがいいと判断したのだろう。
代わりに、駒場の頃の話をいくつかした。
「お前、覚えてる? あの語学クラスの和訳の輪。Kがやってたやつ」
「ああ」
「俺、あれに助けられたんだよ」
「助けられた?」
「うん。俺さ、地方から出てきて、最初お前と似たような感じだったじゃん。一人でやれば全部できる、みたいな。けどKがしつこく誘ってくれてさ。最初は俺も、うざいと思ってたんだよ。けど何回か行ってみたら、自分が見えてないところを他のやつが見えてたりするんだよな。それで俺、考え方を変えたんだ。一人で全部やる必要はないって」
Mが続けた。
「あれが俺の人生の、たぶん一番大きな転換点だった。あそこでKに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。今の仕事、俺一人じゃ絶対できないからな。役所って根回しの世界だから」
私は頷いた。
Mが私をちらっと見た。
「お前は行かなかったよな、あの輪」
「うん」
「何で行かなかったんだ?」
しばらく答えられなかった。
それから、ようやく言った。
「行く必要がないと思っていた」
Mはそれ以上聞かなかった。
私たちはもう一杯ずつ飲んで別れた。
Mは終電で帰っていった。
最後に「また飲もうな」と言った。
私も「うん」と言った。
私たちはその後、一度も飲まなかった。
二人とも、それをわかっていたと思う。
Kに引っ張ってもらえたから、俺、人と一緒に仕事ができる人間になれたんだよ。
Kは私のことも引っ張ろうとしていた。
「気が向いたら、声かけて」
「一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
Kは私に何度も手を差し出していた。
私はその手を毎回振り払っていた。
Kを軽く見ていた。
そのプライドのために、人と一緒に何かをするということを、生涯、覚えそこねた。
電車の中で初めて認めた。
あいつは、ずっと間違えていたわけじゃなかった。
あいつは、正解を一人で出すことを最初から諦めていただけだった。
だから、みんなで間違えたあと、みんなで直すことができた。
俺は、一度も間違えないために、一度も誰とも直せなかった。
涙はまた出なかった。
「人生は、一度きり」
そんなことが書いてあった気がする。
正確には覚えていない。
ただ、もう一度だけ君に語りかけたい。
君がもし、私に少し似た人間なら聞いてほしい。
勉強がそれなりにできる。
一人でいることを苦にしない。
周りが少し幼く見える。
「言い方」を装飾だと思っている。
人に頭を下げることを敗北だと感じている。
もしそうなら聞いてほしい。
君が会っていないのは、君が悪いからではない。
たぶん環境のせいだ。
中堅校で一番頭がいい子。
学年で目立つ秀才。
これは君の責任ではない。
そこには君と同じか、君より上の人間が必ずいる。
中学生のときから、もっと厳しい競争を経験してきた人間が必ずいる。
それが君のこの先三十年を決める。
選択肢は大きく二つある。
一つは、その人間を軽く見ることだ。
「あいつは要領がいいだけだ」
「あいつは育ちがいいだけだ」
これは簡単だ。
すぐにできる。
何の努力もいらない。
プライドが守られる。
気持ちがよい。
私が選んだのはこっちだ。
そして、その代償をこの四十七年間で払い続けている。
もう一つは、その人間に頭を下げることだ。
「すごいですね」
「教えてください」
「どうやってそんなに上手くやるんですか」
そう聞くことだ。
これは難しい。
プライドが傷つく。
気持ちが悪い。
自分が小さく感じられる。
けれど、こっちを選べる人間は二十年後、ほぼ確実に生き残る。
なぜなら、こっちを選んだ瞬間から、君の能力は自分の能力だけでなくなるからだ。
君は自分より上の人間の能力を、少しずつ自分の中に取り込んでいけるようになる。
これは私が二十年かけて気づいたことだ。
自分より上の人間に、自分の間違いを笑いながら指摘されたときだ。
そしてもう一つ。
これは道徳の話ではない。
君が長く生き延びるための技術の話だ。
「性格をよくする」というのは、誰にでも愛想よくすることではない。
人と一緒にいるときに、その人が「君と一緒にいて楽だ」と感じるように自分の振る舞いを設計することだ。
これを十代後半のうちにやっておかないと、後からやり直すのが本当に難しい。
二十代の後半から急速に固まる。
三十代に入ると、ほとんど固まる。
四十代になると、もう変わらない。
私は四十代の自分を見て、それを知った。
君は今、二十歳前後だ。
固まる前に修正してくれ。
「ごめん」
「教えて」
「自分が間違っていた」
この四つを重く、特別なこととして言わなければならない人間は、私のように誰とも何も直せなくなる。
「私は完璧ではない」
「私は、変われる」
ここで最後に、一つだけ付け加えたい。
私はこれまで、「人に合わせるな」「集団は誤答を選ぶ」「会議はノイズだ」「調整は知性の敗北だ」と思ってきた。
だから誤答を直すには、自分の見え方の外側を持ってくる必要がある。
それを持ってきてくれるのが他人だ。
この関係を若いうちに作っておかないと、君の認知は君一人の中で閉じる。
その罰が、私の四十代だった。
君には、その罰を受けてほしくない。
この手紙を、ここで終える。
書きながら何度か、自分のことが嫌になった。
いや、本当のことを言えば、何度か自分のことをまだ正当化したくなった。
「Kは、俺ほど深くは考えていなかった」
そういう声が、今でも私の中で聞こえる。
たぶん、その声は死ぬまで消えない。
けれど私は、その声をもう信じない。
私は君に、私と同じになってほしくない。
私はもう、どこにも戻れない。
母も父も、もういない。
KともMとも、もう会わない。
私の若い頃のクラスメイトたちは、たぶんそれぞれの家庭で、それぞれの夕食を食べている。
私には夕食を一緒に食べる相手がいない。
これは自業自得だ。
誰のせいでもない。
けれど君は、まだ間に合う。
これから「ごめん」「教えて」「ありがとう」「自分が間違っていた」を毎日言える。
これから人と一緒に間違えて、人と一緒に直せる。
それを君のうちに習慣にしてほしい。
二十歳の君の習慣は、四十歳の君の人格になる。
二十歳の君が人に頭を下げることを覚えれば、四十歳の君は誰かに助けられる人間になる。
二十歳の君が自分の間違いを認めることを覚えれば、四十歳の君は間違える前に人に相談できる人間になる。
二十歳の君が雑談を大事にすることを覚えれば、四十歳の君には夕食を一緒に食べる相手がいる。
これは綺麗事ではない。
最後に、もう一度だけ。
正しさは、人に届かなければ現実を変えない。
一人で正解を出せる人間より、人と一緒に間違えて直せる人間のほうが長く生き残る。
けれど、誤答を直す力もまた集団の中にある。
その集団に、君が入っていけるかどうか。
それが君のこれからの三十年を決める。
私は入っていけなかった。
その理由をたくさん書いてきた。
けれど本当の理由は、たぶん一つだ。
私は怖かったのだ。
その怖さを、私は「孤独を選ぶ強さ」と自分に言い聞かせていた。
それは強さではなかった。
ただの臆病だった。
君が私と同じ怖さをもし持っているなら、その怖さに名前をつけてやってほしい。
「臆病」と。
名前をつけずに、それを「強さ」と呼び続ければ、君は私になる。
長くなった。
これで終わる。
君が今夜、誰かと夕食を食べられますように。
君が十年後、誰かと一緒にその失敗を直せていますように。
君が二十年後、私のように、見知らぬ若者へ誰にも頼まれない手紙を書く人間にならずにすみますように。
これは説教ではなく、
これは祈りだ。
どうか。
私のようには、ならないでくれ。
第二部 学び直せなかった一年
ここで、君に正面から語りかけたい。
たぶん君の中には、私に近い感覚が少しはあるはずだ。
なくてもいい。
あったとしたら聞いてほしい。
入学して最初の数週間、君は周りを見てこう感じるかもしれない。
「あれ、この人たち、思っていたほどすごくないな」
先輩たちがわいわい騒いでいる。
話の中身はたいしたことがない。
誰々が誰々を好きらしい、という話。
君はそれを聞きながら、心のどこかでこう思うかもしれない。
「俺はこんな話をするために東京に出てきたんじゃない」
その感覚は半分は正しい。
ただ、残りの半分について、私が二十年かけて学んだことを君に伝えたい。
雑談を飛ばして、いきなり大事な話だけをしようとする人間は、長い目で見ると誰とも何の話もできなくなる。
これは二十年後に私が痛感したことだ。
けれど十八歳の私は、これをまったく理解していなかった。
理解する気もなかった。
入学して一週間ほど経った頃、駒場のキャンパスで一人の同級生と話す機会があった。
名前は仮にKとしておく。
背が高く、髪を少し茶色く染めていて、笑うとき口を大きく開けた。
「サッカーをやってました。あと、文化祭の実行委員やってました」
それを聞いた瞬間、私はKにあまり期待しなかった。
あの私を退屈させた連中の、東京版だろう。
そう思った。
ところがKはよく話しかけてきた。
授業のあと、「飯行かない?」と私を誘った。
最初は断った。
二度目も断った。
三度目に、Kは少しだけ困った顔をして聞いた。
「お前、誰とも飯食わないの?」
私はそう答えた。
Kは少し笑った。
「ふうん。じゃあ、気が向いたら声かけて」
そう言って行ってしまった。
そのとき私は、自分がKに少しだけ優越感を持ったのを覚えている。
私は違う。
私は一人でも平気だ。
だから私のほうが強い。
そう思った。
これが間違いの始まりだった。
Kは、誰かと一緒にいないと不安だったのではない。
Kは、一緒にいる時間そのものを価値あるものとして認識する能力を持っていた。
そのことを、私は二十年後に理解した。
語学クラスでは、よく数人で集まって、課題のフランス語の和訳を持ち寄って見せ合っていた。
私は最初、その輪に入った。
けれど私の和訳はたいてい一番正確だった。
少なくとも私はそう思っていた。
私は指摘した。
「そこ、違う。主語はこっちじゃない」
Kは「あ、ほんとだ。サンキュー」と言ってすぐに直した。
それはいい。
問題はその次だった。
別の同級生、仮にMとしておく。
Mが読み上げた和訳も間違っていた。
私は同じように指摘した。
「Mも、そこ違う」
Mは少し顔を赤くして、「うん……」と言った。
Kが軽く笑いながら言った。
「お前、間違いの指摘の仕方、ちょっと冷たくない?」
私はKを見た。
「冷たい? 間違ってるから間違ってるって言っただけだろ」
「いやそうなんだけどさ。なんかこう、もうちょっと、『あ、ここ、俺もよくわかんないんだけど、こうじゃないかな?』みたいな感じ、ない?」
私は内心で軽蔑した。
出た。
「言い方」だ。
Kは内容で勝てないから、言い方の話に逃げている。
私はそう判断した。
その日から、その輪には行かなくなった。
数週間後、その輪がMを含めて続いていることを知った。
けれどMは、Kの輪の中で笑うようになっていた。
間違いを指摘されても、頭をかいて「あ、ほんとだ」と言うようになっていた。
Mは変わった。
私が変わらなかったのに対して。
私はMのことを軽く馬鹿にした。
妥協したのだと思った。
今になって思う。
妥協したのはMではなかった。
Mは学んだのだ。
私は学ばなかったのだ。
風の噂で聞いた。
実際、内容は真面目だった。
そこには二年生にSという先輩がいた。
Sは私とは違うタイプの賢い人だった。
判例を読むスピードは私と同じくらいだったが、議論のときの立ち回りがまったく違った。
まず、後輩や他の人の意見を聞く。
そして誰かの意見の中でいいところを見つけて、「それ、いいですね」と言う。
「○○さんが言ったところに加えて、こういう論点もあるんじゃないかと思って」
そう言った。
私はSのやり方を、最初ずるいと思った。
あれは自分の頭で考えていない。
人の意見に乗っかっているだけだ。
そう思ってSを軽く見た。
「Sさんの今の論理は、判例の射程を超えていると思います。○○判決はあくまで△△の場合に限った話で、これを一般化するのは無理があるんじゃないですか」
Sは私を見た。
少しの間、何も言わなかった。
「うん、たしかにそうだね。射程の問題は僕も気になっていた。じゃあ、君だったらどこまで一般化できると思う?」
私は答えた。
私の答えは、Sが言うべきだった内容をより精密にしたものだった。
Sは「それ、いいね」と言って、私の意見を議論全体に位置づけた。
私は勝った気がした。
サークルが終わったあと、別の三年生の先輩が私を呼び止めた。
「君さ、頭はいいよ。間違いなく。ただ、Sのこと、ちょっとなめてないか?」
「いえ、なめてはいないです」
「Sはね、あの場で君のために負けてくれたんだよ」
「Sは、あの場の議論をいいものにするために、自分の意見を引っ込めたんだ。君に花を持たせたんだよ。それはSがバカだからじゃない。Sのほうが、議論っていう場全体を見てるからだ」
私は不機嫌になった。
「いや、でも、内容としてSさんの最初の論理は間違っていました」
先輩はため息をついた。
「うん。まあ、そうかもしれない。でも君がこれから先、誰かと一緒に何かをやるなら、内容で勝つだけじゃ足りないよ」
私はその日、サークルをやめた。
正確に言えば、その日のうちにメールで退会の連絡をした。
理由は書かなかった。
二度とそのサークルには行かなかった。
夏休みに入る前、私はKにもう一度だけ会った。
Kは相変わらずにこにこしていた。
彼女もできたらしい。
私はその女子を、可愛いとも可愛くないとも特に思っていなかった。
Kが別れ際に言った。
私は笑って答えた。
「誰かに頼って、その誰かが間違ってたらどうするんだ?」
Kは少し考えた。
「うーん。そうしたら、一緒に間違えて、一緒に直せばいいんじゃないかな」
私はその言葉を軽くいなした。
心の中で、「だから、お前は二流なんだ」と思った。
一緒に間違えて、一緒に直す。
そんなことに付き合っている時間はない。
私は一人で、間違えずに進む。
正確には、二十年かけてようやく思い出せるようになった、と言うべきかもしれない。
ここで、君にもう一つだけ伝えたい。
私が地方の進学校で身につけた「一人で考えたほうが正しい」という認知は、地方の進学校の中ではたしかに事実だった。
私の周りには、私より速く正解にたどり着ける人間がいなかった。
集団で議論すれば、議論は私のレベルに引き下げられるか、私の意見が通らないかのどちらかだった。
しかし東京大学に来て、私の周りには私と同じか、私より速く正解にたどり着ける人間がたくさんいた。
その時点で、私は戦略を変えるべきだった。
もう一人で考えなくていい。
人と議論したほうが、自分一人で出せる答えよりいい答えが出る確率が高い。
人に頼っていい。
人に教わっていい。
人に「わからない」と言っていい。
けれど私は学び直さなかった。
なぜなら、地方で身につけた認知は、私を東大まで連れてきた成功体験だったからだ。
それを捨てることは、自分の人生を否定することのように感じられた。
変化を恐れた本当の理由は、たぶんこうだ。
だから勉強の戦い方を変えることは、自分そのものを失うことのように感じられた。
後になって考えれば、ただの臆病だった。
けれど当時の私は、自分が臆病であることにまったく気づいていなかった。
孤独に耐えられる、というのは強さではない。
ただの不器用さだ。
優三つの「優三つ」というやつだ。
一人でやれば結果が出る。
けれどその学年末、駒場の生協の前で、語学クラスのKたちが五、六人で集まって笑いながら写真を撮っているのを見た。
Kの隣にはMもいた。
Mは四月のときと比べて別人のように、いい顔で笑っていた。
私はその輪を遠くから見ていた。
その輪の中に入りたいとは思わなかった。
ただ、奇妙な感覚があった。
結婚式に呼んだり。
子供の話をしたり。
そう自分に言い聞かせた。
その夜、私は寮の自分の部屋で二年生の科目の予習を始めた。
ここで私は、君に最も伝えたいことの一つを書く。
地方の進学校から東大に行ったことの本当の不幸は、東大に行けたことではない。
もし通っていたら。
私は十二歳か十三歳のうちに、自分より賢い人間に出会っていただろう。
泣いたかもしれない。
けれど十二歳の私はまだ柔らかかった。
十二歳のうちに負けることは致命傷にならない。
十二歳の負けは回復する。
十二歳の負けからは、人に頭を下げることを学べる。
十二歳の負けからは、「わからないから教えて」と言うことを覚えられる。
私の認知の中で、「負ける」という選択肢が十八歳の段階ですでに消えていた。
そして十八歳で東大に入った瞬間、私は相対的に普通の人間になった。
けれど、そのときにはもう遅かった。
十八歳の私は、十二歳の私のようには柔らかくなかった。
私は上の人間に頭を下げるかわりに、上の人間を見ないことにした。
上の人間から学ぶかわりに、「あいつは要領がいいだけだ」と評価することにした。
これらは全部、私の防衛反応だった。
だから君がもし、地方から東京の大学に出てきたばかりでこれを読んでいるなら、聞いてほしい。
早く、負けてくれ。
自分より明らかにすごい人間に会ったら、嫉妬する前に頭を下げてほしい。
「教えてください」と言ってほしい。
それは君の性格を守るための救済だ。
天井を知らないまま二十代に入った人間は、たいてい私のようになる。
私のようになるな。
これは命令ではない。
お願いだ。
平日の14時くらいだった。
俺は営業の仕事がだるくて、サボって遅めの昼飯を食べに行ってた。
隣のテーブル席に、小学校3〜4年くらいの女の子がひとりで座っていた。
ひとり。
親はいない。
タッチパネルで何皿か注文して、ぽつぽつ食べていた。
でも、明らかに長い。
10分経ってもひとり。
20分経ってもひとり。
その子はずっと泣いていた。
声を上げてではなくて、サーモンを口に入れたり、玉子を口に入れたりしながら、ぽとぽと涙を落としていた。
タッチパネルにも涙が落ちて、それを袖で拭いていた。
俺は声をかけられなかった。
40近いおっさんが小学生に声をかけるリスクが、たぶん、頭をよぎった。
でもそれよりも、なんていうか、その子の食べ方があんまりにも「ちゃんとひとりで食べる人」の食べ方だったから、邪魔したらいけない気がしたんだと思う。
その子は首を横に振っていた。
何度も振っていた。
しばらくして警察が来た。
俺は会計をして店を出た。
出てから、車の中で5分くらい、ハンドルに手を置いたまま動けなかった。
ただ、ひとりで泣きながら回転寿司を食べる小学生を見たというだけで、その日はもう何もする気が起きなかった。
家に帰って、妻に話した。
妻は黙って聞いて、「あんた声かけなくてよかったよ」と言った。
「うん、食べてた」
「ならよかった」
ならよかった、で終わる話なのか俺にはわからない。
でも妻がそう言うなら、そうなのかもしれない。
今でもたまに思い出す。
たぶん、ちゃんと育ってる子だと思う。
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
https://anond.hatelabo.jp/20260218182215#
でも相手も声かけなかった。こういうのって他人の空似的なの心配してみんな同じ気持ちになるのか。
思ったのはばったり好きだった人を見かけた場合。
思い入れが無い相手ならちょっとでも違うと言われれば疑問点があってもまあいいかと引き下がれるけど、
好きな人だったらこれを逃したらもう二度と会えないと思って本当に他人か普通よりはしつこく食い下がってしまうかもしれない。
それが事案とみなされ警察沙汰にならないかどうか、不安なものだ。
世の中のストーカー案件にはそういう不憫なのも含まれているのではないか。
dorawiiより
男は放置で女ならあわよくばを狙っても「不憫」とか言ってるのがやばすぎる
https://anond.hatelabo.jp/20260218184016#
きもいのはこういうことを言語化して形にしちゃうことで、普通の人は既にやってるもんちゃう?
んでそのうち少数が事件扱いされて大部分が何事もなく終わり2割がなあなあで付き合い始める。
dorawiiより
あれから一体、何年の月日が流れただろうか。
校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。
「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」
喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日。
だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。
もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。
何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強の進捗管理から、塾への送迎、志望校対策のサポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育そのものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。
我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦で子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育や活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢を評価していたからこそ、私たちはこの場所に子供を託したのだ。
しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置を確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。
そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量で子供を戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。
しかし、その「素直さ」は、あくまで受験というゲームのルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人や他者を冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者の存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。
この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまりに特殊な成功事例に過ぎず、凡庸な我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所の正義だった。
忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。
さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。
何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識が希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。
AIが当たり前のように思考を代替していくこれからの未来。最後に人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。
何より、あの甲斐甲斐しく子供の勉強を管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。
家で見せる顔と、学校で見せる顔。
果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。
卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。
大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。
この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。
あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。
「それは失礼です」「今はこうするのが常識です」
今の育児もまったく同じことが起きているなーと感じてる。
YouTubeには医学的根拠があるのかどうかも分からない育児論をうさんくさい誰かがそれっぽい口調で語っている。
インスタやXには、「ママ垢」と呼ばれる人たちが、
「このやり方が正解」
「そのやり方はもう古い」
「それは危険」
「それは愛情不足」
知らんがな。
ここ10年で急に「正しい抱っこの角度」だの
細かすぎる正解が増えすぎた。
しかもそのほとんどが数年後には「実は間違っていました〜」と言われて流行り廃りみたいに消えてく。
そのたびに昨日まで頑張っていた親が
「古い育児をしていた間違った人」扱いされる。
それをフォロワー数と再生回数で競うコンテンツにして不安を煽って
「正解」を売りつけてくる。
情報が多すぎて誰も責任を取らない情報に踊らされてる人が多すぎる。
でも少なくとも
普通日本語は助詞を省略しても違和感がないということはあっても特に書き言葉(活字)で助詞を省略しないで書くに越したことは無い、少なくとも助詞をつけてかえって違和感が出るということはない。
しかし見つけてしまった。「一声かける」を「一声をかける」とすると逆に非文的と見なす人が多いであろうことに。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260427113742# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCae7L+AAKCRBwMdsubs4+ SEAgAQCc0OLNWG8vNVceA/EFcu5TT7yTt8DoEBsiGHU3v2gcswD/UYDkoK22XSFt Zod+gpfQPQu3/gtKAfDbzupmDpK/iQY= =i4Lb -----END PGP SIGNATURE-----
ビタイチ出してはくれない
みたいな噂が出たりする
そいつの分は当然奢るのも良しとする
出すのも全然構わない
ただ、了承なく勝手に俺らの支払額上げるなよ
曰く、そういうもんだと思ってた
なんでテメェの金はきっちりしてんのに
こんなやりとりも面倒だから。
黙ってるけど。行かなくなるよね。
今考えてみればプチぼったくりみたい
そんな中、昨日なんとなく声かけた同僚と飯に行ったら
曰く、その先輩と遊びに行ったとき
「車で迎えに行くよ」
「じゃあ◯◯円ね」
みたいな流れがあったとか。断り辛くて払ったらしい。
かくいう私は、金というよりね。
そんな中、1ヶ月くらいのとき。
食事会に誘われるもまだワイワイ騒ぐ元気はない
しばらくわからないって言ったら
「引きずるねぇ」と
こいつとこれ以上に深い仲になることはないなと思った
奢る奢らないに関しては人それぞれだけど
昨日は歳下ばっかりだったので。全額出しました。
家の中で僕の踵を噛んじゃったマムシをそのまま踏んづけてしまって逃げられちゃったんだけど、朝にはふすまに挟まってて動けなくなってたんですよね。
関係ないけど、昔俺に殴りかかって来たやくざは朝倉市じゃなくて糸島市の人間だと言ってた希ガス。どうでもいい情報だった。
その動けない蛇を逃がすなゴミに出せと母親から言われたんだけど、生きたままはゴミ屋さん回収してくれないんで殺さないといけない。
どうせ殺すんなら食べてしまった方がいいと思って、その動けない蛇の前にコンロ持って来てフライパン熱してベーコン焼いて食ったんだよね。
「お前も食べちゃうよ。」って
フライパンが冷たくなるのを待ってから蛇を引っ張り出してフライパンの上で魔法陣ぐるぐる巻きにして針金で動けなくして庭につるしてアルミホイルの傘かけて遠火の熾火で1時間かけて燻製にした。
通りすがりの近所の子が「いいにおい。ちょうだい。」って言うけど、焼けてなかったら腹壊すと思って確認してみたらこんがり焼きあがってたからあげた。
で、あとでおばさんが「塩味がしたけどなにかつけた?」って聞かれたから、ベーコン焼いたフライパンでぐるぐる巻きにしたからかなって伝えた。
そしたら「生きたまま焼いたのかっ!」ってどなりつけられた。「そうですよ。」って答えた。
怒るようなことだろうか。
ちなみに、僕はふすまを閉めて出られなくしただけだったんだけど、朝隙間からこっちに来ようとして顔を出してた時に母親がふすまを開けたので挟まれて動けなくなってたんだよね。まあ、首を出した時点ですでに動けなかった可能性もあるが、タイミング悪かったよね。かわいそうに。
俺は逃がしてやるつもりでいたんだけどね。(ほんトカナ)
庭で丸焼きにして食う手もあったな。
一頭丸ごととか食べきれないけど、丸焼きの味ってどんなかなって。
結論から言うと、イノシシを生きたまま(生存した状態で)丸焼きにすることは、技術的にも倫理的にも、そして法的にも不可能です。
法律の勉強しないとイノシシの丸焼きもできないとか、学歴至上主義にもほどがあるだろう。
わずかな火で短時間で魚を焼くから内臓には火が通らないんですよ。僕のやり方だと。
だけど、あえてそうしてるんですよね。
その寄生虫がつめたい内臓に逃げ込めるように加熱しないんですよね。
食べるときはキレイにあばら骨と内臓を残して食べるんです。だから寄生虫にやられないんです。
他にも思い出してたんだよね。
有吉の話の続き。
父親がいろいろ聞いてくるから教室に戻って話すんだけど、有吉が黒板に刺さった椅子の話をしないんですよ。
俺が殴り倒される前の話には口をつぐむんです。
だからなんで殴り倒されたのかは、黒板に刺さった椅子が俺の仕業だと推測するしかないんですが、俺が理由もなくガラスを割ったりしないように、理由なく黒板に椅子を突き刺すこともないんです。
誰もやってないなら神の仕業ってことになるんだけど、俺が神様だから結局俺の仕業ってことになるんですよね。
埒が明かないんで有吉の机をひっくり返してまさぐってみたらX線レーザーガンが出て来たんです。おもちゃにしか見えなかったけど。
父親が「やめろ」って言うんです。父親はそれが何か知っているんですね。
俺は有吉の頭に向けて引き金を引いたけど、何も起こらなかったんです。
しばらくして(30秒後に)有吉が倒れたんだけど、銃の引き金を引いたこととの因果関係は不明です。
父親が有吉を抱えてどっかに行くんですよね。ホテルかな?ハッテンバかな?
女子を連れて父親が立ち去ったか確認しに行って戻って来て僕は「僕がこれからやることをすますまでお前たちはここを動くな。声を出すな。父親がいたらできないから見届けてきた。」と静かに警告した。
それから僕は全時代の全女性をレイプもとい全学年の全教室を巡回してハルヒの前の席の奴じゃなくて教室の真ん中の席の奴に「お前X線レーザーガン持ってるだろ。出せ。」って声をかけて椅子であご下から脳天を突き刺して殺して机の中をまさぐってX線レーザーガンを取り出して集めて回った。
それからまた全教室回って外見ろと言ったけど誰も言う事聞かないので窓際の女子に肩たたきして「お前出ろ。俺がすることを最後まで見てろ」って声かけて回った。
それから外の焼却炉の近くて銃を取り出してボンベを出してとがったハンマーで叩いてガス抜きしまくった。
ガスが混じらないように同じ種類のだけ一通りやってからもう片方のボンベも破壊したんだけど、あとで「なんか暇そう」じゃなくて「空が光ってた」って言われた。
空で反応してX線レーザーが出まくってたらしい。俺は銃を叩き割るので忙しくて見てなかったが。
自分と同じX線レーザーガン持ちが一人残らず虐殺されてX線レーザーガン持ってることまでみんなにバレてたらそらビビってもしょうがない。
結局その後犬鳴峠でガソリンかけられて燃やされるけど、警察も近所のお店の人も知らんぷりだったんだよね。
X線レーザーガン様に逆らう奴はイスラム式の火に焼かれて死ぬのだ