はてなキーワード: 心の問題とは
40代、システムエンジニア。企業の情シスに所属している。そこそこデカい企業
同僚にSharepointとPowerBIとデータ加工ツールとかあれば問題ないと言われて勝手に凹んだ
実際多少の遠回りの処理だが、DWHからデータを取得し、加工して、見やすいグラフにしてサイトに表示できるし、外部サービスとの連携とかも数クリックで出来る
ユーザー認証や管理もサービスに任せられるので本当に業務部分が分かればIPだのネットワークだのDBだのフレームワークだのは考えなくて良い。並列稼働とかも気にしなくていい。会社のネットワーク部門とセキュリティ部門が仕事していれば最小限のクリックで現場が求められるサービスが提供できる
良いことだと思うが、氷河期世代の増田には希望でもなく仕方無しに入った業界でそれなりに勉強もしてITスキルを得てきたけど、結局あとから来た人間が自分の数分の1かもしれない努力で自分以上のパフォーマンスを弾き出すのを見るとしょうがいないけど嫉妬と焦燥感にかられる
転職して開発メインの会社やフリーランスにも行ったり別の部署への異動を希望すれば良いのだけど、正直そこまでの話じゃないし自分の矮小な心の問題だと思っている
まさかAPIの仕様書さえ読めればツール間で数クリックでデータ連携出来るまで楽になるとはね。自分が20年くらいしてきた仕事も結局は顧客が本当に欲しかったものの絵と同じで、大半はAccessとExcelレベルで良かったんだ。速さも眼の前で待たされなければ気にしないのもラーメンハゲが言ってたし
文章から伝わってくるのは、いろんなチャレンジをしたけど、ことごとくうまくいかなくて、精神的にも体力的にも限界を感じてるってことだね。
美術予備校や福祉大、仕事に挑戦しても、結局病気や心の問題で続かず、周りからのプレッシャーや自分自身の期待に押しつぶされてしまってる。
短歌とかで一瞬うまくいったこともあったみたいだけど、それ以外はほぼ空回りしてる感じで、今は本当に疲れ果ててるって感じ。
正直、無理しすぎだと思うよ。
今までめちゃくちゃ頑張ってきたみたいだけど、いきなり全部を解決しようとするとまたしんどくなるから、一つ一つ小さいことからやってみるのがいいかも。
自分だけで抱え込まずに、病院やカウンセラーとか、信頼できる人に頼ってみよう。
辛いこと話すだけでも少し気持ちが楽になるかも。
今、かなり自分を責めてるけど、ここまで生きてこれただけでもすごいことだよ。
大きな夢や目標は後回しにして、まずは日常生活を少しでも安定させることにフォーカスしよう。
それができれば次のステップに進めると思う。
焦らず、少しずつやっていこう。
なので、非モテを叩くつもりなんかないので、冷静に聞いてほしい。
「ソープに行け」これはセックスがしたいならば、ソープに行けと言う意味ではない。
ソープで童貞を捨てたのは、26歳の頃だった。それまではというと、オナニーで十分だった。風俗を知らずに二十代後半まで過ごした。
童貞を捨てたのは、知人が自殺して、葬式に出るために地方都市に出かけた時のことだ。なんとなく、このタイミングで経験しとこうと思った。その年は、2人も知人が死んだ。
オナニーで十分と書いたとおり、それほどこだわりはなかったのだけど、人間はいつ死ぬかわからないものだし、高いもんじゃないから経験しておくかという軽い気持ちだった。
今思えば、思わせぶりな態度に舞い上がっただけだ。
SEXを知るまでは、SEXをなんか意識したことなかったのに、たいしたもんじゃないSEXさえできなかったということが、すごく惨めに思えた。
そこで、立ち直るために使ったのも風俗だった。SEXにドラマなんかない。金で買えるサービスってことを再認識するために風俗にいった。それから、嫌なことがあると、風俗にいくようになった。
大金持ちの遊びだって、結局は高い酒と女に行き着く。底辺でも大金持ちでも変わらない。いくら美味い酒って言っても、100倍の値段で満足度が100倍になるわけじゃない。
みんなが羨む場所で、みんなが羨む酒を飲むことが楽しいだけでだ。
コンビニのつまみと缶ビールで満足できないのは、ビールの質のせいじゃなく、心の問題でしかない。目の前のビールに感謝すれば、四畳半和室で飲むビールだって美味いのだ。幸せになれるかどうかは、何を食べる、何をするじゃなく、幸せを感じる自分の問題。
酒だとわかりにくいかもしれない。講釈を垂れる俺が六本木や銀座で飲んだことがないので酸っぱい葡萄みたいだし。例えを変えよう。
グリコのパピコは、氷菓なのに驚くほど食感滑らかで、チョココーヒーのフレーバーも絶妙。設計されつくした味だと思う。一方で、スターバックスコーヒーのフラペチーノはパピコと4倍くらいの価格差があるが、氷は粗く、生クリームのヌルヌルと氷のジャリジャリが喧嘩してる。でも、人々はスターバックスコーヒーでフラペチーノを求める。
考えをかえれば、パピコで満足できるということ。SEXはSEXでしかない。
金で買ったSEXも金のやり取りがないSEXも、美人とのSEXも不美人とのSEXも、気持ちよさとは関係ない。好きな人と心を通わせることが人生の喜びでその証がSEX、と思っていたら、そんな考えは捨てていい。
存在しないものに憧れて盲目になってるから、道端に咲く花もコンビニのパピコも自分を想ってくれる異性も目に入らないんだ。
童貞を捨ててから17年、ソープ、デリヘル、出会い系、あれからいろんなところで女を買った。金で買う関係が初体験だったけど、ひょんなことで普通の彼女を作れたし、なぜか
何人の女性とSEXして、通算何回SEXしたのか、今となっては覚えていない。
記憶に残るSEXは、数えるほどしかない。しかも、美人とのSEXでも好きな人とのSEXでもない。
SEXなんかそんなもんでしかない。嘘だと思うなら、ソープに行ってくるといい。好きな相手じゃなくても勃起できて、射精できるはずだ。それて、感動は別にない。
愛というのは、過程なのだと思う。愛してるからこれこれする、プレゼントをする、優しい言葉をかける、労わる、デートに誘う、SEXする、結婚するというのは虚構。
相手に優しい言葉をかけた、助けた、愚痴を聞いてあげた、そういう行為を後から振り返って、名前をつけた時に愛と呼ぶだけだ。愛してるから行動するということだと、先に愛がないといけないし、愛が生まれるためには相手に先になにかを与えて貰わなければならない。エサを待つ雛みたいにしてるうちは、愛なんて与えてもらえないし、そもそも愛なんて虚構。
大恋愛をして結婚しても離婚するときは離婚するし、好きでもない相手と結婚しても一生添い遂げること大半。愛は動機じゃなくて、与えるものであり、行動の過程を未来から過去に振り返って名づけるもの。行動しているときに愛はない。
なので、他人に優しくすることに理由なんかいらないのと同じように、デートに誘うことに恋愛感情なんかいらない。匂いに誘われてラーメン屋に入るように、一緒にいたかったらデートに誘う。そのくらい気楽に行動するといいと思う。そういう雰囲気になればSEXすることもある。
話は逸れるが、他人に優しくすることに理由は要らないと言ったものの、いい人戦略はやめなさい。いつか自分の良さがわかってもらえる的な話はドラマのなかだけだから。人として、親切であれというだけの話。いいなと思ったらデートに誘うこと。
そういうわけで、ソープに行け。
高齢童貞には、なんでもいいから経験しろと書いたものの、高齢処女は適当に捨てるのはやめたほうがいいと思う。
こんなことをいうと叩かれるけど、最初に関係を結ぶまでは女性からぐいぐい来ることはないけど、2度目からは女性のほうが積極的だ。女性は好きな相手とSEXするのではなく、SEXした相手を好きになる仕組みがあるらしい。処女だってセカンドバージンだってあっという間にSEXの虜になった。恋愛経験がないままのめり込むと、ろくでもない男に惚れ込む可能性がある。
どうしても、付き合った先のSEXに拘るなら、マッチングアプリとかでもいいんじゃないかな。
彼女は俺を好いてくれたのか?俺の収入をみて結婚相手として狙われただけなのか?みたいなことを悩んで二の足を踏むのだろうけど、自意識の問題でしかないよ。
既婚女性と一回、同性と一回、付き合った経験がある。いうまでもなく、結婚の可能性はゼロで、その2回は最初からバッドエンドしかないことがわかりきってた。
もしも、「俺の収入や社会的な地位や学歴じゃなく、ありのままの俺自身を愛してほしい」と願うなら、既婚女性や同性と付き合うといい。苦しいだけだよ。
義理親による性虐待なんていうグチャグチャした案件は世間一般のルールに照らして機械的に処断してもらえばいのである。
しかしその件について自分だけのオリジナルな解釈を求める必要などない。そんなものは丸ごと全く無用の重荷だからだ。
そこに「世間のルールなんて関係ないんですよ〜あなただけの答えがあるはずですよ〜」と、ウルトラ低レベルな価値相対主義の一つ覚えで猫なで声ですり寄ってくる愚鈍そのものの面をした悪魔が。
あなたとおとうさんはちはつながってないのですよね?だってよ。ケツ毛まで鳥肌立つわ。
河合隼雄の劣化コピーをなんだかわからなくなるまで繰り返したらこんなん生えてくるのかな。
ちょっと新しいキャラ造形かもしれん。「ドジな死神」みたいなのはよくあるけどさ。「ものすごい愚鈍な悪魔」ってさ。
ーーーーーーーー
とっとと消してる。とっとと消させるつもりで圧かけたのだが。
いわく、世界には7歳で結婚する文化圏もあります。あなたも早く経験したことで自分を責めないでいいですよ、あなたの場合は義理のお父さんだから近親相姦でもないし、別に恨んでないんですよね、人を恨むのは辛いですものね云々。
「自分の言葉で心理的負担を取り除いてあげる」という行為に酔って、ひたすら被害そのものを無化しようとしている。でもそれは無になったりはしないのだ。背景状況も加害責任も消され「結局は全て自分のせい」ということになるだけ。
世間の側、大人の側が「それは被害だ、気の毒に」「おやじはチャイルド・マレスターだ、許せん」と決めつけてやった上ではじめて当人が自分だけの解釈をウダウダ考えうる余裕が生まれるのだ。
舌先三寸で人の心を救えると勘違いしたアホが何をもたらすか端的に可視化された。
全てを当人の心の問題として説明してしまい社会的な問題解決のアプローチを遮断してしまう「悪しき心理化」「こころの専門家」の問題は、それでも当事者に「同病」の人がどこかにいるよと示唆するよすがをのこしていた。
しかしそのような(多分に疑似科学的であるにせよ)理論付けすらない、その場限りの瞬発力だけの、心屋仁之助的な「救いの言葉」は当事者をなにもない誰もいない暗黒に連れ込んで永遠に放ったらかしにするのだ。
大元の話
反戦平和のためなら、どうして罪なき人が犠牲になっても構わないというのか。
選挙の勝利のためなら、どうして民主主義を損なうような選挙妨害しても構わないのか。
困っている人が眼の前にいても、お互いに助け合うのではなく、政府が助けてあげるべきと彼らは感じている。
不法移民が近隣に住み着くのは拒否するが、政府がどこか別の場所で衣食住を保証してあげるべきと、彼らは考える。
大きな政府があるべきで、その大きな政府が情報も経済も統制することが正しいと、彼らは感じている。
それは「感じている」のであって、「信じている」でも「考えている」でもない。
「ライオンがいて怖い」という人がいれば、眼の前のライオンを取り除いてあげれば「安全」を認識してくれる。しかし「幽霊がいそうで怖い」という人には、いくら説得しても「不安」は取り除かれない。なにせ「感じている」のだから、もはや本人の心の問題である。
彼らの多くは「この世界には巨悪がある」と感じている。それは得てして生活圏に見出される。この国の為政者であったり、政権党派であったり、国家権力であったりする。不思議と海の向こうの独裁者ではないのである。それはおそらく「感覚」によるものなので、自分の生活圏内でしか感じ得られないのだろうと予想される。
それらの理念は国家という枠組みを超越した究極理念であると、彼れは感じている。
国家や法律がもたらす秩序や安定というベースの上に成り立つとは感じていない。国家や法律が崩壊したとしても、みんながそこを目指して然るべき理念であると感じているのである。
彼らは、巨悪組織が定めた現行の法律を外れたとしても、究極理念を目指そうとするのである。
彼らにとっては、現政権は理念を蔑ろにする間違った現状であって、新たな正しい政府を作って、その大きな政府のもとで究極理念の実現をはかろうとするのである。
水上と千賀はこんな会話を繰り返した。
「え? だって、遠投してんじゃん」
「いや、ピッチングと遠投は違うんで」
「しっかり腕を振れるってことじゃないの?」
「いや、マウンドに上がると……」
「もういいよ、投げなくて。たくさんピッチャーいるからさ。東浜でも岩嵜でも」
咎められた千賀が涙をこぼす日もあった。
厳しい言葉で自覚が芽生えたのか、2015年の千賀はウエスタン・リーグで16試合に登板して9勝2敗、防御率2.00の好成績を挙げた。
翌年から一軍のローテーションに定着し、7年連続2桁勝利を挙げ、メジャーリーグに挑戦した。
「実は、女は台所で美味いものを食べて楽しくやってるんですよ」という話で噴き上がったさす九。
じゃあ、実際はどうだったのか。1人の九州出身者(身体女)の体験談を、列挙していく。
もちろんこれは、単なる個人の体験談であり、また実際に以下の事象が起こったという裏付けや証拠を出せ!と言われても無理である。増田だから匿名だし。
ただまぁ、こういうことを経験したと主張する人間が、少なくとも1人存在する。
すごく賢い男の子がいた。
私と彼は、競い合っていたわけではないけれど、だいたいテストでいい点を取るのはこの2人だよね、的な空気がクラスにはあった。
ある時、別の賢い男の子が転校してきた。
あまり点数を気にしていなかった私も、2人の姿に競争心が刺激されて、点数を稼ぐための勉強をした。
ある時、私が満点で、男の子2人は満点を取れなかったテストがあった。
男の子たちは、私に凄いと褒めてくれた後、とても悔しそうに呟いた。
「まさか、女に負けるなんて」
私はずっと、父親から「お前が生まれたと聞いた時、駆けつけて『女の子ですよ!』と言われてガクーッと来たんだよなぁ」というのを、ジェスチャー付きで言われつづけてきた。
そして、祖母は「どうして男を産まなかったのか」ということで、ことあるごとに母をネチネチ虐めていた。
そして、従兄弟が産まれたら大騒ぎし、初めての男の子!と色んなプレゼントをし、男の子だから!とお金を渡し、やたらに可愛がっていた。
従兄弟はクズだったしバカだったが、それでも従兄弟の方が可愛がられた。
これで無関心になってくれれば良かったのだが、孫の中で唯一私だけが、ある程度進学校として名の通っている中学校に進んだので、祖母の自慢要員(アクセサリー)兼おさんどん係として、今後も振り回されることになる。ちなみにアクセサリーとして祖母に随伴してもお小遣いはもらえない。旨みなどまったくない。
私は、嫌になるほど祖母に似ていた。
外で歩くと、「あら〜増田さん(仮)ちの子でしょ!」と顔を見て言われるほどで、本当に嫌だった。
そして、祖母はおじ(父の兄弟)と似ており、私はおじの子だと間違われることがかなりあった。
私はおじも嫌いだったので、母に「また外で似ていると言われた。そんなに似ているか?」と愚痴った。
「そうねぇ、アンタは産まれた時からおじさんに似てるって言われてたわぁ。○○おばさん(祖母の姉妹)なんて、『本当に似てるわねぇ。何でそんなに似てるんだろうねぇ』って言ってきたのよ」
「えっ?それって」
「明らかに、おじさんと不倫したんでしょ、ってニュアンスだったわ」
ギョッとした。それからしばらく、なにも言えなかった。
田舎の小学校あるあるかもしれないが、会話していても本気で話が通じなくて苦痛だった(A=BでB=CならA=Cだろう、という会話で何でなんでそんなのお前の感想じゃんじゃあA=Dじゃん!みたいなことを喚かれる)。
だから脱出先を探し、幸運にも「親の出した条件」をクリアする学校が見つかったのでそこを受験した。
というわけで、若干遠い学校に通うことになった。
一時期、寮に入っていた。
その時、管理人(男/中高年/既婚者)が、授業中に無断で女子生徒の部屋に入っていたことが判明し、問い詰めたことがあった。
「下着も干している、プライベートな場所だ。なぜ留守中に入る必要がある、今すぐやめてくれ」
私の主張は鼻で笑われた。
「お前達は子供だ、親は部屋に入るだろう。俺は親代わりなんだから部屋に入って当然だ」
私は食い下がった。
「お前は親ではない。というか親だったとしても、親はわたしのプライバシーを尊重してくれる。留守中に、下着を干している部屋に無断で入ったりしない」
男は心底驚いた顔をした。
「それは、お前の親が、家庭がおかしいんだ。お前の親、おかしいよ」
周りには、部屋に入られた他の寮生もいた。
どうして下着を見られたくない、それだけのことなのに親まで詰られなければならないのか。
翌年から私は寮を出た。
私も、周りの子も、親や教師に相談をしたと思うのだが、奴が問題になって出ていく、みたいなことはなかった。
お前達は子供だからお前らの下着を見ても別に興奮しない、みたいなことずっと言ってたけど、疚しかったんだろうなぁ。キッッッショ(感想
あとは、その辺で陰茎出してるお兄さんとか本屋で尻触ってくる痴漢とかいた。あと、ちょっと気持ち悪すぎてここでは書けない(性被害の度合いとして酷いことをされたというより、なんかもうキショすぎて口に出すのを憚られる。周りからすると笑えることだと思うけど、今でもキッショいなぁ〜恥ずかしいなぁ〜口にできねぇ〜!って思っちゃう)ことがたくさんあった。この辺りは九州特有の、というわけではない気がするので今回は割愛する。
一般の、日本に生きる女子中高生としてよくある性被害を受けていた(これも大概どうかとは思うが)。
このあたりで、うっすらと「フェミニズム」が九州でも認知されてきたように思う。しかしそれは、九州的な「女がすべきこと(雑用)」を完璧にこなして男様を気持ちよくさせた上で男様の2倍の実力を発揮できるようでなければ、自分の権利を主張するな、という空気しかなかった。
今も変わらない?そうかな……そうかも……
部活は男女に分かれている一方で、用具の準備やらなんやらの雑用はかなり女子が多くやっていた。
理由は「女の方が弱いのに、同じ体育館を使わせてもらってるんだからその分部活に奉仕しろ」とのこと。
もちろんマネージャーもいて、お茶の用意などは基本的に彼女らが全部やってくれた。だがマネージャーであると同時に友達でもあるので、やっぱり時間があれば手伝うことも多かった。
「お前らは知らないだろうが、マネージャーはずっと俺たちにお茶を作ってくれたりと雑用をして支えてくれたんだ。お礼を言おう」
しらねーーーーーのはお前だけだがーー!!?!!?!?!(流石にキレる)
感謝の気持ちがあるなら毎回手伝えばよかったじゃん!?!?!?!?!?!?手伝ってたのは女子部員だけだし、女子部員は全員毎回誰かしら手伝ってたんだよ!!!!それも見てなかったの!?!?!?!?!?
最後に感謝して俺いいこと言ってる✨顔してんの、何なんだよ!?!?!?!
人が亡くなると、49日までお経あげたりと度々集まるような宗派だったので、私は毎回その集まりに駆り出され、おさんどんをさせられていた。
食事は、「気が詰まるだろうから」という「お気遣い」をいただき、台所で食べた。
「そんな扱いされると分かってるなら行くなよ!」とか「拒否れば?」って思う人も多いかもしれないが、こちとら物心ついたときから盆や正月、親戚が集まれば配膳や酒を注ぐやら灰皿変えるやらさせられていた九州の女である。手伝いに行くことに、疑問すら持たなかった。
お経を上げ、お墓参りに行く時、女衆は座敷のセッティングをして墓参り組を待つのだ。
ただ、みんな車に乗っているので、お酒の準備はないし、料理も既に用意していたりお弁当を並べるだけだったりして、正直女でも2人いればどうにかなる。というか、机動かすのとか男がやれよなって今なら思えるが、当時はそんなことも思い浮かばなかった。
最後の集まりの時、おじから「今までお墓参り行ったことなかったよな。今日は行くか?」と聞かれ、私はもちろんと頷いた。
ここまで、孫なのに墓に参ることもなく、おさんどんだけさせられて帰らされていたというのは(そして男の孫はそんな目には遭っていない)かなりグロい状況なのだが、そんなことには気づいていなかった。そして、初めてお墓見るなぁと、少しワクワクしていた。
お坊さんがお経を上げ終わり、じゃあみんなでお墓参り行こうかという準備をしていた。私は、ギリギリまでおさんどんして、残る人たちの負担が少しでも減るようにしていた。
「やっぱり、お墓参りはちょっと……今回は、家で待っててもらえる?」
と言いにくそうに言われた。
「今回は」も何も、一度もいけたことはなく、ずっと家で待っていたが?????おん?????????
と思ったが、絶対絶対お墓に行きたーい!みたいな情熱は無かったので、まぁそう言われるなら……と私は了承し、家で待った。
そういえば、私以外の女の孫は、みんな来てないなぁなんて思いながら、墓参りに参加するために急いで用意してしまいやることがなくなった台所で、ぼんやりと親戚一同が帰ってくるのを待ったのだった。
そんな中でも、鹿児島の人たちの話は強烈だった。特に、女性から聞く話はもう、上記のような経験をしている私からしても「おかしいよ!!」と絶叫するような話ばかりだった。
そのうちの一つが、以下に書くような話だ。
というか、胸の大小について、男性から公的な場所で、大っぴらに色々と揶揄われる。触られる。性的な言葉をかけられる。」
これまで私が受けてきたセクハラは、「性的な意図はないから!」みたいな隠れ蓑が必ずあった。建前というか、私は悪いことしてませんよ、と言うために本音を隠す「何か」があった。
でも、鹿児島にはそれがない。女にセクハラしようが何しようが、性的な意図で触ることが「悪」ではない。少なくとも、その場で眉をひそめられたり、他人から咎められることではないのだ。
私は中高生時代に、胸が小さいことをさんざん同級生に揶揄われたので、スタイルが良くて良いねと心の底から羨ましがったら、「胸が大きくていいことなんかない」と言われ、上記のことを教えられた。その後、鹿児島ってそうなの?と別の子に聞いたら、そうだよーあるあるーみたく言われ、本当にヤバい場所だなと認識した。
だから余計に、「鹿児島は本当にやばい、いわゆる男尊女卑とはああいうのを言うんだなぁ。私は普通でよかったなぁ」となった。
大学院に進んだ。
そこそこ名の知れた学校で、進むにあたりかなり頑張ったので、私はかなり鼻高々だった。調子に乗っていた。
父方・母方の祖母2人に、進学を報告した。
一方はかなりボケていたが、どちらも全く同じ事を言った。
「女がそげん勉強して、どがんすっ」
翻訳すると、「女がそんなに勉強して、どうする」という意味である。
小さく、私にしか聞こえないように、告げられた。
戦争で進学を諦めた、母方の祖母なら理解してくれると思ったけれど、この地はそんな祖母の気持ちすら奪った。恨むべきはこの地なのに、私は祖母が受け入れてくれなかったことを、裏切られたように感じてしまった。
大学院に進んだ後、同じ研究室の人と軽いパーティをしようという話になった。
買い出しで、私は当然、重たい水の入った袋を持った。だって運動部で、鍛えていて、そのくらい持つ力があったし、「男と同じように扱われたいなら少しでも男に甘えてはいけない、それはダブルスタンダードだ」という考えが、日常から、言葉でも言葉になっていなくても、骨の髄まで染み込んでいたからだ。
男性陣はそれに驚いて、「いいよ!増田ちゃんは軽いやつ持ってよ」と言ってきたが、ああそういう『ポーズ』ね、と思い「大丈夫だよ〜わたし力つよいし」とそのまま行こうとすると、
と言われた。
雷に打たれたような気持ちだった。
こいつは何を企んでいる?と思った。
どう対応すればいいのかわからなかった。初めての経験だったから。
頭が真っ白になっている間に、男性陣が荷物を持っていってしまった。
女の子だから、という理由で作業を免除されたのって、もしかしてこれが初めてじゃないか?書いていて思った。
さす九の何が嫌かって、「女は3歩後ろをついてこい」「外では俺を立てろ」と要求してくるのに、女を全然守ろうとはしないことなんですよね。女に守ってもらい、女にお世話してもらい、女に気持ちよくしてもらい、というおんぶに抱っこ。少しでも自立しようとすれば「だったらこれもやれ」「俺の世話も手を抜くな」「そこまでやって初めてお前は権利を主張できるんだ」と。
もちろんそうじゃない男性もいるとは思うんですけど、私が20ウン年あの地で生きてきて、荷物持ってもらえただけで衝撃を受けたってのは、やっぱりあの地に残る空気感、仕草、そういったものが日本の他の地とは違っているからだと思います。
普通に訪れたり、一人暮らしするだけではわからない、実際にあの共同体に組み込まれて、初めてわかるものがある。
中学生くらいの時から、欧米の女性は自分で何かをやり、自分で自立することをフェミニズムという!お前らは権利を訴えるだけ!見習え!みたいなことを言われたりもして、そうかぁ!そうだよなぁ!!ってしゃかりきになって勉強して自立しましたが、最近になって「欧米の女性はそもそも『お人形さん』『アクセサリー』のように大事に扱われるのがデフォだから、そこからの脱却を目指していたんだよ」と聞いてズコーーーっ!!!とずっこけました。
前提が違うじゃん!お前は割烹着きて家事育児して俺のご飯の準備とセックスの相手をして少ない給料でやりくりしてから好きなこと言え!働きたいなら最低限そのくらいしないと自立した女じゃない!みたいなのが日本の反フェミっていうかフェミが台頭したいならちゃんとしろよ論者が言ってきたことじゃん!?少なくとも10〜20年前の九州ではそう言われていた。
生きづらくて逃げに逃げて、逃げた先から昔いた場所を俯瞰して「やっぱあそこおかしかったんじゃ〜〜ん!?そこから脱出できた私えら〜い!!」って、今は自分を褒め称えようと思います。いやマジで頑張った、ありがとう、本当に今とても楽です。
上の話を読んでなんとなく察した人もいるかもしれませんが、私は小中学生時代、男の子になりたかった。
だって男の子だったら本を読んでいても、勉強していても、不細工でも、問題ない。何も言われない。変だとか、生意気だとか、言われなかった。
「男の子がよかったのになぁ」と言われることもなかった。
セクハラされることも、顔や体つきについてとやかく言われることもなかった。
一度、男の子みたいな格好をしてみた。別にそれで何か嬉しかったりとかはしなかった。
ただ、私が男の子だったら、こんな面倒なこと、摩擦が起きなかったのに、という、消極的な気持ちで、男の子になりたかった。
あの時、「あなたは本当は男の子なのよ」って言われたら、泣いて喜んでいたと思う。
私は男の子なの、男の子として扱って!となり、治療も受けていたと思う。
けれど、男になった私を、親族は誰も受け入れたりはしなかっただろう。跡取り(そもそもそんな立派な家ではないが)として扱われたりなんかはせず、ずっと後ろ指を刺されていただろう。
今、私は、身体違和を感じていない。
生まれながらの心の問題とは別に、社会構造として、男に憧れてしまう(少し意地悪な言い方だが)状況がまだまだある以上、そして誰も責任を取らない、取れない治療法である以上、成人前の子供に性適合治療をすることは、厳に慎むべきだろう。
どっちの性別にも言えることだけど、風俗に狂ってて毎日のように性行為をしてても
本当に求めているのは嬢とのお喋りとか性的ではない触れ合いだったりする場合も多いんじゃないかなと思う
性行為の快楽という隠れ蓑によって自分の心の問題に気付かないふりをしている。
これは性欲だから、人が恋しくて寂しいのは性行為がしたいからだって自分を騙しちゃう
だから男性は女性と比べてあまり精神科を受診したがらないのかもね
これはマジ偏見だけど男性って明らかに入院した方がいいだろみたいな症状があっても頑なに拒んだりするよね
診断されたら健康で正常だった自分の世界が変わっちゃう、取り返しがつかないみたいに思うらしいんだよね(症状があるんだから手遅れも何もって感じなんですけど)