はてなキーワード: マナーとは
思ったことをすぐ言うし言いたいことをまくし立てるが裏表はなく、でも人への配慮ができずデリカシーもなく、自分勝手で自己中にも見えるAさん
誰に対しても愛想がよく配慮ができ、マナーもデリカシーもあるが陰では人の噂ばかり話していて、裏で手を回したり素知らぬ顔で探りを入れてきたりもするBさん
Aさんは疲れるが、Bさんもまた別の意味で疲れるんだよなあ
個人的には、シンプルに性格の悪さに直結するのは自尊心の脆弱さと攻撃性が結び付いてる場合だと思う
プライドばっか高いのに劣等感を刺激されるのに異常に弱く、人に当たったり人の足を引っ張ることで自分のプライドを回復させようとするタイプは男女年齢問わず辟易する
人見知りだけど親しくなると打ち解けてくるとかじゃなくて(それは普通)、自分より序列が低かったり立場が弱かったりする相手には偉そうなのに権威には弱いみたいなやつね
表面的に秩序正しく、礼儀正しく自制する日本社会の背後には、誰もが無言で我慢している集団状態が隠されている。多くのストレスは言われず、文句を言われず、誰もが心にそっと蓄積され、現代日本の最もリアルな日常となっている。
サービス残業、長時間通勤、ディルド、業績至上の雰囲気は依然として普遍的だ。疲れていても、直接断る人は少なく、我慢が「職場の美徳」になる。
1.2人間関係の忍耐と自制
日本の職場は協調と雰囲気を重視し、不満は率直に言えず、不満は表に出せない。
二、生活の中にどこにもいない隠れた束縛
電車のマナー、公共道徳、話し方……日本の社会のルールは細かい。人々は常に自粛し、間違いを犯すことができず、長期的に緊張状態にある。
養老、医療、年金、ラブグッズ、子育てのコストは増え続けている。未来は不透明だが、黙って引き受けるしかなく、公開されることは少ない。
悩みも苦しみも不満も自分で消化することに慣れ、ストレスが溜まっていく。
3.2沈黙忍耐は強さとみなされる
表現の弱さは成熟していないと見なされやすいため、沈黙を選ぶ人が増えている。穏やかに見える日常は、実は無数の忍耐が積み重なってできている。
おわりに
日本社会の安定と礼儀は、ストレスがないのではなく、すべての人が静かに我慢している。職場、生活、心理の三重のストレスが絡み合い、独特の社会感情が形成されている。この沈黙の忍耐を読んでこそ、現代日本の本当の姿を理解することができる。
いや、それ「男はクソ、女はまとも」って結論ありきで観測してるだけじゃないですかね。
駅員やってたら酔っ払い・暴れる客・変な客を見る機会が多いのは当然なんですけど、それって「問題を起こした人だけを何千件も見る職業」だから偏るんですよ。救急医が「人間はみんな病気」って言い出すようなものです。
あと、「女は基本まとも」って言う割に、痴漢冤罪とか駅員へのヒステリックなクレームとか、SNSで店員晒し上げる人とかは都合よく視界から消えてるの面白いですよね。結局、自分が嫌悪感を持った対象だけ記憶に残ってるだけでは。
それと、「男は群れるとロクなことしない」とか「高齢男性は理解しない」とか、属性で雑に括ってる時点で、あなたが嫌ってる“乱暴なおっさん”とやってることそんな変わらないんですよ。
というか、文中でも「若者は怒れば反省する」「暴言も復唱すると黙る」って書いてるじゃないですか。つまり多くは“制御不能な怪物”じゃなく、単にストレス管理が下手な人間なんですよね。
あと地味に怖いのが、「女に絡む男は性欲が原動力」と断定してるところで、他人の内面をエスパーみたいに決めつけ始めると、もう分析じゃなくて憎悪なんですよ。
たぶん駅で嫌な目に遭いすぎて「問題客のテンプレ」が脳内で“男”に統合されちゃったんでしょうけど、現実には毎日何百万人もの男性客が何事もなく電車使ってるわけで、静かにマナー守ってる人は印象に残らないだけです。
結局、「迷惑客は目立つ」「駅員は迷惑客ばかり対応する」「だから人類が終わって見える」ってだけの話を、“男という性別の本質”に拡大解釈してるように見えますけどね。
正確に言うと男なのに男が嫌いになった。
インターネットではいかに女が邪悪で愚かな生き物かについて日々呪詛が垂れ流されているが、現実的な話として、女は基本まとも。男はクソ。
入職したばかりの頃は車内にしばしば撒き散らされている小便の正体が分からなかった。赤ちゃんが漏らしているのかと思っていた。
先輩から、あれは酔っ払ったおっさんや、薬物や精神病で頭おかしくなったおっさん、そういう性癖のおっさんの落とし物だと聞かされて戦慄した。
おそらく定年退職して暇を持て余しているのであろう高齢男性に絡まれ、駅係員の愛想の悪さ、無礼な態度についての説教から始まり、妻や子供に関する愚痴、若者の質の低下、高齢者に対する社会全体の敬意の喪失などの話題に発展し、最終的には社会保障、自民党、アメリカ大統領などの話に辿り着くことはよくある話。
むしろ混乱と混雑の解消のために駆り出されたはずの人員がお前の対応に割かれるから事態は余計に悪化する。
帰宅ラッシュの時間帯になると必ず車内のフリースペース(車椅子やベビーカーを優先するエリア)でおっさん同士の喧嘩が勃発する。
喧嘩のきっかけは、睨まれた、肩が触れた、鞄が当たった、口が臭い、独り言がうるさい、場所を取るな、イヤホンの音漏れをやめろ、等。
最初に喧嘩を吹っ掛ける方は単に苛立ちを発散する口実を探しているだけなので口調も荒くて喧嘩腰だし、吹っ掛けられる方もただでさえ喧嘩腰な人間に対してプライドの高い中高年男性が素直に聞き入れるわけがないので順当に喧嘩に発展する。
駅係員が介入することになるのは殴る蹴るなどの身体的な暴力に発展し、尚且つ周囲の乗客が通報した場合のみ。それですら1日2回ぐらいのペースで発生するので、口喧嘩の範疇に収まったケースや周囲が見て見ぬ振りをしたケースを考えると暗数は相当多いと思う。
酒が入っている時はタクシーで帰るというのを徹底するだけでもかなり喧嘩は減ると思う。
男同士で喧嘩するのはまだマシ。力が均衡しているからどちらかが一方的に被害者になりにくい。
絡む理由は、足を組むな、スマホを弄るな、声がうるさい、スカートが短い、腹が邪魔(妊婦に対して)等。
大したマナー違反でもない。そして周りの他の男が平気で行っている、これより酷いマナー違反は無視。要するにマナーを大義名分に女を叱って愉悦に浸りたいだけ。
勝手に懲罰感情が芽生え、太ももに触る、殴る、容姿を罵るなどの犯罪行為に走ることもある。
性欲が原動力なのに本人の中では正義感ゆえの行動に完全にすり替わっているので、正義の執行を邪魔されたことに対する怒りで駅係員に食って掛かってくる。そして暴言暴力に発展して警察を呼ぶことになる。
妊婦に対して「堕ろしてこい!」と言い出した時は流石にこっちも冷静になれなかった。
乗客同士のトラブルで警察沙汰に発展した際におっさんが言いがちな台詞
「その間の時給は払う!?時給換算したら俺の時間いくらだと思う!?」
じゃあ若い男はまともなのかというとそんなことはない。
中学生〜新卒ぐらいの男が3人以上で群れるとロクなことがない。
大声で騒ぐ。駅構内の器物を破壊する。気が大きくなって車内で女性に絡み始める。他の乗客が咎めると「なにマジになってるんすか?w陰キャ?w」
でも1人だとマシということはなく、優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。
ただ、こいつらは甘やかされて育って調子に乗っているだけのガキなので、制服を着ている我々が少し強く怒るだけて往々にして萎縮して反省する。泣きながら謝る奴もいる。そこはまだおっさんよりはマシ。
今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。
人手不足と機械化の時代、最低限の人員で社会を回すため、あらゆる施設・あらゆるサービスが、セルフレジやQRオーダーシステムの導入などに踏み切っている。
駅も例外ではなく、窓口を減らし、無人改札を増やし、ネットで新幹線を予約させ、時代についていけない人間を振り払っていく方向に進化している。
高齢女性は割とすぐに適応できるが高齢男性は何度も尋ねてくる。自分で調べない。そして一向に理解しない。中には新たなシステムの導入自体に怒りを燃やす奴もいる。早く淘汰されてほしい。
暴言を吐いてきた奴に、駅係員としての節度と礼節を弁えた上で場を掻き回すことなく相手を制圧できる魔法の言葉がある。
それは「今、⚪︎⚪︎と仰いましたか?」と復唱すること。
例えば「ぶっ殺すぞ!」と言われたら「今、ぶっ殺すぞと仰いましたか?」
大抵黙り込むかトーンダウンする。
彼らは行き場のないストレスの捌け口として駅係員に暴言を吐いているという自覚自体はあるので、それを突き付けると大人しくなる。
大きめの声で復唱するとなお効果がある。周りの目を気にして縮こまる。
少し前に「松葉杖で生活している20代女性です。新宿駅で検証しました。ぶつかりおじさん問題はぶつかる女性が悪いです」という記事が話題になっていたが、身体障害者の20代女がじっくりと周りを観察できるほど新宿駅は女にとって安全な空間ではないのであれは嘘。
というか新宿駅で若い女がぼんやりしてると即座に声を掛けられるから物理的に観察は不可能。
路上で女に声をかけて性風俗を斡旋する、いわゆるスカウトや、ネット上で弱者男性を騙してnoteを売り捌いている自称ナンパ師の虚言を真に受けてナンパに勤しんでいる弱者男性が駅構内を徘徊して女性に声を掛けて迷惑をかけている。
どうも「身体に触れない限りはセクハラではない」という認識が奴らにはある
クレームが相次いだため現在はアナウンスでスカウトとナンパをほぼ名指しで警告している。アナウンスを流すようになってから声かけによるクレームは減った。それでも撲滅できてはいない。
いわゆるぶつかりおじさん問題だが、Xやニュースで周知されるようになってから正当なぶつかりおじさんは減った。
最近増えているのは肘を大きく広げてすれ違う際に女性の胸を肘で殴る、背後から女性の靴や脛を蹴るなどのパターン。
わざとかな?と思ったら遠慮なく周りに助けを求めて駅係員のところに連れてきてほしい。軽い説教しかできないが、何度も説教されれば大人しくなる。
電車を利用する全ての男に言いたい。
他人に絡むな、周りに気を遣え、周りと同じように振る舞え、ストレスを他人で発散するな、身体を小さくしろ、嘘をつくな、風呂に入れ、ゴミはゴミ箱に捨てろ、唾を吐くな、排泄はトイレでやれ
当たり前のことを当たり前にしろ。
男子トイレの環境に対する男性たちの本音は、「プライバシーの欠如に対する強い抵抗感」と「効率性のためのやむを得ない妥協」の間で揺れ動く非常に複雑なものです。主な意見を分類すると以下の通りになります。
多くの男性が、現在の小便器の環境を「プライバシーがない」と感じており、内心では苦痛や抵抗感を抱いています。
「嫌だ」と言いにくい社会的な空気や、男性同士の牽制が現状維持に繋がっている側面があります。
一方で、小便器というシステムが持つ「回転率の速さ」というメリットを認め、現状を肯定、あるいは妥協している層も一定数存在します。
設計の古さや、利用者のマナーに起因する不快感も多く挙げられています。
総じて、男性たちは「嫌だが、効率のために我慢している」という状態にあり、もし利便性が損なわれないのであれば、よりプライバシーが守られた環境(仕切りの強化や個室化)を望んでいるのが本音と言えます。
電車の中で名門私立小の制服を来た子どもが、まあガキらしいうるささで話していた。自分には最初は話し声だけ聞こえていたんだが、ふと気づくと向かいの座席に座っている百貨店帰りの奥様が眉をひそめて子どもの方をじろじろ見ている。
(確かに騒がしいけど、大声出したり走ったり度を越してるわけではないし、大人が静かに過ごしたいという理由で子どもにあまりマナーを押し付けるのも不当な権力の行使じゃねえのかなあ)
などと思いながらその視線を追うと、その名門私立小集団は車いすの優先スペースに溜まってバーによりかかり、そのせいで優先スペースに入れない車いすの乗客と介助者が、混み合うドア付近に心もとなさそうに乗っているのだった。
この場合、すぐに立ち上がって「君たち、ここは車いすの優先スペースだよ」と諭すべきだったんだろうが、おろおろしている間に次がもう降りる駅だった。
車いすの乗客も一緒に降りてしまったので、なんとなく「すみませんでした(注意もできなくて)」と謝りたい気分になりながら、それもどうなのかと思うと何も言えず、後味の悪さとともに改札を出た。
名門私立小に通う、東京生まれ東京育ちの経済力があり知的水準の高い親を持つ健常な子どもが、ご年配の母親と見える人に車いすを押されながら移動している、身体障害のある人がいるべきスペースを陣取り、ポケモンだかゲームだかの話をしてギャハハハと笑っているのである⋯⋯⋯。
こう言うと差別的だが近所の公立小に通ってるお子さんどもとまったく変わらないどころか、近所のガキどもの方がこまっしゃくれてなくて可愛らしいまである。
やっぱ男オタク(というか当時の2ちゃん民?)による腐女子叩きが凄まじかったのはよく覚えてる。百合とか男性向けエロ二次に隠す文化がないのに、腐だけはめちゃくちゃ頑丈に隠すマナーが生まれ、やたら厳しいローカルルールを課す文化があったのは、あのせいだと思う。
「腐女子はキモいからどれだけ叩いても良い」って理屈で、隠れても匿名掲示板で晒されて祭り扱いでサイト閉鎖するまで荒らされてた。
SNSが普及して性的な萌え絵が批判されるようになってからようやく「キモいから」で叩くとブーメランになることを学んだのか、腐女子叩きも下火になった。
マナー云々については一旦置いておいて、買う・買わないの間に、並んでまで買いたくないと上映時間に間に合わないかもしれないから買えないが相当数あると思っている。
程々の人出と程々の飲食利用者までなら良いのだが、ヒット作品や濃いファンのいるコラボセットとかがあると一気に受け取り時間が読めなくなる。しかもそれは自分の観たい映画と同じであるとは限らない。
利用者側としてはネットチケット購入時に一緒にフード・ドリンクも注文出来て入場開始時間以降に訪れればノータイムで受け取れるような仕組みや現地注文時なら想定待ち時間が分かるような仕組みが欲しい。
映画館側も映画鑑賞だけなら収益云々言うまえに、もっと買わせる努力をして欲しい。
なお、ぼんやりとしたTwitterにいるタイプの女オタクに向けた文章なので主語がデカいです。申し訳ない。
ぬい活を断った飲食店をめぐって、ぬい活に対してのヘイトが高まっている。正直、ぬいぐるみをずらずらと狭い店内で所狭しと並べて行っているのであれば、店舗側から苦言を呈されてもおかしくない。また、ぬいぐるみを汚損した等余計なトラブルを避けるために断るのも納得がいく。
一方でこれに端を発して、ぬい活をしている人に対して「キモイ」「頭がおかしい」などと心無い一言を浴びせる人が増えている。マナーを守っている人間に対して、やっかみをかけるのはいただけない。
ただ、一点気になったのは「ぬい活は何も悪いことをしていない」と、自分たちの「道徳性」を訴える反応が多かったということだ。
「キモイって言わないで」「ぬい活に文句を言う人のほうが意地悪!」
気持ちはわかる(かくいうわたしもぬい活をするオタクの一人である)ものの、一般人から見れば「変」な人ではあるだろう と思うからである。
それはかつて、アニメTシャツを着ていたオタクが見られていたまなざしと同じだ。プリキュアの映画を見ている大きなお友達と同じだ。
その「変さ」「キモさ」を自覚して生きる昔からのオタクの精神性を、受け継いでいるのかと思っていたが「自分たち気持ち悪いものとして扱うな!」と怒っているのだ。
この件でも思ったのだが、「正しい側」のポジションに自分がいることに固執するオタクが女オタクには非常に多いように感じる。
春泥先生の謝罪文についてもそうである。海外のオタクに指摘されたことは、「未成年に対するグルーミング描写」なのにもかかわらず、
「女性キャラの性的表現をしないこと」について釈明を行った。指摘されていることと、謝罪内容がかみ合っておらず「一見正しそうな位置」に立とうと頑張る仕草にしか見えない。
そもそも、BLは実在しない男性を多かれ少なかれ性的に見て楽しむコンテンツだ。また、性的マイノリティの人に向けた偏見も大いに含まれている。その「加害性」の一面を持っているのにも関わらず、一見「正しく」見える謝罪をすることは、はっきり言って浅はかとしか言い表せない。
また、「チェンソーマンのデンジくんの性欲は正しい性欲だからメロい」についてもそうだ。本編を見れば明らかだが、デンジ君は普通に胸を揉むし、性欲のために裏切るし、「正しい」男ではない。
別にデンジくんが正しくなくてもかわいいじゃん。かわいそうでかわいいじゃん。なんでそれを直接じゃなくて「女性にリスペクトがあって~正しい描写で~」という必要があるんだろうか。正しくなくても、正しいことをアピールしなくても好きでいいじゃないか。
同じように私が好きな男性向けコンテンツを腐す発言をする女オタクはかなり多かった。「こんな服着る女はいない」「童顔なのが気持ち悪い」「こんなの好きなの男だけ」などと言われた。ハッシュタグまで作って、自分の好きなものを否定された。「正しさ」を盾に他人の「好き」を攻撃する仕草をする人が多いのである。
自分の脳の中やフィクションの、実在する人間に影響しない「正しくなさ」を愛そうよ。「キモさ」を愛そうよ。正しい・正しく見えるポジションに固執して、自分の「正しくない欲」を嫌うのは修行僧みたいにメンタルが鍛えられている人しか難しいよ。
男オタクみたいに「俺たち変だろチキンレース」をしろって言ってるんじゃないんだよ。ただ、フィクションや自分の脳内の「正しくなさ」に向き合って、少しだけ愛してみようよ。誰かの迷惑をかけない「キモイこと」「正しくないこと」をほんの少しだけ受け入れてみようよ。
今後の世代は何かあれば人に聞くよりまず調べるがより基本になるので、本来成長過程で親や世間から経験のもと学ぶ常識や倫理観が、まずAIに聞いて学ぶ、になる。
インターネットネイティブ世代は既にそうだが、今後はマナーと言って差し支えないレベルで常識になる。そして、検索エンジンではなくAIだからこそ加速する。
AIは検索エンジンとは性質が違うため、世界中の常識を均した倫理観スタンダードを回答する。
それを人格形成期に学ぶ子どもたちは、正解のない問題や正解が複数あってしかるべき思考にも、それを実体験する前にAIが均した『最善』の正解がインプットされるため、思考が均され、家庭・地域・地方の特色が消え、今まで以上に外れ値への当たりが厳しくなる。各個人レベルで思考は洗練され、収束され、間違いを許容しなくなる。
対話型AIは巨大インフラと化すが、倫理観スタンダードはAIの設計思想でどうにでもなるため、世界中の常識をAI利権側が操作できるようになる。
これはネガティブな要素を多く持ち、それらの是正を上層から求められる中間〜下層にこそ強く影響し、世の思考は影から塗り替えられていく。
直近だとNTEで話題だけど、特に欧米を中心に特にアートやサウンド面での生成AI製リソースに対する忌避感が表に出ることが多い。
この反AIリソースの声は、声優やアーティスト本人の権利意識から、エンドユーザーのなんかやだな…みたいな所感まで、解像度や温度感にグラデーションがあるのはが実際だと思う。
自分は権利的な部分(特に「無断学習」を責めるのは無理筋だろと思う)で文句を言うのはナンセンスだなぁと思うし、単純接触効果的にあと数回こういうの目にしたらしばらくなれるんだろうなと思う。
FF7リアタイで3DCGはイケてないな~って2Dゲーばっかやってたけど、今では普通に3Dゲーもやる、みたいな、多分そういうもんなんだという経験をもとにした直観がある。
それはそれとして、個人的には現状のこのテクノロジーに対しては現状ポジティブな印象を持つのは無理(PCとか電気が値上がった、くらいミクロに考えたら自分にとっては害しかない)だし、
クオリティ面とか作家性の面でもすごくもやもやするから、そういう意味では正直反AI寄りだ。
だけど「こういうアートを用いる企業や製品が嫌い」という率直な感想をこぼすと「反、反AIアート」勢は喜んで"時代錯誤で「学習」の意味も理解してない古い低能"だとさげすんでくる構図がある。少なくとも目立つ。
これは「無断学習を軸に反AIの論陣を張るのは無理筋」と同じくらい、時代錯誤で無理筋な見下しだなと思う。から、自分みたいな本来比較的中庸な人をより反AIアート側に寄せていってしまっているのではないか。
これまで尊敬していたような人たちの結構な人数が、こういう選民的反、反AIアート的言及をし続けている現状が、自分にとってはもしかしたら一番反AIアート的な気持ちにさせる原因かもしれない。
反AIアート勢はもっと素直に感情的な好き・嫌いにフォーカスして言及したほうがいい。
「無断学習」のような論理的に厳しい理屈付けをもって正誤をもって戦うからつけこまれる。感性的にイケてない、だけだったら本来は誰もそれを責めることはできないはずだから。
「イケてる・イケてない」の話は正直バカにできないものだ。それは昔のテレビでなんかわからんけど流行ってるから、って理由でファッションなりなんなり真似したりする話、ないしマナー的な話とかを思えばわかる。
セガのCMがごとく「AIアート使ってるなんてだっせーよなww」くらいのことを結構な人数で言い続けるくらいしか、この大きな潮流に抗う術はないのだと思う。
論理ではない、感情で戦う勇気をもってくれねーかなーと反AIアート的な感情を持つ穏当な人間の1人としては思う。
逆に、反、反AIアート勢に対しては、勝ち戦なんだからドンと構えてりゃそのうち勝つだろうし、今小物にドヤってエコチェンで気持ちよくなるのはだせーからやめてくれ、って言っておく
「ラーメンはスープから飲むな」ってやつ、説教臭いって言われがちだけど、別にマナー講師ごっこしてるわけじゃなくて、単に合理的な話なんだよな。
結局、ラーメンにおけるスープの役割を「喉を潤す飲み物」ではなく「麺を美味しく食べるためのソース」だと捉えれば、その意図は自ずと見えてくる。
多くの店では、麺がスープの熱を吸い、表面のデンプンが溶け出すことでスープと馴染むように計算されている。最初にスープばかりを何杯も飲んでしまうと、丼の中の液量と温度のバランスが崩れ、麺もスープも最高の状態ではなくなってしまう。
ラーメンは、一口目の塩分と旨味のインパクトが非常に強い。最初にスープだけで舌をその塩分濃度に慣れさせてしまうと、後から食べる麺の旨味がボヤけて感じられなくなる。フレンチのソースだけを舐めとっているようなものだ。
作り手が想定した「最も美味い瞬間」を物理法則に基づいて追い求めるなら、麺を先に引き上げ、スープを絡めながら啜るのが最も効率的なアプローチと言えるだろう。これは礼儀作法ではなく、単なる最適化の問題なのだ。
「ラーメンはスープから飲むな」ってやつ、説教臭いって言われがちだけど、別にマナー講師ごっこしてるわけじゃなくて、単に合理的な話なんだよな。
結局、ラーメンにおけるスープの役割を「喉を潤す飲み物」ではなく「麺を美味しく食べるためのソース」だと捉えれば、その意図は自ずと見えてくる。
多くの店では、麺がスープの熱を吸い、表面のデンプンが溶け出すことでスープと馴染むように計算されている。最初にスープばかりを何杯も飲んでしまうと、丼の中の液量と温度のバランスが崩れ、麺もスープも最高の状態ではなくなってしまう。
ラーメンは、一口目の塩分と旨味のインパクトが非常に強い。最初にスープだけで舌をその塩分濃度に慣れさせてしまうと、後から食べる麺の旨味がボヤけて感じられなくなる。フレンチのソースだけを舐めとっているようなものだ。
作り手が想定した「最も美味い瞬間」を物理法則に基づいて追い求めるなら、麺を先に引き上げ、スープを絡めながら啜るのが最も効率的なアプローチと言えるだろう。これは礼儀作法ではなく、単なる最適化の問題なのだ。
「時は来た」と高市首相、憲法をどう変えたいのか 持論は「国防軍」
――戦後日本の社会と人々の暮らしを支えてきた憲法は、地に足のついたものになっているでしょうか。
憲法が示している戦後日本の基本原則は揺らいでいないと思います。平和主義や国民主権、人権の尊重を捨て去りたいという人はごく一部でしょう。ただ、気になる点もあります。憲法学者として人権や差別解消の問題に長く取り組むなかで、昨年出した『幸福の憲法学』ではこう指摘しました。
「本来は『人権』という言葉を使うべき場面で、それを避ける例もある」「『人権』という言葉は避けられている」と。
――80年近くを経て、憲法の価値観が空洞化しているということでしょうか。昨夏の参院選では外国人政策が急に争点化し、排外的な政策を掲げる政党や政治家が広く支持を集めました。
社会経済の先行き不安や怒りが広く存在するとき、人はその原因を何かに「帰属」させようとします。何が不安や怒りの原因かは目に見えるほど明確ではないので、その帰属先はしばしば操作されます。哲学者のスローターダイクは、中世のカトリック教会や共産主義が、人々の怒りの矛先を操作して自分たちのエネルギーにしたことを論じています。怒りや不安を人の属性に帰属させれば、差別の出発点となります。
例えば、外国人に見える観光客のマナーが悪かった時、その人の問題とするべきですが、外国人差別を煽(あお)る人は「外国人観光客全員」あるいは「在留外国人も含む外国人全員」の問題とする操作をします。
――メディアも、目に見える誰かのせいにして差別に加担しないようにしたいです。
差別を防ぐには、不安や怒りを安易に誰かのせいにしないという意味での「自己拘束」が必要です。メディアが、因果の流れを丁寧に説明する必要があるでしょう。例えば、原油高に伴う物価高のメカニズムを報じることは、日常のイライラを「外国人」に向けず、適切な対策を打たない政府や、戦争を続けるロシアやイスラエルの問題を意識させることにつながります。
――不安や怒りのはけ口を探して、誰かを標的にする。そうして自分の感情を操作された結果、差別に加担するのは嫌です。
憲法の掲げる人権や差別解消の理念は、憲法学が最前線で扱うテーマの一つ。最近の研究では、プライバシー権をめぐる議論も差別の問題とつなげながら掘り下げて考えています。
プライバシー権は、個人の尊重と幸福追求権を定めた憲法13条にもとづき、発展してきました。
プライバシー権は「一人で放っておいてもらう権利」に由来します。この権利は、他者に自分を標的として認識されない状態を守る権利とでも言いましょうか。あの人は、一人暮らしの女性だ、老人だ、と認識されると、犯罪に巻き込まれるリスクが高まり、緊張します。そう認識されないことで安心する。その安心感を守ろうというのが出発点です。
その後プライバシー権は、人に知られたくない個人情報を知られずに、隠したいことを隠すための権利として発展しました。さらに、性的指向や被差別部落の出身であることなど、被差別情報を隠す権利としてもプライバシー権が使われるようになってきました。
――混乱とは?
個人情報のなかには、裸や家の中など、①認知されるだけで苦痛な情報と、認知されることよりも、②それを使った違法行為や差別が心配な情報があります。
プライバシーとは、もともと①を隠すことだったわけですが、最近では、②もプライバシーにすることで違法行為や差別を防ごうという議論になってきています。
しかし、違法行為や差別に使われる情報のなかには、公開されているものもあります。例えば、大学や新聞社の電話番号は公開されていますが、「いたずら電話をしよう」という呼びかけとともにSNSに投稿されたら迷惑です。また、性別や肌の色は、隠されたプライバシー情報とは言えませんが、それを差別のために使われてはたまりません。
これらの問題は、プライバシーとは別の権利、つまり、違法行為を誘発する形で公表されない権利や、差別に使われない権利で対応した方が明快です。ところが、最近のプライバシー権の議論は、これらの問題も隠したい情報を隠す権利の応用で対処できるとして、プライバシー権の射程を広げて対応しようとします。
――プライバシー権とは別に「差別されない権利」があるということですか。
はい。隠したいものを隠すプライバシーという概念で対応しようとすると、性別や肌の色、出身地といった公開情報での差別は防げません。
「差別されない権利」なら、公開情報だろうが、非公開情報だろうが、それを不当に利用してはならないと議論できます。プライバシー権は、個人情報を「認知させない」権利だとすれば、差別されない権利は個人情報を不当に「使用させない」権利です。
肌の色や話す言葉など、公にされた情報で外国人かどうかを推測できることがあります。ここから、「外国人お断り」のような差別が生まれます。
「外国人お断り」をする人からすれば、公開情報を使っているだけだから、プライバシー権を侵害していないと思うでしょう。しかし、外国人だという個人情報を差別に使うことは、差別されない権利の侵害と捉えるべきです。
他にも、LGBTQの性的指向や性自認などを本人の許しを得ずに暴露する行為を「アウティング」と呼びます。こうした行為はプライバシー侵害だと言われてきました。ですが本来、性的指向や性自認は「隠したい恥ずかしい情報」ではなく、当人のアイデンティティーの根幹となる情報です。アウティングが問題なのは、恥ずかしい思いをさせたからではなく、差別をするかもしれない人に情報を開示して、差別を誘発する危険を作ったからだと考えるべきです。
プライバシー権のおかげで、私たちは他の人の個人情報を認知するときに慎重になれました。ただこれだけでは足りない。プライバシー権と「差別されない権利」を区別すれば、既に認知した情報でも、「この場面でこう使っていいのかな?」と使用の場面で慎重になれます。権利を知ることで、差別を防ぐ「自己拘束」ができるわけです。
――個人情報の差別的な使用とそうでない使用は、どう違うのですか?
個人の選択の結果を、国籍や性別に帰属させると差別になります。例えば、犯罪をするかどうかは個人の選択ですが、それを国籍や出身地のせいにするのは差別だと言わざるを得ません。
雇用の場面でも、「この人は女性だから辞職する可能性が高い」とか「外国人だからこういう行動をとるはずだ」と判断するのも、性別や国籍の情報の差別的な使用の例でしょう。不安やイライラを「外国人」のせいにしがちなトレンドを止めるには、「差別されない権利」の考え方を根づかせることが重要です。
■憲法に書き込む影響力
――そうしたトレンドの一つと言えるのかもしれませんが、高市早苗首相は4月12日の自民党大会で「時は来た」と述べ、改憲に意欲を示しました。
国会の憲法審査会などの議論は始まったばかりで、高市首相が目指す改正案はまだ示されていません。
自民党のものとしては、安倍晋三政権下の2017年に示した「改憲4項目」がありますが、いまなぜ改正が必要かという根本的な理由づけが希薄でした。参議院の合区解消には実務的な必要性があるかもしれませんが、残りの3項目、自衛隊の明記や緊急事態対応の強化、教育環境の充実については、現行の憲法や法律でも不足はない。仮にあっても、法律の改正で済むような話ばかりです。
日本への武力攻撃があった場合の防衛行政は、現行憲法でも禁じられていません。緊急事態に際し、あらかじめ法律の定めた条件の範囲で政令を出すことも、禁じていません。実際、災害対策基本法には、その例があります。
――自民党の狙いは改憲の実績づくり、いわば「お試し改憲」だとの見方もあります。
もともと自民党の方々は、憲法9条2項を削除して軍を創設すると言ってきました。自衛隊明記案というのは、軍創設案の支持が広がらないため、「現状維持なら実現しそう」と出てきた妥協案なのでしょう。新しい条項ができると、「これまでできなかったことができるようになったのだ」と解釈される危険が生じ、何が起きるか不透明になります。当たり前ですが、現状維持したいなら、現状を維持するのが一番です。
――それでも、少しでもよい改憲なら賛成するという人もいるのではないでしょうか。
憲法は国の最高法規。条文に書いていない要素を書き込むことによる影響を慎重に検討する必要があります。
例えば、明治憲法における都道府県の位置づけはあいまいでしたが、戦後の憲法92~95条に地方自治の原則が書き込まれ、そのことで地方分権が大きく進展しました。もしいま自衛隊を憲法に明記すれば、国家権力を執行する警察や海上保安庁などのほかの行政組織にはない強固な地位を得て存在感を増すでしょう。それでよいのかどうか。
――日本を取り巻く国際情勢は厳しさを増しています。災害救助だけでなく有事の切り札として自衛隊に期待する世論は高まっているように思います。
災害救助や国際貢献の面で自衛隊の活動を評価する世論のトレンドは理解しますが、慎重な分析が必要です。
憲法9条は、日中戦争や太平洋戦争の反省の下で外国の領土を侵略するような武力行使を制限する「自己拘束」です。
憲法制定から80年近くが経ついま、国際情勢が悪化していても、湾岸戦争やイラク戦争、ロシアのウクライナ侵攻、米国やイスラエルのイラン攻撃などの戦地に自衛隊を派遣すべきだという世論が国内で盛り上がる気配はありません。国連の平和維持活動(PKO)で自衛隊を戦闘地域外に派遣する道はありますが、世論も、武力行使には非常に厳しい態度をとり続けています。
9条改憲を長年目指してきた自民党の保守派でさえ、戦力の不保持をうたう9条2項の削除などではなく自衛隊の明記を目指す妥協策を打ち出すようになったことは、同項の平和主義の精神が改憲派にまで浸透したことを意味しており、「護憲派の勝利」とさえ言えるのかもしれません。
――心配性かもしれませんが、そうした日本の世論も台湾有事などの危機に直面すれば、大きく転換しうるのでは。
もし中国が台湾に武力侵攻した場合、在日米軍基地や自衛隊の基地も攻撃対象になるでしょう。必然的に、日本への武力攻撃事態となり、個別的自衛権の発動場面となります。台湾有事は、海外での集団的自衛権の行使とは違う事態だと考えるべきです。
――もう一つ気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案(12年)や「創憲」を掲げる参政党の新日本憲法(構想案)(25年)のような全面改憲の可能性です。
憲法の基本原則、すなわち国民主権と平和主義、基本的人権の尊重を廃棄するような全面改憲ができるとは思えません。ただ、逆説的ですが、そうした憲法の価値観がしっかり浸透しているからこそかえって警戒心が薄れ、「自己拘束」の歯止めが利かなくなっていることが問題だと見ています。
――どういうことでしょう。
高市首相は4月21日、防衛装備移転三原則の改定を閣議決定し、武器輸出を全面解禁しました。これは、安倍政権による集団的自衛権の解釈変更(14年)や、岸田文雄政権が22年改定の安全保障関連3文書に盛り込んだ敵基地攻撃能力の保有、防衛費の国内総生産(GDP)比1%枠超え(23年度予算)などに続く出来事です。
憲法9条に、「武器を輸出してはいけない」とか、「防衛費はGDP比何%まで」と具体的に書いてあるわけではありません。しかし、9条からは、日本が紛争を煽らないようにする「自己拘束」の原理や原則を生み出し続けるべきだという規範が導かれると考えられてきました。武器輸出の禁止などは、そこから生まれたルールです。こうしたルールを守ってきたことが、政府や自衛隊の信頼を作ってきました。
こうした信頼の蓄積は、「このルールをなくしても、めったなことはしないだろう」という方向にもつながります。ただ、信頼を食いつぶしていけば、いつかは破綻(はたん)します。だからこそ、憲法9条の下で作られたルールは安易には手を付けない方がいいし、新しい状況に対応するために変える必要が生じたとしても、別の「自己拘束」のルールを作ることとセットで変えるべきです。現状の敵基地攻撃能力や武器輸出の解禁は、ただルールをなくしただけで、新しい「自己拘束」のルールや原則が示されていません。
――敗戦直後の日本が軍国主義の復活を警戒したのは分かります。でも冷戦が終わり、米中ロなど大国の横暴が目立つ21世紀の日本にとっても「自己拘束」は必要でしょうか。
イスラエルのネタニヤフ政権を見れば分かりますが、権力者にとって、対外武力行使は権力を維持する魅力的な手段です。どんな状況でも「自己拘束」が不要ということはないでしょう。
――防衛費のGDP比2%は、25年度補正予算で達成されました。高市政権は安保3文書改定にも乗り出しています。
憲法に具体的な数字が書き込まれておらず、準備すべき防衛装備に幅があるからといって何でもやっていいわけではない。
少なくとも、GDP比率に代わる新しい財政規律のルールを考えておくべきでしょう。武器輸出についても、内閣の裁量で変えられる政令から格上げして法律化し、対象国や対象品目を国会で決めるルールに変えるなどの対応は考えるべきでした。
また、近年の防衛政策は「経済安全保障」「デュアルユース(軍民両用)」といったキーワードに見られるように、防衛省・自衛隊だけでなく、企業活動や学術活動、SNSの通信など、様々な生活領域を防衛政策に巻き込んでいく特徴があります。ここでは、営業の自由や学問の自由、刑事訴訟における適正な手続きがおろそかにされる危険があります。実際、大川原工業の経済安