「人身御供」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 人身御供とは

2024-12-06

anond:20241204224200

皇室外交役の皇室王室血筋のせいでストレスフルなのに投票でとなるとそりゃ人身御供だなぁ

どちらもかわいそうというか、それでも是非お願いしたいというか。

2024-12-02

anond:20241202234736

複数人絡んでたけど人身御供で1人出したって感じかな?俺も貸金庫抜き放題ボーナスタイムたかったよ

2024-11-18

怪物の怒りを鎮めるために兵庫県職員人身御供になるんだよ

毎年数人だから兵庫県民533万を救うためには必要犠牲

2024-11-17

anond:20241117151341

雨ごいすれば雨が降るとか、人身御供すれば災害が鎮まるとか、そういう判断過去に実際したことはありましたし

情報が不十分な中で決断しなければならないこともあるでしょう

そういう局面だというなら、それでいいけど、今、そういう局面か?

キトーこいて「俺の判断やらせてもらう」で好き勝手やらせるわけねえだろうがよ

2024-11-12

そういや人身御供って大抵女か少女だよな

弱者男性キモいおっさん人身御供物語って聞いたことないよ

神様は女か少女が好きってことなのか

じゃあ神様ロリ趣味キモオタじゃねぇか

神は死んだ方がいいね

2024-09-25

anond:20240925081921

あー、あの駅はイケニエなのだな。一人だけ犠牲になってもらって、物見高い観光客などにサラシモノにして、ワラワラ寄って来たところで商売して経済効果を得るというビジネスプランだw

ある意味、昔話などによくある「魔物被害を免れる」か「山の神海の神などに豊作や大漁を願う」ための人身御供少女みたいな境遇ってところに同情して「かわいそう」と吐露したのが呂布サン本心なのかも知れない。知らんけどw

2024-08-01

激遅ミッドサマー感想監督メンヘラ女に恨みでもあるんか?

遅ればせながらミッドサマー見ました、ディレクターカット版。まぁ夏休みからね。せっかく見たわけだから感想をどこかに違法投棄したかった。

一言感想を言うと、

監督メンヘラ女に恨みでもあるんか?」

だった。

とにかく「共感」という感情の働きをグロテスクに、狂気的に描写している。下馬評を聞いて、カルト村にやってきたよそ者が現地のネーチャンとパコパコした後に、愉快な仲間と共にグロ処刑されるよ!って話だと思っていたので、なんか予想と違う角度からの露悪的な表現に、自室の椅子から転げ落ちてしまった。劇場で見なくてよかった。ありがとうamazon prime

とりあえず、結論である一言感想に向けて話を順に進めていく。

なぜペレダニーに寄り添おうとするのか?

本作の主人公であるところのダニー、これがまた悲劇人物で、双極性障害の妹がダニー以外の家族を巻き込んで無理心中してしまうという、壮絶な背景を抱えている(ルックバックであれこれ言われた我が国ではできそうもない設定だ)。さらに言えば、彼女自身パニック障害持ちと、かなり苦難の人生を歩んでいる。

そんな彼女にも、理解のある彼くんこと、クリスチャンがいます……と思いきや、このクリスチャン理解ある彼くんになるにしては力不足。作中冒頭でもダニーの電話辟易としている様子が描写されている。ダニーが不安になるたびに電話がかかってくるので嫌になったんでしょうね。

無償感情労働に耐えきれないようでは理解ある彼くんは務まるはずもない。

また、クリスチャン自身ダニーの誕生日を忘れてしまっていたり、自分旅行計画彼女に伝えてなかったりと、純粋に彼力が足りてない部分も描写されている。

そんな彼の落ち度をダニーが非難して謝らせ、ダニーはそこからさらに追撃(本当に心から謝ってる?攻撃)をかまし、そしてクリスチャン非難され返して慌ててダニーが謝るという場面がある。

典型的メンヘラ女[^1]の破局カップルだ。このような描写リアリティに、製作陣の誰かの不満を透かして見ずにはいられない。

そんな彼女の前に現れるのがペレ。この物語ペレに誘われてホルガ村に来たクリスチャンダニーとその仲間たちが、ダニーを除いて村の生贄にされる話であるから、彼は物語的には黒幕、あるいは元凶である

そんなペレは、作中でダニーに対し「自分も同じ境遇(家族を失った)だから」と彼女の悲しみに寄り添おうとする。

典型的NTR男じゃん!!!!!!こんなん絶対下心じゃん!!!!!!

……と思いきや、不思議なことに彼は作中一度もチンポを出さない[^2]と、いまいち意図がわからないキャラクターとなっている。なんなら誕生日を忘れたクリスチャンフォローしたのもペレだ。NTR男だとしたら敵に塩もいいところだ。

そう、こいつは「それは彼氏が悪いね。じゃあ挿れるね……」をやる気がないのである。はっきり言って異常だ。

そんな彼の動機も、作中中盤に明かされる。自身家族を失った悲しみをコミューン(ホルガ村)に支えてもらったと。だから同じようにダニーもホルガ村で支え合えると。

まり宗教である。男が女に寄るとき、その理由セックス宗教か金の3択だ。こいつも例外ではなかった……というのはさておき、動機だけ見ると善性寄りに思える。

そのホルガ村に異常がなければの話だが。

ホルガ村の「共感性」について

作中でダニーたちが訪れるホルガ村。ホラー作品類型漏れず、この村は姥捨てからスピリチュアル儀式人身御供までを幅広くこなす、分かりやすキリスト文化圏外のエログロホラーカルト村だった。

ここまでは典型的因習村といったところだが、ホルガ村にはホラー作品としては珍しい要素がある。

とにかく村民同士で共感しあう事である

どういうことかというと

  1. 姥捨てのために崖から身を投げた老人が死にきれず苦しんでいると、儀式に同席していた村民が、老人の苦しみの声に共鳴して嗚咽をあげる
  2. スピリチュアルセックス儀式では、挿入されて喘ぎ声を上げる女に共鳴して、周囲を囲う女たちが喘ぎ声をあげる
  3. 彼氏自分を置いて知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていた様子を目撃したダニーの嗚咽に共鳴して、大号泣してともに悲しみに暮れる

など。ホラー因習村としてはユニーク表現だ。そして、これこそがペレの言っていた「家族を失った悲しみをコミューンで支えてもらった」の真相である。この村は、とにかく村民同士で共感し合って、悲しみを乗り越えるようだ。

そして、紆余曲折あったダニーはホルガ村に迎え入れられ、紆余曲折あって知らん女とスピリチュアルセックス儀式をしていたクリスチャンを生贄に捧げることを決意したのであった。燃えるクリスチャンを遠目に眺めながらダニーはニッコリスマイルを浮かべて映画は幕を閉じる。

まりどういうこと???

ここから先は物語の中では描かれず、それぞれの解釈に委ねられている。故に、自分も己の解釈を述べることにする。

共感とは、感情共産主義化である

ホルガ村で行われている、この共感メソッド。その目的は、個人が抱えるには重すぎる苦痛コミューン全員が共有・分配することで苦痛を乗り越えることにある。また、協力して苦難を乗り越えることからコミューン内の結束力を高める効果もあるだろうし、感情の共有を徹底すれば「村民同士で共感しない感情については村として承認しない」という仕組みを作ることができる。これぞまさに共産主義的な支配に他ならない。

現に、姥捨の場面では「こんなことおかしい」と叫ぶ余所者感情には一切共感せず、しかし村に迎え入れられたダニーの嗚咽には共感してみせた。このように、村をあげた共感儀式は、その他の共感しない感情排除する効果がある。カルト式の集団運営に一役買っているのだ。

そしてこれは、ダニーがクリスチャンに求めていたものでもあった。

双極性障害の妹から連絡が絶えた不安共感して欲しい、この不気味な村から早く抜け出したい、そういった感情への共感を、ダニーはクリスチャンに求めてきた。しかクリスチャンはそれを受け止め切ることができず、ダニーはそれに不満を感じていた。

そして、共感に対する内なる欲求ペレに見透かされたからこそ、ペレダニーがホルガ村に来ると知ったすぐ側からダニーに寄り添い始めたのだ。村人が「ペレの見る目は確か」と言ったのは、そういうところを指しての言葉だろう。

しかしながら、ずっと笑顔の戻らなかったダニーが、スピリチュアルメイポールを通じて村の女性と心を通わせ、恋人を失う悲しみを共有することでやっと笑顔を取り戻すという展開からは、ホルガ村を迎え入れたことそのものが幸か不幸かは判断がし辛くはある。

ダニーの行き着く先がカルト村という結末自体寓意に満ちている

人は誰しも自分感情共感してもらいたいものだ。しかしながら、共感他人問答無用押し付け、そして押し付けられることを選んだコミューンの行き着く先がエログロカルト村というのも、寓意を感じずにはいられない描写だ。

なにより、ダニーのような、恋人感情労働を押し付ける女がそのようなコミューンに適合するという描写が、そのような人間の行き着く先は地獄であると暗に示しているようでならない。

現代ではエコーチェンバー効果という言葉を聞くことも珍しくなくなってきた。思想の似通った者同士が通じ合い、かくして狂気は産まれるのだというストーリーは、思い返せば現実でもよく見る構図であった。

もし、この映画から得られる教訓があるとくれば、それは「共感のしすぎ、求めすぎ」は狂気を招くということではないだろうか。

是非とも身に覚えのあるメンヘラ女の諸氏におかれては、このことを胸の片隅にでも置きながら、周囲への配慮を怠らずにいてくれれば幸いである[^3]。

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[^1]: このように書くと、パニック障害なのだから仕方ないじゃないか差別だなどと書かれるかもしれないが、そもそも恋人無料セラピストではないのだ。クリスチャン自身ダニーを支えきれないことを自覚し、別れ話を持ちかけようともしているのに、単純にクリスチャンクズ男扱いして死んで当然扱いする感想記事があり、あまりにもあまりにもであったので、ささやか抵抗として、このように駄文ゴミ捨て場に投げ捨てている。

[^2]: ちなみにクリスチャンはチンポを見せている。

[^3]: 決して私怨ではない。

2024-04-24

anond:20240424142233

実際はそんなイーブンな枕はなくて事務所のための人身御供とかなんですけどね

2024-03-21

anond:20240321120710

大谷が捕まっても誰も得しないどころか

自殺必至レベルで大損する人間企業)だらけだろうし

まぁ人身御供だった場合一平ちゃん保釈された後

悪くない待遇で暮らせるんでしょ

金の力は偉大

anond:20240321115631

それならまだマシで、大谷マフィアに女がらみで弱み握られてゆすられ

マフィア傘下のブックメーカーに口止め料振り込み、

その金の流れバレて通訳人身御供、もあり得る

2024-02-11

チー付与で一番狂ってるのって誰なんだろうな

1 漫画版作者

 狂った世界を作り出した張本人。目を見るだけでキチガイだと分かる顔に全てのキャラクターを書き換えた怪物。設定もメチャクチャ情緒メチャクチャストーリーは意外とまとも。

2 原作者

 自分作品が滅茶苦茶にされているのを笑ってみてる異常者。作品が改変されてんのに何ヘラヘラしてんだよ!いわゆる寝取られフェチとかなのかな?

3 読者

 チー付与が改変されまくっているのを面白おかしく楽しんだくせに、他の作品では原作改変許せねえ!と叫んで回る多重人格者。チー付与キャラかな?

4 登場人物

 狂ってる奴が多すぎる。時折正気に返るのがまた怖い。お前、狂ってた頃の自分を思い出して頭おかしくなったりせんのか?まあ既に頭はおかしいんやが。

5 編集者

 この狂った状況を作り出した責任を一身に引き受けているはずなのに気配も見せない連中。縁の下の力持ちっていうか、人身御供として既に埋められとるんか?

6 その他業界人

 「チー付与が売れていて羨ましい」「作画ガチャ当たりやん」みたいな感じで受け入れてる。凄いな。お前の作品が同じ目にあって耐えられるってことかよ。みんな頑丈だぜ。

チー付与単行本の表紙が発表されるたびに「全員悪人」みたいに言われるが、作品の外もヤベー奴らばかりやんけ。みんなおかしいよ。みんな狂ってるよ。

2024-02-09

三大三国志時代から現代日本まで伝わる言葉

「お前の息子の楊修を処刑してやったけどどんな気持ち?」という曹操煽りに対する楊彪の返答に使われた言葉

  • 破竹の勢い

晋が呉を攻めるときに杜預(詩聖杜甫先祖)が「今なら竹を割くように建業を攻め落とせる。いつ攻めるか?今でしょ」と語ったのが元。蜀の綿竹を破るときの話ではない。

阮籍(竹林の七賢の一人)が、気に入らない人物には白目をむいて対応したことから

諸葛亮人身御供に使われる人間の首の代わりとして小麦粉で練った皮に肉を詰め込んだものを作らせたという。孔明の罠は神を欺き人を助ける。

2024-01-19

anond:20240118145044

自分人身御供することで残された父母弟妹の面倒を村が見てくれるってなったら志願する子もいるかもしれん。

逆に拒否したら村社会で生きていけなくなるかもしれんしな。

から経緯と良し悪しはどうあれ「自ら志願する(引き受ける)」という子は実際おったと思うで。

2024-01-18

anond:20240118145044

昔の風習を今の価値観で語るのはよくない。

人身御供は神への捧げ物なんだから、当然上等なものの方が良いと考えるのは当然。食べ物ならより大きくて新鮮なもの、道具ならより高級で精緻もの人間なら見目の良い若者となるのは考えるまでもないだろう。

土地民俗伝説みたいなの聞くの好きだから調べてたんだけど(今日人身御供編)

人身御供って大体生贄になるの若くて美人女の子なんだよね

そりゃ伝説として残るくらいなんだから普通の地味なおっさんじゃだめなのは分かるけどさ

神に捧げるっていう体なんだから、きっと神様は男(神に性別とかあんのか?)なんだろうな。知らんけど。なんか他人に女をあてがってもらう孤独チーの者みたいでちょっと悲しいな(不敬コメント

人柱人身御供とは区別されるらしい、初めて知った)のほうは男も結構いるんだけど。それでもこっちも若い女の子が多い

人柱自ら志願した」みたいな一節も多くてさ、「んなワケあるか!」って思っちまったよ。現代宗教かよ。キレイにすんな、殺人

2023-12-24

anond:20231224134900

藤澤翔馬は地震の時に「安倍晋三人身御供にして生き埋めにしよう」「菅義偉も生き埋めにしよう」とか言ってたしマジで陰険嫌われ者パヨクすぎるw

2023-11-26

弱者男性のこれからについて(追記あり

アナルセックス妊娠可能にする。

これで大抵の社会問題(くだらないネット空間限定)は解決する。

道具にする。

かの名著『家畜人ヤプー』に倣い、弱者男性家具便器等の道具として利用出来るようにする。もちろん性的略取も可。

あらゆる薬物の利用を許可無償配布する。

覚醒剤大麻はもちろん、モルヒネフェンタニルリタリンコンサータなどの薬で彼らの苦痛を和らげる事を法制化する。

弱者男性同士をコロッセウムで闘わせる。

弱者男性同士の殺し合いを公営ギャンブルにする。

みんなも人間同士がいがみ合い、殺し合う様子を晩酌しながら眺めるのは好きだろう?

ついでに金を賭ければ真剣味も増し、税収増にもなり一挙両得。

弱者男性の盾

思想信条関係なく全てのデモの隊列を弱者男性の群れで囲み、プロテスター達の盾にする。

人身御供

古式ゆかしい日本ならではの利用法

災いが起きる度に弱者男性達を神性の生贄に捧げ、国難を誤魔化そう!

2023-10-05

それはジャニーズ流石に可哀想じゃない?

なんかジャニーズ叩きを通してテレビ業界忖度慣習とか旧態依然文化是正しようとしてる節がない?

それはジャニーズ流石に可哀想じゃない?

芸能界全部の闇の人身御供みたいなのは筋が違うと思うんだが…

2023-09-28

人を駒のように扱って適当応援という人身御供をやるな

さらに上げて落としてるのが質が悪すぎる

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-09-12

anond:20230912174153

被害者側がその証拠を掴んで刑事告訴するかどうかかね

そうなったらジャニーズも新しい人身御供としてそいつ差し出す形になるだろう

2023-08-11

anond:20230811003955

なるほど、ガイアツで人身御供を万単位で用意させ成功するまで試行するんだね!

日本自動運転を普及させる方法

一万人くらい人身御供を投入して、成功するまで試行すれば解決

実にシンプルだと思うし、このアイデアパクっていいよ!!

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