はてなキーワード: 絶対権力とは
タタルスキーの運命と選択を 心理作用 × 広告魔術 × 皮肉の三層構造 で色分けした図解形式で文章化して可視化します。
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[広告魔術](緑)
[皮肉](赤)
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[1章] 詩人志望
├─ 青:興奮・戸惑い
├─ 青:快感・罪悪感・野望
└─ 赤:国民を動かす魔術師だが、国民の意識=広告虚構に縛られる
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🔹 読み解きポイント
2. 広告魔術(緑)
• 詩的表現 → 無意識誘導 → 社会象徴 → 国家統合 → 絶対魔術
3. 皮肉(赤)
• 選択のたびに「自由や権力を得るようで、実際は虚構の支配下に置かれる」
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『ジェネレーションP』における タタルスキーの運命と選択 を、皮肉たっぷりに解説します。
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彼は純粋な詩人として自己表現を志していたのに、現実はこう教えます:
つまり、自己表現の夢は広告業界という巨大な消費機械に呑まれ、詩的センスは金儲けの道具に変換されるのです。
詩人志望者が広告魔術師に“覚醒”する――これは現代社会からの冷笑ともいえます。
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2. 「快感と罪悪感の両立」
タタルスキーは広告を通じて、社会全体を操作する快感を覚えます。
彼にとって「悪いことをしている感覚」はもはや快楽のスパイスでしかない。
結局、彼は倫理的葛藤を感じつつも、快感の誘惑に完全に負けてしまうのです。
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物語の終盤、タタルスキーは国家規模の広告魔術師として覚醒します。
一見、これは大成功に見えますが、皮肉な真実はここにあります:
• 社会を操作する力を手に入れたが、それは自分自身が虚構に操られている証拠でもある
• 彼は「現実を作る者」だが、作る現実は広告で塗り固められた幻想に過ぎない
• 言い換えれば、絶対権力者として覚醒した瞬間、実は自分の生きる世界の支配者ではなく、その広告の虚構に囚われた人間にすぎない
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• コピーを書く
• 社会を動かす
しかし皮肉なことに、どの選択も彼の運命は広告魔術に縛られているという前提から逃れられない。
自由に選んでいるようで、実際は「広告の論理と社会の消費構造」に支配された人生なのです。
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5. まとめ:皮肉の核
「人類の心理を完全に操る者となった瞬間、自分の現実もまた広告の虚構に操られている」
皮肉の連鎖が、タタルスキーという現代魔術師の運命そのものを形作っています。
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[1章] 詩人志望
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皮肉:科学的手法で「操作可能な人間」を増やすほど、自分も統計に支配される
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結果:国民意識を動かす
皮肉:国家レベルで操る力を得るが、国家や世論の虚構に自分も囚われる
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皮肉:国を動かす魔術師となるも、国民の意識=広告の虚構に縛られる
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皮肉:虚構の支配者として覚醒するも、自分自身の生きる世界も広告の牢獄
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3. 権力と囚われの二重性
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では、タタルスキーの心理作用と広告魔術の流れを フローチャート形式 で章ごとに可視化した形を作ります。
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[2章] 興奮・戸惑い
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[7章] 快感・罪悪感・野望
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• 個人レベルの無力感 → 快感・陶酔 → 完全覚醒・絶対権力感
• 詩的直感コピー → 社会象徴 → 国家規模統合 → 絶対魔術
• 個人心理 → 小規模社会 → 社会全体 → 国家・歴史レベル
4. 章の連動性
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1 無力感・創作欲求 詩的直感コピー 個人心理への刺激、自己表現の快感
3 好奇心・社会観察 ブランド文化分析 社会的価値観の理解、間接的影響
5 理解・陶酔・倫理迷い 消費者心理データ活用 個人→小規模社会への心理誘導
6 快感・倫理葛藤・覚醒 社会的象徴操作 社会レベルでの行動・認知への影響
7 快感・罪悪感・野望 政治的イメージ応用 国民意識への初期操作、政治的覚醒
8 快楽・陶酔・完全覚醒 国家規模統合コピー 国民全体の意識統一、国家神話化
9 快楽絶頂・覚醒・権力感 虚構現実融合技法 社会全体の行動・価値観が広告に支配される
10 完全覚醒・陶酔・絶対権力感 絶対広告魔術(コピー=呪文、イメージ=現実化) 国家・社会・歴史レベルで現実操作、虚構と現実完全融合
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🔹 読み解きポイント
• 無力感・創作欲求 → 快感・陶酔 → 完全覚醒・絶対権力感
• 詩的表現・基本コピー → 無意識誘導・社会的象徴 → 国家規模統合・絶対魔術
• 個人レベル → 小規模社会 → 社会全体 → 国家・歴史レベル
4. 章の連動
• 心理作用の深化と広告魔術の進化が、社会・国家への影響拡大に直結
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このマトリクスを見ると、
🟦 『ジェネレーションP』全章まとめ表
章 主要テーマ 主要イベント タタルスキーの心理 広告魔術の作用 社会・国家への影響 物語的役割
1 初期の詩人時代 詩人として活動、就職難、広告業界との出会い 無力感・幻想・創作欲求 まだ魔術性は未熟、詩的直感が基礎 個人レベルの心理操作 タタルスキーの起点、広告への潜在的接触
2 広告業界入門 初めてのコピー制作、代理店勤務開始 興奮・戸惑い・適応 消費者心理を読み始める 個人の購買意欲操作 広告世界への導入
3 消費社会の観察 ブランド文化と消費者行動の理解 好奇心・驚き・社会観察 商品イメージと心理操作の基本 社会レベルではまだ間接的 消費社会の構造理解
4 コピーの高度化 高度なコピー制作、心理誘導の学習 成功体験・快感・自己効力感 無意識に働きかけるコピーの創造 個人心理の操作力増大 コピーライターとしての成長
5 消費者心理の深掘り 消費者データ分析、心理的トリガー理解 理解と陶酔・倫理的迷い 心理誘導の設計力が向上 個人→小規模社会への影響 広告技術の深化
6 社会への拡張 大規模クライアント対応、社会的影響の自覚 快感・倫理葛藤・覚醒 広告が社会に作用する認識 社会レベルでの意識操作の兆し 個人コピーから社会コピーへの拡張
7 政治的応用 政治家との接触、広告技術の国家的応用を意識 快感・陶酔・罪悪感・野望 広告魔術を政治的レベルで理解 国家イメージ操作の初期段階 広告→社会→政治への拡張の始まり
8 国家規模の魔術 国家キャンペーンへの参加、広告統合 快楽・陶酔・完全覚醒・権力意識 広告=国家魔術、コピー=呪文 国民意識統一、国家神話化 タタルスキーが国家規模の魔術師として覚醒
9 虚構と現実の融合 キャンペーン完成、広告が現実を超える 快楽絶頂・覚醒・権力感・倫理昇華 虚構が現実を支配 社会全体が操作され、虚構が現実化 クライマックス前、広告魔術の極点
10 最終覚醒 国家規模広告完成、虚構と現実統合 完全覚醒・陶酔・絶対権力感 言葉とイメージで現実を創造 国家、社会、歴史レベルで操作完了 クライマックス、タタルスキー=虚構の支配者として完成
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🔹 まとめポイント
1. 心理の変化
• 無力な詩人 → コピーライターとして快感 → 国家規模の操作者として覚醒
• 個人消費 → 社会影響 → 国家規模のイメージ操作 → 虚構と現実統合
• 個人の購買意欲 → 社会行動 → 国民意識統一 → 国家神話化
4. 物語の核
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第10章は、『ジェネレーションP』のクライマックスおよび結末 であり、
ここで物語のテーマである 「消費・広告・権力・神話の相互作用」 が完結します。
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タタルスキーは、広告を通じて 国家規模の神話を完全に操作 する段階に到達します。
• コピーや映像は、個人の購買意欲だけでなく、国民全体の意識に作用
• メディア、街頭広告、テレビ、SNS…すべてが統合された巨大キャンペーン
• 虚構が現実より強い影響力を持ち、国民は意識せずに操作される
ここでタタルスキーは、広告魔術師としての力を完全に自覚する。
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2. 罪悪感の昇華
3. 完全覚醒
タタルスキーはもはや個人ではなく、虚構と現実の統合体として描かれる。
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ペレーヴィンはここで、広告が 現代社会の宗教・魔術であること を最終的に象徴化する。
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◆ 5. 終章としての意味
項目 内容
主要イベント 国家規模の広告キャンペーン完成、虚構と現実が融合
象徴 広告=魔術/コピー=呪文/ブランド=神話/タタルスキー=虚構の支配者
物語的役割 タタルスキーが広告魔術師として完成し、物語の主題(消費・権力・神話)を最高潮で体現する章
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• 広告と権力の関係性:広告は単なる商業ツールではなく、社会・国家を動かす魔術
• 個人と社会の関係性:個人は操作されるが、魔術師(タタルスキー)は現実をデザインできる
• 現代社会の寓話:消費、イメージ、権力、神話が不可分の関係にあることを示す
タタルスキーは、個人としては虚構に操られる側でもあるが、同時に虚構を現実化する側でもある、
現代社会における「詩人=魔術師」の究極像 として描かれています。
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第10章は、
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第9章は、タタルスキーが 広告魔術の力を最大限に発揮し、国家規模で現実を“再構築”する段階 です。
ここで、物語のテーマである 言語・イメージ・権力の融合 が極点に達します。
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タタルスキーは、広告代理店と国家関係者の共同プロジェクトを遂行。
• 目的は国民意識の統一とブランド化(=国家イメージの神話化)
彼のコピーは単なる文章ではなく、**人々の思考や感情に直接作用する“呪文”**として機能する。
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第9章の核心は、広告の虚構と現実の境界が消失する描写 です。
• 街頭広告、テレビ、SNS、新聞…すべてが統合され、国民は無意識にイメージを受容
• 実際の現実よりも、広告が提示する虚構の方が強い影響力を持つ
タタルスキーはこの瞬間、自分が現実を創造していることを実感する。
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1. 快楽と陶酔
2. 罪悪感の昇華
• もはや罪悪感すら力の一部となる
3. 覚醒の完成
ここでタタルスキーは 広告魔術師としての最終形態に到達 する。
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第9章では、タタルスキーの魔術が 三重のレベルで作用 します。
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◆ 5. 第9章の象徴的整理
項目 内容
物語的役割 タタルスキーが広告魔術の究極的成果を実感し、虚構と現実の融合を達成する章
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第9章は、
タタルスキーが広告魔術の頂点に到達し、虚構と現実の境界を完全に溶かすクライマックス手前の章
です。
ああやって、騙したナチスより、騙されたドイツ人を叩けと喚く連中の心理は、被害者意識から、騙された一般人も皆殺しにしたいと思ってる叩かれた側か、そうでなければ、誤信念を強化して扇動したい奴らだ。
連中が、ああいう対立煽りを扇動するのは、そういう対立を扇動される人間というのは、現状への不満が鬱積しているからである。
要するに、どんな搾取や支配を受けても、一切文句言わない奴隷みたいな人間以外、対立を煽って、煽られた者同士を排除したいわけだ。
ナチスに扇動された連中と言うのは、そうした被害者意識のために、実際に虐殺や拷問に手をかけるような奴らだったわけだが、今日本で扇動されている人間は違う。
というか、虐殺や拷問を平気でやる屑に限って、高い地位をやって量産してるわけで、もちろん、虐殺や拷問を連中が忌避しているわけではない。
ただ、自分ら権力者に都合よく手を汚してくれるクズと、そうじゃなく、格差や差別に抗議して攻撃的になる普通の人を分けて、後者を抹殺し、前者を飼いたいだけなのだ。
そうした工作の結果、現実がどうなったかと言うと、ニューヨークでは、白昼堂々街中でレイプしても誰も止めに入らないどころか、通報さえしないし、日本でも、新幹線の車内で包丁で脅してレイプしても、誰も止めに入らなかった。
こうした止めに入らない人間には二種類いて、本当は止めたいけど怖い人と、女なんてレイプされてても、本当はどうでも良い無関心な人間である。
連中が、「ネットで批判している奴らは卑怯者!」「正義感の暴走がー!」と喚くのは、本当は、「俺ら権力レイプ魔を叩くな! 表立って抗議する奴らは皆殺しにしたけど、陰で批判する奴らも消し去ってやる!」「レイプ犯を批判する奴らは正義感の暴走がー!」と言いたいわけだ。
こんな奴らがフェミぶって、本当の性犯罪以外の性行為を糾弾し、表現規制までしようとしている屑どもの正体なのである。
アメリカの場合は、心理学者によって、「アメリカ人は、他の人が通報すると思って通報しなかったんだ!」という擁護をさせているが、最近では通報しないどころか、レイプで糾弾された政治家を大統領にまでして、実際にレイプを訴えた女は、それがマスゴミの権力を背景にしない限り、セカンドレイプしまくって集団リンチしている。
そして何故か心理学者どもは、日本人の場合には、そんな擁護一切してないのだ。
レイプに無関心か、それ以上に与する人間は擁護するけど、本当はムカつくけど止める度胸がない人間は糾弾したいからだ。
今のアメリカ人には、自分さえ良ければ良いだけの人間と、一切他人を糾弾しない奴隷人間の二種類しかいないのである。
しかし、自分らが被害を受ければデモや革命を起こすのは前者だけで、後者は、家族や知人が犠牲になろうが、抗議さえしない。
もちろん、後者が、ネットで批判なんて書き込むわけもないのだ。
青識やら立花に騙された人たちと言うのは、ただ、ネットで不満を吐露していただけの人たちであり、彼らを排除した未来にあるのは、何をしても誰も不満を代弁してくれないディストピアだけだ。
そして、今の日本が正にそうで、ネットでも、マスゴミ工作員の明らかにおかしいヘイト逸らしだけがあって、それへの反論は誰もしない。
ただ、どんな不満が蓄積しても、やり玉に挙げられるのは、連中が内心で排除したい相手だけであり、本当の不満の根源が取り除かれることは一切なくなるだろう。
その現状に、少しでも不満を吐露したり、抗議したりした奴らが、より強く発言したり行動した順に排除されていく。
デモする人間を排除したら、次は、ネットで不満を書き込みしただけの人間が排除されるのである。
その次は、知り合いに不満を語っただけの人が排除され、更には、メモ帳に不満を綴っただけの人間が排除されるだろう。
単純な話、ソ連はいきなり密告システムなんて作ったから失敗したわけで、こうやって、行動した奴らから順番に排除していけば、本当の密告システムが作られ、それを覆すことはもはや不可能になる。
そうして、誰も不満を口にできない状態になったら、今度は、少しでも仕事の手を抜いたり、控えめなボイコットを行った人間が排除される。
どんな凄まじいブラック企業でも、一切休みなく働く奴隷以外は排除対象にされるわけだ。
そして最後は、連中にレイプされたり、気まぐれに暴力をふるわれ殺されることに、訴えたり抗議した人間が排除される。
まあそうなったら、次の連中にとっての不安材料は、連中と同じ権力を持っている奴ら同士になるだけだろうが。
そうなったら、唯一の絶対権力を握った一人の人間以外は、奴隷以外すべて排除されるだろう。
そして、技術が完全に局地に達した暁には、奴隷人間さえ邪魔になるのである。
単純な話、連中は、底辺の中から不満を吐露した人間を排除するより、権力者の中から不満たらたら、利己的に世界を改変する気満々の奴らから排除しないと、次は我が身だ。
確かに誤解されているとは思う
コミュニストというと共産主義を目指している集団みたいに思われがちだが、彼らの行動原理というのは実はただの嫉妬や他責である
俺が不幸なのは搾取されているからだ!俺にはもっと価値があるはずだ!俺以外の奴らが権力を持っているのが不快だ!俺にももっと金と権力を寄こせ!
これはマルクスの共産党宣言を見れば分かるが、要はこういったルサンチマンが彼らの原動力になっているのである
無論、マルクスの時代は封建制であり領主と資本家が結びついて絶対権力の元民衆から搾取していた時代
この体制を覆すのは難しいので、マルクスは共産党宣言で「権力を倒すには暴力革命しか無い」と書いた。それはまあ正しい
(マルクス自体が裕福な貴族で、仕事もせずに遊びまくって借金しまくって追放され、それでも遊ぶのをやめずに得意の口先で金持ちに近づいては借金踏み倒しをしていた糞みたいな人物という事に目を瞑れば)
こういったマルクスに感銘を受けた革命家の多くが、革命成就後に封建主義領主以上の圧政を敷く独裁者となったのは貴重な教訓で
こうしたことから、人間社会は誰も絶対権力を持ち得ない民主主義を少しずつ改良して今に至る。
ただ毛沢東が大失敗し、ポルポトの悪事が世に広まってソ連が崩壊しても尚亡霊のように彷徨うコミュニストの残滓は
民主主義へのの世の中になっても尚権力との戦いを止めない。民主主義社会の権力というのは大衆の集合意思であり、その為のシステムとして選挙があるのだが
選挙で勝てないとなると大衆を敵に回しても革命を目指すがこういったコミュニスト残党である。それは則ちテロリストと同義なのだが彼らは21世紀の先進国に生きながら尚自分が封建領主から搾取されていると思い込んでいる。
彼らの行動の原動力は他責思考と原動力なので、いざ自分が権力を握ると有頂天になって独裁と圧政を始めるのは多くの歴史で証明されているところである。
一方日本共産党だが、彼らは世界の共産党(多くが非合法な反政府組織)とはちょっと違う特異な組織
日本だと共産主義者が最も隆盛を極めたのが1970年代で、連合赤軍が警察の追跡の中あれだけ逃げられたのも、住民の中で赤軍や左翼学生に同情的な一般人が多く、彼らを匿ったり支援したりしたからだと言われている。
こういった多数の一般人を票田とすることで日本共産党は勢力を伸ばした。
宮本顕治の作った日本共産党の当初の理念がどうだったのかは分からないが、民主主義下では国会や自治体に議席を持てば一定の権力を手に入れる事が出来、そこには利権が発生する
いつしか日本共産党はその利権を独占する幹部と、幹部に仕える多くの使用人+利益(票)を生み出す領民という構図の組織になった。領民は収入の1%の年貢と数年に一度の票を捧げる義務がある。
これは株主の為に社長以下強固なピラミッド組織で利益を追求する会社組織と同じだ。会社と違うのは利益の源泉が商取引では無く税金からもたらされるという部分。
日本共産党はその集票力を使って国政や地方自治体に議員を送り出し、議員から利益(収入の一部、政務活動費のバック、秘書給与など全て税金から)を吸い上げる
共産党の議員で医者や弁護士が多いのも、共産党に寄付をして貢献すれば議員になれるから。共産党の支持層というのは日本全体では2%ぐらいだろうが2%あれば比例や多くの自治体に議員を送り込めるのだ。
で、誰を誰を送り込むかは共産党の幹部が決める。自己肯定感の強い医者や弁護士は金を手に入れただけでは満足せず、次は地位や権力を欲しがる。それを金で売る。
まあそこはなんだろ、えっとほら、「権力は腐敗する 絶対権力は絶対腐敗する」って言うじゃあないですかぁ…ジョンアクトンだっけ?
企業と世論をつなぐ、という点における田端信太郎さんのコミュニケーション能力について考えていました。
私自身、清濁併せ呑む覚悟で起業をした経験があり、スタートアップの世界で知り合った方々の中には上場をしたりして公的な経営者にステージを移した人もいます。
一方で、まだ日の目を見ていないだけの不祥事が常に身近にあります。
一応は民主主義であり、インターネット等が伸び続けている今ではきっと不祥事はもう隠すことはできないのだろう、と思うのです。
どうせ隠せないのであれば、どうやって不時着させるのかを考える方向で力を使うのが次善の策でしょう。
もちろん、そもそも不祥事を起こさないということが第一原則であることは言うまでもありませんが、今も世界の何処かで不祥事は既に隠されているのです。
どうせ負けるならば、きれいに負けさせてくれる人に撤退戦の戦略をお願いした方がいいのではないか。
そんな事を考えながら、色々と書き綴っていたらうっかり8,000文字を超える原稿ができてしまいました。
自分語りがなるべく出ないように気をつけましたが、シンプルに一言で言い切る力が欠如していたため、歴史の話や別の方のブログ記事の話に派生してしまいました。
誰かと話し合いたいですが、皆それぞれ立場が違うと業界内では話せないこともあるため、生まれてきた文章の供養も兼ねて、ここに投稿させてください。
もし最後まで読んでくれる人がいたら嬉しいですが、長いです。
ぜひ端折って読んでください。
それでは。
10年以上前のはてなブログで、ある起業家の方がリクルートホールディングス代表取締役社長兼CEO出木場久征さんの発言を紹介した記事がある。
しかし、ここで語られている内容は今まさに湾岸で起きている革命の本質をついているようではないか。
記事によれば、
「世界は、落下してるんだ」
「本来あるべき方向に向かって、世界は凄い勢いで落下してるんだ」
「色んな既得権益持った人たちが抵抗勢力になって邪魔するんだけど、それは重力に逆らうようなもので、あんまり意味ないんだよ だって世界が落っこちていくスピードの方が圧倒的に早いから」
「だからさ、その落下する方向を俺たちは見定めて先に落下してくべきなんだよ」
「だってどうせ落下してくんだからさ 先に向かった方が絶対いいんだよ」
「俺たちがやらなくたって誰かがやるぜ?だって、そもそも落下してるんだから」
どうも、海沿いの特徴的な建物がおぼろげながら浮かんでこないだろうか。
湾岸やインターネットを主戦場とする現在の状況について考えてみよう。
重力に逆らって世界の落下に抵抗している勢力は勿論オールドメディアの権力者の諸兄のことだろう。
数千万円の口止め料もとい解決金を支払ったと報道された国民的タレントの方も当然権力者側だ。(報道をされたこと自体は事実だ。ただし、中身が正しいのかは当事者以外はわからない。念の為)
過去の栄光を踏まれれば、とんでもない落下だ。ただし彼の凋落ですらイントロに過ぎず、週刊誌が、影響力のあるインフルエンサーや経営者の皆さんが、あるいは匿名で事件情報を拡散するXアカウントが、日夜を問わず権力側の秘密に切り込んでいる。
おそらく先の報道には直接関係がないが、権力者側として同一視されている人物やその関係者の秘密まで芋づる式に暴露されている。
きっと今は芸能人を叩くのが最も効率よく注目を集める方法なのだ。
一方で、どうせ落下している世界へ向かっていち早く進んでいる人は誰なのか。
わざわざ人目につくことなく、こっそりと先に進んでいる方はおそらく少なくないだろう。
そして当然ながら私ごときではひっそりと先に進んでいる方が誰か知る事はできていない。
インターネット上に出ている情報だけで判断できる、落下後の世界を見据えて先に動いている人は誰なのか。
私見で恐縮だが、田端信太郎さんと堀江貴文さんを挙げさせていただきたい。
まず2名に共通することがある。
田端さんも堀江さんも、不祥事について週刊誌で報道された上場会社の株を空売りするのではなく購入している。
昨今、修羅の世界と化したXでは日々どこの誰かもわからない経営者の不祥事が暴かれている。
本来家庭の問題である不倫や、実際には被害届が受理されていないような刑事事件の疑惑ですら大衆による私刑の口実となってしまう時代である。
そうした時代であるからか、週刊誌そのものが批判されることも珍しくない。
1. 撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
3. 週刊誌のせいで、大衆にレイプ的な私刑に遭う、という指摘
1と2については、概ね正義があるように思える。(特に2については、おそらく大問題だ)
ただし1については言うだけ虚しい指摘でもある。
無責任な大衆、とりわけ取るべき責任を取ることができない無敵の人に、責任をとれといっても話は永遠に平行線だ。
3についても、一見筋は通っているように聞こえる。ただし私の見聞きする範囲に限った話では、3の方向性で批判している経営者の方が「絶対に人に知られたくない弱み」を抱えた人物である傾向があるように思える。
あくまで比喩であり誇張した表現ではあるが、「自分がレイプした事実を週刊誌に暴露されたせいでレイプ的な私刑に遭う可能性に怒っている人間」を前にしたときに、私たちがすべきことは週刊誌への批判に付き合うことではなく、出頭を勧めることであるはずだ。対照が人ではなく法人であり、特に上場企業であれば不祥事はしっかり公開するのが基本であり王道である。
また邪悪ではない方も3の論調になることがあるが、それはそれで無邪気すぎるか現実が見えていないと言わざるを得ない。
経営者の皆様が大好きなキングダムで描かれるような絶対権力者、帝王の時代は、既に移り変わっている。
民主主義も、インターネットも、権力を分散する世界の落下であると言えるだろう。
権力の分散が、権力の集中よりも安全だろうが、一方で数多くの小帝王を生じうる(意訳)という問題については山本七平さんの‘帝王学「貞観政要」の読み方’という著作の端書きをご参照いただきたい。
(以下、引用です。日経新聞社の方、問題があればご指摘いただければ削除します。)
複雑な現代社会ではあらゆる所に「生殺与奪」の権を握る公的なないしは私的な権力をもつ小帝王を生じうる。人事権、許認可権、それにまつわる賄賂や情実、それらが新聞記事などになると私はときどき、「ウーム、こういう人のもつ権力は、行使しうる範囲が昔の帝王より狭いというだけで、その権力の強さは昔の帝王以上かも知れないな」と思わざるを得ない。
同じく皆様大好き鬼滅の刃で冨岡義勇が生殺与奪の権を他人に握らせるなと主人公を一喝するのが33年後の2016年だと考えると、どれほど早くに書かれた文章か実感いただけるだろう。
尚、この文章は現代で最も大きな権力を握っているのは「大衆」かも知れない。という論調で続いていく。
群集心理に則り、責任を追わないで済む人間が自制心を失うこと。自制心を失った大衆が権力を握り帝王になってしまうと、人類史上最大の暴君を生むのではないか、という危惧は今日を生きる人間ですら目を背けている問題であるように思う。
山本七平さんの世の中を見渡す力が、私達より優れていることに疑いはない。
しかし33年前、すでに誰かが知っていたことであるのも事実だ。
1.撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、という指摘
先の引用だけでも1と3の指摘が不十分である、ということわかるはずだ。(というか、わかってほしい。)
権力分散の時代に生きていなかったら、起業家にも経営者にもなれていないかも知れないと我が身を振り返るくらいの想像力を持っていたいし持っていてほしい。権力をもつ人には、特にそうあってほしい。市民感覚に共感するかはさておき、上記のような想像料が欠けている方は突破力に優れる場合はある一方で、コンプライアンスの問題で一発退場となるリスクも持っているだろう。
不倫などは勝手にしてくれれば結構と個人的には考えるが、そもそも最初からやらなければいいのに、という話でしかない。仮にやってしまったのであれば、謝るべき相手にしっかり謝るしかない。隠すから余計ややこしくなり、隠すから週刊誌の格好のネタになってしまう。
だいぶ前置きが長くなってしまったが、このようなバランス感覚に優れているのが田端信太郎さんであり、堀江貴文さんであるように思うのだ。
念の為補足だが、私は二人と私的な関係にはない。当然に、仮に匿名でなかったとしても共通の知人こそ大量にいてもお二人は私のことを知らない。それくらい実力差がある筆者であることを許していただけるなら、この後も読んでいただけると嬉しい。
X上でアクティビスト投資家というイメージを固めつつある、田端信太郎さんを過去のいわゆる総会屋と重ね合わせて批判する論調も極稀に確認してはいる。
総会屋は企業に利益供与を求める行為は「利益供与要求罪」と呼ばれ、会社法で禁止されていることも疑いの余地はない。
だが、当然田端信太郎さんがこのことを知らないわけもない。
また当然、やるはずもなければ必要もない。
時に激しいレスバを見ると、田端さんの発言の強さだけを切り取って反論する人間が生まれることも理解はできるのだが、少なくともインターネット上で田端さんが誰かに利益供与を求めている場面を見たことがある人はいないのではないか。(あるいは、見たことはあっても非インターネット的な人間関係を前提としたお笑いのネタなのではないか)。
今回の騒動においても、不祥事を隠している会社の株を買っているだけなのである。
売っているのではなく、買っているのだ。
空売りもその意味においては「高く売っておいて、後で安く買う。その間は人に株を借りる」だけのことである。
業務上、知り得た企業の非公開情報を使って売買をすれば当然ルール違反だろうが、今回もおそらく不祥事を週刊誌報道で知ってから株を購入しているように見える。
また、影響力をもつ田端さん自身や田端さんの周囲の人たちが「株を買う」事自体をニュースにして、株価を釣り上げて株を売り抜けていれば問題があるが、これも当然田端さんがご存知でないはずがない。(ネット上の買い煽りアカウントが捕まらないのは、本人が実は株を持っていないということもあるのだとか)。
価値がある(あるいは時間をかければ価値が増える)ものを先回りして見抜き、買う。
この極めて単純かつ本質的なことを実行しているだけにしか見えない。
正しいことを正しい、と言うだけ。
間違っていることを間違っている、と言うだけ。
正しいか、間違っているのか、必ずしも断定できないときには疑問を投げかけるだけ。
人が言いたくないことや、空気を読んで言わないことであっても、言っていいことは言うだけ。
一方で、言ってはいけないことは言わないだけ。
すべて、秘密でもなんでもない、誰でも一度はどこかで学んでいる話だ。
知識よりもその運用が難しく、当たり前を当たり前に実行してきたからこそ田端さんのここまでのキャリアがあるのだろうと想像している。
このバランス感覚をもつ過程で、大半の人は撃たれる覚悟がないから撃たないという判断になる傾向があると思う。田端さんも当然そんな事はわかっていて、前線で発信をし続けているのだろう。
堀江貴文さんに至っては、テレビ局を買収するという前代未聞の挑戦をしたのがもう既に20年も前のことである。
30代の筆者にとっては、学生時代に見ていたニュースの中心にいた当時の堀江さんの年齢が32歳だということが衝撃だ。
先に登場させていただいたリクルートホールディングスの出木場さん(現在49歳)の世界は落下しているという話も既に15年ほど前の話だとすると、自分と対して年齢の変わらなかった当時の先人たちのレベルの高さには恐れ入る。
ただしこれはこれで、問題なのかも知れない。
先見の明がありすぎる人間が描いている未来(あるいは現実)を一般大衆は理解できないのだ。
理解できないからこそ、権力者が巧みに世論を動かしてしまえば挑戦者は負けてしまうのかもしれない。
既に世論の後押しを得ている(あるいはかつて得ていた)から既得権益なのだ。
20年前に堀江さんがテレビ局を買っていれば(あるいは、買えていれば)、おそらく国民的タレントの凋落は見なくて済んだと思う。
知りたくもない他人の性癖を想像しなくて済んだはずだし、きっと被害者とされる人が逆に貶められるような論調になることもなかったはずだし、数万字に及ぶエッセイも書かなくてよかったに違いない。
あるいは、その創作力を別の形で使えていたに違いない。
私が起業する時に、周囲の人間に「堀江さんみたいになってしまうから危険だ」と言われることもきっとなかっただろう。
当時このような心配をいただいた方々には敢えて直接連絡することもないが今ここで答え合わせをさせていただきたい。
私は一切堀江貴文さんのようにはなっていない。
それは単純にレベルが違うからである。誰もが太刀打ちできない権力者に32歳で挑むことは少なくともできなかったし、そんなチャンスも可能性も先見性も度胸もなかった。
今では逆に長年土俵際で耐えているだけの私を見た祖母に「堀江さんも復活しているのだから、あなたも時間をかけて焦らず頑張りなさい」と励まされる始末だ。
「あなたはどちらかと言えば堀江さん側ではなく、女性を献上する側になってしまいそうだから、そういうことをやっているなら今すぐやめなさい。ビジネスマンはお座敷でも真剣勝負だけど、まずは仕事での貢献が第一前提だよ」と笑いながら祖母に言われてしまうレベルであることも付け加えておく。
生身の堀江さんをお見かけして、余計に自分との距離を感じてしまっている限界起業家の私としては、なぜあそこまで優秀な堀江さんが一人で勝手に成功する道を選ばないのか不思議だ。
正しいことは、正しいと言うべきだけども、言わなくても生きていける。
間違っていることを間違っている、と言うべきだけど、言わなくても生きていける。
世界が落下している、と堀江さんは言わないかも知れないが。きっと在るべき姿や向かうべき未来はきっと浮かんでいるだろう。
わざわざ未来の話をしても、変化を嫌う既得権益側の方々に目をつけられて反感を買うだけだ。反感を買うだけならまだいい。実害もあるはずだし、それでも人目につく場所で発言をしているのはなぜなのだろう、と自分よりも遥かにレベルの高い人の思考を辿っても辿れるわけがないのだが、一つだけ仮説がある。
考えなくてもいい、人の気持ちをわざわざ考えたりはしないかもしれないけど、聡明な方だからどうしても気がついてしまうのではないか。
無責任な大衆にもかまってあげる必要も義理もないのだが、かまってあげるのが不思議だった。
無敵の人に対してわざわざ「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というようなことはしないが、無視もしない。
こじつけかもしれないが、「撃っていい覚悟を本当にするのは大変だよ」ということを見せてくれているのではないか。ルルーシュのように「だからそもそも撃つべきではなかった」と諦めるわけでもなく、戦うべきときがあれば既得権益が相手であってもまた闘ってくれるのではないか。
堀江さんが見た未来が、今の状況とは違ったはずだということはわかる。
https://anond.hatelabo.jp/20250104210441
引用ツイートの矛先がなぜか直接関係ないTwitterだったり「お前この『全男性米津玄師と星野源インストールしてくれたらいいな』ツイを匿名で晒して叩きたいだけのまとめ産アンフェ男なんちゃうか?」感が拭えないけど、
昭和の男尊女卑が今なお温存されまくる地方都市に出戻った元東京勤務女性の実感として
中間管理職とか中途半端な権力者ポジにある女性がパワハラセクハラかましまくる現象については覚えがありすぎる。
それは個別の例ではなく、それが誘発される構造が明確にそのTHE男尊女卑の地方男社会にあるからだ。
元増田は都内や大都市の企業想定でそれを言ってるんだとしたら、その企業の組織観やコンプラの程度はクソ地方都市の老害零細と同レベルってことなんでしょう。多分だけど。
なお、元増田はTwitter引用部分に軽く引いたのでそれより下は読んでない。
まず昭和臭の濃い地方の中小零細は業種を問わず男女とも縁故採用・コネ採用がスタンダードだ。昇進も然り。
正社員が欲しくなったら親族や知人から声をかける。暇だったら無条件で採用。
その次は親族や友達の友達を当たる。これも暇であれば無条件に採用。その次は経営者の母校(偏差値問わず)の学生を当たる。
それでも人が集まらなかった時に初めて消極的に仕方なく出すのが求人告知。その部外者の雇用条件は不平等で身内よりも冷遇される。
都会ベンチャー等でもコネで役員クラスや主要スタッフを集める事もあるけどそれは実績や能力や信用が担保されてるとか合理的な理由あってのことだと思う。
でも地方のコネ採用には学歴職歴資格能力経験人間性で人を評価して採用するという概念は無い。本当にガチでマジに「馴れ合える縁者なら誰でもいい。ヨソモンは嫌」という感情だけで合理性やコンプラなんてものはない。
正しくは「仕事はそれなりにあるが身内にしか回さない保守閉鎖体質なので求人は表に出ない。コネ持ちなら無能で邪悪で勤労意識もモラルも皆無のドクズでも楽々職ゲットで安泰だが、正規就職は都会より難しい」だ。
コネ無しでも男性ならまだ入り込む余地がある。女性だと学歴や職歴や素行関係なく一般企業就職はほぼ無理。コネがあったとしても家業も継げない。
だから真っ当に働きたい女性は大都会に行くか、公務員になるか、看護師や薬剤師など高度国家資格専門職になるかの三択しかなくなる。いずれもエリートの選択肢。
(その競争と高難易度の業務独占資格受験を勝ち抜いて就職したとて男性ほど地位や権限のリターンが無い+30までに結婚しない・子供いない女に人権なしの圧力により、大半の田舎女性は早期に無力感を植え付けられ結婚と出産が最適解だと追い込まれる)
もし高度専門職以外の地方企業で正社員で、「女性枠」の安くない給料で若い女性(下は10代、上は40代くらいまで)がいるならほぼほぼ無能経営者オッサンやジジイの愛人枠だ。
なぜ「無能経営者」「愛人枠」なのかと言うと、多少空気の読める経営者男性は、価値観の古い男しかいないホモソーシャル職場に若い女を男と同じ正社員として混ぜる事で発生するヘイトや結束崩壊のリスクを避けるから、夫や父親が経営者であっても正社員で雇ってもらえない女性もそこそこ多い。
それにホモソーシャル田舎経営者はママと閉鎖的な男尊共同体にチヤホヤ甘やかされて育って無条件で相続した長男きゅんである事が多いので、母親や嫁に家族なんだから手伝えと毎日タダで労働させて賃金も払わずでなぁなぁで押し通してしまう事もある。基本的に男が嫌がる仕事ばかりで重労働も多いが老いた母親はミニ家長様に文句一つ言わずニコニコ従属する。それが女の器量だと昔から刷り込まれてるから。まぁウチの糞兄貴だが。
前提の説明が長くなったが、要するに保守性だけで私的なコネ採用が横行しまくる閉鎖的で男尊女卑的な地方一般企業で、その中でも職務意識の飛び抜けて低い無能ジジイ・オッサン権力者が愛人枠で、若い女性の中でも誰もが一目で社会不適合者と認識するレベルのずば抜けて酷い反社じみた女性を職場に不自然にねじ込むことがある。
それも周囲を無理矢理黙らせるために最初から最高権力者権限で権力を与えたうえで、高い給料を愛人に貢ぐ。
こういう無能で責任感や倫理が崩壊したジジイ・オッサン権力者が大喜びで強引に職場に置きたがる愛人が、「女だてらに知識やコンプラ感覚があったり仕事意識が高かったり、女のくせに男に意見する生意気な現代の女」であるはずがなく。
女に頭の悪さと愛嬌と俺に依存して媚びることしか求めてない老害男性の「理想の女性像」を地で行く、社内の誰よりも学歴職歴素行が劣悪。脳内は男の絶対権力的庇護を振りかざしてサボるか他者にハラスメントするかだけで埋まっており、最低限の業務遂行能力に大幅に達してない、
ハッキリ言って飼い主だけに懐いて他には吠えるしか一切能のないしつけの悪い愛玩犬としか形容しようがないモンスター女性中間管理職が爆誕するというわけ。
まともな地域の企業で働く人には信じられないかも知れないが、私はバイトを含めた地方勤務でこの図式に三度遭遇した。
モンスター女性中間管理職の属性はリーダー、店長、主任といった肩書で、いずれも社内でそれなりに多い仕事のできる男女を押しのけて何故か抜擢された10代~20代くらいの見るからにヤンキーギャル然としたオッサンの愛玩犬系女性。
飼い主に該当するであろう男性権力者には職場内だろうが幼子のようにしなを作って甘えるが、飼い主か飼い主が直接根回しした忠実な召使役以外の全従業員とは自ら会話しようとしない。口を開くのはハラスメントで相手に罵声を浴びせる時だけ。
その現象が発生した三社には「世界規模で躍進する大企業の地方支部、全国フランチャイズチェーン」という共通点があって、
つまり現代の大企業らしく「正社員登用や昇進の機会は男女平等になるよう、女性からも選んでバランスとってね」とお達しがあったが、男社会ボーナスで権力者になっただけの無能地方ジジイやオッサンはそれが嫌なので、手前好みで男尊女卑の維持に都合がいい愛玩犬をダミーの女性管理職にして実質的に全権限と裁量を男性が独占しつつ、やってるフリをしてみせた。
……のではないかと推測する。
女性は出世させる気がないし、仕事の場で評価したくない、職場内の決め事は全部男性だけで決定したいし、仕事をしたい女性に対しては有能であるほど嫌悪感しかない。
「女性もちゃんと評価して管理職や役員に」と言われたら敢えて悪い結果が予想される程遠い女性を掲げて、「悪い実績」がつけばしめたもの。
もともと女性の採用すら躊躇する差別的で保守的な男尊女卑の土壌があれば、意図的に不適格な女性を管理職に推した男性は責任を問われない。
(読んでないけど、女性中間管理職のハラスメントを糾弾する増田の人事とやらも、彼女を推した男性と思われる管理職のことはまったく責めてない、責任があるという発想すら無いんじゃないか?)
むしろ望む結論に導いてくれておっさん達から内心感謝すらされるから、大企業の地方進出で雇用が作られてもただでさえ全体の民度が低いところに権力者の愛玩狂犬みたいな露骨に◯◯◯◯一歩手前のヤバい女性店長とか増えていくんじゃないかな。
ワイは学校行かないなんて言ったら「オマエは人間じゃない」って扱いを親に受ける世代だったので、自分の不登校どころか小中高と不登校の同級生がいたことないんだけど、今不登校が増えてるそうで。
理由の内訳とかやってるのかな。
ワイ個人、ゆるめのいじめられっ子だったんですけど、そんなことより「宿題してない」ことの方がよっぽど学校行きたくない理由だったんだよね。
イジメは(ゆるかったってのもあるけど)いじめる側も同い年だし、いじめられる自分に悪いことがあるなんて微塵も思ってないし、でも宿題忘れは相手は荒ぶる神が如き絶対正義絶対権力の「大人」だし、宿題忘れた自分が悪いから怒られるしかない訳だし、その後親から怒られるのも100%予知できちゃうし、学校行きたくない理由第一位は「宿題してないから」だった。
なーんか不登校でいじめ問題ばっか取り沙汰されてるけど、宿題って悪の文化じゃないか?
絶対不登校の理由に「宿題忘れたの先生に怒られたくないから」があるよ。絶対権力の大人、下手すると親より強い権力持ち(親が自分ではなく先生に降ってしまう状況)が悪いなんて不登校の子らが素直に口にするとは思えないけど、でもあるよ、きっとある。
いい大人になった今でも「歯医者に怒られるから歯医者に行かない」「医者に怒られるから健康診断行かない」とか言う人いっぱいいるじゃん。絶対「先生に怒られるから学校行きたくない」があると思うんだよ。
ていうか宿題やめよ。どうせやり忘れた奴とか必ず出るんだし、その瞬間に取り残されることが確定するような教育に無理があるんだよ。
絶対権力者がどんな人間を幹部に取り立てるかって言ったら、そりゃあ自分に従うやつでしょ。組織全体の最適人材なんかじゃない。権力者にとって都合がいい、心地よい人材が登用される。
どうして民主的な社会なのに、ほとんどの会社で上を向いて仕事するやつが偉くなるのかというと、トップは民主的に決まるわけではないから。
サラリーマンだった時に、上司は社長が出席する会議をそれはそれは重要視していて、部下である増田にも最重要視するように求めてきた。
理屈でそう動いているというよりは、偉い人と直接接することができる機会が嬉しくて仕方がない様子だった。
一方、増田にとって会議なんて不毛で、現場の専門性を知らない社長なんて誰でも良かったし、現場の都合で会議に出ないことが多かった。
社長が殊更に嫌いだったわけでもないし、会議の必要性もある程度理解していたし、増田がプレゼンするような時はしっかり資料を作って出席していたけれど、置物でも構わないような時は目の前のお客さんを優先した。
上司のような人達は心から権力と権力者が好きであり、理屈ではなく感情で上を向いて仕事をしている。自分が現場よりも上が好きなのでそれが当然であり、現場を優先する一般人の行動を理屈では理解できても感覚や感情として感じることはできないのだろう。
だから結局権力層には、上を向いて仕事をする人間だけが集まる。自分は上が大好きなので、部下がそうでないと理解できずパワハラになる。自分にとっての当たり前ができていないんだからイライラするだろう。目の前のお客さまより会議が大事なのなんて管理職なら当たり前でしょってこと。それを理屈じゃなく当たり前の感覚でないとダメなんだろう。
維新の斎藤元彦への評価が高いのはそういうことでしょ。上司のために最大限奉仕する人なんでしょう。評価は高かったんじゃないの。まさかこんなことする人には見えなかったのでは。
でも元彦は知事になり、元彦の中では絶対権力者になったはずだった。
何で絶対権力者である自分に部下が最大限奉仕しないのか肌感覚で理解できないのでは。自分は当たり前に奉仕してきたのでしょう。
「上には弱いクセに」ってよく言われるけど、「上に弱いからこそ」なんだよね。全ての人間が自分と同じで上に弱いのが当然の世界観だから。