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 グラバー園を出て、グラバー坂の途中に建つ「大浦天主堂」へ。
 カトリックの教会堂で、幕末の開国後の1865年に建立された建物。日本に現存するキリスト教建築物としては最古で、1953年には国宝に指定されています。
 拝観料は大人1,000円。一人ならまず入らないけれども、つれあいがせっかくだから見たいというので。(笑) でも、信者でもない者がどこを見ようとも、拝観料に見合う価値は見いだせなかったりして。そう思えてしまうのは、入場者の大部分が韓国人だったりするからということもあるでしょう。

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(大浦天主堂)

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(「信徒発見記念碑」と天主堂。右の建物は天主堂司祭館)

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(天主堂の内部。撮ってはいけなかったのかもしれません)

 次はいよいよ「軍艦島ツアー」です。
 島好きの当方としては、一度は渡島してみたいと思っていたところ、せっかく長崎まで行くのならあの産業革命遺産も見てみたいとつれあいからも提案され、それじゃあ事前に予約して乗ってみるかと相成ったのでした。一生行くこともないだろうと思っていた場所に行けるのはうれしいことです。
 山手から海辺へと下りてきて、「長崎水辺の森公園」内に位置する軍艦島ツアーの集合地「常盤2号桟橋」へ。桟橋には既に「さるく2号」というフネが停泊しており、おおこれで向かうのかと気分が高揚します。

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(軍艦島へと向かう船「さるく2号」)

 通称「軍艦島」は、かつての炭鉱の繁栄を伝える周囲約1.2kmの、「端島」という正式名称を持つ島です。明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されるなど、1960年代には東京以上の人口密度を有していたところで、小学校高学年の教科書にも載っていた記憶があります。
 1974年に炭鉱が閉山してからは無人島となり、一般の上陸はできなくなっていましたが、2009年以降上陸が可能となり、現在では多くの人が上陸ツアーに参加して軍艦島を訪れているようです。
 2015年には、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 ~製鉄・製鋼、造船、石炭産業~」の構成資産に登録されました。

 株式会社シーマン商会のツアーは、軍艦島を海から俯瞰し、上陸して見学コースを歩く、2時間半のコースです。出航時より専属ガイドが案内してくれる楽チンコースで、乗船料金は上陸料込みで一人3,910円だったでしょうか。波高が0.5mを超えるなどの場合は長崎県の許可が下りず、島に上陸できないことがあると直前まで心配させられましたが、なんとか無事に上陸することができました。

 1030に出航してしばらく海上を進むと、軍艦島が見えてきます。おお見えて来たゾと、島の東側から撮影。いったんこのあたりから上陸しますよと船着き場の近くまで行きますが、狭い船着き場は何社かあるクルーズ会社のフネが順番に利用しなければならず、さるく2号は島を離れて北側から反時計回りに島をくるりと回り、このあたりが最も島が軍艦のように見えるところだという場所で撮影タイムを取ってくれます。

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(東側から見る端島)

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(間近になった端島)

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(島の西側、島が最も軍艦のように見える場所から)

 そしていよいよ上陸です。見学エリアは島の南端のみとなっていて、第1から第3まである見学広場でガイドの説明を聞きながら歩くことになります。
 「ドルフィン桟橋」でフネを下りてすぐのところにある第1見学広場では、端島小中学校や社宅、ベルトコンベアーの跡など、炭鉱華やかなりし頃の生活を垣間見ることができます。小高い丘の上には炭鉱を管理する幹部職員が住んでいた職員社宅が聳え、広場から北に位置する端島小中学校は、1~4階が小学校、5~7階が中学校として使われ、炭鉱で働く親の多くの子どもたちが通っていたそうです。

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(フネを下りて、第1見学広場へ)

 第2見学広場では、島の中心部とも言える炭鉱開発の事務所や倉庫、作業場が置かれていたエリアを見ることができます。赤レンガでできた総合事務所や、炭鉱へ続くリフト乗り場が修復中です。炭鉱関連施設が多いため、軍艦島が栄えていた当時の様子を色濃く残す場所のようです。

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(第2見学広場でガイドの説明を聞く)


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