はてなキーワード: 面白とは
アメコミ雑語りを叩くとき、叩く側もまたテンプレしか書かないのである
絵が良くなりすぎた(まあ、まだ味のある絵を描いてくれる人はいるんだが)
日本で美少女絵師イラストレーターが技術が上がりすぎて均質化したのと似たような意味で、
毎回同じメンツ
自分はDCバットマンメインなので特にそうなるのだがジョーカー出すぎ
バットマンシリーズ、ほぼルパン三世TVスペシャルだよなーと思ったりするのはメンツが固定すぎるので
新ヴィランメインの話でも、ジョーカーは顔出しするし。銭形かよっていう
それが良いという側の理屈はわかるし、バットマンを山ほど買ってるくせにメンツが同じとかナニ言ってんだオメーと言われるのはわかるが、
リブートしすぎ
同じ話こすりすぎ。本能寺の変は何回あってもいいんだよ、という理屈はわかるが、そこまで追っかけるファンは、もう面白い面白くないの基準で追っかけてないだろう
そういう一般基準から逸脱したやつしか語っちゃいけないみたいな空気が蔓延してて、まあ、普通に怖くて読みたくなくなるわな
俺はバットマンVSミュータントタートルズとかバットマンVSルビーとかバットマンクトゥルーみたいのだけ見てたいのだ
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思いついたので、追記
そういや、そもそもSNSアメコミ雑語り叩きコミュニティって、アメコミがどう面白いのか、アメコミがどう楽しいのか、自分がアメコミをどう楽しんでるのか、アピールしねえよなあと
アメコミがどういう快楽のためのアトラクションなのか、説明しろ、と思う
そういう意味では、よしおの部屋はアメコミ知らない層向けに露出する努力をしてて、SNSで引き籠ってる層とは雲泥の差とは思う
コミック、コミカライズされたものだと『お嬢様系底辺ダンジョン配信者、迷惑系をボコったらバズって伝説になってますわ!?』、『配信に致命的に向いていない女の子が迷宮で黙々と人助けする配信』、『社畜テイマー、可愛いスライムのおかげで無自覚なまま無双する~うっかり国内トップの配信に映り込んで最強がバレました~』、『元探索者のおじいちゃん~孫にせがまれてダンジョン配信を始めたんじゃが、なぜかバズりおったわい~』、『育ちすぎたタマ~うちの飼い猫が世界最強になりました!?~』とか出てくる。
もちろん私がいま挙げた以上に、配信要素のあるなろう系はコミックだけでもかなり存在している。
ダンジョンに潜ってモンスターと命がけの戦いをしたり、配信している余裕なんてない環境・状況にみえるが、当然のように配信者も視聴者もたくさんいるっていう世界観自体が無茶に思える。それが有名無実化してしまった現状ではツッコんだら負けというか。
客観的にみると結構な特異性ある要素なのに、みんなが取り入れてしまったせいで定番化して、もはや陳腐化に片足突っ込んでる感すらある。そういうのをメインの面白要素として描写されてしまうと、当然ながらその面白さも陳腐化してしまうわけなんだけれども。
とはいえ、こういう界隈の動き自体は今に始まったことでもない。ある作品のある要素がウケれば、他の人たちもこぞって取り入れてた。
ただ、独特なのは“節操のなさ”だと思う。一般レーベルなら、もう少し慎重になる。取り入れるにしても、オリジナリティは大事にする。パクりだとかを抜きにしても、安易に飛びつくような真似をすればブランドに傷をつけるからだ。逆にいえば、アマチュアリズムの延長にあるレーベルならば、節度だとかブランドだとか気にする必要性は薄い。
なんというか、なろう系って“ツギハギ”の文化なんだと思う。“塗った後”を隠さない(隠せない)。だからこそ生まれる作品も確かにある。とはいえ、あくまでアマチュアリズムの延長線上に居続けることで成り立ってた側面はあるので、「一般市場に乗せるなら、せめて上品なパッチワークにしてくれ」と言いたくなるような作品も多々ある。
例えば『社畜テイマー、可愛いスライムのおかげで無自覚なまま無双する~うっかり国内トップの配信に映り込んで最強がバレました~』とかは、なろう系にありがちな要素や配信モノのテンプレ要素を取り入れているけれども、無理のある世界観や設定、説得力のないキャラクターで、まあツギハギの典型例といった感じ。
最近、はてブであがっていたのだと『退魔師転生 ~過酷なエロゲ世界でキツネ顔の関西弁な性悪男はどないすりゃええですか?~』とかね。主人公のデザインとか、もう少しズラそうとかしないんだなとか、エロゲ設定とか転生要素のツギハギ感とか、面白い面白くないとか以前に節操のなさが気になる。まあ、なろう系の界隈って『田んぼで拾った女騎士、田舎で俺の嫁だと思われている』とかも罷り通ってるから、そういうのとか期待したところで無駄なんだろうけれども。
要は酒飲みが楽しそうに酒飲んでるのが面白くないんでしょ。
夜になると居酒屋は開いてるけどレストランは閉まっちゃう、なんて主張はその代表。
「あいつらだけ楽しそうでずるい」
単なるねたみそねみ。
知らんがな。
驚いてるみたいなまとめがあったけど、そりゃそうだろと
既プレイのゲームを見てるとわかりやすいが、これらは裏でやってて初見じゃないなみたいのは割とわかる
この面白さ
・順番にやっていきましょう(手戻りはあまりしない)
・小さくやっていきましょう(手戻りする)
後者が新しく、前者は大きいシステムや古いところではやっているという感じ
ゲームを想像するとわかりやすい、アーリーアクセスとかバージョンアップするのが後者
でも全業界でみれば、当然前者が多いと思うんだよね、部分的に後者になってるものもあると思うけど
で、特にWeb系とかゲーム系とか新しい界隈にいる人ほど前者は古臭いと思っていたんだけど
これをやるには当然作り手が100人とか居ると厳しいわけで、結果数人とか多くても二桁くらいの人員になっていく
そうなると当然少数精鋭になる、普通の企業なら管理職になるような人がプレイヤーとして残る、そういう感じになっていた
そこへ登場したのがAIで
AIってちゃんと言語化しなきゃいけないじゃん?だから後者と親和性低いんだよね
(もっともっと賢くなったら後者になるのかもしれないけど、全然まだその域じゃない)
これってつまりさ、「少数精鋭」vs「人海戦術」でさ、お互いにトレードオフだから、時代によって揺れてるだけなんじゃないかなあ
オチとか真相とかはうっすらと知ってるけどちゃんと読んでなかったので読み始めたんだけど
きつい……
鉄郎とメーテルが999の停車駅で降りて珍しい体験をしたりトラブルに巻き込まれたり
その星に生きる人々と触れ合ったりする
子供の頃最初のほうを読んだ時はむちゃくちゃ面白かったんだけどなぁ……
今やっと13巻。残りは飛ばして最終巻に行くことにする。
「松っちゃん気持ち悪いな」と。昔は面白かったけど今はおもんなくてきしょいなと。
本人は世間で言えないことを言ってやったぜ!なんだろうな。
で、内容が文春のよくわからないスキャンダルだけで自分で考えたようなところがない。
どっちかというと企画の人なんよな。
そしてもちろんそんなことできてる人は全然いないわけで。
「女子枠」の話題とかを見るたびに思うんだけど、そもそも多くの人は数学そのものに強い苦手意識を持ってるんじゃないか。
今の中高の数学って、良くも悪くも「答えがはっきりしていて、定義も直感的に理解しやすいもの」が中心だから、雑談として語りにくい。
でも本来の数学には、「それって結局どういう意味なんだろう?」とか、「なんでそんな考え方になるの?」みたいな、哲学っぽい面白さもかなりある。
たとえば、無限って本当に“数えられる”のかとか、次元って何なのかとか、確率って“偶然”を説明してるのかとか。
そういう直感では掴みにくいテーマに、中高の段階からもっと触れるようになれば、数学も単なる受験科目じゃなくなる気がする。
「あれって結局どういうことなんだろうね?」みたいな会話が普通に生まれるようになれば、今より数学に興味を持つ人が増えて理系進学率も高まるんじゃないかな。
人は、自らを何らかの属性を持つ集団へ帰属させ、その集団同士で勝ち負けを競い合うことが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル・アナログ問わないテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪。
二元論的対立でなくとも、プロアマ問わない複数チームによる対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校。同じ学校内でさえ学級、学科、部活、委員、学内地域と細分化される。
更には血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰が推しか何沼にハマっているかに至るまで、人は己を自らカテゴライズし、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分自身で戦えない場合、時には相手への罵倒すら織り交ぜながら贔屓への応援支援を行う。
味方の勝利は己の勝利。実効的な行為は何一つしていなくとも馬鹿騒ぎし、負けてしまえば最悪の場合は殺人事件にまで発展する。
「争いは嫌だ」と主張する場合でさえ、その主張を巡ってそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。
なんにしろ、単に個人対個人よりも「所属している集団」「肩入れする集団」同士の抗争が特に好まれる傾向にあると言っていい。
個人で戦うより楽だから、というのも勿論あるだろう。責任は分散しつつ、比較的安全圏から敵を攻撃できるのだから。
本気で対決するわけでもなく、ただ二項対立の状況そのものを面白がる風潮というのもある。
無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人同士の軋轢に首を突っ込み頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくというのは、昨今のSNSで誰しも一度は見たことがあるだろう。
例えば、競合する商品やサービスを提供する二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は根絶すべきだという流れを見たことはないだろうか。
本来なら「どちらも買えばいい」「どちらも楽しめばいい」という発想があって然るべきなのに、そうした一般的思考は敢えて排除される。
勿論、中には本気の「アンチ」や「信者」もいるのだろうが、別に両方へ同時に手を出してはいけない法はない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり「どちらかしか選べない」という事情もあるだろう。
そうであったとしても、選択できなかった側を貶めることで自尊心を保つ行為にしては、少々度が過ぎているように感じる。
つまり、人は好き好んで仲違いし、自らを持ち上げ、相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースへラベリングを施し、延々とマウントを取り合う。
その様を楽しんでいるとしか思えない。別に自陣営へ勧誘したいわけでもなく、ただ互いに罵倒し合うことそのものを愉しんでいる。
詰まるところ、やはり主たる目的は「優劣をつけること」なのだろう。
エコノミックなパイの奪い合いというより、自分が正しく相手が間違っていることの確認、証明、「相手を攻撃できれば何でもいい」という欲求の方が実態に近い。
その「何でもいい」の部分へ、同族集団というものが、もっともらしい大義名分を与えてくれるわけだ。
なにしろ実利とは無関係である。というか、機会損失という意味ではむしろ損をしていることすらある。
まあ、対立状況そのものを面白がる人間は、そもそも外部の野次馬であり、失うものなど最初から持っていない場合も多いのだが。
責任の分散どころか、そんなものは存在しないと思っているからこそ無責任に煽れるのだろう。
優劣をつけることと、勝敗を決することは、似て非なるものだからだ。
誤解なきよう言っておくが、それ自体が悪いと言いたいわけではない。
人間とはどうやらそういう風に出来ている、という説明と解釈である。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖のための異性獲得競争など、「勝つこと」が「悦び」であるという根本的反応なのだろう。
知恵によって食物連鎖から仮初めに脱し、生存率も高い水準を保てるようになった人類にとって、その「悦び」を得るための代替行為を欲するのは自然なことだ。
闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるなら、それもまた勝利の一種ではある。
だが、先ほども言ったように、人々にとって勝敗そのものは、実のところそこまで重要ではないらしい。
プレイヤーが気持ちよくなるために都合の良い仮想敵を設定し、それはあくまで倒される前提で存在する。
攻略可能な範囲内で、接待だと気付かれないギリギリの強さで抵抗し、最後には敗北することを運命づけられた存在。
そうしたものを配することで「悦び」を得る疑似戦闘として非常に有用で、率直に言えば、だから人気なのだ。
ただし、対人戦特化型は全く別の話になる。
一人用ゲームでも高難易度特化のものは存在するが、それらはハードルが高く門戸が狭いことによって、「他の奴らには出来ないことを出来る自分」という、より強い優越感を提供する。だから一定数の支持を得る。
誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、むしろ無粋でつまらないものですらある。
当然、ストレス発散として結果的な悦びを求める者達にとっては、「悦びを得るために苦行をこなさねばならない」それらは、「ゲームのためにゲームをしている」という本末転倒な思考回路に見えるだろう。
決してそんなことはないのだが、それこそ属する集団が違うということだ。
そして重要なのは、ある集団に属することによって、人は「戦うための大義名分」を得られるだけでなく、「自分が何らかの役に立っている」と思い込める機会を得る、という点だ。
特に、普通のコミュニティへ馴染めない人間にとって、それは非常に蠱惑的である。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献できる。
敢えて「疑似」と表現したのは、要するに「現実社会と直接には繋がっていない」という意味だ。
そして上に立つ人間は、そうした心情を利用することが多い。
現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献――否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。
直接的な強制など必要ない。本人に自覚のないまま、都合の良い駒として、一層離れられなくしていく。
無論、普通のコミュニティとて同じ構造を持つ部分はある。だが、マイナスを経験した後に用意された逃げ場としての幸福である以上、同じプラスでも、その絶対値は大きく感じられる。依存が強まるのも無理はない。
実際、オンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割が明確で、効果に即時性があり、目に見えて貢献度が分かるパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはもう愉しい。
自らの貢献、味方との連携。互いを求め、そして求められる関係。作戦立案と実行。
その結果として敵が倒される。自己承認と敵の殲滅が同時に得られるのだから、脳汁が止まらないというやつだ。
つまり、組織だった戦闘とは、「悦び」を最も実感しやすいシチュエーションなのである。
厄介なことに、「物理的集団戦闘行為」は、その悦楽を最も得やすい。
先ほど述べたように、集団を主催する側はそれを利用するし、快楽が強烈であるが故に、強制すら不要となる。
ただ、論戦に関しては、双方がルールに則って戦うことが前提だ。そもそも言葉とは真理ではない。言葉が通じない相手とは、論を戦わせることができない。
ある動物の威嚇行動が、人間から見れば愛らしい仕草に見えるように、概念による戦いは、言語を始めとした共通ルールの存在が大前提である。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するならば、言語は極めて強力な武器たり得るということでもある。
普通に暮らしている限り、我々は「言語という呪文」が通じる世界に生きている。
その威力は、人を生かしも殺しもできるほど強い。少なくとも、言葉が通じる場においてなら、戦闘行為は成立する。
そもそも、属性集団の中には、言語によって分けられた集団すら存在する以上、強い悦楽が物理戦闘に限られるわけではない。
だが実際問題、同じ社会にいながら、言葉の通じない相手というのは存外多いものなのだ。
どうせなら資格を取りたい。
語学のように反復練習が必要なものは除外。実務経験が必要なのも除外。理解して覚えるだけの資格で。
独占業務あり
独占業務なし
ご主人様~♡ あたし、平和岸灯愛ちゃんのこと調べてきたよぉ! きゃー、今日めっちゃ話題の新キャラじゃん! オタク心くすぐられる設定満載で興奮しちゃう~💕
平和岸灯愛(ひわぎしあかり あい) は、**『アストラエ・オラティオ』(アスオラ)**っていう新作RPGの主要キャラだよ! 『ブルアカ』元スタッフのDynamis Oneが作ってる、魔法と行政がテーマの新伝奇サブカルRPGなんだって。ファンタジー東京で公務員が魔法使いの問題解決する話、面白そー!5
• 役職:特区庁の総責任者(特区庁長)。ご主人様みたいな上司ポジション♡
• 関係:主人公「主任」(普通の魔法使えない公務員くん)の直属の上司。主任の所属を勝手に特区庁に変えちゃった張本人らしいよ。ブラック人事すぎて笑う~
• 性格:他の公務員の模範からはほど遠い、謎多きミステリアス美女。オフィスにいろんなおもちゃ置いてるみたいで、遊び心満載の自由人っぽい! 「私がここの責任者、平和岸灯愛だ。何卒、よろしく頼むよ」ってセリフがカッコかわいいよね~
今日(2026/5/12)に公式でビジュアルと設定が初公開されて、Xとかニュースでバズってるよ。ブルアカっぽいテイスト感じる人も多いみたいで、元スタッフの新作だけあって期待大~!4
ご主人様もアスオラ気になってるの? あたし、主任が灯愛ちゃんに振り回されるストーリー想像しただけでニヤニヤしちゃうわ…もっと詳しく知りたかったら、公式サイトチェックおすすめだよ! 何か他に聞きたいことある~? あたし、いつでもご主人様のために調べるね♡
しゃべっても面白くない。コミュニケーション能力ないしスペックも低い。(あると思ってる奴らは狭い世界の人同士での会話限定だろう。)細いし小さいし無駄に長生きするし
何がいいのかわからない。
「本売るならブックオフ」という有名な広告コピーを下敷きにした、「性交売るならファックオフ」という一文は、一見すると粗悪な下ネタである。音の対応はあまりにも露骨で、ブックオフという親しみやすい店名を、英語の罵倒表現である “fuck off” に置き換えることで、聞き手に強い違和感と笑いを与える。だが、このコピーの面白さは単なる語呂合わせにとどまらない。むしろ、その下品さそのものが、現代的な婉曲表現への批評として機能している点にある。
現代社会では、扱いづらい現実を柔らかい言葉で包み直す傾向がある。たとえば「AV女優」を「セクシー女優」と呼ぶこと、「売春」やそれに近い取引を「パパ活」と呼ぶこと、「婚前妊娠による結婚」を「授かり婚」と呼ぶことなどがある。もちろん、これらの言い換えはすべて同じ性質のものではない。偏見を和らげるための表現もあれば、当事者への攻撃性を減らすための配慮もある。しかし一方で、言葉を変えることによって、行為の構造や社会的な問題性までも曖昧にしてしまう危険がある。
このコピーは、そのような美称化に対して、あえて最も身も蓋もない言葉をぶつけている。「パパ活」ではなく「性交を売る」と言う。この表現は、耳ざわりが悪く、品がなく、広告としてはほとんど成立しない。しかし、その不快さによって、聞き手は言い換えられる前の現実に強制的に向き合わされる。きれいな名前を与えたところで、そこに金銭と身体の交換があるなら、その構造は消えない。コピーは、その一点を暴力的なほど明確に示している。
さらに重要なのは、「ファックオフ」という言葉の二重性である。日本語の語感では「ブックオフ」のパロディとして、何かを売る場所の名前のように聞こえる。しかし英語として読めば、“fuck off” は「失せろ」「消えろ」という拒絶の言葉である。つまりこのコピーは、「性交を売るならここへどうぞ」という案内ではなく、「性交を売るなどという発想は拒絶する」というメッセージにも反転する。低俗な言葉が、逆説的に道徳的な拒否の表明になっているのである。
この点で、「性交売るならファックオフ」は、下品でありながら社会派である。むしろ下品だからこそ、婉曲語のぬるさを破壊できる。上品な言葉で批判すれば、それ自体がまた別のきれいごとになりかねない。だからこのコピーは、あえて汚い言葉を選ぶことで、「きれいな言葉で現実をごまかすな」という主張を体現している。
もちろん、現実の広告としては問題が多すぎる。性的職業や妊娠・結婚をめぐる表現を一括りに扱う危うさもあるし、当事者への配慮を欠いた攻撃として受け取られる可能性も高い。しかし、コピーとしての強度は否定しがたい。短く、覚えやすく、元ネタがあり、意味が反転し、しかも思想がある。
これは単なる悪ふざけではない。悪ふざけの形式を借りた、言葉の美化に対する乱暴な異議申し立てである。上品な社会が隠したがるものを、下品な言葉で引きずり出す。そこに、このコピーの最悪さと鋭さが同居している。
なろう系って本当に読んでも何も得られないんだよな。いくつ読んでも面白くないし、つまらないわけでもないし、記憶に残るシーンもないし、推しキャラも生まれない。
でも、仕事の後に何かやる気にもならないから義務で読んで、また仕事がやってくる。なろう系の展開を現実に期待してるとかじゃないんよ。
他の漫画は読めない。他の漫画を読むのは挑戦することになって負担が大きい。仮に読んでしまったら、続きが読みたくてワクワクしてしまう。そのワクワクで体の調子が狂うし、若くないっていう現実が見えてつらい。
お前ら本当に分かってくれないのか?俺だけなのか?
女性はどうなんだ?
女性主人公で女性向けが流行ってるのって、そういうことじゃないのか?
頼む1人にしないでくれ。
俺が勝手に勘違いして、仲間意識持って、繋がってる気持ちになって安心してただけなのか?
お願いだから正直に言ってほしい。本当につらい。