はてなキーワード: 古い自民党とは
https://digital.asahi.com/articles/ASTBG22C1TBGUPQJ004M.html
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての Permalink | 記事への反応(0) | 08:55
失った構想力と想像力 高市新総裁と「漂流する日本政治」はどこへ?
新しい自民党総裁に高市早苗氏が選ばれた。初の女性首相となる公算が大きいと見られていたが、公明党が連立を離脱し、先行きの不透明感は増している。一方の野党も一枚岩となれず、政権交代の好機をつかみ取るのに苦心している。漂流する日本政治。さて、どうすれば――。憲法、政治、歴史を専門とする3人が語り合った。
杉田敦・法政大教授 高市早苗氏が、女性として初の自民党総裁に選出されましたが、その後、公明党が連立離脱を宣言し、政界は大混乱となっています。自民党総裁がそのまま総理になるという構図が崩れました。そこで高市氏についてですが、女性がトップリーダーになるのはいいことだと、ひとまずは言えます。しかし、日本の政界では、極端に強硬な女性しか活躍できない構造になっているようで気になります。圧倒的な男性中心社会で認められるには、マッチョでコワモテでなければという「圧力」が女性にかかっているようで、そうした圧力がある限り、真の女性活躍には必ずしも結びつかないのでは。
加藤陽子・東京大教授 自民党という家父長制的な政党、端的に言えば男性世襲議員が多いということですが、その中で、中産階級出身の女性がトップに立つことは時代を画する慶事である。これは間違いありません。ただ、1986年に社会党委員長となって「マドンナブーム」を巻き起こし、女性初の衆議院議長を務めた土井たか子さんとの連続性で高市さんを捉えることは難しい。この30年余の間に起きた……というよりも、まさに今回、高市さんを支援した方々が中心的役割を担った男女共同参画に対するバックラッシュを経たうえでの、初の女性総裁だということは踏まえておくべきです。
総裁選出時の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言が問題視されましたが、これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれない。とても残念です。女性のリーダーシップを考える時、少なくともバックラッシュ以前の社会には、今の高市さんのようなありようは選択肢として存在しなかったはずです。
長谷部恭男・早稲田大教授 「教育勅語大好き人間」を自称する高市さんは、「企業体国家」への憧憬(しょうけい)を抱いておられるのでは。戦前の日本はまさに企業体国家でした。国民全体の共通目標があり、国が個人の生き方を決める。一億火の玉となって公私の別なく朝から晩まで天皇のために尽くす。そうであればこそ、富国強兵の旗のもと、あっという間に世界の「一等国」となりましたが、「天皇陛下のため」が暴走して勝てるはずのない戦争に突っ込み、国家滅亡の淵に立った。その結果できた日本国憲法は、企業体国家から「広場としての国家」へと国家像を転換させました。革命的な変化です。
広場としての国家では、国民全体の共通目標なんかない。国家は、広場に参加する人たちが守るべきルールを策定し、違反する人がいたら制裁する。それしかやらない。ルールの中でどういう生き方をするかは国民一人ひとりが決めます。ところがトランプ大統領の出現によって、広場のお手本だったはずのアメリカが企業体に変貌(へんぼう)しつつある。日本も広場のままではだめなんだという焦りや気負いが、高市さんの言葉の端々ににじんでいます。
杉田 広場で個人として生きるのは結構大変です。どう生きるか、どう行動するのかを自分で決められない、決めたくないという人にとっては「企業体国家」の方が暮らしやすい面がある。結局、輸出向けに自国の為替を極度に切り下げて、輸入食料やエネルギーの価格に苦しみながら、隊長の号令に従って倒れるまで残業するのが日本の繁栄の道だという程度の想像力しか、自民党とその周辺にはなかったということでは。
今回、公明党から、歴史認識や外国人政策と並んで、政治とカネについての要求を突きつけられ、連立離脱に至りました。しかし、この連立が壊れたら、自民党の議席にかなりの打撃となることは、以前から知られていました。組織票が減って、小選挙区でも連敗となる。それでも高市さんを選んだということは、非常に狭い視野でしか「戦況」を判断できなくなっていたのでしょう。もはや解党的出直しをするパワーすら残っておらず、身内を固めて古い自民党に戻ることしかできなかった。目を覆わんばかりの没落ぶりです。
長谷部 石破茂首相をスケープゴート(贖罪(しょくざい)のヤギ)にしたことからすべてつながっています。ヤギさんは別に悪いことをしていない。だから「石破おろし」に対して「辞める必要ない」と内閣支持率が上昇したわけですが、悪いことをしたか否かは実はどうでもいい。「こいつが全部悪いということにしよう」とみんながまとまることにこそ、スケープゴートの意味があります。解党的出直しなどハナから誰も真剣に考えておらず、総裁選の候補者はこぞって「党内融和」を唱え、論戦も低調でした。そして、「自分たちの罪はすべてヤギさんが背負ってくれた。みそぎは済んだ」と、裏金議員が支える高市さんを総裁に選び、「傷もの」が党の要職につく。とても自然な流れです。しかし、あまりにも得手勝手な「身内の論理」はさすがに通らなかったということでしょう。
杉田 「石破おろし」の中心にいた人たちが、いわゆる「安倍政治」の復権をもくろんでいたことは明らかです。安倍晋三さんが敷いたレールから石破さんが外れてしまったから、従来の支持層が参政党に流れた、復権させれば支持層を引き戻せる、昔の強い自民党に戻れるという夢を抱いて、5人の候補の中では最も安倍さんに近い高市さんを選んだと。高市さんは積極財政を打ち出していますが、安倍路線で膨らんだ国の借金をさらに増やせるのか。
長谷部 NHK放送文化研究所が5年ごとに行っている「日本人の意識」調査を見ると、安倍政権時代の2013年と18年は9割以上が生活に満足していると答えている。選挙をやるたびに自民党が勝ったのも当然です。しかし、その「ツケ」がいま本格的に回ってきて、円安による物価高で国民の生活が痛めつけられている。今さら安倍政治に戻るなんてできるはずがないし、やってはいけない。国が潰れます。
加藤 安倍さんは岸信介の孫、安倍晋太郎の息子ということで、自民党内での「正統性」を無条件に担える。しかし高市さんにはそれがない。ないのに、安倍さんと同じように振る舞おうとするから危うい。最もまずいのは、彼女の言葉の定義が非常に狭く、射程も短いことです。たとえば、総裁選出後の記者会見で靖国神社参拝について問われた際、笑顔をつくって「靖国というのは戦没者慰霊の中心的な施設で、平和のお社だ」。平和のお社? それは高市さんの勝手な定義で、国際的にはまったく通用しません。アメリカは靖国ではなく千鳥ケ淵戦没者墓苑の方を正当な慰霊の場だと考えている。日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね。これまでのようにアメリカ一辺倒では立ち行かなくなっている中で、日本はアジアと付き合っていかねばなりませんが、そのアジアの横っ面を張るようなひどい発言です。
杉田 総裁選の中で、排外主義的風潮をあおりかねない外国人政策が前面に出てきたことも見過ごせません。19世紀イギリスのウォルター・バジョットは、政治には「実務」と「威厳」の二つの機能があると整理しています。法律をつくって政策を動かす「実務」は当然やらなければいけない。しかしそれだけでは人民はついてこないから、「大英帝国はすごい」というところを見せて忠誠心を獲得し、国を統合していかなければならないと。ところがいま、世界的に実務がほとんど機能していない。移民という、まさにスケープゴートを仕立てて「威厳」を無理やり演出し、人びとを統合することしかできていません。日本においても「日本人ファースト」を掲げる参政党の伸長と、それに動揺して引きずられる自民党によって、外国人排斥的な流れが一気に加速しました。
加藤 高市さんを総裁に選んだことで、自民党は包括政党であることを諦めたと言えるのでは。党内外のコンセンサスを意識した経済的利益配分に留意し、「大きなテント」を張って幅広い考えの人たちを包摂してきましたが、ついにテントをたたみ、党内の一部の「無責任なポピュリズム」にくみした感があります。
長谷部 昨今の日本政治の特徴はニヒリズムだと思います。権力を握ることが自己目的化し、何のために権力を握るのかという目標や価値が蒸発してしまっている。先の参院選で議席を伸ばした小政党の党首は人気取りにはたけていますが、あるべき社会像を描けてはいない。ただ権力ゲームが面白くて、夢中になっている。しかも政党助成金という多額の「賞金」までついてくるのだから、これはもうやめられません。
杉田 衆参で自公が少数になったにもかかわらず、野党もメディアも自民党中心の発想からなかなか抜け出せなかったことが、日本政治停滞の大きな要因です。憲法や原発などの政策で完全に一致しなければ連立できないかのように言われていますが、世界を見渡せば、かなり考え方が違う政党が争点を限定して連立している。意見が異なる問題については基本的に現状維持とし、たとえば減税を中心的な課題として内閣をつくればいいだけです。これまでそうした発想がなく、今回、公明党が離れても野党の動きが鈍いのは、政党政治への理解が浅いからであり、もっと言えば、依然として自民党を過大評価しているからでしょう。
加藤 石破さんは10日、戦後80年の所感を出しました。戦争が避けられなかった理由を、国内の政治システムの不全から考察した声明です。国務大臣単独輔弼(ほひつ)制や統帥権独立等の制度的な穴を前提とし、その穴を補完し、「政策の統合」に任じたのが日露戦争までの元老であり、1930年代までの政党だったとの理解は、最良の学知の裏付けある解釈です。
しかし、政策の統合を図れるはずだった政党は、英米との軍縮、中国との戦争終結方針をめぐり、軍部の統御に失敗し続けました。その過程を、吉野作造、美濃部達吉、斎藤隆夫等、軍部批判者の名を挙げつつ裏面から書いた点に特徴がある。所感が一見、日本の対外的過誤に言及していないように見える理由はここでしょう。戦争を止められなかった理由を歴史から真摯(しんし)に学び続ける国民がいて初めて、平和国家の礎を築けると首相は述べました。日本の今後の針路を注視する世界に向けてのこの言明は、日本国民全体の利益と福祉にかなうものと思います。
杉田 石破さんが閣議決定を伴う戦後80年談話を出すのに反対した政治家たちは、何を守ろうとしたのか。彼らは安倍70年談話の「あの戦争には何ら関わりのない先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」を、もう謝らなくていい宣言だと捉えていて、80年談話でこれを上書きされたくなかったようです。ドイツの哲学者ヤスパースは、戦争の罪には四つあると言っている。①刑事的な罪――戦犯が負う。後の世代は関係ない②政治的な罪――国民全体が負う。後の世代も継承する③道徳的な罪――戦争への加担あるいは傍観といった個人の行為に対して良心がその行為を裁く④形而上(けいじじょう)的な罪――災厄を引き起こす人間という存在そのものが抱える罪。戦後40年にあたる1985年、西ドイツのワイツゼッカー大統領はこの整理を踏まえ、①は後の世代は負えないとしつつ、「罪の有無、幼老いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません」と罪を継承すると宣言した。ところが安倍談話は①だけをつまみ食いし、他の罪はないと言っているに等しい。今回、石破所感で、先の戦争に至る統治機構の不備という論点が出されたのは私も良かったと思いますが、安倍談話で無視されたままの、他の罪が気になります。
長谷部 ④を哲学者ハイデガーの言葉で言い換えると「負い目」です。それは否定のしようがない。なかったことにはできないし、それから解放されることもありません。「職業としての政治」を著したマックス・ウェーバーは、政治家は行為の結果に責任を負うという「責任倫理」を説いていますが、行為の結果が良かったか悪かったかの判断は結局、選挙に依拠するしかない。責任倫理を問われないためには選挙に勝って政権に居続けなければならないから、そのためなら公文書を改ざんするし、国会でうそをつく。安倍さん本人がどこまで指示したか知りませんが、そうやって安倍政治は維持されていました。自民党内にそのことへの反省はないし、企業献金も、旧統一教会の問題だって別に解決する必要はないじゃないかと、高市さんやその支援者はおそらく本気で思っている。ウェーバーが言う、悪い意味での職業政治家になってしまっています。
杉田 政治とは何かについては、大きく二つの考え方があり、一つはドイツの思想家カール・シュミットが述べたような、政治とは「戦争」であるという考え方です。最近は、世界にこのような政治観が蔓延(まんえん)しています。トランプ大統領はその典型で、政敵はもちろん、大学と闘い、さらには立憲主義を否定して裁判官とさえ闘う。外国人は皆、潜在的な敵として扱う。日本でも、その亜流のような政治家たちが人気を集めています。しかし、政治についてはもう一つ、多様な考え方を前提に、話し合いを通じて何とか合意して妥協するという考え方もあります。本来の保守とはそういうものだという考え方もありますが、石破さんを含めて、今はファイティングポーズをとらないと人気がないようです。
加藤 ファイティングポーズを取ること自体を否定はしませんが、立憲主義は守ってもらうことが最低条件です。立憲主義を破壊しておいて将来のビションを語ってもらっても何もなりませんから。
長谷部 政治とは可能性の芸術などと言われますが、現在の党派の枠を超えた想像力や構想力を取り戻し、停滞する日本政治を抜け出す方途を探るべきです。法の支配を守り、事実は事実として認めるといったミニマムな規律をもちろん維持した上でのことではありますが、単に税制や社会保障負担をいじるといったことを超えた、日本社会の大きな展望をやはり描いてもらわないと。
杉田 今後のことは予断を許しませんが、もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります。高市さんは「スパイ防止法」への意欲も繰り返し語っていますが、こうした法律がいったんできれば、報道機関や海外とつながりのある団体が根拠なくスパイ扱いされ、人権状況が悪化しうる。「戦争」としての政治観に一気にかじを切ることになりかねません。 Permalink | 記事への反応(2) | 08:48
国会ウォッチャーです。どっかにこのワードは入れるんで、増田のキーワードで探してください。増田のカテゴリーとタイトル文字制限がよくわかってない。トラバの増田、id:c_shiikaさんもありがとう。
昨日、今日と、国会がとまったのは、与党の国対の竹下亘が「遠慮して」止めたんですが、再開条件として野党側が集中審議を要求すると、「審議拒否」という話になる産経ェ。委員会審議の開催は、基本的に与野党の合意でやっとんですよ。与党が職権で開催しなかったっていうのは、与党自身が非を認めてるから、野党の要求を呑むことにしたわけ。別に与党は常任の委員長は全部握ってんだからやりたきゃやれるんだよ。なんでもかんでも野党が決めてることにしてんなー。経読みが終わった後の法案の付託(付託させないことをつるす、といいます)、委員会の開催、採決の是非、全部国対や筆頭間での貸し借りの話で進んでるんですよ、基本は。あのつるしはおろすから、アレは開催してとか、地方公聴会はやるからコレは採決させてとか。ま、国会が止まるのは暇だけど今はいいことだ。
先日(4月25日)の森ゆうこ議員(自由)の質疑を聞いていて、良いこというなぁと思ったので書き起こし。もう完全に受け入れてしまってたけど、外部有識者として、自分の意見に近い人を集めて、「諮問したんだからー外部の意見でやってるからー」っていうスタイルってよく考えたらというか、よく考えなくても微妙っていうか完全におかしいですよね。国民の一部の代表者である野党との文言修正はぜんぜんやらないのにっていう根本の話。これは民主党の事業仕分けとかもそうだったけどね。
11月9日の国家戦略特区諮問会議の文案についての質疑。前も書いたけど、森議員は、この11月9日の案が、総理近辺からトップダウンできている話だと多分疑っていて、12月22日の三大臣合意文書の存在そのものから疑ってるのです。なぜなら、この三大臣合意文書を山本幸三が稟議にかけてつくったという形式を事後的に取ることが、安倍総理からの指示ではないという形式上の証拠になるからです。だからこの文書がもし偽造であるなら、トップダウンでできた話だということの傍証になるのです。ちなみに、桜井充議員が文科省、内閣府の役人から受けた情報提供によると、省内では事前に検討した事実はないということです。また山本幸三大臣も、「いつ三大臣で話し合って合意したのか」と聞かれてしどろもどろになりながら、「そのような具体的に話し合ったというような記憶はない」と答えています。だからここは結構合理的な疑いだと個人的には思います。
森
「(略)本来であれば、H28年10月末から11月末にかけて、加計学園が市有地をボーリング調査したということが入るべきなんでありますが、一番大事なのは、この黄色の四角の部分(国家戦略特区諮問会議11/9の前後)でありまして、この間各省庁にヒアリングいたしましたら、H28年10月28日に、各省が、案文を提示したと。そしてその後、少し協議があって、やりとりがあって、最終的に11月9日に提出する最終案になったと教えていただきました。その、内閣府が文科省等に提示した案文をお出しいただきたいとお願いをいたしましたが、まだ私のほうに届いておりませんけれど、もし今日お持ちであれば、副大臣(松本洋平)にお読みいただければと思いますし、11月9日の最終案にいたる経緯も合わせてご説明いただきたい」
「内閣府が提示いたしました、原案、その後の意見や修文の具体的な内容につきましては、個別の政策に関する意思決定の途中段階のものでありますから、お答えすることは差し控えさせていただきたいと思います。諮問会議取りまとめにいたる経緯につきましては、昨年11月の諮問会議にかかる取りまとめに関しまして、(×昨年)4月12日(多分読み間違い、このときの大臣はまだゲル。今年の間違いと思うid:bareloさんのご指摘で訂正、お疑いのようだからあなたが文字おこしやればいいんじゃない?複数人がやればいいよ。それが健全だよ。正直バカだなぁとは思ってるけどね。)、地方創生特別委員会におきまして、山本幸三大臣と、内閣府佐々木事務局長から詳細にご説明させていただいております。その内容としましては、文科省、農水省との議論、獣医師会などから提出された慎重な意見から、総合的に判断をして、まずは地域を限定することで、意見に十分に配慮することが適当であると、山本大臣がご決断になったものであります。その上で、内閣府の事務方が取りまとめの原案作成を支持し、昨年10月28日に内閣府の事務方が、文科省高等教育局、農水省消費安全局に原案をおもちしたところでございます。それに対し、農水省からは意見なし、文科省からは昨年10月31日に、原案に対する意見がございました。11月1日、内閣府から修正案を提示し、翌11月2日、文科省から意見なしの連絡があり、特区ワーキンググループ内省庁間での事務的な調整を終えたところであります。最終的に山本幸三大臣にご決断いただき、11月9日の諮問会議にいたったということであります。」
森
「あのー政策決定の過程だから示せない、という答弁でした。農水省からもそのようなお返事がありました。おかしいんじゃないんですか。今問われているのは、なぜ、今治に決まったのか。11月9日に、実質上、事実上、今治に決まったんですよ。加計学園に決まったんですよ。その意思決定の過程があまりにも不透明だからこの間質問してきたわけで、そこに至る大事な部分ですので、出していただきたいと思います。国会なめてるんですか。立法府ですよここ。出してください。」
「同じ答弁で恐縮でございますが、原案、その後の意見や修文の具体的な内容につきましては、個別の政策に関する意思決定の途中段階のものであるため、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。」
森
「だからね、政策の決め方がおかしいて話をしてるんですよ。国家戦略特区、国会議員じゃないんでしょう。有識者、全然関係ない人が入って(竹中、八代なー)。それは最後は大臣かもしれませんよ。でも議事録見るとひどいもんですよ。まったく専門ではない、いい加減なことを言っている。もちろん専門の人が入られることもあります。でもそういう中でものがきまっていく、先ほどの自民党の先生方の話をお聞きしても(自民党議員でも国家戦略特区は、実質上総理の専権だから部会を通じて修正していく、普通の法案と違うんです。)、国民に選ばれた、国民の代表である国会議員のいろんな提言、全部無視して、全然関係ない人の意見は取り上げられて、ものごとが決まっていく。こういう政策決定のやり方は、おかしいんじゃないかって。だから質問しているんですよ。出してください。」
「繰り返しの答弁で(略)・・・」(桜井充議員の不規則発言:決定したんだから出せるだろ。決定してないんなら途中は出せないってんじゃないんだ。)←そのとおりー
森
「あの委員長、まぁ理事会協議になってるからってのを理由に資料を出し渋るのはやめていただきたいんですけれども、ここまで副大臣が拒絶しておりますので、きちんと理事会で協議をして提出をしていただきたいと思います。」
(以下木曽功氏の話へ)
これさー野党の修正協議に応じないってのは、そうだけど、自民党の山田俊男議員(農水族)が、JAへの攻撃とかばっかして(まぁそこには緒論あると思うけど)くせに、農家に責任を押し付けすぎているのではないか、農業競争力強化支援法は脅迫法の間違いじゃないかと不満を述べていたのにも現れていました。山田議員の主張は、規制改革推進会議が、党の議論と独立に出してきた結論に引っ張られて、好き勝手に意見を言うのを政府は容認し、党もそれを止められない、という類の話をされて、最終的には規制改革推進会議に農業を好き放題させてはならんぞぉということをおっしゃっていたことを森議員は言ってるんだと思うんです。これって、自民党の変容を端的に表していることで、党の部会の議論より官邸主導の有識者会議が優先されているから、自民党の族議員、特に道路族や農水族は強い不満を持ってると思うよ。口には出してないけど。官邸主導ですばやく決めるんだっていうけど、じゃあ立法府の役割はなんなの?っていう根本的で、しかも今あらゆる場面で問題になってることですよね。
大体、国家戦略特区で竹中平蔵が入ってやってることって、自分が社外取締役やってるオリックスの子会社の農地取得(養父市)、パソナ等3社で独占してる家事代行業への外国人参入、また今かかってる農業従事者への外国人労働者の特定機関として、派遣・請負業者(まだ特定機関の認定はされてないはずだけど、どうせパソナだろ)が占有するっていう政令とか、おい全部利益誘導じゃーんていう。木内議員が言ってたように、規制改革じゃなくってレントシーキングだろっていうさ。古い自民党の部会主義を全否定してきた意識高い系のひとたちってこういうのどう思ってんだろうねっておもったしだいです。
http://oumicha.co.jp/gallerypro/gallery.cgi?no=45
ダム建設計画はすべて反対から始まっています。建設予定地の住民は自分たちから造ってくれと言いだしたことはありません。
国から一方的に押し付けられて十数年,或いは二十数年のダム反対を訴え続け、地域住民の疲労困媒の末、国家の為又下流域の為にと苦渋の選択をして自分たちの人生を「ダムありき」の人生設計に変えて再出発しその後又十数年から二十数年ダムが完成するのを首を長ーくして待っているのです。
それを今度はダムはいらない!!ダムは造らない!!・・・・・て
私たち地域住民は国や行政を信じて協力し人生をかけてきたんだ!!
その我々を何だと思ってるんだ!!いい加減にしてくれ!!
大臣に頭を下げてもらったり補償をもらってすむ問題ではないんですよ!!
この40年から50年の私達住民の経験したダム問題での苦悩は到底理解してはもらえないでしょう!!
ある日知事が代わり、またある日政権が変わったら「ダム中止」と180度反対の方向に変えられようとしています。
そんな葛藤やら軋轢やら確執やらをゴミクズのように吹っ飛ばすのがまさに「政権交代」なんだが、この人は全然分かってないような気がする。
白が黒に、黒が白に一夜にしてひっくり返る。それこそが「政権交代」の醍醐味。国家のために苦渋の選択をする程度に物わかりが良いのなら、今回も国家のために粛々とダム建設中止を受け入れればいいじゃないか。ダム建設に限らず民主の政策に苦言を呈してる連中はその辺を全く分かってない。
それに「中止ありきだ」とかいうのは反論ですらない言いがかりだ。「中止する」と予告した政党が世論から多大な支持を受けている事実をひっくり返せてないのだから。中止の是非を問う段階はとっくに過ぎ去ってる。それを今更のように蒸し返すのはルール違反も甚だしい。
今回彼らが苦しんでいる原因が、計画当初のダム建設反対を貫徹せず時流に迎合した彼ら自身の見通しの甘さである事は言うまでもない。それを棚に上げて、圧倒的な支持を得ている現政権に抗い続ければ、さらなる苦難を自ら招くことになるだろう。
自民党に対する批判票が、結果的に民主党を推し上げた。自民党がこの批判を、どのように受け止めているかを観察する必要がある。次の選挙は2010年の参議院選挙であるが、現職のいない選挙区では今回の衆議院選挙で落選した人が復活当選を目指す為に、これまで以上のドブ板を続けるであろう。
現職が居たり、既に候補者が決まっている場合には、その先の衆議院選挙を目指すという展開になる。だが、"古い自民党"を国民は復活させないであろう。
今回落選した人々が、"古い自民党"からどのように脱皮してみせるかを見なければならない。ドブ板に徹し、地盤の私有化を続け、先の事は議員になってから考えるという人が多いようでは、次の参議院選挙は、自民党の息の根を止める審判となるであろう。
前回の参議院選挙、今回の衆議院選挙と、自民党は二連敗を喫しており、次の参議院選挙で負けたら、党勢回復は不可能となる。国民に見放された政党がどのような末路を辿るかは、歴史の教える所である。
"古い自民党"の戦犯も、選挙に強い為に当選している。この人々が、どのように動くのかを見る必要があるが、おそらく、死んだ振りをして、風向きが変わるのを待つであろう。小泉内閣時代を死んだ振りでやり過ごし、安倍内閣の参議院選挙での敗北を期に、直近の民意という錦の御旗を失った自民党が300議席を振り回すのはいかがなものかと言い続け、それでも300議席を振り回さなければならない為に、結果的に冷や飯食い達に権力を戻す羽目になり、最終的には麻生内閣を成立させてばら撒きを復活させたように、向かい風の時期にはおとなしくしているというしたたかさがあるからこそ、領袖・長老という立場にまで登れたとも言える。
彼ら長老議員はコップの中の権力闘争の達人であり、そういう人々が政治を私有化し続けたゆえに自民党は大敗し、反省をどのように示すかが求められているのだが、反省を示すくらいならば、それを庶民が忘れるまで死んだ振りをしてすごした方が良いという考え方をするであろう。人間の性根というのは簡単には変わらないものだ。
民主党は政権を獲得するが、自民党への批判票に支えられているという事を忘れた瞬間に、政権支持率は暴落を始める。国民は民主党のマニフェストや公約を支持しているわけではない。反自民だけの理由で民主党に入れた高齢者層から、大丈夫かもしれないと信用されるかどうかが当面のハードルとなる。
人間だから失敗はする。失敗を許すことができるのもまた人間だが。
失敗しても取り返しがつくようなレベルであれば、許す事で成長を促すという手段を使える。そのような環境は、未成年とか、成人でも下っ端従業員や陣笠代議士の間であり、まかり間違っても、幹部や大臣といった、それなりの地位になってしまったら、失敗を取り繕う側であり、失敗を許す側であって、許される側ではないとなる。
そういう地位にある者が失敗したら、面目を失したとして蟄居謹慎し、復帰の際には、その人の能力で勤まるであろう格下の地位で、失敗を許す側が居ない程に高い地位にある者ならば、切腹してケジメをつけるというのが筋であるのだが、このような進退をやれる人間は、めったに居ない。また、そのようなゆとりのある企業等の民間組織も、もはや日本には存在しないと言って良いだろう。
そういったゆとりある組織は、行政と政党だけになってしまったようである。
行政においては、一度上がった給与を引き下げることは出来ないから、自主返納で済ませ、返納の期間が終わったら、給与の額に相当する仕事をしてもらわなければならないから、それほど難しくは無いが肩書きと給与だけは高いという仕事を作り、移動させるという事をやる。すると、無意味なポストが増え、人員が増加し、さらに、仕事は楽で給与は高い方が良いという心根が広がり、組織が腐り始める。行き着く先は、失敗を揉み消し、かばいあう事が常態となる。そのような組織では、無能は罪ではなくなる。むしろ、無能がたくさん居る事が、自分の地位を安定させるとなり、より、無能な人を増やそうというインセンティブが働く事になる。
建前として、失敗をした人には懲戒や解雇といった処分が下されるが、それらの処分は下っ端だけに課せられ、幹部は、失敗を許す側になる。下っ端は、休まず遅れず働かずの三ず主義になり、ありとあらゆる手段をつかって責任を回避し、書類を作るだけしかしなくなる。それらを無理やり働かそうとするならば、待遇を良くし、おだてて働かせるという手段しかなくなっていく。職階や俸給の階級を増やし、出世や昇給という飴玉で釣らなければならなくなる。
一時期民間で流行った職能給という制度は、職能が上がらなければ賃金も上がらないという制度で、利益を上げない仕事は、幾らやっても賃金の上昇には繋がらないという結果を招いた。現場の技能での昇給は頭打ちになり、経営職だけが青天井の職能給を手に入れられるという制度となり、現場軽視を招いた。職能を持つ現場の人々は、自分達の能力が正当に評価され、宣伝やマーケティングといった利益に貢献しない後方部門との格差が更正されると期待したが、その期待は、真っ先に裏切られたのである。
現在では、職能給という制度は成果給という制度に変わっているが、本質は変わっていない。職能給では職能を認定する人が、一番高い職能を持つとされ、管理職の高給だけが正当化された。それに対し、成果給は、成果が評価の対象であり、成果を認定する人の能力とは関係ないとされたが、実際には、管理職が成果に対する報奨の大部分を取っていき、現場には雀の涙という結果にしかならなかった。現場で働く人々には、都市近郊の工場を潰して土地を売って利益を上げる時に、リストラの対象となるか、地方の工業団地や海外工場の管理職になるかという選択肢が与えられたが、地方の工業団地でも海外の工場でも、派遣や請け負いの労働者だけが部下となり、工場の現場で伝わってきた徒弟制度に近い技能の継承は断ち切られている。
失敗が許されるのは、その失敗をフォローできた時に、フォローした人が、もう一度チャンスを与えようという事で失敗した人を許すのである。日本の工業がぼろぼろになっている失敗は、フォローできていない。家族制度や雇用が不安定になっているのも、フォローできていない。失敗の原因となった変化は、変化に対応する補完的制度改革とセットになっていた筈なのに、一方だけが実行され、制度的補完がなされない為に、失敗という結果になっているとも言える。有権者の、結果的には失敗になってしまっている片手落ちの改革をさんざん行ってきた"古い自民党"をぶっ壊して欲しいという一票を投じても、その願いは通じなかった。通じなかったどころか、麻生内閣は財政赤字を増加させた小渕内閣時代にまで逆戻りしてしまっている。民意を汲めないならば、民意を汲めない人々を外さなければならない。
麻生首相は、自民党と公明党が過半数をとったら続投すると言ったらしい。民主党が自爆敗退しそうなので、自民と公明で過半数というのは実現するかもしれないが、議員を落選していれば首相にはなれない。民間人の首相就任は、さすがにありえない。福岡8区の376382人だけが、事実上の首相公選権を行使できるというのは、現状の制度の問題点の一つであろう。
「古い自民党がだめ」というの民意なら金権小沢で民主が躍進することもありえないと思うが。新しい自民党はいやだ昔のほうがよかったってのが民意でしょ。
KYという略語が流行ったことがあった。環境破壊をアピールするために、取材に行った朝日新聞記者がサンゴに刻み付けた自作自演のイニシャルとして有名な単語であったが、その後、空気が読めない人のことを、"あいつKYだから"と蔑むように使われるようになった。
KYになるのは仕方が無いが、あいつKYだからと言われるのは、ぎりぎりの所で気がついて軌道修正するのを期待する、最後の善意と言えなくも無い。そういう諫言をしてくれる人をどれだけ友人に持っているかというのも、人の価値の一つである。この価値の高い人の所に、人や情報は集まると言える。
反対に、信を失い、暴走状態になると、周りから人が減っていく。木っ端政党となっている民主党以外の野党といい、現首相といい、空気が読めていない度を競い合っているようである。
このまま総選挙に入ると、自民党は大敗し、民主党が単独過半数を取るであろう。その時、公明党は確実に寝返る。
というのも、参議院で過半数を確保するのに、民主党はあと11議席を必要とするからである。参議院の定数は242、過半数は121、民主党の現有が110である。与党は、自民党84、公明党21である。
民主党以外の野党は、共産党7、社民党5、国民新党4、新党日本1、無所属10となっていて、これらが民主党と協力して野党勢力となっているが、民主党が与党になったときに、これらの木っ端政党を取り込んで公約をぐちゃぐちゃにするよりは、公明党の21議席を大臣ポスト一つで閣内に取り込んだ方が害は少ない。公明党にしても、直近の民意が民主党にある以上、協力するのは吝かではないと、開きなおるであろう。住民票の移動が間に合わなくなったことから、これ以上自民党にくっついていても、メリットは無いと判断する事になるのである。
木っ端政党は自民党とも協力できないし、民主党にも見捨てられたとなり、事実上の政治生命が絶たれる。2大政党制ならぬ、3政党制へと向かう事になるのである。
首相問責決議案が賛成132票、反対106票で可決されているが、民主党以外の野党は、欠席して110票での賛成にし、野党に落ちてくる自民党に貸しを作っておくべきであった。これに賛成したのは、自分の手で自分の死刑執行命令書にサインしたような物である。
次の参議院選挙は2010年にある。この衆議院選挙が終わったら、すぐに準備に入らなければならない。民主党政権に対する信任を問う選挙となるであろうが、今の首相が党首を続けるつもりならば、そこでも自民党は大敗する展開がありえる。
民主党がダメである事はわかりきっているが、古い自民党はもっとダメだというのが民意である。古い自民党をぶっ壊すには、長老や領袖クラスに議員から退場して貰うしかないのであるが、それに加えて現職首相の落選まで行かないと、自民党再生の芽は無いであろう。
いい年をして、何が足りないかをわからないというのは、馬齢を重ねただけとなる。
麻生氏の失敗は、宏池会を恃みにしてしまった事である。国民の支持を恃みにするのではなく、自民党の数を支配できる量に信を置いた為に、安倍氏以後の首相と同じ道を歩む事になった。
国民が小泉氏に300議席の信を置いたのは、古い自民党を壊すと言い、部分的ではあるが、それを実行してきたからである。小泉氏が党の規約によって総裁を満期退任した後でも、その後継者は、解散総選挙をするまでは、個人の信条は別として、小泉氏の改革を引き継ぎ、実行しなければならないのに、それをやっていないのでは、揺り戻しが来るのは必然となる。
宮崎県知事を国政に引っ張り出す話で、自民党総裁にするとまで空手形を切っている以上、選挙担当者を更迭するべきであったのに、目の前のサミットに舞い上がっていたのか、放置してしまった。麻生降ろしをするならば解散すると恫喝しているようだが、後ろ盾として恃んだ宏池会が挿げ替える首を探してる時には何もしなかったのに、今度はするというのでは筋が通っていない。最初から空手形だとわかっていたというのでは不誠実である。歯を食いしばって頑張るべき場所を、間違えているのである。
このまま解散しても、麻生氏と宏池会が自民党の主流である限り、自民党の議席は壊滅的な減少を被ることになるであろう。たとえ、民主党の前党首と現党首の献金スキャンダルを盛り上げても、それは古い自民党に対する批判という点では同じであり、古い自民党に対する逆風は収まらない。むしろ、古い自民党を体現している長老・領袖クラスに対する批判票が対立候補へと流れるだけとなるであろう。
民主主義国家において責任を取るのは国民であり、国民の意思に反した行動を幾ら頑張っても、時間の無駄でしかない。国民により良い選択肢を提供し、信を得たならばそれを実現するのが為政者である。思い込みでつっぱしっても、国民はついて行かない。
解任できなかった事が問題なのだが、辞任でけじめがついたと主張している幹部の姿を見ていると、危機意識が無いとしか、思えないのであった。
政権を狙う以上、政党としてのポジションを強く国民に訴えなければならないのに、そのチャンスを、みすみす、辞任によって逃してしまった。これでは、自民党と変わらないという事になり、選挙においてアピールできる点にならない。
かろうじてメリットがあるとすれば、党首選を派手にやることによって組織を引き締める事ができる点であろう。党首選の運動が、そのまま次の衆議院選挙の票固めになる。与党としては、衆議院の解散は遅ければ遅いほど良いという事になる。それも、できる事ならば、新党首を国会に引っ張り出して集中砲火を浴びせ、失言を引き出した後が、望ましい。
政治日程を眺めると、今の補正予算はいったん取り下げて、民主党の新党首が決まってから再提出を行い、国会の論戦に持ち込んだ方が良いという事になる。満期解散であるが、補正予算案を争点に持っていくという手口である。満期日の前日である9月9日に衆議院の優越によって成立させるには、その予算案の30日ルールにより、8月10日までに衆議院で可決して参議院に送らなければならない。6月中に民主党の新党首が決まるという日程は、6月24日告示7月3日投票の都議選が始まってしまう為である。
民主党の党首選を都議選の事前選挙運動に取り込むという発想は理解できる。民主党は、東北以外では、都市や一区での議席に依存しているから、そういう層に訴えかけなければ、議席が取れない。赤字予算と地方へのばら撒きが止まらない自民党政権に対する都市・一区住民の不満をとらえて躍進するには、都議選は、良い舞台となる。
タイミング的には、与党の解散権を封じて都市・一区住民の票の行方を占う野党党首の辞任とも言えるのだが、それゆえに、ここは辞任ではなく解任とするべきであった。
辞任によって、日本の民主党は自民党と変わらないという印象をもたれてしまうのでは、せっかくの都議選が無駄になってしまうのである。こうなった以上、民主党からの離党なり、議員辞職なりを求めてけじめをつけさせないと、都市・一区住民の票を民主党が集める事は難しいであろう。解任であれば、一議員として民主党に残っても問題は無いという話になったであろうが、辞任では影響力が残ると判断され、離党か議員辞職でなければ、民主党のイメージを変える事ができない。
主権の委譲やら移民の受け入れといった売国政策を唱えているのが党幹部にいるし、政務次官経験すらない代議士ばかりの民主党に政権は任せられないが、古い自民党に戻ってしまった与党に冷や汗をかかせる存在ぐらいにはなってもらわないと困るのである。