はてなキーワード: 宣伝とは
アルバイトとかも無いのかな?
https://gigazine.net/news/20250603-pretending-work-office-china/
中国で出勤して働いているフリをするための「働くふり会社」ビジネスが流行
中国の大卒者は空前の就職氷河期を迎えており、多くの若者がなかなか働き口を見つけられず、家で気まずい思いをしています。そんな人向けに毎朝出勤して夜遅く帰るための偽オフィスとデスクを貸し、オプション料金次第では架空の上司とトラブルになったエピソードまで演出する「假装上班公司(働くふり会社)」のビジネスが中国のインターネットで流行し、実際にその流行に乗ったビジネスも表れていることが報じられました。
北京青年報の報道によると、北京や上海などの都市部に「働くふり会社」が出現し始めており、1日30~50元(約600~1000円)でオフィス環境、Wi-Fi、飲み放題のドリンク、ランチなどを提供すると宣伝しているとのこと。主なターゲットは、暫定的なオフィススペースを得たい失業者、人集めをしている起業家、仕事を疑似体験したい主婦層、自宅では作業がはかどらないフリーランサーなどです。
私は一応プロ作家なんだけど、この一年近くとある同業者にずっと絡まれ続けて困っている。
絡まれるといっても、お互いプライベートの連絡先を知っているような仲ではないし、Xで直接リプライ飛ばしてこられたりするわではないから、実害は別にないといえばないんだけど…
きっかけは去年のこと。
その作家、仮にBさんとしておくけど、その人の本の感想をXでつぶやいたのね。
私は普段からわりと他作家さんの作品も読んだら気軽に感想を公開するタイプなので、その時もいつものような調子でふつうに素直なコメントをした。
Bさんの作品は正直、コンセプトとしてやりたいことは分かるけど、表現があんまりそれに合ってない、というか技術が追いついてない感じで、ちょっと惜しい出来だった。でもまあ全く面白くないわけではないし、このバランスが気にならない人もいるかもしれないし好みの問題かもね。
でも、それからしばらくしたらBさんがXで急に、
『俺の傑作に嫉妬してるに違いない!』
最初は、自分の感想が「誹謗中傷」にあたるなんてことは全く考えていなかったので、へえそんなことが…大変ですねえ…ぐらいに同情的ながら他人事として眺めてたんだけど、よくよく見たら名指しでこそないものの、完全に私のこと言ってるわけ。
え!?
は!?
と、ひたすら混乱したものの、こちらの名前を挙げているわけではない以上ただの匂わせにすぎず、打てる手があるわけでもない。
まあ時間が経てば落ち着いてくれるだろうと思ってこわごわ静観してたんだけど…
それから一年近く、Bさんはこの件を何度も何度も繰り返し蒸し返し続けている。
最近は、新刊の発売が近づいて気が立っているのか、毎日のようなペースで私の「誹謗中傷」について語っている。
一体どうすればいいのか…
実のところ私がBさんの本を読んだのって、純粋に自発的な行動じゃないんですよ。
Bさんの編集者さんの方からご恵贈いただいたので、それで読んでみたわけ。こういう贈本って実質的に「SNSで感想投稿して宣伝にご協力ください」という意味だし。
しかも、私は同業者さんの作品でも感想であんまり忖度とかしませんよ?というのを予め自分の担当さん経由で確認して、Bさんの担当さんからそれでかまいませんと許可取った上で、それでああいう投稿をしたんですよ。
プロ作家として他作家の宣伝に協力するぐらいは当然の義務だと思ってるので恩を着せるつもりはないけど、そのお返しがこれですか?
ついでにお聞きしておきたいんですが、私の感想を嫉妬(笑)だとおっしゃいますけど、Amazonとか読書メーターとかに行けば、作家でもなんでもない一般読者の方のレビューでも、私と似たような感想が現に山ほど見つかりますよね?しかも、私よりもはるかにドギツイ言葉で。
「一定の人が残念に感じるような内容・出来の作品である」以外の説明が可能なのですか?
正直なところ、Bさん自身に直接要求したいことはもうほとんどない。
安全で落ち着いた対話はちょっと無理そうな相手だと判断したので。
その代わり、この件については自衛のために知り合いの作家仲間たちと情報を共有している。もともと私と仲のいい人々だからというのもあるが、彼らの反応は「それはBさんが悪いわ」「増田さんはとてもいい人なのに」一色だ。
新刊の発売が近づけばBさんの担当さんはまた業界人に本を配ってまわるだろうが、これからは宣伝に積極的に協力してくれる作家も少なくなることだろう。
数十メートル前からでもその道沿いからなら見えるように店の壁に看板をつけてたのに、隣のやつが工事して塀を立てたことでその状況が壊された。その壁側の面が見える場所まで建物から遠ざかった時点でもう塀の死角になってて宣伝効果0。
いや少しは隣近所に配慮とか考えないのかね?
エンジニアがやめてしまうと多数のユーザーが使っているアプリケーションでもメンテナンス困難な事態に陥りやすいです。
そんなわけで、staticでいいところはstaticでいいんじゃないですかねえ。
古い時代の言語からインクルード・ファイルという手法が用いられてきた。
これは元ファイルに記述しておいて、そのファイルをインクルードすれば、ゼロからコードを記述せずに済むという手法です。
同じ元ファイルを使っているプログラムは、そのファイルの記述を継承することができますよね。
継承について「動物」と「犬」「猫」のようなたとえ話をすることもよく聞きます。
でもそれは哲学的というか万物創生の宗教的な話にであり飛躍しすぎの感があります。
ショッピングサイトの構築をしてもリアルの店舗の販売者、購入者の行動を分析してみてドキュメントにまとめて客に説明しても、この工数を客に請求するのはかなり無理があると思います。
サイトならば画面上でどのように表示して、どのボタンをクリックすれば購入などのアクションが起こるか、それが客が知りたいことなのです。
ITというものはあくまでも現実の技術レベルでユーザーに受け入れらるように表現することを目的とするもので、自分が神様となって万物を創造するものではない、ということです。
ただ趣味やSFとしてIT書籍を読むならば後者つまり自分が万物創生の神になる幻想に浸るほうがウケるでしょう。
WEBアプリケーションはページ毎がプログラム単位であって、ページ間連携はポストやセッション変数によって行われる。
オブジェクト指向言語では、クラスによって意図的にプログラム分割して開発の利便性を上げる必要があるが、WEBアプリケーションにおいては自然に分割して開発作業が行われる。
オブジェクト指向のメリットとしてはクラス分割により大規模化を抑制する機能があるが、WEBアプリケーション開発については、そのようなクラス分割は込み入ったモジュールでのみ行えばよい。
オブジェクト指向が当時なんでウケたのがという原因が、継承、カプセル化、プロパティ、メソッド、ポリモーフィズムなどの言葉がかっこいいし、それをアフィリエイトブロガーがネットで言葉巧みに宣伝し書籍も売れた。
ポリモーフィズムはかつては、多態とか多相とか呼ばれてましたが、マジな話、Perfumeのポリリズムがヒットしたから似た言葉としてポリモーフィズムが用語として知られるようになったと思う。
カーラジオで埼玉のFM局を聞いていた時にデヴュー当時のPerfumeが出演していて、あの曲聞きました。今となっては昔の話ですよね。
信じようが信じまいが元増田だ。
案の定トラウマにまみれた奴らのコメントが山のように出てきたなというのが俺の率直な感想だ。
否定のコメントの中にもそうじゃないやつとの違いがはっきり現れていて面白い。
トラウマにまみれた奴らにはいくつか特徴がある。思いつくままに書いてやる。
まずこれだ。
自分のことに対する理解は異常なほどに低い、これは不思議だが、自分のことを真正面から見つめてしまったら精神的にも肉体的にも持たない空間にいたのだろう。大変だったな、って思うぜ。
次に他者に対する解像度の高さだが、これは「あいつはあーでこーでこーだから出来るんだよ」とかそういう感じに本当ともう外もわからないが一見立派な理屈で「どうしてアイツラは出来るのか」ということを一生懸命にのたまってしまう。
そしてここでもう一つ特徴があり、このときのアイツラの説明に出てくるものは100%と言っていいほど「アイツラにはあるが自分にはないもの」だ。
要は論理的に自分たちには無理だと言いたいのだが、自分がわからなすぎてアイツラを分析した対偶を取って自分には無理、と言いたいのだろう。
自分を見据えている人たちの反論は自分の生活がこうだからむりなんですけど、という感じの反論をしてくる。
なんで俺がお前のために文章を書くんだよ、お前のことなんかDNAレベルで見たこともねーよ。
要は一発でわかるように書いてくれないと考えられない程度に脳が疲れており精神に余裕がないんだろう。だから陰謀論とか都市伝説に引っかかるんだよ。
要は自分に有利なことしか耳に入れたくないんだろうな。書いてないことを読み取って反論してくる奴らが頭があまりおよろしくない方々じゃないならもう何もかも捻じ曲げて読むことが日常化しているって言うことだ。
多分人からポジティブなこと言われたら裏を勘ぐるし、ネガティブなこと言われたら今すぐ死のうって考えるくらいに受け取ってんだろうな。
わかるか?そういうの全部誰かから刷り込まれているんだからな。
あと、多分ブコメだけ読んで返事している奴らもいるだろうな。
これについてはトラウマなのか、そういう業者の印象操作なのか正直言うとわからんが、はっきりいうが、俺は人を救わないセミナーは滅びるべきだと思っている。人を救わない自己啓発本も滅びるべきだと思っている。
アイツラの手口はこうだ
苦しんでいる人たちを誘い込む→色々と話を聞く→なんだかんだであなたは今のままで十分輝いていると言って帰宅させる
わかるか?変わりたくて扉を叩いているし、変えますと宣伝しているのに変わらなくていいと言っているんだぞ、トラウマまみれな人たちはこういうのにすっと載せられるところがあるから普通に騙されてしまう。
俺はこの手のセミナーについてはとにかく二人三脚でつらかろうが苦しかろうがトラウマをほじくり出して明確にし、そして然るべきところに送る人たちこそが正解だと思っている。
永遠にお前らから金を搾取するような奴らに金を払い続けるのは実はトラウマを持った奴らには快感でもある。
頑張っても頑張っても達成できない哀れな自分(だからアイツラはできて俺はできないと言いたい)。
増田でネットの無効に隠れてやなこと言っている奴らはどこの誰とも知らないネットの向こうにいる奴らにぶつけて復習しているんだろうが、そうじゃない奴らもいる。
多分お前らもやっているが、致し方ないこと、正しいこと、考えた末の結論、などと言ってごまかしていることだろう。
トラウマを持った奴らにはターゲットがいる、パートナーだったり親だったり子だったり上司だったり部下だったり様々だ。
例えば、誰かの頼みごとを聞いて一生懸命やっている、という建前で家事の一切を拒否する、部下の支援で精一杯ですと言う顔で上司が困るような仕事のミスをする、と行った具合だ。
お前らに対して「それも悪家内がもっとこっちやってくれないか」と言わせたらもうよだれ流して嬉しいだろ?逆襲の対象を徹底的にとっちめられるからな。
母親に逆襲したいのにそれを妻にやる、前の会社の嫌な上司に逆襲したいが今の会社の上司に逆襲する、なぜか、お前らに跳ね返ってこない人を選んでいるからだ。
もう時間内からこのくらいで終わっとく。これが読まれるかどうかも割とどうでもいいが、自分を振り返るというのは大事なことだ、茨の道だし、なんで自分がやらなきゃならんのだ、悪いのはアイツラだろ一生かけて償うべきだと思うかもしれないが、お前の生きづらさはもはやお前の内側からコンコンと湧き出している。悪いはずのアイツラはもうお前のことすら忘れているかもしれない。残念だし悲しいがこれが現実だ。
「待望の新刊、ついに発売決定!」
「話題のあの本、予約受付中!」
書店やSNSで、こんな広告を目にしない日はないでしょう。出版社や著者が心血を注いで作り上げた書籍を、一人でも多くの人に届けたい。その熱意は痛いほど伝わってきます。
しかし、声を大にして言いたい。
書籍の広告を、発売日「以前」にするのは、果たして本当に効果的なのでしょうか?
私には、それがどうにも非効率的に思えてなりません。「それ、欲しい!」と心が動いた瞬間、手に入らない。この「お預け状態」が、実は大きな機会損失を生んでいるのではないでしょうか。
「欲しい!」と思った熱量を逃すな!発売日前の広告が抱えるジレンマ
考えてみてください。魅力的な広告を見て、「この本、面白そう!読んでみたい!」と強く思ったとします。しかし、発売日はまだ先。書店に駆け込んでも、ネット書店を検索しても、そこにあるのは「予約」の文字か、あるいは「発売前」の表示のみ。
この瞬間、高まった購買意欲の火は、少しずつ小さくなっていくのではないでしょうか。
「ああ、まだ売ってないのか…」
「いつ発売だっけ?まあ、そのうち思い出したら…」
こうして、せっかく灯った興味の炎は、日々の忙しさの中で忘れ去られてしまう。発売日を律儀に覚えていて、その日にわざわざ買いに行く人が、一体どれだけいるというのでしょう。よほどの人気作家の固定ファンでもない限り、稀なのではないでしょうか。
思い出してください。あなたが最近買った本は、どうやって知りましたか?発売日を指折り数えて待っていましたか?それとも、発売されて話題になっているのを見て、「お、これ面白そうだな、買ってみよう」と手に取ったのではないでしょうか。
答えはシンプルです。
「発売日の早朝」
これに尽きます。
朝、いつものようにSNSをチェックしたり、ニュースサイトを見たりする時間。そこに「本日発売!」の文字と共に、魅力的な書籍の広告が目に飛び込んでくる。
「お、今日発売なのか!面白そうだし、仕事帰りに本屋で見てみようかな」
こうして、興味を持った瞬間に購入というアクションに直結する。これこそが、最も効率的で、読者の熱量を無駄にしない広告戦略ではないでしょうか。
「欲しい!」と思った瞬間に、買える。このシンプルな事実が、どれほど重要か。
なぜ、こんなにも簡単な理屈が、出版業界の広告戦略では見過ごされがちなのか、私には不思議でなりません。もちろん、予約数を伸ばしたい、初速のランキングを上げたい、といった事情もあるのかもしれません。しかし、最終的に本を手に取ってもらうというゴールを考えたとき、発売日前の広告は、本当に「読者のため」になっているのでしょうか。
今一度、書籍広告のあり方について、根本から見直す時期に来ているのかもしれません。読者の「今すぐ読みたい!」という気持ちに、もっと素直に応える広告戦略こそが、これからのスタンダードになるべきだと、私は強く思います。
そんなことも知らずに「金曜ロードショーで火垂るの墓やるんだって!」とか言ってる人がいる
そこで、調べてみました!
ロードショーとは、一般的に映画用語で「先行上映」「封切り」のことを言います
でももっと語源に遡ると、「演劇の興行前に宣伝のため道路で上演したこと」によります
つまり、「道路で演劇を先行上映していた」→「それが先行上映の意味だけ残った」
というわけ。
そうです、おかしいのです
多分、雰囲気でカッコよくするためにロードショーと名付けたのでしょう
ごめんね
ニコニコ動画をいつものようにサーフィンしてたら、顔がどストライクの美人ちゃんがエロダンスをしてた。
普段ならアフィを嫌って再生することはないんだけど、この日はオナ禁10日目でムラムラしてるのもあって思わずクリックしたんだ。
気づいたら出てた。
仕方ないよね。めちゃくちゃ好きな顔の女が誘惑するようにおっぱい揺らしたり腰振ったりしてるんだもん。
その日は久しぶりの充実感で良い夢が見れただけで終わったんだけど、この日以来、あの扇情的なダンスが頻繁に頭をもたげるようになった。
嫁子供がいて余裕も時間もないからしばらく致せてなかったんだけど、あの日の興奮が忘れられなくてまたニコニコ動画に潜った。
そしたらなんとその動画消されちゃってたんだよね。まあ明らかにエロ売りしてたし仕方ないと思いつつ諦めきれなくて探してたら、タグから同じ人が踊ってる動画が見つかった。
また消されたら困ると思った俺は、この動画に映ってる彼女を特定して、転載元に直接アクセスしようとした。
動画に映った彼女のスクショを撮り、googleで画像検索したらすぐに彼女は見つかった。
どうやらyoutubeやらインスタやらtiktokやら色々な媒体で幅広く活動してるらしい。
ただ、どの媒体も健全ナイズされていてニコニコで見たような精子工場 in キンタマの稼働を促すような動画はどこにもない。
どういうことだ?疑問に思いながら最後の一縷の望みをかけて宣伝用HPにある最後のURLを踏んでみた。
するとtwitchに酷似したUIだけど、あるのはハングルだけの謎の配信サイトが開かれた。
twitchが韓国から撤退したニュースを思い出しつつ、手探りに配信のクリップと思われる画面まで遷移した。
……これだ!
見た瞬間ゼルダの効果音が流れ、体のどこかで何かが動く音がした。
ひとしこり右手を動かした後さらに調査してみると、どうやら配信の中で投げ銭か何かをされるとお礼に踊り出すというシステムらしい。
せっかくなら俺もコメントで配信を盛り上げたいが、いかんせん流れるコメントも彼女が何を話してるのかも皆目見当がつかない。
まだハングルの読み方を学び始めてパッチムが分かり始めたところだけど、これがなかなか面白い。
今まで読めないのが当たり前だと思っていた아やら붕やらの記号の集まりがたった数時間の勉強で読めるようになっているのだ。