はてなキーワード: 比較優位とは
その反論は典型的な、一事例から一般原理を否定するタイプの自己放尿的思考だ。
まず、「中華は計画経済でレアアースを引き当てた」という主張には、重大な理論的混同がある。それは資源の存在と資源の発見・利用・配分を区別していない点だ。
レアアースは引き当てたのではない。地質的に存在していた。問題は、それをどの制度が効率的に発見し、採掘し、供給し、価格付けしたかである。
ここで重要なのは、価格理論の基本命題、すなわち、資源配分は分散した知識とインセンティブ構造に依存するという点だ。
市場は価格を通じて情報を伝達し、資源を最も価値の高い用途に導く。この自動操縦装置を無視して、国家が見つけたという物語に還元するのは、分析として粗雑すぎる。
中国のレアアース支配は、①市場的要素の導入(部分的自由化)+②環境規制の意図的緩和+③低賃金労働+④国家による輸出制限というハイブリッド構造の産物である。
これは純粋な計画経済ではない。むしろ歪められた市場のケースだ。
レアアースの国際市場で中国が優位に立った最大の理由は、他国が環境コストを内部化し、中国がそれを外部化したことにある。
これは比較優位ではなく、規制の非対称性によるコスト歪曲だ。つまり、ここでもまた制度的自己放尿が起きている。
さらに言えば、中国の優位は持続的ではない。なぜなら、価格シグナルが機能すれば、以下の調整が起こる。
これはまさに価格理論の教える動学的調整過程であり、一国が資源を独占し続けるという静学的発想自体が誤りだ。
第二に、一時的優位を制度の優位と誤認する動学無視の自己放尿。
さらに決定的なのは、中国自身がすでに計画経済から逸脱している点だ。
改革開放以降の成長は、国家統制ではなく市場メカニズムの部分的導入によって説明される。
これはまさに経済的自由の拡大が繁栄をもたらすの実証例である。
「中華は計画経済でレアアースを引き当てた」という主張は、地質と制度、静学と動学、発見と配分を混同した理論的自己放尿である。
そして皮肉なことに、その誤解に基づいて「日本も政府主導でやるべきだ」となると、それは誤った教訓に基づく政策的自己放尿の輸入になる。
世界経済を観察していると、ときにそれは巨大な市場均衡モデルではなく、権力者たちが同時に自己放尿している奇妙な実験のように見える。
本来ならば価格システムが自動操縦装置として資源配分を調整するはずである。しかし現実には、政治的インセンティブを持つ権力者が市場に介入し、均衡条件を乱しながら自己放尿を繰り返している。
問題は単純だ。政府が裁量的にハンドルを握りすぎると、マクロ経済の運転席は政策ショックという名の自己放尿でびしょ濡れになる。
保護主義的関税は、政治の世界における古典的な構造を示している。つまり、利益は特定の産業や企業に集中し、コストは消費者全体に薄く広く分散するという構造である。
強く利益を得る少数の支持者がどれだけいるかと、広く薄く負担を負う多数の人々がどれだけ無関心でいられるかである。
しかし市場の側から見ると、これは比較優位を歪め、資源の使い方を非効率にする。
つまり関税とは、政治的には合理的でも、経済的には市場メカニズムへの自己放尿なのである。
関税と地政学ショックのダブル放尿が起きると、国際貿易の秩序は一気に乱れる。
近年の中東の緊張、たとえばイスラエルを中心とする戦争リスクの拡大は、エネルギー市場を大きく揺らす。
石油市場では、人々は現在の供給量だけでなく、将来どれくらい供給が不安定になるかを考えながら価格を決める。
もし戦争が激化して供給が減るかもしれないと多くの人が予想すれば、石油価格は上昇する。
たとえば
その結果として世界経済では、中東戦争と政策介入のダブル放尿が起き、市場の調整能力が弱まる。
市場は多くの場合うまく機能する。失敗するのはしばしば政府である。
第二に、人々に行動の動機を与えること。
第三に、誰がどれだけの所得を得るかを決めること。
しかし政治家が裁量的政策を繰り返すと、この三つの機能は歪められる。
これらは理論的には正当化されることがあるが、実際には政治的なインセンティブによって決まることが多い。
まず政治が市場に介入して自己放尿を行う。すると市場が歪み、新しい問題が生まれる。
その問題を解決するために、さらに新しい政策介入が行われる。そしてまた新しい自己放尿が起きる。
こうして世界経済は、政策による歪みが連鎖する動学的スパイラルに入る。
問題は市場の不完全さではない。政府が市場を過剰にいじることである。
世界経済は本来、分散した個人の意思決定によって動く巨大な価格システムである。
しかし現実には、政治家、国家、軍事衝突、保護主義が繰り返し介入する。
その結果、
十数年後、上念司さんにより発せられる”デフレはコミンテルンの陰謀”という発言を的中させていました。
「やっぱり、国際的な反日謀略が存在するのは、もはや明らかだろう。」
「比較優位だとか訳の分からない経済学の空論を振り回して関税引き下げを迫ってくる。」
40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/20(月) 00:11:03 ID:foHSBVvh
国内の悪徳ブローカーが米の買い占めだとか石油の買い占めに狂奔していることが
旭新聞の取材で暴露された。(あ、忘れてたけど新聞社は再販制度は日本の文化とかいろ
いろあって、一産業一企業制度改革の例外なんだよ。既知外の経済学者の多くが、
独禁政策とかなんとかいって再販制度破壊を目指してしたが、やはり正義は勝つw)
しかし、こいつらにも言い分はあって、「今のように円安が進む以上、先に買い占めて
我々が保管しておかないと、将来になって困ることになる。結局は価格安定化に貢献
しているのを理解してくれ」だって。まったく、盗人猛々しいとはこのことだな。
当然、連中の隠匿物資は接収され、経済産業省の生産計画に従って、各企業に公正に
分配されることになった。これで、生産も増えることが期待できるはずだった。だが、
僅か数ヶ月後には、そんな隠匿物資は全て利用されてしまい、もう残ってなんかいない
ことになった。で輸入しなきゃならないんだが、日本には在庫がないのが世界中にしれてる
ものだから、足下みやがって、法外な価格をふっかけられているということだ。
しかも、今回の騒ぎに懲りた政府の規制で、輸入企業は先物契約に手を出すことが禁止され
一切の投機や投機まがいに手をそめられなくなった。これは健全なことだけど、季節ごとの
生産の変化や需要の変化に応じて事前に手を打っておく手段が無くなったので、生産コストが
季節ごとに大幅に変動することになったみたい。で、価格庁もこの実態にあわせて、規制価格
を季節ごとに変化させることになったようだ。
でも、悪い奴はどこにでもいるもんだ。強突張りな消費者が、安い季節に仕入れた物を
押入や物置に買い物を隠して、高い季節にこっそり売っているらしい。最近も、ネット
オークションにこの手のものが出品されているのがわかり、自称主婦(45)をリーダー
価格庁の下部機関である価格監督庁には、警察・検察から多くのエリートが転籍して、
強力な法執行機能を与えられているが、今回の摘発でも、彼らの能力が存分に発揮
でも、俺の彼女のお母さんが検挙されたのは、ちょっと行き過ぎだよ。おばさんが、
トイレットペーパーを押入に何パックか買い置きしているのを、たまたま来た宅配
44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/20(月) 02:34:29 ID:foHSBVvh
国民と政府の懸命の努力が続いているのに、日本での日々の暮らしは以前より辛く苦しい
ものになってきている。こんなことになったのはなぜなんだろう?旭新聞でも日計新聞でも
NHKの週刊コドモニュースでも、みんな「国内外に潜んでいる経済学信者の破壊活動が
日本の苦難の原因だ」といってる。確かに、日本を苦しめているWTOは、比較優位だとか
訳の分からない経済学の空論を振り回して関税引き下げを迫ってくる。やっぱり、こいつらの
背後には国際的な謀略があるのは間違いない。週刊コドモニュースでやってたけど、自称
ノーベル経済学賞(笑わせる名前だよね。ノーベルの遺族はこの名前に大反対なのは有名)
の受賞者ってユダヤ人が半分くらいいるらしい。それに、円を売りまくって日本の輸入価格を
釣り上げているのもユダヤの支配する国際金融資本だ。食料も石油もみんなユダヤの支配下
にあるらしいが、それが原因で日本が困っているのは明らかだ。やっぱり、国際的な反日謀略
が存在するのは、もはや明らかだろう。
そういえば、このあいだネットで円安の背景を調べていたら、偶然変なサイトを見つけた。
もちろん国内のサイトじゃあないんだけど、日本語なんだ。なんだか焚書坑経を逃げ延びた
日本人の経済学者が集まって亡命政府みたいな組織を作っているようだ。そいつらが、今の
政策を続けると日本経済は破滅にまっしぐらだとか妄言を撒き散らしていた。
で、さっそくこのサイトのことを警視庁経済学取締本部に通報したら、直ぐにアクセス禁止
措置がとられた。このソフトは中国から輸入したらしいけど、元はマイクロンフト製だから
信用できる。やっぱりアメリカでもちゃんとした企業は一産業に一社しかないだよ(笑)
45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/06/20(月) 02:38:36 ID:foHSBVvh
そのとき警察の人が言ってたけど、この亡命政府みたいな組織の実態が嗤う。
下らない経済学のなかでも日本人の地位は最低らしくて、亡命した連中の
大部分は教職にも就けず、国際機関にも勤められず、洗濯屋とか鮨屋で働いて
いるんだって。なのにこんな組織を運営しているのは、やっぱりユダヤの資金
を貰っているからだということだった。やっぱりあいつらは売国奴だったんだ。
穴埋めは当然だねw
市場のことをロクに知らない連中ほど「自給自足こそ理想社会だ!」などと叫ぶ。
だが価格理論で見れば、そんなものは高尚な思想でも倫理でもない。単なる自己放尿だ。
人間社会は分業で豊かになる。これは経済学の基礎中の基礎だ。人はそれぞれ比較優位を持つ。誰かは米作りが得意で、誰かは機械を作るのが得意で、誰かはソフトを書くのが得意だ。
市場ではその情報が価格メカニズムに凝縮される。価格は単なる数字ではない。情報の伝達装置であり、インセンティブ装置であり、資源配分の信号だ。
つまり市場は自動操縦装置だ。ところが自給自足論者は何を言うか。
おいおい、勘弁してくれ。それは価格システムの情報を遮断する自己放尿だ。
分業の利益を意図的に破壊する行為であり、比較優位を無視した資源配分であり、巨大な死重損失の発生装置だ。
自給自足の社会では、農業も工業もエネルギーも全部国内で賄おうとする。するとどうなるか。
生産規模は小さい、技術進歩は遅い、コストは高い。トリプル放尿である。
価格理論の言葉で言えば、規模の経済が崩壊する。その結果、社会全体の厚生は落ちる。
それでも自給自足論者は満足げに言う。
「我々は独立している!」
だが実際にはどうか。世界市場という巨大なネットワークから切り離され、小さな閉鎖経済の中で資源を無駄遣いする。
世界という大河の流れの中で、わざわざ自分の足元に向かって自己放尿しているようなものだ。
経済学はインセンティブ分析を重視する。人は善意ではなく、インセンティブに反応して行動する。
自由貿易ではどうなるか。企業はより安く作ろうとする。技術革新が起こる。生産性が上がる。
ところが自給自足政策ではどうなるか。関税、補助金、輸入規制のトリプル放尿。つまり政治市場が介入する。
企業は効率ではなく、ロビー活動に資源を使う。これを何と言うか。レント・シーキングだ。
つまり自給自足政策は、効率的な市場競争を壊し、政治的利益配分ゲームに変える。
そして言っておく。自由貿易とは理想論ではない。むしろ現実的な制度設計だ。
分業を拡大し、価格情報を活用し、個人のインセンティブを社会的利益に結びつける。
それが市場経済だ。自給自足はその逆だ。情報を遮断し、比較優位を無視し、政治的利権を増やす。そして社会全体で貧しくなる。
以上だ。
世界経済が相互依存の一般均衡体系として緊密に結合しているにもかかわらず、なお自由貿易を拒否し、関税・数量制限・為替統制という自己放尿的政策を選好する者たちがいる。
これは単なる政策ミスではない。価格メカニズムという自動操縦装置を自ら破壊し、その結果として自分自身に放尿する体系的愚行である。まさに自己放尿する世界だ。
価格は三つの機能を持つ。第一に情報の伝達、第二にインセンティブの付与、第三に分配の決定である。
自由貿易とは、国境を越えて価格が情報を伝達することを許容する制度である。比較優位の論理を言葉で書けば、
ここで関税を課すとは何か?
それは国内価格を世界価格から乖離させ、限界費用と限界便益の一致条件を破壊することである。
すなわち、限界費用よりも高い資源を用いて財を生産し続けることを制度的に強制する行為だ。
これは文字通りの自己放尿である。自らの実質所得を削減し、そのことを「主権」や「保護」という美名で正当化する。
この三角形は何か?それは「存在しなかったはずの無駄な生産」と「実現しなかったはずの有益な消費」の合計である。
死重損失 = 価格歪曲 × 数量縮小 × 二分の一。
この二分の一こそ、自己放尿の幾何学的証拠である。市場が自発的に選ばなかった取引を強制的に排除することで、純損失が生まれる。
これは効率性条件(限界代替率=限界変換率=価格比)の破壊である。効率性を拒否することは、資源制約下での最適化問題を放棄することに等しい。
合理的個人の集合からなる社会が、集団的非合理に堕ちる瞬間、それが自己放尿である。
自由貿易を拒否する者は、しばしば「雇用を守る」と言う。しかしこれは貨幣的錯覚に近い。
市場は自己調整的である。雇用は実質変数であり、長期的には貨幣や関税の操作では決まらない。
関税は特定部門の雇用を増やすかもしれない。しかしそれは他部門の雇用を減らす。資源制約の下では、
で決まるのであり、関税という価格歪曲は単に労働を低生産性部門へ再配分するだけだ。
低生産性部門への強制的再配分。これ以上に見事な自己放尿があるだろうか。
ではなぜ、この自己放尿が繰り返されるのか。
Price Theoryの枠組みを拡張すれば、政治も市場である。
ここでは票が価格の役割を果たす。しかし有権者は合理的無知である。関税による損失は一人当たりでは小さいが、保護される産業への利益は集中している。
この非対称性がロビー活動を生み、政治均衡を保護主義へと歪める。
つまり自己放尿は、個々人の合理性から派生する集合的非合理の帰結である。
ここに冷酷な洞察がある。
悪意は不要である。誤ったインセンティブがあれば、それだけで十分だ。
変動為替相場と自由貿易の整合性はある。固定相場と資本規制は、国内政策の誤りを外部に転嫁する装置になり得る。
自由貿易を拒否する国は、往々にして為替統制も伴う。これは二重の自己放尿である。
価格という自動操縦装置を壊し、さらに計器盤を叩き壊す。そして墜落の責任を外国に転嫁する。
自由貿易は道徳的命題ではない。それは効率性条件の帰結であり、一般均衡体系の内部整合性から導かれる命題である。
自由貿易を拒否することは、世界的分業によって拡張された生産可能性フロンティアを自ら内側へ押し戻すことに等しい。言い換えれば、実質所得の意図的縮小 = 自己放尿。
政策は単純でよい。
政府が「サプライチェーン強靭化」だの「経済安全保障」だのと称して市場に手を突っ込むのは、情報の分散性という資本主義の根幹を理解していない者が、価格メカニズムの神経系をハサミで切り刻む自己放尿に等しい。
政府が何かを守ると言い出した瞬間、それは必ず誰かの自由な選択を破壊し、価格シグナルを歪め、資源配分を政治的配給へ転落させる。
サプライチェーンとは本来、利潤動機と競争圧力により、コスト・品質・納期の制約下で最適化され続ける進化的システムであり、そこに官僚の机上の「望ましい産業地図」を持ち込むのは、動的効率性を犠牲にして静的な幻想を買うだけの政策自慰、つまり政府の自己放尿である。
中国との貿易を規制する?笑わせるな。貿易とは相互利益の交換であり、比較優位は道徳でも思想でもなく、ただの計算可能な現実だ。
中国が安く作れるものを中国から買い、こちらが相対的に強い分野に資本と労働を移す、そのプロセスこそが総余剰を最大化し、実質所得を引き上げ、消費者厚生を増大させる。
関税や輸出規制や補助金でこれを遮断するのは、消費者に対する隠れ増税であり、国内企業に対するモラルハザード供与であり、官僚機構に対するレントシーキングの自己放尿だ。
要するに、保護主義、産業政策、経済安保のトリプル放尿である。
しかもこの手の介入は、ルーカス批判の通り、民間の期待形成を変え、企業は政治リスクを織り込み、投資は歪み、ロビイングが利潤最大化の中心戦略になり、資本主義は市場競争から政治闘争へ堕落する。
政府が国益を掲げて市場を殴るほど、企業は技術ではなく補助金獲得能力で勝負し始める。
これがいわゆる政府失敗であり、規制の捕捉であり、官僚的計画経済への漸進的スライドだ。
国内生産回帰も同様に欺瞞である。サプライチェーンを国内に閉じ込めれば安全になるという発想は、分散の概念を逆さに理解している。
リスク分散とは供給源を多様化し、取引先を競争させ、価格と品質の淘汰を働かせることで実現されるのであって、国内に固定することは単なる集中リスクであり、コスト上昇と供給硬直化を招く。
さらに補助金で国内生産を誘導すれば、企業は効率ではなく政治意向に適応する。つまり、競争ではなく配給の世界だ。
ここで政府は戦略物資などという曖昧な言葉を振り回し始めるが、曖昧さは裁量の母であり、裁量は腐敗の父である。
結局、政治家は票田に資源を流し、官僚は天下り先に規制を設計し、企業は既得権を守るために市場参入障壁を要求する。
これが公共選択論の結論であり、理想の政府など最初から存在しない。政府が善意で動くという前提は、経済学的には分析不能な自己放尿でしかない。
自由貿易こそが正義だ。正義というのは感情の問題ではなく、制度としての優越性の問題である。
自由貿易は、消費者に選択の自由を与え、企業に競争を強制し、価格に情報を凝縮し、資源配分を最も生産的な用途へ押し流す。
そこでは国が決めるのではなく、分散した個人の知識と選好が価格を通じて集約される。
これが市場の計算能力であり、官僚の頭脳では代替不能な社会的情報処理装置だ。
政府が中国との取引を政治的に遮断するのは、その情報処理装置をわざわざ破壊し、国民の実質所得を削り、成長率を引き下げ、非効率企業を温存し、インフレ圧力を高める行為に他ならない。
しかもその負担は「国家のため」と言いながら、結局は消費者が物価として払い、労働者が実質賃金として払い、納税者が補助金として払う。
政府はそれを安全保障と呼ぶが、実態はただの政治的コスト転嫁であり、サプライチェーン自己放尿の芸術点を競っているだけだ。
自由貿易は短期的に産業の新陳代謝を要求するが、長期的には生産性を上げ、イノベーションを誘発し、社会を豊かにする。
介入は短期的に痛みを隠すが、長期的には歪みを蓄積し、停滞と腐敗を育てる。
だから結論は単純で、政府は余計なことをするな、価格に喋らせろ、貿易に壁を作るな。
中国と取引したくない企業は取引しなければいい、リスクを取りたい企業は取ればいい、その判断を官僚が一律に奪う必要はない。
自由を奪って安全を得ようとする国家は、結局、安全も成長も失う。自由貿易こそが正義であり、保護主義は自己放尿であり、裁量行政は市場への暴力である。
日本経済の停滞を「需要不足」や「デフレマインド」といった心理現象に還元する議論は、だいたい自己満足の物語で終わる。
問題はマクロの気分ではなく、ミクロのインセンティブ設計と市場の競争構造にある。
成長とは、資源配分の効率化と生産性上昇の結果であって、祈祷ではない。
したがって日本経済復活の鍵は、内向きの保護と規制で安定を買うことではなく、グローバリズムを極大化して競争圧力を最大化し、資本・労働・技術の最適配分を強制的に起こすことにある。
グローバリズムとは、感情的には「外国に奪われる」物語として語られがちだが、経済学的には比較優位と分業の徹底である。
比較優位が働く世界では、各国は自国が相対的に得意な領域に資源を集中し、不得意な領域は輸入する。
これにより総生産が増える。ここで重要なのは、これは「善意の国際協調」ではなく、価格シグナルによる資源配分の自動最適化だという点だ。
国境を越えた競争は、企業の非効率(ぬるま湯組織の怠惰)を破壊し、利潤最大化行動を通じて生産性を引き上げる。
国内市場に閉じている限り、日本は既得権益の温床としての規制に守られ、競争の欠如から技術革新の圧力が弱まる。
これは市場の失敗ではなく、政府の失敗が温存される構造である。
日本が直面している本質的問題は、成長率の低下というより、全要素生産性(TFP)の伸び悩みだ。
TFPは精神論では増えない。TFPが増えるのは、技術進歩、資本深化、そして競争による淘汰が起きるときだけだ。
つまりシュンペーター的創造的破壊が必要であり、その燃料が国際競争である。
国内でゾンビ企業を延命させ、非効率部門を温存し続ける政策は、資源の誤配分を固定化し、成長率を削る。
これは典型的な政治的資本主義、すなわち市場を装った官製配分であり、自由市場とは逆方向の制度だ。
日本の労働市場は、硬直性と内部労働市場の過剰保護によって、人的資本の再配分が遅い。
解雇規制、年功賃金、過剰な雇用保護は、表面的には安定を提供するが、実態は労働移動を阻害し、成長産業への資源移転を遅らせる摩擦コストである。
グローバル競争が激化すれば、企業は利潤率を維持するために組織改革と賃金体系の合理化を迫られ、結果として労働市場の柔軟性が増す。
これは「労働者いじめ」ではなく、労働が最も高い限界生産性を持つ場所へ移動することを可能にする制度改革である。
さらに資本市場の観点でも、グローバリズムは不可避の処方箋になる。
国際資本移動が自由化されれば、国内企業は株主価値と資本収益率を世界基準で問われる。
企業統治の改善、資本コスト意識の浸透、非採算事業の切り捨てが進む。
ここで起きるのは道徳改革ではなく、資本市場がもたらす規律である。
規律とは、企業にとっては不快だが、社会全体の資源配分にとっては必要不可欠な強制力だ。
日本ではしばしば「産業保護」「食料安全保障」「経済安全保障」という言葉が万能の免罪符として使われる。
しかし、これはレントシーキング(政治的に利益を獲得する活動)の温床であり、保護の名を借りた独占の固定化である。
関税、補助金、参入規制は、短期的には国内企業の利潤を守るが、長期的には技術革新を止め、価格を引き上げ、消費者余剰を破壊する。
これは国益ではなく、特定業界の利益を国益と錯覚させる政治的マーケティングに過ぎない。
市場の競争が消えると、品質改善もコスト削減も止まり、経済全体が静かに腐る。
グローバリズム極大化の真価は、輸出拡大ではなく輸入拡大にある。
輸入とは敗北ではない。輸入は、安価で高品質な財を国内に導入し、国内の生活コストを下げ、実質賃金を引き上げる。
ここで「貿易赤字は悪」という素朴重商主義を持ち出すのは、経済学的には前時代的である。
経常収支は貯蓄投資バランスの鏡像であり、貿易収支だけを道徳的に裁くのは会計の読み間違いだ。
また、日本のイノベーション停滞は「技術力の低下」ではなく、インセンティブの弱さとして理解する方が筋が良い。
国内市場で規制と補助金に守られていれば、企業はリスクを取って研究開発するより、政治的ロビー活動で安定利潤を確保する方が合理的になる。
これがレント志向経済の病理だ。グローバリズムの極大化は、この病理を破壊する。国際市場で勝たなければ利益が出ない環境に置かれれば、企業は嫌でも技術投資と経営改革を行う。
日本が復活するには、国内で「再分配を厚くして安心を与える」よりも、成長率を引き上げてパイを拡大する方が合理的である。
成長のない再分配は、結局インフレ税や国債依存という形で将来世代に押し付けられる。
インフレは常に貨幣的現象であり、財政拡張による需要刺激で成長を捏造しようとすれば、最後は貨幣価値の毀損に行き着く。
日本が必要としているのは、マネーの増量ではなく、生産性の上昇である。
日本経済の復活とは「世界市場の荒波に投げ込まれ、勝ち残れる構造を作る」ことに尽きる。
自由貿易、資本移動の自由化、移民・高度人材の受け入れ、規制撤廃、競争政策の強化、企業統治改革。
すなわち市場の価格メカニズムを最大限機能させ、資源配分を最適化し、利潤動機を通じてイノベーションを誘発することだ。
グローバリズムを恐れる態度は、実のところ競争を恐れる態度であり、競争を恐れる経済は停滞を選ぶ経済である。
日本が再び成長するために必要なのは、国内のぬるま湯を温存する政策ではない。
世界市場という冷水に飛び込み、競争圧力を極大化し、創造的破壊を起こし続ける制度設計である。
規範と実証の分離。政策議論が壊れる典型例(善意で地獄、etc)。
「仮定が現実的か」ではなく「予測精度で裁け」という有名な話。
実物要因と貨幣要因の分離。
公共選択論の導入。
この教科書の特徴は、
市場の相互接続性を断ち、比較優位のネットワークを自壊させ、価格シグナルを濁らせる行為は、主権の回復どころか資源配分の盲目化を招く。
問題は、ルールの恣意性と予見可能性の欠如、そしてマネーと財のフローを歪める国家介入の過剰だ。
自由貿易を極大化し、価格メカニズムに仕事をさせる。これが唯一の一貫した処方箋である。
関税・数量制限・原産地規則の濫用は、消費者余剰を削り、生産者を保護の檻に閉じ込め、技術進歩の速度を落とす。
短期の政治的利得は得られても、長期の生産性は確実に毀損される。
自由貿易は道徳的美辞ではない。情報を圧縮した価格が、分散知識を集約する計算装置として機能するための制度的条件だ。
自分で自分の靴を濡らし、寒さを市場のせいにする愚行に等しい。
幼稚産業保護は永久化し、ロビイングは収穫逓減を隠蔽し、規制は参入障壁に変質する。
自由貿易を極大化するとは、国境を消すことではない。ルールを単純化し、予測可能にし、裁量を削ることだ。
通商政策を貨幣政策のように、安定的で機械的な枠組みに押し込める。裁量は誘惑を生み、誘惑は歪みを生む。
通貨の話をしよう。為替操作と貿易制限を同時に弄ぶのは、為替と関税のダブル放尿だ。
これで競争力を語るのは、測定器を壊してから実験結果を誇るようなものだ。
フリードマンは一貫して、安定した貨幣ルールと自由な財の移動が補完関係にあると見た。
貨幣が中立に近づくほど、貿易の利益は透明化し、政治的介入の余地は縮む。
再訓練、移転、税制の中立性。ここで必要なのは精密なスキャルペルであって、通商という大動脈を塞ぐハンマーではない。
貿易制限で雇用を守るという物語は、一般均衡を無視した部分均衡の錯覚だ。
雇用は守られず、価格だけが上がる。消費者は沈黙のうちに課税される。
グローバリズムを否定して内向きに縮こまるのではなく、自由貿易を極大化し、ルールを薄く、安定的に、予見可能にせよ。
国家の役割は、勝者を選ぶことではない。審判を公正に保つことだ。
自己放尿をやめ、為替と関税のダブル放尿を断ち、価格に語らせよ。
そこに、成長と自由の同時達成がある。
日本政府の失敗は、財政政策だけでなく金融政策まで含めた裁量主義への耽溺という形で、もはや慢性自己放尿の域に達している。
フリードマンが一貫して批判したのは「政府は賢く介入すれば景気を安定化できる」という過信、つまりナイーブなマクロエンジニアリング幻想だ。
彼はケインズ的ファインチューニングを否定し、中央銀行による裁量的金融操作すらも、長く不確実なラグ、期待形成の内生性、そして政治的捕捉を理由に疑義を呈した。
にもかかわらず日本では、量的緩和・質的緩和・イールドカーブ・コントロールという名の裁量のフルコースを何年も継ぎ足し、インフレ期待と実質金利のシグナルをぐちゃぐちゃに攪拌した挙げ句、「想定外でした」で済ませている。
理論的には、これは合理的期待形成仮説に対する正面衝突であり、実務的には中央銀行の信認を自ら削る自己放尿だ。
財政面でも話は同じだ。補助金、給付金、価格統制、ポイント還元。
これらはすべて限界インセンティブを歪める選択的介入であり、一般均衡を無視した部分最適の寄せ集めだ。
これは価格メカニズムという情報集約装置を破壊し、分散知識を官僚の裁量に置換する自己放尿である。
短期的な政治的利得のために需要刺激を繰り返し、将来のインフレ税と財政制約を先送りする。
その結果、家計と企業は政策を信認せず、貨幣需要は不安定化し、名目変数の操作は実体経済に伝播しなくなる。
これはマネタリズム以前の話で、初歩的な失敗だ。
「戦略的投資」「国策ファンド」「官民連携」という耳障りのいい言葉で覆われているが、実態は政府による資本配分の政治化であり、比較優位の体系的破壊である。
成功すれば民間の成果、失敗すれば社会化された損失。これはリスクの非対称配分によるモラルハザードで、フリードマンが嫌悪した典型例だ。
市場なら淘汰される非効率なプロジェクトが、補助金という延命措置でゾンビ化し、全要素生産性を静かに引き下げる。
この「退出なき失敗」こそが政府の失敗の本質で、市場の失敗よりも遥かに致命的だ。
しかしフリードマン的世界観では、政府は無知であり、遅く、歪みを作り、しかもそれを修正できない存在だ。
だからこそ彼はルールを重視し、裁量を嫌い、単純な制度設計を好んだ。
現在の日本はその真逆を行っている。複雑化、例外化、裁量化の果てに、経済主体の期待を壊し、価格シグナルを破壊し、最後は「想定外の副作用」に驚く。
デカップリングを叫ぶ連中の言説を眺めていると、いつも同じ光景に行き着く。
世界が複雑になり、自分の理解能力を超えた瞬間に、原因を外部に押し付け、遮断すれば問題が解決した気になるという、自己放尿の完成形だ。
フリードマンの観点から言えば、これは自由市場への不信ではなく、理解を放棄した主体が恐怖に耐えられずに行う自己放尿に過ぎない。
自由貿易は善悪のスローガンではない。比較優位に基づき、分業を通じて生産性を引き上げ、消費者の選択肢を最大化するという、きわめて機械的で冷酷な仕組みだ。
デカップリング論者は安全保障や国内産業保護を万能カードのように切り自己放尿するが、フリードマンなら即座に指摘するだろう。
貿易制限は見える利益を誇張し、見えないコストを隠蔽する典型例だと。
関税や輸入規制で守られるのは、競争に敗れた非効率な生産構造であり、そのツケは価格上昇という形で沈黙した消費者全員に押し付けられる。
国家が戦略的と称して市場を歪めるたびに、価格シグナルは壊れ、資源配分は劣化し、結果として国全体の実質所得が下がる。
これは思想ではなく算術だ。それでもなおデカップリングを正当化するのは、短期的に声の大きい生産者と政治家の利害が一致して自己放尿するからに過ぎない。
自由貿易の本質は、相互依存を通じて紛争コストを高める点にもある。
経済的に絡み合った主体同士は、感情的対立を起こしても、取引停止という自傷行為の代償を計算せざるを得ない。
デカップリングはその抑制装置を自ら破壊し、対立を純化させる。
にもかかわらず、それを強さだと誤認するのは、痛みを感じないうちに先に自己放尿して安心する幼稚な心理と同型だ。
フリードマンが自由貿易を支持したのは、人間が善良だからではない。利己的で近視眼的だからこそ、制度として自由市場に縛り付けた方がマシだと理解していたからだ。
デカップリングとは不確実性に耐えられない政治と世論が、市場という冷酷な審判装置から逃げ出すための言い訳であり、その実態は高コスト・低効率・低成長を自ら選び取るトリプル放尿である。
感情的な安心感と引き換えに、長期的な繁栄を便器に流すほど愚かでないなら、やるべきことは一つだ。
テレビでドヤ顔しながら「日本はなぜプラットフォームで稼げないのか」などと嘆いているのを見るたびに、思考停止した自己放尿が電波に垂れ流されているだけだとしか思えない。
前提条件を一切無視して結果だけを見て嘆くのは分析でも議論でもなく、ただの自己放尿だ。
アメリカは巨大な内需市場を持ち、英語という事実上の世界標準言語を握り、さらに国家安全保障や競争政策の名のもとにスーパーなんとか条のような制度装置を平然と発動できる。
これらは偶然でも努力不足でもなく、構造的・制度的・地政学的に積み上がった差であり、日本が同じ土俵で同じ戦略を取って勝てると考える方が自己放尿だ。
その怠惰を覆い隠すために「日本は遅れている」「ITが弱い」と繰り返すのは、分析を装った自己放尿に過ぎない。
比較優位という基本概念を無視して、他国の成功モデルをそのまま輸入すれば勝てると信じるのは、経済学以前に論理の自己放尿だ。
言語の摩擦、規制の非対称性、資本市場の厚み、訴訟リスクの配分、国家と企業の距離感、そのどれもが違うのに「なぜ同じになれないのか」と嘆く姿は、現実を直視できない自己放尿でしかない。
そもそもプラットフォームというのは勝者総取りが起きやすい領域で、先行者が標準を握った時点で後発国が同型で殴り合うのは戦略として最悪だ。
それを理解せず、精神論や根性論、あるいはノスタルジーで語るのは、冷徹に言えば公共の場でやる自己放尿だ。
日本が取るべきは、他国の覇権モデルを羨望することでも、無理に模倣することでもない。日本の市場を信頼し、政府の介入を減らすことである。
「なぜGAFAが生まれないのか」と叫ぶのは、原因分析を放棄した自己放尿で、聞かされる側の時間を奪うだけだ。
勝てない土俵で負けている事実を嘆く暇があるなら、土俵を選び直せ。選べないなら黙って条件を数えろ。
それすらせずに感情を垂れ流すのは、論評ではなく自己放尿だ。いい加減、その自己放尿を止めて、現実に耐えうるロジックで話をしろ。
1.日米の長期金利差(日本が低金利すぎる)が開いているので投機筋が大量に円を借り入れてドルに変えてる
2.アベノミクス(ETFで株価を政策的に底上げ、マイナス金利とYCCによる長短金利の低金利誘導)の金融緩和/量的緩和によって政策的に円安に誘導した後遺症
3.国内ITサービスが脆弱な為に恒常的なデジタル赤字になっている
ここほとんど間違い。
1.金利差は拡大すれば円安に働くが、金利差が大きくあること自体は金利平価説が示す通り円高要因。そしてそれを覆すほど大きなキャリートレードのポジション拡大は今は起きていない。
2.アベノミクスの時期は政策金利はゼロまたはマイナスという下限制約に引っ掛かっていた。つまり流動性の罠にあった。流動性の罠にある以上、金融政策は無効でETFを買ったところでその影響はほとんどなく、当然、円安にもならない。アベノミクス開始時点でPPPから大幅に円高乖離していたものが修正されるきっかけにはなったかも知れないがそれ以上の意味はない。
3.国際貿易で、特定の財サービスの収支と円高円安を結びつけるのはナンセンス。絶対優位ではなく比較優位によってその財サービスが貿易赤字となる財か貿易黒字となる財かが決まるのであるから、比較劣位しているデジタル産業での赤字を考える時にはペアとなる、つまり自国産業内での相対的な強みの程度が大きい産業での黒字と合わせて判断しなければならない。結局、一国全体合計の黒字赤字を見ることになるがそれは〇〇分野の黒字や赤字の積み上げで求まるものではなく、全体の黒字赤字は国内の貯蓄投資バランスから決まる。〇〇分野の黒字赤字は、その積み上げが全体に合うように調整されるものに過ぎない。
4.ここは唯一間違っていないが、ただその規模は開始時に考えられていたよりも今や萎みがちで推移していることには留意。
5.その国の通貨の価値≠その国の国力。たとえば韓国の日本と比較した成長力、実力はこの数十年高かったが、ウォンは日本と変わらないほどのPPPからのウォン安の状態が続いていたように、あるいはかつてバブルが崩壊し日本への期待感が剥落した時期に大きな円高が発生したように、為替は国力の類を表すような指標ではない。
いい論点だね。
順番に整理して議論してみようぜ。
※スパム防止が厳しくなったせいか、アドレスを乗せていると投稿できないっぽい。h抜きですまん
育休制度が日本よりもずっと充実しているほかの先進諸国でも少子化は起きている
まず、ユニセフの関連機関の報告書によると、OECD諸国(先進国よりも広い範囲)とEU諸国で育児関係の制度を分析したとき、日本は育休では1位と言われていて「育休制度が日本よりもずっと充実している他の先進諸国」が存在しているとするのは、少なくとも客観的事実とはちょっと違う。
ttps://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/html/column/clm_04.html
ただ、単に育休の期間が日本より長いだとか、制度で支給される給与上限が日本より高いだとか、男性も女性と同一の制度になっている、と言う国や州はあるようではあるので、それらを「育休制度が日本よりもずっと充実している」と解釈することはできる余地はないことはない。
そして、仰る通りそれらの国で全体が上乗せされるほど有効な手立てにはなってない。
ただ、俺にはこれ、ちょっと論点違うと思うんだよな。何故なら、全体ではそうだけど、高学歴層の出生率が伸びているのは育休制度が手厚い国ほど良いと言う傾向があるからだ(後記)
少子化対策にお金配りは意味はないというのは単に額が足りないだけだと思うんだよな。
これについてはまず元増田が参照している対談に
お金を配っても子どもが増えないことは明らかで、「効果がないというエビデンスがある」と言ってもいいレベルですね。
と言う発言がある。ただそれだけだと議論にはならないので、もう少し掘り下げておくと、それこそ金配り系の施策を日本よりもずっと充実させている他の先進諸国でも少子化は起きている。
代表的なのは、フランス。フランスでは第三子を生むとほぼ働かなくても住むぐらいの給付金が出ることで知られ、一時は少子化対策の優等生と言われた。けれど、結局は出生率は急激に低下している。この低下率は周辺の国よりも高いことから、分析によれば「単に需要を先食いしただけだった」と言う感じで言われる。
さらに顕著に出ているのが,、韓国、ポーランド、ロシアなどもあるが、ここら辺はもう少し違う要因が強いので(強力な徴兵制があるとか、政権がアレとか、戦争してるとか)ちょっと置いておく。
また、増額した場合のサンプルとしては、シンガポール、韓国などが給付金を増額しているが、それでも数字が改善しないと言うエビデンスになってる。
ttps://www.unfpa.org/sites/default/files/pub-pdf/Policy_responses_low_fertility_UNFPA_WP_Final_corrections_7Feb2020_CLEAN.pdf
この辺りのレポートをどうぞ。NotebookLMあたりにぶっこんで読んでみるといいよ。一時的な出生率を僅かに増やす効果はあるが、最終的な子どもの数には影響を与えない、と言うのが結論。
もちろん、これらの既存例よりも莫大な金額を払えば増えるはずだ、と言う議論は成立するとは思うけど、今の所それは「誰も実施してないから有効か無効化もわからない。今の所否定されていない」というだけだと思う。そしてUNFPAの報告書にも指摘されているように、実現可能性という事も重要かと。やっていたけど財政がおかしくなって、政治的に持たなくてやめた国がかなりある。
大まかに傾向として、高学歴女性の方が、低学歴女性よりも子どもの数が多いと言う現象。これ日本以外の先進国でも観測されていて、わりと不変的な2000年以降の傾向になってる。
ttps://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/24e063.html
ttps://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6639448/
ざっくり言うと、その傾向が明らかなのは、北欧諸国、イギリス、フランス、そして日本。このあたりは明確に高学歴女性の方が低学歴女性よりも子どもの数が多い。
その傾向が強く見られないのはドイツ、イタリア、ポーランドなど。ただドイツは低所得者層の出生率が他よりも高め、移民が多いと言うこともあるので、比較優位になっていない、と言う話である可能性がある。
さらに、2020年以降の短期に限ると米国などでもその構造が見られるようだ(ただしコロナの影響がある期間なので注意深く考える必要がある)
他にもシンガポールとかもあるけどまああそこは特殊なので。。。
高学歴女性の方が低学歴女性よりも子どもの数が多いというのは、単に高学歴女性は意識が違うとかそう言う話ではないと思っていて、単に大卒率を増やせという話ではないと思っていて、
元の対談でも
ショックが大きかったのは、むしろ非大卒のほうだった(中略)
高校卒──統計上では専門学校卒も含めています──は、今でも非正規雇用の割合が高いままで、もうずっと改善していません。
と紹介されている方が大きいと思ってる。つまり、学歴が直接作用したのではなく、高学歴であるほど良好な労働環境につくことができて、そこではワークライフキャリアのバランスが取れているからではないかと。また、給付金を増やしても増えないことから、経済面以外についても手当てしないと有効ではないのでは無いかと。
別の統計を参照すると色々なデータがあって、例えば以下の厚労省の統計だと、事業所の規模が500人以上だとほぼ100%備えている制度が、小規模になると6割ほどになってしまい、実際使えるかと言う率だとさらに差は拡大するとかいろいろ差がある様子が示されていて
ttps://www.mhlw.go.jp/content/11901000/001328501.pdf
もっとストレートに、勤めている企業規模別の子どもの数とか(ただしこっちは賃金の話もあるので注意が必要)をみると、2人目の数までならば大企業に勤めている率が高いと言う結果が出ている。
ttps://www.nli-research.co.jp/files/topics/52907_ext_18_0.pdf
ここでは拮抗しているように見えるけれど、ここで中・大企業とされている企業に勤める人は人口比で3割ほどであることを考えると、人数あたりで見ると子どもを持つ人の率は高い。
こう言う事も仮説を考える上での根拠になってる。
改めて整理して、文章にするとこんな感じ。
女性の社会進出について、単なる労働力確保という面だけ見て実施し、結果ワーキングプアを量産する政策は少子化を促進してしまう。
従って、本来は、ワークライフはもちろん、キャリアについてもバランスがとれるような施策を先行するべきだった。その点で非正規雇用の規制緩和から一億総活躍社会に至るまでの流れは問題が多い政策である。
しかし、もはや時は戻らないので、今からでもその部分を手厚く手当てすべきである。
もっと言うと、俺としては、子育て対策では実現不可能な対策が多く、その中で実現可能な政策で効果がある可能性がある施策がこれしかない、という考えもある。
例えば、女性の社会進出を今更やめさせるのはありえないし、出生率がプラスになるまで無制限に給付金を増やすというのも無理だと思っている。
とはいえ、
ということから、この施策が万能ではない、限界がある、最優先として選ばなければならないなら、まず非婚化晩婚化対策に集中するべきだと思っているし、この施策だけでは2までは伸ばせないだろうというのは明らかではあると考えてるけどね。
さらに言うと、元の対談で「お金を配っても子どもが増えないことは明らか」と言っているけど、それは単体では効果が無い、一定額以上は意味が無いと言う話だろうよ、と思っている。
まぁ、結局は、UNFPAが言う様に総合的な家族パッケージを用意するしかないってつまらない、実効性に乏しい玉虫色の結論になるわけだが。
比較優位も知らんのか?
日本人ファーストは当然だと思っているし、もっと言うと誰もが自分ファーストで行動するべきだとすら思っている。
まず自分を大切にしないと後は何もできない。
他人に親切にすることも、他人に親切にして感謝されたら気持ちがいい、と言う自分本位において考えて、可否を自分で判断するべきだと思っている。
思っている自分なのに、どうも最近の日本人ファーストには違和感を持っていた。もっと言うならアメリカファーストもだ。
あれだ、この『ファースト』で主張される、特にマクロの政策については、自分を第一に考えると言う意味だけではなく、過分に「比較一位であるべきだ」と言う事を含んでいるから違和感があるのだ。
例えば、優秀な外国人がいて、彼らを支援して日本に来てもらうのは日本人ファーストだ。
彼らを日本に呼んできて日本で研究し親しんでもらって、上手くいけば日本で働いてもらう、あるいは帰国後に知日派になってもらってお互いにウインウイン、日本の繁栄と、回り回ってオレの幸せに繋がる訳で、反対する理由はない。
だけど、これに反対する人たちがいる。彼らの言うことを聞くと、日本人で苦労している苦学生を助けるのが先だろうという。
でもそれって本当にトレードオフか?
優秀な外国人を呼んでくるのはリクルート費用みたいなもんであり、後者は福利厚生費用みたいなもんで、そもそも勘定科目が違うだろって思う。
主張をするならば、日本人苦学生の支援を強化せよ、と言う方が先行しそうなもんだが、どうも外国人への支援を打ち切れというほうが先に来ているように見える。
同じ様な話はたくさんあって、外国人が会社をやっているとか、土地を持っているとかも、それ自体は日本に投資されているのだから自分ファーストにプラスなのに反対するとかある。
それでも反対するのは、引き下げの審理というやつではないか。
自分のところをよりよい方向にできないから、他人を不幸にすることで自分を比較優位に持っていくと言う奴である。
正直この気持ちは非常によくわかる。
オレもうんこが漏れそうなときに、この世の全てを呪いたくなるし、誰もがオレと同じ苦労を背負えば、もっとトイレの数が増えるのにと思うことはある。
しかし、長い長い長い長い列を乗り越え、便器に座りすべてを解放したとき、逆にこの世の全てを許すような気持ちになるもんじゃないのか?
もちろん直接的な利害関係にある人が個別案件に対して反対運動するのはいいと思う。それがファクトに基づいている限りは。
例えば外国への工場移転に対する反対運動とか、近所に外国人のゴミ棄てマナーが悪いとかそういうのもそれはありだともう。
もちろん既存の法令違反への対応や(免許問題とか)、紛争・気候変動のリスクなどに対する懸念(ロシアによる選挙介入や、食料エネルギー安全保障)なども正当だと思う。
そこら辺をもうちょっと冷静に分離して考えたい「日本人ファースト」派なんだけど、どうもその方向に進みそうに無い。
これは、やっぱりうんこが漏れそうな時のオレのように、余裕がないからではないかと思う。
まずはそこに手当をすることに集中するべきなのかなと思うんだが、まぁ、それができた楽郎はしてないんだけど。
まず第一に、お前の発言は全体として「比較優位」という基本的な経済原則をまるで理解していない。
国が持つリソースや技術水準が異なるのは当たり前で、どの分野で強みを持ち、それをどう活かすかが国家運営の要諦だ。
お前はAI技術と資源量だけ見て「勝ち負け」の話をしてるが、それは将棋のルールも知らずに「駒が多いから勝ち」と言ってるようなもんだ。浅すぎて話にならん。
ハードウェアと人権弾圧が表裏一体の中華におけるAI開発に「未来」などない。イノベーションは自由な議論空間と社会的信頼の上に構築される。中華にはその土台が欠落している。
さらに言えば、国家の発展とは単なるGDPや軍事力では測れない。国民の幸福度、社会の透明性、医療福祉、教育機会の平等性といった複数の評価軸がある。
そこを一切無視して、地政学的に見た「資源がある、国土が広い」でマウントを取ろうとしてる時点で、お前は近代国家の運営に必要な多軸評価の概念を理解してない。話にならん。
そして「清華大・北京大から見たら東大はFラン」と言ってるが、QSランキングや論文被引用数、ノーベル賞受賞者数など、第三者評価では東大は依然として世界トップ100に入り続けている。
一方で中国の大学は政府による不透明な評価バイアスが混入し、数値が信用されていない。要は、「自称最強」国家にありがちな自己満ランキングでホルホルしてるだけ。無価値だ。
他国を見下し、差別語を並べて精神勝利しているお前のその姿勢こそ、文明社会において最も忌避される未熟な姿勢そのものだ。
お前が「10世紀先まで追いつけない」と思ってるその間に、日本は地道に社会インフラを整備し、民主主義と倫理を守りながら前進し続ける。
歴史はな、「派手に吠えた犬」ではなく、「黙って結果を出し続けた者」が作るんだよ。
お前の言ってること、全部、雑。
あのな、「素人だから正しい見解は分からない」って言い出した時点で、思考放棄宣言なんだよ。
それを「誰を信用するかに委ねる」って、経済議論じゃなくて宗教の話にすり替えてんの。信じる信じないの問題にした時点で、もうお前の頭の中には論証って言葉は存在しないってことだ。
学者同士で見解が違う?当たり前だよ。科学なんだから仮説と検証があって、常にアップデートされていくもんだ。でもな、それと「何でもかんでも等価に扱っていい」ってのはまるっきり別の話だ。
たとえば、リカードの比較優位理論に反論してる学者もいれば、地動説に反対してる人間もいた。
でもそれが両論併記されるか?されねぇだろ。学問ってのは、エビデンスと理論の整合性で淘汰されていくゲームなんだよ。
で、その中でどれがより現実と整合してるかを素人でも判断できるように、学者はモデルや統計や事例を使って説明してる。
「信用できる人を選ぶ」ってんなら、少なくともその人が何を根拠に主張してるのかを理解しようとしろって話だ。
そこをすっ飛ばして、「どっちが信頼できそうか」とか「口調が穏やか」とかで決めるなら、それは学問じゃなくてテレビのコメンテーター選びだ。
お前が素人だからといって、無知のままでいる免罪符にはならねぇ。少なくとも、議論に首を突っ込むなら「分からない」で開き直るのは最低の態度だ。
理解しようとした結果「分からない」ならいい。でも「最初から分かるわけない」と言ってるやつが、「見解の相違」だの「主流派は」だのと、もっともらしい言葉使って話してんじゃねぇよ。