はてなキーワード: 焚書とは
「国語辞書にはこう書いてある!」みたいなこと言ってる人いるけど、国語辞書なんかに細かく書いてあるわけないよ。
国語辞書に書いてない背景までわかってて適切に言葉を使えるかどうかが教養ってやつで、国語辞書の定義だけ読んで知った気になって言葉を使うのは無教養なんだよ。
これは学術用語とかでも同じ。
最低限の定義だけ読んでわかった気になってる人は世の中に結構いるけど、そういうもんじゃないんだよなあ。
よく知らなくてもこれ読めばある程度わかるはず。
ディストピアの世界は、管理者によって計画的に管理されているため、一見すると平等で秩序正しく、貧困や紛争もない理想的な社会「ユートピア」に見える。
しかし、実態は徹底的な管理・統制が敷かれ、自由も外見のみであったり、人としての尊厳や人間性がどこかで否定されている。その描写は作品毎に異なるが、典型的なパターンとして以下のような問題点が描き出されていく。
政府や特定の勢力によって情報が厳しく管理され、国民が自由に情報にアクセスすることが制限されている。
監視カメラや通信の盗聴、国民同士による密告などを通じて、国民の行動が常に監視されており、違反行為があれば重罰や粛清の対象となる。
富や権力が一部の管理者だけに集中し、社会全体の格差が拡大している。
平等が謳われている場合でも、体制を管理運営している者が上に立っており、実際には事実上の格差社会である。社会の枠の中で暮らす市民階級について、体制が市民階級を血統やDNAのレベルで把握・管理している。
社会の担い手と認められた市民階級の下に、人間扱いされない貧困階級・賤民が存在し、事実上は貧富の差が激しい格差社会となっている。市民社会では貧困の根絶が達成されたことになっているが、実際には社会の統制の枠から爪弾きにされた者たちが極貧層となる。それらの者たちによりスラムが形成されるも、中央政府によって市民の目の届かぬ地域に隔離されている。
言論の自由や集会の自由などがなく、体制への批判は禁止されており、粛清の対象となる。表現の自由が損なわれており、既存の秩序への挑戦と見なされた出版物は発禁・焚書・没収されることがある。その他、個人の自由が著しく制限されている。
特定の思想や価値観が強制され、異なる意見を持つことが許されない。
環境汚染や資源の枯渇など、環境問題が深刻化し、人類の生存基盤が脅かされている。
科学技術が、人々の幸福ではなく、支配や抑圧のために利用されている。
拷問、虐待、恣意的な逮捕など、人権が侵害される事例が頻発している。
粛清がある
体制(指導者)が自らの政治体制をプロパガンダで「理想社会」に見せかけ、国民を洗脳し、体制に反抗する者には治安組織(準軍事組織)が制裁を加えて粛清し、社会から排除する。
産児制限がある
強制的に人口を調整ないし維持する必要があるため、産児制限が行なわれる。市民の家族計画、さらには恋愛・性行為や妊娠・出産など人類の繁殖にまつわる部分さえ社会によって管理されている。
飢えて死ぬことはないが、けっして満たされることがない。食事の量や味、栄養などに問題があったり、同じメニューばかりが提供される…など。
発展の抑制
昔からSFではディストピアネタ扱う作品がいろいろあって(ザミャーチンなど)、ディストピアという言葉でイメージされるのは、一見ユートピアっぽく見えるけど統制された管理社会なんだよね。(もちろんディストピアという言葉のすべてがそれというわけではないけど、一般的にイメージされるのはという意味で)
国語辞書に書かれてるのは単に訳語っていうかその背景までは書かれてない。
だから単なる「劣悪な環境」とか「地獄っぽい環境」みたいなイメージでディストピアって言葉を使うのは教養ある人からすればちょっとずれてるわけ。
ただ、ディストピアって言葉も有名になりすぎてすでに一般的になっているなら、単なる「劣悪な環境」くらいの意味で使う人もいるのかもしれない。
多くの人は教養がないからそれも仕方ないし、言語の変化っていうのはそういうのも柔軟に受け入れていくものだから別に良い悪いの話ではないのかもね。
ただ、その場合、教養ある人たちは「この人はディストピアについてよく知らないけど、ただなんとなくかっこいいからディストピアって言葉使ってる人なんだな」って思うだろうし、「この人はあまり教養がないらしい」とすぐに相手のレベルを察してそれ以後は小難しい話は避けたりする。(教養ある人は相手のレベルに合わせる)
SFなんかキモいオタクしか知らんって言う人もいるだろうけど、エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920年)、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)、ジョージ・オーウェル『1984年』あたりは文学史的にも教養なので正統派(?)の文学オタクも当然読んでて知ってるよ。
まあだから何って話ではないけど、「国語辞書にはこう載ってる!」みたいなこと言っていいのって高校生までかなって思う。
なんかネットによくいる「俺頭いいですw」みたいな人にそういう人多いので気になった。
ああ、なるほど。君はリベラルの概念を理解せずに、放尿レベルの駄論を撒き散らしてるわけだ。
脳内で自己矛盾のオナニーを繰り返して快楽物質でも出てるのか? まずは論理の便所掃除から始めよう。
それを「自由に主張できている」この瞬間が、すでに自由の証明になってる。
お前が自由を否定したければ、まず口を閉じて思考を停止してろ。
自由という制度が、愚者の自由な放尿をも許容している事実に、頭を垂れて感謝すべきだな。
では聞こう。「リベラル」という語の語源を調べたことはあるか?
ラテン語のliber(自由)だ。自由を否定するリベラル? それは「濡れた火」や「光る闇」と同じ、語義矛盾だよ。
君の主張は、言語の上で既に崩壊している。まるで失禁状態で論理を撒き散らしているようなものだ。
これが君の言う「より良い国」か? 恐怖による秩序は、必ず崩壊する。
なぜか? 恐怖は思考を止めさせるからだ。思考なき社会に技術革新はなく、経済成長もなく、ただ衰退だけが残る。
かつてそういう国家はいくつもあったが、全部、歴史のゴミ箱に入っただろ?
ソ連、中国文化大革命、ナチス・ドイツ、ポル・ポト。同じ轍を踏みたければ、どうぞ君一人で踏み潰されてろ。
自由を否定して「リベラル」を名乗る? それは「味のしないうま味調味料」、あるいは「知性なき評論家」と同じ矛盾の極みだ。
つまり、君の主張は「名は体を表さない」の教科書的失敗例。理性の通夜でも開いているのか? 無理やり自由なき自由を目指すなど、もはや哲学的放尿だ。
君の主張は、論理的自己放尿の見本であり、言語と知性の無駄遣いだ。
そして何より、それを言える自由こそが、社会の成熟の証拠なんだよ。その土台を壊す者は、自由ではなく文明そのものの敵だ。
今すぐその放尿思想を水洗トイレに流して、脳みそをロジカルで磨き直して来い。論理とは、恐怖や情念ではなく、事実と整合性で成り立つものだ。
この映画に対して「本を雑に扱うな」「本のシーンだけは無理」などという声が上がっている。
描写としてはイケイケ王子が図書館で本を投げたり踏みつけたりしながらイケイケに歌うシーンだ。
ウィキッドという作品には強烈にファシズムへの批判、「ナチス」を想起させるシーンが組み込まれている。
実はイケイケ王子、取り繕っている系イケイケ王子で根はもう少し複雑だ。
イケイケな歌の歌詞を聞けばわかるのだが、彼はそうすることで彼の立ち位置を守っている。しかし主人公のエルファバはそれを軽蔑しているし、イケイケ王子だって内心自分が嫌いそうである。
さらに進んでいくと、歴史を封印、思想矯正、ホロコースト、仮想敵等々「映像の世紀」を見ていれば毎週おなじみの光景が繰り広げられ、さらにチャップリンの「独裁者」のオマージュがハッキリと提示されるのだ。
本の扱いが雑なのは、知識に対して雑なのは、そもそも作品の要素であり、人類の負の歴史として実際にしてきたことなのだ。有名なナチスの焚書を知れば明らかだろう。
でも、悲しいことに冒頭の「本を雑に扱うなw」「不快〜」「物を大切にして」みたいな短い、浅い、子供の道徳教育のような感想だけでこのシーンが批判されてしまうのもまた、日本の歴史教育の浅さが招いたものなのかもしれない。
それを言うのが本好きだというのもまた痛ましい。
無論、気付なかったのが子供ならその「不快感」を教育に結び付けられるものなのだろうが、大の大人が「パッと見不快」なだけで、深く考察していけないとなるとウィキッドの持つテーマ性すら把握できていないのではないだろうかと思ってしまう。
別に後編を見なくてもこのあたりは普通に理解できる部分ではあるし、「不快」と思う感覚も正常なのだが、果たして「不快だから駄目」と切り捨ててしまうのは正解だろうか?
ネット炎上が大体問題の表面的な部分だけ見て行われるのだが、ウィキッドに対しても、これだけ丁寧にやったのにその反応が起きてしまうというのは、悲壮感が漂ってくる。
「エロいから読むけど思想が嫌い」「格闘が好きだから読むけど思想が嫌い」「一貫した主張は好きだがエロと暴力が嫌い」と読者に言われがちだが妙なる化学反応が起きて唯一無二の作風を持ち、「こういうのがいいんだよ」という支持者もいる
作風だけではなく本人もSNSでたまに暴走しており、「漫画はエロいのに作者がなあ」と何度も炎上した過去を持つ
訴えられた発言
colabo弁護団の1人である中川卓が高遠るいの代理人になっていた
中川卓は暇空を倒すのが得意な弁護士として、暇空に訴えられた非colabo系の人にも頼られている
中川は日本大学卒で司法試験に受かるまで5回落ちたという経歴、リベラル思想から、「トップ大卒・試験は1度目で合格・反リベラル」が標準装備の法クラ内で嘲笑対象になっており、暇空の弁護士・垣鍔晶は暇空が注目を集める前からネット上で中川リンチに加わり罵っていたという因縁がある
今回の裁判で暇空は「脳が壊れている」というのは激しい誹謗中傷だと主張したが、中川は「脳云々はネットでよく使われる言い回しで暇空も使っている」と暇空の脳にまつわる発言など証拠を75個提出していた
原告が令和5年8月16日、「友達できたことない奴らってマジで脳の作り違うのかな?飼い主?」と脳に絡めた攻撃的な投稿をしていること
本訴訟においては「脳が壊れちゃってる」という一言を取りだして名誉感情侵害を訴えているが、過去には原告がエックス上において、「どんどん知能落ちていくなタコって複数脳らしいけど何個か壊れた?」(令和4年10月17日。乙64)、パヨクの人ら、脳みそが辺野古脳で党派性に染まりきってて、敵味方でしか善悪正誤みれないんだよな」(令和4年10月31日。Z66)、「ラクに2時間で数万稼ーげる経験して、ストレスだっつってホストいったりブランドバッグ買った人はまともな労働意欲とガッツをもって仕事に打ち込めないでしょもう。脳そういう部分が壊される」(令和5年1月23日。Z68)、「調子こいたまじ低脳のカスヤンキーと同じ学校で学ぶのはハンデと言っても良い」(令和5年3月13日。乙70)、「俺へのみで脳までやられてんなこれもうw」(令和5年3月13日。乙71)、「ネットでサヨク脳で叩くのはセーフだと思ってただろちげーよバーカ」(令和5年6月13日。乙73)、「友達できたことない奴らってマジで脳の作り違うのかな?飼い主?」(令和5年8月16日。乙74)などと、他人の人格や知能等を罵倒する投稿を繰り返して
あとは強い言葉を放っている暇空が同じぐらい強い言葉で言い返されても仕方ないという主張として暇空の他の差別的な発言も取り上げられた
例えば、原告は、「知的障害者に社会参加を!いうても浜辺のゴミ拾いくらいしか思いつきませんけど」(令和3年4月12日。Z60)、「脳みそスポンジだからワニと一緒に死ねばいい」(令和3年6月8日、Z62)、「「子を残したいのに残せない」っていうのってかなり人間を発狂させるんだとおもう。フェミとかゲイのやばい点をみてるとね」(令和4年6月26日。乙37)、「お前こういう目的で活動してるペドだろって指摘した」(令和4年8月19日。乙75)などというように、攻撃的、差別的な投稿を繰り返していた。
ある意味では高遠や中川に負けたのではなく、今空茜が過去空茜の暴言に足元を掬われた
でもまあ脳が壊れてる暇空支持者は「リベラル漫画家なんか追い込んで表現できないようにしてやろう!!焚書焚書!!」という共感・連帯によりカンパをザクザクくれるので金にさえなればいいのか
1月の暇空 仁藤夢乃の写真を悪意を持って取り上げ、動画の削除依頼された後も暇アノン漫画家の「知るかバカうどん」に仁藤の中傷用イラストを描くよう指示してその絵を写真の上に重ねて使用しカメラマンらに訴えられ敗訴
2月の暇空 勝部元気に「ミソジニーオブザイヤー」にノミネートされ1位を取ってしまったので訴えたが、裁判所にお前は実際ミソジニーな言動してますよねと認定される
ジュリアン・ムーア(64)がおよそ20年前に発表した児童書が、トランプ政権により発禁処分となったという。『フレックルフェイス・ストロベリー』が国防総省の運営する学校で禁止となったことに、ジュリアンは驚きを表している。
自身も国防総省下の学校出身で、ベトナム戦争も経験した軍人の父を持つジュリアンはインスタグラムにこう綴っている。「私の処女作『フレックルフェイス・ストロベリー』が、トランプ政権によって国防総省の運営する学校で禁止とされたことに大きなショックを受けています。『フレックルフェイス・ストロベリー』は、自分のそばかすが大嫌いで仕方のない7歳の少女が、人はそれぞれ違うのだということに気づき、受け入れていく姿を描いた半自伝的物語です」「これは誰もが苦しむことはあるけど、人間性とコミュニティによって結束しているということを私の子供や他の子供たちに思い出してもらうために書いた本です」「私は当時国防省が運営していたドイツのフランクフルトにあるフランクフルト・アメリカン・ハイスクールの誇り高き卒業者なので、今回のことになおさら驚いています。私はベトナム戦争を経験し、米軍にずっと従事していた父の元育ちました。父と母国への父の貢献はこれ以上ないほどに誇りに思っています」「軍人の親の元で育って国防省の学校に通う私のような子供たちが、同じような経験をした人物による著作を手にすることが許されないということはとても悔しいことです」
AIにぼろくそに反論されない程度には論を練ってから投稿しないと、自分の無知蒙昧をさらけ出すだけだし、まともに相手にされないよ。
提示された主張は、歴史的事実、倫理、法的な観点から深刻な誤りであり、許容されるべきものではありません。
1. 表現の自由の誤解
表現の自由の限界: 表現の自由は絶対的なものではなく、他人の権利を侵害したり、社会の秩序を乱したりするような表現は制限されます。ホロコーストを肯定する言論は、大量虐殺の被害者を侮辱し、憎悪を煽るものであり、この範囲を超えています。
差別とヘイトスピーチ: ホロコーストを肯定する言論は、特定の民族や人種に対する差別とヘイトスピーチにあたり、多くの国で法律により禁止されています。
歴史的真実の歪曲: ホロコーストは歴史的事実に基づいた事実であり、これを否定したり美化したりすることは、歴史そのものを歪曲する行為です。
大量虐殺の歴史: ナチズムは、ユダヤ人をはじめとする数百万人を計画的に殺害した、人類史上最悪の大量虐殺を行ったイデオロギーです。
人道に対する罪: ナチスの行為は、国際法上の人道に対する罪にあたり、国際社会で普遍的に非難されています。
合理性という幻想: ナチズムを「合理的な社会」と評価することは、その残虐性を完全に無視するものであり、歴史認識の歪みです。
思想の自由と責任: 思想の自由は、個人が自由に考え、表現することを保障するものです。しかし、その自由には、社会全体の平和と秩序を維持する責任が伴います。
法の支配: 社会は、法の支配に基づいて運営されます。法は、個人の自由を保障すると同時に、社会の秩序を維持するために、特定の行為を禁止しています。
敗戦と悪の相関関係: ナチスが戦争に負けたから悪にされたという考え方は、歴史的事実に反します。ナチスの悪行は、戦争の結果ではなく、その行為自体によって評価されるべきです。
正義の勝利: ナチスの敗北は、正義が勝利したことを意味します。
ホロコーストを肯定する言論は、歴史的事実を歪曲し、人々の尊厳を踏みにじり、社会の平和を脅かすものであり、決して許されるべきではありません。思想の自由は、社会の秩序を維持する範囲内で保障されるべきであり、ヘイトスピーチや差別を助長するような言論は制限されるべきです。
補足
ホロコーストに関する情報は、多くの信頼できる歴史資料や研究に基づいています。
ホロコーストの否定とナチズムの礼賛が許されるべきではない理由:
ホロコーストやナチズムに関連する主張は、歴史的な事実を無視し、虚偽や歪曲を助長する可能性があります。ナチズムは、人類史上最も凄惨な大量虐殺を引き起こし、数百万の命を奪いました。このような事実を否定することは、歴史的な真実を隠蔽することに繋がり、再び同様の悲劇が繰り返される可能性を高めます。ホロコーストを否定したり、ナチズムを礼賛したりすることは、被害者への侮辱であり、社会全体の倫理と道徳に反する行為です。
思想や言論の自由には制限があります。多くの国では、「他者を傷つける言論」「公共の安全や秩序を乱す言論」「憎悪を煽る言論」は制限されており、これは自由社会の一部として理解されています。ナチズムの復活を願うことやホロコーストを肯定することは、憎悪の扇動や差別、暴力の助長に繋がりかねません。したがって、これらの行為は表現の自由の枠を超え、公共の秩序や他者の権利を侵害するものとして制限されるべきです。
ナチズムが「合理的な社会」としての側面があるという主張への反論:
ナチズムは確かに一部の社会的効率や秩序を強調しましたが、その背後にある「人種的優越性」という理念は非人道的であり、最終的には人々を殺し、抑圧し、破壊する結果を招きました。ナチズムの政治体制は、基本的人権を無視し、自由を制限し、非人道的な犯罪を行ったことから、決して「素晴らしさ」を持つものではありません。合理的であるかのように見える側面も、その本質的な人権侵害を正当化することはできません。
ナチズムが「戦争に負けたから悪になった」という見解への反論:
ナチズムが戦争に負けたからこそ悪とされているわけではなく、その行った行為が人類に対する重大な犯罪であったからこそ非難され、歴史的に否定されています。ナチズムが生み出した戦争犯罪や人道に対する罪は、戦争の勝敗に関わらず、客観的に悪であり続けます。ナチスの指導者たちは戦争責任を問われ、多くが裁かれました。それは負けたからではなく、彼らが行った極端な非人道的行為が根本的に許されざるものであったからです。
結論として、ナチズムやホロコーストの肯定は、歴史的事実を否定するものであり、憎悪や差別を煽り、人々を傷つける可能性があるため、許されるべきではありません。また、思想や表現の自由には限界があり、他者を害することを助長する行為は制限されるべきです。
■ホロコーストの肯定も、アウシュビッツの復活を願う事も、思想の自由
ナチズムを礼賛しナチズムを肯定しナチズムを崇拝しナチズムを許容しナチズムを推進する、全て許されるべきこと
なのに社会はそれを悪だという、国によっては罪にする
分からなかった
1.何と何が対立してたのか
2.戒厳令がなんなのか
3.自分たちへの影響
多分分かった
→公民赤点常習犯すぎてたまに日本の総理大臣も国会の人だと思ったりしてるので、最初は大統領が国会に籠城始めたのかと思ってた。違った。大統領がブチ切れて「独裁者に俺はなる!」って強権行使して、軍隊がそれに従った。でも軍隊の中の人たちは「お上の言うことには何も考えず従え!!非国民は死あるのみ!」とか言って市民虐殺とかをする人たちじゃなかったので、無血で済んだ。戒厳令を取り消させるのに国会に国会議員が集まるのも、全力での阻止はしなかった。
2.戒厳令とは
→自分は「鎖国して大統領が武力で独裁者になる宣言」と理解した。情報統制にかける本気度の一端を見てしまって恐怖。登校禁止って、教科書とカリキュラム変えるまで何かを学ぶのを禁止するってことでは? 焚書の気配も感じた。
3.影響
→韓国国民が『はだしのゲン』で読んだ市民みたな扱いになるのかと思ってゾッとした。憲兵ェ…。もし日本に戒厳令なんてあったら、誰か一人でも撃ってはいけない状況で、誰かが撃ってしまって引き返せない事態に発展してたんじゃないだろうかという恐怖。
戒厳令はないにしても、国会を通さず閣僚会議だけで総理大臣はやりたい放題できるという話だし(※増田は公民赤点)、日本で強権発動された時に誰か止められるんだろうか。せめて与党が議席の過半数でなくて安堵してる……あれ、総理大臣と国会って違う組織だよね?
トランプに表現の自由を期待する人がいるらしいけど、今のアメリカの右派って、学校の図書館とかから本を撤去していって焚書を進めてる連中だからな。燃やされてるのは人種やジェンダー、LGBT関連の本だから、「表現の自由」派は気にしないのかもしれないけど。でもケモとかアニメも右派のターゲットだし、アニメを見るとトランスジェンダーになるとか信じてる奴らがいる。
憲法には表現の自由とかを守るよう不断の努力をしろって書かれてる。
間違って覚えられがちだけど、表現の自由案件でスルーせず自由守る努力ってチキンレースじゃないよ。
裁判ギリギリのセーフラインまで好き勝手する事が、不断の努力だと思ってる戦士が結構多いと思うので、失礼ながら言わせてもらう。anond:20241107083807
だけど現代では、当たり前だけどリアルに書籍を焚き火にくべたりはしない。
実は、ゾーニングせずにカタギに迷惑をかけることこそ、焚書なんですよ。
一般市民が困る。
ブランドを傷付けられた企業は、明確に禁止せざるを得なくなる。
禁止事件のトラウマにおびえるオタクたちは、もう、精神の翼を広げて伸び伸びとエロ2次創作できない。
だから。