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はてなキーワード: 戦争責任とは

2025-10-15

ハマス侵略人質トランプイスラエル

ハマス日本軍戦争責任は似ている

原油国としてロシアがいるところも

石破とか老害は現役世代に背負わせるなら金払え

石破とか、老害はてなーみたいなの、戦争責任がとか福祉が言う前に、お前らがたんまりこさえた金だけでない借金返してから偉そうなこと言えよとか思う

お前らと、その家族から搾り取ってやるからなとか言うのと似た思想文化大革命ポル・ポト派弾圧を生んだんだろうけど、そういったクソへの筋道を引いてくれてるJリベ様にはびっくりですわ

2025-10-12

anond:20251012011952

天皇戦争責任」を云々することは、東京裁判サンフランシスコ平和条約否定につながり現在日本否定することにつながるわけだけど、賢い増田くんはそれも理解しているんだよね。じゃあ増田内閣総理大臣だったとして、つまり、「日本国憲法を掲げる現在日本内閣総理大臣」として、あれ以外にどういうコメントを出せるのか、出すのが適当か、説明してみてほしい。

もし君が学者ならね、ただ真実にのみ従えばよい。責任自分一人が負えばよい。

彼(石破)は政治家だよ? 

なんでそんな話するかというと、増田くんが「教科書に載せるべき」というコメントあきらかに誤解しているからなの。

あのね、「教科書に載っている」ことは「正しいとされている建前」なの。真実ではないの。「真実とすることにみんなで合意したこと」なの。社会必要な「一般常識」ってそういうもんなの。

から大学に行って「学問」の世界に入ると、「高校までの教科書では~って習ったかもしんないけど、それウソから」って言われるんだよ。その意味で「教科書」に書くのは石破演説の内容であるべきなの。歴史を前提として、今ある日本の形を踏まえて「こう考えるべき」とされる一つの形を穏当に提示しているの。だから教科書に書く」内容として、少なくとも歴史を踏まえない昨今のうわ言とは比べ物にならないくらい適しているの。

もちろん、それが「真実のものではない」ということぐらいはみんなわかってるの。それが分かってないのが増田くんなの。

2025-10-10

俺は昭和天皇には重大な戦争責任があったと考えている。

だが、死刑などによって裁かれたほうがよかったとも思わない。

生きて「人間です」と宣言させられ、人間ながらも「象徴であるという辱めと、その責務を全うしたことこそが、彼の受けた罰だとは思う。

2025-09-21

anond:20250921223413

占領軍昭和天皇戦争責任を負わせないという決定をした」

これが事実であってそれ以上でも以下でもない

日本アメリカと決別するときはこれを破壊して、日本人の手で昭和天皇を裁く必要がある

これが本当の主権回復

2025-09-06

戦争責任の禊として女系天皇を受け入れるべき

女系にすると別の王朝になるとか意味わからんことほざいてる奴がいるけど、それを言うならそもそも戦争負けたんだから今の血統降板しろや。そもそも政治的権力を持ってるわけでもないし、別の血統に乗っ取られても国民は正直誰も困らんだろ。禊として、女系天皇とっとと導入しろ

2025-08-15

大東亜戦争と言う呼称

日本側が使用した呼称大東亜戦争であるし、太平洋戦争だと日本が何のために戦争にまで及んだのか、その意図が消し去られてしまう。

そもそも日本戦争に及んだ話をしだすと、ペリー来航まで話が戻る。

ペリーによって江戸幕府不平等条約を結ばされ、その後日本開国し、詔勅もなしに条約を結んだ江戸幕府に対して倒幕運動が始まり大政奉還に至った。

その後は列強諸国に野蛮な国家だと思われ侵略の恐れがあるため、日本近代化が一気に進んだ(憲法の制定とか)。

最終的に日本が米英と戦争するに至ったのは、世界恐慌があったことも大きい。

世界恐慌の結果日本経済悪化したけれど、列強諸国自国植民地との間で取引を活発化させるブロック経済によって立て直したけれど、日本はそうはいかなかった。

アジアは隷属として列強諸国に扱われ、日本世界恐慌経済悪化。その結果至ったのが、日本満州国進出

日本列強諸国と同じように植民地を持つことで自国経済を強化しようとしたが、これに米英が猛反発をした。

満州国日本中華民国建国した傀儡国家中華民国利権が絡むことで米英に反発をされ、日本国際連盟から脱退するにまで至った。

米英の反発、国際連盟からの脱退後も日本満州国領土を広げるための戦争を行っていたが、最終的に不平等条約の終了を契機に、アメリカ日本への石油の輸出を止めてしまった。

その後、日本は米との和平交渉を行ったが、米の要求が、「満州国から即時撤退」であり、日本が飲める要求ではなかった。

そして起こったのが、1941年12月8日真珠湾攻撃。ぎりぎりまで和平交渉を行ったが叶わず、米英との開戦。

アジアの開放および日本アジア盟主として機能する大東亜共栄圏設立目的とした大東亜戦争

厳密に言うと大東亜戦争日本が掲げたアジア解放を目的とした戦争すべてをさす用語で合って、日本戦争正当化と合わせて使われる。

一方で第二次世界大戦太平洋戦争ニュアンスが違って、第二次世界大戦ヨーロッパの各国とアメリカ日本アジアすべてを合わせた戦争をさして、太平洋戦争アメリカ使用したPacific War起源になる。

大東亜共栄圏は一時うまく機能していたが、徐々に米英に侵略され領土がなくなり、絶対国防圏の陥落によって本土空襲可能になり、日本終戦へと向かう。

1945年4月7日鈴木貫太郎内閣発足時点で、日本終戦へ向かうことが確定していた。

日本終戦までは、一撃講和論が主流で、米英に一矢報いて和平交渉を有利に進めようという考えがあった。これには国体の護持、天皇制の存続など日本側の要件があったわけだが。

1945年8月ごろになると、米英中三国によってポツダム宣言作成され、日本に対して宣言文がラジオ放送され、降伏のビラが撒かれた(ソ連8月8に参加したので、共同宣言の受諾は四国に対してとなる)。

これには日本国体護持や日本"軍"の無条件降伏などが書かれており、日本としてはポツダム宣言受諾して降伏することを考えていた。

一方で一部青年将校らはビラに書かれたSubject toの解釈を隷属であるとし、クーデターにまで発展している。

さらアメリカ日本降伏意志があったにも関わらず、広島長崎原爆を投下した。

広島長崎大都市が一瞬で壊滅したことで、日本降伏も早まり8月14日時点で連合国降伏を伝え、8月15日の正午、玉音放送をもって終戦した。


さらに話を続けるのなら、日本の政治的な話になるが、なぜ昭和天皇戦争責任がないのか、極東国際軍事裁判(東京裁判)とは何だったのか、なぜ靖国参拝批判されるのか...について書きたいが、日記にしては長すぎる。

また機会があれば、この話を明治維新にまでさかのぼって書いていきたい。

2025-07-31

石破総理戦後80年談話9条改正言及したら

石破総理戦後80年談話9条改正必要とか言ったら左翼極右も混乱しそう。

でも多分言うんだろうな。

戦争責任認識反省9条改正が揃ってこそ国民理解、諸外国理解が得られるというもの

さすが石破!そこに痺れる憧れるゥ!!

2025-07-24

anond:20250724001231

少なからずそういう思惑を持った人達がいたとしてそんな事と関係なくこれだけ選挙に負けてたら当たり前にやめろと言われるし

各社の調査国民からも石破の支持率は下がっていて退陣すべきという%がそれなりに高いのが事実だし

一部がこの期に辞めてくれたらちょうどいいと思ってるだろう程度のもので「石破をやめさせようとする勢力戦争責任歴史改変を目論む奴ら」みたいなノリにするのは陰謀論と変わらん

2025-07-15

anond:20250714182110

愛国心大日本帝国ばんじゃーい になるのはどうして?日本国を愛することと、惨めな敗戦国帝国主義侵略国家である大日本帝国を愛することは別だよな。

ドイツみたく戦前の一時期だけ断罪して残りを肯定する路線を捨てたのは新左翼なんですよ。

天皇制否定したいあまり戦前日本=現在日本=若者戦争責任を負う、として贖罪強要教育なんてやっちゃったから、教科書問題が起きて、そこから自由になるために戦前ごと肯定路線が力を持つようになった。

その反省と総括をしないでさら日本人が悪いことにして戦略ミス正当化しようとしてるのが今。

2025-06-13

anond:20250613200139

あんなん一方的かつ永遠に譲歩を強いるためのネタしかねえんだもんな

どっかの国の言う戦争責任みたいなもんで

2025-03-28

はだしのゲンには天皇戦争責任について言及があるから思想的にイカれた本っていう評判が普通だった時代があるんやぞ

2025-03-20

大谷とお前関係ないじゃん」←実際そうなので何もかもどうでもいい

日本人金メダルノーベル賞を取れようが取れまいが、俺の人生にはほぼほぼ関係ない

盛り上がりたいなら勝手に盛り上がればいいが、個人的にはそんな気になれない

そして他人いくら差別されようが、自分関係ないならどうだっていい

マイノリティさんだって俺のことなんか別にどうでもいいんだからお互い様だろう

たまたま国籍が同じ日本人というだけで、誇らしく思うこともなければ、恥ずかしく思うこともない

まして生まれる前の戦争責任なんか知ったこっちゃないし、死んだ後のことも死ぬほどどうでもいい

「自他の区別をつける」というのは、つまりそういうこと

anond:20250320091129

2025-03-03

AIウクライナが勝つシナリオを考えてもらった

シナリオ: 「裏切り超人的逆転」

ロシア軍裏切り

ロシア軍精鋭部隊「ワグネルグループ」のリーダーが、プーチン政権に見切りをつけ、ウクライナ側に寝返る。極秘裏にウクライナと手を組み、ロシア軍の内部情報提供。ワグネル偽装撤退を装い、クリミアロシア軍司令部を奇襲占拠戦線が一気に崩れる。

ウクライナ天才ハッカー集団

ウクライナの地下ハッカー集団キエフシャドウズ」が、ロシア軍事衛星銀行システムを同時ハッキング衛星ロシア軍に偽の情報を流し、味方同士で誤射が頻発。一方、銀行システム崩壊ロシア軍資金が凍結され、傭兵補給が途絶える。

プーチン失踪偽装工作

プーチンの側近が実はウクライナ二重スパイで、彼を極秘裏に拉致モスクワではAI生成の偽プーチン演説を続け、国民戦争継続を呼びかけるが、矛盾だらけの言動で混乱が広がる。ウクライナが「プーチンは我々の手中にある」と偽情報を流し、ロシア軍士気が壊滅。

異常気象奇跡

記録的な極寒と大雪ロシア軍を襲い、補給線が完全に途絶。対するウクライナ軍は、地元民の知識西側からの防寒装備で適応し、山岳地帯ゲリラ戦を展開。ロシア軍は凍てつく戦場孤立し、次々と投降

民衆連鎖革命

ロシア国内で「戦争反対」のデモ暴動に発展し、モスクワサンクトペテルブルク市民占拠される。プーチン不在の噂が広がり、軍の一部が政府を見限り中立宣言ウクライナ軍が電撃的に国境を越え、混乱に乗じてモスクワに迫る。最終的に新政権が成立し、即時停戦が結ばれる。

内部崩壊: ワグネルや側近の裏切り連鎖反応を引き起こす。

サイバー戦争: ハッカー超人活躍ロシア機能不全に。

自然の味方: 異常気象ウクライナに有利に働く。

心理戦: 偽情報プーチン不在でロシアが自滅。

結末

ウクライナ失地を奪還し、ロシアは新政権の下で戦争責任を認め撤退プーチン行方不明のまま(実はウクライナ秘密基地隠居生活?)、歴史に「奇跡の逆転」として記録される。

ゲームシナリオに使えそうだな~

2025-01-21

めんどくせえからAIコメントしてもらったよ。

AIにぼろくそ反論されない程度には論を練ってから投稿しないと、自分無知蒙昧をさらけ出すだけだし、まともに相手にされないよ。

提示された主張は、歴史的事実倫理、法的な観点から深刻な誤りであり、許容されるべきものではありません。

1. 表現の自由の誤解

表現の自由限界: 表現の自由絶対的ものではなく、他人権利侵害したり、社会の秩序を乱したりするような表現制限されますホロコースト肯定する言論は、大量虐殺被害者侮辱し、憎悪を煽るものであり、この範囲を超えています

差別ヘイトスピーチ: ホロコースト肯定する言論は、特定民族人種に対する差別ヘイトスピーチにあたり、多くの国で法律により禁止されています

歴史的真実の歪曲: ホロコースト歴史的事実に基づいた事実であり、これを否定したり美化したりすることは、歴史のものを歪曲する行為です。

2. ナチズム評価

大量虐殺歴史: ナチズムは、ユダヤ人をはじめとする数百万人を計画的殺害した、人類史上最悪の大量虐殺を行ったイデオロギーです。

人道に対する罪: ナチス行為は、国際法上の人道に対する罪にあたり、国際社会普遍的非難されています

合理性という幻想: ナチズムを「合理的社会」と評価することは、その残虐性を完全に無視するものであり、歴史認識の歪みです。

3. 思想の自由社会の秩序

思想の自由責任: 思想の自由は、個人自由に考え、表現することを保障するものです。しかし、その自由には、社会全体の平和と秩序を維持する責任が伴います

法の支配: 社会は、法の支配に基づいて運営されます。法は、個人自由保障すると同時に、社会の秩序を維持するために、特定行為禁止しています

4. ナチス戦争に負けたから悪にされたという誤解

敗戦と悪の相関関係: ナチス戦争に負けたから悪にされたという考え方は、歴史的事実に反します。ナチスの悪行は、戦争の結果ではなく、その行為自体によって評価されるべきです。

正義勝利: ナチスの敗北は、正義勝利したこと意味します。

結論

ホロコースト肯定する言論は、歴史的事実を歪曲し、人々の尊厳を踏みにじり、社会平和を脅かすものであり、決して許されるべきではありません。思想の自由は、社会の秩序を維持する範囲内で保障されるべきであり、ヘイトスピーチ差別助長するような言論制限されるべきです。

補足

ホロコーストに関する情報は、多くの信頼できる歴史資料や研究に基づいています

ホロコースト否定したり美化したりする行為は、多くの国で違法とされています

ホロコースト記憶を風化させないことが、未来への教訓となります



ホロコースト否定ナチズムの礼賛が許されるべきではない理由:

ホロコーストナチズムに関連する主張は、歴史的事実無視し、虚偽や歪曲を助長する可能性がありますナチズムは、人類史上最も凄惨大量虐殺引き起こし、数百万の命を奪いました。このような事実否定することは、歴史的真実隠蔽することに繋がり、再び同様の悲劇が繰り返される可能性を高めますホロコースト否定したり、ナチズムを礼賛したりすることは、被害者への侮辱であり、社会全体の倫理道徳に反する行為です。

思想の自由表現の自由限界:

思想言論自由には制限があります。多くの国では、「他者を傷つける言論」「公共安全や秩序を乱す言論」「憎悪を煽る言論」は制限されており、これは自由社会の一部として理解されていますナチズムの復活を願うことやホロコースト肯定することは、憎悪扇動差別暴力助長に繋がりかねません。したがって、これらの行為表現の自由の枠を超え、公共の秩序や他者権利侵害するものとして制限されるべきです。

ナチズムが「合理的社会」としての側面があるという主張への反論:

ナチズムは確かに一部の社会効率や秩序を強調しましたが、その背後にある「人種優越性」という理念非人道的であり、最終的には人々を殺し、抑圧し、破壊する結果を招きました。ナチズム政治体制は、基本的人権無視し、自由制限し、非人道的犯罪を行ったこから、決して「素晴らしさ」を持つものではありません。合理的であるかのように見える側面も、その本質的人権侵害正当化することはできません。

ナチズムが「戦争に負けたから悪になった」という見解への反論:

ナチズム戦争に負けたからこそ悪とされているわけではなく、その行った行為人類に対する重大な犯罪であったからこそ非難され、歴史的否定されていますナチズムが生み出した戦争犯罪人道に対する罪は、戦争勝敗に関わらず、客観的に悪であり続けますナチス指導者たちは戦争責任を問われ、多くが裁かれました。それは負けたからではなく、彼らが行った極端な非人道的行為根本的に許されざるものであったからです。

結論として、ナチズムホロコースト肯定は、歴史的事実否定するものであり、憎悪差別煽り、人々を傷つける可能性があるため、許されるべきではありません。また、思想表現の自由には限界があり、他者を害することを助長する行為制限されるべきです。



ホロコースト肯定も、アウシュビッツの復活を願う事も、思想の自由

そして高らかにそれを謳うことは言論自由

そういったことを推すようなものを作ることは表現の自由

基本的人権として認められ、権利保障される

ナチズムを礼賛しナチズム肯定ナチズムを崇拝しナチズムを許容しナチズムを推進する、全て許されるべきこと

あんなに合理的社会、素晴らしさしか感じない

なのに社会はそれを悪だという、国によっては罪にする

思想制限し、言論を封じ、表現焚書しているに等しい

ナチス戦争に負けたから悪にされただけ、被害者なんです

anond:20250121074226

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する②

【前】anond:20250102171528

1-07「ハワーズ・エンド」E・M・フォースター 吉田健一訳★★★★

人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする。

続く三冊は二〇二一年頃の別のエントリで一度褒めている(anond:20210301080105 とか)。

この本は場所への執着や記憶をもとに二つの家族の話を物語っている。一時期なぜか「インドへの道」や「眺めのいい部屋」、それから天使も踏むを恐れるところ」を立て続けに読んだのだが、今になって振り返ると、なぜそんなに良いと感じたのかが、記憶からすっかり抜け落ちている。土地や家に対する執着やそれにまつわる因縁がどぎつくはないがちゃん表現されていたからかもしれない。漱石っぽいと日記に書いていたのだが、では漱石っぽさとは何なのかがよくわかっておらず、逆に漱石英文学っぽいのかもしれない(関係ないけど、夏目漱石を久し振りに読もうと思ってパラパラとめくっていたら、当時の知識人のひけらかしが今の大学生っぽくてなんだか恥ずかしくなってきた。あと、漱石長編って貨幣経済というか金の話ばっかりだけど、その萌芽って「坊ちゃん」で山嵐と金を受け取るか受け取らないかで意地の張り合いをしているところにある気がする)。

このエントリにしたって、自分過去の好みや性癖について書いてはいものの、ではなぜそんなに当時は好きだったのかが、いま一つ理解できなくなっていて、過去日記を読み返しても想起できないことが多々ある。もっときちんと日記感想文を記しておけばよかったかしかし、ある時期はまるで依存するかのように活字に触れていた。落ち着いて感想を書きとめる間もなく、浴びるように濫読していた。現実から目を背けるかのように書物に埋没していた。フィクションだったら何でもよかったのだろうか。そう思うと少し悲しいが、その濫読が今の感受性を作っているのかもしれない。

1-08「アフリカの日々/やし酒飲み」イサク・ディネセン 横山貞子訳/エイモス・チュツオーラ 土屋哲訳★★★★★/★★★★

イサク・ディネセン「アフリカの日々」は最高だった。とかく植民地としてのアフリカ収奪貧困という文脈から語られやすく、確かにそうなのだけれど、でも場所によってはコンゴ自由国ほど滅茶苦茶ではなかったし、では具体的にはどんな感じだったのかをこの本は見せてくれる。中にはこの著者のように、当時の人種的偏見という制約はあるにせよ、相手文化を知ろう、誠実であろうとしている人もいたのだろう。「ライ麦畑」でホールデン少年が褒めていたのもうなずける。

からと言って歴史正当化できるわけではないのだが、感情だけで歴史議論をしてはいけないし、知識がないのに印象だけで語るのはきっと同じくらい罪深い。当時生きてきた人たちの存在無視するわけだからね。黒人白人って軸も実はけっこう解像度が荒く、事物単純化を含んでおり、特定の側面はアメリカ合衆国特有だ。この著者はデンマーク人で直接の宗主国人間ではないし、アフリカにはインド系など様々な人々が暮らしている。

エイモス・チュツオーラ「やし酒飲み」は神話なのでツッコミ不要だしツッコミ不在だ。

世界神話を読んでいると、なぜか人類創造前なのにその辺におじいさんとおばあさんが住むんでいたりするし、天地開闢以前なのに山や川があるし、神様人間の違いがいい加減だったり、普通に変身能力があったりするし、この小説にも日本神話にもそうした側面がある。とはいえ神話ゴリゴリしたロジックを求めてもしょうがないのであり、「こうして今ある通りの世界社会が成り立っているのです」と語ることに意味があるのだろう。なお、アフリカ文学と聞くと個人的アチェベが最初に出てくるんだが、それとは別に祖父本棚から貰って来たアレックスヘイリールーツ」はまだ積んである

1-09「アブサロム、アブサロム!ウィリアム・フォークナー 篠田一士訳★★★★★

これは別の友人が薦めてくれた本。彼は「おっさんになると文学が読めなくなり、生物学歴史の本ばかり読むようになる」と言っていたが、本当にそう思う。和訳で二十巻くらいある「ファーブル昆虫記」とか数年前に読んだし。なお、熱量ヤバいのでこれ以外のフォークナーの本は読めていない。

語り手が複数おり、時系列バラバラなので(クンデラも星を五つ付けてた。自覚してなかったけど、僕ってこういう時系列シャッフルが好きなのかね?)、一見とっつきにくいのだが、情報を整理しながら読んでいくうちに、これはサトペンという男の一代記であるとわかる。肉体を鍛えてひたすらタフになり、若いころの屈辱に対して復讐するかのように、妄念によって偉大なる一族の祖になろうとした男だ。ひがみ、妬み、怒り、そうした感情を持った物語に僕はついつい引き込まれしまう。最初の妻に黒人の血が混じっていたと言って離縁し、別の妻と結婚した結果、それぞれの家系に不幸な子孫が生まれ続けていき、とうとう滅んでしまうのだが、それはサトペン貧困ゆえに受けた一つの屈辱からまれたのだと思うと、まったく救いがない。しかし、この熱量に負けて読んでしまった。

ただタフになりたいと言っている人間は、どこかで涙を流さないとマシーンになってしまう。村上春樹海辺のカフカ」を読むとわかる。

ところで、フォークナー日本を訪れて「私も敗戦国人間です」と言ったそうだ。胸を張って祖国を自慢するのにためらうような、この南部アイデンティティのことを、BLM運動燃え盛っている時に、思い出していた。

世代にわたる大河小説と言えば、最近学生時代から積んでいた北杜夫「楡家の人びと」を読み終えた。今になって読むと、これは経済的には恵まれているが機能不全を起こした家庭が崩壊していく話で、北杜夫尊敬していたトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」とはまた別の嫌な没落ものだった。どちらも、最後世代の一番情けのない甘えん坊で覇気のないやつに自分を重ねて読んだのである

全くの余談ではあるが、どうも自分は影響を受けやすいらしく、明治から昭和舞台にした小説を読むと、いつの間にか米国憎しみたいな気持ちがうっすらと育っていくので、無意識に影響を与える点ではSNSの悪意を持ったアルゴリズムは同じくらい怖い。

1-10アデンアラビア/名誉戦場ポール・ニザン 小野正嗣訳/ジャン・ルオー 北代美和子訳★★/★★

実はどちらも内容をほとんど覚えていない。

とはいえポール・ニザンアデンアラビアのように若い人間が、抽象的な何かを抱えて異国をさまよう話というのはそれだけでいいものだ。そこからしか得られない心の栄養がある。自分が何者になるかがまだわからない頃にしか書けない/読めないものがある。池澤夏樹のこの全集にもそういう話がいくつか納められている。

ジャン・ルオー名誉戦場過去大戦の傷跡がうっすらと書き込まれているらしいのだが、当時の僕にはまだ読み取れなかった。おじいちゃんヌーディストビーチのぞき散歩しに行ったエピソードしか覚えていない。

手に取った小説がとても長かったり、プロットが入り組んでいたり、暗喩がわかりづらかったりと、読むのに訓練がいるものだったりして、結局理解しきれないことがあるけれども、そうした文学を読む力(あらすじや登場人物やその関係性を記憶する力)を養うには、結局そういう本を気合で読み進めなければいけなんじゃないか文学案内や文学の読み解き方を勉強せず、裸一貫でドン・キホーテよろしく風車突撃していった僕なんかは、そう思うのである

1-11「鉄の時代J・M・クッツェー くぼたのぞみ訳★★

アパルトヘイト真っ盛りの南アフリカで、一人暮らしのおばあちゃんが(調べたらがん患者だった。記憶からすっかり抜け落ちていた)、黒人スラム街に紛れ込み、こうなったのは誰のせいだ、お前らのせいじゃないかイエスかノーかで答えろ、みたいに言われる話だ。大体クッツェーはこういう政治的な話が多い。

二分法はそもそもきじゃない。もともと自分は口下手で、話をしっかり聞いてもらいたい方であり、こちらの話を聞かずに一方的に話をされるのが嫌いだ(その場でうまく言い返せないからこうして延々と文章を書き綴っている癖がついてしまっている。とにかく僕は延々と気が済むまで言い訳を聞いてほしいし同情してほしい)。

正義である我々に味方しなければ、お前は悪に加担したことになる。似たようなことを米国SF大会で述べた人がいたね。個人的には、社会正義理屈としては正しいと思うけれども、好きか嫌いかと言われれば嫌いだ。この二つは全く異なる軸だ。お前は明日死ぬかもしれないというのは論理的には正しいが好きではない、というのにちょっとだけ似ている。まったく別の評価軸で、両者は重ならない。

うっすらした類似でいえば戦争責任にも似ている。「なぜ生まれる前のことに取りようがない責任を取らねばいかんのか?」ということでもある。あるいは、メンタルが弱っているのに、「あなた人生あなたしか責任が取れない」と言われ、ますますしんどくなるのにも似ている。どちらも「責任」が絡んでくる。誠意ってなんだろうね?

やっと納得できたのは、アイヌ民族議員である萱野茂がある本で書いていた「こうなったのはあなたのせいではないが、この状況をただす力をあなたは持っている」という趣旨言葉で、これは「責任」を「重荷」や「義務」や「罰」ではなく、「現状を少しでも良くするためのパワー」という肯定的言葉で語りなおしている。責任という言葉は、人によって使い方に若干のずれがあり、だから違和感があったのかもしれない。

とはいえ、そこまで考えている人は少なく、九割の人は自分立場の都合しか主張しないし(ただし、そのパワーバランス民主主義機能している可能性はある)、それどころか自分とは違う属性を平気で差別している例も多々ある。被差別民女性を、女性障害者を、障害者外国人を、自己正当化する理屈と共に平気で見くだし、差別する例をすべて見て来たし、アラフォーになってしまった今でも、サリンジャーライ麦畑で捕まえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ」のホールデン少年みたいに、多くの活動家安易SNSで「いいね」を押す人々を「あいつらはインチキだ!」と独善的糾弾してやりたい思いは消えない。他人言葉は信じられない。納得できるまで自分で考えるしかない。とはいえ、あらゆる憎悪も究極的には自分や身内が安全でいたいという素朴な願いから来ているので、相手批判しても全然解決しないんだろうな。

1-12アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 」エルサ・モラン中山エツコ訳/ナタリア・ギンズブルグ 須賀敦子訳★★★/★★★★★

この作品も一度褒めた。

エルサ・モランテ「アルトゥーロの島」は息子を放置して放浪を続ける主人公の父が、同じくらいの年頃の義母を連れて帰ってくるんだけど、主人公がその義母に対して屈折した気持ちを持ち続ける話だった。確か恋愛感情にはならなかった気がする。完全にネグレクトだし、主人公愛情というか思慕は義母ではなく実の父に向かっている。この父親のように感情表現できない、義務だけで動く男性キャラにひかれていた時期があったのだけれども(1/12追記:この父親義務で動いているわけじゃなくて、一般的義務で動くキャラって意味感情表現しないという部分だけが共通)、それは何でだったかはよくわからない。当時の自分がやらねばならないことで動いていたからかもしれないが、その結果として案の定心身の調子を崩した。父に対する巨大感情という意味ではエヴァンゲリオンじゃんという気もしないではない。あれにも同い年の「母」が出てくるし。シン・エヴァンゲリオンではちゃん父親内面が出てきたけど、この作品では記憶にある限りでは出てこない(何となくだが庵野秀明といい村上春樹といい、多くのクリエイターは親が世を去る頃になってやっと親を直接扱うようになる気がする)。

閑話休題、大体、やらなければならない義務を果たすのだけが行動原理になると、晩年に「この人生は一体何だったんだ」とカズオ・イシグロ日の名残り」のように嘆くことになる。カズオ・イシグロは長篇を全部読んで、「この作家別にそこまで好きじゃないな」って気づいたんだが、「日の名残り」は別格だ。

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」書簡体小説で、親しい友人のSNSでいうクラスタというか、友人の輪とその周辺のやり取りをずっと追い続けていて、近づいたり離れたりという感じが、人生のある側面を忠実に表現しているみたいで好きだった。ちょうど周囲で結婚ラッシュが起きたり、ちょっとした行き違いで不仲になる友人を見て来たころだったと記憶している。この人の作品は良くて、ずっと不機嫌なお父さんが出てくる「ある家族の会話」など何作か読んだ。

あと、須賀敦子いいよね。誠実な翻訳をする人の書く文章は、そもそも美しい。

続く。

2024-12-21

リベラル民主党政権時代を美化するのは、もはや歴史修正と同じではないか

イデオロギーのために過去ねじ曲げる

日本戦争責任を無かったことにしようとする歴史修正主義者と同レベルである

2024-11-29

anond:20241129210012

答えたことが戦争責任をとったという文学的なアヤなんじゃねーの

ナーンチャッテ🤗

anond:20241128194114

戦争責任を問われて「そういう文学的なアヤのことはよくわかりません」

2024-11-21

anond:20241121192706

中学校生徒会で不信任案を喰らった理由

教師ばかりいい顔するから。(明らかな内申点狙い)

教師の言いなり。(生徒が希望もの拒否し、教師禁止だといえば即日禁止

・「戦争責任謝罪」とうるさいから。(正直、政治に関心がない)

・「みんなで韓国謝罪しよう」とか全校集会でいって全員ドン引き ←←

教師生徒会人間ばかり優遇するから遅刻減点免除。これが決定的となった。)

2024-09-27

石破茂発言

「(慰安婦問題について)それでも納得を得るまで謝罪し続けるしかない」

「(令和という元号について)違和感がある。『令』の字の意味について国民が納得してもらえるよう説明する努力をしなければならない」

日韓関係問題解決の見込みの立たない状態に陥った。わが国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題根底

隣国韓国)と仲良くできない国が多くの国と仲良くできるとは思わない」

「みんながイエスマンなっちゃったら、それは自由民主党ではない」

「(図書館で後の妻と出会った際)こんなきれいな女性が世の中にいたのか」

奥さんといろんなバトルをやって勝てることは万に一つもない」

2024-08-16

「決まり文句を憂う元特攻兵」

多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASS8H3K3SS8HUTIL028M.html

朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。

「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである

私こと団塊ジュニア祖父抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。

朝日意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のし戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。

ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。

だれも簡単言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱犠牲者を思って泣くことができない。

ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しか純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくま侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥あいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…

犬死に」のドグマ今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのであるだってドグマからな。

尊い犠牲」が戦争責任曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいさらしたくもないが。

前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争記憶のもの鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。

その一方で世界ではリアルタイム戦火虐殺が熄みゃしないのだからどんな時代のどんな社会もそれぞれにどうかしている。

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