50年代

今日は祝日だ。63年前の今日、イタリアは暗く辛い時期から解放されたのだそうだ。身近な年配者から聞いたことがある。あの日、イタリアが解放された報せがラジオから流れると、人々は無言で涙したのだそうだ。そんな状況に遭遇したことのない私だが、少しは想像できる光景だ。それとも私の想像は単なる想像に過ぎなくて、実際はもっ複雑な気持ちに包まれた想像以上のものだったかもしれない。兎に角、解放されて良かったではないか。テレビのニュースで映像が流れていた。今日の昼間、街の中心のネプチューン広場で行われたお祝いの儀式の映像だ。あれはもしかしたらお祝いではなく、戦争の為に命を失った人々への追悼の儀式だったのかもしれない、と何時間も経った今頃になってふと気がつく。63年前、それは昔のことに思えるが、ひょっとした瞬間にたった63年前のことなのかと驚かされる。私は良い時代に生まれ育ったことを、こんな時に改めて気が付いては感謝せずにはいられない。一年に一度くらい、そういうことに感謝するのは良いかもしれない。ところで今日は良い一日だった。空はすっきりと晴れ渡り雲ひとつなかった。今日は自分へのプレゼントの日。しなくてはいけないことなど何もない、自分のしたいことだけする一日。そう昨日の晩に決めたのだ。予定通りか予定外か、朝はゆっくりと目を覚ました。陽は既に高く、海の向こうにいる母親の、こんなに遅くまで寝ていて! と言う声が聞こえてきそうだった。そんなことを考えたので起き抜けから笑いがこぼれて嬉しくなった。いいぞ、今日は好調だ。ご機嫌でベッドから抜け出して居間へ行くと、新しい椅子があった。新しいといっても新品ではない。つまり今まで家に無かった物という意味、言うなれば新顔だ。これはアメリカから持ってきた1950年代の椅子だ。かなり古びていたのを修復し、布張り職人の友人に頼んで新しい布を張って貰ったのだ。前の姿は単なるガラクタだったが、こうしてみるととても良い。こんな空間を家の中に欲しいとずっと思っていたのだ。私が遅寝をしているうちにこっそりこんなことをして。このところ消沈気味だった私に対する相棒なりの思いやりか。ニクイではないか、粋ではないか。こんな仕掛けをした当の本人は祝日だというのに朝から多忙で既に不在だ。帰ってきたらお礼を言おう、そう思いながらカフェラッテをなみなみと注いだカップを片手に椅子に座ってみる。ああ、こんな空間が欲しかったのだ、ともう一度、今度は声に出して呟いた。

週末の始まり

昨晩のこと、いつも早く帰ってくる相棒が仕事の帰りに友人と話し込んだと言って遅く家に帰ってきた。疲れた風だったがご機嫌だった。楽しかったと言うので良かったと思った。たまには良い、そんなことも。そして今朝、私がいつものように早起きして仕事に出掛ける支度をしていると、奥からもそもそと起きてきてこう言った。今日は祝日だよ。不思議なものでそう言われるとそんな気がしてくるものだ。一瞬固まって考えてみる、はて、今日は祝日だっただろうか。カレンダーをじっと睨んでみる。いいや、違う、祝日は明日である。そう分かった途端、相棒が肩をがっくり落とした。昨晩遅く帰ってきたのは、どうやら今日は祝日だと勘違いしていたかのようだ。ああ、可哀想に。今日は寝不足で辛い一日になるに違いなかった。さて、明日は祝日だ。イタリア解放記念日である。戦争下の辛い時代を通過した人々にとっては思い出深い大切な記念日で、どの町でも何かしらのお祝い事が用意されている。しかし新しい時代の人々にとっては良い季節を楽しむに絶好の祝日である、この私にしても。金曜日に命中した今年の4月25日を感謝し喜んでいる人は沢山いるに違いない。ようやく良くなりだした気候に合わせて海へ繰り出すのであろう、アドリア海へと向かう高速道路が大渋滞であった。私は何も予定がない。何にも、である。それでも嬉しいには違いなく、あれもしてみよう、これもしてみようと楽しい案が次々と浮かぶ。皆、小さなことばかり。それでいて私にとっては大切なことばかり。長い週末が始まった瞬間は何時だって楽しく、目に映るもの全てが素敵に見える。長いこと鬱々していた私は、ひょっとしたら重度の鬱病に罹ったのではないだろうかと心配してたが、目に映るものが素敵に見えたり花を美しいと感じることが出来る限り、その心配はなさそうだ。前を行く人達の背中が楽しそうに笑って見える。だってこんなに良い天気なんだもん、だって長い週末の始まりなんだもん、と言っているかのようだ。

ore 18.30

朝から空が晴れていた。昨晩窓の外に備え付けられている日除け戸を閉めないで寝てしまったので、外があまりに明るくて目が覚めた。目覚まし時計が鳴る前に、である。晴れては雨が降り、暖かくなってはまた冷え込み、を繰り返しているボローニャ。今年はいったいどうしたのだろうね、と知人友人と顔を合わすたびにそんなことを挨拶代わりに言うことが多いこの頃。さて、今日はどうだろうか。あまり期待してはいけない。薄着はしないほうが良い。この季節に風邪を引くことほど残念なことはないのだから。しかし今日という今日は空が気持ちよく晴れ渡り、気温は躊躇せずにぐんぐん上がった。こんな日の夕方に散策をしない手はない。そうだバスに乗って旧市街へ行こう。向こうから駆け足でやって来る市バスに飛び乗って旧市街へ行ってみると、私同様に明るく暖かい夕方を楽しむ人達で街は一杯だった。ああ、またこの季節がやって来た。いつまでも日が高くて空の明るい季節がやって来た。夕方4時を回ると闇の垂れ幕が下りた12月もあれば夕方6時半が真昼のように明るい4月もある。首を長くして待っていた季節である。今を楽しまないでいつ楽しむというのだ。ふと空を見上げると、それはもう既に初夏の配色であった。

選択

今朝方、夢を見た。夢の中の私は年齢不詳で、しかし若く、行く先々で様々な選択を求められていた。その都度私は考えて、自分なりにそれが正しいであろう、それが良いことであろうことを選んでいた。夢から覚めてからも私はそんなことをずっと考えている。年月を遡って高校生の頃の自分を思い出した。若くて何が本当に良いことか正しいことか、自分の為になることか分かりもしない自分だったが、自分の心にだけは正直で夢を追っていた時期だった。私は後悔するのが嫌いだ。失敗したと反省することはあっても、過ぎたことを悔やむのだけは嫌なのだ。何故ならそんなことにしたって自分の意思で決めたことなのだから。だから後悔ではなくて、あーあ、失敗したなあ、ということはあっても、過去のことにくよくよすることだけはしない。その代わりに何時だって最後は自分の意思で決めるのだ、色んな人に色んな助言を貰いながら自分の中で消化して答えを出すのは自分でなければならない。そうすることで例え結果的にうまく行かなくても誰のせいでも無い、自分が決めたことなのだからと納得がいく。今朝、私は小雨が降り出した空を見ながら、私が選んできた小さなひとつひとつは果たして良いことだったのだろうか、と独り言を言った。違った人生が待っていたかもしれないなあ、と初めてそんなことを考えた。けれども後に戻れるはずも無い。人生は足踏みすることはあっても必ず前へ前へと進んでいくものなのだ。それにしても、テラスに置かれたローズマリーノはいったい何時まで咲いているのだろうか。昨年11月からもう6ヶ月もう咲きっぱなしではないか。浮き沈みの激しい私を全力で応援しているかのようだ。それも彼女のひとつの選択なのだろうか。

心を満たす

歩くのが好きだ。新しい発見に遭遇したり感動したり、時には当たり前に思っていたものが突然特別に見えたり美しく見えたりする、何気なく歩いているだけなのに。近頃の私はそれに加えて何か心を捉えて離さないようなものに遭遇できないだろうかと貪欲であるから、そういうものに遭遇することが多い。他の人には何てことのない退屈なものに属するかもしれない。小さなもの、些細なものばかりである。例えば頑丈な古い建物に立てかた使い古しの自転車だったり、窓の外側に取り付けられているくすんだ薄緑色の日除けだったり、繁殖した藤棚だったり。立て込んだ建物の隙間から小さく見える青空だったり、路地に響く自分の足音だったり。私は今、自分の中を満たすことに一生懸命なのだ。それは実際自分が満たされていないから始まったことである。自分の中にある老廃物なるものを全部竹箒で掃きだして、奇麗になった場所に自分の気に入った小さなものたちで埋め尽くしたいのである。子供じみたことだろうか。もし大人じみた方法、考え方があるのなら教えて貰いたいと思う。そんな風にして歩いていると色んなことが気になる。ああ、この中にはいったい何があるのだろうかと普段は閉じられている分厚い扉が開かれていたりすると、覗いてみたくて堪らなくなる。そんな時、私は見つけた。何に使われているのだろうか。長い間、放りっぱなしだった建物は、恐らく調べれば何か歴史深いものに違いない。それは久しぶりに私の心に響いて、心の隅っこを満たした。

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