50年代
- 2008/04/25 23:45
- Category: 好きなこと・好きなもの
今日は祝日だ。63年前の今日、イタリアは暗く辛い時期から解放されたのだそうだ。身近な年配者から聞いたことがある。あの日、イタリアが解放された報せがラジオから流れると、人々は無言で涙したのだそうだ。そんな状況に遭遇したことのない私だが、少しは想像できる光景だ。それとも私の想像は単なる想像に過ぎなくて、実際はもっ複雑な気持ちに包まれた想像以上のものだったかもしれない。兎に角、解放されて良かったではないか。テレビのニュースで映像が流れていた。今日の昼間、街の中心のネプチューン広場で行われたお祝いの儀式の映像だ。あれはもしかしたらお祝いではなく、戦争の為に命を失った人々への追悼の儀式だったのかもしれない、と何時間も経った今頃になってふと気がつく。63年前、それは昔のことに思えるが、ひょっとした瞬間にたった63年前のことなのかと驚かされる。私は良い時代に生まれ育ったことを、こんな時に改めて気が付いては感謝せずにはいられない。一年に一度くらい、そういうことに感謝するのは良いかもしれない。ところで今日は良い一日だった。空はすっきりと晴れ渡り雲ひとつなかった。今日は自分へのプレゼントの日。しなくてはいけないことなど何もない、自分のしたいことだけする一日。そう昨日の晩に決めたのだ。予定通りか予定外か、朝はゆっくりと目を覚ました。陽は既に高く、海の向こうにいる母親の、こんなに遅くまで寝ていて! と言う声が聞こえてきそうだった。そんなことを考えたので起き抜けから笑いがこぼれて嬉しくなった。いいぞ、今日は好調だ。ご機嫌でベッドから抜け出して居間へ行くと、新しい椅子があった。新しいといっても新品ではない。つまり今まで家に無かった物という意味、言うなれば新顔だ。これはアメリカから持ってきた1950年代の椅子だ。かなり古びていたのを修復し、布張り職人の友人に頼んで新しい布を張って貰ったのだ。前の姿は単なるガラクタだったが、こうしてみるととても良い。こんな空間を家の中に欲しいとずっと思っていたのだ。私が遅寝をしているうちにこっそりこんなことをして。このところ消沈気味だった私に対する相棒なりの思いやりか。ニクイではないか、粋ではないか。こんな仕掛けをした当の本人は祝日だというのに朝から多忙で既に不在だ。帰ってきたらお礼を言おう、そう思いながらカフェラッテをなみなみと注いだカップを片手に椅子に座ってみる。ああ、こんな空間が欲しかったのだ、ともう一度、今度は声に出して呟いた。