OTOTOY EDITOR'S CHOICE Vol.17
OTOTOY編集者の週替わりプレイリスト&コラム(毎週金曜日更新)
天才、リー・ペリーの軌跡
希代の天才アーティスト、リー・ペリー。その奇抜なファッションや発言などから、“狂気”や“変態”などという、書き手側の小さな想像力を物差しから出た言葉で矮小化されて紹介されている感もありますが、ともかくすごいアーティストなんです。なにせ彼がいなかったらボブ・マーリーが世界的になることはなかった、あったとしても少々そのスタイルが違ったかもしれません。御年83歳、そしてつい先頃、弟子とも言えるエイドリアン・シャーウッドとともに、ばっちりタイトなアルバム『Rainford』を〈On-U〉から出したばかり。まずはそんな最新作からまさかのスクリュー・レゲエな「African Starship」。
ということで新作&彼が関わった代表曲、9曲いってみましょう。
まずは、金払いの悪さから決裂したコクソン・ドッド(スタジオ・ワンのドン、ジャマイカン・ミュージックの巨星)を揶揄したと言われる楽曲から。その後の自身のプロダクションや通り名ともなる、1968年ロックステディ期の「I Am The Upsetter」。お次もディスもの…… コクソンの後にリーとパートナーになっていたプロデューサー、ジョー・ギブスという、こちらも1960年代末〜1970年代のレゲエのトップ・プロデューサーがいるんですが、彼とまたまた決裂し独立。そんなジョーをディスったと言われる「People Funny Boy」(1968年)。この曲はブーストされたベースのミキシングやリズムの構成において、ロックステディからレゲエの移行を促した曲とも言われています。子供の泣き声を入れたある種トリッキーなギミックなども含めて、このあたり、プロデューサー、リー・ペリーの音響表現への関心がうかがえます。自身のプロダクションの設立とともに、新たな時代のジャマイカン・サウンド「レゲエ」のプロデューサーとして台頭していくわけですが、この時期、1969年にいわゆる初期レゲエなオルガン・インスト「Return Of Django」をUKでもチャートインさせたりもしています。そして1970年代初頭、ボブ・マーリー率いるザ・ウェイラーズをプロデュースし、ルーツ・レゲエの革新、そしてボブ・マーリーの世界的スターへの道筋を用意しました。リー・ペリー・プロデュースのウェイラーズ楽曲「Soul Rebel」を。なんとなくボブのルーツ・レゲエ以降のブルージーな歌い方は、歌唱法という部分でリーの影響を受けているような。そしてさらに1974年、最初期のダブ・アルバムとしてリリースされたキング・タビーとの『14 Dub Black Board Jungle』から「Black Panta」。
こうしてダブをひとつ表現として身につけたリーは、1970年代中頃、自身のスタジオ〈ブラックアーク〉を立ち上げ、音響実験に明け暮れます。その末にたどり着いたクラシックをここで1曲、後にザ・クラッシュもカヴァーしたジュニア・マーヴィンの1976年作「ポリスとコソ泥」こと「Police & Thieves」。また同時期の傑作ダブ・アルバム『Super Ape』より「Dread Lion」も。この頃の作品、いわゆるブラック・アーク期の作品を聴くと、サウンドシステムへと向けたある種のカスタマイズだったキング・タビーのダブ・ミックスという手法を、ヴォーカルやメロディ、楽器の音といった表現に加えて、さらに音響そのものが音楽的表現になることを意志を持って追求していったそんな感覚が伝わってきます。そんな実験が極まった〈ブラックアーク〉最後期の作品、「イン・ウォーター・サウンド」と呼ばれるズブズブのエフェクトが、ダブ・エレクトロニカのようなザ・コンゴスの「Congoman」。が、実験的過ぎてジャマイカでは受けず、アルバムもお蔵入りになるなど、絶不調が続き、そして1980年代に入るとリーはスタジオを放棄し、ジャマイカを離れ、ヨーロッパの様々なプロデューサーたちと組んで活動を開始、そして新作『Rainford』に連なる、1987年、エイドリアン・シャーウッド&ダブ・シンジケートとの最初のタッグとなったアルバム『Time Boom X De Devil Dead』からの「De Devil Dead」を。