ダブ、サウンドシステム、暴力──書評『キング・タビー──ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』
オトトイ読んだ Vol.25
オトトイ読んだ Vol.25
文 : 河村祐介
今回のお題
『キング・タビー──ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』
ティボー・エレンガルト : 著 / 鈴木孝弥 : 訳
ele-king books : 刊
出版社サイト
OTOTOYの書籍コーナー“オトトイ読んだ”。今回はダブの創始者と呼ばれている、ジャマイカにて活躍したレコーディング・エンジニア、キング・タビーの評伝『キング・タビー──ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』。1970年代過酷なゲットーの音楽シーンを描くとともに、音楽史に残る発明をしながら、いまだ謎の多いキング・タビーの生涯に迫った1冊です。書籍『DUB入門』の監修者、編集部の河村による書評でお届けします。(編集部)。
その音楽の発明は、ゲットーの電気技師が生み出した
──書評 : 『キング・タビー──ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男』──
文 : 河村祐介
本書はフランスのレゲエ専門誌『ナッティ・ドレッド』の元編集長、現在はレゲエ専門の出版社〈DREAD Editions〉を営むレゲエ・ミュージックのジャーナリスト、ティボー・エレンガルトによるキング・タビーことオズボーン・ラドックの評伝である。ラドックはミキシング・エンジニアとして、1970年代初頭のジャマイカはキングストンのゲットーの音楽シーンにおいて、「ダブ」を発明した人物だとされている。
本書ははじめにフランス版としてリリース、その後、著者自身によって翻訳ではなく英語版が再度書き直されているそうだが、日本語版にあたっては翻訳者の鈴木孝弥によって両版の細やかな比較で補われあっており、ある意味で日本語版が決定版とも言えるエディションとなっているそうだ。
ダブとは大雑把にいえば1970年代初頭、ちょうどボブ・マーリーが世界にむけて活躍しはじめたころにジャマイカにおいて生まれた。レゲエのトラックを再度ミックスしなおし、新たなエフェクトなどを加え、再利用したことからはじまる。そのミキシング~音響的なテクニック=ダブ・ミックスは、いわばリミックスの元祖でもある。現在では、「ダブ・テクノ」や「ダブステップ」における「ダブ」のように、そのミックス・テクニックが制作に生かされた、あるジャンルにおけるヘヴィーなベースラインやストリップ・ダウンされたドラムの質感、もしくはエコーやリヴァーヴなどを駆使したスペーシーな音響感覚やミックスの手法を指すこともある。レゲエのサブ・ジャンルにはじまり、その手法はジャンルを超えてユニバーサルなレコーディングの手法になっている。ある意味でポスト・プロダクション的な音響処理も含むDAWでの制作方法が中心となったいまのポップ・ミュージックは極めてダブ的とも言える。
謎多き人物、キング・タビーの生涯に迫る
ダブは現代ではさまざまな音楽に伝搬している重要な音楽的発明と言えるが、実はそんな発明をしたこのエンジニアの、その人となり、その実像はこの本が出るまでよくわかっていなかった。比較的有名な逸話といえば、タビーはゲットーの電気技師として電化製品の修理や電設工事などを生業としていたこと。1960年代末から自らサウンドシステム(註1)を率いて音楽業界に深く関わるようになったこと。その後、自宅の一部を改装した小さなスタジオをDIYで作り、そこでダブを生み出した、といった話だろう。というのも、本人の発言がほとんど残っていないのだ。当時のジャマイカには欧米のような音楽ジャーナリズムが存在せず、インタヴューはほぼ存在しないと言っていい(著者のイントロによれば、まともなものは英『Black Echo』誌に語った1本だけ)。また1989年に射殺されるまでジャマイカをでることなく一生を過ごし、そして彼はエンジニアというのもあり、アーティストやプロデューサーのように海外との接点も希薄だったのもあるだろう(飛行機嫌いだったとか)。
これまで彼についてその人となりを伝えるものは他のプロデューサーやアーティストらの断片的な証言(これもまちまちで細部は信用ならないことも多い)と、関わった作品たちだけだった(それらの作品もクレジット的に怪しい作品も多い)。本書では、著者の専門家としての豊富な知識とアーティストの人脈、そしてキングストンでの現地取材によって、キング・タビーのその生涯を解き明かしていく。いきなり冒頭からタビーと親交のあった人々からとある理由で有力な証言を得られないことが語られる。しかし地道な聞き取りの末、いまでは音楽業界から離れているタビーと親交の深かった人々を見つけだし、最終的にタビーの未亡人や娘と出会い、これまで未公開だった写真や彼の仕事ぶりがわかる伝票などなど、これまで語られなかったタビーの姿を丁寧に描き出していくのだ。そこでは前述の電設関係の仕事は音楽方面でそれなりにスタジオが大成した後でも、タビー本人は生業としていそしんでいたこと(むしろ音楽方面は弟子にまかせていた)、タビー自身がダブ・ミックスを手がけたのは1974年ぐらいまでの作品で(註2)、他のダブ・ミックスは、例外となる数名のプロデューサーからの依頼を除いては、各時代の弟子(フィリップ・スマート、パット・ケリー、プリンス・ジャミー、サイエンティストetc)たちがやっていたことなどなど、これまで明かされていなかったトリビアには事欠かない。このあたりの話は拙監修本『DUB入門』執筆に資料として非常に役立った。
サウンドシステム・シーンにその人あり
さて、本書で印象的だったのは、ひとりの人物の評伝を読むことでジャマイカのサウンドシステム・カルチャーに関する理解度がすさまじく増していくことだ。多くの人はダブの詳細な誕生譚を期待して本書を手に取ると思うし、事実タビーがダブを生み出した経過に関して本書ほど詳細に語られている本もないだろう。しかし本書の魅力をそこだけにとどめてしまうのはもったいない(というかタビーの生涯やキャリアがそこに集約されるわけでもない)。むしろ後半などは現代のダンスホール・レゲエのサウンドシステム・カルチャーのその基礎となるような話が満載でもある。
レーベルやプロデューサーたちから各サウンドシステムに供給されたダブプレイトと呼ばれるテスト盤(註3)、これにタビーが施した音響処理がダブのオリジナルで……というのは他のさまざまなレゲエの研究本でも繰り返し説明されていることだが、本書で濃密なのはそうしたダブプレイトを巡るエコシステムに関する記述だ。どのようにダブがミックスされ、プロデューサーからサウンドシステムにダブプレイトとして供給され、タビーのスタジオの資金源になったのか、という彼を直接取り巻くミクロな視点から、ダブがルーツ・レゲエに音楽的な変化ももたしたのかなど、マクロなレゲエ史におけるダブ誕生の意味が1冊を通して立体的に語られている。それはまるでダブプレイトの行き来の上に、キング・タビーという、その人の人生が浮かびあがってくるようだ。またタビーのサウンドシステム・マンとしての詳細な記述も他の本にはあまりない記述だが、やはりこの彼の趣向性こそダブをシーンにもたらした理由であることがよくわかる。1980年代になり、時代はルーツ・レゲエからダンスホール・レゲエのスタイルへと、サウンドシステム・シーンのなかで変化していく。こうした変化に対して、いかにキング・タビーが敏感に反応しつつ、自らの音楽への審美眼でもって新たな挑戦とレゲエのサウンドを更新していったのかが後半では語られている。
キングストンのゲットーの音楽シーン、過酷な実体
また本書での記述において重要なのが、音楽やサウンドシステム・カルチャーの傍らに、キングストンのゲットーにおける、理不尽な暴力や搾取、その他、直接的な暴力も含めて過酷な状況を描いていることだ。本書は、1989年2月キング・タビーが殺されたその日の描写からスタートすることも示唆的だ。当時の現地のシーンの、その音楽をとりまく過酷な状況を伝えることもこの本のテーマのひとつにあるのだろう、というかそれが切り離せないほどの状況であったというべきか。ちなみにタビー殺害の実行犯はいまだ逮捕されておらず、どのような人物かも特定されていない(あるのは噂話だけだ)。
本書には当時のジャマイカのゲットーを跋扈していたギャングの名前もいくつか登場する。例えばタビーによる有名なダブプレイトのスペシャル曲“Spangler's Clap”の「スパングラーズ」は、彼の拠点となっていたスタジオ周辺を仕切るギャングの名前だ(但し、タビーが彼らに肩入れしていたわけではなく、比較的中立の立場だったようだ)。
少し説明するとジャマイカでは1962年の独立以来、右派JLPと左派PNPの二大政党が政権を争っていた。その代理戦争・尖兵として、キングストン各地域でギャングが組織され、キングストンの街路は2大政党の支配地域として明確な境界線を持っていた。政争が実際のストリートの暴力にまで発展、双方に属するガンマンが街路で銃撃戦を繰り広げ、まるで内戦だと言われていた(註4)。ルーツ・レゲエのなかにはリトル・ロイ“Tribal War”やマックス・ロメオのヒット作“War Inna Babylon”など、こうした状態をとりあげた楽曲が多数存在する。銃撃戦が最も激化した1980年の総選挙時、これをJLPが制するとほぼ時を同じくして、レゲエの歌詞の内容も人種主義への抵抗と社会改革を訴えるラスタファリアニズムの思想が貫くルーツ・レゲエから、スラックネス(下ネタ)とガントーク(銃など暴力などを誇示する)がメインのダンスホール・レゲエへと移行する。こうした音楽的変化などに関しても、やはりサウンドシステム・カルチャーの変化と、当時の暴力状況における市井の人々の感覚がどのように変化していったのか、それが音楽の細部にどのように宿り変化していったのか本書では非常にわかりやすく解説がなされている。
また暴力はギャングからだけでなく、タビーは自身のシステムを警察の襲撃によって1975年に破壊されている。こうしたラフな状況の記述も、このなかでサヴァイヴしていたキング・タビーの逸話として、その人物像を立体的に見せることの助けになっている。
本書を読み終えると「ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男」というサブ・タイトルは決して誇張ではないことがわかるだろう。サウンドシステム・シーンに愛情を注ぎ、ダブを生み出したことで、連鎖的にレゲエのサウンドが変化し、さらにディージェイの重要性が増しダンスホール・レゲエへと変化していくレゲエの変遷など、まるである時期のジャマイカ音楽史がキング・タビーを中心に動いていたかのようですらある。それこそある時期、ジャマイカのサウンドシステム・カルチャーの中心とキング・タビーの生涯が交差していたということを本書は雄弁に語っている。まさにサブ・タイトルの通りである。
サウンドシステム(註1) : 巨大なスピーカー、アンプ、ターンテーブル、マイクなど、PA機器一式を保有するパーティを主催するクルー。イメージとしては移動型のクラブ / ディスコとも。ホールなどを借り、音楽をかけてある種にコミニティの娯楽としてパーティを開いたところからはじまり。ジャマイカ大衆の特別なエンターテインメントとして醸成していく。1950年代には大きな人気を集めて独自のシーンを築き、やがてはここからスカやロックステディ、レゲエなどジャマイカのポピュラー・ミュージックが生まれて行く。まずは選曲、そして音の良さ(大きさ)などで人気を競った。当初はアメリカのR&Bをプレイしていたが、自らの趣向性をより反映させるためジャマイカで独自のレーベル、音楽シーンが生まれると、こうしたレーベルやプロデューサーたちはテスト盤のレコードを有力システムに渡し、リリース前の楽曲をかけてもらい、その反応でリリースを決めたとも。その競争から、各サウンドシステムのステイタスは、そこでしか聴けない曲を保有することになり、それぞれのシステムは他にないヴァージョンを欲しがるようになり、これがダブ・ミックスの誕生を促した。
1974年ぐらいまで(註2) : キング・タビーが直接関わったアルバムはかなり少ない。OTOTOYでも配信のある以下のアルバムのなかで、このあたりはバニー・リー・プロデュース音源のアルバムで、数少ない彼が直接関わったダブ・アルバムと呼ばれている。まずは基本としてコチラの2枚を。
ダブプレイトと呼ばれるテスト盤(註3) : 当時は、鉄板に柔らかい合成樹脂(アセテートなど)をコーティングし、この盤面をカッティング・マシンによってダイレクト・カッティング=直接溝を彫り込むことによって作られるレコード盤。金型を起こしてプレスする製品版のレコードに比べてはるかに簡単に作れるため、テスト盤の作成に使われた。通常のプレイヤーで再生できるが、柔らかい樹脂による盤面のため、すぐに溝が摩耗し再生できなくなる。ちなみに現在は、PCVなど通常のレコードとほぼ同じ耐久性のある素材でのカッティングでのワンオフの盤も作られている。
まるで内戦だと言われていた(註4) : 当時の破滅的なギャング、ガンマンの苛烈な暴力的状況に関して、さらなるガイドラインを求めるならば、ローリー・ガンストというアメリカ人研究者が実際にキングストンのゲットーに、1980年代初頭に滞在し、ジャマイカのギャングに関して聞き取り調査を行った『ボーンフィデッド:ジャマイカの裏社会を旅して』に詳しい。この本ではギャングだけでなく、なんとキング・タビーのサウンドシステムを葬った暴力警官、トリニティー本人にインタヴューをしている(その話は出ないが)。また1980年代に入るとジャマイカのギャングが、アメリカに渡り、「ポシー」としてコカイン(クラック)・カルテルへと変貌するのだが、後半ではNYに渡り、そうした動向も抑えている。またフィクションだが『ボーンフィデッド』を参考文献にあげているマーロン ジェイムズによるブッカー賞受賞の長編小説『七つの殺人に関する簡潔な記録』もこうしたキングストンの暴力的状況を描いている(そのヴォリュームがすさまじいが)。1970年代のキングストン、そして1980年代のニューヨークにおけるジャマイカン・ギャングを題材としている。この小説はボブ・マーリー襲撃事件からのワン・ラヴ・ピース・コンサートの裏側という意味では、まさに映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』のまさに裏側ともいえるストーリーになっている。