〈トランスマット〉である必然性──デリック・メイを魅了したHIROSHI WATANABEの作品をハイレゾで
KAITOや本名名義でリリースを行い、まさにテクノ / ハウス・シーンにて世界レベルで活躍するHIROSHI WATANABE。そんな彼がこれまた快挙を成し遂げた。テクノの伝説的レーベルからそのアルバムを今春にリリースした。そして、このたびやっと、その作品のハイレゾ版がリリースされた。おっと、興奮して書き忘れていたが、アルバム・タイトルは『MULTIVERSE』、そしてその伝説のレーベルとは、デリック・メイの〈トランスマット〉である(「知らない!」という人は後述のコラムを)。〈トランスマット〉らしい、エネルギッシュなグルーヴと叙情性に満ちたコズミック・テクノに。グイグイとスピーカーからスペーシーな情景が迫ってくる。いやー、すっきりとテクノを聴きたいぜというのならぜひともこのアルバムを。ストレートなデトロイト・テクノのかっこよさに満ち溢れた作品。繊細なシンセの揺らめきや空間的な表現に満ちたそのサウンドは、ハイレゾでぜひとも楽しみたい。
HIROSHI WATANABE / MULTIVERSE(24bit/48kHz)
【Track List】
01. Aperture Synthesis
02. Inner Planets
03. Soul Transitions
04. The Leonids
05. Story Teller
06. Heliosphere
07. The Multiverse
08. Time Flies Like an Arrow
09. Field of Heaven
【配信形態 / 価格】
24bit/48kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
単曲 500円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
INTERVIEW : Hiroshi Watanabe
デトロイト・テクノという音楽の誕生は、デトロイトに住むアフロ・アメリカンの、3人の青年たちのベッドルームではじまった。ベッドルームの外には絶望と荒廃のデトロイトのインナーシティが広がっていた。しかし、彼らにはイマジネーションがあった。従来のブラック・ミュージック / R&Bの外側で、クラフトラークの未来のヴィジョンとP-ファンクのコスモロジーとファンク・グルーヴが彼らの想像力を魅了した。それらを足かがりに自らのイマジネーションをシンセとドラムマシンに吹き込んだ。シカゴ・ハウスやヨーロッパのシンセ・ポップやイタロ・エレクトロ・ディスコ、SF映画のシンセ・サウンドといった電子音楽が持っていた未来の響きも、彼らのイマジネーションを突き動かした。ダンス・ミュージックであり、想像力を豊かに発露させるマインド・ミュージックでもあるデトロイト・テクノの誕生だ。そして彼らは自らレーベルをそれぞれ設立し、その12インチを刷り、世界へとその電子音に乗ったイマジネーションを届けた。まさにデリック・メイが〈トランスマット〉からリリースしてきた楽曲はこうしたサウンドの雛形である。
あなたは〈トランスマット〉からリリースされたデリック・メイの楽曲を聴いたことがあるだろうか? そのほとんどがリリースから30年近く時がたっているのにもかかわらず、いまでも聴けば抜群のグルーヴと気分を高揚させてくれるエモーショナルなシンセが、もしくはディープな思索を導くようなメランコリックなシンセ・サウンドがこころを捕らえて離さないはずだ。ここにリリースされた〈トランスマット〉の新作も、30年前のそうした音楽と見事に共鳴する。クラシック音楽やニューエイジ、またハードハウス、ミニマル、さまざまな音楽のスタイルを享受 / 活動してきたHIROSHI WATANABEがたどり着いた、ストレートなテクノ。その強烈なコズミックなヴィジョンとグルーヴは、世界一のクオリティを持った伝説のレーベルの、新たなアルバムに相当しい。
本作のハイレゾ版は、HIROSHI WATANABE自身によってハイレゾ版に最適化された調整がなされているという。ぜひともそのきめ細やかなサウンドをハイレゾで。今年は、春に自らのレーベル〈Music in the deep cosmos〉を設立するなど、まさに活躍の場を広げている彼に話を聞いた。
インタヴュー・文 : 河村祐介
編集補助 : 宮尾茉実
コラム1 : デトロイト・テクノ、そしてデリック・メイとは?
1980年代後半、アメリカはデトロイトで生まれたエレクトロニック・ダンス・ミュージックのひとつ。1980年初頭からリチャード・デイヴィスというアーティストとともにサイボトロンというエレクトロ・ユニットをやっていたホアン・アトキンスを先輩格に、その弟の友人 / 後輩であったケヴィン・サンダーソン、デリック・メイ(俗にいうベルビル3)によってスタートした生み出された。サイバトロンの活動休止後、1985年にホアンがはじめた〈メトロプレックス〉という自主レーベル設立とモデル500名義の楽曲リリースがまさにそのスタート地点。その後、1986年にデリック・メイは〈トランスマット〉、そしてケヴィン・サンダーソンは1987年に〈KMS〉というレーベルを自ら設立し、DIYなリリースを開始する。
「Pファンクとクラフトワークの融合」と呼ばれるサウンド・コンセプトと、ある意味でパンクにも通じるDIYなレーベル運営がその特徴と言えるだろう。荒廃した街を背景に彼らはベッドルームでシンセを鳴らし、イマージネーションをその楽曲に託した。1980年代後半、シカゴ・ハウスに混じってUKや欧州にも紹介され、とくにUKではセカンド・サマー・オブ・ラヴ〜レイヴ・カルチャーの呼び水となった。デリック・メイによる1987年「Strings Of Life」は当時のUKのセカンド・サマー・オブ・ラヴのアンセムとなる。とはいえ、最初期はシカゴ・ハウスの一部として紹介されることが多かったようで、デトロイト・テクノという名前がメディアを含めて浸透するのは、カール・クレイグなど第2世代が台頭し、改めて検証され、シカゴ・ハウスと切り離されて欧州で評価される1992年ごろから。1992年のリヴァイヴァルまでの間の期間は、初期のアンダーグラウンド・レジスタンスや対岸のカナダ、ウィンザーからデトロイトに通っていたリッチー・ホウティンらがハードコア・テクノ路線をぶち上げ、このあたりはUKのレイヴから、ドイツのアレック・エンパイアなどなどに大きな影響を与えた。ちなみに今回の『MULTIVERSE』のジャケットを手がけた、アブドゥール・ハックはアンダーグラウンド・レジスタンスやカール・クレイグ、デリック・メイ、ホアン・アトキンスなどのジャケットを手がけ、イメージの面でデトロイト・テクノの、そのアフロ・フューチャリズムなイメージをプレゼンしたイラストレーターと言えるだろう。
デトロイト・テクノとのシンパシー
──こうして出てみると、そのサウンドに必然性はすごくあるんですが、ケルンの〈コンパクト〉からのKAITO名義、もしくは1990年代のNYのハウス・シーンでの活躍を考えると、ちょっとデトロイトというのは意外な感じもして。デトロイト・テクノとの出会いってどんな感じなんでしょうか?
デリック・メイという人の存在には、1992年あたりから、テクノやハウスとかダンス・ミュージックにのめり込んでいったときに当たり前のように到達はしていて。でも当時の認識としては、とくに“デトロイト・テクノ”という括りの認識はまだなかった。さらにカール・クレイグやケニー・ラーキンといったアーティストもデトロイトとは明確な認識をせずとも聴くようになる。そこは「同じアメリカからのアーティスト」で「すげーな」くらい。その当時は、日本のように情報誌が細かくアーティストを語る記事を読んで、探す、みたいな環境ではなかったんです。ボストン、ニューヨークにいて自分でレコード屋にいってリリースされるレコードのなかから見つけるという感じだった。だから、ずいぶんと認識に違いがあったと思う。
──むしろ、そういう記事が語る対象の現場にいたわけですからね。逆に日本の場合は、文字の情報があっても音が聴けない、なんてことも多くて、そっちに意識がいっているような状況ってあったと思います。その部分で地の利というか、ニューヨークの当時のシーンのなかにいたというところで、デトロイトの音楽に出会った認識は違っていたかもしれません。
いまほどあまりにも細かいジャンル分けされてなかったと思うので、とにかく手探りでジャケットとかイメージで掘り下げっていったと思う。でも、そのときに自分が考えていたダンス・ミュージックの軸の部分、例えばメロディ感とかコード感とか、デリック・メイが自分の曲に何かシンパシーを感じてくれているのは、そういう部分が近かったのかも知れない。なんというか、ダンス・ミュージックのある側面ではメインの部分というか、アッパーで垢抜けていてメジャー・コードばりばりで、一発かけたらみんなフロアで手をあげちゃうみたいな、そういうわかりやすい表現は、ずっと避けてきて。それよりも自分の表現したい音はつねに哀愁だったり、メランコリックだったりを、シンセサイザーという楽器で表現するというのを大事にして、ずっと追い求めてきたんです。
──その芯の部分があったから20数年後にこのリリースがあったと。
でも、デリック・メイにせよ、その他のデトロイト系のアーティストにせよ「なぜあそこであの音が発生したのか」を知ってから聴いても当たり前に納得できるというか。さっき自分が選ばないといったような「単にアッパーなメジャー感のある音楽」が荒廃した街で出てくるはずがないじゃないですか。僕は残念ながらデトロイトにはまだ行ったことがないんだけど。あの街をとりまくアトモスフィックなものが音楽に影響していると思うんです。
──逆にワタナベさんの方で、さっきいったようなシンセサイザーの表現の芯となるような、叙情性であるとか、メランコリックな感覚というのはどこから来ているんですか?
いろいろな要素の絡み合いなんですけどまずは幼少期に受けた『スターウォーズ』とかのSF映画。テーマ・ソングは派手で、サウンド的にはオーケストラですけど、やっぱりサウンド自体には奥行きがあって、全体像で見ると、すごくいろいろなやり方とストーリーで宇宙を語っていると思うんですよ。そういう想像力で宇宙を表現する、その仕方とか感覚を無意識のところで追いかけていると思うんです。そこにセンチメンタルなものがとても似合うんですよね。そういうものを自然にキャッチしていって──映画音楽、父親がシンセサイザーを使ったり、フィールド・レコーディングやったものをかぶせたりして、いわゆるニューエイジ系の音楽の作曲活動を行っていたので、父親がやっていた音の世界観というのも影響があると思う。あとは「言葉じゃないのに、語りかけてくる音楽とはどういうものなのか?」というのは当時から感じていて。歌ものは一所懸命集中して「なにを歌っているんだろう」って聴かない限り、それがどんなジャンルであろうが自分にはなぜか歌詞が入ってこないんですよね。逆に、音で空間を表現をするということには昔から興味があって、こだわってたんですよ。
──ある意味で映画音楽の、フィクションの空間、「ないもの」を音だけで想像する行為、もしくはイメージさせる音という意味ではデトロイト・テクノの思考には近いような感じもしますね。よくデトロイト・テクノのアーティストは、「ここではないどこか」のイマジネーションの先に宇宙を置いて、それが音楽のインスピレーションのもとになるという話をしますが、そのあたりはやはりシンパシーとして通じる部分がある感じがしますね。
あると思いますね。星空を見て、天体に思いをはせるみたいなことはずっとしていて。UFOもみたことがあります(笑)。そういう体験は音のマジックにもシンクロするんですよね。一時期『ムー』とかばっかり読んでみたり(笑)。オカルティックなことという意味ではないんだけど。
──いまここで見えないものに思いをはせるイマジネーションのおもしろさみたいな部分ですよね。見たこともないものを想像する、例えばそれは誰もみたこともないのに未来の想像図の「未来っぽさ」のイマジーネションのおもしろさみたいな部分にも共通するような部分というか。
そういう部分だと思います。
──言葉で表すことで、逆に陳腐なイメージになってしまうものってあると思うんですけど、インストの楽曲とそこについてくるイマジネーションでそれを乗り越えられるっていうのは人によってはありますよね。そういうものに対する表現が、ワタナベさんにとって、シンセサイザーでの表現であったと。
そうですね。
──そこに1990年代初頭にボストン〜ニューヨークで出会った、ダンス・ミュージックの衝撃があったと。この2つがワタナベさんの音楽の礎であると。
ベーシックな部分はそこですね。それ以前から作ってきたシンセ・ミュージックの上物に、かっこいいビートが的確に当てはまれば、オリジナルの自分の音楽が作れるんじゃないかと。それが当時のQuadraの原型になった部分であり、デトロイト・テクノに通じる部分ではないかと。
デリック・メイとの邂逅
──ここからは〈トランスマット〉のリリースの経緯となったデリック・メイとの出会いについて聴きたいんですけど。西麻布にあった〈イエロー〉で共演したときがはじめてだったそうで。
「俺はKaitoのサウンドはすげえ好きだぞ」って言ってくれたんです。あとはちょうどそのときデリックも子供が生まれたばかりだったから、音楽の話というよりも子供の話で盛り上がりましたね(笑)。
──〈トランスマットから〉からアルバムを出そうという風になったのはいつごろだったんですか?
デリックが震災前後に、日本に来てくれたときに僕の曲をかけてくれたり、あとは年末のカウントダウン・イベントが一緒だったりで、徐々に交流が深かまっていって。あるとき僕が「〈トランスマット〉から作品を出すチャンスがあるとしたらすごくうれしいことだよね」って話をしたら、「それはもちろん可能だ」ってデリックが言ってくれたんですよ。で、その後も〈トランスマット〉のエージェントが、僕の海外のブッキングを手伝ってくれたり、サポートしてくれるようになって。
──海外の兄貴分ですね。
はい。で、ある時曲をデリックに送ったんですよ。でもその時、彼に「〈トランスマット〉から出したかったらそういうレベルのものを持ってこい」と言われて(笑)。でも、それは拒否されたという感じじゃなくて、その先にいくための切符をくれたんだと思ったんです。そのメッセージを受け取った自分は完全にスイッチが入っちゃって。それが2014年のはじめで、そこから10ヶ月くらい徹底的に作ってるんですよね。それで自分の気持ちが定まったとき、のちに『MULTIVERSE」というタイトルが付けられることになる曲ができて、それを送ったんです。そしたらデリックに「お前はある種のラインまで、自分の中でしっかりして掘り下げていって別の次元へと到達したんだ!」というようなことをメールに書いてくれて。それでまた余計にスイッチ入っちゃったんです。
コラム2 : 〈トランスマット〉とは?
前述のように1986年に設立されたデリック・メイのレーベルで、今年で30周年を迎える。もともとはホアンの〈メトロプレックス〉のサブ・レーベルとして設立された(ちなみに〈トランスマット〉という名前はモデル500名義でリリースされたホアン・アトキンスの「Night Drive」の歌詞より)。初期はデリック・メイのリズム・イズ・リズム名義を中心にリリースを重ねていく。1990年代あたりを境に、カール・クレイグやオクタヴ・ワン、ケニー・ラーキン(ダーク・コメディ)、のちのURやハードコア・テクノへも繋がるダーク・テクノの先鋭、サバーバン・ナイトなどデトロイトの次世代アーティストの作品をリリースしていくようになる。また1990年以降はNY出身、ベルギーのR&Sからもリリースし大ヒットしたジョーイ・ベルトラムの「Energy Flash」、ベルリンの3フェイズとドクター・モッテによる「Der Klang Der Familie」(当時のラヴ・パレードのテーマ曲)をリリースするなどデトロイトの外へとその範疇を広げていく。
またさらに外に開かれたサブ・レーベルとして〈フラジャイル〉があり、こちからはフサンスのロラン・ガルニエ、サンジェルマン&シャズのチョイス名義、オランダのオーランド・ヴォールンなどがリリースしている。ちなみに〈トンランスマット〉は、デリックのレーベルではあるが、1990年のシングル「The Beginning」を境に、自らの曲をリリースしていない(厳密にはコンピ収録曲の「Icon」を1998年に出しなおしたり、未発表曲をコンピなどの形でリリースしている)。
1990年代後半はほぼリリースのない状態が続いたが、1990年代末にスコットランド、マイクロワールドやステファン・ブラウン、スウェーデンのアリル・ブリカなどをリリース、その後は4、5年おきに突如シングルをリリースするというようなリリース体制が続いている。このたび30周年を迎え、Hiroshi Watanabeの作品とともにイスラエルのDEEP'A & BIRIとロンドンのAZIMUTEのEPがリリースされるなど動きが活発に。
──2014年中はほぼずっとこのアルバムの楽曲制作をしていたんですか?
そうですね。
──ある程度、アルバムに到達するような曲数になったときとかに、例えばデリックからサジェスチョンがあったりなんてことはあったんですか?
それぞれの曲の指向性みたいなもののサジェスチョンはもらったことはないです。僕がずっと描こうとしている音楽と、デリックがデトロイトで自分が作ろうとしていた音楽の世界観は同じなんだというようなうれしいことを以前に言ってもらえてたんですよね。いままでの僕の音楽がしっかりとアップデートされていて、さらに〈トランスマット〉というレーベルに恥じないものを作ればいい。僕がデトロイトのサウンドに合わせる必要はないし、たとえそれが、一聴しただけでデトロイト・テクノなのかどうかわからなくてもいいから。逆に◯◯◯っぽいというのがあるとそれだけでアウトになってしまうのはわかっていたから。
──デリックとしては“Hiroshi Watanabe”の音楽として最高であればいいと。
そうですね。それは〈コンパクト〉の人たちも同じことを言っていて「自分たちがやりきったものはいらない」と。そういう意味ではKAITOでもそれをやっていた。でも今回はKAITOサウンドを〈トランスマット〉で作る必要はないわけなんだから、どういうヴァージョン・アップをすべきなのかっていうことを探る為に時間を費やしたのが2014年でしたね。そのぐらい、ギリギリのところまで追い込んで。それは楽しくもあり、苦しくて、なかなか答えは出て来ないし。
──ひとつ際立ってアルバムを聴いて思ったことなんですけど、リズムがものすごく強いなって思いました。
なによりもまず、自分が納得したものを作って渡さないといけないと思っていたんで、いままでウワモノはわりとこだわってきたし、かなりやりきったという感覚が自分にはあったんですよ。だからこれを作っているときに、最後の辿るべき道を探っていくと今まで以上にビートにこだわるってことにも辿り着いたんですよね。
「すげーパワフルな曲だな、でもお前のスーパー・ベストじゃないな」
──〈トランスマット〉のマイペースなリリース・ペースというのは、ある種、デリック・メイの完璧主義に起因するわけじゃないですか。でもそれゆえにたとえそれが数年前に作られた曲でも、いま聴いても、未来に聴いても、「いい音楽である」という水準をキープしないと成り立たたないというか。DJミュージックって下手をしたら2年前の楽曲はかけられないなんてことはザラだと思うんですが、それを飛び越えるものじゃないと〈トランスマット〉はリリースしないぞと。そのハードルを越えるために自分を追い込んだという。
そうですね。もともと、これまでも流行りとか旬みたいなものを意識したことって、かけらもないですからね。デリックも「場所は用意してあるから早くそういうものをもってこい」という感じでしたから、それは本当にうれしくて。
──『MULTIVERSE』やタイトルに関してはどうでしたか?
今回は自分をバック・トゥ・ベーシックなところにおきたかったので、宇宙とかSFとかに執着しようと思って。こてこてのわかりやすいSFでもないところで、なにかないかなと。音しかないんで、そこに言葉を当てていくというのは結構難しくて。KAITO名義だと、わりとイメージ像があったりで、すんなりタイトルが出てきたんですよ。今回は無からはじめたんで、音源ができて全体像がわからないと出ててこないなと思って。僕は歌詞が音にしか聞こえない人間なんで、タイトルが音楽で唯一言葉を使う表現ですから、責任重大だなと。タイトルがフィットしなければ、内容が良くても人に響かない。そこに関してはかなり練りましたね。そういえば、デリックにいちばん最初に、自信を持って送ったのは「MULTIVERSE」。その後、楽曲を作っていくうちにアルバムに必要な分くらいの曲が選ばれていたという感じはあったのですが、そういうやりとりの中で本当に最後のあたりで「これも聴いてもらえる?」って送った曲があるんですが、それが「The Leonids」という曲なんですよ。本当のことを言うと、今回のアルバムの制作、デリックに対して楽曲をゼロから作るというときに一番最初に作った曲が「The Leonids」なんですよ。
──〈トランスマット〉モードへのスイッチを最初に入れたってことですね。
「良い曲ができた!でも、これは渡すのをやめよう」と思って放置してた曲なんです。他の曲ができあがっていくなか、最後の最後で「やっぱり渡そう! この曲をデリックはどう思うんだろう」と思って聴かせてみたら、すぐさまに「すげーパワフルな曲だな、でもお前のスーパー・ベストじゃないな」って言ってくれて(笑)。やばいなこの人、とんでもない感性だなと(笑)。そう言いながらも「The Leonids」は最後の最後でアルバム収録曲として選んでくれたんです。その後、dommuneでもデリックが一発目にかけてくれたり、結果的にはすごく話題になった楽曲で。思うに、デリックが言う「ベストじゃないな」っていう含みのなかには、「The Leonids」が僕は一番はじめに作った曲なので(それをデリックは勿論知らない)、言ってみればこれは全身全霊の僕のオリジナリティということではなく、これから自分は〈トランスマット〉へ作品を作るという意識に対する讃美というか、純粋に当時これから何かが捲き起こるということを無性に感じるエネルギーの思いから結果生み出された、そういう曲だったんじゃないかなと。それをデリックは一発でキャッチしてくれたんだと思う。だからこそ、「MULTIVERSE」という曲に到達したときにそのサウンドをより密度の高いレベルでデリックは評価してくれたんだと思う。
──今回はデトロイト・テクノにはなくてはならないSF的なイメージを作った、アブドゥール・ハックがジャケットを描いていますが。
ハックさんの絵を起用した経緯は〈トランスマット〉30周年だからとかじゃなくて、実は僕のアプローチからはじまっていったんです。「〈トランスマット〉からせっかく出せるなら絶対にハックさんに描いてもらいたい!」と。なので同時にリリースされた他の作品のジャケットもまだ何も決まってなかったんですが、ハックさんが描いてきた、僕のジャケットの絵のできあがりをみたら、〈トランスマット〉のスタッフが「ワオ! これいいね、一緒にリリースする他の作品にも描いてもらおう、ちょうど30周年だしヒロシいいか?」と言われて。自分がハックさんに声かけたから本当は「嫌だ」と言いたかったんだけど、でもそんなこと言うなんて人間性にかけるなと思って「いいんじゃない?」って(笑)。そして本当に素晴らしい30周年リリースになりましたから!
──ひさびさの〈トランスマット〉のリリースだからデリックが気合入れてオファーしたのかと思いましたよ。さて、OTOTOYでハイレゾ版を出すにあたって、CDのマスタリングとはまた違う感じですか?
CDのマスタリングのときにエンジニアが作ったマスターのデータと基本的には同じなんですけど、僕がDJ用にマスタリングした音源もまた別にあって、その音も気にいってたので、マスターにちょっと僕が手を加えて、低域の音とかハイレゾ用にすこしエッセンスを加えて調整した部分がありますね。
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PROFILE
Hiroshi Watanabe
ドイツ最大のエレクトロニック・ミュージックのレーベル〈Kompakt〉唯一の日本人アーティストとしてKaito名義の作品を発表する傍ら、ギリシャの〈Klik Records〉を拠点としても活動を続けるHiroshi Watanabe。ニューヨーク在住時代に出会ったグラフィック・デザイナー、北原剛彦とのダウンテンポ・プロジェクトTreadなどさまざまな名義でも活躍。2016年春に自身のレーベル〈Music In The Deep Cosmos〉を設立。また、デリック・メイの伝説的レーベル〈Transmat〉と契約し、さきごろシングル「Multiverse EP」をリリース。4月20日、アルバム『Multiverse』をリリースした。