【ハイレゾ配信】魅惑のイミテーション・ラテン・ワールド──君はセニョール・ココナッツを知っているか?
妙にくせになりまくる、クラフトワーク、YMO、ダフトパンク、プリンスなどのラテン・カヴァー…… 世紀の珍盤街道をひた走り多くの人々にインパクトを与え続け、親しまれてきたラテン・プロジェクト。アトム・ハートなどの名義でテクノ・シーンで活躍するウーヴェ・シュミットの、ラテンなプロジェクト、セニョール・ココナッツ。2000年前後にリリースされた、これらの作品が、まさかのデジタル配信開始なのである。謎が謎を呼ぶラテン・ラウンジなブレイクビーツとなった1997年の1st『ダンス・ウィズ・ココナッツ』にはじまり、クラフトワークのラテン・カヴァー『プレイズ クラフトワーク』やYMOのカヴァー『プレイズYMO』などなど、そのビザールな世界観でカルト・クラシックを生み出し続けてきた。これまでデジタル配信はなされていなかったが、このたびセニョール・ココナッツ(&ヒズ・オーケストラ)名義の5作品がすべてハイレゾ・リマスタリングされ、世界ではじめてデジタル配信がスタートする。さらにリリース当時に大ヒットしたリカルド・ヴィラロボスのリミックスなどを含む、シングルのリミックスやインスト・ヴァージョンなどを収録したオムニバス『Musica Moderna! Vol.1』と『Musica Moderna! Vol.2』も同時にリリースされる。OTOTOYではこれらの作品を全世界に先駆けて、ハイレゾ配信!さらにはその謎多きプロジェクトに迫ったインタヴューをお届けいたします!!!!
全世界が待ち望んだ(!?)、セニョール・ココナッツ怒涛の7作品をハイレゾ配信
謎が謎を呼んだ1stラテン・ブレイクビーツ(1997年リリース)
セニョール・ココナッツ / ダンス・ウィズ・ココナッツ
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
テクノ界隈で巻き起こったラウンジ / イージー・リスニング・リヴァイヴァルのなかから現れたラテン・ミュータント? 初期のセニョール・ココナッツ名義の作品の基底になるラテン・ミュージックのカット&ペーストによる、脳内サンプリング・エキゾ・ミュージックの金字塔。ある意味でサンプリング・ミュージックとチルアウトなる概念の慣れの果てという感覚もあるので、少々後半のカヴァー・ミュージックになってからの本プロジェクトと毛色が違いますね。
まさか、まさかのクラフトワーク・ラテン・カヴァー(1999年リリース)
セニョール・ココナッツ / プレイズ クラフトワーク
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
冗談すぎるにもほどがある、脱力ラテン・カヴァーなクラフトワーク。「アウトバーン」や「ヨーロッパ超特急」「ショールーム・ダミーズ」など代表曲をこれでもかと、腰砕けなラテンに。が、意外とそのシンプルなメロディはラテン向き?な感じもありますね。
世界のロック名曲をラテンに引きずりこむ(2003年リリース)
セニョール・ココナッツ / Fiesta Songs
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
というか「そこ、打楽器でカヴァーする?」って的な、頭のなかに「??????」が炸裂ですがグッとくる「Smoke on the Water」で腰砕け炸裂! シャーデー「Smooth Operator」、マイケル・ジャクソン「Beat It」などなど、ひじょーーーーにくせになるカヴァーばかりの名曲ラテン・カヴァー集。
クラフトワークの次はYMO!まるっとカヴァー・アルバム(2005年リリース)
セニョール・ココナッツ / プレイズYMO
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
細野晴臣ともその昔アンビエント・テクノの作品(テツ・イノウエとのトリオ作、H.A.T.)をリリースしていたアトム・ハート、そしてYMOには、エキゾチック・サウンドの祖、マーティン・デニーがひとつ元ネタとしてあるのだと考えれば意外に正統派かも、な、アルバム1枚、まるっとYMOのカヴァー集。ということでもちろん「Firecracker」のカヴァーもはいっていますね。異常にスローモーなところから、軽快なマレット・サウンドに突き進む「ライディーン」で小躍り。
『Fiesta Songs』に続く名曲カヴァー集(2008年リリース)
セニョール・ココナッツ / Around The World
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
今度はダフトパンク、テレクックス、そしてまさかのプリンス「KISS」(ほっこり具合がこれまた最高です! )にまで手を出したカヴァー集。ピコ太郎の元ネタでは? と話題になったジャーマン・ニューウェイヴな、トリオの「DA DA DA」のラテン・カヴァーも。こちらエキゾなMV含めて、かなり先見の明がありすぎでは、というカヴァーも。
リミックス&未発表ヴァージョン集その1
セニョール・ココナッツ / Musica Moderna! Vol.1
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/96kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
その後、なぜかアトム・ハートが入れ込むことになるデジタル・クンビア+そしてクラフトワークな「ヨーロッパ超特急」のリミックス、「Behind The Mask」の8ビット感、南米ラップ+クンビア〜ダンスホールなリミックスなどなど、いまでも(むしろいま? )使用価値高めな珍トラック多めな、シングル収録のリミックスしたコンピその1。
リミックス&未発表ヴァージョン集その2
セニョール・ココナッツ / Musica Moderna! Vol.2
【配信形態】ALAC、FLAC、WAV(24bit/48kHz) / AAC
【配信価格】単曲 432円(税込) / アルバム 2,700円(税込)
Vol.1にもリカルド・ヴィラロボスのリミックス収録されていますが、こちらのミックスが当時フロア・ヒット。脱力系ミニマル+ブレイクにてラウンジーなラテン・フレーバーの「Behind Mask」で爆発な1曲。クラフトワーク「ショールームダミーズ」のBBCでのライヴも収録。
INTERVIEW : Señor Coconut (Uwe Schmidt)
最近ではAtom™名義を中心に、〈ラスター・ノートン〉など先鋭的なテクノ~電子音響のレーベルより作品をリリースし、電子音楽の最前線で活躍を続けるウーヴェ・シュミット。1990年代初頭より、アトム・ハート名義でドイツ、特にフランクフルトのテクノ・シーンを中心に活動を開始し、1990年代末からその活動をチリはサンティエゴに移しても、精力的に活動を続けている。その作品の方向性は、さまざまな名義にてまさに膨大。そしてそれぞれの名義によってコンセプトもまちまちで多岐にわたる。アンビエントや初期のトランス、ミニマルからIDM。ソロ以外でもバーント・フリードマンとのチルアウトでラウンジーなジャズ・ブレイブクビーツ、フランジャーなどなど、さまざまなスタイルの作品を残している。そんな彼の活動のなかでも、ひときわ際立つコンセプトで、むしろある種の電子音楽家としての彼の顔を知らぬ人々でさえも惹きつけていたのが、このセニョール・ココナッツなる名義だ。人を食ったような温泉地のラテン・クラブのようなムードに貫かれたジャケット・デザインそのままに、クラブ・ミュージック以降のサンプリング感とラテンのほっこりムードを結合させ、ラテンのスチャラカ感をマジカルに融合させたプロジェクトだ。1990年代後半の、ある種のモンド / ラウンジ・リヴァイヴァルとブレイクビーツ・リヴァイヴァルの象徴とも言えるプロジェクトとしてはじまり、後半はむしろさらにラテン・ミュージックののめり込み、生の演奏者たちとのプロジェクトになっていく。このなかでさらにクラフトワークやYMO、ダフトパンクといったアーティストの作品をカヴァーとして飲み込み、カルト・クラシックを生み出してきたのだ。
インタヴュー・文 : 河村祐介
教えくれよ!ウーヴェ!
──セニョール・ココナッツ名義のコンセプトを考えついたのはどういう経緯でしょうか?
1992か93年頃かな、コスタリカに数ヶ月滞在していたさいに、セニョール・ココナッツの大元となるアイディアを思いついたんだ。当然、その時点ではまだ名前も何もなく、大まかなアイディアだけだった。具体的な形となったのは1997年にその名前と最初の楽曲ができたときだったんだ。
実質的に“セニョール・ココナッツ”は自分ひとりを指したもので、もともとこのプロジェクトの発想の裏には、自分のラテン音楽への興味と、それを「プログラミング/サンプリングといったエレクトロニック・ミュージックの手法を基調として自分自身の音楽的背景とを融合させたらどうだろう」という思いが関係している。当時、コスタリカから戻ったらこのふたつを組み合わせてみようと思ったのが最初だ。それから2、3年の歳月と幾多もの試行錯誤を経て、ようやくこのコンセプトでのアルバムが出せるという手応えを感じる曲が数曲レコーディングできたんだ。1997年のあるとき、酷いインフルエンザにかかって寝込んでいたときに、熱にうなされながら見た夢。その夢の中で「セニョール・ココナッツ」というタイトルのCDのジャケットを見たんだ。目を覚ましたときもまだその夢を覚えていて、その記憶をもとにセニョール・ココナッツのファースト・アルバムのジャケットをデザインした。セニョール・ココナッツ『El Gran Baile (邦題:ダンス・ウィズ・ココナッツ)』というアルバムのタイトル、アートワークが決まった瞬間だった。
──同時期にあなたが手がけたプロジェクトにリサ・カーボンというプロジェクトがあります。これは当時のチルアウトな雰囲気のダウンテンポやIDM的な手法でラウンジーなジャズやラテンを再構築したようなプロジェクトで、セニョール・ココナッツの前段階のようにも聴こえます。リサ・カーボンとセニョール・ココナッツとの関連性はあるんでしょうか?
当時自分が携わっていた全ての音楽プロジェクトはなんらかの形でつながっていて、リサ・カーボンにしても、セニョール・ココナッツにしてももともとは「プロジェクト」というよりも、単発のアルバムとして考えていたんだ。結果的にそこからプロジェクトにまで発展していくことになったというところで。これは想定外だったとは言えるけど、それは自分にとって、続編を作り、プロジェクトにまで発展させるだけの説得力がこれらの作品のもともとの音楽的構想にあったということ。ある意味、リサ・カーボンをはじめ、当時私が手がけていた他の作品も、最初の構想のヴァリエーションと捉えることができるだろう。様々なかたちの試行錯誤を経て、最終的にセニョール・ココナッツとして結晶化したと言える。
──ちなみにリサ・カーボンも実在の人物なんでしょうか?
いや、想像上の人物だ。
──当時、リサ・カーボン・トリオをリリースしたリチャード・D・ジェームスの〈リフレックス〉やマイク・パラディナス(μ-ZiQ)の〈プラネット・ミュー〉などがリリースしていたラウンジ・ミュージックのリヴィヴァル(ジェントル・ピープルや)に関してはどう思いますか? また本プロジェクトに影響を与えているいますか?
むしろ、リサ・カーボンや私が主宰していた自主レーベル〈ラザー・インタラスティング〉で当時出していた他の作品のほうが〈リフレックス〉に影響を与えたと思っている。この件に関して付け加えておきたいのは、〈リフレックス〉は私とライセンス契約を交わしてからリサ・カーボンのアルバムを1年以上も出さずにいたんだ。だからあれがリリースされた際、〈リフレックス〉の他のその手のリリースより若干遅れて出たという印象があった。でも実際はリリースされずにずっと寝かされていたというのが実際のところ。さらに言えば、〈リフレックス〉に権利を渡したときというのは、完成から1年が経っていた時期なんだ。つまり、自分がレコーディングしてから2年後に世に出たことになる。もちろん〈リフレックス〉が意図的にそうしたリリースをしたと言っているわけでなくて、ただ、側から見た時の印象を歪める原因となってしまったのはたしかだと思う。
ヤツのラテン趣味、実はセニョール・ココナッツだけではない?
その後の持続的なプロジェクト=カヴァー、そして生演奏やライヴの融合というところで上記のようにセニョール・ココナッツは生き残ったわけですが、彼がいうように〈ラザー・インタラスティング〉からは、リサ・カーボンの他に、エリック・サテイン、ロス・サンプラーズ(ラテン・ブレイクス的な)などの作品、挙句のはてはラテン・ギャングスタ・ラップ風なAtom™ feat. Tea Timeによる「XXX」なるアルバムまであるのだ。
チリ在住とは関係はありません!
──ラテン音楽をやるというところで、チリに移り住んだことの影響は大きい?
いや、それは違う。このプロジェクトとチリへの移住に関して、誤解されることが多くて残念なのだが、全体的な構想は私がチリに移る何年も前から温めていた。セニョール・ココナッツのファースト・アルバムを完成させたのはチリに住み始めた頃だったのは確かだけど、すでにレコーディングはドイツで完了していたんだ。むしろ、チリに住んだことで、特定の場所とは関係しない音楽を作りたいと思うようになったんだよ。
──あの時代、ドイツからチリに移り住んだんでしょうか?
一番の理由は可能な限り自分を隔離したかったんだ。ドイツに住みながら情報の渦に翻弄されないようにすることに疲れたんだ。創作面において「ひとりきり」になって、メディアなどのわかりやすい情報源の影響を受けない形でアイディアを練ることに自分の労力と時間を費やしたかった。それには当時としては、チリが最適の場所だった。あの頃はまだ「世の中の動向」からある程度隔離された場所だったからね。
私にとって一番の関心は、当時も今もなお、創作活動における孤立なんだ。それゆえに正直言って、スタジオの外で起きていることにはあまり関与しないようにしている。ここ2、3年私はますます所謂「地域色の強い音楽性」への興味を失ってきている。むしろ純粋に「新しい」と感じる音楽に興味がある。言い換えれば、エレクトロニック・ミュージックへの興味が増している一方で、いまは民族音楽への興味は限りなくゼロに近いと認めざるを得ない。
──なるほど、とはいえセニョール・ココナッツの音楽を作るときは少なからずラテン音楽に魅せられていたと思いますが、その魅力はずばりどこだったんでしょうか?
他の音楽ジャンル同様、特有の要素とコードで構成されている。それこそがもともとセニョール・ココナッツをやろうと思ったきっかけなんだ。そこからは自分の音楽的背景とは本質的に違うなにかが聞こえてきたから。非常に豊かだと感じたから、ラテン音楽の、その音楽的言語を吸収することに興味を持ったんだ
──ラテン音楽で最も好きなアーティストは誰でしょうか?お教えください。
これまでも、そしてこれからも変わることなくペレス・プラードだ。
ペレス・プラード : 通称マンボ・キングと呼ばれ、マンボ(オリジネイターではない)で1950年代にアメリカで活躍したラテン音楽のスター。「マンボNo.5 (Mambo No. 5)」(ドッキリのループ映像で使われるアレですね)や「マンボNo.8 (Mambo No. 8)」など、誰もが知るラテン音楽のアイコンとも言える楽曲で知られる。
──セニョール・ココナッツは初期、基本的にはカット&ペースト、つまりはサンプリング・ミュージックですよね? その後は『Fiesta Songs』以降は生楽器のアーティストとの共作になりました。このプロジェクトの変遷について教えてください。
『Fiesta Songs』では、前の2作でやったことから音楽的にも技術的にも進化を目指した作品だ。ただ同じことを繰り返すことはしたくなかったので、セッション・ミュージシャンを使い生楽器を録音、それらをまた切り刻んで解体し、プログラミングやサンプリングと合わせて再構築する、という手法をとることにした。『Fiesta Songs』はその時に自分の頭の中で鳴っていた音楽を形にするのに役立つと思ったものを全て使って組み立てた。言うならばそこでできた音楽は巨大な「複合体」だ。生楽器にラテン音源から引っ張ってきたサンプリング、あるいは自分でプログラミングしたサウンド、もしくは合成した音ネタを組み合わせた。ハードディスクを音楽的そして技術的な媒体として使い、その可能性をとことん追求したかった作品なんだ。
あのラテン男は誰だ?
──1stのジャケットなどでたびたび写真に登場する男性は誰ですか?
彼はマーティン・スコフ、又の名を“ダンディー・ジャック”と言うチリ人で、当時ドイツのフランクフルトに住んでいた。私の友人でよく一緒に音楽も作っていた人物だ。例のインフルエンザで熱を出したときの夢で、セニョール・ココナッツのアートワークを「見た」ときから、ジャケットに描くのに彼の顔が最もラテン風でいいと思って、彼にモデルのお願いをしたんだ。あとに我々は一緒にチリに移住したんだけど、彼は2ヶ月程してまたヨーロッパに戻り、私だけがサンチアゴに残った。
ダンディー・ジャック : その後は名門〈Perlon〉などからもリリースしているミニマル・ハウスのアーティスト。知っている人にはちょっとびっくりですね。
──ファーストをリリースしたときに、最も興味深い、作品への反応(メディア、レコード店など)はどんなものでしたか?
セニョール・ココナッツで経験したことは終始不思議なものだった。リリース当初は、既存のどの音楽ジャンルにも当てはまらなかったからね。だからメディアやライヴ会場にしても、どう扱えばいいのか戸惑っていたんだと思う。そのお陰で、アルバムが取り上げられるメディアにしてもライヴ公演にしても、昔も今も、多岐にわたっている。ラテン・フェスティバルに出演したり、企業や個人のイベントや、メキシコの公共広場だったり、ツール・ド・フランスでフランスの小さな村で演奏したり……というようなさまざまな経験があったね。
──『Yellow Fever!(邦題」プレイズYMO)』の頃、本当にラテンのバンドを率いてライヴを行っています。プロジェクトが一転して大掛かりなバンド・セットになったときどう思いましたか?
実は、バンドが「本当にラテンのバンド」だったことはないんだ。というのも、ミュージシャンは全員主にウィーン、デンマーク、ドイツのヨーロッパ出身だったからね。唯一リード・シンガーだけがヴェネズエラ出身だった。だから私がプログラミングやデジタル編集した音楽をミュージシャンを雇って再現する、という意味においてバンド/オーケストラはいつだって実験でもあった。そして2作目のセニョール・ココナッツのアルバム以降、これが私の目指すこの音楽の演奏形態となった。ステージでひとりで演奏することには興味がなく、そして新しいなにかを経験したかったんだ。それがライヴのバンドを組んだ経緯だ。完成した音楽をどうライヴで再現するか、そのやり方は完全に自己流で、私自身でさえどういうものになるのかわからなかった。
──本当にラテンのフェスやシーンからオファーされたりというのはなかったんでしょうか?
セニョール・ココナッツではあらゆる種類の会場や観客の前で演奏してきた。実験的なエレクトロニック・ミュージック・フェスから、ジャズ・クラブ、ロック・フェスからラテン・フェスまで。これだけ幅広いことに自分自身も当然驚いたよ。だけど、それと同時に、このプロジェクトのメタな音楽的構成要素や論理的背景に関係なく、純粋に人を楽しませることのできる音楽だということこそがセニョール・ココナッツの魅力だということにも気付かされたわけで。プロジェクトやその背景にあるコンセプトを全く知らない人でも楽しませることができるのも、ステージで演奏した時に音楽が「ライヴ映え」するからなんだ。いまに至るまでその点は変わらないと思っている。
目覚めた時に”Neon Lights”のチャチャチャ・ヴァージョンが頭の中で鳴っていた
──クラフトワークをラテン・カヴァーしようと思ったのはなぜなんでしょうか?
元々はある友人とのふざけた会話から生まれたんだ。カヴァーものをやるなら「クラフトワークの音楽をどう料理できるか」という発想で自由気ままに話をしていて、私は冗談でクラフトワークのデスメタルかチャチャチャのヴァージョンがいいんじゃないかと言ったんだ(笑)。その2、3週間後、朝目覚めた時に”Neon Lights”のチャチャチャ・ヴァージョンが頭の中で鳴っていた。それにすっかり魅了され、実際にやったらどこまで上手くいくか聴いて確かめてみたくなって、デモ・バージョンをプログラミングしてみることにした。このデモ・ヴァージョンが発端となりアルバムにまで発展したんだ。最初の発想が自動操縦してて気付いたら完成していたという感じかな。
──同じくYMOをラテン・カヴァーしようと思ったのはなぜなんでしょうか?
カヴァー・ヴァージョンを作る際に一番大事なことは、新しいヴァージョンが私の頭の中で鳴るかどうかなんだ。一旦これが起きると、困難な局面もあるかもしれないけれど、その作品が楽しめる課題になり得るという確信が持てる。YMOの場合も、当然彼らの音楽のほとんどを知っていたし、何年にも渡り自分の音楽性を形成する上で刺激をもらった音楽だ。彼らとクラフトワークは重要作品を同時期に制作したということで並べられることが多い。でも、自分からすると部分的に同じテクノロジーを使っていたことを除けば、2つのプロジェクトが似ているとは全く思わない。そして私はラテン・アレンジでYMOの音楽を生かすことに興味が湧いた。なぜなら音楽的観点から非常に難題であったから。要するに、YMOのカヴァーをしようと思ったのは、クラフトワークとの類似性と明らかな違いも含めて、『Fiesta Songs』以降、1枚のアルバムをひとつのアーティストに捧げたいとも思ったからだ。それら全ての要因が『Yellow Fever!(プレイズYMO)』の制作につながった。
──今後もセニョール・ココナッツのプロジェクトは続ける?
どうかな? 去年からライヴ・バンド/オーケストラが再稼働し、いくつかライヴを行ってきたけど、非常に楽しむことはできた。だから当面の予定としては、ライヴ活動に専念するつもり。もちろん新作アルバムに向けたアイディアもいくつかあるが、これをいますぐにレコーディングしたいかどうかはまだ確信が持てない。
──セニョール・ココナッツ以外の作品は?
ここ2、3年の間、セニョール・ココナッツを含む過去のカタログのリマスタリングと再発に向けた作業に多くの時間を費やしてきた。お陰で全カタログの80%が配信で聴けるようになり、パッケージでも手に入れることができる作品もある。その間、新しい音楽ももちろん製作していて、これからちょうどAtom™ & Tobiasの新作アルバムのミキシングに取り掛かるところ。これはベルリンの〈Ostgut〉レーベルから今年の後半にリリースを予定している作品だ。
コラム : ラウンンジ / イージーリスニング・リヴァイヴァル1996
いきなりのラテンじゃない! セニョール・ココナッツを巡る当時の状況
セカンド・サマー・オブ・ラヴの喧騒、その真っ只中のセカンド・ルーム・ミュージック=チルアウトなる概念の拡大とさまざまな援用のなかで、そのソースのひとつとして1990年代中頃までにラウンジ・ミュージックやモンド、イージーリスニングといった音楽が再度レア・グルーヴ(グルーヴではない?)的に注目されるようになる。ここにトリップホップやビッグビートも含めたブレイクビーツ・リヴァイヴァル的なサウンドも合流しながら、1995年〜1996年あたりを頂点にテクノ界隈にてラウンンジ / イージーリスニング・リヴァイヴァルなサウンドがふっと浮き出た瞬間があった。後期には完全にラテン・バンド歴としたプロジェクトとなるセニョール・ココナッツも、初期はこうした流れのなかで生まれたプロジェクトという感覚がある(むしろ本人によれば、その前進のリサ・カーボンを考えれば、その先駆である)。1st「ダンス・ウィズ・ココナッツ」を注意深く聞けば、サンプリングを主に構築されたラウンジーなラテン・サウンドで、その随所にはモンド系のムーグっぽいサウンドも多分に含んでいるんでいることがよくわかる。
エイフェックス・ツインもちょっと噛んでます
この動きを大雑把に説明すると、特にエイフェックス・ツインことチャード・D・ジェームスのレーベル〈リフレックス〉、その朋友たるマイク・パラディナス(μ-ZiQ)の〈プラネット・ミュー〉などが取り上げ、ひとつ大きな流れになった経緯がある。こうした流れの代表作といえば、やはり〈リフレックス〉のジェントル・ピープルやウーヴェによるリサ・カーボン・トリオ(1994年リリースなので、上記の話によれば少なくとも1992年の音源?)など。さらに本丸のリチャードのエイフェックス・ツイン名義でも1995年の『……I Care Because You Do』、1996年『Richard D. James Album』といったアルバムでモンド系のサウンドを取り入れている(さらには1995年のボツ・アルバムとされる『Melodies From Mars』もいまやネットで聴けるがそんな感覚っすね)。さらに駄目押し的に、リチャードとマイクはマイク&リッチ(1997年)のアルバムをリリースしている(マイクもジェイク・スラジェンザー名義を中心に、やはりモンド系のダウンテンポを展開していた)。
しかし、こうした動きは世界中で同時多発的に地当起きていて、その後『ヴァージン・スーサイド』のOSTで一般的な知名度を得たフランスのエールも、初期のリリース「Modulor Mix」や「Cassnova 70」といった作品では、洒落たフレンチ・フィーリングでラウンジ・リヴァイヴァル・サウンドをやってのけて、注目されたアーティストだ。また日本ではやはり“モンド”がひとつキモとなるようなキング・オブ・オーパスやパシフィック231といったサウンドをリリースした、永田一直率いる〈トランソニック〉といったレーベル、そしてそこにもリンクする砂原良徳の1stソロ『Crossover』やその後の通称、飛行機シリーズ(『Tokyo Underground Airport』〜『The Sound Of'70s』)なども、出自や意図は違えど、テクノを通過したあとのある種のラウンジーなサウンド・デザインがある。余談ですが、こうした動きから出てきたフェイク&クールなラウンジ・サウンドというのは、ここ日本では実は俗に「渋谷系」に混同されるようなラウンジーなボッサ・ブレイクなどの始祖になるんじゃないかと。
PROFILE
セニョール・ココナッツ
アトム・ハートなどの名義で活動する電子音楽家、ウーヴェ・シュミットのラテンなプロジェクト。1990年代初頭からドイツのテクノ、特にフランクフルトのシーンで活動を開始。特に甚大な作品を残した故・ピート・ナムルック主宰の〈Fax +49-69/450464〉からのアトム・ハート名義のリリースが、その活発な活動のひとつ契機となっている。1994年には〈FAX〉傘下に自身の〈Rather Interesting〉を発足させ、さまざまなコンセプチャルな作品をリリースしていく。セニョール・ココナッツはこうしたなかから1997年に出てきたプロジェクトである。