ベース・ミュージック・ペルー譚──ダブステップのイノヴェイター、MALAの新作をハイレゾ配信
ジャイルス・ピーターソンのレーベル〈ブラウンズウッド〉から2012年にリリースされた『Mala In Cuba』。多くのリスナー、メディアから絶賛された作品から約4年の月日を経て、UKダブステップのイノヴェイターのひとり、MALAの新たなプロジェクトがここにリリースされた。『Mirrors』と名付けられた本作は、キューバでのセッションとUK本国でのスタジオ・ワークにて完成した『Mala In Cuba』と同様、MALAとペルー現地のミュージシャンとのセッションから生み出された作品だ。現地でレコーディングされたさまざまなフォルクローレの断片やアフロ・ペルー音楽のパーカッションなどが見事にMALAの才覚を通して作品として示されている。
OTOTOYでは本作をハイレゾ配信するとともに、ハイレゾ版アルバムまとめ購入でCDと同様のライナーノーツPDFが付属する。北中正和による日本盤ライナーノーツ、そしてEmma Warrenによる英語版ライナーノーツの和訳を読めば、この不可思議なサウンドが具体的にどんなプロセスで、どんなペルー音楽を背景として生まれたのかがより鮮明にわかる。また本作のキーパーソン、マーティン・モラレスによるペルー音楽のイントロダクションの日本語訳テキストも、その理解の助けになるだろう。ドスの聴いたベースと、まるで現地の情景を伝える語り部のような響きを持つ現地でのレコーディング、その音の広がりをぜひともハイレゾで。
Mala / Mirrors(24bit/44.1kHz)
【Track List】
01. Kotos (feat. Asociacion Juvenil Puno)
02. Dedication 365
03. Cusco Street Scene
04. They're Coming
05. Shadows
06. Cunumicita (performed by Danitse)
07. Take Flight
08. The Calling
09. Inga Gani
10. Looney
11. Markos Swagga
12. Zapateo (feat. Colectivo Palenke)
13. Sound Of The River (feat. Sylvia Falcón)
14. 4 Elements
15. Tondero
【配信形態 / 価格】
24bit/44.1kHz WAV / ALAC / FLAC / AAC
単曲 267円(税込) / アルバム 2,571円(税込)
アルバムまとめ購入をすると、CDと同様の北中正和によるライナーノーツ、またブックレットに掲載の英語ライナーノーツの日本語翻訳がPDFにて付属。
INTERVIEW : MALA
コキ(COKI)とともにデジタル・ミスティックスとして活動し、UKダブステップのオリジネイターのひとりとして、その震源地にい続ける男、MALA。彼のすばらしいリズムの冒険はこれまでにシーンを幾度も先へと進めてきた。自身の〈DMZ〉や〈Deep Medi Musik〉、実質彼のソロであったデジタル・ミスティックスのアルバム『RETURN II SPACE』などの作品。これらはダブステップのダンスフロア最深部から垂直に立ち上る作品として、ゆるぎない説得力を持っているのは間違いない。が、やはり、『Mala In Cuba』という作品の存在は、さらにその外側へと彼の才能を紹介したというのは間違い無いだろう。最前線の中心にいるDJとして彼の才覚はもちろんだが、さらに才能溢れるアーティストとしてのポテンシャルをわかりやすい形で示したアルバムとなった。
『Mirrors』には、現地の音楽、いや体験や街の匂いまでもがサウンドを通じて耳から脳のなかのイメジネーションへと染み出してくる、まるですばらしいドキュメンタリーのような作品になっている。現地の音楽、もしくはそれをとりまく体験、MALAなりの「筋」を見つけ出し、それを音楽へと転写することで自身の作品として浮き上がらせている。それは単なるサンプリングによるトライバルなダブステップやプロデュース過多なワールド・ミュージックもどきとも違った説得力を持つ。伝える力、説得力という意味で、ある意味でダンスフロアでのさまざまな体験を糧に、自らのオリジナリティとともにこれまで革新的な作品を作り出してきたという彼の才能が結実した、らしい作品とも言える。
さて、ロンドンではまさにベース・ミュージックのドンなわけだが、そんな彼のなんと貴重なパパの一面が垣間見えるなかで、電話インタヴューを行った。
質問作成 / 構成 : 河村祐介
インタヴュー / 通訳 : 染谷和美
またこういうアルバムを作ろう。次はどこへ行きたい?
──時間は大丈夫ですか?
大丈夫だよ。ただ、ひとつだけ。いま、子供の学校に向かってる途中なんだけど、あと5分ぐらいすると着くから、そうしたら一瞬、待っててくれるかな。子供に水着の袋を渡すだけなんで、すぐだから。
──あ、そうなんですね(笑)。わかりました。
悪いね。今日は子供が授業の後にスイミングに行くんだ。なのに水着を持って行くのを忘れていて、だから届けないといけなくて。
──お父さんなんですね! じゃあ、旅がちなミュージシャンとしては、離れているのがつらいところでしょう。
そうなんだよねえ。でも、幸運なことに子供たちのママがすばらしい女性で、家での面倒もぜんぶ見てくれているし。あと、彼女自身もアーティストだから創作上のことも理解してくれていて、移動が多くなることもわかってくれている。ありがたいことだよ。それでもDJをやったりアルバムを作ったりでいつも旅ばかりしている僕としては、家庭とのバランスをうまくとっていくのは簡単なことじゃない。チャレンジだな。
──まさに今回はペルーに旅したということで、その話もいろいろと伺いたいんですが……?
もちろん!
──ペルーですが、今回のレコーディングで行ったのが初めてだったんですか。
そうだよ、初めて行ったんだ。まずはペルーに行くことにした理由のひとつに、キューバのアルバム(『Mala In Cuba』)が完成したときに、ジャイルス・ピーターソンと彼のレーベル〈ブラウンズウッド〉から「またこういうアルバムを作ろう。次はどこへ行きたい?」と聞かれたんだ。ジャイルスとレーベルの側からいくつか候補が出されたんだけど、僕の頭のなかにはペルーに行きたいというのが前からあったんだ。というのも、いまのパートナーに出会ってからというもの、彼女にずっとペルーの話を聞かされていたんでね。なんとなく、前から魅力を感じていたんだよ。それと、僕が育った場所…… まわりにいた人たちでペルーを話題にした人なんていままでいなくてね。学校でもペルーのことなんて習わなかったから、僕的にはすごく新しい、心躍る場所に思えたんだ。ほとんどもう学校の校外学習みたいなノリで、僕は旅をして新しい発見をして、それに刺激を受けて新しい音楽を生み出すということを現地でやったんだ。
──なるほど。その土地出身のミュージシャンとコラボレートして、そういう音楽を作る、というのではなく、自分からその土地に出向いていく。
僕にとってはそこがポイントで、音楽を書くのであれば──まず断っておきたいのは、僕は別に「ペルー音楽っぽいアルバム」を作りたかったわけじゃない、だからといって「自分なりにペルーを解釈してみたらこうなりました」という提示を単純にしたいわけでもない。あくまでその土地まで出かけていって、現地の人や文化や食べ物や大地のエネルギーみたいなものを感じて、そこからインスピレーションを得て音楽を作るという趣旨なんだ。言い方としては「ペルーからインスパイアされたアルバム」ということになるんだよね。僕がここで伝えたいのは、現地滞在中に自分が経験したこと、それだけだ。
──音楽的体験のみならず、そこで体験した、自分を取り囲むすべてのことが影響したと。
そういうこと。だって、本来そういうものだろ? 僕はクラシックの訓練を受けたミュージシャンでもないし、音楽が単体で存在するってことは有り得ないんだ。そういうプロデューサーってたいていそうなんじゃないかな、音楽だけじゃなく、環境とか状況からも刺激を受けて音楽を作っているはずだ・
──さっき出た、そのパートナーとおっしゃるのが、カミーユさんという方ですか。
うん。
──お名前が資料に出ていました。彼女もアーティストである、と。
そう。いや、ペルーの音楽に詳しかったわけじゃないんだけど、彼女にはペルー人の友人がたくさんいるんだ(カミーユは資料によれば在住経験があるそう)。僕が彼女と知り合ったのはもうずいぶん前のことだけど、当時からずっとペルーの話を彼女から聞かされていた。それで刷り込まれていたというか……。ごめんね、ちょっと待っててくれる? いま、例の学校に着いたんだ。
──あ、わかりました、どうぞ。
すぐだからね。
(インタヴューを担当した通訳さんによれば子供が大勢でワイワイやっている声のなかで、「じゃあ、後でね。スイミングを楽しんでおいで。みんなその袋に入ってるから」という微笑ましいパパなマーラとお子さんの会話が聞こえてきたそうだ)
ありがとう、用事は済んだよ
──いかにも学校っていう音が聞こえていましたよ(笑)。
ははは。
──大騒ぎでしたね。
うん、今日は子供たちはプールに行くんで大興奮してる。今日はお楽しみの日なんだ。というわけで、朝はいつもこんな感じ(笑)。みんな、僕が派手なプレイボーイ生活を送っていると思うかもしれないけど(笑)。こんな当たり前のことをやって暮らしているのが実情だ。
──いいことですよ。バランスがとれていて。
そう、そう。旅に出たりするハイな部分とバランスが取れていて充実してるよ。
キーパーソン=マーティン・モラレス
──それで、話は戻りますがペルーですけど、レコーディングの機材はひととおり持参したんですか。
いや、今は最低限の機材で最高の録音ができてしまうから、旅に出る時は主な機材はデジタル・レコーダーのZOOMの「H4N」というハンディのやつ。いちおうプロフェッショナルな機材で、ミキシングの卓やギターなんかからもインプットができるし、アンプからもプラグインできる。マイクを使った録音も可能。つまり、目の前の音と一緒にその場のアンビエントな音も録れるんだ。僕はいつもそうしてる。スタジオでミュージシャンたちと録音するときは、周囲の音も録るように心がけている。あとはラップトップ1台で基本的に僕に必要なものは全部まかなえるんだよな。それとPCに接続する小さなサウンドカード、RMEの「BABYFACE」というプロフェッショナルなインターフェイスを使ってる。スタジオはいろいろだったけど、どこもみんな優しく迎えてくれてね。大歓迎でレコーディングさせてくれたから、録音の過程は極めて順調だった。
──それは、アポイントを取って行ったんですか?
ジャイルス・ピーターソンに、ロンドンのマーティン・モラレスっていう人を紹介されたんだ。マーティンはロンドンでいくつかレストランをやっている人なんだけど、もうずっとロンドンに住んでいて、有名なところではセビーチェ(CEVICHE)、もうひとつはアンディーナ(Andina)というペルー料理のレストランをロンドンで所有しててね。かつては音楽業界で働いていて、実は〈タイガーズ・ミルク〉というレコードレーベルもやってるんだ。これがペルー人ミュージシャン限定の特殊なレーベルで。彼を通じてペルー音楽のさまざまなスタイルを知るようになったんだ。それで初めてペルーに行ったときに、ちょうどマーティンも向こうにいて、2日ぐらいだけど合流できてね。向こうはもう帰るところだったんだけど、最後の数日で僕を色んな人に紹介してくれて。そもそもマーティンも自分のレーベルの仕事で現地のミュージシャンに挨拶して回ったりしていたから、ついでに僕のプロジェクトのこともみんなに話してくれたんだよ。驚いたんだけど、僕がやってる音楽のことを既に知っているという人がけっこういて。「ペルーに行きます」ってネットで告知しておいたら、それを見て自分のCDを持って会いに来てくれた人がいたり。なんだか圧倒されちゃったよ。ペルーで自分や、自分の音楽が知られているなんて予想もしてなかったからビックリだった。まぁ、そんな感じで知り合った人たちを通して、人脈はどんどん広がっていったよ。中にはすごくいい音楽を作っている人もいたし、単純に人柄がすばらしくて大好きになった人もいたし、ホント、ラッキーだった。
──すごく人間的なレコードですね。
そうなんだ。僕にとっては完璧だったね。ああいうレコードの作り方は。レコードのコンセプトというかテーマというか…そういうものが共演者の中にすでに内蔵されていたような感じで、僕が一生懸命つじつまを合わせようとしなくても、自然とまとまっていったから。コンセプトはすなわち僕のペルーでの体験そのもの。そういう仕事の流れが、本当にステキだった。
──つまり、そのデジタルレコーダーやラップトップを持ち歩いて、フィールド・レコーディング的に行く先々で録音していたわけですか。
そう、そう。
──そして、それをロンドンに持ち帰って編集した?
うん、ファイルを全部、自分のスタジオに持ち帰ってきた。出先でも制作ははじめていたんだけどね。スタジオを使わせてもらったときは、そこで編集もはじめていたから。あと、ホテルの部屋でもやったし。やっぱり外で録ってきたものはすぐ聴いてみたくてたまらないんだよ。だからホテルの部屋に帰ると、すぐに聴いて、なにかひらめくとそのまま音楽にしあげていくっていう具合で。でもまぁ、レコーディング以外のプロダクションはほとんどロンドンの自分のスタジオでやったよ。
──ペルーに行く段階で、例えばリズムトラックのパーツとか自分から持って行ったセッション用の音源はあったんですか?
うん、バッキングトラックはいくつかあったよ。インターネットなんかでペルーの音楽を聴きながら作ったやつをね。でも、それは使う前提で持って行ったんじゃなくて、とりあえずなにかのきっかけになれば、と思って。ほら、向こうの人たちに僕がどういうスタイルの音楽を作っているのか、説明するときに便利かなと思って。僕がつくっている音楽を知らない人とコラボレーションするんだからね、なにかいままでに作ったものを参考に聴いてもらうか、あるいは作ろうとしているレコードのイメージが伝わる素材を用意していくのもいいかな。
──そういったプロセス自体は、キューバのときと同じですか。
うん、そうだね。
ペルーはギターが断然存在感があったな
──キューバのときとはここが違った、というのはありますか。
大きな違いは……音楽的なことを言うと、ギターだな。キューバはギターがあんまり出てこなくて、リズムもメロディも主に繰り出すのはピアノなんだ。キューバにも、トレスっていうギター的な楽器はあるんだけど。うん、ペルーはギターが断然存在感があったな。ギターって、僕はあんまり多用してこなかったから、僕にとっても新しい経験だったっていうかね。リズム的には特にアフロ・ペルービアン物なんかはよく似ていて、リズムはほとんどが6分の4、違う、6分の8、か、拍子でいうと。どちらもルーツのひとつにアフリカかあるから、類似点が多いのは間違いない。
──キューバの音楽の方がアフリカの影響やアフリカのルーツが顕著ですよね。ペルーには原住民であるインディオの音楽がありますが、そのあたりでなにかおもしろい発見はありましたか。
うん、シルヴィア・ファルコンっていうすばらしい女性の録音をしてきたよ。アンデスの人で、母国語はケチュア語というペルーの原住民の言葉なんだ。文化人類学者でもあるから、ペルーの文化の保全にとても積極的で、音楽にも詳しい。その彼女と仕事をさせてもらって、彼女のほうでも自分たちの音楽を記録することや僕らと話をすることにとても興味を持ってくれたから楽しかった。歌ってもらった「Sound of the River」は特定の村に伝わる歌なんだ。原住民の文化には、ものすごく触発されるものがあったね。マチュピチュなんか行くと、その場に行くだけでエネルギーを感じるし、すごく刺激を受けるんだよね。ものすごく深いエネルギーを湛えた大地って感じがした。だから、人間だけじゃなくて、土地にもなにかやっぱり歴史なのかな、ものすごく深くて古いものが流れている感じがするんだよね。
──その「Sound of the River」は歌で、おっしゃるとおりとても民族的な感じがします。もうひとつ「Cunumicita」という曲、これは発音ちゃんとできてるかな。
そう「クヌミチータ」。
──これも同じ女性が?
あ、それは別の女性。同じくとても古い曲だけど、こちらはダニサ・パラミーノという女性なんだ。最初はすごくシャイで、あんまり話もしてくれなくて。英語があんまり喋れないっていうのもあったんだけど、彼女に「なにを歌ってくれますか」ってたずねたら、自分が子供の頃にお母さんが歌ってくれた歌を歌います。そして歌ってくれた子供の頃の思い出の歌が、この、とても深みのある力強い感動的な曲だった。一生をかけて培ってきたものを歌に込めて伝えていく、というその真剣味なのかな。なんか、すごく特別な経験になったよ。
──ステキですねえ。都市部ではどうでしたか。リマにはベース・ミュージックのカルチャーがあると聞きますが。
あぁ、トロピカルベースだね。
──つまり、デジタル・クンビアのようなものですかね。
そう、そう。クンビアのレコードを、要はリミックスしてるんだ、サウンドを付け加えながら。だから、すごくエキサイティングなんだよ、いまのペルーの音楽は。世代的には、若いジェネレーションのヴァイブがすごくいい。
ジャイルスや〈ブラウンズウッド〉との仕事は僕に新しい世界を見せてくれた
──ジャイルスからは、今回のアルバムには何かインプットはあったんですか。
ジャイルスは『Mala in Cuba』みたいな形では絡んでいないんだ。あの作品はいままでジャイルスが一緒に仕事をしてきたキューバの人たちを僕に紹介してくれるところからはじまったんだ。音楽制作そのものにはそんなに関わっていないけど、彼の存在はセッションに参加したミュージシャン、そのプロセスを通じてバッチリそこにあった感じ。それに比べるとペルーは彼と一緒に行ったわけでもないんで、前回とは勝手が違うよね。でもリリースするのはジャイルスのレコード・レーベルからだし、だから彼のサポートや応援はつねにそこにあったのはありがたいよ。例えば落ち込んでたり、スタジオのセッションが思ったほどうまくいかなかったときに、「大丈夫、おまえならできるよ。焦らなくていいから、じっくりやれ。きっとできる」と言ってくれる人がいるのがどんなに心強いか。ジャイルスだけじゃなくて、〈ブラウンズウッド〉のチーム全員に僕は感謝してるんだ。辛抱強いうえに、仕事ができる人たちで、僕を心から応援してくれているのがわかる。〈ブラウンズウッド〉のオフィスに行くと、みんながよろこんで僕の音楽を世に送り出してくれていることが肌で感じられるんだ。本当に興味を持って、ワクワクしながら僕の音楽に関わってくれている。それって、仕事の人間関係には欠かせない、ものすごく重要なポイントだと思う。ただ評判が良いだけのレーベルとは違うんだ。アーティストの精神面まで親身になって支えてくれるレーベルというのはそうないと思うよ。締め切りが迫ってプレッシャーがかかってくると、レーベルや仕事仲間の本性が見えるものでね。なにをだいじに考えているか、態度に表れてしまうから。その点、最初のレコードのときからジャイルスに声をかけてもらった僕は本当に幸運だった。まさにあれで人生が変わったよ。通り一遍の意味ではなく、ジャイルスや〈ブラウンズウッド〉との仕事は僕に新しい世界を見せてくれた。とても感謝しているし、光栄だし、ありがたいと思いながら彼らのところでレコーディングさせてもらっている。
──まだ早いかもしれませんが、もう次の話を彼としていたりするんでしょうか。
今週、〈ブラウンズウッド〉のオフィスに行ったら、ジャイルスに「次の話かい?」って言われたよ(笑)。僕としては、まだ時期尚早って感じなんだけど、このレコードが完成したのはじつは去年の2015年の4月にはマスタリングまで終わってたんだよね。諸事情からリリースは遅れたけど。うん、もちろんまたアルバムは作りたいよ。アルバム制作は僕にとって大きなチャレンジだ。新しいサウンドを探索して、新しいものを発見するのが大好きなんだ。そこには苦痛も犠牲も伴うけど、それに見合った結果が生まれるから。
──また、〈ブラウンズウッド〉とのプロジェクトでは、どこかの国へ行くんですか。
うん、そうだね、たぶん、そう。
──ところで、今回のアルバムを『Mirrors』というタイトルにしたのはなぜですか。
最初は違うタイトルを想定して作業を進めてたんだ。1年以上そうしていたんじゃないかな。このレコードに取り掛かってから完成まで2年、リリースまでには3年半を要したことになる。で、時間がかかったせいか、いざ完成が近づいてくると、最初に考えていたタイトルがもはやしっくりこなくなって。そうするうちに思いついたのが『Mirrors』という言葉だった。
僕の人生にここ3~4年、いろいろあってけっこう大変だったんだ。仕事上の理由もあったけど、人間関係とか、旅がちでスケジュールのやりくりがうまくいかなかったり、家族に病人が出たり、音楽を作っていてもあの数年のことがどうしても思い出されてしまいがちなんだ。ペルーではウルバンバンというインカの聖なる谷に滞在したんだけど、そんななにもないところで夜、星を仰いだりしていても、なんとなく自分を見つめなおしているような感じがして。そうやって自分について発見したり学んだり。それを踏まえて、『Mirrors』=鏡というのは相応しいタイトルに思えた。あと、ウルバンバン滞在中にシャーマンと会ったんだ。そして話を聞いているうちに、つぎつぎといろいろなことを思いついて、メモをしないと忘れてしまうから日記のノートを開いてツラツラと書き留めておいたんだけど、あとで見たら、そこに最後に自分で書いていたのが『Mirrors』という言葉だった。なにを書いたかなんて、すっかり忘れていたから、タイトルを決める時にそのノートを開いてみてビックリさ。これはもう、『MIRROS』というタイトルに決まりだろうと。
PROFILE
MALA
ダブステップのパイオニア、そしてシーンの精神的支柱となるMALA。サウス・ロンドン出身のMALAは相棒COKIとのプロダクション・デュオ、DIGITAL MYSTIKZとしても活動。ジャングル/ドラム&ベース、ダブ/ルーツ・レゲエ、UKガラージなどの影響下に育った彼らは、ダブステップ・シーンの中核となる。2004年には盟友のLOEFAHを交え自分たちのレーベル〈DMZ〉を旗揚げ、本格的なリリースを展開していく。2005年から〈DMZ〉のクラブ・ナイトを開催、ブリクストン、リーズでのレギュラーで着実に支持者を増やし、ヨーロッパ各国やアメリカにも波及する。2006年にはMALAは自己のレーベル〈Deep Medi Musik〉を設立、シーンの最前線に立つ。2010年にはDIGITAL MYSTIKZ名義となるMALAの1stアルバム『RETURN II SPACE』がアナログ3枚組でリリース。2011年、ジャイルスと一緒にキューバを訪れ、現地の音楽家とセッションを重ね、持ち帰った膨大なサンプル音源を再構築し、2012年9月にはアルバム『MALA IN CUBA』を発表。