ワルくて、スウィートな珠玉のロックステディを──ジャマイカの伝説、プリンス・バスターを聴け!
1960年代ジャマイカを中心に活躍し、2016年9月にこの世を去ったジャマイカン・ミュージックの伝説的アーティストでありプロデューサー、プリンス・バスター。スカやロックステディなど、ルーツ・レゲエ以前のジャマイカン・ミュージックにおいて、多大な貢献をした重要なアーティストだ。しかしながら、権利関係から、その音源はレアなオリジナル / 再発アナログといくつかのリイシュー盤の中古CDなどをのぞいて、簡単に手にいれることができなくなっている。さらに言えばデジタルの配信のなかでは、ほぼ存在しないも同然という状況にある。このたび、バスターとは生前から親交の深い、大阪のジャマイカン・ミュージック専門店〈Drum & Bass Records〉が主催するリイシュー・レーベル〈Rock A Shacka〉がプリンス・バスターの貴重な音源を正規でライセンス、そのサウンドの魅力を伝えるべくコンピをリリースしてくことと相成った。さらにはデジタル配信も開始。第1弾は1960年代中頃、まさに珠玉のロックステディ期の音源を集めた『Let’s Go To The Dance / Prince Buster Rocksteady Selection』。OTOTOYでは本作を配信。本作の監修を努める〈Drum & Bass Records / Rock A Shacka〉、林正也(PIRATES CHOICE)に話を訊いた。
プリンス・バスター珠玉のロックステディ集
V.A. / Let’s Go To The Dance / Prince Buster Rocksteady Selection
【配信形態】
ALAC、FLAC、WAV(16bit/44.1kHz) / AAC
【配信価格】
単曲 250円(税込) / アルバム 1,800円(税込)
【収録曲】
01. Prince Buster / Let's Go To The Dance
02. Dawn Penn / Blue Yes Blue
03. Righteous Flames / You Don't Know
04. Larry Marshall / Suspicion
05. Prince Buster / Love Oh Love
06. Larry Marshall / Wooden Heart ~ Roland Alphonso / Rocking To The Field (Unreleased Full Length Versiton)
07. Daltons / Walking Down The Avenue
08. Prince Buster / Love Each Other
09. Dawn Penn / Long Day Short Night
10. Freddie McKay / Red Eye Gal
11. Prince Buster / All My Loving
12. Prince Buster / To Be Loved
13. Righteous Flames / Young Love
14. Larry Marshall / Broken Heart
15. Prince Buster / Rock & Shake
16. Freddy McKay / Giving You A Try Girl
17. Errol Dunkley / My Future Lies Ahead Of Me (Unreleased)
18. Teddy King / To Be A Lover
19. Hortense Ellis / Homebody Help Me
20. Buster All Stars / Miami Beach
ロックステディとは?
スカ(1960年代初頭)と初期のレゲエ(1960年代末)をつなぐ、1960年代中頃のジャマイカン・ミュージックのスタイル。アメリカのジャズやR&Bをお手本に1960年初頭にジャマイカで誕生したスカ。金管楽器を中心としたアップテンポなインストが多かったスカ。これが1966年頃あたりを境に、その音楽性を変化させていく。テンポはより遅くなり、シンコペーションを強調したミニマルなベース、そしてドラムもその輪郭をシャープにし、楽曲の主役はソウルフル&メロウなシンガーへと変わり、スカの主役であったホーン隊はどちらかといえば脇役となっていく(もちろん素晴らしいホーン・インストはロックステディにもある)。こうしたサウンドのことを、スカとは切り離し、ロックステディと呼ぶのだ。ギターリスト、リン・テイトのアレンジ、USソウルの影響やエレキ・ベースの導入、レコーディングのミックス環境による音響的な変化、さらにはアルトン・エリスやケン・ブースといったソウルフルで豊かな才能を持ったシンガーの誕生、果ては1960年代後半、当時の夏が非常に暑くてスカで踊れなかった……などなど様々な説がある。この後、そのスタイルの中心は、1970年代に入る頃にはレゲエへと変化する。スウィートなサウンドの反面、さらにストリートに根ざした音楽性へと進化することで、当時のゲットーを席巻していたルード・ボーイ(ギャングスタ)をテーマにしたものも多い。
INTERVIEW : 林正也 (PIRATES CHOICE)
ということで『Let’s Go To The Dance / Prince Buster Rocksteady Selection』の監修を務めた〈Drum & Bass Records / Rock A Shacka〉、林正也(PIRATES CHOICE)に話を訊いた。林は、デタミネーションズとプリンス・バスターの伝説のライヴ、さらにはそこから生まれたライヴ・アルバム、映像作品などを皮切りに、生前親交をふかめ、2016年のバスターの葬儀にも参列している。今回は、そんな林とともにバスターの葬儀にも参列した、〈Rock A Shacka〉のA&R、寺口正人にも話を訊いた。
インタヴュー・文 : 河村祐介
4時間ぐらい「すいません、そんなに払えません」って謝りながら
──プリンス・バスターにはじめて出会ったのはいつなんですか?
林 : バスターにはじめてあったのはあのライヴの前の年だから2002年かな。まずはじめにバスターではなくて、ミリー・スモール(注1)が呼べるという話が、ロンドンのほうからあったんですよ。ロンドンでいちばんはじめにサウンドシステムをやっていたというデューク・ヴィン(注2)という人がいて。その人経由で、ミリー・スモールを紹介できるという話があって。「俺はミリーと友だちだからぜったいいける」って言ってたんだけど、結局「ミリーは絶対に行けない」ってことになって(笑)。「他に誰がいい? あ、そういえばバスターいるから紹介する」って言われて、紹介してもらったんですよ。
注1 : ミリー・スモール、1960年代初頭にジャマイカの独立とほぼ同時期に生まれたオリジナルな音楽、スカを世界に広めるきっかけとなった女性シンガー。スカがお手本にしていたUSのR&B、バービー・ゲイの同名曲をカヴァーした1964年のシングル「My Boy Lollipop」はイギリスをはじめさまざまな国でライセンスされヒットした。ここ日本でも、当時、日本盤のシングルが出ていた。
注2 : デューク・ヴィン、ジャマイカ出身のセレクター(いわゆる曲をかけるDJ) / サウンドマンで、1954年にイギリスに渡り、当時ジャマイカで勃興しはじめていたサウンドシステム・カルチャーをイギリスに持ち込んだと言われている。2009年没。
──そこから日本にくるために交渉で知り合うという。
林 : 当時大阪にはデタミネーションズがいて、彼らと仲良くて。それで、なにかやるのに誰かゲストを呼ぼうと、ミリーに声をかけようと。その流れがあってからの「バスターや」って話。自分はそれまでジャマイカの人たちと親交があったわけじゃなくて。デューク・ヴィンの紹介。そのあとロンドンでバスターに追うて。そしたらバスターがとんでもない、べらぼうに高いギャラで交渉してきて(笑)。もう泣きそうになって、4時間ぐらい「すいません、そんなに払えません」って謝りながら交渉をやって。なんとかそれで、日本でやれる金額まで落ち着いて。
寺口 : 普通のひとは4時間も粘らないよね(笑)。
林 : トロージャンのエージェントがおって、バスターのコーラスとかロード・マネージャーもやっているデルロイっていう男がいて。その男もでっかいジャマイカンで、バスターとふたりで真っ黒の長いコートを着てきて、しかもなんかおまわりさんみたいな皮の帽子かぶってて、怖いしで(笑)。そこからですね。日本公演のときに仲良くなりまして、ジャマイカ行くたびにちょっとあったり。基本的にはマイアミに住んではったから、マイアミで会ったり。
もうめっちゃかっこいい人でしたよ
──どんな人でした?
林 : いや、もうめっちゃかっこいい人でしたよ。ジャマイカのアーティストは、スターなんだけどスターじゃなくてもうちょっと友だちみたいになんねんけど。バスターは違って、スター、ヒーローっていう感じ。
──簡単には近づけないオーラがあるというか。
林 : そうやな、やっぱりスターですわ。アルトン・エリス(注3)ももちろんスターやったけど、アルトンはええおっちゃんっていう感じやったけど、バスターはむちゃくちゃイケてた。
注3 : 1960年代から活躍する、スカ、そして特にロックステディを代表するジャマイカのシンガー。ソウルフル&メロウな歌声が特徴。
──思い出に残っているエピソードとかありますか?
寺口 : リキッドでデタミネーションズとやったときに、ホテルから会場来るのにスーツを着てきたでしょ? 「うわ、かっこいい、やっぱりキング・オブ・ルードボーイ! 今日はスーツでやるのか」とか思ってたら、楽屋入ったらスーツは脱いで(笑)。
林 : 舞台に出るときはスパンコールの衣装で出てきたな。
寺口 : 本当にスター ! 舞台だと、もっとすごい格好になって出てきたっていうね。ムキムキの体にスパンコールの衣装っていう。でも本当に映画スターっていう感じ? 高倉健とか小林旭とかそういう存在感があったよ。格好良さにスキがない感じ。
林 : そうやな。そんな感じやな。
寺口 : 男が惚れる、男のなかの男っていう感じ。「おい、テラ!」とかバスターに言われると、ションベンちびりそうになったもん(笑)。
──その後、デタミとの伝説の共演盤やユニバーサルから出た「ROCK A SHACKA」シリーズのコンピもありつつ、その後、ROCK A SHACKAは、バスター音源を7インチで個別に復刻されていましたけど。
林 : そう、その後は7インチでライセンスして、いくつか復刻を作ってやってたんやけど、7インチの再発は、10年も経ったら他のアーティストとかレーベルもみんなやり出して。逆に7インチのマーケットという感じになっていて。でもアーティストにフォーカスしたものがなくなってきているから、いまは逆にアルバムのパッケージとか作ったほうがええんちゃうかってなって。
プリンス・バスターの葬儀
──おふたりはご葬儀には行かれたんですよね?
林 : 行った、行った。
寺口 : すごかった、とりあえず墓場に人が住んでたよね……。墓掘り職人みたいな人たちがパンツ一丁で墓穴を掘り出して……。
林 : なんか生々しかったな。
寺口 : バスターはムスリムだからイスラム教のお寺みたいなところでフォーマルな感じのお葬式はやって。そうそうたるアーティストたちがみんな来てて。そのときはしんみりした感じで。出棺して、お墓に運ばれていって。
林 : 埋めるときになったらオレンジ・ストリート(注4)のひとたちが来て「Hard Man Fi Dead」(注5)を大合唱してたな。
注4 : オレンジ・ストリートプリンス・バスターのレコード・ショップ〈PRINCE BUSTER RECORD SHACK〉があったジャマイカのストリート。ある種のバスターの代名詞のひとつとも言える地名だが、他にもオーガスタス・パブロやテクニークスのウィンストン・ライリーなどがお店を構えていた。
注5 : 「Hard Man Fi Dead」バスターのスカ時代の代表曲のひとつ。バスターのタフさを賞賛した、「なんどぶちのめしても死なない」といった内容の曲。
寺口 : さっきも言ったけど、その墓場もすごくて。
林 : アルトン・エリスとかはダフ・カットっていって政府のお偉いさんとかが眠っているところに葬られてて。「バスターもそこにいくのか?」という話もあったんやけど、バスターの遺言で「友だちと一緒のところがいい」ってなって、それがいちばんあかん地域の墓地やねんな。メイ・ペン・セメタリーっていうところで。
寺口 : 本当、墓場に人が住んでいるっていうショッキングな地域で。
林 : バスターの曲で「Ghost Dance」って曲があって、昔のゲットーの友だちのことを歌ってんねんけど、そのルード・ボーイたちが眠っているところ。俺なんかこの前もジャマイカ行ったときに「バスターのところにお参りしとこう、バスターありがとうって言いに行こう」ってお墓参り行ったら、絡まれてお金盗られた。もうビビるで、墓参りいったら「セキュリティー、セキュリティー」って寄ってくる(笑)。「なんで墓参りでセキュリティいんねん、お前が悪いやんけ」っていう。「いらん」って言ったら10人ぐらいに囲まれて……最悪、めちゃかっこ悪い、カツアゲ! まぁ、そんなところでした。
まさかの豪快な盗難
──そんなところ、エゲツないですね(笑)。どうなんでしょう、そこにいる人たちにとって街のヒーローといった感じの人だったんですか?
林 : 基本、オレンジ・ストリートのボスやからな。むっちゃ悪いし、そこにずっとおられへんっていうのもあって、マイアミに住んでたんちゃうかなとも思うし。バスターは晩年はオレンジ・ストリートにはおらへんかったけど、バスターのあの店は誰も悪いことせんと、生きている間はそのまま置いてあって。バスターも体悪くして、麻痺があって車椅子になってて、動かれへんかったけど、それでも生きてるうちは誰も悪さしなくて。それで、もうな、死んだとたん! 全部、お店のもの盗られてたもん。
──まじっすか(笑)。
林 : バスターの嫁さんが「バスターも死んでしまったし、遺品とか整理せな。まだ在庫とかあるから、DRUM &BASS RECORDSでレコード買わへん?」とかって言われて、「それ、むっちゃ楽しいやん」って思ってたんだけど、葬儀の後、一度日本に帰って、またお店に行ったら、なんにもないねん。びっくりやで。
──葬儀終わってすぐってことですか?
林 : 葬儀終わった直後、嫁さんも直後でバタバタしているから、その次の月にジャマイカにもう一度集まって整理しようって言われて。その後で、葬儀終わってから1ヶ月の間に全部盗られた。
――すごい(笑)。
寺口 : ナイン・ナイト(注6)でお通夜みたいなときに、みんなでそのオレンジストリートのお店にみんなで集まって。そこにはデニス・アルカポーンなんかもいて。バスターの奥さんに「なか入り」って言われて、お店の中の入って。「ここがもともとバスターの事務所で」とか案内してくれて。そのまま残ってて、さらに奥に行くと、バスターが鍛えてたサンドバックとベンチ・ブレスが置いてあって(笑)。それみたらは「うわー」って感じじゃん。
注6 : アフリカ由来と言われている、ジャマイカ土着の葬儀のひとつ。死後9日間に行われる。
──ですよね、レコード屋のなかにそれがあるって、完全にガチに腕っ節の人だって感じっすよね。
寺口 : で、いろいろ残ってたのに、次に林さんがジャマイカに行ったら、すでにユンボで入り口壊されて、それこそステンレスの流しとかまで盗られてて。
林 : もう、50年とか前からあったような、壁に埋め込まれてたエアコンまで持ってかれてて。もうスクラップにしかならへんやろってものまでなくて。あんなん、外す方が大変や。全部ないねん。
──じゃあ、初めに奥さんに「買わない?」とか言われてたものもないっていう。
林 : ないねん。スタンパー(注7)とかも前見たときはあったんやけど、もうないねん。でも重要なものはマイアミに全部移してあるからって、バスターの嫁はんはいうとって。それからマイアミにあるバスターの家のスタジオに行って、テープとかいろいろ探して。そこから作ったのが今回のアルバム。
注7 : レコードを作るためのいわゆる「型」。
──なるほど。
林 : だから一応、全部無くなったわけではないねん。
──重要なのは残っていると。今回は奥さんから正規にライセンスされた作品ということですよね。
林 : そうそう。バスター本人のときは「マサの店はトロージャンと違う、小さな店やから、こんなんでいい」って結構良心的な値段でやらせてもらってたんやけどな(笑)。
──だははは。でも、ちゃんとしたライセンスですからね。本当に音楽史上を考えても、重要なアーティストなんですがしっかりした正規のライセンス以外の状態で買うことができないってやっぱりよくないですよね。
寺口 : 7インチも含めて、「ROCK A SHACKA」以外はいまブートみたいよ。
林 : 最悪なんは、うちで作ってない7インチに「ROCK A SHACKA」とか「DRUM & BASS RECORD」とか名前入れられてんねんで。
──出した覚えのないブートに加担させられて(笑)。
林 : 俺作ってないのに。めっちゃひどい盤質の7インチ、うちの名前が入って流通してて。
寺口 : 昔、ギャズ(メイオール)がコンパイルした『King Of Ska』、多分、曲からすると、あのCDとかをマスターにして盤起こしして作られた7インチっぽくて、それにうちのマークが付いてて。
林 : なんやねんこれって感じやろ、ほんまに。
注8 : 1980年代にロンドンでスカを新たなステージへと導いたバンド、ザ・トロージャンズを率いる、世界的なスカのコレクター / セレクター。度々来日しプレイ、さらにはギャズのレーベルからはこの国のスカの先駆、スカ・フレイムスをリリースするなど日本のスカ・シーンとの結びつきも強い。
バスターのロックステディ、その魅力
──レゲエ業界、昔からたくましいですね……。プリンス・バスターといえば、やっぱり一般的にはスカのイメージが強いじゃないですか? ここを敢えてのシリーズの一発目としてロックステディを出してきたのはなぜなんでしょうか?
林 : 今回、バスター音源で4枚くらい出そうと思ってて。そのなかにはもちろんスカもあるし、ルード・ボーイがテーマのやつも作ろうと。4枚いっぺん出せたらよかってんけど、予算の都合とかもあって「なにか選ばなきゃ」というところで、テラさんがまずはロックステディがいいんじゃないかと。
寺口 : 本当はバスターが生きてるときだったら、4枚一気に契約ができたと思うんだけどね。
林 : 俺の使い込みと契約金で〈ROCK A SHACKA〉のお金が無くなってしまってな(笑)。
──ダハハハ。とはいえ、レゲエ・ファンのなかには、やっぱりバスターのロックステディって、タフさと、メロウさとかが兼ね備わっていて、ファンは多いですよね。林さんから見て、バスターのロックステディの魅力ってなんですか?
林 : 魅力……やっぱりちょっと悪そうやし、なんぼ甘い曲歌っててもやっぱり悪そうな感じがするところ。
寺口 : あとはスタジオ・ワン(注9)とかのロックステディとは違ったソリッドな感じはするよね。
注9 : コクソン・ドッドが1950年代末に立ち上げた、ジャマイカの音楽産業における最初期のレコード・レーベル。スカ、ロックステディ、レゲエの誕生と、つまりはジャマイカン・ミュージックの歴史に大きく寄与したレーベル。ちなみに、その母体となるサウンドシステムにて、プリンス・バスターは腕っ節を買われ用心棒をしていたが、その後、独立して自らのシステム、レーベルを立ち上げる。
林 : そうやな、やっぱりスタワンはジャズっぽいし、トレジャー・アイルはコマーシャルな感じにするし。バスターはやっぱり、ニューウェイヴっていうと違うけど、ちょっとそういうところがある。新しいことをがんばるというか。
新たな発見
──今回収録されている曲で思入れの強い曲はなんですか?
林 : うーん。でも好きな曲はタイトルになっている「LET’S GO TO THE DANCE」かな、この曲はラリー・マーシャルの「WOODEN HEART」って曲とおなじオケで、で、さらにこの曲のローランド・アルフォンソのホーンもの「Rocking To The Field」が、そのケツについてたっていうのがわかって。
──オリジナル・テープの発掘でわかったってことですか?
林 : そうやねん、「Rocking To The Field」のシングルも出てねんけど、それはフェードインで曲がはじまっていて「なんでフェードインしてんねん、これは絶対どっちかの曲のケツについとった」ってマニアの間では言われとったんやけど、それマスターが見つかってわかってこれはうれしかったな。
──マスターにあたったことで発見っていうのはおっきいですね。
林 : エロール・ダンクリーの「My Future Lies Ahead Of Me」も出てなかった曲やしな。
寺口 : あれも、すごくよく聴くと演奏をたぶんミスっているんだよね。
林 : うっすらとダンクリーが入るのがはやい。たぶんそれで間奏入る前に落ち着かなかったから、たぶんバスターが出さんかったと思う。
寺口 : それが逆に生々しくて、スタジオの空気感も含めて。バイブスで押し切って、最後にはだんだん合わせていってる感じとかも。
林 : そこもいいな。
バスター、そしてデタミネーションズの思い出
──今後もバスターの音源出る予定だと。
林 : でも4枚分の選曲はばっちりやからね。あとはこれが売れてくれれば……。
寺口 : でもバスターが生きてたときだったらもっと話し早かったかも。でも本当にかっこいい人だった。バスターは、デタミとのライヴで来てもらった後に、あのライヴ盤を出すのにミックスでも日本で来てもらって。でも信じられない時間を過ごさせてもらって……いわば本当にヒーローだもんね。でも日本のこと好きになってくれたのは、デタミネーションズがでかったよね。
林 : そやな。
寺口 : すでにセシル・キャンベルではなく、ムスリムに改宗してたからムハンマド・アリに改名しててて。で、ツアーで日本に来てもらった2003年は、911の後でいろいろ入国とかもうるさかったみたいで、ゲートからなかなか出てこない上に、その前に飛行機のなかで奥さんと喧嘩してたみたいで、むちゃくちゃ機嫌が悪くて。
林 : そうそう、そやそや。
寺口 : 黒づくめの皮のコートきたマトリックスみたいな出で立ちでゲートから出てきて。挨拶したってひとことも返してくれなくて……。
林 : たしかもともとユニバーサルが用意して、MTVとかスペース・シャワーがライヴを撮るという話があって。これも一応伝えとこうと思ってその話しをしたら「そんなの絶対呼ぶな!キャンセルじゃ!」って言われて。
寺口 : 全部、バラして……。
林 : その後、デタミネーションズとリハーサルやったら、バンドの演奏がええからってむちゃくちゃ機嫌が良くなって「全部OK」ってことになって。
寺口 : 最初リハスタのときも腕組んでブスってしてたのに、デタミネーションズの演奏がはじまったら、だんだん乗ってきて。そこから逆に「なんで撮影しないだ!」とか言われて(笑)。
林 : でもバラしてたから、撮影隊呼べなくて、急遽自分の知り合いに頼んで撮ってんな。テラさんの知り合いに編集もしてもらって。
――あれはデタミに関しても貴重な映像作品になってしまいましたからね。
林 : そうやな。大阪のライヴが終わったら、バスターが「こんなトランペット、信じられへん、むっちゃ渋かった。客をみんな呼んでくれ、握手がしたい」って言われて(笑)。2時半とか3時間ぐらい握手とかサインとかしてたもん。ステージもはじめは45分って言ってたのが1時間半ぐらいやって。
──でもそこはバスターの「まずは音楽ありき」っていう感じなんですね。
寺口 : デタミネーションズがひっくり返したよね。
プリンス・バスターとは?
自らの屋号を「ヴォイス・オブ・ザ・ピープル」、つまり「民衆の声」とし、ストリートに生きる大衆のために音楽を作りつづけた男、プリンス・バスター。1962年の独立以前のジャマイカ、1950年代にはすでにそのストリートには音楽産業の中心としてサウンドシステム・カルチャーが存在していた(移動型のディスコ/クラブといったところ)。そのトップのひとりとして君臨し、のちにレーベル〈スタジオ・ワン〉を立ち上げるコクソン・ドッドに、元ボクサーのその腕っぷしを買われ、用心棒として音楽業界へと入ったバスター。その後、1950年代末には、彼も独立し、前述の屋号を持つサウンドシステムを立ち上げる。当時のサウンドシステムのメインは、アメリカのR&B、もしくはその模倣となるジャマイカンR&Bであった。しかしバスターは他のトップ・サウンドに先駆け、ジャマイカの大衆の人々の歌を歌い、そしてサウンド的にも彼らストリートのダンスにたむろするジャマイカ人の好みのものへと大胆に変化させていく。当時のサウンドシステム・シーンに基づく、こうした動きのなかでスカは生まれ、バスターは積極的にそのサウンドを自らのものとしていき、スカ・シーンのトップへと上り詰めていく。
また、こうしたスカ・サウンドは〈ブルービート・レーベル〉を通じて、イギリスへも渡り、現地のカリビアンたちはもとより、さまざまな人々を魅了していく。時代は移り変わり、1970年代末、ポストパンクの時代に現れた、2トーン。大その象徴でもあるザ・スペシャルズの「Al Capone」や「Enjoy Yourself」がバスターの曲であることがそれを雄弁に語っているだろう。
話は戻って、ジャマイカへ。1960年代後半、その後、ジャマイカの音楽の中心がロックステディへと変化、さらには1970年代初頭に初期のレゲエがリリースされる頃まで、彼はプロデューサーとして活躍していく。さらに時代が進み1970年代中頃になると、ジャマイカではラスタファリアニズムを土台にしたルーツ・レゲエが中心となる。ムスリムであった彼がプロデューサーとしてそこにコミットできなかったという説はあるが、この頃になると、彼の音楽プロデューサーとしての活動は途絶えてしまう。とはいえ、1970年代初頭には、最初期のダブ・アルバム(『Message: Dub Wise』)やディージェイ・アルバム(Big Youth『Chi Chi Run』)などをリリースし、先鋭的な作品も多く、その感度も良さはさすがだ。
その音楽性の肝は、まさしくその屋号が指し示すように、先にも書いたがサウンドシステムに集まる人々の代弁者ということではないだろうか。ダンスに集まるクールな人々が熱狂するクールな音楽をジャッジする音楽プロデューサーとしての能力。そして社会の時事ネタから猥雑な下ネタまでも雄弁に音楽にしてしまう、そのアイディアもまた彼の武器だ。ある種のギャングスタを指し示す、ルード・ボーイ。もちろん、クールな存在としてスカやロックステディでは扱われることもある言葉だが、その行き過ぎた暴力に対して、バスターは民衆の味方として彼らにジャッジを下す曲まで作っている。かと思えば、もちろん自らの腕っ節のタフさを賞賛する、ある種のルード・ボーイ・スタンスな曲もあれば、スウィートなラヴ・ソング、スラックネスな下ネタなどなど、多種多様だ、それはまさにそのストリートで暮らすさまざまな人々の“声”以外に他ならないだろう。その声、UKはコンヴェントリーのストリートの青年たちの声とも共鳴したということなのだろう。レゲエはもちろん、ラップをはじめとするストリート・ミュージックと共通するものだ。(河)
ミスター・ロックステディ、ケン・ブースが来日!
〈Drum & Bass Records / Rocka Shacka〉がジャマイカン・ロックステディを象徴するシンガー、ケン・ブースを招聘、8月中旬来日ツアーを開催!!
Drum & Bass Records / Rocka Shacka presents
Ken Boothe Japan Tour 2018
with Cool Wise Man
8月12日(日)
@千葉Route Fourteen
http://www.route14.jp/ROUTE_14/index.html
8月13日(月)
@渋谷クラブクアトロ
http://www.club-quattro.com/shibuya
8月15日(水)
@広島クラブクアトロ
http://www.club-quattro.com/hiroshima
8月17日(金)
@名古屋クラブクアトロ
http://www.club-quattro.com/nagoya
8月18日(土)
@大阪SUNHALL
http://sunhall.jp
8月20日(月)
@福岡Voodoo Lounge
http://voodoolounge.jp
Information:
Drum & Bass Records
tel: 06-6575-9464
mail: [email protected]
http://www.drumandbass-rec.com/blog/shop/9204