ニューヨーク・ディープ・ハウスの華やかし頃を思い起こすようなパワフルなヴォーカル・ハウスのアルバム『Blow Your Mind』。オーストラリア人の女性歌手であるポーラ・テリーをフィーチャリングした、日本人プロデューサーSeriganoによるファースト・アルバムだ。本作は活動休止中のVIBRASTONE(ビブラストーン)のMC・ヴォーカリストとしても知られるDr.Tommy主宰のレーベル、GOLDEN GUTSY RECORDSからリリースされる。OTOTOYでは、本作をハイレゾ、DSD(5.6MHz)、そしてHQD(24bit/44.1kHzのWav)でアルバムの先行配信を行う。是非とも、その豊かなグルーヴと、パワフルなポーラのヴォーカルを高音質で堪能して欲しい。先日、先行リリースされ好評を得た、インディープによるディスコ・クラシック「Last Night A D.J. Saved My Life!」のカヴァー曲の別バージョンも収録されている。
Seriganoによるヴォーカル・ハウスのアルバムを先行配信
BLOW YOUR MIND / Serigano feat. Paula Terry
【配信価格】
DSD 5.6MHz まとめ購入のみ 2,000円 (※24bit/44.1kをアップコンバートしたDSDとなります)
HQD(24bit/44.1kHzのwav) 単曲 200円 / まとめ価格 1,500円
収録曲 :
1. Blow your mind / 2. Bad day / 3. Sensuality / 4. So high / 5. Another day / 6. Free / 7. Eternal life / 8. Kama sutra / 9. Last night a D.J. saved my life!
【ダウンロードに関して】
Windowsをご利用のお客さまは、標準の解凍設定、もしくは解凍ソフトによっては正常にファイルを解凍できない可能性がございます。その場合、お手数ですが別の解凍ツールを使用し、再度解凍をお試しくださるようお願い致します。7-Zip(フリー・ソフト)での解凍を推奨しています。
※7-zip http://sevenzip.sourceforge.jp/
作品によって異なりますが、DSDやHQDの高音質音源は、1GB〜2GBとファイル・サイズが大きいため、ダウンロード完了までに時間がかかることがございます。通信環境、お使いのPCの空き容量を確認の上、ダウンロードいただきますようお願いいたします。
※ダウンロードしたファイルに不備や不明点がありましたら、info(at)ototoy.jpまでお問い合わせください。
INTERVIEW : Serigano
Seriganoは、そのキャリアで言えば30年以上のベテラン。だが、本作のリリースがソロのアーティストとしてはスタートとなる。そのキャリアは、70年代末~80年代のパンク~ニューウェイヴのインディ・シーンに始まる。そこでバンド活動をはじめた彼は、ニューヨークと日本を股にかけて活動していたノーウェイヴの象徴のひとつとも言えるバンド"フリクション"に1980年代後半に加わることになる。1989年にニューヨークでレコーディングされ、ジョン・ゾーンも参加したフリクションのアルバム『Replicant Walk』のクレジットに名前を残している。その後は、"フリクション"の中心人物、Reckのリミックス・プロジェクトなどにも参加している。
そんな彼が初めて自らの名前でスタートした本プロジェクトは、そんなキャリアを考えると不思議なほどにストレートなヴォーカル・ハウス / エレクトロニック・ディスコのアルバムとなっていて、ポーラの伸びやかでパワフルなヴォーカルが前面に出たディープ・ハウス作品になっている。
さて、本作がどうやって生まれたのか、また謎多き彼のキャリアについても迫った。
インタビュー & 文 : 河村祐介
イギリスのアンダーグラウンドの影響を受けてたかもしれない
ーーまずネットでいろいろネットでプロフィール見るぐらいでしかちゃんと調べられなかったですが、80年代、ごくごく初期は“Labberish”というバンドをやられてて。
serigano : 九州でバンド活動をやっていて。
ーーのようですね。カセット・コンピのようなものにお名前が。
serigano : 時代はパンクの時代に遡って、はじめは1977年とか1978年でした。もしかしてまだお生まれになってない?
ーーえ、あ、はい。僕、1981年生まれなんで。
serigano : 当時、福岡には、インディ・ロックの分野に"めんたいビート"とかそういうシーンが誕生して……脚光を浴びてたんですけど、そのまた裏にもアンダーグランドなシーンがあって……とはいえ、まだまだ全体がアンダーグランドで、"めんたいビート"自体もそれが後に社会現象にもなって、映画になったりもして、でも、僕らはアヴァンギャルドのちょっと破壊的な音楽っていうか、普通の人は耳にしたことがないようなノイズ音楽。あとはレゲエとかアコースティックな音楽も好きでしたし、そういう活動をしているときに佐藤薫(EP-4)さんから連絡があったんですね。そういう活動をしてるというのが佐藤さんにも届いたみたいで。で、京都にも行ったり、STATE 9TH というカセットブックを出しましょうって。そういうことをやっていた時にフリクションがツアーで博多に来るって話になって。1984年ぐらいの話だったと思います。
ーー福岡に?
serigano : そうです。ライヴで、福岡に。そのときに僕たちが前座をやるって状況になったんです。そこでフリクションと知り合って、リーダーのReckと親しくなったんです。10日間ぐらいReckは博多にいたんですけど、ほんとに毎日のように会って話をしたりとか、そんな状況ってあまりないと思うんですね。
ーー僕らの世代からするとReckさんは伝説上の人物というか。
serigano : すでにアルバム2枚出してて、すごい盛り上がってたというか。とはいえ、大手のマスコミとかが騒いでるような状態じゃなかったですけどね。当時、彼と話をして、自分が音楽をやっていく核みたいなのが自分の中で見つかって、それでReckから誘い受けて、「もし東京に来たら一緒にライヴやろう。」って。たぶん冗談だったのかもしれないけど、僕は100%信用して東京に行ったんです。でも、行ったら行ったでさっそくライヴが始まって、それから活動を共にするようになって、翌年はニューヨークでレコーディングをしてといった感じでした。
ーー参加されているフリクションのアルバム『Replicant Walk』のリリースが1989年ですよね。ニューヨークには、わりと長く滞在されてたんですか。
serigano : いや、滞在ってほどじゃないです。レコーディングとライヴでしたけれども、だいたい4ヶ月とか5ヶ月ぐらいですね。
ーーそれもう滞在じゃないですか。
serigano : レコーディングでは2ヶ月かかってますから。
ーーフリクションのクレジットではキーボードですが、基本的にずっとキーボードとか鍵盤というか。
serigano : 僕は、もともとギターリストなんですね。でも鍵盤っていうよりもシンセサイザーが好きっだったんですね。シンセサイザーの音ですね。
ーーちょうど、当時のシンセ・ミュージックだと、わりと、エレポップもそうですが、インダストリアルとかが出てきたりそういう時期ですか。
serigano : そういう時期ですね。
ーーさっきの話でノイズっぽい音が、と出てきましたがそのへん影響がありました?
serigano : ありましたねー、やっぱりキャバレー・ヴォルテールとか、スロッピンググリッスル、サイキックTVとか、ファクトリー・レーベル、とかだいたいイギリスのアンダーグラウンドの影響を受けてたかもしれないですね。あとはOn-Uとか、ライヴをやりながらそれにエフェクトをかけたりするダブ、そういうのもやって、なんかとにかく普通じゃなかった。
メインがロックからクラブ・ミュージックに完全に置き変わっちゃうわけ
ーーあの時代に一気に、ニューウェイヴとかで音楽の枠が拡大していった時期ですよね。その後は?
serigano : 僕はフリクションに関しては、1989年の終わりに辞めて、でも、ニューヨークでレコーディングしたときのスタッフさんとか、プロデューサーはスワンズのロリモシュマンで、彼とは良い出会いがあって、言って見れば“夜明け”というか、アメリカでもインダストリアルロックのブームが来てたり、ノイズとかももうちょっと表舞台にも出てくるような時期で、そういう音楽をまともにやろうとしてた時期でしたね。1990年代初期にインダストリアル・ロックから影響されて、「ドラマーは必要ない、リズムマシンでやっちゃえ。」って。僕はボーカル、リズムマシン、それとギター。で、その頃に出会ったのがカナダ人のジェームス・ボードウィンっていうブルースハープ・プレイヤーなんですが、彼と2人で高円寺のレイジーウェイや20000ボルトでLIVEをやってました。彼と僕は長くて、1990年からずっと一緒にバンドをやってたんですが、彼のプレイは面白くて、ハーモニカをディスト―ションで歪ませたり、エフェクトをかけて音を加工しながら一緒にLIVEをやっていました。1990年代中ごろになると、そういうことをやりながら、二人ともクラブ・ミュージックにどんどん入っていくわけなんですよ。
ーーじゃあ、アヴァンギャルドのインダストリアル系から、徐々に電子音つながりみたいな部分で。
serigano : 二人ともそれは予期してなかったんで、面白いですよね。僕と彼はミュージシャンをやっていて、でもその2人がクラブに行くようになるんですね。95、6年でした。そしてDJと仲良くなっていって、メインがロックからクラブ・ミュージックに完全に置き変わっちゃうわけです。でも僕たちのまわりもそうなっちゃって見事な変わり方というかエネルギーが全部そっちに行っちゃった。1990年代の真ん中から2000年にかけてですね。そして2000年代に入るとクラブ・ミュージックからスタートしたような形になっちゃって。
ーーちょうどそのときぐわーってクラブ・ミュージックに人気が出てきた時期ですね。
serigano : そうやって遊んでいるうちに、2005年に今回ヴォーカルやっている、ポーラさんと知り合うんですけど、知り合うきっかけというのはジェームスが阿佐ヶ谷ではじめた店なんですよ。バーというかクラブというか、もう勢いにのっちゃったんですね。そこからいろんな人たちが集まるようになって、クラブで録音をよくやってたわけです。そのときにポーラさんがたまたま遊びに来ていて、そこでセッションやったんですよ。まあ、とにかく毎晩連夜でしたが酔っぱらっていて、こういう形として残そうなんて思わなかったですから。
ーーちなみにジェームスさんがやってたクラブってなんて名前なんですか。
serigano : 阿佐ヶ谷にある我無双っていう。
ーーあああ、俺行ったことある。そうなんですね。
serigano : あるときジミーってやつに出会って、彼はアメリカ人のプログラマーだったんですが、毎晩の様に彼とクラブ通いをしていたんですよ、その頃はまだアメリカにはクラブという場所は限られた所にしかなかったし、そもそもロックの国ですからね。アメリカ人の彼には珍しかった様でした。それである日、バーで飲んでたら「セリガノ、いま株で大金稼いだよ。」って僕に言ってきたんで、クラブでもやれば?って言ったらほんとに韓国人のミンちゃんという嫁さんとクラブをオープンしてしまったんです。残念なことに彼は、店をオープンしてから3、4年した後に病気で他界されたのですが、それからジェームズが意志を継いで、そしてまた5年ぐらいして、今はイギリス人のマークさんって方がやってるんです。
リズムがかっこよければ音がずれてたって、そっちの方がワイルドでカッコいい
ーーでは本作の話を。本作はわりと、ストレートにディープ・ハウスやディスコをやられてますよね?
serigano : 「どういうスタイルでやろう。」とか、「こういうことやろう。」とか、そういうスタイルはまったく考えてなくて、とりあえずジェームズのバーに行って何かでっかい音を鳴らして、ポーラに歌ってもらって、そういう形で出来ていった作品なんですね。ですから、恐らく「レコーディングする前に誰かがかけてた曲。」、「そのときにかかってた曲。」とか、そういうものからインスパイアされてるのは間違いないと思うんですけど、すごく自然な形で本当に素直に遊んでた音楽がそこにあるってゆう感じですね。
ーー80年代後半にニューヨークに行かれてて、それこそ、その頃、ハウス・ヒストリー的には最もニューヨークがすごかった時期で、そこでハウスの体験してたのかなって思ったんですけど、実際はそうでもないんですか?触れずじまいという感じなんですか?
serigano : 当時、ワールドっていう出来たばっかりの大きいクラブがニューヨークにあってそこに行きました。とにかく体育館みたいにデカいとこだったんですね。平日に行ったんですが、客が10人ぐらいしかいない。照明なんてなくて、真っ暗らい体育館で客が10人ぐらいでものすごい音で踊っている。そういう時代でしたから、今のクラブにくらべたらクラブの演出は寂しいと言えば寂しかったですけど、まぁどう踊ってもいいわけですよね。真っ暗だから。とにかくすごく大きな音でショッキングな光景でしたね。
ーーポーラさんとの出会いをもうちょっと細かくお話しを聞きたいってかんじなんですが。ポーラさんはお店で会って。
serigano : ポーラさんは我無双にたまたま来てて、「自分はボーカリストなんだけど。」ってジェームスに言ったらしいんですよ。それから、すぐにジェームスから電話がかかってきて、デモCD持って彼女に会いに行って渡してって感じだったんですけど、そしたらすぐLIVEやろう、レコーディングをやろうって話になったんですね。そのあと2、3週間で我無双で録ったんじゃないですかね。彼女も都内の有名なホテルでラウンジの専属ボーカリストとして働いていましたし、コナミというゲームメーカーから何枚かアルバムを出していて、知り合った時にやったLIVEは客に対してのアプローチも完璧にプロでしたから、僕らは彼女の後ろで演奏していて何の迷いも無く完全燃焼できました。彼女の力量には今もなお感謝しています。
ーーじゃあ、ヴォーカルに関してはかなり前なんですね。
serigano : 2005年に録ったんですよ。で、そのときのヴァージョンは、ほんとに大したことないサウンドだってずっと思ってたんですけど、ある日聴いたらこれはこれでいいなと。なんで今まで出さなかったんだろうなって。それでデモCDみたいなのを作ったんですけど、それが評判悪かったんですよね(苦笑)。コンピューターはレコーダーぐらいの感覚で積極的に使ったことがなかったんですけど、2010、2011年ぐらいに自分が技術的なところで飛躍したところがあって、それで、もう1回作り直してみようかなって気持ちになって。
――じゃあ、そこからのリメイクなんですね。
serigano : 例えば、ヴォーカルのピッチとかは変えることができる時代になったけど、ところが、ポーラのビート、音楽、ヴォーカルにそれをかけたら鮮度が失われちゃったというか。だから素の状態にして、元に戻そうと思って。そこから聴かせるためにってなると、リズムをより強力にして勢いよく聴かせるしかないから。それはロックで学んだことでもあるわけですが、ある程度リズムがかっこよければ音なんかはずれてたってそっちの方がワイルドでカッコいいって。そういうアプローチを繰り返したわけですよ。ビートを強く出してヴォーカルを全面に出して、後ろで鳴ってるバックの音をなるべく簡素化していく。ダブに近いかなって思うんですけど。そうやって出来上がったということです。
僕なりのディスコってあるんじゃないかと思ったんです
ーーオリジナルをいじり直してまた音源にするってほんとにダブの手法ですよね。で、今回トミーさんのレーベルからリリースされたのは?
serigano : ドクター・トミーさんは、彼が主催したパーティーに僕の出演のオファーがあって、そのとき、たまたまポーラさんが日本に来てたんですよ。彼女は2012年、オーストラリアに帰っちゃってたんですが、たまたまそのとき来てたんで、それでトミーさんの前で演奏したんですけど、それで1枚出そうよって話がはじまって。それから1年かかりましたけどね。自分でも納得できる作品が出来たんじゃないかなって思ってます。シングル盤を作りましょうって言われたのが今年の9月ですから今から約2ヶ月前ですね。
ーーそのシングルで「Last Night A D.J. Saved My Life!」をカヴァーしてたり、作品のベース・ラインとかはディスコがモチーフになってますよね。
serigano : 僕、今年に入ってディスコ・ブームというか。いろんなディスコを聴き返してましてね。それもちょうど80年代に戻るわけですよね。まさかここにディスコが来ると思ってなかったし、2年前にテキサスのクラブに行ったんですが、ハウスやテクノと合体して、アメリカとかですごい大きな流れが加速されてきていて、僕もそこにアプローチしてみたわけですけど、僕なりのディスコってあるんじゃないかと思ったんです。そういえばそのシングルはamazon mp3のダンスエレクトロニカ部門で数日間ではありますが、MP3ダウンロードでヒットチャートのNo.1になったんですよ。
ーーものすごいクラシックな曲じゃないですか、「Last Night A D.J. Saved My Life!」って。あの曲にしようと思ったのは?
serigano : これにしようって言ったのはポーラさんですね。ポーラからやりたいって言ってきて。
ーーご自身でもいまでもDJとかも結構やってるというか。
serigano : DJは自分の音楽の勉強のためにやってますね。僕はDJとして人に聴かせる腕はまだまだ未熟なんですけど、それは勉強させてもらってるって感じですね。
ーーじゃあ、曲を作るために勘を鋭くするためのみたいな。
serigano : そうですね。あとは修行みたいなものですね。
ーーちなみにポーラさんとのプロジェクトとして完成を見たわけですけど、今後やってみたいこととかあったりしますか。
serigano : そうですね。えっと……。実際いろんなプロジェクトが今動きはじめているんですけど、ポーラさんに限らずいろんなボーカリストと音楽を作って行きたいと思ってますよ。ただここで具体的にお話することは出来ないので、そういう事は明日にはどうなるかわからないじゃないですか?来年にそのプロジェクトがうまくいけばまたみなさんにお知らせして、たくさんの人に聴いてもらいたいし、観に来ていただきたいと思います。
――ちなみにトミーさんとの出会いって、どういったいきさつなんですか?
serigano : 人に紹介されてという形だったんですが、トミーさんと知り合ってから一緒に音楽を作ろうって話になって、トミーさんのプロジェクトであるD.T.Constructionに参加して、山本政志監督の『水の声を聞く』っていう映画の音楽をお手伝いしたんです。来年の秋には日本で公開される予定の映画なんですが、あとはトミーさんのレーベルで僕も音楽を出していこうと考えてますんで、来年はみなさん楽しみにしていてください。トミーさんも、突然面白い企画を持ってくるんで、ちょうど今ごろはカリブ海でクルーザーに乗ってフランスのミュージシャン達と船の中でレコーディングをやっているところですね…。そのあとフランスとベルギーでDJやLIVEをやる予定だそうです。僕も次の自身のアルバムリリースに向けて動き出したいと思いますが、まずはこのアルバムを多くの方に聴いて頂きたいし、アルバムリリースライブなども予定していますので、是非、今回のアルバム"BLOW YOUR MIND"を聴いてもらって、現場にライブを観に来てもらえればと思いますし、いろんなDJの方達にもクラブなどでかけてもらえれば嬉しいです。
>>>GOLDEN GUTSY RECORDSの特集はこちら
LIVE SCHEDULE
『捕鯨船 pirates bonobo』 for 2013忘年会special!
"Serigano feat.Paula Terry"Blow your mind"New CD release party."
2013年12月15日午後3時 出港
神宮前bonoboにて、entrance free 1000yen(includes 1drink)
ゲストDJ : デトロイトの重鎮 Alton Miller
LIVE : PM7:00スタート
Serigano feat Paula Terry
ゲストギタリスト、手代木 克仁(EX東京少年)
1st floor
DJs : Alton Miller / DJ Sandnorm / ryo of dextrax / MUNACAT
special Live
Serigano feat. Paula Terry
2nd floor
DJs : toyo(Radical Simplicity) / 3iChi / Ken Sekiguchi / heartcobarn / 川合栄一 and more
https://www.facebook.com/events/1375722902666866/
http://www.clubberia.com/ja/artists/2342-ALTON-MILLER/
http://serigano.com/
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PROFILE
Serigano feat. Paula Terry
伝説のノーウェイヴ・バンド、フリクションのキーボーディストだったSeriganoが、90年代よりクラブ・ミュージックに傾倒していき、オーストラリア人の女性ヴォーカリストのポーラ・テリーをフィーチャリングして、2013年に"BLOW YOURMIND"という自身による初アルバムを制作。今後はCDアルバム発売に併せて、リリースライヴなども行う予定。